言祝ぎの子 陸 ー国立神役修詞高等学校ー


養子になったからと言って、あくまで分家から引き抜かれた子供という立場のお父さんは、名目上お母さんの兄になったけれど実質はお母さんの付き人のような立ち位置だったらしい。

そんな生活にも文句ひとつ言わず、倭舞の稽古とお母さんのお世話に勤しんだお父さん。しかし数年後、お母さんの弟である和来おじさんが生まれたことでお父さんは椎名家にとって厄介な存在になってしまった。

これまでも良い待遇ではなかったけれど、それを機に拍車がかかった。流石のお父さんもこれには堪えたらしい。そんな時にそっと寄り添ったのがお母さんだった。

そうして苦しい時期を手を取りあって乗り越えた年頃の二人。恋心が芽生えるのは自然なことだったんだろう。二人は誰にも言わずにひっそりと愛を育んだ。


そこからは両親が結婚するまでの話は、以前禄輪さんに教えて貰った通りだった。


「……だから半分正解で半分間違いってわけ」


一通り話し終えたお兄ちゃんは深い息を吐いた。

あの時、禄輪さんがなぜ両親は結婚を反対されていたのか教えてくれなかった理由がやっと分かった。


「分家って言っても、是枝家はもうほとんど血の繋がりはないような家だよ……って言ってもやっぱショックだよな」


苦笑いをうかべたお兄ちゃんに小さく首を振った。


「確かにビックリしたけど……ショックだとかは思わないよ」


それは間違いなく本音だった。

確かに兄妹と聞いて凄く驚いたけれど、お父さんとお母さんが結ばれてなかったら私は今ここにはいない。

私にとってはお父さんとお母さん、それ以上でも以下でもない。




不安げな顔のお兄ちゃんに微笑む。


「私を愛してくれたのは、守ってくれたのは、お父さんとお母さんだから。過去に何があろうと、私は二人が大好きだよ」


目を瞠ったお兄ちゃん。瞳に水の膜が張る。赤い鼻をスンと鳴らして少し照れ臭そうに首を摩った。


「俺もだよ。大切な家族、ただそれだけだ」

「うん。ただそれだけ、だね」


顔を見合せた私たちはどちらからともなくくすくす笑った。


「お父さん達や椎名家との確執はよく分かったんだけど、お兄ちゃんの気持ちはどうなの? うずめの社ってかなり大きい社だし……」

「今更擦り寄ってくるジジィ共の相手なんてしないよ。金にも困ってないし、そもそも俺はこの界隈にどっぷり浸かるつもりはないからね。これまでと変わらず神職の任務は暇な時に貯金用の金を稼ぐための副業、本職の企業務めを続けるよ」


そんな名目で神職の任務を引き受けているなんて、きっとお兄ちゃんくらいだろう。

もうちょっとで三千万貯まりそうなんだよなぁ、とこぼしたお兄ちゃんに思わずゴボッとむせた。

単純計算すればお兄ちゃんは副業で月五十万は稼いでそっくりそのまま貯金していることになる。実力がある神職ならフリーの方が稼げるという話を聞いたことがあるけれど、まさかそれほどまでだったとは。

これで副業なのがまた恐ろしい。


「お兄ちゃんって貯金とかちゃんとしてたんだね」

「当たり前だろ。巫寿がおばあちゃんになるまで養うつもりなんだから」


そんなん当たり前だろ、とまるで私が間違っているかのような顔で言い切ったお兄ちゃんに思わず天を仰いだ。





祓詞(はらいことば)

清め祓い。





次の日の夜、目が覚めると見慣れない天井で八瀬童子の里にいることを思い出した。

そっか、私昨日から鬼市くんの実家に泊まってたんだっけ。

むくりと起きて枕元のスマホに手を伸ばす。時刻は20時、私たちの時間で言う朝だ。里のあやかし達はそろそろ活動を始めている頃だろう。

トークルームにメッセージが届いている。それに目を通しながら立ち上がった。

メッセージに書かれていた通りの道順に従って廊下を歩くと大広間に辿り着く。中からみんなの話し声が聞こえてそっと襖を開けた。


「お、巫寿が起きてきたぞ」

「おはよ、巫寿ちゃん。昨日は大変だったね」

「こっち座れよ」


食事の並んだテーブルを囲う皆に招かれて挨拶を返しながら席に着く。


「あれ、お兄さんは?」


昨日挨拶をしたからかお兄ちゃんの姿が見えないことを不思議に思ったらしい。

私が答えるよりも先に鬼市くんが口を開いた。


「祝寿お兄さまは朝方お戻りになった。今日は任務が入っているらしい。巫寿の事はお前に頼んだ、と任された」

「ふーん、そうなのか……って"お兄さま"?」


怪訝な顔をしたみんなに、「気にしないで」と小さく息を吐いた。

ていうかお兄ちゃん、お前に頼んだって何?




いただきます、と手を合わせて厚焼き玉子に箸を伸ばす。


「皆は今日どうするの?」

「帰るまで時間があるから、昨日気になったところを色々見て回るつもりだよ」


なるほど、昨日私が不在の間に皆は里の中を見て回ったらしい。


「巫寿は今日見て回るといい」

「わ、いいの? 嬉しい」

「俺はお頭に呼ばれてるから案内できないんだが、鬼子に頼んであるから」

「鬼子ちゃん……」


楽しみは一気に不安に塗り変わる。

どうかしたか?と尋ねられ力なく首を振る。


不安だけれどいい機会かもしれない。いつも喋りかける前に立ち去ってしまうから、今日こそちゃんと鬼子ちゃんと話すんだ。





「遅い。他にやることがある私がわざわざあなたのために時間を使っているんです。申し訳ないと思わないんですか」


待ち合わせ場所である社の鳥居の下。

約束の五分前に到着すると既に待っていた鬼子ちゃんに切れ長の目でじろりと睨まれた。


「でもまだ五分前────」

「喋ってないで足を動かしてください」


ダメだこりゃ、完敗だ。口を挟もうとすれば遮られ、私の話には一切耳を傾けてくれない。まずは口を聞いてくれる程度に打ち解けないと。

スタスタ先を歩く鬼子ちゃんの背中を慌てて追いかけた。


私のことは嫌いでも、鬼市くんから任された仕事はきっちりこなすつもりらしい。無駄話は一切しないものの本殿や神楽殿、里の共用施設などを丁寧に説明してくれて、私の質問に対しても分かりやすく簡潔に答えてくれた。

幽世に住む妖は、基本同族とひとつの里を築きひとつの社の宮司が長となり里を収める。今は鬼市くんの父方の伯父が八瀬童子の宮司であり頭領だ。次の宮司はまだ神託が降りていないので、鬼市くんと鬼子ちゃんそして初等部に通う男の子が宮司候補として神修に通っているらしい。


「ここが庇角院(ひかくいん)です」


ぐるりと里を一周して、最後に社の裏手にあった大きな一軒屋に案内された。


「庇角院?」


鬼子ちゃんは門の隙間から手を入れてかんぬきを開けると迷うことなく中へ足を踏み入れた。




玄関には向かわずそのまま庭へ回った鬼子ちゃんについて行くと、賑やかな声が聞こえてきた。

角を曲がるとたくさんの子供たちが庭で遊んでいる姿がある。子供達のひとりが私たちの姿に気が付き「アッ」と声を上げた。


「鬼子ちゃんやーッ!」


嬉しそうに目を輝かせたその子は一目散にすっ飛んでくるとそのまま鬼子ちゃんに飛び付いた。よろめくことなく受け止めた鬼子ちゃんは見たことも無いような満面の笑みでその子供を抱き上げる。


「ただいま」

「おかえりー! もう冬休み始まったん!?」

「もう、昨日も言ったでしょ? 宮司に呼ばれて帰ってきてるだけだって」

「そうやっけー!」


鬼子ちゃん鬼子ちゃん、とあっという間に彼女の周りは子供たちで囲まれる。

冷たい態度しか取られたことのない私としては、笑顔で愛想よくお喋りしている鬼子ちゃんが信じられない。


「なんですかその顔」


呆然としていると睨まれた。慌てて首を振る。


「賑やかやと思ったら鬼子か」


そんな声とともに縁側に現れたのは七十くらいのおじいさんだ。

鬼子ちゃんは嬉しそうに目尻を下げて頭を下げる。


文鬼(ぶんき)先生、お客さまです」

「なんや、また昨日のやつらか?」


文鬼先生と呼ばれたその人は私と目を合わせる。目が合うと目尻の皺を深くして微笑んだ。慌てて「初めまして」と頭を下げる。


「上がってもらい。冷蔵庫にプリンあるし、それも出したらええわ」

「いえ。そんな気遣いは無用です」


そう答えたのは私ではなく鬼子ちゃんだ。ふん、と鼻を鳴らしそそくさ縁側から中へ入っていった鬼子ちゃん。

それって本来、私が言うべき台詞なのでは……?

首をひねりながらその背中に続いた。





「初めまして。庇角院で子供らの保護者代わりをしとる、文鬼ていいます」

「初めまして。椎名巫寿です。高校二年生です」

「高校二年生ゆうと、鬼市と同い年か」

「はい。鬼市くんとはお友達です」


そうかそうか、と嬉しそうに何度も頷いた文鬼先生。

文鬼先生〜ッと子供達が背中に飛びついてくるのを動じることなく受け止める。いつの間にか私の膝の上も満員だ。


「あの、文鬼先生。この子たちは……? それにここって……」

「ここは親のおらん子供らが暮らしてる、まぁいわゆる孤児院ってやつやな」


孤児院、と繰り返し、膝の上に座る子供達を見下ろす。子供たちはどしたん?と純粋無垢な瞳で私を見つめ返し、ニカっと笑って見せた。


「先生なんて呼ばれとるけど、わしはただの隠居ジジイや。趣味で子供らの面倒見ながら、勉強教えとる」


なるほど、だから先生って呼ばれてるのか。


「ご自分のことそんなふうに言わないでください。文鬼先生は文鬼先生です」


そんな声とともにお茶を用意しに外していた鬼子ちゃんが戻ってきた。

カシャン、と私の前にプリンと紅茶を置いた。貴重なプリンなんだから百回は噛んで味わいなさいよ、と私を睨む。

プリンって噛んで食べるものだったっけ。



「鬼子ちゃん今日は泊まってく〜?」

「うち鬼子ちゃんのお隣で寝たい!」


腰を下ろすとあっという間にまた子供たちに囲まれた鬼子ちゃん。普段からすごく慕われていることがよく分かる。


「鬼子も神修に入る前まではここの子供やったんや」


え、と目を見開いた。

鬼子ちゃんもここの子供って、つまり鬼子ちゃんの両親は。

私の顔を見て面倒くさそうに息を吐いた鬼子ちゃんは渋々口を開く。


「別に珍しいことでもないでしょう。私の親は空亡戦で亡くなりました。ここにいる子供たちの殆どが、不毛な戦で親を失っているんです」


空亡戦、という言葉に目を伏せる。

妖の中にも私のように先の戦で親を失った子供がいるんだ。

どうしたの?と丸い瞳が私の顔を不安げに覗き込む。ふっくらした頬をそっと撫でる。

この子もまだ五歳くらいだろうか。こんなに幼くして両親を亡くすなんて。

あれ、五歳……?


「先の戦は十数年前ですよね? この子達の両親が戦で亡くなったって言うのは……」

「妖の世界では領地争いや権力争いでしょっちゅう種族、一族間の争いが起きるんや。この里も三年前に天狗の一族の襲撃にあった。そん時にな」


だから鬼子ちゃんは不毛な戦と言ったのか。

妖は血の気が多い生き物だから昔から絶えず争いあってきた、と授業では習ったけれどその争いの傷跡を間近に触れて言葉が出てこない。