「巫女舞があると一気にちゃんとした神事感が増すねぇ」
「だね。じゃあ巫女舞は巫寿にお願いするとして、もう一人、あの子にもお願いしたらいいんじゃない?」
あの子?と首を傾げたみんな。すかさず鬼市くんが「鬼子か」と呟き、心の中で「うっ……」と声を上げる。
もちろん鬼子ちゃんが巫女舞を奉納すること自体は悪くない。むしろ鬼市くんと同じ里に暮らす鬼子ちゃんは適任すぎるくらいだ。
ただ私と二人で奉納するということに問題が、いや大問題がある。鬼子ちゃんは私のことを尽く嫌っていて、少し前に喧嘩のような雰囲気になったばかりだ。
二人仲良く並んで演舞できるか、今から不安しかない。
「鬼子は里の神事で何度か演舞しているし、問題なくやれると思う。巫寿、二人で頼めるか」
真剣な目でそう頼まれると頷く事しかできない。
もちろんだよと答えた声が若干上擦って「風邪か?」と心配されてしまった。
「ほな音源も用意しとかなあかんな。鬼子と話し合って、奉納する舞が決まったら教えて。CD用意しとくわ」
「あ、それなんだけど」
もう一度手を挙げて続けようとしたその時、ザッと砂利を踏みしめる音がしてみんなが顔を向ける。
「……お前ら、休講は自由時間じゃないんだぞ。そんなことも分からないのか」
腕を組んで立つ恵衣くんが呆れた顔で私たちを睨んだ。
「音源のことなんだけど、恵衣くんにお願いしたらどうかと思って。恵衣くんは笛が得意だから」
実は皆で祈願祭をしようと言う話になった時から、巫女舞を提案しようと考えていた。音源を用意しなければいけないな、と考えたところで恵衣くんが神話舞の楽人の部で龍笛の奏者に選ばれていたことを思い出して連絡しておいたのだ。
「したら曲は恵衣に任せるか。ほんなら次に────」
早速次の話題に移った皆。どうやら説明は私に任せるということらしい。
苦い顔を浮かべて私に歩み寄ってきた恵衣くんは、隣の空いたベンチに座って息を吐いた。
「……どういう事だ」
「急に呼び付けてごめん。実は皆で祈願祭をしようって話があって、恵衣くんに龍笛を」
「おい、ちょっと待て」
そう割って入ったのは鬼市くんだった。
一瞬不機嫌な視線を向けた恵衣は「何だよ」と顔を逸らす。
「お前、何しれっと巫寿の隣に座ってるんだよ。ずるいぞ」
何の話をしているのかが分からず固まり、その数秒後に理解した瞬間、ボワッと顔の熱が上がる。
ヒュウッと誰かが唇を鳴らしたことで、一気にみんなの瞳が好奇心でギラギラと輝いた。
瞬く間に眉を釣りあげた恵衣くんが「はァ!?」と勢いよく立ち上がった。
「他にもベンチは空いてただろ。慶賀と泰紀の間とか。何でわざわざ巫寿の隣に座るんだよ」
何で鬼市くんは真面目な顔をしてそんなどうでもいいことを……!
そのせいで恵衣くんは耳まで真っ赤にして怒っている。
「ここが偶然空いてたから座ったんだろ!? 普通に考えて、男二人の間にわざわざ座るやつがあるかッ」
「嘉正の隣も空いてんだろ」
顔を向けるとニッコリ爽やかな笑みを浮かべた嘉正くんが、自分の隣の空いているスペースをトントンと叩く。
駄目だ、普段は制止役の嘉正くんまでもが完全に面白がってる。
「別に俺は座る場所なんてどこでもいいんだよッ!」
「へぇ……」
鬼市くんが目を細める。何かを試すような目だ。最後は「まぁいいけど」と呟いて何事も無かったかのように話を再開する。
やりきれない怒りでぶるぶると拳を震わせた恵衣くんは、分かりやすく不機嫌な態度で座り直した。怖い顔で地面を睨みつけているので今は話しかけない方が良さそうだ。
恵衣くんへの説明は後回しにして、話の輪に戻る。
「構成はこれでいいとして、神饌をどうするかだね」
そうだね、と息を吐く。
神事では神様にお供えする食べ物や飲み物、神饌が必須だ。飲み物はお酒か水、食べ物はお米や川魚、野菜などがあるといい。
「前に井戸の神事をした時に、料理酒とチンして食べるパックのご飯でやったよね」
くくくと喉の奥を震わせて来光くんがメガネを押し上げる。
懐かしいなぁと頬を緩めた。
あれは一年生の夏休み。使われなくなった病棟で起きる怪異を解決して欲しいという依頼を受けた薫先生が、実習がてら私たちに任務を手伝わせた時のことだ。
原因が井戸にあると判明し、井戸埋立清祓の神事を行うことになって神事に必要な酒と米を急遽コンビニで揃えた。
薫先生は「こういうのって気持ちだから」と笑っていたっけ。
「小遣い出し合えば、何とかなるだろ」
慶賀くんの提案にみんな頷く。
「あとは場所と日程やな。社務所に神事の企画書と申請出せば、早くて二週間後には本殿使わせてもらえるやろ」
二週間後か、と鬼市くんが難しい顔を浮かべる。
確かに平時なら準備なども含めて二週間後くらいが丁度いいかもしれないけれど、鬼市くんは今日祈願祭を一人で行うつもりだったくらい焦っている。
自分にできることは今すぐにでもやりたい思いなんだろう。
どうにかして早められないかな。
「あ……そういえば鬼市。今週末、里で新嘗祭やる、でしょ」
瓏くんのつぶやきにみんなが顔を合わせる。そして。
「それだ!」
「新嘗祭」
豊作祈願祭。
連日分厚い雲に覆われていた昨日までが嘘のような晴れた夕暮れの空に、八瀬童子の紋の入った提灯が揺れる。もう数時間もすれば、提灯に火が灯るだろう。
「おらおらガキ共! タダでうちの本殿を使わせてもらえるなんて思うなよ、さあ働け!」
「人遣い荒すぎだろ鬼三郎さんッ!」
ガバガバと笑いつつ自分も忙しそうに走って消えていった鬼三郎さんの背中に、慶賀くんがそう叫んだ。
叫ぶ元気があるならこれ運んでください、巫女頭に追加の箱を渡された慶賀くんはグエッと叫んでその場に崩れる。
「おい慶賀、潰れる前にそれ運べよ!」
「潰れる暇あるなら動いてよね!」
無慈悲な泰紀くんたちの怒号にしくしく涙しながら立ち上がった背中には悲愴感が漂う。可哀想ではあるけれど仕事はまだまだあるので、早く立ち上がってくれた方がありがたい。
涙目の慶賀くんと目が合ったので、頑張って!と声をかけて社務所を飛び出した。
絶好のお祭り日和で迎えた八瀬童子の里の新嘗祭。私たちは金曜日から里に泊まり込み、祭りの準備を手伝っていた。
「巫寿、すまん一個持ってくれ」
三つ重ねたダンボールを持って倉庫から現れた鬼市くんに「わっ」と悲鳴をあげる。慌ててひとつ受け取ると、なかなかずっしりしていた。ダンボールの影から鬼市くんの顔が現れた。
「危ないって鬼市くん……! 誰かとぶつかったら大惨事だよ」
「悪い。重さ的には問題なかったから持ち上げたら、不覚にも視界をやられた」
視界をやられたって大袈裟な。
くすくす笑いながら並んで歩き出した。
「悪いな、色々巻き込んで」
申し訳なさそうに眉をひそめ、細めた目で遠くを見つめながら呟く。
「手伝うって言ったのは私達だし、謝らないでよ」
「そっか、ありがとな。瓏にも感謝伝えないと」
「だね。一番の功労者だし」
祈願祭をしようという話になって場所に困っていた私達は、瓏くんが八瀬童子の新嘗祭が近日中に行われることを思い出してくれたおかげでとてもスムーズに準備が進んだ。
新嘗祭ではもちろん祝詞奏上が行われるのでお供えも神具も用意される。その後に続けて私たちの祈願祭を行うことで、場所や日程の問題だけでなくお供えや神具まで揃ったという訳だ。
八瀬童子属の現当主で宮司である鬼三郎さんに相談したところ、前日から祭りの運営を手伝うことを条件に了承を得ることが出来た。
そういう訳で私たちは今、社を借りるために容赦なくこき使われているという訳だ。
「ああ、そうだ巫寿。祭りが始まったら交代で社頭を巡回するくらいしか仕事がないだろ。手が空いてからでいいから、ちょっと付き合ってくれないか」
「鬼三郎さんに何か仕事でも頼まれたの?」
「いや、付き合って欲しい場所がある」
場所?
療養所だろうか。前回訪ねてからそんなに時間は空いていないけれど、もしかしたら容態が悪くなった患者さんがいるのかもしれない。
分かった、と頷くと鬼市くんはどこか嬉しそうに頬を緩めて目を細めた。
「おい、巫寿」
鬼市くんと雑談を続けていると後ろから名前を呼ばれた。振り向くと横笛を手にした恵衣くんが相変わらずの険しい顔で私を見ている。
「恵衣くん。どうしたの?」
「巫女頭が、神楽殿が空いたからリハーサルしたいなら使っていいって。俺は今から笛の練習するけど」
「ほんと? じゃあ私も練習したい。これ置いたら向かうね」
ひとつ頷いた恵衣くんはちらりと鬼市くんに視線を送る。
「鬼のくせにそんな物も一人で持てないのか」
「幽世では最近そういうのを妖ハラスメントって呼んでるぞ」
ち、と舌打ちした恵衣くんは顔をゆがめて視線を逸らす。眉間に彫刻張りの深いしわを刻んで大股で歩いていった。
見えなくなった背中に、鬼市くんが呆れたように溜息をこぼす。なんかごめん、と肩をすくめると小さく首を振った。
「自分の気持ちにも気づかずに焦って奪うことに必死なやつは俺の敵じゃない」
「えっと……なぞなぞ?」
「まぁそんな感じ」
不思議な言い方をする鬼市くんにふぅんと相槌を打つ。
でも俺の敵じゃないってことは、いずれは仲良くできるってことだろうか?
荷物を運び終えた後、練習のために少しの間抜けることをみんなに伝えて回って神楽殿へやってきた。
入口の引き戸の傍にある下駄箱には雪駄がふたつ並んでいる。恵衣くんだけかと思っていたけれど、どうやらもう一人いるらしい。
よく確認すると私と同じかかとに神修の校章がはいっている指定の雪駄と、鞍馬の神修のもので、中にいる人物を思い浮かべて心は一気に曇り空、どんよりと重くなる。
ため息を何とか飲み込んで一礼し中へ足を踏み入れる。
「あっ、巫寿ちゃんや!」
「巫寿ちゃ〜ん!」
賑やかな声がしたかと思うと、どたどた遠くから走ってきた子供たちによってあっという間に囲まれる。八瀬童子の里に通うようになって仲良くなった庇翼院の子供たちだ。
思い返せば靴箱の下段には小さな下駄がいくつかあった。
「みんなこんばんは。どうして神楽殿に?」
「違うで巫寿ちゃん! いい月夜ですね!」
「そうや! いい月夜ですね、やで!」
そうだった、と肩をすくめる。幽世での挨拶は「こんばんは」ではなく「いい月夜ですね」が好まれる。
いい月夜ですね、と言い直しもう一度尋ねると子供たちは興奮気味に振り向いて指をさす。
視線を向けるとこちらに背を向けて悠久の舞を練習する鬼子ちゃんの姿がある。