――――後宮城市。ただでさえ広い帝都の中にある城市だ。皇帝に娶られたしもじもの妃は、後宮に入ったら生涯出ることはない。出られるとしたら嫁いだ皇帝が崩御して、無事に出家が認められたら……である。
尤も皇帝の代替わりと共に粛清もあるから、皇帝の崩御まで生きながらえたとしても生きて出られるとは限らない。
実際現帝の代替わりの際にも後宮の粛清は行われたはずだ。
しかしながら……。
「どこもかしこも工事中かしら」
後宮の中で生活する妃たちのために用意された宮。ところどころ崩れていたり、骨組みのみだったり、工事中とばかりに立ち入り禁止と札が立っている。
「これなら絞れそうねっ!」
「そう言う問題では……」
ウーウェイは嘆息しかけるが、次の瞬間身構える。私もハッとして振り返れば。
「あの……あなた……西異族でしょ?」
彼女が見ているのはウーウェイだ。彼女も西異族と言うこと。少し浅黒い肌や雰囲気などで彼らは察知する。私も同じ北異族なら判別できるのよね。そしてウーウェイが特に否定しないと言うことは、それが是と言うことである。
「私もなの。あなた……新しく来た妃にお仕えしてるのね」
彼女の装いは質素ながら普通の庶民が着るものではない。かといって西異族の民族衣装でもないわよね。
それに供のものと思われる女官や女性武官は……みな主民族と思われる。それがダメと言うわけではないし、女性武官は元々後宮に勤める近衛の一員だろう。しかし自分付きの女官まで主民族ねぇ。ダメと言うわけではないが……連れて来られず後宮勤めの女官を連れているのか、はたまた地元から連れてきたのなら。
あそこでは彼女らの立場は真逆だ。
臣民が仕えるものに、賤民が主で妃の地位にある。何か気になるわね……?
「……」
そしてウーウェイは彼女を静かに見据え、答えることはない。
当然よね。主を差し置いて話しかける不躾なやからに親切に答えてやるほどウーウェイは甘くない。
「あの……私もこの後宮で暮らしているの。良かったらお話でも……」
何かしら……?皇帝の妃のくせに私の従者をデートにでも誘う気か!?幾らなんでもどうかと思うけど!?
「あの……!」
腕を組み、キッと不躾な妃を睨み付ける。
「私の従者に何か御用で?」
それとも私の従者と気付かなかった?いや、彼女は私を妃と認識しているのだ。普通妃と一緒なら宦官か従者だと思うでしょ。あとは皇帝陛下から特別な許可を得たものや専任の武官か……皇帝陛下。
後宮に普通の男は入れないのよ?間男なんてもってのほか。バレたら主従そろって……いや、同胞みんなそろって終わるわ。
でも戦闘能力だけは秀でているから、戦闘奴隷行きかしら。そんなの冗談じゃないもの。だからそんな愚かなことはしないわ。
「えぇと……私は彼に……」
この期に及んでまだ言うか!この女、後宮に召し上げられておいてそんなことも分からんのか!
「彼は私の従者よ。主の私を差し置いて私の従者を誘惑でもしたいの?あなたも皇緋路陛下の妃として召し抱えられたのではなくて?」
「わ……私は先帝陛下の……っ」
え……まさかの下げ渡し系!?いやだからって、あなたも現帝の妃になったのでしょう?妃は妃。堂々と愛人作ろうとしてんじゃないわよ!
ま、作る妃もいるとは聞くが……節操も何もない彼女が皇帝陛下の寵愛を受けているとも考えにくい。さらに寵愛を受けているのなら、後宮城市ではなく皇城の奥後宮にいるはずである。
「まぁ、いいか。あなた、私が新しい妃だと知っているのでしょう?私の宮の場所、知ってる?」
「ええと……」
その時女官が彼女に耳打ちをする。
「ま、まずはお疲れでしょう?私の宮が近くなので……」
そしてもじもじする彼女とは対極に、女官がフンと鼻を鳴らす。やっぱり彼女たちの力関係……逆よね?
ま、せっかくの招待である。応じてあげるけど。
そうして案内されたのは質素な宮である。ここは城の一部の奥後宮とは違い、豪華絢爛とはいかないのか。それとも区画によって差があるのか。
こうして見る限りは、彼女はそこまでではない。もしくは現帝が質素倹約派か。
まぁ先代が結構派手だったようだから反面教師……と言うのもありかもしれないが、帝国の経済は繁栄しており好調である。だからこそ先代も後宮城市を大きくしたわけだが。
そして先代から当代へ下げ渡しされたとはいえ、彼女は先代のイメージとはかけはなれた質素さだ。
そこに民族的な上下がある……と言うならば納得しよう。悲しいことだが、今だにそう言うのはある。後宮でも同じことが起きていたとしても彼女と女官のやり取りを見れば納得せざるを得ないだろう。
「お……お茶をどうぞ」
宮に入れば卓に案内され、彼女がお茶を差し出してくる。まぁ妃同士でもお茶を淹れないと言ったら必ずしもそうではないのだが。
お世話になった妃や立場が上の妃へ茶を淹れることもあろう。しかし……。
彼女がお茶を用意するのを女官が睨むように見ている……いや、見張っているのはやはり気になるところね。
しかし茶を出されればいただかないわけにもいくまい。
「……」
こちらの茶と言うのは、湯呑みの上に蓋がついている。茶を淹れる時に茶器ごと一度湯に通す行程もあるからなのだが、中に入った茶葉を蓋で押さえながら飲むためでもある。
そうまでするのは、茶葉の形や開くさまを楽しむ……と言う文化もあるからである。
ものによっては花茶と言う花弁が開くように広がる茶葉もあるもので。
ま、これは普通の茶葉のようだが……。
私が蓋を開けると、あからさまに顔面蒼白で震え出す彼女に違和感を覚えないはずがない。そしてそれをキッと睨み付ける女官。
ごくごく一般的な茶葉……を後宮でほかの妃に出すのもどうなんだ。妃の格が知れるわよ。
しかしそんな茶葉にうまく紛れ込ませているものに気付かない私でもない。
だが出されたお茶を飲まないと言うのもね。こんな庶民の茶など飲めるかとお茶をぶっかけ返すのもありだと思うが、さすがにそこまで山猿ではないわよ。それに女官に異様に脅える彼女のことも気になるもの。
「では遠慮なく」
蓋で茶葉を押さえながら茶を口にする。思ったよりも苦いその味に、これでよくもまぁと感心してしまう。
「喉が渇いておりましたのて助かりました。そう言えばあなたの名は?私はセナと申します」
「……えぇと……その、姓が、セナさま……?」
「いえ、私は北異族なので姓はありません。名前はセナだけです」
性格には王族だった頃の屋号はあるが、名前として名乗るものでもない。出自を述べるときにちょっくら使うだけだ。そうして『あぁ、あそこのお嬢さんかー』『旧王族の方』だの分かるだけである。
しかし私のさりげない牽制は、彼女をゾクリと震わせた。
ずっと彼女を見張っている女官は知らないのか、それとも北異族を見下しているからこそ知ろうとしなかったのか分からないが。
彼女は少なくとも知っていたようね。
「私はセナでいいですわ。あなたは?何とお呼びすれば」
「……ファ……範梅花といいます……」
あら……?どこか主民族らしい名なのだが。こちらでは敢えてそう名乗っているのかしらね。
「では範梅花さま。これからよろしくお願いしますね」
「は……はい……っ」
そんなに青い顔をして……そこまでしてやらねばならない理由とは……一体何なのかしらね。
「そうですわ、この蛮……セナ妃さまの従者殿も喉が渇いておられるはず。お茶をご馳走しては?梅花さま……?」
そして女官がにっこりと笑み告げる。今蛮族って言おうとしなかった?それも明確に。喧嘩売ってるわけ?私たち、どちらも【蛮】ではないのだけど。言うなれば私は【冀】、ウーウェイは【西異】だけど?どちらも褒められた呼称ではないが、言うなら言うで正しい言葉を使いなさいよ。悪口言ったあなたが笑い者よ?いい気味だけど。
本当にこの女官は。それとも北異族を西異族と同じように捉えていると言うこと?西異族を下に見るのも良いことではないが、西部の人間は北異の恐ろしさを何ひとつ理解していないのかしら。
――――それに。主人が自ら勧めるならともかく、何故女官が主人に、ほかの妃の従者に茶を勧めさせるのよ!本当に……私を蛮族と呼んで軽んじているのかしら。
「彼は私の従者ですので、心遣いは不要です」
そうきっぱりと告げれば。
「何であなたが答えるのよ!」
生意気すぎない!?この女官はっ!それとも自分の主人に無礼千万働いているからって、少数民族の妃相手にそう言う態度が許されると思っているのかしら!
「私の従者はあなたのように主人の言葉を無視してべちゃくちゃ口を開くほど無作法ではございませんので」
「……なんっ」
女官が口ごもる。へぇ……?自分が無作法であると言われたと言う自覚はあるのね。褒めてあげてもいいわよ。そこだけはね。
「わ、私は西部貴族の娘ですわ!」
ふぅん……?だからこそ西部では賤民扱いの西異族の範梅花さまにそんな態度なわけか。
いや、こちらからしたらそれが何だであるが。
「それで?」
「え……っ」
私が臆することなくそう答えたことで、女官が再び口ごもる。
そうやって範梅花さまも意のままにしてきたのかしらね。彼女の脅えようを見ていれば分かるわ。
「先帝陛下に選ばれた妃が範梅花さまであった事実には変わりないでしょう?先帝陛下にも現帝陛下にも、妃にすら選ばれなかったあなたが貴族の娘であることを語ることに何の意味があるのかしら」
「……は、はぁ……っ、そ、それは……っ」
女官が顔を真っ赤にする。全ては自分が妃に選ばれず、西異族の範梅花さまが選ばれたことによる妬み。
「ただの人質じゃない!」
「そんなの百も承知だわ。一方であなたは人質になる価値すらない貴族の娘。そう言うことでしょ?」
「……ちょ……調子に乗るんじゃないわよ!」
「人質の妃なんだから、人質の妃として胸を張って何が悪いのよ!人質にすら慣れない女が見苦しいのよ!」
「こ……っ、この……っ」
女官がこちらに向かってくる。
「そろそろ効き始めるはずよ!」
勝ち誇ったような笑みを浮かべる女官。一応男手もこちらにいるのだが、ウーウェイが西異族出身だからって、ナメてる?
「はぁ……仕方がない」
あまり手荒な真似は好きではないのだけど。
そして私が何者であるかよく分かっているウーウェイは動かない。それを吉ととった女官は懐から短刀を取り出し私に振り下ろそうとする。
「きゃ……っ」
範梅花さまが涙を貯めながら脅えて崩れ落ちる。そんなに脅える必要なんてないのにねぇ。それとも彼女たちにとっても私たちは恐ろしい存在なのかしら。
だとしても……だ。
「ナメんなぁっ!!あんな毒草茶ぁ屁の河童でもないのよっ!」
素早く立ち上がり、女官の短刀を手刀で叩き落とせば、華麗に女官の頬目掛けて足蹴りをキメてやった。
「へぶっ、なん……っ、で」
頬を蹴り飛ばされた女官がずどんと音を立てて崩れ落ちる。
うん?女の顔には手を出すな?女を泣かせた女にそんな生易しい格言は不要よ……!