兵士たちが撃ちながら顔を上げる。トツカも彼らの視線を追ったが、空には飛行機雲があるだけだった。
飛行機雲の先端は今も伸びている。
地表からそう離れていない高度だというのに、飛翔する物体は豆粒のように小さかった。
次の瞬間、飛翔体が急降下する。旋回で速度を落としたのも一瞬で、爆発的な加速とともに音の壁が突き破られ、蒸気錐体の白い輝きがぱっと咲いた。
そいつが弾丸のような速さのまま接近してくる。
ソニックブームが広がり、ビルの窓ガラスが片端から割れていく。
割れたガラスを突き抜けて碧色の何かが視界をかすめた。通り抜けざまに超音速飛行するシルエットから白い光線が放たれる。
発射されたレーザー光は兵士たちに囲まれた棄械だけを撃ち抜いた。
熱波がトツカの頬を撫ぜ、汗とむけた皮が一緒になって吹き飛ぶ。
飛翔体は街を通り抜けるとすぐにスライスバック機動で高度を上げた。くの字の軌跡が大空に描かれた刹那、掃射が始まる。激しい光芒の弾雨が降り注ぎ、熱湯を当てた雪玉のように棄械の丸々とした輪郭が失われていく。
ものの数秒で、戦場はクレーターと焦げた金属塊だけになった。
トツカが口を開けていると、飛翔体が降下してきた。
外骨格で延長された四肢に、ロケットポッドとレーザーカノンが輝く。
派手な白とライトグリーンで塗装されたその姿は、一見すると航空機を模しているようだった。しかし可変翼と双発エンジンが囲む機械群の中心に鎮座するのは、簡素な装甲をまとっただけの人間だ。
急降下からの逆噴射でぴったりと地面に着くと、ランディングギアが深々とアスファルトに沈み込んだ。中の人間が膝を曲げて衝撃を殺す。姿勢制御スラスターが埋め込まれた装甲には『02』と塗装してあった。
「グラム……邀撃装備が……」
テレビでしか見たことがない伝説の兵器が、目の前にある。
第零特機小隊、二番機。搭乗者はハバキ中尉。
「このたびの要請に応えていただき、感謝します」
兵士のひとりがライフルを下げて敬礼した。残りも続く。
「お構いなく。こちらもちょうど哨戒中でしたもの」
兵器から鋭角的なデザインのヘルメットが外れた。湯気が上がり、ウェーブした亜麻色の髪がふわりと広がった。
現れたのは女性の顔だった。グリーンの瞳はくたびれて細くなっているが、あまり歳を取っているようには見えない。せいぜい二十代半ばといったところだろう。
彼女は地面にばらばらと転がる薬莢を眺めて、鼻を鳴らした。
「路傍の石ころ相手に、ずいぶん苦戦なさったご気色ですわね」
「装備が対人ライフルだったのです。ご存知の通り普通科はいつも金欠でしてね」
「金欠、とは?」
女はまた鼻を鳴らした。
「世間では『足らぬ足らぬは工夫が足りぬ』とも申しておりますが」
「工夫は致しております。貴官にこそ少しは斟酌して頂きたいものですな」
「あらあら後詰めどもが偉くなられたものですわね。わたくしごとき掌侍に大きなことを仰って」
女性が固定具を外し、兵器から出てくる。
ボディアーマーの隙間からは、さっきまでトツカが身に着けていたものと同型の、グリーンのスーツが覗いていた。ただし改良型らしく、かなり薄手で身体のラインがはっきりと見て取れる。
彼女がぐるりと辺りを見渡すと、トツカと目が合った。それからさっき脱ぎ捨てられたスーツの残骸へと視線が流れていく。整った形をした鼻が、大きくひくついていた。
女性は思いっきり顔をしかめながら、トツカに向かって歩いてきた。裏鉄を仕込んだブーツがガンガンと地面を踏み鳴らす。
「あなたが、こちらの敵を?」
いざ正面に立たれると、女性はトツカと同じくらいの背丈だった。灯油のにおいに混じって、高そうな香水のかおりが鼻をつく。いくらか化粧もしているらしい。
「あ、はい。すんません?」
ポスターでしか見てこなかった女性が目の前にいる。しかも伝説の姿そのままだ。
「は……ハバキ教官でございますか?ムラクモの」
トツカは気を付けの姿勢を取った。目に見えてハバキが不機嫌そうになる。
「今のところは特務中尉としてここにおります」
「ハバキ中尉どの。オレ、トツカ・レイギって言います。今年から推薦で入る……」
「あらそうでしたのー」
ぴしりとひたいをはじかれた。
トツカがうめいていると、ハバキは人差し指を振って言った。
「グリーンウェアで戦うなど自殺行為です。あれの先の装着者さんはご存知?」
「あ、はい……?」
「あなたにも考える頭がおありなら、まずは身の程をご領解なさい。シズさんはいい加減な御仁でしたが、ご無理だけは神掛けてなさいませんでしたよ?」
「はっ。了解です、ハバキちゅ――」
「まあお気の安いこと。ハバキナイシノジョウマロミ特務中尉どのですわ」
また鼻がひくついていた。不機嫌なときの癖らしい。
「発言の頭とお尻ぐらい上官殿を付けなさいな、まったく夷娘の背人が……」
「エビ……何だって?あ、マム。ハバキナイショなんとか――」
またひたいにデコピンが飛び、トツカは尻もちをつく。
それを見てハバキは何やら満足した様子で、駐機させた機体へと戻って行く。だが何歩か進んだところで思い出したように振り向くと、気持ち悪いくらいの営業スマイルを浮かべてきた。
「そのお怪我はムラクモ学校で手当てなさって。ああそうです、もし踏み迷いなさるのでしたら、このわたくしが先達を致しますが」
こっちが下手に出ればさっきからウダウダと。もう流石にカチンと来た。
「ここから真っ直ぐ行くだけでしょうが。貴族だからって馬鹿にせんでください!」
ハバキは一瞬だけ驚いたようだったが、それからふっと微笑み、「よろしい」とだけ言って固定具を身体に着けた。
来た時と同様に、彼女は超音速で帰って行った。
「……道案内って、ウツリ義姉さんじゃねぇんだからよ」
姉弟子はひどい方向音痴だが、まだトツカは地図が読めるつもりだ。
しかしあのハバキとかいう女、本当に教官なんだろうか。なんだか嫌味ばっかりだった気がする。
「戦い方はどこで習った?」
尻もちをついたままトツカが外れた左肩をさすっていると、兵士のひとりが声をかけてきた。胸の階級章を見ると大尉だった。歩兵隊長だろう。がっしりした体格をしている。
「どこって」
「一人でやったんだろう?」
「あー……。オレの世代って、どいつもテレビでああいうの見てるじゃないですか」
「ヒーロー番組で英才教育か」
大尉はぷっと噴き出した。トツカも苦笑を返す。
「義姉が現役のときORBS使ってたんです。英才教育って言うんですか?」
トツカがさすった腕にはびっしりと針の跡が付いていた。
戦闘中は、活動電位を正確に測るために、グリーンウェアからプラチナ製の検針が数センチ間隔で肌に刺される。聞いていたよりは痛くなかったように思う。
「それは将来有望だな」
大尉は肩を揺らして言った。
「お世辞ならいらんですよ」
「本気だぞ?我々はきみに助けられたんだ」
大尉はヘルメットを取り外していた。敬礼だ。
「あ……どうも」
どうもばつが悪くて、トツカはひたいの血を拭くフリをして顔を下に向ける。
ちょっと横を見ると、ちらほらと通行人たちが戻ってきていた。
その中に、例のシズとかいう女学生も見えた。病院に行かずに戻ってきたらしい。じっとこちらを見つめたまま、まだ血が垂れている腿を引っ掻いている。
「どうよ」
トツカが親指を立てると、彼女は背を向けて去っていった。恥ずかしかったのか、それともこっちの血まみれの姿で怖がらせてしまったか。
まあ、人助けなんてこんなもんだ――トツカは肩を落とした。