言祝ぎの子 陸 ー国立神役修詞高等学校ー


行ってしまった先生の背中を呆然と見つめる。

私の聞き間違いじゃなければ、「ご両親の実家は京都」って言った? つまり京都に私の祖父母が京都に住んでいるということ……?

生まれてこの方親戚と呼ばれる類の人に誰一人として会ったことがない。だから自分の家はそういったものと縁遠い家なんだと思って、幼いながらにお兄ちゃんに親戚の話を振るのを遠慮していた。

もちろん祖父母の話なんて一度もしたことがない。だからどこに住んでいるのか、そもそも存命なのかすら知らなかった。


もし飛扇先生の言葉が正しいのなら────私のおじいちゃんとおばあちゃんが近くに住んでいる。








一学期に鞍馬の神修の皆が私たちの神修へ来た時、部活動に入っている学生は一緒に稽古したり練習試合を設けて交流を深めた。

今回も同じように鞍馬の神修の各部活動は、練習に私達を受け入れてくれることになっている。私や聖仁さん、盛福ちゃんは鞍馬の神修の神楽部に参加することになった。

神楽部に参加するということはつまり。


「何であなたがいるんですか」


入るなり、というか半歩入った瞬間私の前に立ち塞がったのは長い黒髪が綺麗な切れ長の目の美人な女の子。


「お、お久しぶりです……鬼子(きこ)ちゃん」


あまりの迫力に思わず敬語になる。

中等部三年の鬼子ちゃんは鬼市くんと同じ八瀬童子一族の鬼の妖だ。


「まさかあなた、鬼市さんを誑かすためにここまで来たんですか?」

「ち、違うよ! 異文化理解学習だから!」

「どうだか」


はん、と鼻を鳴らした鬼子ちゃんは鋭い眼光を私に向けると黒髪を靡かせて友達の所へ歩いていった。

胸に手を当てて「はぁー」とひとつ深い息を吐く。

初めて会った一学期から、鬼子ちゃんは私を目の敵にしている。


「相変わらずキョーレツだな、あの鬼っ娘」


はぇー、と目を丸くした瑞祥さんが私の隣に並ぶ。


「婚約者を横取りされたんだから、そりゃ目の敵にするよねぇ」


盛福ちゃんがその隣に並んでそう続けたので目を剥いて反論する。




「とってないよ……! 完全に勘違いだから!」

「分かってるよぅ。巫寿ちゃん可愛いもんね、鬼子ちゃんの婚約者くんが勝手に巫寿ちゃんに惚れたんでしょ?」


間違ってはいないけれどそうだとも言い難い内容に顔を赤くして俯く。

聞いた話では鬼市くんと鬼子ちゃんは少し前まで婚約関係だったらしい。妖一族は早い段階から婚約者がいることが当たり前なのだとか。二人の場合は、親同士が酒の席で冗談交じりに交わした口約束程度のものだった。

事態が変わったのは去年の冬頃、鬼市くんが突然「お前と結婚はできない」と申し出たらしい。理由は「好きな子ができたから」。

それが、なんと────私らしい。

そして鬼市くんに婚約破棄されたのは私が理由だと思った鬼子ちゃん。実際のところは今年の春に赤狐(せきこ)族から鬼子ちゃんに婚約の申し入れがあって、それが婚約破棄の大部分を閉めている理由らしいけれど。


初対面の場で「貧相なちんちくりん」と言われた衝撃は今でも忘れられない。

『鬼市さんはあなたには相応しくありません。あなたが鬼市さんの婚約者だなんて笑止千万。身の程をわきまえてください』

そしてなぜか鬼子ちゃんのなかで婚約者に位置づけられた私は、それ以降突き刺さるような視線を浴び続ける日々が続いた。

一学期中は色々あって誤解を解くチャンスがなかったけれど、二学期こそは鬼子ちゃんの誤解を何としても解きたい。


「ああ、あともうひとつ」


鬼子ちゃんが遠くからこちらを睨んだ。



「ここは妖たちの領域です。くれぐれもでしゃばないように。"椎名さん"」


私の苗字が呼ばれたことで賑やかだった稽古場が水を打ったように静まり返った。愕然としたみんなの視線が痛い。

思い返せば、一学期も鬼子ちゃんに苗字を呼ばれた瞬間皆は衝撃を受けたような顔をしていた。

ぎこちなく動き始めた皆。私は瑞祥さんにすすすと歩み寄る。


「あの、瑞祥さん?」

「どうした? 巫寿」


下の名前を呼んだ瑞祥さん。その事にちょっと安心する。


「苗字で名前を呼ぶことって、何か特別な意味があるんですか?」


瑞祥さんは「あー……」と苦い笑いを浮かべて頬をかいた。


「この界隈じゃ、とにかく他人を下の名前で呼ぶことが大事なんだよ。名前を呼ぶことで相手を言祝ぎを高める手伝いもできるからな。だから苗字で名前を呼ぶって言うのは、マナー違反なんだ」

「えっと、つまり?」

「あー……だからマナー違反をしてでも名前を呼びたくない相手、遠回しに"お前のことが大嫌いだ、お前が呪われようと知ったことか"って言ってんだよ」


絶句した。嫌われていることは伝わっていたけれど、まさかそこまで徹底的に嫌われていたなんて。


"お前のことが大嫌いだ、お前が呪われようと知ったことか。"────か。


和解への道のりは遠いどころか、視野にすら入らない果てしない先にあるようだ。






例祭(れいさい)

社で執り行われる重要な祭り。






「うちの里に来ないか?」


異文化理解学習の一週目が無事終わり、待ちに待った土曜日。広間に集まって皆でゲームをしたりゴロゴロして過ごしていると、唐突に鬼市くんがそう言った。


「うちの里って、八瀬童子の?」

「ああ。お前らが京都に来ていることを話したら、お頭が遊びに連れて来いって」


スマホを軽く掲げた鬼市くん。

ていうか今どきの妖はスマホで連絡を取り合うんだ。


「ええやん。俺も久しぶりに顔出したいと思てたし」


寝転がっていた信乃くんが体を起こして早速賛同する。

もちろん私達も断る理由なんてないのだけれど、時計を見上げて首を捻る。


「今からだと門限に間に合わなくない?」


来光くんの指摘に私たちはうんうんと頷いた。

今はちょうど夜中の三時、門限は朝の七時だからあと四時間程度しかない。長期休暇以外の外泊は基本認められていない。


「ああ、だから里に一泊すればいい」

「え、鞍馬の神修って外泊していいの?」

「休日なら問題ない。ここに居るやつらは次期頭領が殆どだから、休みの日は里に帰って家の手伝いをしたり頭領について回って勉強してる奴がほとんどだ」


なるほど、通りで鞍馬の神修の学生の姿をあんまり見かけないわけだ。みんな実家に帰省していたんだ。




「ほな、荷物まとめて三十分後にまたここに集合やな」

「ああ、そうしてくれ」


手を打った信乃くんに皆はわくわくした表情で立ち上がる。

これまでたくさんの妖と関わってきたけれど、妖が住む里を訪ねるのは初めてだ。

八瀬童子、鬼の里。鬼市くんの故郷。

一体どんな場所なのだろう。




三十分後、再び広間に集まった私たちに鬼市くんは「はいこれ」と迎門(げいもん)の面を渡した。

迎門の面は現世と幽世を結ぶ鬼脈(きみゃく)に入るための通行手形で、切符の役割を持っている。

受け取りながら私だけが首を捻った。


「迎門の面?」

「学校が用意してくれてる面だから気にせず使っていい」


私が迎門の面の金額を気にしていると思ったのだろうか、鬼市くんがすかさずそう言う。

確かに迎門の面は一枚三万とかなり高額だけれど、私が気になるのはそこじゃない。


「あ、そうじゃなくて。八瀬童子の里ってそんなに遠いの?」

「いや、歩いて30分くらいだな」

「じゃあどうして迎門の面が必要なの?」


私の純粋な疑問に対して、みんなは目を瞬かせたあと小さくプッと吹き出した。


「そら妖の里なんやから、こっちにはないやろ」

「こっち? ────あっ!」


なるほど、そういう事か。妖の里、つまり八瀬童子の里は幽世にあるんだ。
だったら迎門の面が必要なのも納得がいく。


「幽世行くの久しぶりだなぁ」

「僕も中等部の時の社会科見学以来かも」


どうやら私以外の皆は幽世に行ったことがあるらしい。それもそうか。

鬼脈には何度か入った事があるけれど、その先である幽世へは初めて赴く。期待と緊張でドキドキと胸が騒いだ。


「幽世ってどういう場所なの?」


幽世へ向かうためにはまず鬼門(きもん)をくぐって鬼脈に入る。鬼門は基本的には正面にある鳥居と正反対の位置に立っている。

寮の外に出た私たちは鬼門を目指して歩き出した。



「時代遅れ、時代錯誤」
「不便、古臭い」
「いいところ、だよ」


三者三様の回答だ。いい回答をしたのが瓏くんしかいないのが若干気になる。


「まぁ仕方ないよ、妖って長寿だし。うちのおばあちゃんも新しい物にはアレルギーがあるから、未だに固定電話が黒電話だし」


肩を竦めた嘉正くんに「わかるわかる」と頷く。

実家のご近所さんである玉じぃも新しい物が嫌いで、消耗品であっても昔から使っているメーカーのものしか購入しない。洗面所で粉の歯磨き粉を見つけた時は衝撃を受けたっけ。

妖の命は人間よりもはるかに長い。この瓏くんですら確か江戸時代生まれだ。幽世が全体的に古臭くなってしまうのも無理はない。

逆に同い年である現代っ子の鬼市くんや信乃くんはそれが我慢ならないみたいだけれど。


「あ、鬼脈で買いもんしてええか?」

「だったら僕もお札用の紙買い足したい」

「俺腹減った~」

「じゃあ買いもんした後、適当に茶屋でもはいるか」


賛成!と皆の声が揃い、そして私達は鬼門を潜り抜けた。