――――後宮は今日も平穏……とはいかないのが後宮である。
「抗議って何かしら」
「皇后への直訴と言う名の、ぶっちゃけ言って抗議ですね」
ウーウェイが幾つか調査資料を持ってきてくれる。
「後宮城市の妃たちが、何故セナさまが皇后の座についたのか。自分たちだって皇帝陛下にアピールしたい、空いているのだから奥後宮の部屋あてがってほしいなどなど」
「いや……私を皇后に任じたのはルーだし」
私も寝耳に水だったんだから。彼女たちは皇帝陛下の命に逆らう気?いい度胸ね、グイ兄さまに知られたら首刈りモードに移行するわよ。
「皇帝陛下へのアピールに関しては、確かに特段用がなければルーも行かないから仕方がないけど」
最近はあちらの改築も進めているから、その改築具合を視察には行っているらしい。……変装して目の色を変えているから、私たちのようにルーの素顔を知らない以上は気が付かないか……いつも一緒にいるグイ兄さまが恐ろしくてそれどころじゃないか。
「空いてれば奥後宮の部屋をってのも変な話よね」
奥後宮にあがるならそれなりの成果や強み、理由がないと。まぁかつてコネを使って無理矢理上がり込んでいたものがいるが。
問答無用で奥後宮の部屋を与えられると言うのはよほどの重要な貴族の出身か、国外から嫁いだ公主か。それでも問題を起こせば降格、城市の宮に追いやられることもあるのだ。
「でもまぁ、表向きが直訴なら行ってあげるわよ」
むしろこれって皇后の仕事?まぁいいか。
「行きましょ、ウーウェイ」
「はい、既に同行する武官も準備万端です」
サッと現れる武官たち。ウーウェイったら相変わらず私の取る行動を先読みするわね。優秀すぎて嬉しいわ。
「……あぁ、それと陛下との仲直りの進捗はいかがですか?」
「……」
今回は珍しくグイ兄さまが賛成してくれたので、大腕を振って夫婦喧嘩中なのである。
「さてと……今夜は女子会なんてのはどうかと思ってるの。みんなで枕投げをするのよ」
「いや子どもですか」
「子どもを混ぜるから平気よ。みんなの仙女とIQ5歳児」
「前者はともかく後者に枕投げは……と言うより女子会じゃなかったのですか」
「……あ……」
言われてみれば、ルンって身体は成人男性なのだ。明明ちゃんと何の躊躇いもなくお人形さんごっことかおままごとしてるから忘れていた。
そんなとりとめのない話をしていれば、後宮城市に着いた。
「ようこそ皇后陛下。こんなところまで来てくださるなんて……嬉しい限りですわ!」
あからさまに薄っぺらい笑みを貼り付けた妃たちに出迎えられる。思えばこちらの妃たちと会うのは今日が初めてね。リーミアともこちらで出会ったが、当時のリーミアは先帝の妃と言う背景もあり、彼女たちとは一線を画していたようだし。
「さぁ、どうぞ女同士で気が寝なく話しましょう」
いややけに馴れ馴れしいと言うか、皇后と呼んでおきながら私のこと下に見てない?
気兼ねなく話すと言うのは私から言うのは分かるのだが、彼女たちから言われても。
奥後宮で暮らす3人ですら、最初は恐縮していたし、自ら私の都合も聞かずに『話しましょう』だなどと言わない。徒《トゥー》凛《リン》さまや侍女のリーミアを通して時間を取ってもらえるか事前にお伺いを立てるのだ。
そもそも直訴と言いながら城市に皇后を呼び出すとか。
まぁ彼女たちは奥後宮に上がれないのだから仕方がないとはいえ、皇后を呼び出せる立場でもないわよね。
「宦官と武官はそこで待っていなさい」
「そうよ、女同士の会話に無粋だわ」
いや、何か気色悪いわね。ウーウェイも武官たちも護衛のために私に付いてきているのに遠ざけようとするとは。それに何だか……覚えがあるわ。この感じ。
そしてそれが奥後宮で暮らすことを許されたあの3人や徒凛さまとの決定的な違いのような気がするのだ。
あくまでも王花姫《ホアジー》は例外中の例外。
ルーが敢えて彼女たちを外に、鄧鶯たちを中に入れたのには線引きがある。
「いいわ、そこで待っていて」
私の実力など知り尽くしているウーウェイたちは素直に私の言葉に従ってくれる。それを好機と読んだのか、この者たちは。
「さぁ……皇后陛下」
妃のひとりが袖からするりと素手を覗かせる。食事やおやつタイムならともかく、こんなところでこんなタイミングで……?
そして不躾に私の手を握りクスリと笑む。
あー……そうですか、そう言うことですか。掌にぷすりと挿し込まれた針状のもの。指の間に挟めて、握る瞬間に突き刺したってことね。
「皇后陛下、ひょっとしてお加減が悪いのでは?私たちの宮でお休みしませんこと……?」
「なら、確かめていいかしら」
にこりと笑えば、妃たちが驚いた顔を向けてくる。
「どうして……即効性なはずじゃ……」
「悪いわね、そう言うの効きにくい体質なのよ」
妃の手を振りほどき、掌に刺さった針をするりと抜き去る。
「ウーウェイ、これ鑑定に回して」
「はい」
ウーウェイはどこからか金属製の容器を取り出し蓋を開けると、私がその中に針をサッと収める。
「ぬ……濡れ衣です……!皇后陛下が私たちに濡れ衣を……!」
白々しいわね。ウーウェイも武官たちもとっくの昔に私の周りを固め、妃たちは慌てて後ずさるだけだ。
「やはり……得体の知れない異民族め……っ」
妃のひとりがそう漏らし、武官たちがキッと睨み付ける。
そっか、何となく分かったわ。違いがね。
「こ……皇帝陛下に直訴してくれる!」
じゃぁ最初から自分たちで直訴してルーを呼び出せば良かったじゃない。皇帝陛下がここに来ないのを嘆く前に、自分たちでできるんでしょう?当然そのようなことができないからこそ、私を呼び出そうとしたわけだが。
私を皇后にしたのが他ならぬ皇帝陛下の意思だと言うのに、それを忘れたのかしら。
「そうか……それなら聞こうか?」
しかし不意にかかった言葉に、金属製の入れ物をサッと懐にしまったウーウェイが場所を空ける。すると私の隣にその声の主が並び立つ。いつからいたのかしら。そして夫婦喧嘩中だって知っているのにしれっと道を作るだなんて。ウーウェイからいい加減仲直りしろと言われているみたいだ。本当に……媽媽みたいなんだから。
「は……?誰よ、お前も宦官でしょう!何様!?」
は……はいぃっ!?いくら皇帝陛下の顔を知らないからって、今のルーの瞳が棕色だからって、宦官扱いは……。
改築の視察で来ているのを見かけたのかしら?確かにここに入れる男は皇帝陛下や皇子、特別に許可を得たものや宦官くらいである。
「何様?そうだな?私の名は皇緋路と言って……一応皇帝の地位についているが」
そう言うとルーが目の中に指を……!?いやちょ……しかしその指はすぐに離れ、指先に透明な丸い膜のようなものが乗っている。
「それ……何?」
「うん?これは隠形眼鏡と言って眼球に直接付ける眼鏡だな。海の向こうではようやっと普及しだしたが、こちらではまだまだだ」
「そんなものをよく……あ」
奥後宮にひとり、東部出身者がいるではないか。
「そう言うこと」
その技術を仕入れるための家同士の繋がりを深めるため。許蘭は後宮に入ったのね。そして奥後宮に上がれたのは、単にその繋がりだけではなかった。
そしてルーの赤い双眸が明らかになれば、妃たちが驚愕する。
「へ……へい、か」
「……いつまで顔を上げている?それともお前たちは皇帝に反する気か?」
後ろでカチャリと鳴った金属音は、多分気のせいじゃない。ま、ルーがいるならグイ兄さまだっているわよねぇ。
「帝国内の貴族や旧王族との繋がりのために幾らか後宮に入れざるを得なかったが。……そうだ、良いことを思い付いた」
「へぇ、なぁに?」
「お前たちが皇帝である私にとんでもない無礼を働いた」
そうね、皇帝陛下を宦官だとねめつけた。宦官が悪いわけじゃない。宦官は陛下や皇族に仕えるために相応しい資格や素質を身に付けたものと言う意味がある。
皇族やとりわけ皇帝は神に通ずるものとされている。皇帝には天子と言う言い方もある。それはそこから来ているのだ。まさに天の遣い、公主の明明ちゃんが仙女と言うのもそこら辺の的を射た正式な名称なのである。だからこそそんな畏れ多い皇帝の素顔を見ることができるものも限られる。
しかしその例外が宦官である。彼らは神の遣いである皇帝に仕えるために、ただびとではない存在となる。つまりは通常の男性としての機能を捨てると言うことだ。そうすることで皇帝陛下のお側でその顔を見てもいちいち皇帝の許しを得る必要はない。
後宮が今の体制になる前は、宦官が入れなかった以上はルーは皇城の幾らかを寝泊まりする場所に使っていたようだ。当然だ、皇帝の世話をするものが入れないのだから。
だから皇帝陛下を宦官扱いするならば、皇帝ではなく皇帝の世話係扱いしているのと等しいわけだ。
「……と、言うわけでだ。処刑した上で次はないと脅しを立て、次の人質を後宮城市の外れに住まわせる。そうすればより一層……臣下として精進するのではないか?」
「そんな、死ぬのはいや……!」
「人質って……い、妹はまだ12で……っ」
「ど……どうかお許しを……っ!」
いや、今さら許しをこうても。他者を下の立場だからと見下し、それからわたしのような少数民族を見下すのは……まるで元皇太后みたい、ルーの一番嫌いな人種では?反対に奥後宮に今暮らす妃たちは……許蘭たちは一度も私に少数民族だから、異民族だからなんて態度は取らなかったわよ。むしろ皇后を目の前にガチガチになるくらいである。
それが彼女たちと目の前の愚かな妃たちの違い。
「安心しろ。その首はしっかりと実家に届けてやる」
それって安心できるのかしらね。しかし……。
「苦しみながら死ぬのと一瞬で死ぬのとどちらがいいかな?」
もはややる気満々なグイ兄さまを止められる手立てなどないし、そんなことをすればお仕置きコース突入である。
「あ、でもルー。そろそろ建国祭だから、この時期に処刑は不味いのでは?」
「……ふむ、それは確かに。グイ、止め」
「えぇ?止めるの?」
グイ兄さまもルーからの命なのでニコニコしながら手を止める。
そして目の前の妃たちがホッと一息吐く。いやだからって、この時期はってことよ?
「そうだ建国祭を記念して恩赦をやる」
ルーったらやけにひとの悪い笑みを向けてるわね。それにパァァッと顔を輝かせる妃たちも違うと思うのだけど。
「妃の座から解放する」
あら……妃として処断するのではないの?
そしてその言葉に喜ぶ妃たち。いや、そんなに甘い処分なわけないじゃないの。
「ただの一般帝国民として処罰を与える」
『……』
妃たちが呆けている。そこでウーウェイがいつの間にか鑑定を終えたのか戻ってきた。相変わらず優秀すぎて何よりだわ。
「麻痺針でした」
「ふぅん……?後宮の策謀としては毒麻痺の類いは昔から聞くけれど、入手経路については調べた方がいいんじゃないかしら。あと全体的に危険物がないか抜き打ち検査」
んなもんホイホイ手に入れられたらたまったもんじゃないわ。かつての元皇太后の手が加わっていた頃の負の産物かしら。
「それも検討しよう」
ルーが頷いてくれる。
「皇后にただの一般人が麻痺針を仕込むとは……即刻処刑が妥当だが、時期も時期だ。入手経路の調査を含めた尋問を受けつつ、肉体労働に勤しめ。建国祭の熱気が冷めた頃に処刑するから」
『……えっ』
みなが建国祭を楽しみにする中、それが処刑へのカウントダウンになるとは。哀れと思えども、自業自得よね。それで後悔するのなら、奥後宮に上がれるように研鑽を積むべきだったのだ。いやその前に下の者や少数民族たちを見下さなければ、奥後宮に上がれたかも知れないのに。
呆然とする彼女たちは、女性武官たちに拘束されながら、外の男性武官たちに引き渡された。
その後彼女たちの実家の当主が呼び出され、新たな人質として後宮入りさせられた娘たちが後宮城市の外れに住まわされたそうだ。
なお、子どもについては成人してからと慈悲を与えたらしい。