ちはると新之助は、キヨの代筆した恋文を読んで以降、明らかに距離が縮まった。
 キヨは新之助を励まし、語彙を教えていたら、あまりに筆不精だった新之助もまともな恋文が書けるようになり、ちはるとのやり取りも楽しそうにできるようになった。
 そしてちはるは新之助に対する恋文は、キヨに代筆を頼むことがなかった。
 おかげで、キヨがちはるの代わりに豊とやり取りをし、豊の返事はそのままちはるからキヨに渡されるおざなりなことになってしまっていた。
 見かねたキヨは、ちはるに苦言を呈した。

「婚約者のほうが大切ならば、豊さんのほうのやり取りはいい加減打ち切ったほうがよろしいのでは……あまりに相手に対して失礼じゃありませんか」
「わかっているけれど、そこで豊さんとの文通を打ち切ってしまったら、ますますもって豊さんは人の恋文を嫌うようになってしまうんじゃないかしら」
「それはそうなんですが……」

 ちはるは豊に気を使っているのだろうし、そもそも先に惚れ込んだのはちはるのほうだ。責任を感じているのだろう。
 だがキヨからしてみれば、豊に不義理をし続けているちはるを歯がゆく思い、豊が語彙力が全くないなりに書き続けている恋文が、ちはるに全く届かずにキヨの手元に送られてくるのが虚しかった。
 そんな悶々とするやり取りを繰り返し続ける中。
 キヨはちはるから渡された豊の恋文を見て、一気に血の気が引く思いがした。

【そろそろ文のやり取りをやめませんか。
 自分には恋しい方ができましたし、あなたもそろそろ卒業後に目を向けたほうがよろしいのではないでしょうか。】

 いつもよりも長く書いてあるものの、豊らしく詩情的な文の一切ない、簡潔な文であった。
 だからこそ余計にキヨは目からボロボロと涙が溢れて仕方がなかった。

「キヨさん、あなたいくらなんでも恋文の内容を読んで大袈裟よ」

 見かねたちはるにそう言われ、キヨはポロポロと泣きながら訴えた。

「……ちはるさんが豊さんに不義理なことなさるから、とうとう豊さん、他に好きな方ができたじゃないですか……」

 それはちはるに対する八つ当たりだとキヨもわかっていた。恋文のやり取りをしたところで、所詮はキヨはちはるのふりをしているだけなのだから、傷つくことはなかった。だが、豊が他に好きな人ができてしまったのなら、もう恋文のやり取りすらできなくなる。
 ちはるの皮を被ることすらできなくなったキヨは、オンオンと泣き出した。
 それをちはるは困った様子で眺める。

「ごめんなさいね、まさかキヨさんがそこまで感情移入するとは思ってなかったの」
「……違うんです、悪いのは、私なんです……」
「はい?」

 ちはるは首を傾げた。
 キヨは溢れてくる涙を手で拭いつつも、嗚咽だけはことなく、ヒックヒックと訴える。

「……豊さん、うちの店の常連客なんです。私は依頼を受けたときからずっと……ちはるさんのふりをしていたら、豊さんと文通できると……楽しかったんです。その時間が。ちはるさんのふりをしなかったら、あの人と文通なんてできませんでしたし」
「あら? キヨさん豊さんのこと、そんなに好きだったの?」
「だって、気持ち悪いじゃないですか。常連の店の娘に下心をずっと向け続けられるのなんて。だから私、店の中では家具に終始していましたもの」
「まあ、自分のことを家具だなんて例えるのはよくないわ」

 ちはるはキヨに八つ当たりされ、支離滅裂な訴えをされている訳だが、怒ることなく、彼女の話を真摯に受け止めていた。
 そしてちはるは「ごめんなさいね」と言った。

「まさかキヨさんが、そこまで豊さんを好きだったなんて思わなかったの。私が恋文代筆頼んでから、そんなに苦しんでたのね」
「……でも、私は見合いも結婚も決まっている方よりも、楽な身の上ですから……」
「恋に楽も苦しいもある訳ないでしょうが。どんな身の上だって、叶わないと苦しいし、叶うと嬉しいのだから、どっちが上でどっちが下だとかはありえないわ」

 ちはるにきっぱりと言われ、それをキヨはポカンと見ていた。それにちはるは畳みかけるように訴える。

「だからこそ、あなたはちゃんと豊さんに思いを伝えないと駄目よ。あなた、私の代筆ではきちんと伝えられたのでしょう? そのこと、きちんと豊さんに伝えなきゃ駄目よ」
「でも……あの人、私のことなんて……」
「私のことさんざん励ましてくれたのはキヨさんじゃない。大丈夫、あなたは上手く行くから」

 キヨはちはるほどの自己肯定感はないが、彼女に背中を押されたら、なんとはなしに上手く行くような気がした。
 キヨは店に来る前の豊を捕まえようと決めた。店で捕まえるのは、彼だって困るだろうから。