放課後、楓は祖父が運営する空手道場へ足を運べば稽古に励んでいた。
「てな訳でして~」
「な~にが、てな訳でしてよ!!全然おもしろくないよ??」
同じく稽古をしていた楓の従姉・美玲は、聞かされた内容に怒りが隠せなかった。
「じゃあ何?叶華ちゃんはアイツと裏で付き合っていて、今では婚約まで済ませちゃったってわけ?」
「その確認はこれからなんだと思う。でも承認されると思うよ」
「ムカつく~!!何よ、楓に優しくしていたのは全部演技だったってこと?」
「話聞く感じだとね」
楓が頷けば、美玲はますます怒っていた。
「あのクソ最低野郎共が!!」
そう叫び、美玲は持っていた板割りを真っ二に折った。
「お~美玲さすが~!」
「喜んでる場合⁉婚約破棄されるどころか、姉にも騙されていたなんて前代未聞よ!」
「まあね、、でもさ、それは分かりきってることじゃん?」
姉には敵わない。
それは楓が幼い頃から思っていたことだ。
頭脳明晰、容姿もスタイルもいい姉。小さい頃から両親のお気に入りで、特別扱いされては贔屓され甘やかされていた。
「それに加え私は…」
楓は同じく手に持っていた板割りに「ほおっ」と力を込めた。するとメキメキと聞こえたらダメな音が響き渡り、次の瞬間バキッと板が二つに割れた。
「うん、割れた」
「か、楓…あのさ、誰が片手で板割りする馬鹿がいんの?普通に考えて可笑しいから」
「え、そう?まあ全国大会優勝してるんで」
楓の持ち味といったら空手一筋に尽きる。祖父の影響で始めた空手がまさかここまで板に染み付くとは。その腕前はプロ顔負け。
「空手は強くて運動能力も生まれつき人より並外れてる。それは自覚してるし別にいいんだ」
楓にはフィジカルギフテッドと呼ばれる能力が備わっていた。その名の通り、超人的な身体能力と高い反射神経を持ち合わせ、筋肉密度は人間の五倍を上回ると診断された。そんな楓を親は嫌った。気味が悪いと口を揃えて言うのだ。
「ここに来るのも反対された。お父さんには特に。ほら、おじいちゃんとは縁を切ってるからさ」
楓の父は若い頃に祖父の家とは縁を切っている。その理由は分からないが、父は祖父を忌み嫌えば最後まで怒鳴っていたのを覚えている。
「でももういいんだ。越えられない壁なんて幾らでも存在する。運が悪かっただけ」
「楓…」
美玲はそんな楓にかける言葉がなかった。
「組み手してくる~」と吞気に走っていく後ろ姿を見送れば、不意に入る攻撃。
「っと、、危ないわね、清史郎」
「まじか~これよけるのかよ」
攻撃を入れたのは幼馴染の花塚清史郎。彼は茶色のくせ毛に陽気溢れるパワーの表情で、足をブンブンと上げ下げしていた。
「彼女であるこの美玲様を傷つけようだなんて、いい度胸じゃない。まあいいわ、やるならかかってきなさい!」
「お、今日はまたいつにも増して気合い入ってんじゃ~ん」
「イライラすることがあったの…よっ!!」
美玲は助走をつければ、清史郎に向かって技を仕掛けた。だが直ぐ清史郎は体勢を持ち直せば、次の攻撃に備える。
「なかなかやるわね」
「まあな。俺の空手歴なめんなよ」
すると奥からは激しい音が聞こえてくる。
二人が目をやれば、マットを相手に楓が蹴りの練習をしていた。
「おお…アイツは今日もすんげぇな」
「さすがは師匠の孫なだけあるわね」
蹴りを喰らえば無残にも支え役は向こうへ弾き飛ばされてしまっている。
「ねえ師匠~、な~んでアイツはそんな練習してないのにあんな強いんです?」
「あれは天才、ワシの孫だからな」
同じく近くで観察していた楓の祖父はそう言い笑った。
「げぇ、もうそれ不公平だろ~」
「そう言えばこの前、板割り十枚チャレンジするとか言って一発で全部割ってたような~」
「エ…マジで言ってる?」
「目の前で見たからホントよ」
美玲が話せば、清史郎は「さすがです」と言いつつ冷や汗をかいていた。一頻り終わって満足したのか楓が戻ってくる。
「おい楓!俺と勝負しろ!」
「え~イヤよ。疲れるし」
「じゃあなんで練習来てんだよ」
「私は凄いんだって皆に自慢するため~」
「なんて奴だ…」
清史郎はこれにムキーっと悔しそうにしていた。
「そういや美玲はなんでイライラしてたんだ?」
「あ、清史郎には話してなかったわ。楓、話してやんな」
そこで楓は今日のことを話して聞かせた。
三人は幼馴染として学校でも仲は良い。
聞かされた内容に清史郎は顔をしかめた。
「んだよそれ…。じゃあ叶華ちゃんもグルだったってことか?」
「ホント酷い話よね!!こうなったら…清史郎、二人でカチコミよ!!」
美玲は頭に血がのぼり興奮し始めるので、清史郎は黙ってこれを落ち着かせた。
「まあ待て。それじゃ根本的な解決策になんねぇだろ」
「可愛い従妹がやられっぱなしでいるの、これ以上見過ごせない!」
「はいはい、お前はそういう奴だったな」
清史郎は笑って美玲の頭をポンポンと叩いた。
「でもよ、相手はあの井崎グループだろ?学校でもその権力は凄まじいし、逆らうものなら一族まとめて消されるぞ」
近年、井崎グループの力が拡大する中、街中でも名前を耳にする機会は多い。影響力は学校にも伝わっているのか、先生達でさえ匠哉に逆らえなかった。
「あのボンボン野郎…学校では好き勝手ばかりやりやがって。お陰でこっちはいい迷惑だ」
「いけ好かない奴だと思ってたけど。見事に勘が当たったわね」
幸運にも三人は同じ学校。
王様の如く学校を仕切る彼には、二人も思うことがあるらしい。
「オマエよくあんなのと婚約できてたな」
「はは…まあ今考えたらまずかったかも」
優しくされていて忘れていたが、彼は自分を裏切った。そればかりか姉と婚約までしようとしているのだから埒が明かない。
「でもさ、楓の家だって井崎とは仲が良い訳だし。出方次第では仕返しできるかもよ?」
「ダメよ、そんなことしたらお父様達に何て言われるか」
現にここに来る事に反対しているのだ。
美玲達と絡んでいるのだって、本当は良く思っていないのかも知れない。
「帰りたくないな、、」
稽古が終われば、楓は溜息をつく。
婚約破棄したことを追及されるのは構わないが、何を話しても「オマエが悪い」としか言われない未来に頭を抱える。
「楓、今日は泊まっていくか?」
「おじいちゃん!…ううん、お父さんが怒るから」
楓が申し訳なさそうに断れば、おじいちゃんも「そうか…」と困ったように笑っていた。
「ウチに来る?従姉の家なら何も言わないんじゃない?」
「ありがと美玲。でも大丈夫だよ」
楓が支度を済ませれば、「気を付けろよ?」と清史郎も心配そうに見送ってくれた。
ホントここの人達はいい人ばっかだ。
その帰り道でのこと。
人通りの少ない夜の道をトボトボと歩く。
「すっかり暗くなっちゃった」
夜は危険。
何故なら魔物が姿を現す時間だから。
それは国でも古くから言い伝えられている話だ。昼間は神様の活動し、夜は神様がお休みになる。すると悪いエネルギーに導かれて魔物が異界から姿を現すとされている。
楓には生まれつき、妖というものが見えた。そんな楓を嫌がる両親。だが祖父だけは同じく妖が見えることから、それはそれは楓を可愛がってくれた。そして決して目を合わせてはならないと教えるのだった。
チラリと横手に見える公園。
楓は何気なく足を公園へと運べば、街灯が灯るベンチに腰掛ける。
「はぁ、やっぱおじいちゃん家に泊まれば良かった」
グダグダと不満をこぼせば自然と溜息が出る。
両親からの連絡は来ていない。
やはり何処までも興味は姉にしかないのだと思い知らされた。
ーーーーコロコロ~
「……ん?」
不意に前方から転がってきたのはサッカーボール。
なんでサッカーボール?と不思議に思うも、遠くでは男の子が一人、こっちに向かって手を振っていた。
もしやこれを蹴り返せと?
楓がサッカーボールを蹴り返せば、ボールは綺麗な直線ラインを描き転がっていく。だが楓はここでふと違和感を覚えた。
待って、、さっきまで私しかいなかったよね??
冷や汗をかけば、ゆっくりした動作で男の子に視線を向ける。するとサッカーボールなんてものはなく、男の子がニタニタと笑っていた。
ーーーーミタ
「!」
男の子の体にはみるみる黒い靄が立ち込め、その姿は魔物に変貌していく。
ーーーーミタ、ミタ、、アアアア!!!
「ッ、まずい!!」
楓は全力でその場から走り出した。
もっとも恐れていた事態が起こった。
魔物を相手にしてしまったことで目をつけられてしまったのだ。広い公園を横断しようとするも、後ろからは物凄い勢いで魔物が追いかけてくる。
「わあ!!」
石に躓けば、その場に倒れ込んでしまう。
後ろからは魔物は笑いながら距離を詰めてくる。
どうしよ、どうしよ!!
自分にはおじいちゃんのような退魔術なんて使えない。かと言ってここで殺されるのは…
「もう嫌…なんでこうも運が悪いの」
考えれば自分は何も可笑しくない。
妖が見えるのだって、力が強いのだって生まれもった個性だ。それを彼らは気味が悪い出来損ないだと罵る。
「でもこれだけは言わせてよ」
ーーーーミタ~~~!!!
「空手だけは誰にも負けないんだよ!!」
ーーーーギャ!?!
楓はもうどうにでもなれと、襲い掛かる魔物へ足を振り上げれば、そのまま怒りをダイレクトに強い足蹴りを喰らわせた。これには魔物もギャっと言って動きを止める。
「見えるからってなんだよ!私は役立たず?そんなの誰が決めたんだっつーの!」
そう叫んで続けだまに回し蹴りをお見舞いする。
魔物は苦しそうに唸れば、消えてなくなってしまった。
「あ、ありゃ??き、消えた??」
「へ~見事なもんだな」
「!!!」
突如聞こえてきた声に、驚いて視線を上げれば誰もいない。
「だ、誰⁇」
暗闇の中からは声は聞こえるも姿は見えない。だが近づいてくる気配に段々とその容姿が明らかになっていく。
「お前、あれ見えるの??」
黒い髪に宿した赤い瞳。
服は軍服のような物を着用し、腰にかかるのは一つの刀剣。
「あ、あれ??」
「魔物だよ。今倒しただろ?」
「あ、まあ…」
「見える奴らには会った事あるけどよ。足で蹴って魔物退治した奴なんざ初めて見たわ」
向こうは興味深そうにこっちを見てくる。
てかこの人、どこか見覚えが。
「ま、いいや。そんで本題なんだけど。楓ちゃんさ、俺と結婚してくれない?」
「…は??」
まさかの告白?
初対面相手に告白してくる奴ってこの世にいたんだ。楓はちょっとひいてしまう。
「新手のナンパなら間に合ってます」
「いやちげーよ。マジで俺本気だから」
「…いや、いやいやいや可笑しすぎでしょう。てかそもそも何で私の名前…まさかストーカーじゃ、、」
楓はこの胡散臭い顔した男を本気で警戒すれば、技の体勢に入る。
「え、おいおい待て待て!!ちょっと落ち着…っ」
「クソ…かすった」
攻撃を入れれば中々にいい避け方をする。
向こうは焦りに焦っていた。
「いやちょっと待て!少し落ち着けって!会話の順番ミスって先走ったのは謝る。だからそんな攻撃してくん…ヒッ」
「警察に突き出されるか、ここで私に潰されるか。どちらかお好きな方を選んで下さい」
「え、何この子…怖いんですケド」
男は慌てて電柱に抱き着くと、こちらを恐ろし気に見下ろしている。楓より頭一つ分、身長はあるであろうそんな大男が、こんな夜の時間、しかも公園の電柱に抱きつく姿なんて地獄絵図でしかない。
「落ち着け。なんで俺が楓ちゃんの名前知っているのか?それは俺がお前と同じクラスメイトだからだ」
「クラスメイト?でもこんなオッサンはいなかったよ?」
「オッサ、、ひでぇ…俺まだ十七よ?」
「十七にしては老けすぎでしょ」
「それは妖の姿してるからだっつーの!!てか老けてねぇからな⁈人間の時は若さ意識してんの!」
妖??
何を言ってるんだこの人…と楓は首を傾げた。
「そんなに疑うなら見せてやるよ」
男は上から降りてくれば楓の元までやってくる。すると男の体を煙が取り巻き、次の瞬間には見覚えのある人物の姿に。
「鬼嶋君⁈」
それは楓のクラスメイトである鬼嶋君だった。人当たりのいい彼はクラスでも目立つし、自分なんて一生関わらないと思っていた。
「こっちじゃコレの姿じゃないと困るからな。俺は鬼だ」
「鬼?」
すると鬼嶋君はさっきの姿に戻る。
「ほれ、角があんだろ」
チョンチョンと指さす頭には、確かに角のようなものが。
「そんでさっきの話なんだけど、俺と結婚してくんね?」
「いや、意味が分からないって。第一私、今日彼氏に裏切られて婚約破棄までされてるの」
「彼氏って井崎のガキのこと?」
「知ってたの?」
「知ってるも何も。お前、あの八咫烏一族の者だろ?」
確かに八咫烏は楓の苗字。
おじいちゃんの苗字も八咫烏であるが、父は縁を切った後も八咫烏の苗字は変えなかったのでそのままだ。
「八咫烏家のこと知ってたんだ。もしかして井崎グループとの兼ね合いで?」
「いや、それは表の話だろう?俺が言ってんのは八咫烏一族の方」
「どういう意味??」
「さっき魔物を倒しただろ。本来なら魔物を見える奴なんて人間界に早々いない。ましてや俺ら『鬼灯』の使う刀剣を使いでもしなきゃ討伐はまず不可能。なのにお前は倒した。しかも蹴り一つでだ。普通にヤバイだろ」
そう言われれば…なんでだろう。
魔物なんて倒したこともなかったから不思議で堪らない。
「八咫烏の異能だとしたら話は早い。今は時間もないからついて来い」
「いや私…帰らなきゃ」
流石に大人しくはい着いてきますなんて、さっきの今でできるわけもない。
よく考えたらこの人…鬼だし。
「別に取って喰うなんてことしねーよ。ただ異界には来てもらうがね」
「異界?異界って魔物が出てくる?」
「まあな。因みに魔物が人間界に出てくるのを退治・討伐する部隊ってのが隠世では大いに権力を振るっていてね。その最高権力者こそが、全妖の頂点にして最強の酒呑童子率いる、魔物殲滅部隊・鬼灯だ」
「鬼灯…じゃあ鬼嶋君は」
楓が恐る恐る顔をあげて聞けば、彼はニヤリと笑った。
「俺は奴の一人息子、名を酒呑弥一と言う」
「酒吞弥一?鬼嶋君じゃなくて?」
ますます意味が分からない。
だが不意に手を掴まれれば、気づいた時、自分は知らない場所に飛んでいた。
「ようこそ、酒呑童子の館へ」
あれから抵抗する間もないまま手を取られ、連れてこられたのは隠世。
「こっちに来たのは初めてか?どうだ?初めての異界は」
「なんか…気持ち悪い」
さっきから吐き気を催す感覚に体が前のめりになる。
「人間に異界の空気はちとキツかったか。とは言え、慣れるまでは辛抱してくれ」
「うぅ…それで貴方のことは何て呼べばいいの?鬼嶋君?それとも弥一さん?」
「好きなように呼べ。別に拘りなんかねーよ」
「じゃあ…弥一?」と、楓が聞けば「そこは呼び捨てかよ笑」と向こうは笑っていた。
「んじゃま、家に帰りますかね」
「え、ちょっと待って!私さっきも言ったけど家に帰らないと!」
両親と言う立場上、あの人達が自分を野放しにしとく手もない。中でも母親は世間帯を気にする人だから。
「問題ない、戻ったら連絡するよう伝えとく。それにお前の親とは今後のことを話し合わないとだからな」
「今後のこと?」
首を傾げれば、弥一は黙って歩いて行くので慌てて後を追いかける。軍服の鬼を先頭に制服姿の女が歩く。その姿は目立つらしく、キョロキョロと辺りを見渡せば人間らしからぬ、言わば異界に住む妖達がこちらを観察していた。
「凄い…妖がいっぱいいる」
「そりゃあ隠世だ、むしろ人間がいる方が珍しい」
「弥一は鬼の妖なんでしょ?でも人間界では男子高校生に化けて生活していたよね?妖って異界から出れないものとばかり思ってた」
「出れないことはねーよ。魔物が人間界に出るように、俺達だって同じことはできる。ただそれには人間に変幻できるだけの妖力がないとダメだがね」
「どういう事?」
「妖ってのは人間に化けないと人には普通見えないんだよ」
「そうなの⁈」
あ、でも言われてみれば。
確かに人間界じゃ誰も妖なんてもの見えていない。
本当はいても可笑しくはない、そんな妖達を人間が確認できてないだけなんだ。
「詳しい話は後だ。さ、着いたぞ」
「スゲー…デカイ」
目の前に映る巨大な日本構造を宿したお屋敷。
豪邸?館?とも表現すべきか、それにしても大きすぎた。
「ここが弥一の家?」
「まあな」
表門を潜れば中からは使用人らしき妖達の姿が。
「おかえりなさいませ、若。お勤めご苦労様です」
前方からやってきた一人の男性。
白いちょび髭にタキシードのような服装、片目には眼鏡と執事のような格好をすれば、弥一にうやうやしく頭を下げる。
「よっ、戻ったわ」
「それで今回はいかがでしたかな?」
「Bクラスの魔物だ。上からの指示で着いた時には成熟化一歩手前だった。人間に被害が及ぶ前に仕留められて良かった」
「それはそれは、流石は若ですな。っと、若、そちらの女性は??」
男性は楓に気が付くと目をパチパチさせていた。
「コイツは八咫烏楓。あの八咫烏磯五郎の孫だ。同時に娶ることにしたから」
「ななな、なんと!!あの八咫烏様直系の⁈こうしちゃおれん…直ぐに家の者達へ連絡を!」
「悪いな、俺は先に報告へ行く」
すると辺りは一気にバタバタと騒がしくなる。
不意に背後に気配を感じれば傍らには二人の女性。何やらニコニコと笑って楓を見ている。
「楓、お前も着替えてこい」
「え?」
「ソイツらがお前を案内してくれるから」
「あ、ちょ、弥一⁈」
楓が呼ぶも彼は一人先に何処かへ行ってしまう。
「さあ花嫁様、こちらへ!!」
「こちらへ~」
有無を返さず二人に両腕を掴まれれば、敷地内へと連れて行かれる。そして通された場所で服をはぎ取られた。ビックリして抵抗するも、間もなくしてすっ裸のまま風呂に突っ込まれれば、全身くまなく洗われる。
「イヤー誰か助けてーー!!」
だが彼女達は嬉しそうに作業する手を止めない。
怖い!なんでこんなことに…
恥ずかしい場所も全部見られた。
楓はゲンナリした顔で半ば死んだように大人しくしていれば、気づいた時、自分は綺麗な着物を着ていた。空手で鍛えあげられた体には所々細かい傷もある。彼女達はそこも丁寧に手当してくれたようで、今は保湿ケアまでしている。
「なんかすみません…」
「いえいえ!花嫁様をお世話できるなんて光栄でございます」
二人のうち、一人がそう答える。
「えーっと、私は八咫烏楓と言います。貴方達は??」
「あらついうっかり!申し遅れました、私は一江と申します」
「私は妹の二江です!」
聞けば彼女達は姉妹のようだ。
酒呑童子に代々仕える鬼の妖らしく、普段はここで働いているとのこと。
「楓様は烏本家様のお孫様なんですよね⁈」
「烏本家様のお孫様にお会いできる日が来るなんて!!」
二人は目を輝かせていたが、烏本家っておじいちゃんのこと?
「おじいちゃんを知っているの?」
「勿論です。逆にあの方を知らぬ者などおりませんよ」
一江さんが言えば、二江さんもウンウンと頷いている。
「さあ参りましょう!」と二人のペースに乗せられれば、装飾の綺麗な大きな扉の前まで連れて来られる。
「若様がお待ちですよ」
中に入ればソファーに座る弥一の姿が。
「よお、来たか」
チラリと目を向けた弥一はこちらを観察してくる。
「ふ~ん、なかなか可愛いらしいじゃないの。よくお似合いですよオジョウサン」
「ねえちょっと、ちゃんと説明してよ」
ニヤニヤと笑う彼に、楓は半ば怒った顔で近づく。
「まず一つだけ言いたい!私は貴方と結婚する気ない」
「その前に父親へ報告が先。直ぐ来るからお前も座れよ」
ちょいちょいと自分の隣を指差しそう言われるも、な~んか胡散臭いので向かい側の席に座ることにした。すると向こうは可笑しそうに笑っていた。
「そんな警戒しなくとも。今はまだなんもしねーよ」
「ま、まだ?まだって何⁈」
コイツ、、やっぱ一発足蹴りでもしとくか??
鬼であろうと襲ってくるなら関係ない。楓はいつでも技をかけられるよう軽いイメトレを行う。
「そういや明日、お前の家に挨拶行くことになったから」
「挨拶?なんの??」
「ん~?娘さんを俺の花嫁候補に。同時に八咫烏磯五郎との養子縁組を結ぼうって話」
「養子縁組?」
次から次へと話される内容に理解が追いつかない。
「お、いるねいるね~」
「!!!」
するとドアが開き、入ってきたのは一人の男性。
「やあ弥一。パパが帰ってきたぞ~」
「パ、パパ⁈」
その人は弥一そっくりな顔で、長い黒髪に金色の瞳、容姿は人間とは桁違いに美しい。
「や~ごめんごめん。急に会社で急用が入って。帰るの遅くなっちゃったよ~」
ヘラヘラ笑えば「今日の弥一もカッコイイ~」なんて言って抱きつくので、弥一は「離れて下さい」と少しうっとおしそうだった。
「それでそれで~?磯ちゃんの孫がここに来てるんだって~?」
男性が尋ねれば、弥一は頷き「楓」と自分に声をかける。すると男性も楓の方をジッと見つめた。
「八咫烏楓です…あの、、」
楓が挨拶すれば向こうはこちらを観察している。怖い。
「ふ~ん、確かに磯ちゃんの血が濃く流れてるね~。どうも~弥一のパパの酒呑童子で~す!」
「あ、宜しくお願いします」
だが心配なんてなんのそのって感じで、その人はウキウキした様子で楓に近づく。手を差し伸べてくれるので楓も黙って握り返した。
「かわいい~。なんだ弥一、こんな可愛い子いたならパパに紹介してよ~」
「会ったのは今日が初めてだっつーの」
「じゃあもしやナンパ?はは、流石はパパの子だ~」
そんな酒呑童子に弥一は「てめえと一緒にすんな」とゲシゲシ足を蹴っていた。
え、何この人…ノリ良すぎでは??
しかも弥一のお父さん??
でも酒呑童子なんだよね?なんかもっとこう…
「あっは~楓ちゃん、もしや僕のこと疑ってる?」
「え、あ、えっと」
考えていたことがバレていたらしい。慌てて誤魔化そうとすれば酒呑童子が笑う。
「そんな慌てずとも大丈夫だよ。別に取って喰いはしないからさ。まあでもそうか~確かに酒呑童子って人間が聞いて考えることと言ったら、あの大江山の話だからね~」
「じゃあ本当にあの酒呑童子なんですか?」
「そうだよ~でもそれは僕が若い頃の話だ。伝説じゃ源頼光君が退治したって言われているけど。その前に隠世へ逃げてきてるからね~」
「に、逃げて…」
この何とも言えない反応の中、向こうは「この通り~」とクルクル回っていた。
「因みに平安時代に美女を攫っていたというのは?」
「それは事実~でも単に女の子と遊びたかったからだよ~。あの時代は今と違ってネットもゲームも無いからね。いわゆるナンパって奴」
「へ、へえ…」
え、、マジでこの人、酒呑童子だよね?
楓はもう白目が向きそうだった。
「父さん、もうその辺に」
見かねた弥一はそう声をかけた。
「釣れないな~弥一君は。まあいいや、それで?楓ちゃんとは何処で知り会ったって?」
「中央区5番地のF公園です。Bクラスの魔物が出現したと、上から報告があったので。だが俺が到着した時、魔物は既に彼女によって討伐された後でした」
「ふ~ん、それで楓ちゃんはどうやって魔物を倒したんだい?」
酒呑童子は楓の方を見る。
「え、えっと…あ、足で」
「ん~?」
「だからその…足で、、蹴りました」
「…」
するとその場は静寂に包まれる。
ヤバイ、これはやってしまったか。
楓は内心焦っていた。
だが不意に、酒呑童子は体をプルプルと震わせれば盛大に笑い始めた。
「あっはははは!!噓でしょ、魔物を足で蹴って殺しただって?そんな話聞いたこともないんだけど」
酒呑童子は「あ~可笑しい可笑しい」と腹を抱えていた。
「流石は磯ちゃんの孫だ。彼も凄い人だったけど、そう…」
酒呑童子は一頻り笑えば、何処か懐かしむような目で楓を見つめた。話からして二人は知り合いだろうか。
「おじいちゃんと知り合いなんですか?」
「旧友だよ~彼とは五十年前に人間界で会ったんだ。当時、魔物狩り調査で人間界に足を運んでいた僕を、先に狩ろうとしてきたのが彼だった」
「おじいちゃんが⁈」
初めて聞く話に楓はビックリした。
「これでも僕、過去を騒がせた伝説の鬼だからさ~。実地調査のため人間に化けていたにも関わらず、磯ちゃんは僕の存在に気づいた。もう人を襲う気なんて無いのに退治してこようとした時は焦ったよ~」
「八咫烏一族は直感が人並み以上だからな。その血には妖や魔物を見抜く力がある」
弥一はのんびり話す父親の横からそう付け足す。
「まあ色々あったけど今では仲も良い。八咫烏一族はその昔、一匹の八咫烏が人間の娘に恋をして生まれた特殊な家系。産まれた子供が異能に似た力を宿すなんてことも十分あり得たわけさ」
だが酒呑童子は困ったように笑った。
「でも一つ問題が起きててね~」
「問題ですか?」
「いやね、八咫烏は異界から漏れ出る魔物を狩る上で極めて重要な存在なんだ。魔物は本来、死者の魂に負の瘴気が混じって生まれてしまうものなんだが。妖が見分けるのにも限界があってね」
「…と言うと?」
「妖は人間と違って能力に秀でる。それは過去も今も変わらない。人間には見えない魔物を、代行して討伐しようと作られたのが今の『鬼灯』。でも魔物の階級が高すぎると妖でも見ることはできなくなるんだ」
「それってどういう…」
楓が尋ねれば弥一が口を開く。
「俺たち妖が倒せる魔物にも限界があるってことだ。人間界で行方不明者が依然として減らない原因の一つがここにある」
ニュースでも度々取り上げる行方不明事件。最初は誘拐か?なんて考えていたが、魔物に襲われたからと考えれば辻褄が合う。
「僕が鬼灯を作ったのは百年ぐらい前なんだ。その時は魔物も今ほど酷くなかったし。僕一人で退治できてたんだけどね。でも時代を重ねるごとに手に負えないSランクのものまで出てきちゃってさ~」
酒吞童子は「これも時代かな~」と苦笑していた。
「八咫烏一族の血が途絶えつつある。中でもSランクは八咫烏の異能を持つ人間にしか見えない。八咫烏磯五郎は八咫烏一族の最後の砦だった」
「おじいちゃんが?」
楓は祖父と聞いて分かりやすく反応する。
「彼は烏本家の中でも史上最大の退魔術師だよ~そこを僕が声をかけて契約したんだ」
「契約?」
「つまりね、妖史上最大の力を誇る酒呑童子と八咫烏の血を引く人間。二人が契約することで魔物クラスへの耐性を高めたって訳。お陰で僕にもSランクが見えるようになった」
「視覚共有的な?」
楓が聞けば向こうはウンウンと頷いている。
「そこでだ!楓ちゃん、君、ウチの弥一君と結婚してくれないかな~」
「えええ!!」
まさかそっちからもそれ言う?
予想の遥か上をいく質問に、楓は反応に困ってしまった。
「弥一は僕の一人息子として僕の血を強く引き継いでいる。鬼灯を引退した僕に変わり、軍を引っ張る上でなくてはならない存在だ。でもそんな彼にも問題はある」
「ね~弥一君」と酒吞童子が目線をずらせば、弥一は溜息をついた。
「俺には黒鬼装備とこの妖力もある。だから他の隊より幾分か強い。だが俺にSランクの魔物は倒せない」
「八咫烏との契約ができてないから?」
「そうだ。楓、お前は魔物を倒した。可能にしているのはそのフィジカルギフテッドだ。八咫烏の異能とはいえ、磯五郎にも限界はある。元は妖である俺達と体も備わるエネルギーも違うんだ。エネルギーが尽きれば倒せるものも倒せない。強い術師ならそれだけ消費量も激しい。その点、お前は体力が続く限りその力は無限だ」
弥一はそう楓を見つめた。
「俺にとって最も都合がいい。八咫烏の力が尽きれば回復まで魔物の判断能力が鈍る。お前ならその心配はないだろうし、これは結婚という名の異類婚契約だ」
「異類婚契約…」
楓は困ってしまった。
契約とか結婚とか、楓にとっては縁が無さ過ぎて直ぐには即決できない。何なら高校卒業後は家と縁を切って、一人で自由に生きようとさえ思っていたのだ。
「急だし戸惑うのは分かる。でも頼む、俺と結婚してくれ。その代わりお前には自由をやる」
「自由?」
「あの家から解放してやる。代わりに八咫烏磯五郎と養子縁組を申請すれば問題ないだろう。そうすればお前もあの家で暮らせるし、空手だってやり放題だぞ?」
その言葉に楓は目を見開く。
あの家から解放できるの?でも父は八咫烏グループの会長。きっと養子縁組だって反対するに違いない。
「でも八咫烏は井崎と並ぶ日本の上昇企業だよ⁈そんな上手くいくかな…」
「あっは、楓ちゃ~ん、ウチを舐めて貰っちゃ困るな。僕はあの酒吞財閥の会長だよ~?」
「え、ま、まさか酒吞って。あの酒吞財閥の⁉」
日本最大規模を誇る大手企業・酒吞財閥。
今やその名前を聞かぬ者はいないんじゃないかってぐらい有名な大手企業だ。世界にも進出するほど強い影響力で日本の国を支える彼らはどこにいても有名だった。
「まさか酒吞さんが…あの酒吞財閥の会長」
「人間界で何気なく始めた取り組みだったんだけど。なんかもう後戻りできないとこまで企業デカくしすぎて鬼灯に手を回せなくなっちゃったんだ。まあ息子もこんな立派に育ってくれたし?この際引退して全力投資極めることにしたんだ~」
「す、すんげぇ」
そんなやってみたのテンションで。
規格外すぎて楓は苦笑いすることしかできなかった。
「決まりだ。明日の朝、お前の家に話をつける。いざとなれば権力でも何でも使うから安心しろ」
「人間は執念深いからね~」
物騒なことを語る親子が恐ろしすきた。
二人はその後も話があるらしく、「今日はもうお休み~」と酒吞さんの一言で、迎えにきた一江さん達とその部屋を後にする。
「ここが本日の寝床でございます」
案内された客間の一室は凄く綺麗で広かった。
「急ぎでしたので、今日は我慢して下さいね」
「ゆっくりお休み下さい。何かあれば遠慮なくお申し付けください」
二人は声を揃えてそう言えば部屋を出ていった。
「はあ~疲れた…」
急に静かになった部屋の中、楓は布団にダイブした。明日からどうなるのか不安ではあったが、疲れていたのか直ぐに眠ってしまった。
次の日、楓は昨日まで来てた制服からオシャレな服に着替えさせられれば、二人の乗る車へと乗り込んだ。
「ねえ弥一、本気でやるの?お父さんは頑固だよ?」
「関係ない。お前が手に入るならリスクは惜しまないさ」
堂々とした弥一の態度に隣からは「さっすが僕の息子~」と酒吞童子がときめいている。本当に大丈夫なんだろうか。
「今日はその姿のままなんだね」
「仕事の時はこうだ。逆にあれは高校にいる時にしか使わない。普段は俺も酒吞財閥で働いているからな」
弥一は高校生だけでなく、昼は会社で夜は鬼灯で働いているらしい。何とも忙しい人だな。
「それ体壊れない?大丈夫?」
「なになに~心配してくれてんの?弥一さん嬉し」
「もうふざけないでよ」
心配してるのにニヤニヤ笑う姿がムカつく。
「弥一様、楓様は本気で心配しておられるのですよ」
ドライバー席からは、酒吞童子の秘書・鬼代紅楊が困ったように声をかけた。
鬼代家は代々に渡って酒吞家に仕える鬼族で、酒吞家からの信頼度は高い。彼もまた主人の側で仕事をこなす有能秘書。そのスマートぶりには酒吞童子も頭が上がらないよう。
「楓様が契約して下さり助かりました。でなければ弥一様は仕事の手を止めませんから」
「そんなにですか⁈」
「童子様とは違って真面目過ぎますからね」
弥一を見れば、向こうはそっぽを向いている。
「ちょっと紅楊~僕は不真面目だって言いたいの~?」
「デートのしすぎです。人間の女性は妖とは違うのですから。その気にさせて問題を起こさないか、私はそれだけが心配なのです」
溜息をつく鬼代。
彼もこの親子には手を焼いてるようだ。
暫くして車は大きな高層ビルの前で止まる。先に出た弥一が手を差し伸べてくれるので、楓はその手を取って車内から出る。
「ほんじゃやることやってさっさと帰るよ~」
「父さんは楽観的すぎだっての。もっと日本のトップらしく威厳の一つを持て」
「え~そう言うのは僕の趣味じゃな~い」
呑気な酒吞童子に続くようにして二人も後に続く。
「な、なんだお前達は!!」
中では突然の訪問に驚いた警備兵が一斉に警備体制をとる。
「酒吞財閥からの所用だ。取り急ぎ、八咫烏会長への謁見を申し出たい」
「酒吞財閥だと??」
前に出る紅楊の発言に、周りからはSPが出てくれば警備兵達を抑え込む。
「童子様、今です」
紅楊の合図で、酒吞は「行くよ~」と声をかけ歩いて行く。酒吞財閥会長の訪問には社員もソワソワした視線を送っている。やはりそれだけ影響力は高いようだ。
△▼△
「た、大変です!ただいま酒吞財閥の関係者がこちらへ向かっていると連絡が」
「なんだと⁈」
上では知らせを受け取った楓の父・八咫烏晃大が目を丸くした。
「どうもどうも~邪魔するよ~」
「な、なんだ貴様ら!無礼だぞ!」
酒吞童子達が入ってくれば晃大は怒りの眼差しを向ける。だがその集団の中に楓の姿を見つければたちまち血相を変えた。
「楓!お前はまた!これは何の真似だ」
「ご、誤解よ、お父さん!これは…」
「黙れ!昨日から家にも帰らず今までどこで何をしていた⁈井崎は今回のでウチとの契約を無効にすると言ってきた。全部お前のせいだぞ!」
晃大は顔を真っ赤にして楓を𠮟りつけた。怖くて震えてしまう。だが不意に伸びてきた腕に引っ張られれば、弥一が抱きしめてくれた。
「静粛に。童子様の前ですよ」
「うっ、、」
冷たい視線を送る紅楊に晃大は身じろぐ。
「まあまあ、急に押し掛けたのはこっちだ。それはそうと紅楊」
酒吞童子が呼べば、紅楊は「はい」と言って何やら書類を取り出す。
「今回は楓様の養子縁組の件でお伺い致しました。並びに、酒吞財閥ではご子息である酒吞弥一様との婚約を承諾してもらいたく」
「養子縁組に…婚約だと??」
晃大はこれに強く反応した。
「ウチの息子が楓ちゃんに一目惚れしてね~。是非とも貰い受けたいと思い直々に足を運んでみた訳だが。そっちはどうかな?」
「ふざけるな。例え酒吞財閥とはいえ、ウチの娘を連れて行くことは許さん」
「ウチの娘ね~あれだけの扱いしときながら、今それ言うのは身勝手じゃな~い?」
酒吞童子が煽り文句を言えば、晃大は「なんだと!」と怒りに震えていた。
「楓ちゃんの為にも。今後のお世話は八咫烏磯五郎に任せようと思ってね。大人しくそれ、サインして?」
「親父にだと??」
その名前に晃大は怒りのまま立ち上がる。
「ふざけるな!娘を奴の養子なんかにしてたまるか!私はサインなどしない」
「少なくとも君の元に置いとくよりは良い生活を送れると思うけど。磯五郎には承諾済みだ」
「!!!」
酒吞童子が目配せすれば、紅楊は紙を指差し署名しろと再度促す。
「楓、お前はどうなんだ!!」
だが署名はする気などないらしい。
怒りの矛先は弥一の元にいた楓へと向けられた。
「私…私は」
楓は言葉に詰まる。
怖くて声が出ない。
するとふわりと肩に乗せられた手。見上げれば弥一が優しく微笑んでいた。
「私は…おじいちゃんの子になる。日々注がれ続けた苦しい言葉も、家での辛い生活ももうウンザリなの!」
「この親不孝ものが!!!」
晃大は激怒すれば楓に向かって手を振り上げた。
ぶたれる!!!
咄嗟に目をつぶったが衝撃はこない。
見れば自分を庇うようにして弥一が晃大の腕を掴んでいた。
「俺のもんに手を出すな、このクソ野郎」
「ぐあっ!!」
ギリギリと腕を握り潰さんばかりの力には、流石の晃大も悲鳴を上げていた。弥一が手を離せば後ろに後ずさる父親に、緊張の糸が解けて倒れそうになる。すかさず弥一が抱き留めてくれた。
初めてだった。
誰かに守って貰う日がくるだなんて。
信じていいのだろうか。
楓は未だ冷たい視線を父親へ向け続ける弥一に、少し気持ちが揺さぶられた。
「もう一度言う、その誓約書にサインしろ。八咫烏楓の身は我ら酒吞財閥が引き取る。今日をもって貴様らとの関係は終わりだ」
「…クソ」
晃大は悔しそうにするも、ペンを持てば書類へとサインする。一通り確認し終えた紅楊が「終わりました」と声をかければ、酒吞童子も笑って部屋を出ようとする。
「…酒吞、こんなことして、ただで済むと思うなよ」
そう言葉をこぼす晃大は酒吞童子を睨みつける。
「あっは~ウチが君たち相手に負けるとでも?悪いけど、勝手な真似しようもんなら…消しちゃうよ?」
冷たく放たれた声。
楓からはその顔を見れなかったが、父親が酷く怯え切っている姿だけは見えた。
「な~んて、冗談冗談!ならこれで僕らは失礼するよ~」
酒吞童子を先頭に、楓は弥一に支えられれば会長室を後にした。
その後、三人が向かったのは祖父・磯五郎が住む家。養子縁組が成功したと話せば泣いて喜んでくれた。後ろでは抱きしめ合う楓達を嬉しそうに見つめる鬼の親子。磯五郎は酒吞童子に気づけば声をかけた。
「久しぶりだな、酒吞」
「久しぶりだね~あれから何年ぶり~?」
懐かしむように話し始めた二人を、楓達は離れた場所から見守る。
「弥一」
「ん~?」
「あの、さっきはありがと…」
目を合わせようにも恥ずかしくて下を向いてしまう。そんな楓に、弥一はふっと笑えば頭を撫でた。
「い~え~、楓ちゃんが傷ついているのは見てられないんデ」
胡散臭い笑みにも見えるけど、彼にとってそれは本心なのだろう。
「ふふ、オッサンの余裕って奴?」
「オッサン言うな。俺はお兄さんだ」
少し揶揄うもノリよく合わせてくれる。
「でも私は貴方と結婚なんてしないからね?」
「おいおい…折角の雰囲気が台無しじゃねーか」
やれやれとした目を向ける弥一。
「おじいちゃん達みたいに契約だけすればいいじゃん」
「そうもいかねーよ。なんせ隠世では酒吞家の次期正妻を狙う輩でうじゃうじゃしてる」
弥一は酒吞童子の息子。
当然、未来の当主として隠世を統治するわけだが、婚約者どころか結婚さえする気配がない。お陰で他の家から花嫁候補が後を絶たないらしい。
「ま、人助けだと思ってサ。お前のことは信用してんだ」
「…胡散臭さ」
「なんでだよ笑」
弥一は苦笑いするも再び楓の頭を撫でた。
「俺が高校生のフリまでしてあの学校に通ってる理由。なぜか分かるか?」
暫くすれば弥一がそう聞いてくるので、確かに何でだろうと楓は考える。
「ある噂を耳にした」
「噂?」
楓は不思議そうに聞き返す。
「今までは父親の会社を手伝いつつ、実地調査もしていた。だが聞くところによると、魔物を悪用した裏組織の連中が複数この街に潜んでるって話だ」
「悪用するって、何に?」
「八咫烏狩りだよ」
「!」
弥一が話す内容に楓は驚いた。
「八咫烏は昔から人間界でも導きの神をして有名だ。そんな八咫烏から産まれた一族は、国家転覆を目論む奴らからしたら格好の餌食。中でも魔物を識別する異能持ちなら尚のこと」
「それって…」
そんな楓に弥一は頷く。
「ようはお前、危険な状況だってことだ。今まで無事だったのは周りに合わせていたから。でも烏本家の人間としてまず目はつけられていた。それはお前の姉貴達も同じだ」
お姉ちゃんや美玲が⁈
楓は衝撃が止まらなかった。
「だがお前達の中で魔物に反応したのはお前だけ。彼女達に八咫烏の血は作用してないとこみると安全ではある。調べて分かったが、F公園での一件には奴らが絡んでいた」
「狙って仕掛けられた犯行だったってこと?」
「奴らは人間とは少し違い魔物を使役する。昨日の件でお前が魔物を倒せることを知られた。現に高校には、お前を狙う敵のスパイが紛れ込んでいる」
「そんな…」
驚きが隠せなかった。
まさか知らないところでそんな恐ろしいことが起こっていたなんて。
「お前のことは八咫烏を通じて知っていた。同じクラスになったのはお前を監視するため。まあ魔物を足蹴りで退治するのは予想外だったけどな!」
弥一はぎゃははと笑い出す。
腹が立った楓は、その腹に渾身の一発を入れてやる。すると向こうは倒れて動かなくなってしまう。
「…お前は俺を殺す気か」
「お望みならそうしますが?」
「未来の旦那になんてことを!!」
「私はあんたの妻じゃねえ!」
コントみたいなことをしていれば酒吞童子達が帰ってくる。
「ごめん待ったかい?お、その様子じゃ話は聞いたようだね」
「酒吞さん!私、狙われてるって本当ですか⁈」
「そ~怖いよね~でも大丈夫!そこは君の旦那である弥一君が守ってくれるから!」
そんな悠長な、、
軽いノリの酒吞さんといい、楓は少し心配だった。
「楓、心配するな。なんならワシと訓練でもするか?」
「訓練?」
「護身術じゃよ。退魔術には及ばんが、こなせば自己防衛ぐらいには強くなれる」
「やる!」
護身術の言葉でウキウキした目をおじいちゃんに向ければ、隣からは「もう十分やべーよ」と弥一の声。聞かなかったことにしておく。
「なら僕からも~」
酒吞童子が目の前に手をかざせば、煙の中から現れたのは二人の女の子。綺麗に切り揃えられたおかっぱ頭に黒い着物を着れば、一人は赤い花柄、もう一人は青い花柄だった。
「これって…」
「座敷わらしさ」
「座敷わらし??」
「何年か前にこっちで見つけたんだ。行き場を探していた途中みたいだったから式神にしちゃった」
座敷わらしを式神って…流石は酒吞童子。
彼女達はジッと楓を見れば服を掴む。
「ワタシ、この人好き」
「好き」
そう言うとわらわらと楓に群がり始める。
「気に入ったようだね~その子達は楓ちゃんにあげるよ~」
「ですが私に式神なんて」
「心配いらない。基本は勝手に出たり消えたりしてるし、元は力ある妖だから」
酒吞童子が話せば、座敷わらし達はシュパッと消えてしまった。と思ったら、向こうのお店を窓から除いている。確かに自由な子達だ、、、
「じゃあ弥一君、高校の件はそっちに任せるよ。八咫烏狩り主催者は桃源郷って言うみたいだから。二人も十分気をつけるように」
桃源郷ね~
なんか胡散臭い名前だこと。
楓は明日から始まる高校生活が憂鬱に感じるのだった。
登校日の朝、楓は制服に着替えれば部屋を出る。
「楓様とガッコウ。楽しみだね」
「そうだね」
座敷わらし達は嬉しそうに後ろで跳ねている。
部屋を出れば弥一が待っていた。
「おはよう」
「おはよ。支度できたなら行くぞ」
「え、一緒に?」
「当たり前だろ。俺達は婚約者なんだから」
養子縁組もできたから祖父の家から通えると思っていた。だが酒吞財閥の婚約者という役目状、今後は酒吞家で暮らすよう言いつけられてしまった。酒吞さんは「娘ができた~」と周りにもう自慢してるようだ。
「学校では俺の側から離れんな。万が一、鬼嶋君がお留守の時はソイツらに頼るように」
「鬼嶋君ね~」
確かに今の姿は鬼嶋君だ。
高校生の姿になれば、この男が妖だなんて誰も分からない。
「なら学校では改名しなくちゃね。それと普段は行動パターンが真逆なんだし、変に絡んでこないでね?」
「マジで?」
「だって弥一、クラスではいつも陽キャじゃん。急に仲良くなったら周りから変に思われる」
目立ちたくない。
だが彼の傍にいるとどうにも目立ってしまうのだ。
「婚約者なんてバレたらそれこそヤバいから。ウチは全国から著名人が集まる私立高だよ?勝手なことして関係がバレたりでもしたら面倒だもん」
「けど世間には俺達が婚約者だってもうバレてるぞ?」
「え!ななな、なんで??」
まさかの返答にビックリして大声が出てしまった。
「昨日の夜、親父が公表した。とはいえ今の俺は鬼嶋君だ。周りは俺が酒吞財閥の息子だってまず分からないし、奴らにバレないよう妖力も抑えてるから安心しろ」
「うぅ…なんてことを。そんなことしたら…」
絶望して学校に着けば周りから感じる視線。クラスに行けば皆が一斉に見てくるので気分は最悪だ。
「楓!アンタあの酒吞財閥のご子息と婚約したんだって⁈」
先に到着していた美玲が興奮した表情で迫ってくる。スマホには楓達についてが記された記事が載っていた。
「美玲…私、どうしたらいいの」
「楓?しっかりしなさいよ!」
へなりと座り込む楓に上からは焦ったような美玲の声。
「よお楓、生きてるか~?」
遅れて向こうからは清史郎もやってくる。三人は同じクラスメイトなのだ。
「清史郎~私ダメかも…」
「お~お~、何があったのか俺達が聞いてやるよ」
楓は今までのことを二人に話した。
勿論二人とも烏本家の素性は知っている。だから楓が魔物に会ったと聞いても驚きはしなかった。
「つまり婚約と言っても契約ってこと?」
「魔物が見える事と八咫烏の血があるって意味では私の力が必要みたい。…本人は何故か結婚したがってるけど」
美玲は「ビックリだわ…」と向こうにいる鬼嶋を見つめた。
「彼があの、酒吞財閥の若様…」
「今は変幻してるからあの姿だけどね。ここに通うのはあくまで視察らしい」
「まあ確かに雰囲気が他と違うかもね。若様ね、『井崎から楓を奪い取った王子様』って女子達から人気なの知ってた?」
「そんな事言われてるの⁈」
弥一のルックスに惚れる女性は多い。
今回の婚約で多くの女性が泣いて寝込んだと噂されたようだが、同時に井崎グループから婚約者を奪った。略奪愛だなんて世間を騒がしていると美玲は話す。
「いや~ん、やるじゃない楓!」
「笑えないよ…お陰で周囲の視線が痛くて落ち着かない」
全くなんてことをしてくれたんだあの鬼の親子は。まさか弥一が朝からごきげんだったのはその為か。
「お前も厄介事に巻き込まれたな。でも良かったのか?」
「何が?」
「八咫烏グループから解放されたのはいいけどよ。条件は若様との契約だろ?」
清史郎が心配そうに聞いてくる。
「ん~でも意外と嫌に感じないんだ。今までは家族に出来損ない認定されて育ってきた訳だし。あの人は自信を無くかけた私を、始めて必要としてくれた人だから」
婚約者にも姉にも裏切られた。
家族はことあるごとに罵倒する。
そんな地獄な環境から抜け出せたのは、弥一が自分を拾ってくれたお陰。
今度こそ…そう信じてみたくなったのだ。
「へ~楓は若様が好きなんだ?」
「は、何言って!」
「だって今の楓の顔、凄く恋する乙女だよ?」
美玲はニヤニヤと笑って突いてくるので楓は恥ずかしくなってしまう。チラリと向こうを見れば弥一が自分を見ている。意識してしまっては顔が赤くなり急いで視線を逸らした。
「と、とにかく!この学校には桃源郷のスパイがいるの。美玲も魔物が見えないとはいえ、同じ八咫烏の人間なんだから気を付けなさいよ?」
「桃源郷か~清史郎、彼女である私を全力で守るのよ!」
「俺はいつもお前にやられる側だろ~」
「なんですって⁈」
二人の喧騒を楓は笑って見つめた。
良かった、二人がいてくれて。
妖の存在も、魔物が見える楓も、どちらも彼らは否定しない。ホントにいい友人達だ。
「でもよ、よく考えたら姉ちゃんは井崎のぼんぼんと婚約したんだろ?楓だって八咫烏グループ会長の娘だったんだ。酒吞財閥と婚約したとこで周りはそんな驚かねーと思うぞ。でもな~」
清史郎は苦い顔をする。
「ん?どうしたの?」
「いや、これは憶測になるけど」
楓の父・晃大は国でも影響力は十分ある。と、言うのはどうやら作り話に近いと清史郎は語る。
「俺の家は政治家だ。企業家の人間と絡むことだってある。聞いた話じゃ、八咫烏グループが大きくなれてるのは井崎グループの力あってのことらしい」
「どういう事?」
「つまり楓を婚約させることで井崎との繋がりを掴む。井崎は前々から八咫烏に目をつけてたし。代わりに井崎からは援助金を受け取ってるって意味だろう」
祖父である八咫烏磯五郎は名のある権力者。でも縁を切った父にその権力は使えない。だが野心家の父がそこで終わるなんてこともなく、次に目をつけたのは自分よりも大きな組織との繋がり。
「気を付けろ。接触の機会は今後十分ある。今のお前には酒吞財閥がバックにいる」
「!」
「酒吞財閥は井崎を抜く国のトップ。八咫烏が黙ってるとも思えない。若様から離れんなよ?近づく者は十分に警戒するんだ」
それだけ楓の身が危機的状況にある、学校にいるとはいえ誰が敵でも決して可笑しくはない、そう清史郎は語るのだった。
ーーー昼休み、西校舎B-2
送られてきた文に目を通せば楓は溜息をつく。
相手は勿論あの男しかいない。
「何の用?匠哉」
もう二度と話すことなんてないと思ってたのに。
隣にいる筈の叶華は今日はいないよう。
「冷たいな、俺が振ったから怒ってんの?」
「別に。ただ貴方とはもう話たくない」
「そんなこと言うなよ。俺達の仲だろ?」
白々しい。何を今になって…
「悪いけど、私はもう八咫烏グループの人間じゃない。だから関わらないで」
「へ~そういや親子の関係を切ったらしいじゃん。ウチも騒いでたぞ」
酒吞財閥が婚約発表までしたんだ。
井崎グループが知らないわけもない。
「お前と別れて、叶華との婚約に親父が反対なんだ。叶華は役に立たない、お前と寄りを戻せってうるさくてよ~」
「…どういうこと?」
井崎会長とは前に婚約の挨拶で会ったことはある。だがそれだけ。寧ろ楓に無関心だと思っていたのに。
「お前が酒吞と婚約してからコッチも大変なんだよ。何言っても親父は叶華を認めない。少しは叶華の気持ちも考えろよ」
「考えろ?何言ってるのよ。散々私のこと裏で騙しといて!」
たまらずそう叫べば、匠哉は溜息をついた。
「それはお前が無能だからだろ。叶華と違って容姿も才能も優れない。井崎の品位を下げるには十分すぎんだよ」
「は、」
「中でもその顔は一番嫌いだわ。見てて気味が悪い」
そんな言葉に楓は怒りがおさまらない。許せることなら今すぐにでも地平線の彼方にぶっ飛ばしてやりたかった。
「八咫烏を裏切ったと思ったら今度は酒吞かよ。一体どんな手使った?」
「そんなことしてない!」
「ならなんで奴らはお前の肩なんか持つ?これ以上、俺達に泥を塗るような真似すんなよ」
ウンザリしたような顔で説教する匠哉。
楓はもう我慢の限界だった。
一発ぐらい、、そう楓は力拳を作る。
「楓様、コイツやっつける」
「やっつける」
すると背後からは座敷わらし達が飛び出してきた。
「うわ!な、なんだよソイツら!!」
彼女達はビックリする彼の元へ、手からはビームのようなものを放つ。お陰で匠哉の服は焦げてチリチリだ。
「オマエ、楓様を傷つけた」
「傷つけた」
「楓様の敵とる」
「とる」
再び攻撃体制に入る彼女達。
楓は「待って!」と言って慌てて止めれば、素直にも彼女達は攻撃を止めてくれた。
「な、なんなんだよ…クッソ覚えてろよ」
匠哉はその隙に怒ったように楓を睨めば教室を出て行ってしまう。
「守ってくれてありがとう。でも二人共、やりすぎはダメ」
彼が去った後、楓が軽く説教すれば二人は互いを見つめ合う。
「あの男、楓様が嫌いな奴。見張っておこう」
「楓様の為に。見張っておこう」
今度は楓を見上げてそう言う。
楓は笑って彼女達の頭を撫でてやる。
「ほどほどにね?」
ここでダメと言わないのが楓なのだ。
すると彼女達は謎に気合いを入れていた。
帰り道、楓は空手稽古のため美玲達と帰ることになった。
「今日は師匠のとこ泊ってくの?」
「ううん、後で弥一が迎えに来てくれる」
弥一は仕事場に行く用事があるらしく、迎えが少し遅れるとのこと。それまで空手をして待つことにする。
「弥一様ってあの酒吞童子の息子でいいんだよな?」
「そうだけど何で?」
「いやオーラがさ。なんか意識したらヤバいっつーか…妖だからか?」
弥一には二人のことを紹介している。
向こうも普段から二人のことは知っていたし、快く対応して鬼の姿も見せてくれた。
「でも妖ってやっぱ綺麗な顔してるわね~酒吞会長もイケメンだし」
美玲はイケメンに目がない。
視線はさっきから、弥一にお願いして撮って貰ったという写真に釘付けだ。
「写真も撮ってもらったし。んふふ、これは家宝にするわ!」
「おい美玲、俺の存在忘れてねーか?」
「目の保養~」と言って見つめる美玲に、彼氏のプライドをズタボロにされた清史郎はガッカリしていた。
「ん、なんだあれ」
暫くして、清史郎が指さす方向には一台の車。
「楓ー!!」
「え、お姉ちゃん⁈」
中からは叶華が泣きながら飛び出してきた。
「楓、八咫烏家と縁を切るってどういう事?」
叶華は取り乱した様子で楓へと詰め寄る。相変わらずの可愛さだ。
「…私、おじいちゃんと養子縁組を組む事にしたの」
「どうして?あんなにずっと仲良く暮らしていたのに。楓がいなくなって心配しているのよ?」
心配?何を根拠にそんなことを。叶華の話す意味が分からなかった。
「ちょっと叶華ちゃん!いきなり来て何の用よ」
美玲は怒ったように楓達の間に割って入る。
「八咫烏家が楓にしてきたこと考えれば、これは当然のことよ」
「そんなの可笑しい!楓が出ていったせいで、コッチはもう井崎からは取引ができないとまで言われてるの。匠哉君との婚約もできていないままだし、意味が分からないわ」
井崎が取引を蹴った。清史郎と目が合えば、彼は「な?」と言った顔をしていた。
「井崎の力あってこその八咫烏なのに。関係が切れたら援助も途絶えちゃうわ」
「ならお姉ちゃんが井崎と婚約すれば丸く収まるじゃん」
「それが出来ないから言ってるの!あっちは楓じゃないとダメだって。なんで楓なのか…」
そんなの自分が知るわけない。
井崎にとって、自分は今どんな判断材料にされているのか、楓は不思議で堪らなかった。
「とにかく私は無理。もうお姉ちゃん達とは縁も切ってるんだし。これ以上、関わらないで」
「なら若様に頼んでよ」
「え?」
叶華の頼み事に楓達は目を丸くした。
「あの酒吞と婚約したんでしょ?国のトップが味方なら井崎だって口出しできない。楓の口から若様に言って、お願いしてくれるだけでいいの。それで関係は修復できる」
「…嫌よ。第一、私、弥一をそんな風に使いたくない」
弥一は大切な存在。
こんな馬鹿げた話に利用する気なんて起こりもしない。
「なんでよ!私達家族でしょ?楓には私達がどうなってもいいって言うの?」
「そうさせてきたのは貴方達でしょ?」
いつだって悪者は自分なのか。
叶華の中に、一度でも妹の自分を大切だと思ってくれたことはあったのだろうか?
「おい、いい加減にしろよ」
清史郎が行き詰った空気を遮れば、叶華を遠ざける。
「何度も言ってるけど。今の楓に君たちは関係ないだろ」
「そうよそうよ!分かったらとっとと消えなさい!」
美玲も見かねて応戦する。
叶華は誰も助けてくれないと分かると泣いて走って行ってしまった。
「楓、大丈夫?」
「うん…ありがとう」
心配してくれる二人に楓は静かに微笑んだ。
できればもう二度と会いたくなんてなかった。