あなたの隣にいてもいいですか…〜最後まで幸せと笑顔をありがとう〜

信也が働いている美容室の閉店は午後7時。
それからスタッフと一緒に片付けや掃除を済ませ、車で約15分ほどの距離を帰ってくる。

「ただいまぁ〜。まーちゃ〜ん、帰ったよぉ」

玄関で靴を脱ぎながら、いつものように帰宅を知らせる夫の声が響く。
時間はもうすぐ午後8時になろうとしている。

「ただぁいまぁ〜〜」

信也がリビングのドアを開け、ひょこっと顔を出して入ってきた。

「あっ…しん君、おかえり」

いつもとはちょっと違う雰囲気をただよわせながら、真理が出迎えた。

「ん?まーちゃん?なんだか怖い顔…どうした?」

そう尋ねる信也に、意を決したような真剣な表情で、少ししどろもどろに真理は話を切り出した。

「……あの…ね、しん君…ちょっと…話があるんだけど…」

もごもごと言葉をこもらせ、そして表情を強張らせている真理の頬に、信也は優しく包むように両手を添えた。

大好きなしん君の暖かい手…
長い指で起用な大きな手…
安心できて、ホッとする落ち着く手…

それまで不安いっぱいで頭がごちゃごちゃになっていた真理だが、夫の優しく暖かい手に心も頭もゆっくりと癒され、少しずつ落ち着いていった。

信也のお陰で気持ちが落ち着き、頭の整理ができてきた真理は大きくひとつ深呼吸をした。

ふぅ~〜〜…

それから改めて、静かに話を始めた。

「ねぇ、しん君…最近、私の体調あまり良くなかったじゃない?」

「あぁ、確かに体がきつい、てここ数日ずっと言ってたな…食欲もあまりなさそうだったし…」

「うん…そう…それでね…」

そこまで言うと、真理は再度大きく深呼吸をした。

ふぅ~〜〜…

そんな妻の様子を、どうしたんだ?と言わんばかりに、心配そうに信也は見つめていた。

「今日は日曜だったし、まーちゃんもゆっくり休めてたんだよね?」

そう言いながらもう一度、真理の頬を包むように両手を添え、そして顔を覗き込むようにして見つめた。
再度、夫の優しい暖かい手に勇気を貰った真理は、ゆっくりと口を開いた。

「…出血…が…」

「…??…」

「…今月は…まだのはずなんだけど…出血…がね…」

「………」

「それに…なんだか少し…痛みが…ある気が…」

「………」

そこまで聞いた信也は、何も言わずジー…と真理を見つめたかと思うと、そっと優しく抱き寄せ、抱きしめた。

何かを察したかのようにただ何も言わず、優しく包むように…

身長180cmある長身の信也の大きな胸に、155cmほどの小柄な真理は、すっぽりと包まれていた。

慰めるように、背中を優しく…ぽんぽん…
大丈夫だよ、と言うように…ぽんぽん…
余計な言葉は言わず、ただただ…ぽんぽん…

夫の無言でのそんな行動に少々戸惑いをみせる真理だったが、優しく抱きしめる信也の思いや気持ちがその腕からだんだんと伝わってくるようで、なんだかそれがとても心地良く暖かかった。

…………どれくらい時間は経っただろうか…

時計の針の音、外からの車の音や色々な雑音…

そんな室内でお互いに何も言わず、ただただ抱き合っていた状態に流石にちょっと気まずさと、恥ずかしさを感じてきた信也が、やっと重い口を開いた。

「明日は月曜で俺も休みだし、一緒に病院行こう…ちゃんと、検査してもらおう」

そう言うと、「ね?」というような顔をして、真理の頭を優しく撫でた。

ほんとはもっとショックを受けるか、パニクったりして混乱するのかと思っていた夫が、意外と冷静であったことに真理はちょっと驚いた。

「…うん…、そうだね…」

気がつくと自分でも不思議なくらい、いつの間にか少し気持ちが落ち着いていた。

一日中ずっと一人で悩み、黒いモヤのかかったような暗い気持ちが、信也の優しい言葉と温もりで霧が晴れるかのように、スー…と薄れて消えていくようだった。

ーーーやっぱり、正直に話してよかった…うん…しん君に、話して…ーーー

そう思うと、フッ…と吹っ切れたかのように切り替わった。

「だよね…ちゃんと診てもらわなきゃ、何も始まんないよね…うん…そうだよ、そうだよね」

こてん…、と信也の胸に顔を埋め、真理は呟くように言った。

「大丈夫…俺がついてる…何があっても、誰がなんと言おうと、まーちゃんには俺がついてる。だから明日は、一緒に病院行こう」

「…うん……うん…」

真理は信也の優しい胸の中で、泣きたい気持ちを、涙を、必死で堪えながら絞りだすような声で答えた。

「ん?…まーちゃん、泣いてる?…あっ!このシャツ、結構気に入ってるから、鼻水とか勘弁な」

「はぁ~〜!?ちょっと!この状況で、お気にのシャツの心配?!冗談でしょ〜?…ていうか、泣いてないし!!」

真理は、パッと胸元から顔を離すと、少し睨むように長身の信也を見上げた。

ハハハハハハッwww…

信也が、ぽんぽんぽんぽん…と真理の肩をたたきながら、本当におかしそうに笑った。

「あぁ~…ごめん、ごめん。ちょ~と、からかっただけ…なんかさぁ、まーちゃんすんごい落ち込んでる感じだったからさぁ…ちょこっとからかえば、笑ってくれるかなぁ…なんてさ。ごめん、まさか怒るとは思ってなかった…」

そう言うと信也は拝むように、顔の前で手を合わせた。

「……からかっただけ?…私に、笑ってほしくて?…」

今だにまだ顔の前で手を合わせている夫に、確認するかのように真理は聞いた。

「だってさぁ…今日、俺が帰ってきてから、まーちゃん一度も笑ってないもん…」

信也は寂しそうな表情で、真理を見つめた。

その言葉を聞いて真理は、ハッとしたかのように、
「あっ…そっかぁ〜………頭ではわかったつもりだったけど…そっか、私…笑えてなかったか…ふふっ…そっか、そっかぁ〜…うん…しん君、ごめん。仕事で疲れて帰ってきてるはずなのに、こんな暗い顔で…」

「ほぉらまた、そんな顔をする…」

うつむくような感じで下を向き、夫から目線を外した真理の顔を、グイッと持ち上げた信也は、 「だからさ、俺はこんな顔じゃなくって、まーちゃんの笑顔が見たいんだけど?…」

信也がそう言うと、
「……うん…」
そう頷くと、真理はもう一度信也の胸の中へ、勢いよくダイブした。

「!!っおっ!とっとととと…」

あまりの勢いで長身の信也でも、流石に少し後ろへふらついたが、小柄な真理をしっかりと受け止め、ギュッと抱きしめた。

「まーちゃんの笑顔が、俺の一番の特効薬なんだからさ…俺のやる気のパワーのもと…だから、まーちゃん笑って…俺のために、笑ってよ」

そう言いながら更に真理を、ギュッと抱きしめた。

そんな夫の、優しい腕に包まれながら、
「うん…うん…うん……」
真理は、何度も頷いた。

それから…二人はシャワーを浴びいつもの部屋着に着替えると、少し遅くなった夕飯を食べた。

「うん…まーちゃんのビーフシチュー、俺、好きだなぁ…いくらでもいける」

信也はそう言いながら、次々とビーフシチューを口に運んだ。

「もう…ほらっ…そんなに慌てて食べないの…まったく、もう…子供みたいなんだから…」

そう言って真理は、クスッと笑った。

その様子を見た信也は、
「やっと笑った…」

目を細め満足そうに真理の顔を見つめながら、
「うん…やっぱまーちゃんは笑顔が一番!一番可愛い♡」

「えっ…やだ、もう…食事の時までそんなこと言わないでよ…」

嬉しいのか恥ずかしいのか、少しピンク色になった頬に両手をあてながら真理は言った。

「べつにいいじゃん…悪いことじゃないんだしさぁ」

信也はいたずらっ子のような顔をして、恥ずかしそうに顔を赤らめる真理を、愛しそうに頬杖をつきながら、
「俺はさぁ、その…医療のこととかそういうのは正直ほとんどわかんないし、今のまーちゃんの状態がどんななのかもよくわかんない…でもさ、まーちゃんが笑顔を忘れるほどの出来事なんだ、てことくらいはわかる。だけどさ、俺はまーちゃんの笑ってる姿が一番好きだし、まーちゃんの魅力の一つでもあることには変わりないんだよね…」

そこまで言うと信也は椅子から立ち上がり、真理のほうへ行くと後ろからそっと抱きしめながら、
「でも…今日は俺にちゃんと話してくれて、ありがとう…まーちゃんのことだから、一日中色々悩んだり考えたりしてたんだろ?不安になって辛かったんだよな…」

そんな夫からの優しいハグと言葉に真理は、
「…うん…もうね、悪いことばっかり考えちゃって…しん君にも話そうかどうしようか…」

そこまで言うと、それまで必死に抑えていた涙のスイッチがあっという間にオンになり、ぽろぽろと真理の目から大粒の涙が流れだした。

「笑っててほしいけど、泣きたい気持ちは我慢するな…嫌なことは、涙と一緒に流しちまえ…」

なだめるような優しい声で、信也は言った。

それを聞いた真理は、鼻をすすりながら静かに涙を流した。
そんな妻を信也は何も言わず、優しく後ろから抱きしめていた。

しばしの間、涙を流した真理…

そんな妻から信也はそっと離れると、近くにあったティッシュ箱を手に取り、涙と鼻水でぐぢゅぐぢゅになっている妻の横に置いた。

その横に置かれたティッシュにすかさず真理は手を伸ばし、2〜3枚とると自分のぐぢゅぐぢゅの涙と鼻水を拭いた。

「どう?少しは落ち着いた?」

信也が心配そうに、真理の顔を覗き込むようにして聞いた。

コクン…

真理は、黙ってうなずいた。

「そっか…よし!それじゃ、食器の片付けしちゃいますか」

そう言うと信也はテーブルの上にある夕飯の食器達を、次々と台所のほうへ運んで行き、手早く洗いだした。

「あっ、まって…私も手伝う…」

夫の素早い行動に、ちょっとだけ見惚れていた真理だったが、すぐに我に返り信也の隣に立ち一緒に洗い物をやりだした。

二人仲良く流れ作業であっという間に洗い物も終わり、いつものようにリビングで二人肩を並べ、ゆっくりとくつろぎタイムに入った。

何するでもなく、ただボー…とまったりと…
頭も体も休めるように、ゆったりと…

これが二人のいつもの『リラックスタイム』の夜の時間…

そうこうしてるうちに二人共、目蓋(まぶた)が重くなりウトウトとし始める。

…ふぁぁ〜〜…

「…そろそろ、寝よっか…」

あくびをしながらトロン…とした眠そうな目で信也が真理に声をかけると、
「…うん…」

真理も眠そうに目をこすりながら、ゆっくりと立ち上がった。

寝室に行き二人は静かにベットへ入った。

「まーちゃん、おやすみ…ゆっくり休んでね…」

「ぅん…しん君もね…おやすみ…」

その夜は…二人仲良く手を繋いで眠りについた。