人の気配がない時計店の前の、細く入り組んだ路を並んで歩きながら、澪は昴を見た。早速腕に身につけている。銀の時計は、紺の着物によく似合う。
そうして歩き出して、少しした時だった。
前方から人の気配がした。通行人だろうかと顔を上げた瞬間、澪は眉間に皺を寄せた。相手は伊織の比ではなく、それこそ前回の『ジャック』と同じくらい強烈に、生臭い匂いを放っている。それだけではない。纏っている灰色のローブも同じものに見える。明らかなる不審者だと思った時、その者が銀色のナイフを取り出した。
不審な男がナイフを振りかぶり、突進してくる。澪は横に飛び退いて避ける。そしてハッとした。自分はこの程度は避けられる。吸血鬼は人間よりも身体能力が高いという特性がある上、華族として護身術も身につけているからだ。だが、ただの人間である昴は違うはずだ。一般人だ。
「っ……」
見れば昴が、男に気絶させられたところだった。幸い血は流れていないが、首筋に強く打ち付けられたらしい。男は昴を俵抱きにした。そして、走り出そうとする。
「な」
驚いた澪は、咄嗟に男に足払いを仕掛ける。すると路地に男が転倒した。それでも昴を抱え直そうとしているのを見て、反射的に澪が意識のない昴の腕を掴む。すると男が振り返った。ローブで顔は見えないが、相手をキッと澪は睨み付ける。迫力ある眼光で、男を射貫くように見た。するとビクリとした男が、怯んだ様子で昴から手を離すと、一目散に走り去る。
「……」
不審者の姿が見えなくなってから、はぁと胸を撫で下ろした澪は、それから意識のない昴を抱き起こす。
「兄上が狙われたのは、間違いがないな」
ぽつりとそう零してから、澪は昴の肩に触れる。
「っ、ん」
すると昴の瞼がピクリと動いた。長い睫毛がゆっくりと揺れた。
「兄上!」
澪が声をかけると、何度か瞬きをしてから、しっかりと昴が目を開けた。
「よかった。意識が戻ったのか」
地に膝をついて横抱きにしている澪の腕の中で、ゆっくりと昴が体を起こす。
「俺……あ!」
そこで我に返ったように昴が声を上げた。
「さっき変な男が……! 澪、怪我はないか!?」
「俺は大丈夫だ。大丈夫ではなかったのは、兄上の方だ」
澪が微苦笑してそう告げると、昴が目を丸くし、それから片手を首筋にあてた。気絶させられた時に打たれた箇所が、赤くなっている。肌が白いからよく見える。
「兄上、とりあえず馬車まで戻ろう。ここはまだ危険かもしれない」
「う、うん」
頷いた昴は、澪の腕から出て地面に立った。それを確認してから、澪もまた立ち上がる。そして澪は、昴の手を握った。もし不審者がまた現れても、絶対に連れ去られないための方策だ。腕を引きながら角を曲がって、馬車が停まっている場所に行き、御者に扉を開けてもらう。
こうして二人は馬車に乗りこみ、すぐに車窓からは風景が流れはじめた。
「怖かったな……」
馬車が走り始めて数分。
何度も浅く息をしながら、昴が改めてそう述べた。澪は、馬車の中央のテーブルの上にあったティーポットから、カップに二つ紅茶を淹れる。自分の方にだけ、特別な角砂糖を入れ、昴の方には砂糖は渡さず、カップだけを差し出す。一口飲み込み、甘い血の匂いを感じると、澪の体から疲れと緊張感が同時に抜ける。怖くはなかったが、驚きはした。
「兄上」
「ん?」
「襲撃してきた者に、なにか心当たりはあるか?」
「全然ない」
「そうか」
昴の回答を耳にしつつ、だとしても狙われたのは昴だと考え、澪は内心で首を傾げる。それに不思議な生臭い匂いも気にかかる。
「なにが狙いだったんだろうな?」
「さぁ? 兄上には本当に心当たりはないんだな?」
「ああ、本当に何もないよ」
そんなやりとりをしながら、二人は馬車で帰宅した。親しくなる予定は、澪の中では延期された。
そうして歩き出して、少しした時だった。
前方から人の気配がした。通行人だろうかと顔を上げた瞬間、澪は眉間に皺を寄せた。相手は伊織の比ではなく、それこそ前回の『ジャック』と同じくらい強烈に、生臭い匂いを放っている。それだけではない。纏っている灰色のローブも同じものに見える。明らかなる不審者だと思った時、その者が銀色のナイフを取り出した。
不審な男がナイフを振りかぶり、突進してくる。澪は横に飛び退いて避ける。そしてハッとした。自分はこの程度は避けられる。吸血鬼は人間よりも身体能力が高いという特性がある上、華族として護身術も身につけているからだ。だが、ただの人間である昴は違うはずだ。一般人だ。
「っ……」
見れば昴が、男に気絶させられたところだった。幸い血は流れていないが、首筋に強く打ち付けられたらしい。男は昴を俵抱きにした。そして、走り出そうとする。
「な」
驚いた澪は、咄嗟に男に足払いを仕掛ける。すると路地に男が転倒した。それでも昴を抱え直そうとしているのを見て、反射的に澪が意識のない昴の腕を掴む。すると男が振り返った。ローブで顔は見えないが、相手をキッと澪は睨み付ける。迫力ある眼光で、男を射貫くように見た。するとビクリとした男が、怯んだ様子で昴から手を離すと、一目散に走り去る。
「……」
不審者の姿が見えなくなってから、はぁと胸を撫で下ろした澪は、それから意識のない昴を抱き起こす。
「兄上が狙われたのは、間違いがないな」
ぽつりとそう零してから、澪は昴の肩に触れる。
「っ、ん」
すると昴の瞼がピクリと動いた。長い睫毛がゆっくりと揺れた。
「兄上!」
澪が声をかけると、何度か瞬きをしてから、しっかりと昴が目を開けた。
「よかった。意識が戻ったのか」
地に膝をついて横抱きにしている澪の腕の中で、ゆっくりと昴が体を起こす。
「俺……あ!」
そこで我に返ったように昴が声を上げた。
「さっき変な男が……! 澪、怪我はないか!?」
「俺は大丈夫だ。大丈夫ではなかったのは、兄上の方だ」
澪が微苦笑してそう告げると、昴が目を丸くし、それから片手を首筋にあてた。気絶させられた時に打たれた箇所が、赤くなっている。肌が白いからよく見える。
「兄上、とりあえず馬車まで戻ろう。ここはまだ危険かもしれない」
「う、うん」
頷いた昴は、澪の腕から出て地面に立った。それを確認してから、澪もまた立ち上がる。そして澪は、昴の手を握った。もし不審者がまた現れても、絶対に連れ去られないための方策だ。腕を引きながら角を曲がって、馬車が停まっている場所に行き、御者に扉を開けてもらう。
こうして二人は馬車に乗りこみ、すぐに車窓からは風景が流れはじめた。
「怖かったな……」
馬車が走り始めて数分。
何度も浅く息をしながら、昴が改めてそう述べた。澪は、馬車の中央のテーブルの上にあったティーポットから、カップに二つ紅茶を淹れる。自分の方にだけ、特別な角砂糖を入れ、昴の方には砂糖は渡さず、カップだけを差し出す。一口飲み込み、甘い血の匂いを感じると、澪の体から疲れと緊張感が同時に抜ける。怖くはなかったが、驚きはした。
「兄上」
「ん?」
「襲撃してきた者に、なにか心当たりはあるか?」
「全然ない」
「そうか」
昴の回答を耳にしつつ、だとしても狙われたのは昴だと考え、澪は内心で首を傾げる。それに不思議な生臭い匂いも気にかかる。
「なにが狙いだったんだろうな?」
「さぁ? 兄上には本当に心当たりはないんだな?」
「ああ、本当に何もないよ」
そんなやりとりをしながら、二人は馬車で帰宅した。親しくなる予定は、澪の中では延期された。