妖怪村の異類婚姻譚

 学校でも、小姫はそわそわと落ち着かなかった。
 乙彦のことではない、花火の件だ。いよいよ明日が開催日だというのに、授業なんか受けている場合なのか。

 そう自問自答を繰り返しているうちに、午前の課程は終了した。昼休みになり、いてもたってもいられなくなった小姫は、手掛かりを探して校内を当てもなく歩き回った。無駄なことをしているとわかっているが、気が急いて仕方がなかった。少し頭を冷やそうと、一階の渡り廊下で足を止める。

 ここは半屋外になっていて、壁がないので直接外へ出ることもできる。小姫は、自分の気持ちと同じようにどんよりとした空を見上げた。
 晴れでもなく、雨でもなく、どっちつかずのうやむやな天気。それはそのまま明日をも表しているようで――、小姫の心に、さらなる迷いを生じさせる。

(いっそ、土砂降りの雨でも降ってくれたら――)

 そうしたら、花火は中止だ。お祭りも中止かもしれない。小姫も悩む必要がなくなり、諦めもつくだろう。みんなとお祭りに行くという予定もなくなってしまうが……、それはいつものことだし、慣れている。
 そんな考えがよぎる小姫をたしなめるかのように、通り過ぎる生徒たちのおしゃべりが耳に飛び込んでくる。

「ねえ、明日、何着て行く?」「今年はどの屋台を周ろうか」「花火を見るのにいい穴場って知ってる?」「初めて彼が誘ってくれてね……」。

 教室内での話題も、お祭りに関してのものがほとんどだった。熱に浮かされたような雰囲気が漂い、楽しみにしている気持ちがこちらにも伝わってくる。

(……やっぱり、そうだよね。みんな、楽しみにしているのに……。私、滅茶苦茶なこと思ってるなあ……)

 焦るあまり、全てを投げ出したくなってしまった。小姫は反省して、窓から空を眺める。

 まだ、雨は降っていない。明日にもなっていない。
 分厚く暗い雲に覆われた空も、まだ可能性がゼロではないことを表しているのかもしれない。
 小姫は気合を入れるよう、パン、とスカートの上から太ももを叩いた。

「……よし! もう少し聞き込みを――」
「――日浦さん?」

 ちょうど顔を上げた時だった。背後から声をかけられて、小姫はまさかと思いながら振り返る。

「五月君……!? こんなところで、何してるの?」

 小姫は目を丸くした。

 空調は効かず、渡った先に特別教室しかない廊下だ。必要がなければ、誰も近づかないような場所である。先ほど通って行った、午後の授業を控えた生徒たちならともかく、小姫たちの次の授業は国語だった。いつも友達に囲まれている五月は、宿題を写させてくれだの、放課後どこに寄りたいだのと、机でだべっている印象があった。

 小姫の質問に、五月はきまり悪げな表情になると、髪を落ち着きなく触りながら、重そうに口を開いた。

「あー……、えっと、たまたまっていうか……。なんか朝から忙しそうで、見てたらこっちの方へ行くから、何かなって思って……」
「え……?」

(……もしかして、心配して探しに来てくれた?)

 目の前が、ぱっと明るくなったような気がした。ひたすら孤軍奮闘していたから、気遣ってくれる人がいるだけで、単純に嬉しい。しかもそれが、五月ならなおさらだ。

 しかし、まさか気にかけてくれているとは思わなかった。
 変な言動をしていなかっただろうか。朝からの行動を、脳内で超高速で巻き戻しながら、何気ない振りを装って五月に向き直る。

「もしかして、クラス委員の仕事? 何か、手伝えること、あったりする?」
「えっ? ……あ、ありがと! でも、大丈夫。えっと、やらなきゃいけないことは終わったし、私も、もう少しで戻るつもりだったから……」
「あ、そ、そっか……」
「…………」

 だが、五月は立ち去ろうとしなかった。もしや、一緒に戻ろうということなのだろうか。しかしそんなことをしたら、クラスメイトに勘繰られてしまいそうな気がするのだが……。

 なんともいえない空気が流れた。さすがにいたたまれなくなったころ、五月が「あ、あのさ!」と自棄になったような大きな声を出した。

「ごめん! 実はちょっと話したくてさ。明日の約束、覚えてる?」

 五月の頬がうっすら赤く、顔はやたらとこわばっている。小姫もつられてかしこまった表情になり、大声で返事をした。

「お、覚えてるよ! もちろん!」

 明日はクラスのみんなで集まってお祭りに行こう。初めにそう誘ってくれたのは五月である。

 もちろん行きたいと思っているが、まだ枕返しの件が解決していないから、実際に参加できるかはわからない。断るべきかとも思ったが、できればぎりぎりまで辞退はしたくなかった。数人で行くわけではないし、無理な場合は当日に連絡しても問題はないだろう。
 しかし、もし一人一人に確認しているのだとしたら、五月にだけでも事情を打ち明けておくべきか。
 だが、五月の話は違うようだった。

「そっか。ならいいんだけど……。あれさ、結局、みんなで行くって話になっちゃったから、しょうがない……っていうか、それはそれでいいんだけど! でも、もし、日浦さんが嫌じゃなかったら、途中、少しだけ俺に時間くれないかな?」
「え……?」

 小姫は驚いて目を見開いた。それはどういう意味だろう。もともとは、小姫だけを誘うつもりだったということだろうか。
だが、それは、つまり――。

「――あ、それで、時間とか場所とか連絡するから、連絡先教えてほしいんだけど!」

 小姫がぽかんとして黙ってしまったせいか、五月が焦ったようにスマホを取り出した。頭が真っ白になった小姫も、言われるがままにスマホを出して操作する。

「――じゃ、じゃあ、また明日……!」

 連絡先の交換が終わると、彼は慌ただしく去って行った。

 明日というか、すぐに午後の授業で再開するのだが、そんな些細なことはどうでもいい。小姫はぼうっとした表情で、彼が廊下を曲がるまで後姿を見送っていた。

(――もしかして、五月君って私のこと……?)

 最初に祭りに誘われたとき、確かに小姫も、デートの誘いかと思って期待した。その後すぐに、クラスみんなで行くのだと判明してがっかりした。
 それでも、クラスメイトと学校外で集まるのは初めてだから、嬉しいことには違いなかったのだが。

(……私の勘違いかと思ったけど、やっぱりそういうことだったの?)

 だとしたら……。だとしたら、どうすればいいのだろう。

 五月は爽やかだし、イケメンだし、性格もいい。まさに小姫が理想として描いていた彼氏そのものだ。こんな田舎で王子様に出会うのは無理なのでは、と、うすうす諦めかけていたのだが、思いがけない幸運が訪れた。

 地に足がつかないとは、こういう状態をいうのだろうか。まるで現実ではないみたいに、体全体がふわふわしている。

 ……もしも本当に五月と付き合うことになったら。

 様々なシチュエーションが映像として頭の中を流れていく。

 手をつないで登下校したり、放課後にお店に寄ったり。遊園地や水族館でデートをしたりするのもいい。誕生日やクリスマスにはもちろん、プレゼントを贈り合って……。
 ずっと夢見ていた彼氏と過ごす毎日。それは本当に夢のように、虹色の光に満ちてキラキラしている。

 ――そう、本当に、儚い夢のように。

(……どうして……?)

 掴もうとすれば掴める距離にある。それなのに、なぜか、手を伸ばす気になれなかった。

(……怖いの、かな。夢が叶っちゃうのが……。それとも、憧れが強すぎて、現実だと思えないとか? ――それに、まだ五月君が本当にそうか、はっきりしたわけじゃないし……)

 だが、明日にはそれもわかるだろう。五月の口から直接聞けば、実感もわくかもしれない。

 多少落ち着きを取り戻した小姫は、まだわずかに鼓動の早い心臓をなだめながら、教室へ向かおうとした。しかし、その時聞こえてきた声に、冷水を浴びせられるかのような思いを抱く。

「――そういうことだったのですか」
「――っ!」

 心臓が止まるかと思った。すぐ後ろから、聞こえるはずのない声がしたのだ。

 確かめたくない。振り返りたくないのに、勝手に体が動いて、その姿を視界に入れてしまう。

「乙彦……?」

 そこには、今まで決して校舎内には入ってこなかった乙彦が、表情を消して佇んでいた。