千星は一人でいることが増えた。
 仲の良かった明里から『うざい』と言われてたことで、「他の人も同じように思ってるかも」と、不安を浮かべながら話していた。
「俺はそんなこと思わないから。だから一人ぼっちにはさせない」
 どう返したらいいか分からなかったが、陽一なら何て言うかを考えた結果、この言葉が出た。
「ありがとう」
 照れ臭そうに答える千星を見て、こちらまで恥ずかしくなる。
 三宅は度々、一人でいる千星を見て茶化してきた。その都度、取っ組み合いになったが、俺も参戦して三宅に勝利することが増えていった。
 正直言うと今も三宅は怖いが、『千星を守るため』と考えたら不思議と体が動いた。
 段々と大人しくなっていく三宅に安心したが、千星が日に日に人を避けるようになり不安を覚えた。
 あの日の出来事で、人を信用することが怖くなってしまったのかもしれない。俺だけは絶対に裏切るようなことをしてはいけないと思った。
 そんなことをすれば、もう千星は笑えなくなる。俺は屈託なく笑う千星の笑顔が好きだったから、それを守りたかった。
「蒼空の家に行ってみたい」
 そう言われたため、明日ならいいよと言った。
 本当は今日でも良かったが準備をしたかった。
 家に帰ると、両親がリビングでテレビを見ていた。
「藤沢千星っていう子が、明日家に来たいって言ってるんだけどいいかな?」
 二人とも驚いたような顔をしている。それもそうだ。陽一すら呼んだことがないので、学校の人を連れてくるのは初めてだった。陽一は他人の家で遊ぶのを嫌った。だから行くことはあっても、家に来たことはない。
「クラスの子?」
 お母さんが目を丸くしながら聞いてきた。
「うん。その子、色々あって学校に居場所がなくなったから、俺がその子の居場所になりたいって思ってる。だから千星を家族みたいに思ってもらいたい。一人ぼっちにさせたくないから」
「分かった。家族と思って接する」
 母は優しく微笑みながら頷いてくれた。
「その子に何があったかは分からないけど、一緒にいて安心できる存在になってあげな。そういう人がいるだけで不安が和らぐから。一人でも自分に寄り添ってくれる人がいるだけで、優しさを持つことができる。そしてその優しさが、いつかその子の救いになる」
 この時はまだ、父の言葉を理解することはできなかった。でも大切なことなんだろうと思い、胸の中に仕舞うことにした。

「お、お兄ちゃん、明日友達来るの?」
 夕飯のとき、美月が目を丸くさせながら聞いてきた。母と同じような反応だ。
「うん、同じクラスの藤沢千星って子」
「そ、そうなんだ」
 なぜか分からないが美月は動揺しており、水の入ったグラスにスプーンを入れて掬っていた。たぶん隣にあるスープの入ったカップと間違っている。
「会ってみる?」
 美月は小学校に入学してから、誰かと遊んでいるところを見たことがない。両親はそれを心配しているようだった。
「だ、大丈夫、私は部屋にいるから。お兄ちゃんたちの会話を盗み聞きなんてしないからね」
 たぶんするな。
「分かった。一緒に遊びたくなったら、いつでも来て」
「うん……」
 もし美月と千星が仲良くなってくれたら……このとき、そんな想像を膨らませていた。
 千星に美月のことを話すと「蒼空の妹なら友達になれる」と言ってくれた。
 実際、家に遊びに来たときは、前のような千星の姿を見ることができた。居場所になれていると思い、嬉しくなった。
 中学に上がっても千星は変わらなかった。俺以外の人と接することなく、友達を作ろうとしなかった。
 逆に自分は友達を多く作ろうと思った。
 学年の中心にいれば、何かあったときに守りやすくなるし、千星がいじめらる確率は低くなる。
 できるか不安だったが、千星を守るためなら頑張れると思った。
 陽一と千星しか交友関係がなかったため最初は苦戦したが、学年の中心にいる何人かを参考にして、自分の中に落とし込んでいった。
 観察していて分かったのは、人それぞれの価値観の違いだ。
 距離感、悩み、環境、求めるものや大切にしていること、人によって踏み込んではいけない範囲、絶対に馬鹿にしてはいけないものなど、多様で繊細なグラデーションで円を描いていた。
 自分の色を出せる人もいれば、周りの色に染められてしまう人もいる。多岐にわたる色彩は、学校というキャンパスでは上手く混ざり合うことは難しい。
 ならせめて、俺といるときにその色が一番美しく輝ければ、居心地のいい場所になる。そうすれば友達だって増やすことができると思った。
 二年に上がる頃には学年の中心に位置するようになった。
 ほとんどの人と友達になったが、三宅や明里、佐藤とはあまり話さなかった。千星が見たら悲しむだろうから。
 三宅は小学校の時と比べて、だいぶ大人しくなった。
 同学年に三宅より体格のいい安西という子がいて、俺はそいつと仲が良かった。
 安西は三宅と違って優しいやつだった。だから純粋に友達になりたいと思い、仲良くなった。
「蒼空、付き合ってほしい」
 同学年の女子から告白されることがたまにあったが、ほとんど断っていた。
 恋愛に興味がなかったからではなく、好きな人がいたから。
 
「おい蒼空、早くスペードの3を出せ。持っているのは分かっているぞ。さっきチラっと見たからな」
 俺の部屋で、千星と美月と七並べをしていた。
「いや、勝手に見るなよ。ルールは守れ」
「千星ちゃんもダイヤの10出してよ。私が上がれない」
「なんで私が持ってるの知ってるの?」
「千星ちゃんがお兄ちゃんの手札を見てる時に、こっそり見た」
「卑怯だぞ。人の手札を見るのは道路交通法に引っかかる行為だ」
「人のこと言えないだろ。しかもなんで道路交通法なんだよ」
「とにかくスペ3を出せ、蒼空」
 千星は俺の手札から、無理矢理スペードの3を引っこ抜こうとした。
「おい、やめろ」
 抜かれるのを阻止するため、力強くカードを握る。
「3を寄越せ」
「美月、今のうちにダイヤの10を取れ」
 美月が千星の手札からダイヤの10を取り、ダイヤの9の隣に置いた。
「あー! ずるいぞ、この極悪兄弟め。か弱き女子中学生から、命に等しいダイヤの10を奪うなんて。それでも地球人か」
「せめて人間か、だろ。規模がでかいんだよ」
「私のバックには火星人がいるかなら、お前ら覚えとけよ」
「千星ちゃん、火星にお友達いるの?」
 美月は目を輝かせながら聞いた。
「火星生まれ、水星育ちだから」
「すごい、千星ちゃん。宇宙人みたい」
「信じるな美月。千星の言うことを聞いてたら、知性レベルが著しく落ちるぞ」
「おい蒼空、次に私を蔑んだら、役所に行って婚姻届け提出するぞ」
「千星ちゃんがお姉ちゃんになるの?」
 再度、美月は目を輝かせる。
「そうだよ。今日からお姉ちゃんて呼びな」
「勝手に決めるな」
「お姉ちゃん」
「もう一回」
「お姉ちゃん!」
「お前らやめろ」
 こんな下らないやりとりをよくしていた。でも居心地が良かった。千星は学校で冗談を言ったり、笑ったりすることはなかったが、俺や、俺の家族の前ではよくふざけたことを言ったり、笑ったりしていた。自分にだけ見せるような顔もある。それが何より嬉しかった。
 この頃には陽一に託されたからではなく、俺の意思で守りたいと思っていた。
 世界で一番大切な人だから。
 幸せなんて贅沢なものを望まない。平穏な日常があればいい。ただ笑って過ごせる場所を作りたい。
 それが、俺のできる精一杯のことだった。

「高校どこに行くの?」
 一緒に帰っていたときに千星に聞かれた。
「昭栄に行こうかと思ってる」
「偏差値高いよね……」
 昭栄は県内でもトップレベルの高校だった。それを聞いた千星は表情を曇らせていた。
「千星は?」
 気になっていた。千星はこんな感じだが、それなりに成績はいい。だから少しだけ期待していた。
「私も昭栄に行く」
「じゃあこれから毎日勉強しないとな。しょうがないから付き合ってやる」
「べ、別に教えてなんて言ってないもん。私の力で昭栄くらい受かるもん」
「じゃあ一人でいいな」
「嘘です。教えてクレメンス」
 嬉しかった。千星が同じ高校を目指してくれるのが。また一緒に通えることを想像したら思わず表情が綻ぶ。
「何で笑ってるの? あっ! 私と一緒の学校に通えて嬉しいのでござろう。このドスケベ男子」
 なんでスケベなのかは分からなかったが、その予想は当たっていた。
「別に嬉しくはないけど」
 嘘だ。めちゃくちゃ嬉しい。
「本当かなー?」
 そう言って、ニヤニヤしながら俺の顔を覗いてきた。
「まだ受かってないから一緒のところに行けるか分からないだろ? 俺も受かるか分かんないし」
「私は死ぬ気で勉強する。だから一緒の高校に行こう。蒼空と一緒がいい」
「うん」
 俺も千星も必死になって勉強した。結果はお互い合格し、晴れてもう三年間、同じ学校に通うことになった。
 だけど千星は、中学と変わらず友達を作ろうとしなかった。
 最初はそれでもいいと思っていたが、段々と不安が募ってきた。
 高校を卒業したら、別々の道に行くかもしれない。そしたら千星は一人ぼっちになる。
 この三年間で俺以外の友達を作ったほうが、今後の糧になるんじゃないかと思った。
 だが仲の良かった明里から『うざい』と言われたこと、これが今も尾を引いている。だからこそ友達選びは慎重にしないとダメだと思った。
 高校でも学年の中心になれるように努力した。それは中学の時と同様だが、信頼できる人間を探したかった。
 千星が不安なく一緒にいれて、笑って毎日を過ごせるような相手を見つけるために。
 色んな人を見てきて、富田雪乃が一番信頼を置けると思った。
 周りからも聖母と呼ばれるほど優しく、裏表も“あまり”感じなかった。
 だが、どこか取り繕ってるように見えるときがある。それは悪い意味ではなく、周りに合わせて無理しているような感じだった。
 富田とよく話すようになったのは、一年の文化祭のときだ。クラスで演劇をすることになり、富田は脚本を書くことが決まった。
 うちの高校のバスケ部は強豪で、朝練も早くからある。富田の成績は学年トップだったため、きっと部活が終わってから家で勉強をしていると思った。
 最初は変わろうかと思ったが、たぶん富田は断る。
 富田は何でも自分一人で背負い、そのすべてを完璧にこなそうとする性格だった。
 だから富田には言わず、こっそりと脚本を書いた。
 もし必要なければ捨てればいいし、必要だったら協力する形で渡せばいい。シナリオの本を買ったり、動画サイトで演劇部の舞台を見ながら脚本を書いた。
 富田の様子を見ると、寝不足気味だったのが顔に表れていた。
 それを見て昼休みに声をかけた。
 富田は図書室で作業をしていたのだが、頭を小刻みに揺らしている。たぶん眠いんだろうなと思った。
 机の上にはノートが開かれていたが、何も書かれていない綺麗な白が視界に入った。
 自分で書いた脚本は三分のニほどしか出来上がってなかったが、口頭で説明した。
 本当は書いているものを直接見せようと思ったが、一人で背負うタイプの人間なら、プライドを傷つける可能性があるので見せなかった。
 『俺が作った』ではなく『一緒に作った』の方が、富田は受け入れやすいと思ったからだ。
 これをきっかけに、よく話すようになった。
 実際話してみて、富田なら信用できると思った。だから千星のことをよく話し、興味を持ってもらおうと考えた。
 親友とまで行かなくてもいいから、千星に友達を作ってほしい。過去という足枷が外れれば、もっと自由に生きられる。

「蒼空、知ってる? 花山が中学の時にクラスの奴を殴ったこと」
 昼休み、校内にある自販機の前で、同じクラスの金村にそう言われた。
「金村、花山と同じ中学だっけ?」
 小銭を自販機に入れながら聞いた。
「俺は違うけど、三組に相澤っているじゃん? あいつが同じ中学で、そう言ってたらしい」
 緑茶にするか、ボトル缶のコーヒーかで悩む。
「何で殴ったの?」
 ボタンを押し、取り出し口からコーヒーを取る。
「殴った奴に金を貸してたみたいなんだけど、勘違いかなんかでトラブったらしい。結構な怪我を負わせたんだって」
 花山は目つきが鋭く、入学当初からみんなに怖がられていた。理由は分からないが、人を避けるように常に一人でいる。
「最低だよな。まあ、あいつならやりそうだけど」
 金村は隣の自販機でコーラのボタンを押し、そう言った。
 このとき、陽一の顔が頭に浮かんだ。
 陽一も殴ったことがあったが、あれはクラスの女子を三宅から守るためだった。
 殴るという行為を肯定するわけではないが、『なぜ殴ったのか』という理由が大事だ。
 三宅のように気に食わないだけで人を殴ったなら軽蔑する。でも他に理由があるなら、それを聞いてからでないと判断はできない。
「花山にそのこと聞いた?」
「無理、無理。そんなこと聞いたら、殴られるかもしれねーじゃん」
 金村は顔の前で大きく手を振りながら答える。
「知らないなら、あんまり言わない方がいい。尾ひれが付いて、話しが誇張されるかもしれないから」
「わーった」
 不貞腐れたような表情で頭を掻きながら、金村は言った。

 絵具を買うため、千星と画材屋に来た。
 美月が学校に行かなくなってから一ヶ月が過ぎた頃だった。
 母が学校に行かない理由を厳しく問いただしていたので、俺は何も言わないことにした。拠り所となる場所がなければ、孤独を感じてしまうと思ったからだ。
 千星に相談しようと思い誘ったのだが、やっぱり言わないことにした。
 美月は千星のことが好きだったから、もしかしたら知ってほしくない可能性もある。
 画材屋の後に雑貨屋に寄った。
 店の奥に行くと、アルファベットのペンダントが並べられている。
 A〜Zまでが横二列で並べられており、ポップには『好きな人のイニシャルを持ち歩くと、その人と結ばれるかも』と書かれていた。
『Y』というペンダントが目に入り、雪乃のことを思い出す。好きな人がいて、想いを伝えられずにいると相談を受けていた。その相手の名前は春野裕介というらしい。
 こういう迷信じみたものは信じていないが、雪乃も裕介もどちらも『Y』だったため、少しだけ運命的なものを感じてしまった。
「喉乾いたから、何か買ってくるね」
 千星がそう言ったので、ペンダントを見ながら「うん」と答えた。
『Y』のペンダントを手に取って眺めていると、「蒼空も何か飲……」と聞こえてきたので振り返る。
 千星が愕然とした様子でこちらを見ていた。
 なんでそんな顔をしているのか分からなかったが、一通り店内を見たので「俺も喉が渇いたから買いに行く」と言った。
「買ったら、おまじない程度かもしれないけど、叶うかもしれないでしょ?」
 取り繕ったような顔で千星は言ってきた。たぶんペンダントのことだと思う。
 千星の気持ちが気になっていた。たぶんお互いに好きだと思う。でも陽一のことを考えると一歩踏み出せなかった。
 何もできずに守れなかった俺が、親友の好きだった人と結ばれていいものなのかと。葛藤の狭間で揺れながら、今日まで過ごしてきた。
「千星はさ、好きな人いる?」
 迷いながら聞いた。この先どうなるか分からなかったが、本心では進みたいと思っていたから。幼馴染としてではなく恋人として。
「いないよ、恋愛とか興味ないし」
 吹き荒れた嵐ですべての花が散るように、頭の中が真っ白になる。
 両思いだと信じていたものは、自惚れた片思いだった。
「そっか」
「買わなくていいの?」
「俺のは……」
 悟られないように笑顔を作った。せめてこの関係性にひびが入らないように、今までと同じ仲の良い幼馴染でいられるように。
「きっと叶わないから」
 失恋の悲しさを嘘の笑顔で塗りつぶして、俺は店を後にした。

 母に夕食はいらないと伝えたあと、部屋に行き無気力なままベッドに横たわった。
 今日の出来事を早く忘れたくて寝ようとしたが、目を瞑ると鮮明に記憶が蘇ってくる。
――いないよ。恋愛とか興味ないし
 好きな人にそう言われるのは、こんなにも辛いものなのか。ましてや両思いだと思っていたから尚更だ。
 でもこれで良かったのかもしれない。千星が昔みたいに友達を作るようになれば、必ず男友達だってできる。それを温かく見守ってあげたいし、頑張りを褒めてあげたい。嫉妬で千星の足を引っ張るようなことは絶対にしたくないから、友達として側にいる方がいい。
 それに、俺には付き合う資格はない。陽一を守れなかったくせに、千星を好きになること自体が間違っていた。
 そうだ、これでいいんだ。これで……
 葛藤の中を彷徨っていると、千星の顔がよぎる。
 屈託のない笑顔、拗ねて頬をふくらます横顔、照れを隠すための変顔。
 五年間、隣で見てきた思い出たちが、頭の中を星のように流れいていく。
 自分に言い訳していることは分かっている。
 言い聞かせないと自分を保てなくなるから、嘘を並べて本音を隠した。
 本当は千星に好きと伝えたい。ずっと側にいたい。一番の存在でいたい。俺の隣で笑っていてほしい。
 本心を曝け出せば欲望が溢れてくる。それが悪いことだと、どこかで思っていた。親友を守れなかったから。
 ごめん陽一。俺、お前の好きな人を好きになった。ずっと罪悪感を感じていたから、告白することができなかったんだ。
 絶対に悲しませたりしないから、何があっても守るから、だから……許してほしい。千星に好きと伝えることを。
 覚悟を決め、枕もとに置いてあったスマホに手を伸ばそうとすると、千星から着信が入った。
 急に緊張してきたので、一度大きく息を吐いてから電話に出る。
 話の内容は、日曜日に出かけようということだった。
 突拍子もなく電話をかけてくることはよくあることだし、出かけようと言ってくることもある。
 だが今回は自分も誘おうとしていたため、神様が背中を押してくれたのかと思った。
 明後日の日曜日、たとえ叶わないとしても、星に想いを伝える。

 日曜日は晴天に恵まれた。青が広がる世界に白い雲が漂う。
 待ち合わせしていた駅には少し早めに行ったが、すでに千星が来ていた。その姿を見たとき思わず息を呑んだ。
 いつもよりおしゃれをしていて、すごく可愛かったから。
 そのことを伝えようかと思ったが、恥ずかしかったので代わりに冗談を言った。
 最初に行ったのはカフェだった。そこで食事をとった後、コーヒーを頼んだ。
 千星はクリームソーダだった。アイスとクッキーで作られたくまが乗っかっている。
 服装を褒めるタイミングを計っていた。やっぱり可愛いと伝えたい。いつもと違うからには、きっと理由があるだろうし、何より本当に可愛い。
 だけど普段はあまり言わない言葉だったから、少し照れ臭かった。
「可愛いね」
 千星を見ていたら目が合ったので、思わずそう言ってしまった。
「え?」
 時間が止まったように茫然としたあと、千星は急にあたふたし始めた。
 それを見ていたらこちらまで恥ずかしくなり「くま、可愛いね」と小さな声で誤魔化した。
 何故だか分からないが、アイスのくまの脳天にスプーンを入れ、怒っていた。

 水族館でクラゲを見ている千星は子供のようだった。その姿がとても愛おしく感じる。
 今度はちゃんと言おう、そう思い「可愛い」とクラゲを見ながら言った。
 千星はクラゲのことだと思ったみたいだったが、服装のことだと伝えると頬を赤らめて照れ始めた。それがまた可愛かった。
 イワシの群れの方に向かっていくとき、千星は小さな声で「ありがとう」と呟いた。たぶん俺には届いていないと思っているだろうが、ちゃんとお礼は耳に入った。

 街に施されたイルミネーションは、夜の底に幻想的な光を散りばめていた。
 大通りの人波の中を千星と歩いている。木々を伝う青い電飾が幻想的に足元照らす。
 このあと俺は気持ちを伝える。どう言おうかと考えると、鼓動が走り出すようだった。大きく跳ねる心音が周りの喧騒をかき消していく。
 隣で歩く千星は、今何を思っているのだろう。もし「好き」と伝えたら驚くかな? そのときはどんな顔をするだろうか。絡み合う思考が心臓まで締め付ける。
 駅前に着くと、ロータリーの中央にある大きな木が、LEDによってクリスマスツリーになっていた。
 告白するタイミングは何度もあったが、この関係性が壊れるかもしれないと思うと、言葉が喉元から落ちていった。
 でも、ここを逃したらもう言えないような気がしたので、胸臆の言葉を拾い集め、慎重に縫い合わせる。最初で最後の告白になるかもしれないから。
 横断歩道を渡り、駅の出入り口の手前まで来た。
 まだ覚悟が決まっていなかったため焦っていたが、千星が立ち止まってツリーを見始めた。
 運が良いと思った。この隙に心の準備ができる。何度も深呼吸して、鼓動の速度を緩めた。
 ツリーのてっぺんに光輝く星があり『想いが届きますように』と願いを込める。もし叶うなら、すべてを賭けて千星を幸せにする。
「今日は楽しかった。ありがとう」
 千星がこちらに体を向けて言ってきた。
「俺も楽しかった」
 思わず笑みが零れた。本当に楽しかったから。
 千星は大きく息を吸ったあと「あのね、蒼空……」と、目を見てきた。
 だが、そこから言葉が止まった。
 待っていたが千星は俯いたまま何も話さない。なので俺から先に話そうと思った。
「千星、ずっと言おうと思ってたことがある。俺、好きな人がいて……」
「ちょっと待った」
 千星は息を整えながら、自分を落ち着かせようとしている。もしかしたら気づいたのかもしれない。俺が好きなのは千星だと。
 この反応を見る限り、上手くいきそうにないと思った。あたふたしているのは、どう断るかで悩んでいるからかもしれない。
 ごめん、迷惑をかけて。きっと辛い思いをさせてしまうかもしれないけど、それでも言わせてほしい。
「千星、聞いてほしい。俺、好きな人がいて……ずっと言えなかったけど……」
 この先の言葉を伝えたら、もう今までのようにはいられないかもしれない。なら、仲の良い幼馴染のままの方が……
 こんなときに臆病が顔を出す。あの頃となんにも変わってない。大事なときほど勇気は背を向ける。そして立ち止まっている間に、その背中は離れていってしまう。
 振り向かせるためには、自分も前に進まないといけない。それを教えてくれたのは千星だった。
 もし断られても、二人の関係性は変わらい。この五年で積み重ねてきたものは簡単に崩れないはずだ。
 信じよう、これまで歩んできた道を。
 覚悟を決めて言おうとしたとき、空から雪が降ってきた。夜空に舞う白い花は、ゆっくりと二人の間に落ちる。
「雪――」
 俺がそう言ったとき、千星が走り出した。
 理由は分からない。でも追いかけないとと思い、その背中を追った。 
 横断歩道の手前で追いつけそうだったが、視界に二つのものが目に入る。
 一つは空を見上げながら渡る女の子、もう一つは速度を落とさず横断歩道に向かってくる車だ。
「千星」
 危ないと思い叫んだが、一向に止まる気配がない。そしてそのまま横断歩道に入った千星は女の子を抱き寄せた。
 ほとんど無意識だった。自分が何をしているかも分からなかった。
――守らなければ
 その想いだけが足を動かし、俺は千星の背中を押していた。