――――その日、後宮の執務室で衝撃の(てがみ)を受け取っていた。差出人はハル兄さま。またいつものとりとめのない話題や北部のこと、両親の話かと思えば……違った。

「え……エイダがこっちに来るかもしれないいぃっ!?」
最近忘れかけていたが、そもそもの元凶。全ての元凶である。

「……とは言え、何で今さら」
急いで書いたらしき文面には必要最低限のことしか書いていない。
私の元婚約者との仲が破談になったこと、私が皇后になったことを聞いた翌朝既にエイダは姿を消していたこと。

「あのトラブルメーカーが……ですか」
ウーウェイの目が鋭く光る。

「そ……そのエイダさまと言う方は……?」
リーミアが首を傾げる。どうやら嫁ぐはずだったエイダの名前まではリーミアには届いていなかったようだ。

届いていたとしてもまだ後宮入り前。上層部は知っていても後宮内部にまで噂……とはならなかったようだ。

「私の妹よ」
「セナさまの……!」
リーミアが微笑む。

「本来後宮入りする身でありながら、セナさまの婚約者を略奪して逃げた女です」
ウーウェイが辛辣に付け加えれば。リーミアの表情が険しくなる。そりゃそうよね。
周りの武官やほかの女官たちも若干殺気出てないかしら……?

「まぁ、いいのよ。今はどうにかこうにかやっていけているし」
「それはそうですが……」
リーミアが呟く。

「今さらこっちに来るとかそんなのはちょっと……」
こっちにはグイ兄さまがいるのよ?あのこ分かってる?

「そうです!セナさまの気も知らずに!」
「あはは……そうよねー」
いくらエイダが美人でも、ルーはエイダには靡かないわよね……?
エイダはルーが苦手な民族差別をするような子じゃない。むしろ『そんなこと言うなんてひどぉい、同じ人間じゃないですかぁ』うるうる、で周囲の男を瞬く間に虜にするやり手である。ある意味すごい。それで民族の垣根を飛び越えるのはすごい。たいした技能であるが……その後帥哥(イケメン)を略奪するからダメなんだよなぁ。なので周りの女性からは蛇蝎のごとく睨まれるのである。

「セナ、大変だ!」
「え、ルー!?」
こんな時間に執務室に来るだなんて何が!?天災!?それとも重大事件かしら!?

「エイダと言うメスを知っているな」
もはや人間扱いしてないんだが、このひと。グイ兄さまと一緒にいすぎて悪い言葉まで覚えちゃったとか!?グイ兄さまったら~~っ!

「その、エイダがどうかしたの?」
かつてルーが成人するまでは後宮入りを待つと猶予をくれたのにすっぽかして逃げた女の名。ルーが知らないわけはないのだが。

「皇城に押し掛け、自分は皇后の妹だから合わせろと騒いでいる」
「どんだけバカなのあの子はぁっ!!両親だってよっぽどのことがなけりゃ顔合わせらんないのよ!?」
春節の際は外出は春節終わった後だが、両親や兄妹どちらかなら春節期間に面会許可が下りる特別ボーナスが出ることもある。
何故なら春節は普段顔を合わせられない故郷の両親に顔を見せに行って親孝行する休暇(イベント)だからだ……!

故郷に帰ることのできない妃たちに与えられる皇帝陛下からのお慈悲。
しかしそれも妃の素行や働きによる。どちらかが病気などの時は特別に見舞いとして許可されることもある。父母や年長者を尊敬する文化で助かったぁ~~っ!そこら辺の福利厚生は保たれている。
――――しかしながら!

「会う理由ないじゃない!?」
「そうだ、会わせる理由もない!あまつさえ自分が皇后になるだの騒いでいる!不敬として即刻グイに首をはねさせるが、良いか!」
「良……いいわけあるかぁぁいっ!!至急(シュアン)宰相呼んで!緊急面会申請出させて……!」
「ち……っ」
今盛大に舌打ちしなかったか、このひと。それでも知らせてくれるのは、私の意思も確認した上で判断してくれると言うことだろうけど。

こんな殺伐とした後宮の雰囲気、いつぶりかしら。

普段は使うことのない、後宮内の特別な応接間。外部との面会の場に使われ、その場には機密などを漏らさぬよう監視する皇城の専門の官吏もやって来る。
そんな物々しい雰囲気の中。
「ルーは変装したの?」
後宮に入ることもなく、帝都にもあまり行ったことのないエイダならルーが瞳の色を変えれば本人と気が付くこともないでしょうが。

「しかも見てみろ。宦官たちの装いだ」
「……いいの?」
側付きの宦官たちを見やれば。

「気が付いた時には既に」
自分で着たの!?いや南部時代があったから自分で着替えられるんだと思うけど!?

「みなさん静粛に」
立ち会いの(シュアン)宰相の言葉に身を引き締める。そして……渦中の人物が通された。

「お姉さま~~!」
え、エイダ――――っ!相変わらずの美少女である。うん、見た目だけはねぇ。

「お姉さまやっと会えたわ!」
「……そうね、良かったわね」

「さぁ、エイダが来てあげたわよ!」
頼んでないわよ。

「だからエイダが皇后になるから、お姉さまはもう北部に帰っていいわよ!」
「……は?」
思わず漏れ出た言葉。周囲から、とりわけ私の傍らからものすんごい殺気が出ているのに、エイダは全く気にも留めていない。

「だからエイダが皇后になるって」
「何でそうなんのよ!アンタはいつもいつもが話ぶっ飛びすぎんのよ!ちゃんと一から十まで説明してからにしなさいよ!」

「それはぁ……だって元々エイダが皇帝陛下に嫁ぐはずだったじゃない!だから~~、本来は私がこ、う、ご、うよ!でしょ!?」
「嫁げば皇后になれるわけじゃないのよ!アンタが後宮に入ったら一発で後宮城市の外れに左遷よ……!!」

「(いや……秘密裏に殺す)」
ボソッと隣からとんでもない企みが聴こえたんだけどぉ……?

「ひっどおおぉいっ!お姉さまったら、皇帝陛下の寵愛を受けたくてエイダに嫉妬してるんだぁ~~っ!でもダメよ、お姉さまじゃ……」
「は……?一応理由を聞きましょうか?」
何よ、突然しんみりしちゃって。

「お姉さまは馬鹿力で、顔が平凡っ」
エイダが小声でそう告げてくる。あのね、一般の女子と比べたらアンタも充分怪力よ?アンタも北異族なの忘れたの?
まぁ顔は……言われなくても百も承知よ。

しかし火の粉は別の場所に吹っ飛んだ。

「この阿婆擦れがぁっ!セナはかわいい!」
「ちょ……ルー!?」
いきなりぶちギレないでよ!?慌てて止めれば、ルーが渋々後ろに下がる。

「な、何なのよあなた、まさかお姉さまと不倫!?やだ、私みたいなことしないでよ~~」
「自覚あったのあなた!そもそも不倫……いや……浮気相手の私の元婚約者はどうしたのよ!?」

「それがそのー……最初はラブラブで過ごしてたのに、彼の家とお父さまたちに無理矢理引き剥がされたの。その後彼は外国に婿養子に出されちゃって、別れちゃったのよ~~」
どこぞの城市(まち)恋人(アベック)の痴話喧嘩別れ見たいな言い方するんじゃないわよ……!

しかし……アイツが外国に養子……。そりゃ当然か。何せ皇帝陛下の妃予定の娘を略奪したのよ?普通は一家郎党打ち首、北部自治区だって責任をとらされる。でもそれを私が代わりに後宮入りすることで許されたのは……完全に皇帝陛下からの慈悲に他ならない。

ただしその危機を作った元凶をこのまま国においてはおけまい。皇帝陛下から慈悲を賜りながらまた何かすれば、北部の面目丸潰れ。それならばそうしないうちにとっとと追い出してしまう。彼の実家も考えたものね。当分北部での肩身を狭くして暮らすことになろうが。

「それに……」
「まだ何かあるの?」
常にテンションがおかしいエイダがしゅんとするなんて珍しいこともあるのね。

「お父さまが……結婚しろって」
「……すれば?」
「お姉さまったら!何でそんなひどいこというのぉっ!?」
いや……政略結婚なんて普通の立場にいるんだから、当然じゃない?

「相手は雪男みたいな毛むくじゃら&50代のおっさんなのよ」
「それ本物の雪男なんじゃ……?お父さまも遂に雪山に住む道の民族と交流を……」
いや、雪男って民族なのかしら。ある意味極少数民族かしら。

「いや~~っ!私は帥哥(イケメン)と結婚するのぉっ」
帥哥(イケメン)も年食えばおっさんよ」
「……ひぃっ」
「おっさんになっても愛せる自信がねぇなら自由恋愛なんて諦めろぉっ!」
「じゃぁお姉さまは……陛下がおっさんになっても愛するの!?」

「当たり前じゃない。むしろ共白髪までこの帝国で皇帝と皇后として生きるのよ」
「……お姉さま……」
「うん?」
エイダもさすがに大人しくなるかしらね?

「でも……お姉さまの顔じゃぁ……その」
まだ言うかこの妹は。

「もう我慢ならん!」
「ルー!?」
ルーがずかずかと私たちの間に割り込む。

「ちょっと何よ、アンタ」
「ほう……?この俺に言い度胸だ」
ルーは慣れた手付きで隠形眼鏡(コンタクト)を外すと、そこから深紅の瞳が現れる。その瞳を驚愕した様子で見上げるエイダ。

「俺は皇緋路(ホアンフェイルー)。そしてセナは俺の愛する唯一の皇后だ。誰に何を言われようと共白髪になろうとそれは永遠に変わらん!」
ルーったら……。

「うそ……皇帝陛下……っ」
分かったなら頭下げましょうか、不敬よ。あれそう言えばエイダったら不敬なことをしてグイ兄さまに首を斬られる危機では……あれ?そう言えばグイ兄さまは……。

「さて……」
「びくっ」
エイダが最も恐れる声が響く。

「気は済んだのだろうねぇ?でも兄さまも魔鬼(おに)じゃない。妹の最期の言葉くらいは両親に届けてあげよう。さぁ、言い残すことは?」
後ろからエイダの首の前に剣を回して拘束するグイ兄さま。

「言っとくがお前……わざわざ陛下が待ってやったのに、それを反故にして駆け落ちしたこと……許されるとは思っていまいね?まぁ血の繋がった妹だしねぇ、二度と兄さまの前に顔出さないのなら捨て置いたが……しかしこうしてまた陛下の面を汚そうってなら……」
うん、それはグイ兄さまの大好きな大好きな皇帝陛下の面目丸潰れだものね。ほんと……グイ兄さまが北部を滅ぼしに来なくて良かったわ。皇帝陛下の器が大きくて助かった。しかし……この血の気の多いグイ兄さまは……ルーのイケがあれば確実に首を落とす気……!

「いや……でも今こうして私が皇后として、ルーの隣に立てるのは元はと言えばエイダのお陰じゃないかしら」
やったことは悪いことだが、だからこそ救われたひとも、命もある。

「お姉さまあぁぁっ!」
全く鼻水ずるずる泣き腫らして。これからはその顔で生きていけばホイホイ男を釣ることもなくなるかしらね?

「はぁ……グイ、剣を下ろせ。殺さなくていい」
その指示も何なんだか……しかし、やっとのことでグイ兄さまから解放されたエイダがこちらに向かってくる。

「うえええぇんっ!おねぇざま……っへぶしっ」
あ。リーミア率いる女官とウーウェイ率いる宦官ズに取り押さえられて顔面の汚いものを徹底的に取り除かれていた。

「セナさまのお召し物が汚れます」
目がマジよ、リーミア。
「むしろ存在こそが」
やめなさい、ウーウェイ。さすがにそれはかわいそうよ。

「とにかく、俺はセナを愛している。セナはかわいいし優秀な皇后だ。セナ以外を皇后につけるつもりはない」
「ルー……」

「……あなた……」
そしてエイダがルーを見る。

「本気なの」
「本気だが」

「そう……それなら仕方がないわね」
上から目線なのが気になるんだが。後でハル兄さまに通報して鍛え直してもらわねば。

「お姉さまはね……今まで顔が平凡だと後ろ指を指されて、世の男はだいたい私の方がかわいいって言ったわ」
悔しいが事実だ。

「お姉さまの元婚約者も、あんな平凡顔の馬鹿力嫌だって……」
あ゛?今何つった?あの男何つったのよ……!?

「だけど皇帝陛下なら、お姉さまをかわいいと豪語できる皇帝陛下ならお姉さまを任せられるわ!」
だから何様よアンタね。あと任せられるわって何。アンタの任せ先探す方がよっぽど大変だと思うのだけど!?

「……そうか」
ルーが小さく呟く。

「セナの元婚約者だが……」
「別にもうどうとでも思ってないわよ」
彼も無事に海の向こうへ婿養子に出されたそうだし。

「探し出して連れてきてセナを平凡顔の馬鹿力嫌だと言ったことを泣いて詫びるまで仕置きした上で苦しませながら死なせよう」
いやいやいや、ルーの思考がとんでもない方向に行ってるんだけども……!?

「いや、もうこの帝国に入って欲しくないから放置でいいわよ」
「だが、セナ」

「私はルーが愛してくれるのならいいのよ」
「そうか……セナがそう言ってくれるのなら」
ルーが殺気をおさめて、優しく私を抱き締める。
ふぅ……何とか纏まったわね。

「それから、エイダ」
「お……お姉さま?」

「雪男との結婚は人選を見直してあげて欲しいと父さまに(てがみ)を書くわよ。さすがにエイダじゃぁ逆に相手方から苦情がくるからって」
「さすがお姉さま!」
今盛大に皮肉を言ったのだが、それをものともしないところは相変わらずの激強(げきつよ)精神(メンタル)

「だけどこのままじゃ難だし、精神面から鍛え直すために……自治区の武官として働かせるのが得策ではって付け加えるから」
「ええぇ~~っ!エイダお箸より重いもの持てない~~っ」
「持ってるでしょうが!それともアンタねぇ、私と揃いの姉妹剣捨てたの!?」
私の分は北部に置いてきたが、そちらはお母さまがしっかりと預かってくれている。

「……持ってる」
「じゃぁそれ持って働け」
「でも……みんなエイダに優しくしてくれないし」
確かにうちの武官たちってエイダに見向きしないのよね。男女比はほぼ半々だが、男性陣も特に見向きしないのだ。

「あそこはセナさまファンが多いからですよ」
と、ウーウェイ。
「なるほど、それはいい武官たちだ」
ルーは何で感心してんの?

「それじゃぁそう言うことで。グイもいいか?」
「まぁねぇ……でも、次は主君の見てないところで……殺るからね……?」
「ひぐぅうううぅっ!?」
エイダは半泣きになりながらも、最後は姉妹の別れを惜しみながら帰っていった。

「本当に何なのよ……全くもう」
急に現れて、急に去っていくんだから。

「案外、顔を見に来たのかもねぇ」
と、グイ兄さま。顔……?誰のかしら。

「お前は相変わらず鈍いねぇ」
「どういう意味よ兄さま!?」

「こらこら、喧嘩しない。あとグイ、セナは俺の妻なんだから」
「はいはい」
ルーに抗議されながらもヘラヘラと笑うグイ兄さまは、昔よりも幾分か柔らかくなっている気がした。本当にここに来て、色んなことがあって、色んなことが変わった。でも……私は変わらずルーと共に生きていこうと思うのだ。


「さて、戻ろうか」
「うん。でも執務は?」

「さすがに今日はなぁ」
(シュアン)宰相を見やれば、構わんとばかりに手を振ってくる。

「それじゃぁ」
「腹も減ったしな」
「もう、あなたは」
共に歩く道のりに、自然と笑みがこぼれたのだった。


【完】