蒼空が亡くなってから二週間。その間、外の世界を遮断するように部屋に閉じこもっていた。
 私は行かなかったが今日は始業式だった。学校に行けば教室の空席が目に入る。一人でいる辛さよりも、世界に生じた埋められない空白が耐えられない。
 それと通夜も行かなかった。行ってしまえば、蒼空が亡くなった現実を受け止めなければいけない。私の中ではまだ生きているし、何より蒼空の家族に合わせる顔がない。
 蒼空の笑った顔、二人だけの思い出、くだらない会話。その全てが過去になってしまうようで嫌だった。
 この二週間、両親は何も言ってこなかった。ご飯も部屋の前まで持ってきてくれた。だけど食欲がわかず、お茶と惣菜を少しだけ口にするだけだった。食べるというより、胃に入れるが的確な表現だ。
 毛布に包まりながら、あの日の出来事を思い出す。もし私が蒼空を誘わなければ、もしあのとき想いを伝えていれば、もしあのとき蒼空の言葉を聞いていれば。何度もたらればを想像し、罪悪感に蝕まれる。
 私が殺した。直接ではなくとも、因由の種を私が撒いた。だから蒼空は……
「死のう」
 百回は言っている。最初は「死にたい」だったが、今は死の淵に立ち、何も見えない闇の底を見下ろすように「死のう」と漏らす。落ちてしまいたい。私なんかが生きていても意味はない。学校のみんなも思っているだろう。なんで蒼空なんだろうって。
 もう終わりにしよう。そう思ったときだった。
 ふと、蒼空と一緒に夕陽を見たことを思い出す。
――自分と向き合って生きることが大事だと思うんだ。
 あのときの言葉が頭の中に響いた。
 なぜかは分からないが、呼ばれてるような気がした。

 家をこっそり抜け出し、岬公園の展望広場にやってきた。辺りはすっかり暗く、夜空の星が鮮明に輝いている。
 星屑が照らす冬空は美しかった。こんなときでも、まだそう思える心があることに驚いたが、少しだけ痛みが和らぐようだった。
 それからしばらく星を眺めた。二週間、世界から隔絶していたからか、心がひどく汚れていた気がする。纏わりついた嫌悪が体に重くのしかかり、罪悪感が蔦のように心臓に絡みついて息苦しかった。生きていること自体が蒼空への冒涜だとも思った。
 人が死んだら星になると言うが、その星が死んだらどこへ行くのだろう。また人に戻るんだろうか? そしたら、蒼空とまた会えるのかな? そんな幻想を抱いていると流れ星が夜空を駆ける。
「蒼空とまた会えますように」
 思わず声にして願った。しかも生き返るではなく会えるようにと。自分の心の隅にしまっていた願望が、流れる星を見て欲望として出てきた。
 会いたいなんて言える立場ではないのに、神に自分の命と引き換えでいいと言ったのに、本当は一緒に生きていたい。一緒に歳を重ねて、一緒に笑いたい。
 蒼空、どこにいるの? また会いたいよ。
 先ほど願った流れ星は未だ消えずに、強い光を携えながらこちらに向かってくる。
 え?
 だんだんと光が大きくなり、ものすごいスピードで流れ星が落ちてくる。
 UFO? 宇宙人? 状況が分からず混乱が脳内を走り回る。
 数秒後、その光は展望広場に落ちた。眩い光を放っていたため腕で目を覆い隠す。
 徐々に光が消えていくのを感じ、ゆっくりと目を開けると、一両編成の黄色い列車がそこにはあった。
 夢だろうか、それとも、夢だろうか、もしくは、夢だろうか。頭では理解できないものが空から降ってきた。
 呆然としていると、列車の中から女の人が出てくる。
 長い黒髪に、艶やかな雰囲気、スタイルは良く、綺麗な人だった。車掌の制服のようなものを着ている。
 宇宙人はUFOに乗っていて、銀色で大きな頭の生物だと思っていたが違った。列車に乗って人間みたいな姿をしている。
 女宇宙人がこちらに歩いてくるが、怖くて動けなかった。
 私の前に来るとニコッと笑い、「藤沢千星ちゃんだよね?」と問いかけてくる。
 何で私の名前を知ってるの? 宇宙人の友達なんていない。
「千星ちゃんだよね?」
 もう一度問いかけてきたので、「違います。人違いです。私は田中です。田中よしこです」と誤魔化した。
 すると宇宙人は私の胸ぐらを掴み、目の笑っていない笑顔で、
 「千星ちゃんだよね。大人にウソついちゃダメでしょ? その可愛いお顔、傷もんにしようか」
 宇宙人というより、反社会勢力だ。
「そ、そうです」
 怯えながら答えると、再び優しく微笑んで「だよね」と声を弾ませていた。
「あの……」
「何?」
「宇宙人ですか?」
 女性は目つきを変え、私の頬を潰すように掴んできた。
「初対面の相手に宇宙人て失礼だよね。こんな美人でか弱そうな女性が宇宙人に見える? 千星ちゃんは、そう見えるの?」
 上手く喋れないほど、強く頬を掴んできたため
「びえましゃえん」
 と、日本語を逸脱したように返答する。でも、か弱くはない。
「よろしい」
 そう言って、私の頬を離した。
 一体この宇宙じ……女性は誰なんだろう? まったく状況が理解できない。私の名前を知っているということは、私に会いに来たってこと? 私はいつ、空から降ってくる知り合いを作ったのだろう? 考えを巡らせていると彼女は口を開く。
「まあ、急に来たらびっくりするか。私はね、流星の案内人」
「案内人?」
「この世に残した未練を叶えるために、あなたを迎えに来たの」
 意味が分からない。この世に残した未練って何? それに、なんで何で私?
「千星ちゃん、会いたい人いない?」
 いる。どんなことをしてでも、どんな代償を払ってでも会いたい。
 私が小さく頷くと、彼女は口もとを綻ばせ、優しい表情を作る。その顔があまりにも綺麗でドキッとした。
「会いに行こうか。その人も君と会いたがってる」
 頭が追いつかない。混乱に混乱をトッピングしてきた。だって、私が会いたい人はこの世に……いや、この先は言いたくない。
「彼はまだ正式にはあの世に行ってないの。亡くなってから二週間くらいでしょ? 向こうに行くのは四週間後かな。それまでは私を通して会える。回数は決まってるけどね。で、どうする? 会いたくないなら会わなくてもいいよ」
 会いたい。でも、あまりにファンタジーすぎてついていけない。けど、空から来ただけでかなりの説得力がある。これがそこらへんの道で会ったなら、お巡りさんにお電話するが……私が逡巡していると、彼女が独り言のように呟きはじめた。
「確か……蒼空くんだっけ。爽やかでかっこいいよね。私のタイプだな。あと四週間もあるから、あんなことやこんなことして、それと……あっ、これは流石にまずいか。でも蒼空くんも男の子だし、十七歳なら興味あるかも――」
「行きます! 今すぐ行きます! 絶対行きます!」
「じゃあ、行こう」
 釣り針にかかった魚のようだったが、蒼空のためにも行かなければならない。この女の毒牙に引っかかるような男ではないが念のため。
でも、それ以上に本当に会えるんじゃないかという期待の方が強かった。何をしてでも会いたいという想いが届いたような気もした。
 彼女に案内され列車の中に入る。中はボックスシートになっており、赤のベルベットの生地が、これから起こるであろうファンタジーの世界を期待させた。
「じゃあ座って。発車から程なくして揺れるから、手すりに掴まっててね」
「本当に蒼空に会えるんですか?」
「会えるよ」
 この人の笑い方はバリエーションが広い。今は子供のような無邪気な笑顔だ。なんの汚れもない無垢な表情が言葉に信用を与える。
「それと、私の名前は結衣。結衣ちゃんでもいいし、ゆっちゃんでもいいよ」
 無邪気な笑顔を残して、前方にある運転席のような場所に入っていった。
 蒼空に会える。まだ猜疑心は残っているが、会えるのであればどんな形でもいい。早く会いたい。
 座席に着くと扉が閉まった。緊張感が背筋に走る。
 すると、列車の前方が持ち上がるように浮いた。今の私はジェットコースターの頂上に向かっているときの体勢になっている。
 前方だけ上がった状態で、ゆっくりと列車は動き出した。
 私はグッと力を込め、座席の手すりに掴まる。徐々に速度が上がっていき、それに比例して恐怖心も強くなる。
 列車はどんどんスピードを上げる。重力がのしかかり体を動かせない。
 一分ほど経った頃、突如前方が下がり、列車は平行に戻った。
 後ろに体重がかかっていたため、私の体は押し出される。すると、口づけをするように前の座席に顔面をぶつけた。
「痛っっつぁ」
 どこから出たのか分からないような情けない声が出た。そしてどこの馬の骨かも分からない座席にファーストキスを奪われた。もし私が芸能人になって「初めてのキスは誰とですか?」と聞かれたら「列車の座席です。とても温もりを感じました」と答えることになる。
 甘酸っぱさから甘いを抜いた、酸っぱい思い出に浸りながら、ふと窓の外を見た。
「綺麗」
 そこには、思わずため息を漏らしてしまうような、夜空に散らばる星屑が光輝いていた。
 視線を星に奪われる。あまりの美しさに酔いしれる。いつもよりも近い星の群れ。瞼から溢れるような数多の星々。夜空のフルコースがあればメインディシュだろう。それほどの光景が目の前に広がっていた。
 いつの間にか、窓に顔を張り付かせるようにして星を眺めていた。子供のように。
 視線を下に移すと海が見える。後方には小さくなった街。私の住んでいた場所かな? ここからだと、シルバニアファミリーのお家みたいだ。
 かなり高くまで飛んいる。どこに向かっているんだろう。今の私にはシルバニアファミリーという情報しかない。
 シルバニアファミリーから今後の展開を考察していると、前方から強い光が差し込んできて列車内を覆った。あまりの眩しさに目が開けられない。
 数秒で光は消えた。目を開けると、窓の外には地下鉄駅のような場所が映る。
 列車は徐々にスピードを下げると、程なくして止まった。
「お疲れ様。着いたよ」
 結衣さんが運転席のような場所から出てきて、こちらに向かってくる。
 私の前で立ち止まり、視線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
「ここは流星の駅。死んだ人が未練を伝える場所なの。未練を残してあの世に行くと、来世に影響が出る。自分でも理解できないことをするときは、前世でやり残したことだったりするの。理由もなく執着する時ってあるじゃん。何でこんなにこだわってるんだろうとか。その場合は前世の影響の可能性がある。そして誰かを傷つけてまで奪ったりしてしまう。そうならないために、ここがあるの」
「来世ってあるんですか?」
「あるよ。生きたくないって人もいるけど、また人として生まれる。だから今をどう生きるかが大切なの。未練が絶対にダメなわけではない。でもね、未練が執着に変われば、いずれ憎悪に支配される。誰かを傷つけるって言ったけど、他人だけではなく自分も含まれてるからね。それは覚えといて」
 私のは、前世というより現世で作られた未練だ。それを来世まで引き継いだら、何かに執着してしまうのだろうか。
「ここのルールは後で説明するね。今は早く会いたいでしょ?」
 ウインクしてきた。可愛い。
 結衣さんが指を鳴らすと列車の扉が開く。魔法使いみたいだ。
「列車を出てすぐに階段があるから、そこを上っていって。あとこれ」
 結衣さんはポケットからチェーンの付いた黒の懐中時計を取り出し、渡してきた。
 時刻を表す数字がローマ文字で、短針が無く長針のみだった。針は十二を指している。
「会える時間は一時間だけね」
「たった一時間ですか?」
「階段の上に扉があるから、そこを開けると時計の針が動き出す。一時間経つ頃に迎えに行く」
「分かりました……」
 一時間は短すぎるが、会えるだけでも十分だ。これ以上の贅沢は言えない。
 列車を出ると、本当に地下鉄みたいだった。さっきまで空を飛んでいたのに、いつの間にか地上に戻って来たのだろうか?
 一分ほど歩くと、階段の前に着いた。
 コンクリートでできた階段が二十メートルほど続いており、その先には黒の扉が設けられている。
 私は壁に付けられた銀の手すりに沿って、ゆっくりと上り始めた。
 本当に会えるのだろうかと、ここに来て不安が押し寄せてくる。
 だが幾重にも重なるファンタジー現象が、心の中にいる中学二年生を呼び覚まし『大丈夫だ。信じろ』と語りかけてくる。
 もし蒼空に会うことができたら、言うことは決まっている。
――ごめん
 私があのとき逃げなければ死ぬことはなかった。だからまずは謝ると決めている。
 鉄製の黒い扉の前に着いた。この先で蒼空が待っている。正直、完全には信用できていなかったが、会いたいという想いが疑心を上回り、無理やり信じようとしていた。
 心臓が忙しなく胸を叩いてくる。左手で胸を抑えて落ち着かせたあと、ドアノブを回した。
 目の前に現れたのは、ガラス張りの大きな部屋だった。天井が高いため、そのぶん窓も大きく、圧巻の星空が視界に映った。
 辺りを見渡してみると、一辺が三十メートルほどの正方形の部屋だった。天井と床、扉側の壁はコンクリートのようで、コの字型でガラス張りになっている。明かりはなく、窓から入る星彩のみで部屋を照らしているため、全体は薄暗い。
 星空に圧倒されて気づかなかったが、正面の窓の前にベンチが置かれており、そこに人が座っている。
 もしやと思い近づいて行くと、その人物は立ち上がってこちらを振り向いた。
 星がその優しい笑顔を照らしたとき、私は自然と走り出していた。
 会いたかった。話したかった。謝りたかった。笑顔が見たかった。私は彼の前まで来ると、勢いのまま抱きついた。
「蒼空」
 涙が止まらなかった。蒼空の胸の中で嗚咽を漏らしながら子供のように泣いた。蒼空は私の背中を優しくさする。それでまた、涙が止まらなくなった。
「久しぶり」
 鼓膜に降り注いだ優しい声に体温が上がるようだった。
「ごめん、蒼空。私のせいで……」
「千星のせいじゃないよ」
 胸から顔離し、蒼空を見る。また泣きそうになるが、グッと堪える。
「蒼空、本当に死んじゃったの?」
 目の前にいる蒼空を見て、本当は生きていたのではないかと思った。でもその期待はすぐに打ち砕かれた。
「死んだのは事実みたい。目を覚ましたら女の人がいて、『君は交通事故で亡くなったの』って言われた」
「結衣さん?」
「うん」
「もう会えないと思った」
 袖で涙を拭った。目が潤んで蒼空をちゃんと見れないのは嫌だから。
「聞いてるかもしれないけど、あと四週間しかない」
 蒼空が言うには、会えるのは一週間に一度、会える時間は一時間、四週間後には会えなくなる。会えるのは私だけで、それを選んだのは蒼空らしい。
 会える頻度も、時間も少なくてがっかりしたが、最後のは嬉しかった。蒼空が私を選んでくれた。でも何で富田雪乃じゃないんだろう? 普通は好きな相手を選ぶだろうに。でも今は、選ばれた嬉しさを噛み締めることにした。
「あまり時間がないから、先に俺の未練を伝える」
 懐中時計を見ると、十分ほど経っていた。
――未練を伝える場所
 結衣さんにそう言われ、引っかかっていた。
 ということは蒼空にも未練があり、それを私が叶える。なんか嫌な予感がした。
「蒼空の未練て何?」
「二つあるんだけど、いいかな?」
「うん」
「一つ目は、雪乃の恋を叶えてほしい」