それからキヨは、ちはるの恋文代筆を必死で行っていた。日頃であったら彼女はもっと詩的な文を綴るが、それでは合理主義が過ぎる豊の心に届かないと判断し、ただひたすらに自分の恋心を綴る文を書き殴ったのだ。
その恋文をちはるが送り、豊から返事が来る。
その文は合理的が過ぎる豊らしく、いつも簡潔で、悪く言えばそっけないものだった。
【ありがとうございます。これほどの激情的な文は初めていただきました。】
あまりにも素っ気ない恋文に、最初ちはるはたじろいでいた。
「……恋文を出したの、迷惑だったのかしら……」
そのたびに豊の人となりを知っているキヨは励ました。
「そんなことありませんよ。あの方、医学生なのでしょう? 勉学優先ですから、本当に迷惑なのだとしたら本当に【迷惑です】のひと言で二度と返事がくれないでしょう。これだけしか書いてないのも、答えが出てないことをそのまま書くのが苦手なのだと思いますよ?」
「そうなのかしら……それにしてもキヨさん、あなた詳しいのね?」
ちはるは困った顔をするので、キヨがギクリとした。まさか実家の食堂の常連だなんて本当のことを言えるはずもなく、キヨはとぼけ切ったことを言った。
「うちの店、医学生のお客様がやってきますから。その方々と接客しているたびに、私たちとは感性が違うのだなと痛感しています」
「なるほど……それならば、もう少しだけならば迷惑にならないのかしらね」
ちはるがそっと安堵の息を吐くのを、キヨは複雑な思いで聞いていた。
キヨからしてみれば、豊から恋文がもらえるちはるが羨ましい。だが、医学生の豊は食堂の娘のキヨなんかを相手にする訳もなく、一時の恋と割り切っているちはると恋愛ごっこする以外、私情を持ち込むことなんてないだろう。
キヨがちはるに成り切って恋文を書く。それくらいしか、自分の恋を生かせる場面なんて思いつかなかった。
****
そうもやもやしている間に、だんだんと季節も変わってきた。
紅葉が美しい季節がどんどん終わりを迎え、皆が皆、大晦日に向けて慌ただしく動いているのがわかるようになった。
もうしばらくしたら学校も休みに入る。試験を終え、キヨは久々に松井屋で給仕として立っている中、ずいぶんと暗い顔をしている新之助と、それを宥めている豊が店にやってきた。
豊の友人であり、日頃はずいぶんと気さくな人間に思える彼が意気消沈しているのは珍しく、水を運ぶ中たまりかねてキヨは声をかけた。
「いらっしゃいませ……どうかなさりましたか?」
「ああ……こんにちは」
普段であったら愛想のいい新之助は暗い。それを見かねて豊が声をかけた。
「すみませんキヨさん。心配をかけまして。新之助くんの婚約者、どうも浮気をしているようでして」
「あら、まあ……」
「どうせ婚約している身の上なのだから、婚姻がまとまったら終わるだろうさと言っているんですがね、彼もなかなか難しく思っているようで」
「まあ……そうなのですか。おつらいですね」
結婚後の不倫は犯罪になるが、結婚前に恋をするのは犯罪でもなんでもない。そもそもほとんど顔を合わせたことのない婚約者よりも、今会える恋の相手のほうがいいというのは当たり前の反応だとは思うが。
どうも新之助は口で言うよりもよっぽど婚約者のことを懇意にしているとキヨは少なからず驚いた。
新之助は困った顔をしている。
「別に彼女の恋について、自分はまだとやかく言える立場ではありませんが……自分にはちっとも文を書いてくださらないのに、恋の相手には文を送っているのが、羨ましくて妬ましくて」
「いいじゃないか、どうせ婚約が決まっているし、相手の方もそこまで愚かでもないんだろう?」
「わかっているけれど……」
新之助の言葉に、見かねてキヨは口を挟む。
「……文通がしたいのでしたら、あなたから文を送れば済むのでは……?」
「……僕にはあまり文才がないもので」
それにはキヨもなんと言えばいいのかがわからなかった。本当に簡潔でも返事を送る豊のほうが律儀に思えたのだ。
やがて、キヨは「本日のおすすめはビーフシチューですよ」と伝えた上で、口を開いた。
「あのう……私、女学校で恋文屋をしているんですよ」
「……恋文屋、ですか?」
「はい。要は代筆業ですね。よろしかったら、恋文書きましょうか?」
「よ、よろしいんですか? 僕はその……女学生の方はどのような文を好まれるのか、全然わからなくて」
「どれだけ短い文でも、送ってくだされば喜んでくださるとは思いますけれど。それで、婚約者の方はどのような方なんですか?」
送る相手がわからなければ、いくら恋文屋をしているキヨだってどのような文を書けばいいのかがわからない。
キヨの問いに、新之助はにこやかに答えた。
「はい……呉服屋のお嬢さんなんです」
「まあ。裕福な方なんですねえ」
「しっかりしている方ですよ。名をちはるさんと申します」
それに言葉を失った。
ちはるは婚約が決まって打ちひしがれ、ただただ豊との恋愛ごっこにうつつを抜かしていたが。その婚約者がよりによって新之助だったのは。
キヨはなんと返事をすればいいのかがわからなかった。
その恋文をちはるが送り、豊から返事が来る。
その文は合理的が過ぎる豊らしく、いつも簡潔で、悪く言えばそっけないものだった。
【ありがとうございます。これほどの激情的な文は初めていただきました。】
あまりにも素っ気ない恋文に、最初ちはるはたじろいでいた。
「……恋文を出したの、迷惑だったのかしら……」
そのたびに豊の人となりを知っているキヨは励ました。
「そんなことありませんよ。あの方、医学生なのでしょう? 勉学優先ですから、本当に迷惑なのだとしたら本当に【迷惑です】のひと言で二度と返事がくれないでしょう。これだけしか書いてないのも、答えが出てないことをそのまま書くのが苦手なのだと思いますよ?」
「そうなのかしら……それにしてもキヨさん、あなた詳しいのね?」
ちはるは困った顔をするので、キヨがギクリとした。まさか実家の食堂の常連だなんて本当のことを言えるはずもなく、キヨはとぼけ切ったことを言った。
「うちの店、医学生のお客様がやってきますから。その方々と接客しているたびに、私たちとは感性が違うのだなと痛感しています」
「なるほど……それならば、もう少しだけならば迷惑にならないのかしらね」
ちはるがそっと安堵の息を吐くのを、キヨは複雑な思いで聞いていた。
キヨからしてみれば、豊から恋文がもらえるちはるが羨ましい。だが、医学生の豊は食堂の娘のキヨなんかを相手にする訳もなく、一時の恋と割り切っているちはると恋愛ごっこする以外、私情を持ち込むことなんてないだろう。
キヨがちはるに成り切って恋文を書く。それくらいしか、自分の恋を生かせる場面なんて思いつかなかった。
****
そうもやもやしている間に、だんだんと季節も変わってきた。
紅葉が美しい季節がどんどん終わりを迎え、皆が皆、大晦日に向けて慌ただしく動いているのがわかるようになった。
もうしばらくしたら学校も休みに入る。試験を終え、キヨは久々に松井屋で給仕として立っている中、ずいぶんと暗い顔をしている新之助と、それを宥めている豊が店にやってきた。
豊の友人であり、日頃はずいぶんと気さくな人間に思える彼が意気消沈しているのは珍しく、水を運ぶ中たまりかねてキヨは声をかけた。
「いらっしゃいませ……どうかなさりましたか?」
「ああ……こんにちは」
普段であったら愛想のいい新之助は暗い。それを見かねて豊が声をかけた。
「すみませんキヨさん。心配をかけまして。新之助くんの婚約者、どうも浮気をしているようでして」
「あら、まあ……」
「どうせ婚約している身の上なのだから、婚姻がまとまったら終わるだろうさと言っているんですがね、彼もなかなか難しく思っているようで」
「まあ……そうなのですか。おつらいですね」
結婚後の不倫は犯罪になるが、結婚前に恋をするのは犯罪でもなんでもない。そもそもほとんど顔を合わせたことのない婚約者よりも、今会える恋の相手のほうがいいというのは当たり前の反応だとは思うが。
どうも新之助は口で言うよりもよっぽど婚約者のことを懇意にしているとキヨは少なからず驚いた。
新之助は困った顔をしている。
「別に彼女の恋について、自分はまだとやかく言える立場ではありませんが……自分にはちっとも文を書いてくださらないのに、恋の相手には文を送っているのが、羨ましくて妬ましくて」
「いいじゃないか、どうせ婚約が決まっているし、相手の方もそこまで愚かでもないんだろう?」
「わかっているけれど……」
新之助の言葉に、見かねてキヨは口を挟む。
「……文通がしたいのでしたら、あなたから文を送れば済むのでは……?」
「……僕にはあまり文才がないもので」
それにはキヨもなんと言えばいいのかがわからなかった。本当に簡潔でも返事を送る豊のほうが律儀に思えたのだ。
やがて、キヨは「本日のおすすめはビーフシチューですよ」と伝えた上で、口を開いた。
「あのう……私、女学校で恋文屋をしているんですよ」
「……恋文屋、ですか?」
「はい。要は代筆業ですね。よろしかったら、恋文書きましょうか?」
「よ、よろしいんですか? 僕はその……女学生の方はどのような文を好まれるのか、全然わからなくて」
「どれだけ短い文でも、送ってくだされば喜んでくださるとは思いますけれど。それで、婚約者の方はどのような方なんですか?」
送る相手がわからなければ、いくら恋文屋をしているキヨだってどのような文を書けばいいのかがわからない。
キヨの問いに、新之助はにこやかに答えた。
「はい……呉服屋のお嬢さんなんです」
「まあ。裕福な方なんですねえ」
「しっかりしている方ですよ。名をちはるさんと申します」
それに言葉を失った。
ちはるは婚約が決まって打ちひしがれ、ただただ豊との恋愛ごっこにうつつを抜かしていたが。その婚約者がよりによって新之助だったのは。
キヨはなんと返事をすればいいのかがわからなかった。