朝食はビュッフェスタイルだった。
まだ朝も早いというのに、食堂では既に寮生がちらほらと見られた。メニューはどうやら学食から配達されてくるようで、特に厨房のようなものは見当たらなかった。

「士官以外も食べ放題なのはここだけね?」
トツカがぼけっと突っ立っていると、ナゴシが「ほら」とトレーを押し付けてきた。
「オレ、あんま腹は減ってないんですが」
「じゃあ無理して食べて。士官たるもの、部下に遠慮させない食いっぷりが肝要なのだよ」
いつの間に取ったのか、ナゴシのトレーにはこんもりとパンが乗っていた。
トツカもしぶしぶカゴからバゲットパンとチーズスプレッドを取った。

そのままトツカが壁際にぽつんと置かれた椅子に座ると、ナゴシは物足りなさそうな顔をして離れていった。どうやら同席は諦めてくれたらしい。それでいい。豊かな食事というのは誰にも邪魔されず、静かであるべきなのだ。

この寮は昔からある兵舎を改装したようで、壁のところどころに鉄骨が見えていた。
そういえばトツカの部屋にも二段ベッドの脚の跡がくっきりと付いていた。壁紙は流石に替えてあるようだが、ふと注意を向けると、あっちこっちに軍隊の色が浮かびあがってくる。

ねっとりとチーズを塗りたくったバゲットをかじっているうちに、反対側の壁際で、同じように独りで食事を取る女学生を見つけた。
向こうも傷は癒えたらしい。
相変わらず赤ペンまみれの地形図を広げながら、シズは身じろぎひとつせずに考え込んでいる。今朝のメニューはスクランブルエッグにしたようだ。まだ皿に手を付けた形跡はなかった。

「シズ・キョウカ、か……」
入学式では総代をやっていた。ああいったものを選ぶ基準は成績か血筋か知らないが、壇上に立った彼女は演説慣れしているように見えた。

『あの英雄、シズ・カゲキの妹さんです』
学長が誇らしげに紹介したときでさえ、彼女は無表情だった。無心と言ってもいい。ガラス細工みたいな指でマイクを握ると、舌を湿らせ、ほう、と空気で胸を膨らませた。

まあ、そこからがちょっとばかし不味かった。

『先の戦闘で、私たち陸軍が喪失した兵員は全体の〇・二パーセントでした。私は、彼ら英霊に名を連ねるつもりはありません』
というのが、彼女の総代挨拶の始まり。

胸に赤いコサージュを付けたシズは、マイク越しに遠くを見つめていた。
『勝利とは生きた兵士たちの不断の努力により掴み取られたものであり、(まつ)られる数人の犠牲で成し遂げられるものでは決してありえないからです。
私は戦死者に価値を見出したことはありません。
いかなる事情があろうと、彼らは自らの落伍(らくご)によって、戦友たちの負担を増やし、戦線にコンマ数秒の間隙(かんげき)を作り、敵に数センチメートルの前進を許しました。彼らの死は大いなる損失ですが、同時に我々が切に反省すべき汚点でもあります。

私は戦場に栄誉を求めません。
私の望みは一戦で死する英雄ではなく、生きて千の任務を完遂する士官です。
私は英雄を否定します。
しかし私が務めを果たし続けることで、未だ名も知らぬ戦友がいつかの安息を得られるのなら、進んでこの身を捧げましょう。私たちは死すべき愛国者ではありません。思い出してください。あなた方は、どこかで待つ誰かの笑顔を求めて止まぬ、ひとりの父であり、母であり、恋人であり、あるいは息子であり娘だったはずです――』

拍手はほとんど無かった覚えがある。

誰かが適当に手を打ち合わせて、ややあってまばらな音が続いたくらいだった。
『英雄の妹が、英雄になりたくない。それどころか死ぬやつは役立たずとまで言った』
教官たちは苦笑していたが、上級生は半分ほど殺気立っていたように思う。一席ぶったあとにシズがやった敬礼もほとんど会釈のようなもので、明らかに挑発していた。
「どんだけ()れ枯らしてんだか……」
彼女と同じ士官コースを希望したことに、今さら後悔の念がふつふつと湧いてきた。



初めての授業は戦史だった。
「こいつが諸君らの敵であああァる!」
担当の教官はやたらめったら暑苦しい中年男で、何か言うたびスライドを映したスクリーンを指揮棒でばんばん叩いていた。
「動力・材質ともに不明、技術も由来も解析不能ッ!我々にできるのは頭を出してきたモグラや出た杭をブッ叩いて引っ込ませることだけだ分かったかオラッ!」

スライドが切り替わり、このあいだトツカが倒したのと同じ、銀色の石ころが現れる。

飛び飛びのアニメーションが始まった。
そいつがトゲを出した瞬間、すみやかに銃弾がぶち込まれていく。弾丸の口径はどんどん大きくなっていって、17ミリ弾でようやく貫徹に至った。
「幸いに国内で確認される数は多くない。諸君らには少数精鋭として、ORBSを用いた制圧を期待するものである!」
ホワイトボードがバシッと叩かれてスライドがぼやけたスナップ写真に切り替わった。
重厚な鎧に身を包んだ男が、巨大な銃器を担いでいた。戦闘の直後に撮影したらしく、まだ銃口からは細い煙が上がっていた。顔の造作はうかがえないが、ガレキになった街並みを見ながら途方に暮れているようにも見えた。

ORBS(オーブス)――マッハの機動力とメガジュールの火力を併せ持つ最強の兵器。
トツカは斜め前の席を見た。シズは前屈みになって、やっぱり広げた地形図と格闘している。
教官もそれに気付いて口を開きかけたが、どこか申し訳なさそうに肩をすくめると、教壇のパソコンをいじって次のスライドに移った。

シズの兄は、二年前に棄械(スロウン)と戦って死亡している。
試作型のORBSで戦線を維持した、真の意味での英雄だ。
初対面のときの、シズの素っ気ない態度を思い出しながら、トツカは手に持ったシャープペンシルを回した。あんな演説までしたのに同情されるのだから、そりゃ人間嫌いにもなる。たぶん友達もまだいないだろう。

午前の授業が終わると、生徒たちはカフェテリアの案内を受けた。午後三時まで開いているからお気軽にどうぞ、ということだった。
こちらの施設は小ぎれいに整っていて、各所のスピーカーからは古臭いボサノバミュージックがループ再生されていた。
トツカが券売機で一番安い蕎麦を買っていると、追加の小銭が投げ入れられた。

「それ、たぬきにしなよ」
「あ?」
横に立っていたのは遊んでそうなツンツンの金髪の男だった。愉快そうな顔をして、手に持ったガマ口財布をぱちりと閉じる。
「ただでさえ安い学食で、ざる蕎麦なんてみみっちいよ」
「悪かったな。それに三十円くらい、オレだって持ってる」
「じゃあこうしよう。小銭を崩したいんだ。手数料ってことにしてくれ」
トツカはしぶしぶ揚げ玉のボタンを押した。
出てきたハッカ色の食券を引っこ抜いて、じゃらじゃらと吐き出された釣り銭を金髪男に手渡す。
「ありがとう」
金髪はチャーシュー麺を選んでいた。こいつも面倒くさい金持ちらしい。

トツカが席についたときも、やはり男は隣に座ってきた。
「その髪、注意されねえのか?」
追い払うのも面倒になって、トツカは麺をすすった。奢ってもらうのは(しゃく)だが、めんつゆの染みた揚げ玉はふんわりとして美味い。しっかりと栄養の味がする。
「整備科はルーズでね」
「ああ。ロボットだろ、教官?」
「すぐ怒るけど素晴らしい人だよ。今日もさっそくホンモノを触らせてくれた」
ほら、とタブレット端末で写真を見せてくる。

右腕が焼け焦げたORBSのグリーンウェアだった。腹のあたりにも損傷が多い。
ぽとり、と箸から麺がこぼれた。

「へえ、これ、あー……すげえ派手にぶっ壊れてんな。へへー……」
「先週のアレで損傷した機体だそうだ」
「ああ。そんな感じする。なんだか壊れ方に風情があるよな。うん」
金髪はにこりともせずに箸を置いた。
「君だろ?」
「……はい、そうです」
静かに暮らすには、世間はときどき狭すぎると思う。

「二択だったんだ。シズ・キョウカかトツカ・レイギか」
金髪はチャーシューをつまんでみせた。「これ、食べるかい?」
「蕎麦には合わねえよ。で、あんたはオレを選んだと」
「そう。おかげで賭けに勝った。そのたぬき蕎麦も、配当ってやつ」
儲けは八百円ね、と付け加える。何人と賭けをしているのやら。
「オレ、そんなに話題になる要素とかあるか?」
「もちろん。推薦枠は九人だけで、しかも特機小隊の身内は二人だけだから」
フム、とトツカはうなる。
自分がそこまでレアな存在だとは思わなかった。

二年前に投入された特機小隊は三個。整備や補給といった後方任務に就いていた連中を除いても、二十五人ほどがORBSに関わっていたことになる。
「上級生もいるだろ」
「彼らはダメだ」
金髪はかぶりを振った。
「戦場に出なかった予備役ばっかりで、ほとんどは頭でっかちの出涸(でが)らし。残りも戦うような無鉄砲さはないよ」
「で、オレはその無鉄砲だったって言うわけか」
金髪は笑うばかりだった。
てっきり質問攻めにしてくると思っていたが、あのナゴシとかいう新聞部と比べるとちょっとは人間が出来ているらしい。

トツカは少し考えて、名前は、と尋ねた。
「ヒシダテ」と金髪は言った。菱形のヒシに立つ、と無駄に良い声で言い添える。
「なるほど。よろしくな」
またな、と食い終わった食器を丸ごと食洗器にぶち込んで別れる。
ヒシダテが見えなくなったあとも、トツカはカフェテリアに残って、次の授業の教本を広げた。
午後は国語。それから訓練場のオリエンテーション。
どちらも大したイベントじゃない。
軍事の名門とは聞いていたが、いざ入学してみると、基礎教科ばっかりだった。

「こんなので銃弾が避けられるかっての……」
こんな調子で続くようなら整備科に転向するという選択肢も見えてくる。向こうでもORBSは扱えるし、今の話だとなかなか楽しそうな授業をするらしい。ツナギは着たことがないが、まあ道着と似たようなものだろう。

「トツカくん」
今日やる文法の予習を進めていると、後ろから声がかかった。女の声だった。しかも同じくらいの年ごろの。トツカはため息をついた。
隣を空けてやる。
重い音がして、チャーシュー麺の載ったトレーが置かれた。
やけに高カロリーだな、と思っていると、ずずずとトレーがトツカの方に寄ってきた。

「これ。あげる」
シズは指先でトレーをこつこつと叩いて言った。
「……は?」
「さっき、羨ましそうだったから」
シズは仏頂面で、「ほら」と言って、やっぱりトンビみたいにじっと見つめてくる。
「さっき?」
「あの金髪の人」と、シズはいらいらと髪をかき上げる。「早くして。時間ないの」
「いや……今、蕎麦食ったの見ただろ?」
「だから?」
きょとんとされた。
「だからって……あー。もしかして不器用さんか?」
食洗器を探ると、ちょうどハーフサイズのどんぶりがあった。
半分だけチャーシューをよそって、残りをシズに寄越す。彼女は憮然とした顔で箸を取った。

「ラーメン、そこまで好きじゃないんだ」
シズはチャーシューをもぐもぐとしながら、卓上の胡椒を振った。
「好きじゃないって珍しいな。ニッポン人のソウルフードだ」
まあね、とシズはうなずく。
「兄も好きって言ってた。でも友達と食べてばっかりだったから……男の人のああいうのって携帯電話とか手紙の代わりなんでしょ?」
「で、あんたもラーメンでオレに電話か」
「ん」
シズは空っぽになった胡椒の瓶を置いた。「悔しかったの」
「何が」
「私だけ動けなかった」
シズは胡椒で真っ黒になった麺をすすり、顔をしかめた。
トツカも少し考えて、理解した。先日の戦いのことだ。ちらっとシズの脚を見る。腿には真っ白な包帯が巻いてあった。トツカが止めなかったらこんな細い身体で戦うつもりだったのか。

「あのときはあんた、脚をやってただろ。逃げるのも必要な判断じゃねえの?」
「でも脚のケガは絶対に必要なものじゃなかった」
ふん、とシズは鼻を鳴らす。こういう拗ねた顔はハバキ教官に似ている。この表情が出来るやつが都会だと美少女に分類されてるのかもな、とトツカはぼんやりと思う。

「ホントむかつく。なんでヘマしちゃったんだろなって……」
「それこそ運だろ。ラッキーの問題だ」
「ん。私、昔から運が悪いんだ。だから、やっぱり悔しい」
半分こにしたチャーシュー麺は、どうにか休み時間のうちに食べきれた。

トツカがいい加減きつくなってきた腹を押さえていると、シズが身体を向けてきた。オレンジに輝く視線が真っ直ぐに突き刺さってくる。
「トツカくん。私を鍛えて欲しい」
トツカはじっと見つめ返す。不思議な瞳だった。不気味なくらいに澄んでいる。

冗談を言ってるようには思えなかった。
演説のときも同じ目をしていたのを思い出す。あるいは喫茶店で初めて会ったときも、よく見れば同じ目をしていたと分かったかもしれない。
この人、本気だ――トツカは理解した瞬間、乾いた笑いを漏らした。

「どうしたの?」
「いや。何でもない。思ったよりやるなと」
「やっぱり高いよね、チャーシュー麵」
ほら、とシズはぼろぼろの財布を振った。どこかの安ブランド品だった。十年は同じものを使っているように見えた。こだわる性質(タチ)なのだろう。
「そうだな。じゃ、放課後に武道場で集合な。道具とかはオレが頼んどくから」
「え?」
「分かったと言ったんだよ。オレでよけりゃ鍛えてやる」
「ああ、ありがと。武道場ね。放課後……」
シズはメモを取ると、そのまま教室に帰って行った。
胡椒まみれの食器はそのままだった。トツカは苦笑したまま、自分のどんぶりと一緒に食洗器に持って行った。

あの手の変人は道場にもいたから、よく分かる。
一度気になったら、地稽古(じげいこ)も打ち込みもすっ飛ばして何万回と素振りばっかりやってるようなタイプだ。あいつの打つ速さには、最後まで追い付けなかった。
「ありゃ秀才になるわけだよ」
スピーカーから予鈴の音が鳴り、トツカも荷物をかき集める。

結局、予習は全くできなかった。なのに、既に放課後が楽しみになっている自分がいる。