残暑も終わり、カサカサと音を立て枯葉が舞う寒空の下、天逆町ではマスクを付ける人々が急増していた。
 急激に変化する寒暖差にやられ、体調を崩す季節ではある。だが、皆一様に掠れた嫌な咳をしており、酷いと高熱に(うな)される症状で、病院は連日急患で埋まっていた。
 未知のウィルスかと思われたが、如何せん天逆町でしか流行っていない。ウィルスの形も他との変化が見られないため、確かな目を持つ医者も頭を抱え、喉風邪用の薬を処方することしか出来ないでいた。

「ったく、商売上がったりだよ。手洗い、うがいを徹底してりゃ風邪なんてかかりゃしないのに」
「そりゃババアの身体の中にゃウィルスだって入りたくないだろうよ」
「バカの身体にも入りたくないってさ」

 案の定ワダツミもその痛手を受けており、客は当然ながらキャバ嬢も体調不良を訴えて暇を貰っている。
 店内はナギヨシとオウカの2人きりで、いつもの喧騒を失っていた。
 付き合いの長い2人だからだろうか、ナギヨシはいつもより多量にアルコールを摂取している。顔は既に赤く染まっており、近くに寄れば思わず鼻を摘んでしまう程の酒気を纏っていた。

「……この時期は嫌だねぇ。あの子を思い出しちまう。もう3年になるかい?」
「そうだな……もう、冬になるもんな」
「可哀想に。死因が()()()()の病気だなんて。何のために医者が居るのか分かったもんじゃないよ」

 オウカは棚に飾られた写真に目を向けながら煙草を深く吸い、ゆっくりと吐き出した。
 
「そういやアンタ、墓にはもう行ったのかい?」
「いや……」
「……アタシが言うことじゃないかもしれないけど、死人とはちゃんと決別しなきゃ生きてけないよ」
「うるせぇ。それが、俺には出来ねぇから、葬式も墓もババァに任せたんだろうが……」

 ナギヨシはグラスに注がれた酒を胃に流し込む。オウカに八つ当たりをしても意味が無いことは重々承知していた。
 だが、環境が変わろうとも、月日が流れようともナギヨシの胸にぽっかりと空いた穴は埋まらなかった。いくら喜びを注がれようと、気付けば全て零れてしまう。頭で理解はしていても、今は亡き勇魚ミコトを求めてしまうのだ。
 そんな悪癖に苛まれながら生きることがナギヨシには、とてつもない苦しみだった。

「ナギヨシ、アンタまだ死にたいとか思ってんじゃないだろうね」
「止める権利がテメーにあんのか?」
「昔なら止めなかったさ。アンタもガキじゃない。どうしようが勝手さね。でもね今は違うよ。ニィナもケンスケも居るんだ。あの子たち食いっぱぐれさせちゃ、地獄行きだ。大人としての責任はちゃんと果たさなきゃならない」

 オウカは眉間に皺を寄せ、俯くナギヨシを睨みつけた。刺すような視線を感じるも、ナギヨシは目を合わせるつもりは無かった。
 それは自分が酷い顔をしている自覚があったからだ。取り繕う為に、後十数秒の猶予が欲しい。そうでもしなきゃ、子供みたいにどうにもならない駄々をこね、オウカに甘えてしまいそうだった。

「死にはしねぇよ、まだな」
「アタシより先に死ぬんじゃないよ。順番は守りな」
「何度もうるせぇな、分かってるよ………」

 ナギヨシは財布から無造作に金を取り出し、机に置いて席を立った。

「ナギヨシ、時間はいくらかけたっていい。だからちゃんと『生』と向き合いな」
「……あぁ」

 ナギヨシはフラフラとワダツミを後にする。明らかに飲み過ぎな後ろ姿を、オウカは溜息をついて見送った。

「ミコトさん……アンタに怨みは無いけど、このままじゃ息子(ナギヨシ)が死んじまうよ。アンタさえ生きていたら、アイツはちゃんと現実と向き合ってるだろうに」

 ナギヨシとミコトの写った写真立てを手に取り、どうしようもない恨み言をオウカは呟いた。
 そして、ハッとする。

「今のアタシ、すごい嫌な小姑っぽさが出ていなかったかい!?あー、嫌だ嫌だ。これだから冬は嫌いなんだ」

 オウカは店内の静寂さを誤魔化すように、喉を大きく鳴らし、うがいをするのだった。