あなたの隣にいてもいいですか…〜最後まで幸せと笑顔をありがとう〜

夫の優しさに包まれながら、穏やかな気持ちで眠りにつくことができた真理。

クンクン…
そんな真理の鼻に、甘い香りがくすぶった。

ーーーん?…甘い…におい?…ーーー

そう思い目を開け、隣を見ると夫がいない。
今まで何があっても6時には起床する真理だったが…
時計の針は、もうすぐ7時を示そうとしている。

ーーーやばっ!寝坊したっ!ーーー

いつもなら美容室がお休みの月曜日は、特にお寝坊さんに拍車がかかり、9時くらいまでは寝ているはずの夫がなぜか起きているようで隣にいない。

ーーーこの、匂い…もしかして…ーーー

真理は何か凄いものを発見したかのように、嬉しそうにベットから飛び下りた。

寝室を出て、リビングのドアからこっそりと覗くと…
いつも真理が使っているピンクの花柄のエプロンをつけ、信也が何やらやっている。

テーブルの上のお皿には、茶色い物が…
その茶色い物の上に、信也はバターと蜂蜜をたっぷりかけた。

そう、ホットケーキだった。
ちょうど焼きあがったところだったのか、甘い香りがリビングにただよっていた。

妻が起きてきたことに、まだ気づいていない信也の背後にそぉと近寄り、そしてギュッと抱きついた。

「しん君、ありがとう…大好き♡」

背後から回された妻の手を、信也は優しく握り返しながら、
「あっ!まーちゃん、おはよう…起きたんだね。で…起きたらまず挨拶でしょ?」

そう言いながら、真理のほうを振り返り、いたずらっぽくニヤッと笑った。

それを見た真理は、
「はぁ~…せっかくの雰囲気、台無し!もうっ!いい感じだったのに…あぁ、はいはい…挨拶ね。しん君、おはよう…」

少しぶっきらぼうに、いじけた感じで答えた。

「しん君さぁ、もっと空気読んだら?…」

「ん?わかってるよ…だってわざとだし」

「えっ!?わざと?!」

「うん…だって、まーちゃんに対抗できるなんて、なかなかないからね」

信也はそう言うと、満足そうにヘヘッ…と笑った。

そんな夫の笑顔を見つめながら、
ーーーほんと子供なんだから…でも、この笑顔がね…優しさにも、いつも救われちゃってるんだよね…フフッ、それに大好きなんだよね…私…ーーー

そう思っていると、いつの間にか顔がほころび、真理も一緒に笑っていた。

「ねぇ、しん君…私、しん君の笑顔、大好きだよ♡しん君とのハグも、頭ぽんぽんも…」

「うん、俺だってまーちゃんの笑顔、大好きだって言ったろ?ギューてした時の、すっぽり腕の中におさまる感じも…」

そこまで言うと、お互いにちょっと照れくさそうに、クスッと笑った。

「よし!それじゃあ、せっかくまーちゃんのために朝飯作ったんだしさ、食べよっか!」

「うん!…あっ、でも…ごめん…ちょっと冷めちゃったよね…」

「ハハハッw…大丈夫!少しくらい冷めちゃってても、変わんないよ!なんたって、隠し味はまーちゃんへの、愛情たっぷりだからね!」

そう言って信也は右手の親指を立て、グッとポースをした。

「ほらほら、今日はまーちゃんは座って、座って…卵スープも作ったんだぁ…ちょっと待ってて…今、よそおってくるから」

信也は真理を椅子に座らせると、少し誇らしげに言い、そそくさと小走りで台所のほうへ行った。

早起きして信也が頑張った朝食メニューは…
・ホットケーキ(バターと蜂蜜かけ)
・卵スープ
・ウインナー焼き
・野菜ジュース

定番的でシンプルなメニューだが、朝起きるのが苦手な夫が早起きしてまで自分のために頑張って作ってくれた…その思いと頑張りが、真理はほんとに嬉しかった。

テーブルの上の食事を、嬉しそうに眺めながら、
「幸せだなぁ〜…」

独り言のように、ポツリ…とつぶやいた。

その言葉が聞こえたのか、聞こえなかったのか、「俺さ、まーちゃんと夫婦になれて、本当に幸せだなぁて思ってるんだぁ」

信也は卵スープと野菜ジュースをテーブルに置きながら、「幸せいっぱい」と言わんばかりな笑顔を真理に向けた。

「さっ!じゃあ、食べよっ!今日は俺も朝早かったから、まぢで腹減った…」

「フフッw…そうだよね、お疲れ様…ありがとう、しん君…いただきまぁす」

やはりまずは、ホットケーキを…

一口サイズにナイフで切って、バターと蜂蜜をたっぷりつけて…口の中へ、パクッ!

うぅ~ん♡…しん君の言ってたとおり、少しくらい冷めてても美味しさに変わりはないわぁ〜。

ふわふわの生地に、バターの塩味と蜂蜜の甘味が、最高の組み合わせで口の中に広がる…

「美味しぃ〜い…うん…少しくらい冷めちゃってても、全然いけるぅ〜」

ふた口、三つ口と次々と口にホットケーキを頬張りながら、真理は満足そうな笑顔で言った。
その姿を眺めながら、信也もまた満足そうに微笑みながら、ホットケーキを頬張った。

「ねぇねぇ、卵スープも飲んでよ…コンソメ風味で結構いいできなんだぁ」

スープカップにそそがれた卵スープを指さしながら、信也は真理に促した。

「あぁ~…甘いケーキの合間に、コンソメの塩味…ん~~いいねぇ」

言われるがままスープを飲んだ真理は、またもや満足そうに言った。

「へへっ…頑張った甲斐があるな…」

信也は目を細めて、優しく微笑んだ。

そんなこんなと、LOVE LOVEな朝食を終え…只今、時計の針は8時を示していた。

二人で仲良く後片付けをしていると、
「まーちゃん。あとは俺がやっとくからさ、その間に病院に行く準備してきなよ」

信也のその言葉を聞いた真理は、ハッとしたような表情をしみるみるうちに顔が曇っていった。

まるで幸せな夢の中から、現実へ引き戻されたかのように…

そんな妻の心情を察してか、信也は、
「まーちゃんさ、俺、言ったよな…俺がついてるって…誰が何と言おうと、まーちゃんには俺がついてる…」

そう言いながら真理を見つめた。

そんな夫をまばたきを忘れるくらい、ジー…と見つめながら、真理は心の中で自分で自分に説教した。

ーーーまったく!何やってんのよ!そうよ…私にはしん君がついてる…いつもしん君が居てくれる…ウジウジしてる場合じゃない…真理!しっかりしないと…ーーー

「うん!そうだよね…ありがとう…」

なんだか何か吹っ切れたような笑顔で、真理はガッツポーズをした。

「それじゃ、あとは任せていい?私、準備してくる…」

「OK!任せて!」

信也は、ウインクをして答えた。

さて、病院の受診…と、なると…

服装は…パンツ系よりスカートのほうが楽かな…
クローゼットの中の洋服をあさりながら、真理は病院受診に適してるコーディネートを考えた。

メイクも…できるだけしないほうが、いいよね…
髪も…結んどいたほうが、いいかな…
あっ!一応、念の為、着替えの下着も用意しとこう…

自分なりに色々と検討し、着替えを終わらせ、着々と準備を進めていった。

あとは…保険証とお財布、ハンカチ、ティッシュ…

さすが病院勤めしていただけあり、そこまで悩むこともなく着々と準備を進めていった。

ーーー出血…何もなきゃいいけどなぁ…ーーー

一人になってしまうと、ついついメガティブな感情が出てきてしまう。

はぁ~〜〜…

真理は大きなため息をついた。

ーーー何かあったら、私、どうなるんだろ…しん君、離れていっちゃうのかなぁ…私のこと、嫌いになっちゃうのかなぁ…ーーー

あれやこれやと、メガティブ妄想を巡らせていると、
「まーちゃ〜ん!どう?準備できた?」

朝食の片付けと皿洗いを終え、着替えもすませた信也が開いていたドアの端から、ひょこっと顔を出した。

その声にハッと我に返ったように、
「あっ!今、できたとこ」

真理は信也のほうを振り返りながら、さっきまでのメガティブ妄想を必死で打ち消し、笑顔を見せた。

「じゃ、行こっか…しん君、車出してしてくれる?」

玄関のほうへ向かいながら、真理は一生懸命自分に言い聞かせた。

ーーーだめだめ!!まだ、何もわかってないんだから!余計なこと考えない!大丈夫、大丈夫…ーーー

車に乗り込み、いざ、病院へ…

車内では流石に二人共ほとんど会話もなく、ちょっとした緊張感がただよっていた。
病院まで、車で約20分ほどの距離…
その間の二人は、おそらくお互いに同じようなことを思っていたのだろう。

ーーー絶対、しん君(まーちゃん)に不安そうな顔を見せちゃだめ…ーーー

そんなお互いの思いを知ってか知らずか、赤信号で車を停止した信也は、真理の頭を優しく、ぽんぽん…
そして、「大丈夫だよ」と言うように、真理のほうを見て微笑んだ。

何か言葉で言うわけでもなく、無言での夫のその行動に真理は、自分のピリピリとした緊張感が少しだけ和らいだのがわかった。

信号が青になり車が発進すると、ハンドルを握る信也の手に真理はそっと手をかざした。

そんな二人の緊張感ただよった空気の中、気がつけば目的の病院へ到着していた。

「受付け」での記入や手続きをし、待合い場所の椅子に座り、自分の順番が呼ばれるのを待った。

二人共ずっと黙りこくっていた。
ただただ何を考えるわけでもなく、黙っていた。
いや、何も考えたくなかった…というほうが、正しいだろうか。
その間、信也は優しく真理の肩を抱いていた。

ーーーなにがあってもまーちゃんは俺が支えなきゃ…俺が、俺が支えなきゃ…俺がしっかりしなきゃ…ーーー

そんな夫の思いを知ってか知らずか、真理は黙って静かに肩を寄せていた。

…と、そんな時、「仮屋崎さぁ〜ん、仮屋崎真理さぁ〜ん」
真理の順番がきたのか、名前を呼ばれた。

口に出さずとも、目が不安でいっぱいだと言っている真理の手を、信也は包むようにギュッと握り、そして「大丈夫」と言うように軽く頷いた。

真理はそれに応えるようにコクリ、と頷き、
「行ってくるね…」

そう言って看護師に指示された診察室へ入って行った。

まずは「問診」や「内診」で症状や状態を確認する。

真理の場合は、不正性器出血(月経時ではない出血)が認められており、問診により少し下腹部への痛みが感じられる、という背景に発生要因も認められた。
こうした所見から子宮体癌が疑われ、次に癌細胞があるかないかを確認するために、「細胞診」を行うことになった。

子宮内にブラシやストローのような特殊な検査器具を挿入し、子宮内膜のごく一部をこすったり吸引したりして細胞を採取し、顕微鏡で調べるのだ。

まず初日はここまでだ。
結果は1週間後にもう一度来院し、医師より伝えられることになる。

もし陽性、又は疑陽性であれば、さらに精密な「組織診」を実施することになるのだが…
とりあえず今日の診察は終わりだ。

来院してから何時間たったのだろうか…

待合い場所と廊下を行ったり来たりウロウロとしたり、コーヒーを飲んで落ち着こうとしたりと、そわそわと落ち着くことなく待っていた信也は、真理が診察室から出てきたのを見ると少しホッとしたような表情をして、真理のほうへかけよって行った。

「お疲れ…」

「うん…」

お互いに挨拶のようなたった一言での会話のあと、また黙りこくって二人は待合い場所の椅子に座った。

そして10分ほどの沈黙後、「受付け」から名前を呼ばれ、支払いと次の来院の確認があった。

「こちら保険証のお返しとなります。とりあえず今日はこれで終わりとなりますが、結果は1週間後となりますので、再度いらしてください。予約して帰られますか?」

受付けの女性からの問いに、
「あっ、はい。1週間後…月曜日にお願いできますか?」
真理は答えた。

「お時間はどうされますか?」

「午前中は大丈夫ですか?」

「…えぇ〜と…11時でしたら大丈夫ですよ」

「ありがとうございます…じゃあ、11時でお願いします」

「はい。では…来週の月曜日に11時で…仮屋崎真理様。来院のご予約入れときますね」

「はい…よろしくお願いします」

坦々と受付けで来週の予約の手続きをする真理の姿を、隣で黙って見ている信也だった。

そしてそのまま黙ったまま、二人は病院を出た。

車に乗り込むと言葉を選ぶようにして、信也がやっと口を開いた。

「疲れたでしょ…お疲れ様。あのさ、家に帰ってからでいいから、話聞かせてもらってもいい?」

「うん…ありがと…わかった、帰ったら話す…」

二人の会話はこれで終わり、またもや沈黙の時間に入ってしまった。

真理はずっと家に着くまで黙って窓の外を眺め、信也はそんな妻の姿を横目に、黙って運転をしていた。

帰りの道も距離も同じはずなのに、病院へ向かってきた時より時間を長く感じた二人だった。

重い空気の中やっと自宅に着き、相変わらずの沈黙の状態のまま二人は車を下りた。

玄関の鍵を開け中へ入った瞬間…

ぐぅぅ〜〜…

どちらともなく、お腹の音が…
二人は顔を見合わせて、ふふっ…と笑い、
「そういえば、俺達お昼食べてないんだよな…何か軽く食べよっか」

「ほんと…どんなことがあっても、お腹はすくもんなのね…」

「だね…なんだかずっと気がはってる感じで、食事のことなんて忘れちゃってたな…」

「ん~~…すぐ食べれそうなの…お茶漬けくらいしかないけど…しん君、お茶漬けでもいい?」

なんだかさっきまでの重い空気が、今の出来事でちょっとだけ軽くなった気がした。

二人でお茶漬けを食べ、小腹のすいたお腹が少し落ち着くと、真理は静かに話を始めた。

「しん君…今日はありがと…待ってる間、ほんと長かったでしょ?…ありがとう…さっき受付けでの会話を聞いてたと思うけど、とりあえず今日の結果は1週間後らしいの…」

「うん…隣で聞いてた…」

「でね…私の場合、出血とちょっと痛みがあったから…細胞診ていう検査をすることになってね…
もしかしたら…子宮体癌の…疑いがね…」

「………」

「あっ…その検査の結果が、1週間後なわけなんだけど…」

「…うん…」

「…えっと…ん~~…まだね…結果がでてないから、はっきりとは言えないけど…」

「………」

一言一言を自分でも確認するように、坦々と静かに真理は今日の病院でのことを説明した。

その話を信也は黙って聞いていた。
時折、一つ一つの真理の言葉を理解するかのように、軽く頷きながら…

「とにかくね…結果を聞かないといけないから…来週の月曜日に行かないと…なんだよね…
しん君…また一緒に行ってくれる?」

不安そうな表情で、真理は信也を見つめた。

「そんなの決まってるだろ」

あたりまえだろ、というような表情で信也は力強く言った。

「よかった…やっぱりちょっと心細いから…しん君が一緒にいてくれるだけで、心強い…」

安心したかのような表情で真理は言い、ホッとしたように小さく息を吐いた。

「とりあえず…1週間後なんだよな…結果…」

「…うん…」

「…よし…どちらにしろ、まーちゃんは安静にしとかないとな…仕事もちゃんと連絡いれて、お休みもらわないと…あっ、それから…うちの母親とまーちゃんのご両親には、結果がでるまでは話すのは控えとこうか…て思うんだけど?…」

信也が尋ねるように言うと、うつむくような感じで右手で頬杖をつき、ジッ…と一点を見つめながら少し考えたふうであった真理は、
「…そうだね…それがいいかも…まだはっきりしないうちから、心配させちゃうのも…ね…」

静かに真理はそう言うと、何かひらめいたような表情になり、それまでうつむいていた顔をあげ、
「まっ…とにかく…結果をまたなきゃ…」

「そうだな…それがわかんなきゃな…」

「そっ…んじゃ、私は職場に電話しなきゃ…」

そう言うと真理は一旦会話を終わらせ、職場の老健(介護老人保健施設)へ連絡するために、携帯をいじりだした。

「あっ…もしもし…お疲れ様です。看護師の仮屋崎ですけど…事務長はいらっしゃいますか?…………」

職場に連絡し事務長と話をしているようだ。
真剣な顔で時折、苦笑いをしながら…そして…

「…はい…ほんとに急で申し訳ありませんが…今週はお休みで…はい…お願いします……はい…ではまた、来週の月曜日に……はい…よろしくお願いします…」

電話ごしに何度も頭を下げながら、10分程度で会話は終わった。

「事務長さん、やっぱ急だったしなんか言われた?」

電話を終えた真理に、心配そうに信也は聞いてきた。

「うん…まぁ大丈夫…べつに責められたわけじゃないから…ただ…やっぱね老健だから…医療法人だとね…私も一応は看護師だし…ちゃんと結果とかきちんと報告するように、て…」

「あっ…てことは…」

「うん…一応、簡単に検査のこととか話した…」

「そっか…」

「あっ、でもね、今回のことは施設長と看護長、介護長だけで、止めておいてくれるって」

「おっ…そうなんだ…事務長さんなりに気をつかってくれたんかな?」

「ふふっ…そうかもね…」

「そっか…ならよかった…じゃ、仕事もお休みもらったし、まーちゃんは出来るだけ安静、つうことで…」

信也は、わかった?というような顔で真理を見て言った。

「…うん…わかってる…」

少し苦笑いを浮かべながら、真理は答えた。

1週間後…来週の月曜日…
とにかく結果がでるのを待つしかない…
色々と考えるのはまたそれからだ。