よく晴れた日の午後、閑古鳥が鳴く私の店の前を学校帰りの少年少女たちが風を切って走っていく。あの頃に戻りたいとは思わないけど、少し羨ましく感じてしまう。
 それもそのはずだ。客の来ない古びた書店『岩戸屋』に数日前から足繁く通う立ち読み野郎を前にしていれば。数時間居続けて、物も買わずに去ってしまうこの男。今までは黙って見過ごしていたが、こうも続くと流石の私も腹が立つ。

「あのぉーいい加減にしてくれません?貴方ずっと立ち読みしてるでしょ。買わないならさっさと出てってよ」

 意を決して私は声をかけた。男は読む手を止める。チラリとこちらを見る目は、邪魔されたことに不満を抱いていた。私にはそんな不満など知ったことじゃない。
 男はポリポリと頭を掻きながらこう言った。

「俺の楽しみなんだよ。ここで立ち読みするの」

 男は寂しげな声色でそう言うとまた漫画に目を戻した。
 そうか。こんな寂れた書店を楽しみにしてくれる客が居たのか。私はそんな彼の楽しみを私は邪魔してしまったのか。

「ンなわけねーだろーがぁ!」
「あだァ!?」

 私は思い切り六法全書の角で男の頭を打ち付けた。躊躇いなど無い。
 
「何が楽しみじゃい!!金払わねーで本読む奴なんざ客でも何でもねーんだよォ!テメーの手垢で本も泣いとるわい!!」
「えぇ、そこは目をつぶってくれる流れじゃ……」
「許すわけないでしょ?こんな寂れた書店の店長でも本好きの端くれよ。ただでさえ電子書籍の波に溺れかけてるのに、金払わない奴なんて重りよ、重り。飲まれるどころか沈む一方だっての」

 男は頭を擦りながら、バツの悪い顔をした。その表情はどこか叱られた子供の様なあどけなさがある。
 不思議なことに、私にはさっき通りを走っていた子供たちと同じ様に思えたのだ。

「……ぷっ!あははははっ!!」
「なんだよ」
「いや、ごめんね?何だか君が子供に見えて。思わず笑っちゃった」
「大人だっての。ンな歳変わんねーだろうが。良いとこだったのによぉ」

 そう言う彼の持っていた雑誌はオトナの雑誌、所謂『エロ本』だった。そんなのにいい展開もクソもあるかコノヤロー。

「で、買うの?買わないの?」
「……買う」
「素直でよろしい。全く、やることまで子供っぽいんだから」

 男はジャラジャラと音を立ててポケットを(まさぐ)る。財布はどうした財布は。呆れながらもその様子を見ていると、彼が机に小銭を置いた。
 100円が1枚に10円が2枚。そして5枚の1円。

「全然足りないんですけど」
「持ち合わせがこれしか無い」
「……ハァー。呆れた。ていうか売る気も失せた」
「面目ない……」

 私は頭を抱える。この男は所謂ニートなのだろうか?やることも無く、ただ時間を浪費するために足繁くこの店に通っていたのか?関わるのも億劫になってきた。

「明日また買いに来る。金が入るんだ。あと、その本も」
「えっ?」

 私は彼の指す本に思わず驚いた。それは、私が執筆した小説『夜に囁いて』だったのだ。私が趣味で書いていた物がたまたま書籍化した作品で、正直売上には繋がっていない。世間からしたらドマイナーな作品だろう。

「出来ればサイン付きで頼むよ。()()
「は?先生?サイン?え?き、君もしかして私の事こと知ってんの!?」
「確信は無かったんだが、露希で書店を営んでるって記事を見たことがある。それで、もしかしたらって」
「えぇーそれだけでぇ?ストーカーの才能あるよ君?」
「ち、違わい!別に話しかけられたくて立ち読み続けたワケじゃないやい!!……飽きずに最後まで楽しめた作品だったから、どうしても感想を伝えたくて」
「それでまごまごしてたと」
「……ソウデスネ」

 正直私は嬉しかった。見向きもされない作品だと思っていたから、ストーカーだろうが何だろうが直接の感想は心に来るものがある。

「面白かった?」
「あぁ、とても」
「……そ。なら私も嬉しい。な、なんか照れるね!!あんまり褒められ慣れてないからかなーアハハハ」

 気恥しさに思わずふざけてしまう。心の準備が出来ていないと私という人間は、こうも受け取り方が下手くそになってしまうとは。つまるところ、今の私は悪くない気分なのだ。

「君、名前は?」
「ナギヨシ、平坂ナギヨシ。歓楽街でボディーガードしてる。先生がストーカー被害にあった時は助けに行くぜぃ」
「それ君のことでしょ。なるほど、ナギヨシくんね。明日ちゃんと買いに来てね?……恥ずかしけど、サインも書いたげるから」
「安心してくれよぅ。俺は女とした約束はちゃんと守る派だ。何より先生に願われちゃ守らなきゃ損だろう?」

 本当にこの男、もといナギヨシくんは子供のような顔をする。人の気持ちがあまり分からない私でも、褒められて得意げなのがすぐに分かる。

「……あと恥ずかしいから先生禁止」
「じゃあ何て呼べば?」
勇魚(いさな)ミコト。ミコトでいいよ」
「ミコト……ミコト……」
「何回もブツブツ名前呼ぶのは気持ち悪いよ?」
「そーいうんじゃねーからぁ!?……ミコトさんね。じゃあまた明日来るから、サイン頼んだ」
「はいはい。また明日ねナギヨシくん」

 彼はそう言って岩戸屋を後にした。先程まで寂しそうな彼が、満足気な足取りで帰ったことを私は見逃さなかった。

「なんだ、可愛いヤツじゃん」

 私もまた、満足気な表情をしていたことに気付く。
 そして、自分の著書に描き慣れていないサインを施した。明日の彼が喜ぶ表情はどんなものだろうか。きっと忘れられない素敵な1日になるだろうから、それはもう笑顔に決まってる。
 それを想像すると私もまた、クツクツと笑いが込み上げてくる。どうにも明日は私にとっても素敵な日になりそうだ。