雪葉の妊娠が発覚してから時を置かず、颯の国浪州から麗花が雪葉に会いたがっているとの知らせが来た。手紙の内容に雪葉は眉を顰める。
「麗花さんが私に会いたがるということはないと思います。姉妹中はその……お世辞にもよかったとは言えませんでしたから」
 そもそも姉妹などではなかった。雪葉は実家において使用人に過ぎなかったのだから。雪葉の反応に鳳炎はうなずく。
「俺も断ろうと思っていたところだ。勝手に返事をする前に一応雪葉にも確認しておこうと思ったのだが、意思を確認できてよかった。予定通り断りの手紙を書く」
「ありがとうございます」
「それにしても、今まで手紙のひとつもよこしたことがなかったというのに、雪葉の懐妊を知ったからか、いったいどういう心境の変化だ」
「わかりません、私には麗花さんが何を思っているのか……」
「紫苑、来るなと書いておけ」
 鳳炎はすぐに紫苑に断りの返事を任せた。
「それはあまりにも鳳炎様らしすぎる手紙になってしまいます。この場合はあまり角のたないように書いておきますよ」
「来るなと率直に書けばいいだろう」
「そういうわけにも参りませんよ。ただでなくとも先王のおかげで火龍王は評判がよくないのですから。あなたの代で少しでも印象を良くしないと、それに、雪葉様のご実家への手紙ですからね、ないがしろにするわけにはいきません」
「雪葉を虐げていたのにか」
「感情的になってはいけません鳳炎様、もとよりあなたは理性的な方であったのに。雪葉様のおかげでずいぶんと人間らしくなりましたね。まあ、これは良い変化ですから咎めることではありませんが」
 紫苑はそう言って目じりを下げた。
「あなたの母上は鳳炎様が先王様のように非情な王にならないか心配しておられました。雪葉様のおかげでそういう心配はなさそうです、私は安心いたしました」
「唐突にそんなことを言い出すなんて、どうした」
「いえ、可愛い甥の成長を喜んでいるのです」
「やめろ、おまえにどうこう言われるような年齢ではない」
「そうおっしゃられましても、私にとってはいつまでも可愛い甥ですから」
 紫苑の言葉に鳳炎はとても嫌そうな顔をした。その表情に雪葉は思わずくすくすと笑みを漏らす。
「なぜ笑う」
「鳳炎様が可愛らしかったものですから」
「おまえにまで可愛いといわれるとは……あまり、いや少しも嬉しくないな」
 そう言って再び眉を顰めるので、雪葉は紫苑を顔を見合わせてくすくすと笑い合った。

 だが、それからしばらくして、唐突に麗花が煌国の王城を訪れた。
「紫苑、断りの手紙を送らなかったのか」
「送りましたよ。だからすぐにはいらっしゃらなかったしょう? それに、今回は観光でこの国を訪れられたようです。この国には紅葉の名所がありますから。これから山を越えるのに吹雪が治まるまで泊めてほしいと言っているようです」
 紫苑の言葉に鳳炎は苦い顔をした。
「仕方がない、離れの一室に泊めてやれ。雪葉、おまえには会わせないようにするから安心しろ」
「お心遣いありがとうございます。ですが、私は大丈夫です。鳳炎様が一緒にいてくださるなら、麗花と会ったとしても辛い気持ちにはならないと思います」
「雪葉……。子那、雪葉をひとりにするなよ」
「もちろんです!」
「対応は紫苑に任せる」
「わかりました。雪葉様にお会いしたいと言われたときは、王妃様は体調が優れないとでも言っておきましょうか」
 紫苑は一礼すると部屋を出ていく。入れ替わりに狼芭が入ってきた。
「鳳炎様、麗花さんがお会いしたいそうです」
「雪葉と会わせるわけにはいかない」
「違いますよ、鳳炎様にお会いしたいそうです」
「隣国の小娘が一国の王に気軽に会えるとでも思っているのか」
「思っておられるようです。姉の夫ならば自分とは家族だと思っておられるようで」
 鳳炎は大きなため息を吐いた。
「その娘のことは紫苑に任せてある。そもそも、おまえでは何とかならなかったのか」
「なんとかならなかったから来てるんですよ。麗花さん、けっこう押しが強いんです、雪葉様の妹気味とは思えませんね。姉の夫に会うのは当然の権利だと申しております」
「おまえの見解は」
「まあ、王妃様への仕打ちを考えると当然の権利ではありませんね」
「なんとかしろ」
「え、めんど……いえ、無理です。無理でした。紫苑殿ひとりでは難しいかもしれませんよ、たぶん鳳炎様にお会いしない限り仮に吹雪がやんでも帰らないと思います」
「……仕方ない、五分だけだ」
「おや、五分も割いてくださるんですか。それは助かります」
「雪葉、すぐにもどる」
「鳳炎様、すみません。ありがとうございます」
「何度も言うが、あの家族のことをおまえが謝ることはない」
 鳳炎を送り出したあと、雪葉は大きな不安に襲われた。麗花は鳳炎とどんな話をするつもりだろうか。
「おそらく、無心だと思います」
 雪葉の思考を読んだように狼芭が口を開く。
「無心……ですか? ですが、私の実家のある浪州は作物が良く育ちますので、一帯を治める父の収入は少なくなかったと思います。今年は不作だったのでしょうか……」
「違いますよ、ご存じありませんか? 颯の国では五色の瞳を持つ子供が生まれたら国に申請を出さなければいけないのです。これは王族だけが知る情報ですが、色のついた瞳の子供は龍の片翼である可能性が高いのですよ、だから王室は五色の瞳の子供を管理したいのです。ですが雪葉様のご実家は、雪葉様の瞳のことを申告なさっていなかったようですね。この度雪葉様がめでたく鳳炎様のお妃となられたことで何かしらの懲罰があった可能が高いです。そんな内容の手紙が何度か届いていたような気がしますが、鳳炎様が破り捨てておりました」
「そうでしたか……」
「雪葉様のせいではございませんよ。隠していた方が悪いのですし、そもそも颯の国は浪州をきちんとした管理下に置きたいと思っていたのだと思います。あそこは颯と煌の境に位置していて、颯の国の統治がしっかり行き届いていない場所なんですよ。だからこそ色々やりようがあるようで、雪葉様のご実家が裕福な理由はそのあたりにあるのだと思います。雪葉様の瞳のことがなくとも、いずれはなにかしらの懲罰があったと思います」
 さすが、狼芭は颯の国の王子だけあって、国の内情に詳しかった。
「もしくは……いえ、さすがに、これは考えすぎかな」
「なんですか?」
「いえ、気を悪くされないでください。もしかしたら麗花さんは自分もこの国に来るつもりなのではないかと思いまして」
「麗花さ……妹がですか?」
「はい、僕に対してもずいぶんと自分を売り込んでおりましたので、鳳炎様に取り入るつもりなのではないでしょうか。まぁ無駄な努力ですねぇ」
「麗華花さんがそんなことを……」
 麗花の美しい黒い瞳を見て、鳳炎様は心を動かされてしまうかもしれない。いや、そんなことはあるはずがない。わかっていても不安になる。雪葉の中にある得体の知れない不安の正体がわからないからこそ余計に不安になるのだ。
「ああ、すみません、そんな顔をなさらないでください。鳳炎様が王妃様以外に心を動かされることはございませんから」
「そう、ですよね……」
 気まずい沈黙とともに、雪葉のなかにもやもやとした感情が広がる。ほどなくして、鳳炎は苦い顔をして戻ってきた。
「ずいぶんとひどい顔ですね」
 そう言って笑う狼芭を鳳炎はギロリと睨む。
「あ、あの麗花さん、い、妹はなんと……」
「今更になって雪葉の結納金の増額だ。それから、自分の嫁入り先を考えてほしいという話だった。雪葉のせいで結婚のあてがなくなったと言っていたが……戯言を」
「すみません……ですが、麗花さんの言うことは本当だと思います。颯の国では赤い瞳は呪われた瞳だとされていましたから、私のことが周りに知れて、麗花さんは困っているのだと思います。颯の国での結婚は難しい状況なのかも知れません、それで煌の国で伴侶探しをしたいのだと思います」
「それはありえません。颯の国で赤い瞳が呪われているなどという話は聞いたことがありません。恐らく、王妃様をていよく家に閉じ込めておくための方便だったのでしょう。それにしても、自分の結婚先を工面しろとは……ご両親も甲斐性がないことだ」
「父親は父親でこれまで雪葉を隠していたことへの対応に忙しいのだろう」
 鳳炎は苦い顔をする。
「おまえが実家でどのような扱いを受けてきたのかなんとなくわかった。あの妹は、ずいぶんとおまえのことを下げずんでいるのだな。両親にしても同じようなものだろう、不快だった」
「すみません、不快な思いをさせてすみません……」
「おまえが謝るな」
「とにかく、金を工面する気はない。自分たちの尻拭いくらい自分たちでしてほしいものだ。嫁ぎ先を手配してやる必要もない」
「麗花さんは納得していましたか?」
 雪葉が尋ねると、鳳炎は首を傾げた。
「それが、意外なほどにあっさりと引き下がったのだ。まるで、初めから断られるのが分かっているような口ぶりだった。面白くなさそうにはしていたがな」
「悔しそうな顔をされていましたから、王妃様が鳳炎様に愛されているのが気に入らない様子でしたよ」
 遅れて戻ってきた紫苑は苦笑いをしていた。
「王妃様よりも自分の方がまさっているのにとしきりにつぶやいておられました」
「戯言を」
「ええ、本当に。麗花さんのことは吹雪が止み次第護衛をつけて送り返しましょう」
「あの娘は自分の護衛を連れていただろう?」
「保険ですよ、放り出されたといわれたら敵いません。国境付近まで護衛させましょう」
 紫苑が言うので鳳炎はしぶしぶ承諾した。
 翌日、昼には吹雪が止むとのことで麗花を送り返す手筈となった。
「長居されなくてよかった」
「ご迷惑をおかけしました」
「風龍王に文句を言いたいところだ」
「それは風龍王様もとんだとばっちりですよ」
 雪葉がコロコロと笑うと、鳳炎も表情を和らげる。鳳炎の大きな手がそっと雪葉の頬に触れた。
「調子はどうだ?」
「とても良いですよ」
「だが、食欲が落ちているのだろう? 少し痩せたな」
「ほんの少しですよ、食べられるものもありますから、大丈夫です。悪阻も一時的なものでしょうし」
 鳳炎は頬に触れた手で今度は雪葉の腹部に触れる。まだふくらみはない。
「俺が代わってやれたらよいのだが」
「それはいけません! 鳳炎様には鳳炎様の責務がありますでしょう? これは私の責務です。それを担えることが、幸せなのです」
「そうか、おまえは強い。だが、無理は禁物だ」
「はい、子那が無理をさせてはくれないので大丈夫ですよ」
「それは安心だ。名残惜しいが俺はそろそろ仕事に戻る、体を休めてくれ」
「はい」
 鳳炎は雪葉の頬に優しく触れると部屋を出た。
 昼には止むと言われていた雪は、夕方になっても止む気配がなかった。部屋の中もおのずと冷え込んでくる。麗花を送り返すのも翌日になりそうだった。
「少し寒くなってきましたね、王妃様、温かいお茶でも淹れましょうか」
「お願いできますか?」
「もちろんです、少々お待ちください」
 子那は早足で部屋を出ていった。子那が部屋から出てほどなくして再び扉が開かれる。
「どうしたの? 忘れ物ですか、子那」
 振り返った雪葉は部屋の中に入ってきた女の顔を見て赤い目を見開いた。
「麗花さん……」
「久しぶりに会えて嬉しいわ雪葉、いいえ、ここではお姉様と呼ばなくてはいけないわね。上等な香炉だわ、他の調度品もおまえにはもったいないものばかり、ずいぶんと良い生活をしているみたいで驚いたわ。火龍王も噂に聞くような粗野な男ではないし、こんなことなら私が嫁いで来るのだったわ」
「麗花さん、明日には浪州へと送り届けますから今夜は離れでお休みください」
「あら、ずいぶんと他人行儀なことをいうのね、姉妹じゃない。少し話をしましょうよ、おまえが煌の国に嫁いでからというもの、本当に大変だったのよ。お父様は浪州を治める権利を失ってしまいそうなの。全部おまえのせいよ、おまえのその赤い瞳のせい」
 急に頭の痛みと吐き気が襲ってくる。目の奥を刺すような痛みと、嘔気に思わずうずくまる。ひどい眩暈まで襲い掛かってきた。どんどん瞼が重くなる。
「本当に不吉な瞳……どうしておまえなんかが、あの麗しい火龍王様の妃なのかしら」
「麗花さん…」
「おまえのせいでひどい目に遭っているというのに、どうしておまえはこんなに優雅な生活をしているの。私は結婚すらままならないというのに、おまえのその腹の中には子供までいると言うじゃない、許せないわ」
「それは……」
「まあいいわ、今に見ていなさい、いずれ呪われたおまえのその瞳がこの国を滅ぼすのよ、その時になって火龍王様は後悔するのだわ、おまえのような不気味な女を娶ったことをね」
 麗花はそう言って高らかに笑うと部屋を出て行こうと扉に手をかけた。立ち上がろうとした雪葉は体勢を崩してわずかによろけたが、転ぶ前に傍にあった椅子の背を掴み、腹部への衝撃を和らげた。
「雪葉、なにかっあったのか」
 突然扉が開いて、姿を見せたのは鳳炎であった。鳳炎は雪葉と麗花の様子を見て眉をひそめる。
「麗花殿、お引き取り願えるか」
 鳳炎の低い声に一瞬たじろぎながらも麗花はふんと鼻を鳴らした。
「国へ帰る前に少しお姉様の顔が見たかっただけです、火龍王様ったら少しも姉に会わせてくださらないのですもの」
「帰りが遅いとご両親も心配されるだろう、吹雪が止みそうだ。すぐに国へ戻ったほうがいい。浪洲まで護衛をつける」
「では、鳳炎様自ら私を送ってくださいませんか? ついでに浪洲にしばらくとどまってくだされば、おもてなしいたします」
「生憎俺にそんな暇はない。信用のおける護衛をつけるので安心されよ。まったく、子那はどこへ行ったのだ」
 鳳炎がわずかに苛立った声でつぶやくと同時に盆の上に茶器を載せた子那、そして麗花を呼びに来た浪芭が戻ってきた。
「ほ、鳳炎様! それに麗花様まで……あ! 申し訳ございません、お茶をご用意しようと部屋を空けておりました」
 鳳炎の苛立ちに気がついた子那は慌てて頭を下げる。
「私が許可したのです。子那を責めないでやってください」
 雪葉が子那を擁護すると、鳳炎は小さくため息をついた。
「子那、麗花殿を離れまで連れて行ってやれ」
「か、かしこまりました!」
「ひとりで戻れます」
「そういうわけにはいかない」
 鳳炎の言葉で、麗花はしぶしぶ子那を伴って部屋を出た。部屋に残っていた浪芭は白い布を手に持ち、一瞬眉をひそめてから、同じように部屋を出る。
 突然、激しい頭痛に襲われる。
「あっ……」
「雪葉、どうした、苦しいのか!」
 頭の中に炎が生まれる。頭の中を焼き尽くすかのように広がった炎の中に、炎に飲まれる王城が浮かび上がった。

 思い出した、この後何が起こるのかを。こんなに大切なことを、どうして忘れていたのだろう。
 
 雪葉は煌国に嫁いできた日の頭痛を思い出す。
 きっとあの時に、なにか起こったんだわ。
「雪葉!」
「鳳炎様、信じてもらえないかもしれないのですが、私の話を聞いていただけますか?」
 どうしたって声が震えてしまう。これから起こることは、もう二度と体験したくない。震える雪葉の体を鳳炎は力強く抱きしめた。
「おまえの話だ、どんなことでも信じる」
「本当ですか」
「話してみろ」
 鳳炎の胸にしがみついたまま、雪葉は自分が未来で体験することを話し始めた。こぼれ落ちるような言葉は上手く鳳炎に伝わるかどうか心配だったが、雪葉の言葉をすべて聞き終えた鳳炎は険しい顔をした。
「おまえに、つらい思いをさせてすまなかった。俺は、守ることが出来なかったのだな」
「鳳炎様は守ってくださいました。だから私が今ここにいるのです。未来を変えるために、私は戻ってくることが出来ました。鳳炎様が私に授けてくださったこの子のおかげです」
 雪葉はわずかに膨らみ始めた自分の腹部を撫でた。あとひと月もしたら、この城に颯国の兵士がなだれ込んでくるのだ。猶予はない。
「この城の中に謀反を企てたものがいるということだな。よく思い出してくれた。今度こそ、俺はおまえたちとこの国を守る」
 すべてを話し終えた雪葉の瞳から、とめどなく涙があふれ出た。
「鳳炎様、鳳炎様、どうかご無事でいてください」
「そのためにこれから謀反人を見つけてやろう。雪葉と腹の子が作ってくれた時間だ、無駄にするわけにはいかない」
「私にもできることを手伝わせてください」
 鳳炎を守るために、自分もなにかしなければ落ち着かない。雪葉が訴えると、鳳炎は穏やかな笑みを浮かべる。
「一緒に戦ってくれ雪葉、おまえがそばにいてくれたらとても心強い」
「もちろんです!」
 雪葉が答えると、鳳炎は雪葉に口づけを落とした。
「おまえが俺の片翼で本当によかった。おそらくたとえ片翼でなくとも俺はおまえを妻にした」
「鳳炎様……」
「このまま夜がくればよいのに」
「鳳炎様、お忙しいのに私のもとを訪ねてくださってありがとうございました。麗花さんから庇ってくださって心強かったです」
「おまえのためならばいくらでも時間を割いてやる、といいたいところだが、悪いがまだ仕事が残っている。子那が戻ったら俺も戻る」
「もうひとりでも大丈夫ですよ」
「俺が大丈夫ではないのだ、もう少し一緒にいさせてくれ」
 鳳炎の言葉に、雪葉は「はい」と素直にうなずく。暗い未来に一筋の光を見たような気がした。
 きっと大丈夫、同じ未来を繰り返したりはしない。
 雪葉は鳳炎の大きな手を両手で包むと、心のなかで誓った。