――――いくら何でも妹の身代わりで後宮入りだなんて、横暴すぎる……!

いやこの国は皇帝制なのだから、皇帝が来いと言ったら臣下として来るのは当然である。
この帝国は現帝のもと、幾つもの小国を征服して大きくなってきた。

私、セナの祖国もそんな小国のひとつ。今は自治区となり元王族が治めているが、帝国に加わった元小国の中でも【異民族】【北異族】と呼ばれる特殊なくくりの少数民族なのだ。だからこそ帝国に気に入られることで生き延びることができるのだ。

そんな状況下で、皇帝に嫁ぐことで祖国や同胞が生き延びるために嫁ぐはずだった妹のエイダが……逃げた。いくらなんでも帝国に嫁ぎたくないからと言って、駆け落ちをしたのだ。

――――私の婚約者と一緒に。まぁ、帝国からも一目置かれる美少女だったからなぁ。粉紅(もも)色の髪に翡翠の瞳、圧倒的に整った顔立ち。そんな妹に心奪われた私の元婚約者。皇帝に嫁ぐはずだった姫をかっさらうとか命が惜しくないのかしら。

ま、そんな男だと事前に知れたことは幸いである。あと、この不祥事を埋めるためにお父さまと長子であるお兄さまがてんやわんや。本当にあの妹は。

「まぁ、元婚約者に未練なんてないし……むしろ気持ちなんてこれっぽっちもないけど」
最初の顔合わせの時から、あの男はどうしても付いてきたいとせがんで同席した妹ばかりを見ていた。
私は早くから政略結婚の枠を用意されていた。しかし反対に妹には婚約者はあてがわれなかった。その意味を妹は曲解したのだ。自分は好き勝手に恋愛していい……と言う思考に。いやいや、違うでしょ。妹がフリーだったのは、万が一帝国から花嫁を寄越せと言われた時に嫁ぐためである。そのためには手を付けさせるわけにはいかない。そしてできるだけ皇帝陛下の機嫌をとるために、若い方がいいと言う考えだ。

まぁ、妹と私は年子だったから、そこまで気にすることでもないし、その頃からは皇帝陛下も当時の皇子殿下に代替わりしているわけだが。

「年齢は……私より5つ上」
私は19歳で、皇帝である(ホアン)緋路(フェイルー)陛下は24歳である。若くして先帝の威光を引き継ぎつつ、帝国を纏めあげるすごい方なのだ。
皇帝の寵愛が欲しいわけではない。ただ祖国や同胞が虐げられることなく暮らしていけるだけのご機嫌がとれればいい。

【セナが来てくれるとは思わなかったよ。お兄ちゃんもさすがにエイダはどうかと思っていた。俺もこちらにいるし、エイダが皇帝陛下に不敬を働いたら責任もってとっとと首を刈るつもりだったから、セナが来てくれるなら安心だね。こちらに着いたら報せてね】
そんな恐怖の手紙を帝都からもらいつつ、私は全く安心できないのだが。
この手紙の主は私の2番目の兄・グイお兄さまである。この兄は良き次期領主と誉れだかい長兄とは異なり完全に危険人物である。皇帝陛下の前でへまでもしようもんなら容赦なく本気で首を刈る気。肉親だろうと容赦も慈悲もないのである。ぶっちゃけ皇帝陛下よりも、この次兄の方がよっぽど恐ろしいわよ。

「残念ながら、妹のような美貌はないもの」
髪だって淡い小麦色と言う微妙な色。瞳こそ翡翠色なれど、顔立ちはわりと普通。エイダと比べられれば普通。それが私の評価である。
だから皇帝陛下に目を付けられることはないはずである。そしてグイお兄さまからも遠ざかれるはずだ。うん、君子危うきに近寄らず。

しかしただ後宮で呆けていれば逆の意味であの恐怖の兄が襲ってきそうである。
後宮入りするからには……皇帝陛下に目を付けられない程度に何か功績を残さねばね。
ならば何で勝負しようと考えた時、パッと浮かんだものがある。

「セナさま、着きましたよ」
従者が私の名を呼ぶ。青髪に紫の瞳、浅黒い肌の青年だ。
私のような少数民族の中には、皇帝陛下を始めとする主民族のように【姓】を持たないものも多い。
だから私の名は姓のないただの【セナ】である。主民族風に当て字を付ければ【塞那】である。

さらには嫁いだとしても基本は夫婦別姓な上に、皇帝に嫁いだからといって皇帝の姓を名乗れるはずもない。皇帝の姓を名乗れるのは皇帝と皇太子のみである。それ以外は母方の姓を名乗る。母方に姓がなければ姓はない。

だから私はどこへ行ってもただのセナなのだ。

「はーい、ウーウェイ」
それが従者の名である。彼には一応姓と言うものがあるが、家族や義兄弟などよほど親しいものでなければフルネームで呼ぶのも普通な世界である。むしろ短い名前も多いので、フルネームで呼ばないと誰が誰だか分からないと言う理由もある。

そのため主民族の【文字】を使うのだが、西異族の名前にそれを使うと当て字となる。当て字は所詮当て字。元々の私たちの言語とは異なるから何だか使いづらい。だから公文書などでは使うものの、普段は使わないのだ。因みにウーウェイは【無為】よね。他の字もあっただろうに……ま、本人がこれでいいと言うのだから仕方がないか。

「返事は伸ばさない」
ふぐ……っ。それはともかく何で従者から小言が飛んで来るのよ……!

馬車を降りればそこは、もう皇城である。

「すごいわね」
「当たり前です」
本当にこの従者は私に辛辣な。生まれは少数民族と帝国の主民族。しかし私とは別の少数民族・西異族である。元々は故郷があったんだけど、小国同士の小競り合いで住む場所を失いうちの自治区に逃れて来たのだ。
まぁ今では帝国の領土だから不毛な小競り合いはないとはいえ、そこに彼らは戻ろうとはしなかった。何故ならうちの自治区では彼らは都市民と農村民に分かれつつも庶民であるが、故郷では賤民とされるからだ。

普通は少数民族と主民族と言えば、そう言う軋轢があるものだ。そんな中でも帝国から自治権を認められた我が小国……北異族はヤバいやつらなのかもしれない。

ま、だからこそ私も強みを活かせると言うわけだが……!

「ちゃんと帝国の伝統に則っていいコにするように」
「わ、ワカリマシタ」
むしろ何かしら、ウーウェイは従者と言うよりも保護者かしらね……?いやそれでもいいけど。

「ようこそ参られた、蛮族のセナ公主」
いきなりの暴言ね!?それでも教育を受けてきた皇城の女官なのかしらね?

「確かに私は少数民族ですけれど、【蛮】は南方の民族に使う文字。北異族は北方で暮らす民族ですから【冀】を使うのが正しいのではなくて?帝国の皇城の女官とあろうものが、帝国の地理も文字の使い方もご存知ないとは。それとも皇城の女官とは、地理も文字も分からずともなれるものなので?」
かっわいそ~~とばかりににっこり微笑んでくれる……!!!

女官は私が言い返すとは思っていなかったのか、ぱちぱちと目をしばたかせ、そして顔をかあぁっと真っ赤に染めた。
そして周囲からも嘲笑が漏れ、さながら公開処刑のごとき空気になっているけれど。
私のことを異民族だとバカにしてきたこの女官が明らかに悪いわよね。

「それで……あなた、案内もできないのかしら」
いつまで待たせる気?

「……覚えていなさい……っ!」
そう言うと女官はぷんすか怒って踵を返してしまう。えちょ……案内しないの!?できないの!?そりゃまぁ面子をバッキボキに折ってやったのも確かだ。この世界では面子も大切。相手の面子を立て、自分の面子を保つのも大事。けどね、少数民族だからってバカにしてくるやつの面子なんざぁ知らないのよ……!!

さらには皇帝の妃として嫁いできた公主にいい度胸だわ。皇帝の妃として寵愛を受けるつもりはなくとも、妃になることは確かなのにね。

「行きましょ、ウーウェイ」
「セナ公主。先程の返しは見事でしたが、部屋に通されるまで我慢というものができないのですか」
ふぐ……っ。確かにウーウェイの言う通りだわ。私たち、行く方向も分からないのよね!?

「後宮を適当に歩いていれば、どこかにあるわよ!私の部屋!」
「いや、後宮がどれだけの広さか分かっていますか?後宮はひとつの大きな城市《まち》に他ならないんですから」
正確には皇后や位が高かったり、皇帝の寵愛を受ける妃の暮らす皇城と繋がっている皇帝の寝所のある奥後宮、それからその外に以下その他の妃たちが暮らす後宮城市(がい)。帝国ともなれば後宮は広大だ。妃が多いからこそ、しもじもの妃の暮らす宮や、必要な店が揃い、護衛や女官たちの暮らす区画まである。その周りには皇帝の妃が暮らすための囲いがある。
この世界の【街】や【都市】とは城壁を造りその中に居住区が築かれる。だからこそ帝都を囲う城壁の中にあろうとも、別途城壁に囲われた後宮城市(がい)はある意味ひとつの【都市】なのだ。

「でも現帝はまだそんなに妃を迎えていないと聞くわ」
場合によっては100人以上にものぼる妃の数。しかし即位してまだそんなに経っておらず、まだ若い皇帝陛下はそれほど妃を迎えていないという。いてもせいぜい……数人かしら。皇后など一部の寵愛を受ける妃以外はぶっちゃけ人質だから、今後陛下が帝国を纏め上げていくにあたり増えるだろう。私みたいな少数民族の反乱を抑えたり、征服した小国の公主を娶ることで忠誠を誓わせるって言うようなね。
まぁぶっちゃけ帝国の下にいた方が他国に攻められにくいってのもあるから、これからもご贔屓に代わりに公主を嫁がせることもあるのだが。

「だからって、先帝陛下の後宮は100人を超える妃がおりました。当然その跡としてたくさんの宮がある。どれがセナさまの宮か分かりますか?」
「……分からないわね」
先帝は帝国を繁栄に導いたからこそ、その報奨や証のためにたくさんの妃を迎えた。時には賄賂、時には人質、忠誠を試すために。
現帝陛下の時代となり、多くの妃は後宮を出されて出家している。先帝の時代に罪を犯していれば粛清、時には現帝陛下の腹違いの兄弟やそ兄弟を産んだ妃を処分……なんてきな臭いことだって行われてきたはずだ。処分を受けるのは現帝陛下の脅威となる場合がほとんど。現帝陛下の皇位を狙えば粛清対象となる。そして害がない……現帝陛下に忠誠を誓うのなら、皇子と共に封地送りである。

そのほかには……あまりないけれど、先帝の頃の妃が現帝陛下に払い下げ……なんてこともある。
ぶっちゃけそこまでの事情は私の耳には来なかったが。

「取り敢えず……余ってる宮を借りちゃえばいいのよ!」
「不法侵入になるのでやめてください」
ウーウェイからピシャリと告げられたものの、現状私たちに手を貸してくれるものは……いなさそうね。とにかく手だてを考えなきゃ、せっかくの私の作戦もおじゃんになってしまう。

「どうしたものかしらね」