オレの名前は、高宮和樹(たかみやかずき)

家から近い公立高校に通う17歳の高校2年生。


勉強も運動も人並みの普通人間。

女子からは好かれているほうだとは思うが、それは親しみやすいというだけで決してモテているわけではない。


でもべつに、オレは女子からモテたいとは思っていない。

というのも――。


「和樹!聞こえてるか?」


はっとして隣を見ると、父さんがオレの顔を覗き込んでいた。


「…あ、ごめん。ちょっとぼうっとしてただけ」

「たく〜。和樹は昔からそういうところがあるな」


そう言って、父さんがオレの肩をたたく。


父さんとは朝同じ時間に家を出ることがよくあるから、こうしていっしょに学校までの道を歩く。


背が高くて温厚な父さん。

オレが末っ子ということもあってか、これまで父さんに怒られたことは一度もない。


「和樹ー!」


すると、家を出て数分ほど歩いたところで、後ろからオレを呼ぶ声がした。

振り返ると、エプロンをかけたままの母さんがオレを追って走ってきていた。


「和樹、お弁当忘れてるよ!」


オレのところまでやってくると、母さんは手提げのお弁当袋をオレに手渡した。


「うわ、オレ完全に玄関に忘れてたよ。ありがとう、母さん」

「どういたしまして」


息を切らしながらも微笑んでくれる母さん。


「今日の夜は和樹の好きなトンカツにする予定だから、あまり遅くならないでね」

「わかった!」


母さんに手を振り、そのあとバス停で父さんを見送ってオレは学校へと向かった。


至って普通なオレだけど、やさしい父さんと母さんがいて、頼もしい年の離れた兄ちゃんが2人いる。

自分でも順風満帆な人生を過ごしていると思う。


「か〜ずき!」


そのとき、後ろから飛びつくようにしてオレの肩を組んできたやつがいた。

そんなの、見なくてもだれだかすぐにわかる。


「ハル!」


それは、オレの幼なじみの阿部光晴(あべみつはる)だ。

家も近く、幼稚園からの仲で、オレは『ハル』と呼んでいる。


ハルはオレと違って、勉強もできれば運動神経も抜群。

おまけに180センチ近い高身長でスタイルもよく、顔よし、性格よしで非の打ち所がない。


同じ学校の制服を着ていても、身長170センチもないオレではそもそもの制服の着こなしが違う。


髪型も無難なマッシュヘアのオレとは違い、ハルは黒髪ストレートの前髪長めのセンターパート。

サイドはツーブロックで刈り上げていて、そのショートカットがハルにめちゃくちゃ似合っている。


おそらく普通の男子がしたら『おかっぱ』と言われて笑われそうなところだけど、小顔で首が長いハルだからこそ似合う髪型だ。


そんなハルがモテないわけがない。

幼稚園、小学校、中学校、高校とすべてハルと同じだが、いつでもハルはクラスのムードメーカーで人気者だった。


もちろん彼女だっていそうなところだけど、実は今までそんな話は聞いたことがない。

告白されている現場は何度も見たことはあるのに。


「彼女ができたら、和樹と遊ぶ時間が減るだろ」


不思議に思って中学のときに聞いてみたら、ハルはこう答えた。

それに、さらにこんなふうにも言ってくれた。


「俺は、お前がそばにいてくれたらそれでいいんだ」


その言葉がうれしくて、オレは今でもまるで昨日のことのように覚えている。


ハルはきっと幼なじみとしてそう言ってくれたのだろうけど、そのときオレはハルに対して特別な感情が芽生えた。


そう。

オレがハルに恋した瞬間だった。


ハルと同じ高校に入りたくてがんばって勉強して、高1・高2と同じクラスにもなった。

朝、お互いを見つけたときはこうしていっしょに登校する。


べつに女子からモテなくたっていい理由は、オレもハルがそばにいてくれたらそれでいいからだ。


ただ、この先もずっとハルの隣にいられるのだろうか――?


それが、オレが最近抱えている悩みだ。


大学に行ったら?

社会人になったら?


そうなったら、さすがにハルの一番はオレじゃなくて、きっと他に大切な人ができるはずだ。


『俺は、お前がそばにいてくれたらそれでいいんだ』


ハルはああ言ってくれたけど、あれも中学のときの話。


もしかしたら、ハルは自分がそんなことを言ったことも忘れてて、彼女をつくる日だってそう遠くない未来かもしれない。

明日――、もしくは今日という可能性だってある。


だったらオレは、このままでいいのだろうか。

そんな日がきたとき、きっとハルにこの気持ちを伝えなかったことを後悔するはずだ。


だけど、オレの気持ちを知ったら――。

もうハルとは、この居心地のいい幼なじみの関係には戻れない。


それだけはわかる。


――だから、オレはハルに打ち明けたくてもそれができないもどかしさに駆られていた。


「あっ、そうだ。俺、今日日直だったんだ」


隣を歩いていたハルが思い出したようにつぶやいた。


「ハル、今日なんだ?ってか、日直って地味に面倒だよな〜。1限前に黒板消しをクリーナーにかけなくちゃいけねぇし」

「それな。前の日の掃除でやってるのにな」

「毎回、これやる意味あるのかなって思ってる」

「俺も。でもまあ、ちょっと早めに行ってくるわ」


ハルは前方の歩行者専用の信号機が青に変わったのを見て、オレに向かって軽く手を上げてから走り出した。


「ハル、また学校でな!」

「ああ」


オレはハルの後ろ姿を見届ける。


――と、そのとき。

オレの視界の端になにかが映った。


はっとして目を向けると、それは猛スピードで道路を一直線に走ってくる赤い乗用車だった。


まさかそんなはず…、とは一瞬思った。


しかし、赤い乗用車の先には信号が青になったばかりの横断歩道。

その横断歩道を今まさにハルが駆け足で渡ろうとしていた。


どう考えたって、あの赤い乗用車は横断歩道手前で止まれるようなスピードなんかじゃない。


「…待てっ、ハル!!」


オレはそう叫んでハルのあとを追った。

そのオレの声に気づいたハルが、横断歩道の途中で立ち止まってオレのほうを振り返る。


ダメだ、ハル!

そこにいたら――!!


赤い乗用車は減速することはなく、ようやくそれに気づいたハルが青ざめた表情をしたのが見て取れた。


「ハル!危ない…!!」


無我夢中で走ってハルに追いついたオレは、その勢いのままハルを思いきり突き飛ばした。


向こう側の歩道に向かって吹っ飛ぶハルの体が、スローモーションかのようにゆっくりとした動きに見える。


ハルがオレに向かって手を伸ばしてくれる。

まるで、お前もいっしょにこっちにこいと言っているかのように。


だけど、オレはその手を取ることはできない。

オレは自分の運命を悟ってしまったから。


ハル、そんな顔するな。

オレは幸せなんだから。


好きなやつを守って死ぬのなら、それはもう本望だよ。


ただ、こうなるのなら――。

ハルに気持ちを伝えておけばよかった。


来世では、お前と結ばれるような運命だったらいいな。


「かっ…、かず――!!」


* * *


佳月(かづき)!こんな時間までなにをしておる!」


ドスの効いた声で怒鳴りつけ、オレ――…じゃなくて、わたしを突き飛ばしたのお父様だった。


「早く蔵に行かんかっ!」

「も…、申し訳ございません。すぐに…」


わたしは、尻もちをついた状態からそそくさと立ち上がると、庭にある蔵へと逃げるようにして向かった。


ハルを庇って、あの日死んだオレ。

気づいたら、この家に赤ちゃんの身なりとなって生まれ変わっていた。


しかも、性別は…“女”!


どうやら、これは俗に言う“転生”というやつで、しかも翡昭之國(ひしょうのくに)という和風の異世界にいた。


わたしは、高宮家という優秀な異能家系の長女として生まれ、『佳月』と名付けられた。

くしくも、前世の高宮和樹と『ず』と『づ』が違うだけの同姓同名で響きは同じだった。


体が女ということや、異能という不思議な力が当たり前のように使われていることに初めは驚いたが、この生活もかれこれ17年。

さすがにもう慣れた。


容姿は、栗色の腰まであるストレートの長い髪が特徴的。

おそらく顔のつくりは前世とは変わりなさそうだが、意外とロングヘアが似合う顔だったことにびっくりだ。


異性から“モテる”ということには無縁の前世だったけど、転生後のわたしのこの姿は、どうやらこの国では『容姿端麗』という言葉に分類されるらしく、わたしが外を出歩けばいつも男性たちの注目を浴びるのだった。


ハルもこんな気持ちだったのだろうか。

今なら、『モテすぎて困る』という悩みがわたしにもわかる。


しかも、高宮家はこの辺りでは一番の財力があり、わたしはご令嬢として幼い頃から必要十分な教育を受け、実に裕福な暮らしをさせてもらっていた。


ハルの命を救ったことで、神様が第二のすばらしい人生を与えてくれたんだ。

初めはそう思っていたが、現実はそんなことなどなかった――。


というのも、さっきのお父様の言動でもわかる通り、わたしはこの家で家族から虐げられている。


その理由は、優秀な異能家系の高宮家で、これまた優秀な異能者を両親に持ちながら、わたしには異能の才能がまったくないからだ。

3つ下の妹の沙知(さち)にも馬鹿にされ、わたしはこの家で肩身の狭い思いをしていた。


両親からは蔑まれ、意地悪な妹からも見下される毎日――。

そういえば、こんな設定の少女マンガをクラスの女子が好んで読んでいたことを思い出す。


「うわっ…。お姉様、まだこんなところにいたの?」


まるで汚いものでも見るかのような目つきで、沙知はわたしに冷たい視線を送る。

我が妹ながら、意地の悪い顔をしている。


「佳月!さっさと蔵へ行きなさい!」

「は、はい…」


金切り声でわたしを怒鳴りつけるこの着物の女性は、この世界でのわたしの母親。


わたしが“ある秘密”を抱えているがゆえに、それを他人に見られないようにとある決まった夜には蔵に閉じこもっていなければならない。

だから、この日だけはお父様もお母様もいつにも増して当たりが強くなる。


わたしが蔵へ入るとすぐに、それを確認しにやってきた両親によって蔵の重い扉は閉ざされ、外側から鍵をかけられる。

真っ暗になった蔵には、明かり取りの窓があるが今夜の月は姿を消している。


というのも、今宵は朔の日――“新月”だからだ。

月が出ているかどうかもわからないほどの闇に包まれる日。


夜が深まるにつれ、わたしの体にはある異変が起こりはじめる。

それこそが、1人蔵に閉じ込められる原因となるわたしの“秘密”だ。


美しい長い栗色の髪は徐々に短くなっていき、柔らかな肌は引き締まった筋肉質に。

そして、ふっくらした胸がしぼんでいくと、硬い胸板へと変化する。


蔵の中に放置されている姿見に映った自分と目が合い、『またか』とわたしはため息を漏らす。


そこに映るのは、佳月がさっきまで着ていたものと同じ花車の柄があしらわれた赤い着物まとった――男だった。

というよりも、赤い着物を着た転生前の男子高校生のオレそのものだ。


佳月の“秘密”というのは、新月の夜だけ突如として“男”に戻ってしまうというもの。


だから、鏡に映る転生前のオレとそっくりの男は、高宮佳月本人なのだ。


見た目だけでなく、おそらく体質も男になっている。

だから、もちろんあそこには“アレ”もついている。


この現象は、10歳の頃に突然現れはじめた。

わたしは当然驚いたが、久しぶりの男の体になんだか懐かしさを感じた。


しかし、わたし以上に驚いたのは家族だった。


お父様は祟だと言って、異能で厄払いを試みる。

お母様は現実を受け入れることができず嘆き悲しみ、妹の沙知はわたしを化け物扱いした。


この現象は、翌日の太陽が昇り始めるとまた徐々に元の体に戻っていくのだが、そのときから毎月新月の夜になるとわたしは男体化してしまうようになったのだ。


だれもがうらやむ美貌を兼ね備えた容姿端麗の高宮家のご令嬢が、実は月に一度だけ男になるという秘密は絶対にだれにも知られてはいけない。


初めてのときがたまたま家族の前だったからよかったものの、高宮家にはたくさんの使用人がいる。

使用人が知ればどこで秘密を漏らされるかわからないと恐れた両親は、男体化になる新月の夜だけわたしを蔵に閉じ込めるのだった。


もちろん使用人たちは不思議に思ったが、表向きは『眠った異能を目覚めさせるために自分と向き合わせる修行』としている。

異能家系ではない使用人たちが異能について詳しく知るわけでもなく、みなそういうものなのかというふうにすんなりと納得した。


異能家系であっても、異能の力が弱かったり、異能が使えない無能が生まれることは稀にある。

そういう者たちは、優秀な異能者たちから蔑まれ、昔から差別の対象にもなっている。


もちろんわたしだってそうだったが、両親はそんなわたしを愛情いっぱいに育ててくれた。

なんだったら、わたしを馬鹿にしようものなら、高宮家の財力によって潰すことさえできるのだから、この辺りではわたしを差別する者もいなかった。


おそらく、両親がわたしをかわいがってくれたのはこの容姿のおかげだと思っている。

「佳月ほどの美しさは他にいない」とお父様は口癖のように言ってくれていたから。


しかし、わたしが男体化すると知って――。

それまでの家族の態度が一変した。


無能ということは容姿でカバーされたものの、男体化する奇妙な娘というのはさすがの両親も受け入れられなかった。

そうしてわたしは家族から忌み嫌われ、こんな生活を7年続けている。


どれほど気味悪がられようと、わたしはなにも言わなかった。

なぜなら、本来のお父様とお母様の姿を知っているから。


それに、2人とも転生前のわたしの両親と顔がそっくりなのだ。

父さんと母さんのことが大好きだったからこそ、顔が同じ今のお父様とお母様のことを嫌うなんてこと、わたしにはできなかった。


化け物扱いされても、貧富の差があるこの世界において生きていく上で不自由のない暮らしをさせてもらっている。

それだけでありがたいと思って、わたしはこの高宮佳月としての運命を受け入れる。


そう思って、とくにこの先の未来にこれといった希望なんて持たなかった。

それがまさか、あんな出会いが待ち受けているなんて――。


* * *


それから数ヶ月。

わたしは、この日のために新調した淡い黄色の束ね熨斗柄の着物に身を包み、迎えの車がくるのを1人部屋で待っていた。


髪は普段と違って編み込んでひとつにまとめていて、大人っぽい化粧もして。

これらはすべて使用人がしてくれた。


なぜこのような姿になっているのかというと、今日はわたしの嫁入りという晴れの日だからだ。


あれは、ちょうど1ヶ月前のこと。

高宮家に朝廷から1通の手紙が届いた。


朝廷から手紙という時点で驚いたけれど、内容は阿部家の次期当主様の花嫁候補として、高宮家の娘が選出されたというものだった。


阿部家というのは、異能の力に加え、阿部家でしか扱うことができないとされる星の力を宿し、代々この国を支えている由緒正しき陰陽師家系だ。

星の力により帝に助言を許された唯一の家系で、朝廷との関わりは深い。


その阿部家の次期当主が結婚を許される17の歳になったため、朝廷より花嫁探しが行われた。

将来、この翡昭之國を背負って立つ人間といっても過言ではない阿部家次期当主の花嫁ということで、名のある異能家系であるのはもちろんのこと、その中でも容姿端麗と噂される娘がいる家系が選ばれたようだ。


「すごいわ!阿部家の花嫁候補だなんて!あの神のような存在の阿部家と親族になれるかもしれないよ!」

「そうだな。そうなれば、高宮家は歴史に名を残すこと間違いなしだな」


だれもがうらやむ阿部家次期当主の妻という地位。

そこに自分たちの娘がなるかもしれないということで、両親は大いに喜んだ。


「頼んだわよ、沙知!」


お母様は期待のまなざしを沙知に向けた。

――しかし。


「イヤよ!どうしてあたしなの。まだ14なのにっ」


沙知は眉間にしわを寄せ、嫌悪感を露わにしていた。


「なに言ってるの。この国では女は14で一人前とされ、結婚も許されているのだから。それに、あの陰陽師家系の妻になれば、神の一族として崇められるのよ」

「それでもイヤなものはイヤ!だって、次期当主様ってあの“噂”のお方でしょ?」


沙知が言う“噂”とは、この国の者であるならみなが耳にしたことがあった。


阿部家次期当主様は、冷酷非道の男である――と。

一部では、人間ではなく氷の心を持った人形だとも言われている。


沙知も大概わがままで思いやりがないため、そんな沙知が冷酷非道と噂される方のところへ嫁げるわけがない。

それは薄々両親も感じていたようで、それ以上強くは言えなかった。


「しかし、…沙知がだめというのなら」


おそるおそる振り返った両親の視線がわたしに向けられる。


「でも、あなた…!もし、佳月の秘密を知られたら…」


両親の一番の不安はそれだった。

片方が無能でも異能者が生まれることは当然のようにあるからか、有名な異能家系の出であれば能力の有無は重要視されていなかったが、わたしには無能よりも絶対に人に知られてはいけない秘密がある。


だから、なるべくわたしは差し出したくない。

しかし、頼みの綱の沙知は言うことを聞いてくれない。


かと言って、朝廷から直々の申し出を断ることは絶対に許されない。


「いいじゃない。お姉様なら、どんなにひどい言葉で罵られようとへっちゃらでしょ」


沙知はそう言って鼻で笑った。


両親は沙知をなんとか説得しようとするが、沙知は突っぱねる一方で話すら聞こうとしない。

こうなってしまった沙知は梃子でも動かない。


困り果てる両親を見て、わたしはそっと手を上げた。


「お父様、お母様、わたし…行きます」


冷たい氷の心を持ったお方だったとしても、沙知の言うとおり、今の家族からの扱いに慣れてしまったわたしならなんとかなるかもしれない。


渋い表情を見せたお父様とお母様は、最後にもう一度だけ沙知の顔を覗き込む。

そして、沙知には期待は持てないことを悟って、お父様は重いため息をついた。


「やむを得ん。それなら、あの秘密だけはなにがあっても絶対に知られないように」

「はい」


わたしだって、できれば家族以外には知られたくないのだから。


それに、他にも花嫁候補がいるようだし、必ずしもわたしが選ばれるとは限らない。

そうなれば、またこの家に戻ることになるだけだから――。


「その代わり、一度家を出るあなたに戻ってくる場所などないわよ。いいわね?」

「…えっ」


想像もしていなかったお母様からの言葉に、わたしは声が出なかった。


手紙には、花嫁候補から外された場合のあとのことについて2つ書かれていた。

1つは再び親元へ返されるということ。


そして、もう1つは阿部家の屋敷で女中として働くことができるということ。

今回だれ1人として花嫁が選ばれなかった場合、阿部家で女中として働いていれば、万が一にも次期当主様に見初められ妻として迎え入れられる可能性がある。


しかし、そんなわずかな可能性のために名家のご令嬢が屋敷で働くことはまずありえない。

だが、お母様はわたしにそうするようにとおっしゃるのだ。


わたしが花嫁に選ばれれば万々歳、選ばれなくともほぼ縁を切ったも同然に阿部家の女中にすることができる。

つまり、もうこの家にわたしの居場所などない。



そう言い渡されたときのことを思い出しながら、わたしは生まれ育ったこの家で過ごす残りわずかな時間に浸っていた。


「佳月お嬢様、迎えの車が参りました」


使用人がわたしの部屋へ呼びにやってくる。


「今までありがとう。さようなら」


幼い頃より使っていた自室の机を撫でて、わたしは大きく息を吸い込むと部屋を出た。



「高宮佳月様でございますね。ようこそおいでくださいました。どうぞ、こちらへ」


車に揺られること数時間。

阿部家屋敷に着いたわたしは、女中により丁寧に案内された。


屋敷の門をくぐって驚いた。

高宮家も広大な敷地に建てられているけれど、そんな高宮家の敷地がいくつもの収まるような広々とした庭に寝殿造りの屋敷が拡がっていた。


…これが、阿部家。

さすが、帝に一番近いとされるこの国唯一の陰陽師家系だ。


わたしは、大広間へと通された。

そこには、他の花嫁候補と思われる娘たちが20名ほどいた。


容姿でも選ばれているということで、着物にも負けないくらいの整った顔の美女たちばかりだった。

我こそが花嫁にとでも思っているのだろうか、お互いを牽制し合っているようで、ギスギスとした非常に嫌な空気が漂っている。


わたしはあまり目立たないようにと、部屋の隅にちょこんと座った。


「あの…、あなたも花嫁候補ですか?」


そんなわたしに声をかけてきたのは、タレ目と柔らかい表情がかわいらしい小柄な女の子だった。


「は…はい!高宮佳月と申します…!」

「…なるほど、どうりでお美しい方だと。高宮佳月様といったら、『容姿端麗』という言葉をかたちにしたような女性だと噂で聞いていましたから」

「い、いえ…!それに、“様”なんて呼び方はおやめください」


この国では、わたしを過大評価しすぎている。


「申し遅れました…!私は、大山田花江(おおやまだはなえ)と申します」


大山田家は、わたしも耳にしたことのある優秀な異能家系だ。

他の花嫁候補たちはみな気が強そうで仲よくはなれなさそうだけど、花江さんとは気が合いそうだった。


「まあ!それはどういうことかしら!?」

「そのままの意味よ!あなたじゃ、花嫁には選ばれないと申しているの」

「なんですって!?」


突然怒鳴り声が聞こえて花江さんといっしょに目を向けると、花嫁候補である2人が立ち上がっていがみ合っていた。


「今度、同じことを言ったら容赦しないんだから!」

「何度だって申して差し上げますわ!あなたじゃ、花嫁になんて――」

「黙りなさい!!」


そう叫んだ花嫁候補が相手に向かって手をかざすと、突如として部屋に風が吹き荒れた。

風の異能だ。


相手も同じ異能で応戦し、部屋の中は台風かと思うほどの突風がめぐる。


「…あっ!」


そのとき花江さんの髪飾りが飛ばされ、庭の池近くに落ちたのが見えた。


「花江さん、わたしが取ってきます」

「でも、そうしたら佳月さんのお着物が汚れてしまうかもしれません」

「いいんです。そうなったらそれで」


わたしはにこりの微笑むと、適当に置いてあった草履をはいて庭へと出た。


ここへくるまでの車の中でわたしは決心がついていた。

この屋敷で女中として働くことになるのだろうと。


こんなにたくさんいる異能に優れた美しい花嫁候補たちの中から、わたしが選ばれるとはハナから思っていない。

だから、ここで着物が汚れてみすぼらしい女だと思われてもいいのだ。


昨夜の大雨のせいで庭の地面がぬかるんでいて、花江さんの髪飾りを拾って戻ってくるときには、すでに着物の裾には泥はねのあとがついていた。


そして屋敷に上がろうとしたわたしだったけど、その前にだれかが立ち塞がる。


「他人のものをわざわざ拾いにいって、気が利くやさしい女を演出されてらっしゃるのかしら?」


見上げると、これまたさっきのケンカの人たちとはまた別の意地の悪そうな女の子3人がわたしを見下ろしていた。


「あなた、高宮家のご長女よね?」

「…そうですけど。そこ、通してもらってもいいですか?」

「通してほしかったら、異能でわたくしたちを退けてみたらどうなの?」


嫌みたっぷりに笑う黒い着物の女の子。

わたしがなにもしないとわかって、他の2人も鼻で笑う。


「高宮のご令嬢は異能が使えないと聞いていたけど、どうやら本当のようねっ」

「そんな人が、どうして阿部家の花嫁候補なんかに選ばれたのかしら?顔だけしか取り柄のないようなあなたが」


…悔しい。

でも、事実だからなにも言い返せない。


これが無能に対する差別というものなのか。


「黙ってないでなんとか言いなさいよ。それに、ここを通してほしかったら頭を下げてお願いするものじゃなくって?」


その瞬間、まるで体全体に重りがつけられたような感覚に陥り、わたしはその場に立っていられなくなってしまった。

膝から崩れるように、気づいたらわたしは地面に顔をこすりつけて土下座のポーズを取らされていた。


これは…、きっと重力の異能だ。


「あら、ちゃんと頭を下げられて偉いわね」

「フフフッ、無様な格好」

「こんな簡単な異能も解けないなんて、無能はなんて哀れなのかしら」


なんとか抵抗しようとするけれど、わたしの頰が徐々に水たまりに沈んでいく。


「佳月さん…!あなたたち、なにしてるの…!」


わたしに気づいた花江さんが慌てて駆けつけてくる足音が聞こえた、――そのとき。


「何事ですか!早くもとの場所に戻りなさい!」


屋敷の方の声が聞こえ、その瞬間わたしにかけられていた重力の異能が解かれた。

さっきの3人はなに食わぬ顔で戻っていき、わたしは着物が泥で汚れたままだけど花江さんのそばに座った。


「花江さん。はい、これ」


わたしは花江さんに髪飾りを手渡す。


「佳月さん、ありがとう…!でも、顔が泥で汚れてる…」

「いいんです、いいんです、こんなの拭けばいいだけですから――」

「そこ!話すのをやめなさい!」


花江さんとヒソヒソ話をしていただけで怒られてしまった。


「それに、なんですか…あなた!その顔は!」

「す、すみません。少し庭で転んでしまいまして…」


その言葉に対して、わたしは正座をしたままペコペコと頭を下げた。


「…仕方ありませんね、時間ですから」


屋敷の方は呆れたようにため息をつくと、視線を奥の廊下へと向けた。

それに促されるようにして、わたしたちも同じほうに目を向ける。


「ここへ花嫁候補として参られた、そなたたちよ。この方こそが、そなたらの将来の夫となる――」


障子の陰から人影が見える。

わたしはごくりとつばを飲み、その行方を見守った。


そして、わたしたちの前に姿を見せた次期当主様を見て、わたしは思わず息を呑んだ。


身長は180センチ近くあり、白い式服の上からでもわかる抜群のスタイル。

黒髪ストレートの前髪長めのセンターパートで、この国ではきっとそれを『おかっぱ』と呼ぶのだろう。


ただわたしは知っている。

その髪型は小顔で首が長い、“彼”にしか似合わないということを。


「阿部家次期当主であらせられる、阿部光晴(あべのこうせい)様にございます」


現れたその男は、わたしが転生前にずっとずっと密かに想いを寄せていた――。

ハルとそっくりの人物だった。