妖怪村の異類婚姻譚

 腕と足。

 小姫は学校へ向かいながら、あくびをかみ殺した。

 昨夜は、青峰の話が頭から離れず、熟睡することができなかったのだ。弥恵ならきっと笑い飛ばしてくれると思い、しばらく待っていたのだが、彼女の帰りは遅かった。寝返りを繰り返すベッドの中で帰宅の気配を感じつつも、夜中に切り出す話とも思えず、結局聞くのをやめてしまったのである。

 小姫は何度も左手と左足に目をやった。どこにも変なところはなく、彼女の意志通りに問題なく動く。

(やっぱり、ただの、噂、だよね……)

 もし本当に喰われていたとしたら、この左腕と左足は何だというのか。それとも、妖怪に喰われたから、妖力で補われたということか。小姫の身体は、そんなに特殊なつくりなのだろうか。
 考えれば考えるほど、謎が謎を呼んでしまう。

「……あの砂利、目障りなのです……!」

 隣を歩く乙彦は、家に迎えに来てから機嫌が悪い。早めに日浦家に来た青峰と、さっそくひと悶着あったのである。

 どうやら青峰は、あの噂の妖怪が乙彦ではないかと疑っているらしい。噂をまるごと信じているわけではないが、心配の種にはなる、ということか。
 小姫を渡すまいとする青峰と、さっさと自分の務めを果たそうとする乙彦との間で、一触即発の空気になってしまったのだ。

(……まさか、ね)

 小姫はちらりと乙彦に目をやった。

 彼は小姫を命の恩人だと言っていた。まさか、小姫の腕と足を食べたおかげで飢え死にせずに済んだ、という意味ではないだろう。

「次、会ったら、川に引きずり込んでやるのです」

 小姫はため息をついた。

「まったく。仲良くしてよね。青峰さんは次の調停者なんだから」
「どうしてあの砂利が跡継ぎなのです。あなたではないのですか?」
「最初は私もそのつもりだったけど、途中でお母さんがそう決めたのよ」

 弥恵がそれを小姫に伝えたのは、例の事故の後のことだ。
 村長との両立が大変だから、とか、時代錯誤だから、などといろいろ理由を列挙していたが、実際のところ、彼女が自責の念に駆られていたことに、小姫は気づいていた。

 小姫が事故に遭ったのは、仕事にかまけて娘を放任していた自分のせいだとでも思ったのだろう。将来、小姫に同じ思いを味わわせないために、しきたりまで変えたのだ。

(でも、あの時、お母さんはすごく気にしてたっぽいけど……、私はそうでもなかったのよね)

 意外とあっさり、小姫はそれを受け入れた。あまりにも未練がなさすぎて、自分でも拍子抜けしたのを覚えている。

「……ヒメ。着いたのです」
「――え?」
「学校なのです」

 物思いにふけっている間に、学校についてしまったようだ。顔を上げるとそこは校門の前で、目を逸らした瞬間に、やはり乙彦は姿を消している。

(……ヒメって、私のことだったんだ)

 呼ばれたことに気づかず、反応が遅れてしまった。だが、「小姫」でも「娘」でもなく、「ヒメ」だとは。

 ――お姫様みたいに大切にしてくれて……。

(――まさか、だから「姫」って呼んで……?)

 そんな考えが頭をよぎったが、小姫はすぐに否定した。

 乙彦に限ってそんなわけがない。きっと、自分で呼びやすいように省略しただけだろう。

 小姫は小さく笑いながら、校舎へ向かって足を踏み出した。