ため息の数だけ幸せは逃げていく。
 この迷信を信じるなら、美里さんは何度幸せを吐き捨てたのだろう。
 リビングに漂うため息が、この空間を重くしているように感じる。
 頭を抱えながらダイニングテーブルに着く美里さんが、再度幸せを逃がそうとしたので言葉を発してそれを阻止した。
「私が探しに行くから美里さんは家にいて。美月ちゃんが帰って来るかもしれないから」
「ありがとう、千星」
「見つけたら連絡するから。自転車借りてくね」
「宜しく」
 私は玄関に向かい、シューズボックスの上にある自転車の鍵を取って外に出た。
 美里さんが言うには、昼食を部屋まで持っていった際に美月ちゃんと口論になったそうだ。
 学校に行かない理由を聞いたが、一切口を開かないので思わず怒ってしまったらしい。
 夕方頃、部屋に食器を取りに行くと、手のつけられていない昼食が机の上に置いてあり、美月ちゃんの姿はなかった。
 もしかしたら私の家に行っていると思い、自宅の固定電話にかけたらしい。だが来ていないとのことだったので、私のスマホに電話をした。
 というのがここまでの流れだ。
 美月ちゃんのスマホが部屋に置いてあったと美里さんは言っていた。連絡する手段がないため、まずは家周辺を手当たり次第探すことにした。
 コンビニ、スーパー、駅周辺を捜索したが、どこにも姿は見当たらない。
 もしかしたら美術部に顔を出しているかもと思い、【美月ちゃんとはそのあと連絡取った?】と紗奈ちゃんにLINEを送る。
 美月ちゃんが来ていないかを直接聞いた方が早いが、まだ大ごとにしない方がいいと思い、遠回りに確認することにした。
 一分後、通知が鳴ったので開くと、
 【いえ、あれ以来取ってないです】と返ってきたので【そっか、何かあったら連絡してね】と親指を上げたゴリラのスタンプを添えて送り返した。
 すぐに通知が来て【分かりました。私に協力できることがあったら連絡ください】と親指を上げた可愛いネコのスタンプが添えられて返ってきた。
 探し始めてから一時間が経ち、辺りはすっかり暗くなっていた。残すは岬公園だけだ。
 こんなときに枯木青葉が頭をよぎる。自身の書いた本が世間に認められず自ら命を絶った。美月ちゃんは自身で夢を捨て、学校にも行かなくなった……
 したくもない想像が脳内を駆け回る。私は胸中のざわつきを払拭するように、重くなった足を無理やり動かしてペダルを漕いだ。
 十分ほどで着き、駐車場、子供広場とくまなく探したあと、一番奥にある展望広場へ向かった。
 すると柵の手前にあるベンチに、女の子が座っているのが見えた。まだ距離があるため、美月ちゃんかどうかは判断できない。
 もしかしてと思い近づいていくと、その子は立ち上がって柵に手をかけた。
 この公園は高台にあるため、その先を越えると斜面になっており、下には海が広がっている。
 私は咄嗟に「ダメ!」と叫んだ。
 急に大声を出されたからか、女の子は肩をビクッとさせこちらを振り向く。
 月が照らすその顔は、やっとの思いで見つけた美月ちゃんだった。
 私は駆け寄り、力強く美月ちゃんを抱きしめた。「痛いよ」と言う声が聞こえたが、このまま離してしまったらどこか遠くに行ってしまいそうだと思った。
「ダメだよ、死のうとしたら」
 震えた声が出た。憂いと安堵が混ざり合った不安定な声色。白と黒のグラデーションできつく抱きしめる。
「そんなことしないよ。ただ月を見に来ただけ」
「え?」
 腕を解いて美月ちゃんを見ると、怪訝な顔でこちらを見ている。
「飛び降るのかと……」
 美月ちゃんは首を横に振る。
「お兄ちゃんが亡くなったばかりなのに、そんなことできない」
 その言葉で安心の極地までいき、膝から崩れそうになる。今まで探し回っていた疲れがどっと押し寄せてきて、ベンチに腰を下ろした。
「美里さん心配してたよ」
「もしかして、私を探してたの?」
「うん」
「ごめん……」
「帰ったら美里さんにそうとう怒られると思うけど、私も一緒にいるから」
 美月ちゃんは頷いたあと、肩を落として私の隣に座った。落ち込んだ表情を見ていると、夜に捨てられた月を拾ったように思えた。
 早く安心させたいと思い、美里さんに電話をかけた。
 見つけたことを報告すると、力の抜けた様子が声だけで伝わってきた。
「よかった」と何度も口にしている。
「美里さん、少しだけ時間もらってもいい? 二人で話したいことがあるから」
 美月ちゃんがこちらを振り向いた。
――分かった。でもできるだけ早く帰ってきて。
「うん」
 電話を切り、美月ちゃんの方に体を向けると、不安と緊張が見てとれた。
 私が普段は見せない、真剣な顔つきになっているからかもしれない。
「教えて。なんで絵をやめるって言ったのか」
 美月ちゃんは自分の右手に視線を落とした。
「才能がないから。それだけ」
「あんなに上手なのに?」
「自信はあった。月の絵なら誰にも負けない、これだけは絶対に一番になれると思ってた。だからひたすらに月だけを描いてきた。でもね、才能って簡単に人の努力を否定できるの。私が初めて絵を描いてからの数年間、その積み上げてきたものを一瞬で壊されたようだった」
 心当たりがあった。つい最近、その絵を見たから。
「でもこれからじゃない? まだ中学生なんだから」
 美月ちゃんは夜に浮かんでいる満月に視線を移した。
「私にとって絵がすべてだった。それがないと自分に価値なんてないから……」
 憂いた声で、絵をやめた理由を話し始めた。