「なるほど」

 話を聞いたシュテルネン宰相が頷いたのを見て、ハロルドは対面する椅子の上で、長い脚を組んだ。気心が知れた相手であるから、姿勢を崩すことが多い。無表情のハロルドは、左手で右腕の肘を持ち、右手で頬杖をついている。

「国外にドワーフの半数が逸出する事は避けなければならんな。採掘をする者が減るからだけではない。国の有事だと余計な勘ぐりを生みかねない」

 宰相の声に、顎を縦に動かしてから、思案するようにハロルドは天井を見上げる。
 二人が話しているのは、宰相府にある宰相執務室の隣の簡単な応接間だ。壁には美しいフレスコ画が描かれている。満天の星空の下に立つ、聖ヴェリタとその妻の絵だ。

「宰相閣下。持ち帰りはしたが、どう思う?」
「マリアローズ様と共に考えるのだろう? それは陛下の仕事だと認識しているが? 我輩の仕事は、その決定を元に、物事を整えることだ。他には、抜け出す者がいないよう、国境沿いに監視網を引くという重要な仕事が増えたところだ」

 冷淡な宰相閣下の声に、ハロルドは頷く。それからマリアローズの事を思い浮かべた。いつも奇抜な発想をする彼女ならば、なにか打開策をひらめき提案してくれる可能性は確かにある。だが――。

「あまり彼女を政務に関わらせたくないというのが本音だ」
「何故だ? ハロルド陛下は、望んで手伝わせているのだとばかり思っていたが」
「国の中核にいる要人になればなるほど、危険が伴う」
「それはそうだな。我輩も陛下も、常に暗殺の危機に晒されているのが実情だ」

 宰相が右手の五本の指で口元から鼻にかけてを覆う。

「ああ。同感だ。そのような危機にマリアローズを巻き込みたくない」
「分からなくはない。彼女はか弱い麗人だ。あれでは手折るのは易いだろう。我々のようにありとあらゆる対策を講じているわけでもないのだから。そういえば昨日暗部から新しい防毒マスクを受け取ったが、陛下も受け取ったか?」
「ああ。魔法がかかった剣帯のポケットに収納している」

 ハロルドはそう言うと腰元に視線を落とす。それを見て、宰相閣下は頷いた。

「だが、マリアローズ様の暗殺か。それに関しては、我輩に、一つ解決策があるが」
「なんだと? それはなんだ?」
「陛下が早くご成婚なされば解決だ。マリアローズ様は降嫁するにしろ、皇太后として残るにしろ、陛下と結婚しないかぎりは安全に過ごす事ができるだろう。正妃様がいるとなれば、マリアローズ様を害するメリットは激減するからな」

 つらつらと当然のことのように宰相が語る。その言葉が事実だと、ハロルドは理解していた。だから耳が痛い。

「――俺と結婚するとしたならば?」
「ああ、その場合は、正妃として、今後はより深くまで関わって頂けるだろう。幼いお飾りの正妃としてではなく、今度は本物の、国王の隣に並び立つ正妃として、な。当然、危険に身を晒して頂くことにはなるが」
「それはありえない。俺は自分の妃は守り抜く。俺は自分の愛する者を、危機に晒す事は絶対にしない」
「心強い言葉だな。ならば早いご成婚を期待する。その相手が誰であっても、準備をするのは宰相府、即ち我輩だ」

 そう答えた宰相は、ふと何かを思いついたように、斜め下を見た。
 それからすぐに顔を上げる。

「話を戻すが、徒弟制度の廃止自体は、我輩はそう難しい事ではないと考えている」
「理由は?」
「学習は、師による必要が無いという前例がある。文字だ。この国の識字率は、大陸一だ。理由は聖ヴェリタ教の教会の存在だ。あれは、ひとところに平民の子を集め、一斉に学習させている。同様の事を、職業訓練でも可能なのではないか?」
「名案だな。マリアローズに提案しておく」

 そう述べると、ハロルドは正面にあるカップを見た。とうに浸る紅茶は冷めている。話に夢中で、飲むのを忘れていた。だがそれをそのままに、ハロルドは立ち上がる。

「有益な時間だった。感謝するぞ、宰相閣下」

 そうしてハロルドが出て行く背中を、宰相は一瞥する。

「前例は無いが、いつでも可能なように整備だけはしておくか」

 その呟きを聞く者は誰もおらず、宙へと溶けて消えた。