オレの名前は、高宮和樹(たかみやかずき)

家から近い公立高校に通う17歳の高校2年生。


勉強も運動も人並みの普通人間。

女子からは好かれているほうだとは思うが、それは親しみやすいというだけで決してモテているわけではない。


でもべつに、オレは女子からモテたいとは思っていない。

というのも――。


「和樹!聞こえてるか?」


はっとして隣を見ると、父さんがオレの顔を覗き込んでいた。


「…あ、ごめん。ちょっとぼうっとしてただけ」

「たく〜。和樹は昔からそういうところがあるな」


そう言って、父さんがオレの肩をたたく。


父さんとは朝同じ時間に家を出ることがよくあるから、こうしていっしょに学校までの道を歩く。


背が高くて温厚な父さん。

オレが末っ子ということもあってか、これまで父さんに怒られたことは一度もない。


「和樹ー!」


すると、家を出て数分ほど歩いたところで、後ろからオレを呼ぶ声がした。

振り返ると、エプロンをかけたままの母さんがオレを追って走ってきていた。


「和樹、お弁当忘れてるよ!」


オレのところまでやってくると、母さんは手提げのお弁当袋をオレに手渡した。


「うわ、オレ完全に玄関に忘れてたよ。ありがとう、母さん」

「どういたしまして」


息を切らしながらも微笑んでくれる母さん。


「今日の夜は和樹の好きなトンカツにする予定だから、あまり遅くならないでね」

「わかった!」


母さんに手を振り、そのあとバス停で父さんを見送ってオレは学校へと向かった。


至って普通なオレだけど、やさしい父さんと母さんがいて、頼もしい年の離れた兄ちゃんが2人いる。

自分でも順風満帆な人生を過ごしていると思う。


「か〜ずき!」


そのとき、後ろから飛びつくようにしてオレの肩を組んできたやつがいた。

そんなの、見なくてもだれだかすぐにわかる。


「ハル!」


それは、オレの幼なじみの阿部光晴(あべみつはる)だ。

家も近く、幼稚園からの仲で、オレは『ハル』と呼んでいる。


ハルはオレと違って、勉強もできれば運動神経も抜群。

おまけに180センチ近い高身長でスタイルもよく、顔よし、性格よしで非の打ち所がない。


同じ学校の制服を着ていても、身長170センチもないオレではそもそもの制服の着こなしが違う。


髪型も無難なマッシュヘアのオレとは違い、ハルは黒髪ストレートの前髪長めのセンターパート。

サイドはツーブロックで刈り上げていて、そのショートカットがハルにめちゃくちゃ似合っている。


おそらく普通の男子がしたら『おかっぱ』と言われて笑われそうなところだけど、小顔で首が長いハルだからこそ似合う髪型だ。


そんなハルがモテないわけがない。

幼稚園、小学校、中学校、高校とすべてハルと同じだが、いつでもハルはクラスのムードメーカーで人気者だった。


もちろん彼女だっていそうなところだけど、実は今までそんな話は聞いたことがない。

告白されている現場は何度も見たことはあるのに。


「彼女ができたら、和樹と遊ぶ時間が減るだろ」


不思議に思って中学のときに聞いてみたら、ハルはこう答えた。

それに、さらにこんなふうにも言ってくれた。


「俺は、お前がそばにいてくれたらそれでいいんだ」


その言葉がうれしくて、オレは今でもまるで昨日のことのように覚えている。


ハルはきっと幼なじみとしてそう言ってくれたのだろうけど、そのときオレはハルに対して特別な感情が芽生えた。


そう。

オレがハルに恋した瞬間だった。


ハルと同じ高校に入りたくてがんばって勉強して、高1・高2と同じクラスにもなった。

朝、お互いを見つけたときはこうしていっしょに登校する。


べつに女子からモテなくたっていい理由は、オレもハルがそばにいてくれたらそれでいいからだ。


ただ、この先もずっとハルの隣にいられるのだろうか――?


それが、オレが最近抱えている悩みだ。


大学に行ったら?

社会人になったら?


そうなったら、さすがにハルの一番はオレじゃなくて、きっと他に大切な人ができるはずだ。


『俺は、お前がそばにいてくれたらそれでいいんだ』


ハルはああ言ってくれたけど、あれも中学のときの話。


もしかしたら、ハルは自分がそんなことを言ったことも忘れてて、彼女をつくる日だってそう遠くない未来かもしれない。

明日――、もしくは今日という可能性だってある。


だったらオレは、このままでいいのだろうか。

そんな日がきたとき、きっとハルにこの気持ちを伝えなかったことを後悔するはずだ。


だけど、オレの気持ちを知ったら――。

もうハルとは、この居心地のいい幼なじみの関係には戻れない。


それだけはわかる。


――だから、オレはハルに打ち明けたくてもそれができないもどかしさに駆られていた。


「あっ、そうだ。俺、今日日直だったんだ」


隣を歩いていたハルが思い出したようにつぶやいた。


「ハル、今日なんだ?ってか、日直って地味に面倒だよな〜。1限前に黒板消しをクリーナーにかけなくちゃいけねぇし」

「それな。前の日の掃除でやってるのにな」

「毎回、これやる意味あるのかなって思ってる」

「俺も。でもまあ、ちょっと早めに行ってくるわ」


ハルは前方の歩行者専用の信号機が青に変わったのを見て、オレに向かって軽く手を上げてから走り出した。


「ハル、また学校でな!」

「ああ」


オレはハルの後ろ姿を見届ける。


――と、そのとき。

オレの視界の端になにかが映った。


はっとして目を向けると、それは猛スピードで道路を一直線に走ってくる赤い乗用車だった。


まさかそんなはず…、とは一瞬思った。


しかし、赤い乗用車の先には信号が青になったばかりの横断歩道。

その横断歩道を今まさにハルが駆け足で渡ろうとしていた。


どう考えたって、あの赤い乗用車は横断歩道手前で止まれるようなスピードなんかじゃない。


「…待てっ、ハル!!」


オレはそう叫んでハルのあとを追った。

そのオレの声に気づいたハルが、横断歩道の途中で立ち止まってオレのほうを振り返る。


ダメだ、ハル!

そこにいたら――!!


赤い乗用車は減速することはなく、ようやくそれに気づいたハルが青ざめた表情をしたのが見て取れた。


「ハル!危ない…!!」


無我夢中で走ってハルに追いついたオレは、その勢いのままハルを思いきり突き飛ばした。


向こう側の歩道に向かって吹っ飛ぶハルの体が、スローモーションかのようにゆっくりとした動きに見える。


ハルがオレに向かって手を伸ばしてくれる。

まるで、お前もいっしょにこっちにこいと言っているかのように。


だけど、オレはその手を取ることはできない。

オレは自分の運命を悟ってしまったから。


ハル、そんな顔するな。

オレは幸せなんだから。


好きなやつを守って死ぬのなら、それはもう本望だよ。


ただ、こうなるのなら――。

ハルに気持ちを伝えておけばよかった。


来世では、お前と結ばれるような運命だったらいいな。


「かっ…、かず――!!」


* * *


佳月(かづき)!こんな時間までなにをしておる!」


ドスの効いた声で怒鳴りつけ、オレ――…じゃなくて、わたしを突き飛ばしたのお父様だった。


「早く蔵に行かんかっ!」

「も…、申し訳ございません。すぐに…」


わたしは、尻もちをついた状態からそそくさと立ち上がると、庭にある蔵へと逃げるようにして向かった。


ハルを庇って、あの日死んだオレ。

気づいたら、この家に赤ちゃんの身なりとなって生まれ変わっていた。


しかも、性別は…“女”!


どうやら、これは俗に言う“転生”というやつで、しかも翡昭之國(ひしょうのくに)という和風の異世界にいた。


わたしは、高宮家という優秀な異能家系の長女として生まれ、『佳月』と名付けられた。

くしくも、前世の高宮和樹と『ず』と『づ』が違うだけの同姓同名で響きは同じだった。


体が女ということや、異能という不思議な力が当たり前のように使われていることに初めは驚いたが、この生活もかれこれ17年。

さすがにもう慣れた。


容姿は、栗色の腰まであるストレートの長い髪が特徴的。

おそらく顔のつくりは前世とは変わりなさそうだが、意外とロングヘアが似合う顔だったことにびっくりだ。


異性から“モテる”ということには無縁の前世だったけど、転生後のわたしのこの姿は、どうやらこの国では『容姿端麗』という言葉に分類されるらしく、わたしが外を出歩けばいつも男性たちの注目を浴びるのだった。


ハルもこんな気持ちだったのだろうか。

今なら、『モテすぎて困る』という悩みがわたしにもわかる。


しかも、高宮家はこの辺りでは一番の財力があり、わたしはご令嬢として幼い頃から必要十分な教育を受け、実に裕福な暮らしをさせてもらっていた。


ハルの命を救ったことで、神様が第二のすばらしい人生を与えてくれたんだ。

初めはそう思っていたが、現実はそんなことなどなかった――。


というのも、さっきのお父様の言動でもわかる通り、わたしはこの家で家族から虐げられている。


その理由は、優秀な異能家系の高宮家で、これまた優秀な異能者を両親に持ちながら、わたしには異能の才能がまったくないからだ。

3つ下の妹の沙知(さち)にも馬鹿にされ、わたしはこの家で肩身の狭い思いをしていた。


両親からは蔑まれ、意地悪な妹からも見下される毎日――。

そういえば、こんな設定の少女マンガをクラスの女子が好んで読んでいたことを思い出す。


「うわっ…。お姉様、まだこんなところにいたの?」


まるで汚いものでも見るかのような目つきで、沙知はわたしに冷たい視線を送る。

我が妹ながら、意地の悪い顔をしている。


「佳月!さっさと蔵へ行きなさい!」

「は、はい…」


金切り声でわたしを怒鳴りつけるこの着物の女性は、この世界でのわたしの母親。


わたしが“ある秘密”を抱えているがゆえに、それを他人に見られないようにとある決まった夜には蔵に閉じこもっていなければならない。

だから、この日だけはお父様もお母様もいつにも増して当たりが強くなる。


わたしが蔵へ入るとすぐに、それを確認しにやってきた両親によって蔵の重い扉は閉ざされ、外側から鍵をかけられる。

真っ暗になった蔵には、明かり取りの窓があるが今夜の月は姿を消している。


というのも、今宵は朔の日――“新月”だからだ。

月が出ているかどうかもわからないほどの闇に包まれる日。


夜が深まるにつれ、わたしの体にはある異変が起こりはじめる。

それこそが、1人蔵に閉じ込められる原因となるわたしの“秘密”だ。


美しい長い栗色の髪は徐々に短くなっていき、柔らかな肌は引き締まった筋肉質に。

そして、ふっくらした胸がしぼんでいくと、硬い胸板へと変化する。


蔵の中に放置されている姿見に映った自分と目が合い、『またか』とわたしはため息を漏らす。


そこに映るのは、佳月がさっきまで着ていたものと同じ花車の柄があしらわれた赤い着物まとった――男だった。

というよりも、赤い着物を着た転生前の男子高校生のオレそのものだ。


佳月の“秘密”というのは、新月の夜だけ突如として“男”に戻ってしまうというもの。


だから、鏡に映る転生前のオレとそっくりの男は、高宮佳月本人なのだ。


見た目だけでなく、おそらく体質も男になっている。

だから、もちろんあそこには“アレ”もついている。


この現象は、10歳の頃に突然現れはじめた。

わたしは当然驚いたが、久しぶりの男の体になんだか懐かしさを感じた。


しかし、わたし以上に驚いたのは家族だった。


お父様は祟だと言って、異能で厄払いを試みる。

お母様は現実を受け入れることができず嘆き悲しみ、妹の沙知はわたしを化け物扱いした。


この現象は、翌日の太陽が昇り始めるとまた徐々に元の体に戻っていくのだが、そのときから毎月新月の夜になるとわたしは男体化してしまうようになったのだ。


だれもがうらやむ美貌を兼ね備えた容姿端麗の高宮家のご令嬢が、実は月に一度だけ男になるという秘密は絶対にだれにも知られてはいけない。


初めてのときがたまたま家族の前だったからよかったものの、高宮家にはたくさんの使用人がいる。

使用人が知ればどこで秘密を漏らされるかわからないと恐れた両親は、男体化になる新月の夜だけわたしを蔵に閉じ込めるのだった。


もちろん使用人たちは不思議に思ったが、表向きは『眠った異能を目覚めさせるために自分と向き合わせる修行』としている。

異能家系ではない使用人たちが異能について詳しく知るわけでもなく、みなそういうものなのかというふうにすんなりと納得した。


異能家系であっても、異能の力が弱かったり、異能が使えない無能が生まれることは稀にある。

そういう者たちは、優秀な異能者たちから蔑まれ、昔から差別の対象にもなっている。


もちろんわたしだってそうだったが、両親はそんなわたしを愛情いっぱいに育ててくれた。

なんだったら、わたしを馬鹿にしようものなら、高宮家の財力によって潰すことさえできるのだから、この辺りではわたしを差別する者もいなかった。


おそらく、両親がわたしをかわいがってくれたのはこの容姿のおかげだと思っている。

「佳月ほどの美しさは他にいない」とお父様は口癖のように言ってくれていたから。


しかし、わたしが男体化すると知って――。

それまでの家族の態度が一変した。


無能ということは容姿でカバーされたものの、男体化する奇妙な娘というのはさすがの両親も受け入れられなかった。

そうしてわたしは家族から忌み嫌われ、こんな生活を7年続けている。


どれほど気味悪がられようと、わたしはなにも言わなかった。

なぜなら、本来のお父様とお母様の姿を知っているから。


それに、2人とも転生前のわたしの両親と顔がそっくりなのだ。

父さんと母さんのことが大好きだったからこそ、顔が同じ今のお父様とお母様のことを嫌うなんてこと、わたしにはできなかった。


化け物扱いされても、貧富の差があるこの世界において生きていく上で不自由のない暮らしをさせてもらっている。

それだけでありがたいと思って、わたしはこの高宮佳月としての運命を受け入れる。


そう思って、とくにこの先の未来にこれといった希望なんて持たなかった。

それがまさか、あんな出会いが待ち受けているなんて――。


* * *


それから数ヶ月。

わたしは、この日のために新調した淡い黄色の束ね熨斗柄の着物に身を包み、迎えの車がくるのを1人部屋で待っていた。


髪は普段と違って編み込んでひとつにまとめていて、大人っぽい化粧もして。

これらはすべて使用人がしてくれた。


なぜこのような姿になっているのかというと、今日はわたしの嫁入りという晴れの日だからだ。


あれは、ちょうど1ヶ月前のこと。

高宮家に朝廷から1通の手紙が届いた。


朝廷から手紙という時点で驚いたけれど、内容は阿部家の次期当主様の花嫁候補として、高宮家の娘が選出されたというものだった。


阿部家というのは、異能の力に加え、阿部家でしか扱うことができないとされる星の力を宿し、代々この国を支えている由緒正しき陰陽師家系だ。

星の力により帝に助言を許された唯一の家系で、朝廷との関わりは深い。


その阿部家の次期当主が結婚を許される17の歳になったため、朝廷より花嫁探しが行われた。

将来、この翡昭之國を背負って立つ人間といっても過言ではない阿部家次期当主の花嫁ということで、名のある異能家系であるのはもちろんのこと、その中でも容姿端麗と噂される娘がいる家系が選ばれたようだ。


「すごいわ!阿部家の花嫁候補だなんて!あの神のような存在の阿部家と親族になれるかもしれないよ!」

「そうだな。そうなれば、高宮家は歴史に名を残すこと間違いなしだな」


だれもがうらやむ阿部家次期当主の妻という地位。

そこに自分たちの娘がなるかもしれないということで、両親は大いに喜んだ。


「頼んだわよ、沙知!」


お母様は期待のまなざしを沙知に向けた。

――しかし。


「イヤよ!どうしてあたしなの。まだ14なのにっ」


沙知は眉間にしわを寄せ、嫌悪感を露わにしていた。


「なに言ってるの。この国では女は14で一人前とされ、結婚も許されているのだから。それに、あの陰陽師家系の妻になれば、神の一族として崇められるのよ」

「それでもイヤなものはイヤ!だって、次期当主様ってあの“噂”のお方でしょ?」


沙知が言う“噂”とは、この国の者であるならみなが耳にしたことがあった。


阿部家次期当主様は、冷酷非道の男である――と。

一部では、人間ではなく氷の心を持った人形だとも言われている。


沙知も大概わがままで思いやりがないため、そんな沙知が冷酷非道と噂される方のところへ嫁げるわけがない。

それは薄々両親も感じていたようで、それ以上強くは言えなかった。


「しかし、…沙知がだめというのなら」


おそるおそる振り返った両親の視線がわたしに向けられる。


「でも、あなた…!もし、佳月の秘密を知られたら…」


両親の一番の不安はそれだった。

片方が無能でも異能者が生まれることは当然のようにあるからか、有名な異能家系の出であれば能力の有無は重要視されていなかったが、わたしには無能よりも絶対に人に知られてはいけない秘密がある。


だから、なるべくわたしは差し出したくない。

しかし、頼みの綱の沙知は言うことを聞いてくれない。


かと言って、朝廷から直々の申し出を断ることは絶対に許されない。


「いいじゃない。お姉様なら、どんなにひどい言葉で罵られようとへっちゃらでしょ」


沙知はそう言って鼻で笑った。


両親は沙知をなんとか説得しようとするが、沙知は突っぱねる一方で話すら聞こうとしない。

こうなってしまった沙知は梃子でも動かない。


困り果てる両親を見て、わたしはそっと手を上げた。


「お父様、お母様、わたし…行きます」


冷たい氷の心を持ったお方だったとしても、沙知の言うとおり、今の家族からの扱いに慣れてしまったわたしならなんとかなるかもしれない。


渋い表情を見せたお父様とお母様は、最後にもう一度だけ沙知の顔を覗き込む。

そして、沙知には期待は持てないことを悟って、お父様は重いため息をついた。


「やむを得ん。それなら、あの秘密だけはなにがあっても絶対に知られないように」

「はい」


わたしだって、できれば家族以外には知られたくないのだから。


それに、他にも花嫁候補がいるようだし、必ずしもわたしが選ばれるとは限らない。

そうなれば、またこの家に戻ることになるだけだから――。


「その代わり、一度家を出るあなたに戻ってくる場所などないわよ。いいわね?」

「…えっ」


想像もしていなかったお母様からの言葉に、わたしは声が出なかった。


手紙には、花嫁候補から外された場合のあとのことについて2つ書かれていた。

1つは再び親元へ返されるということ。


そして、もう1つは阿部家の屋敷で女中として働くことができるということ。

今回だれ1人として花嫁が選ばれなかった場合、阿部家で女中として働いていれば、万が一にも次期当主様に見初められ妻として迎え入れられる可能性がある。


しかし、そんなわずかな可能性のために名家のご令嬢が屋敷で働くことはまずありえない。

だが、お母様はわたしにそうするようにとおっしゃるのだ。


わたしが花嫁に選ばれれば万々歳、選ばれなくともほぼ縁を切ったも同然に阿部家の女中にすることができる。

つまり、もうこの家にわたしの居場所などない。



そう言い渡されたときのことを思い出しながら、わたしは生まれ育ったこの家で過ごす残りわずかな時間に浸っていた。


「佳月お嬢様、迎えの車が参りました」


使用人がわたしの部屋へ呼びにやってくる。


「今までありがとう。さようなら」


幼い頃より使っていた自室の机を撫でて、わたしは大きく息を吸い込むと部屋を出た。



「高宮佳月様でございますね。ようこそおいでくださいました。どうぞ、こちらへ」


車に揺られること数時間。

阿部家屋敷に着いたわたしは、女中により丁寧に案内された。


屋敷の門をくぐって驚いた。

高宮家も広大な敷地に建てられているけれど、そんな高宮家の敷地がいくつもの収まるような広々とした庭に寝殿造りの屋敷が拡がっていた。


…これが、阿部家。

さすが、帝に一番近いとされるこの国唯一の陰陽師家系だ。


わたしは、大広間へと通された。

そこには、他の花嫁候補と思われる娘たちが20名ほどいた。


容姿でも選ばれているということで、着物にも負けないくらいの整った顔の美女たちばかりだった。

我こそが花嫁にとでも思っているのだろうか、お互いを牽制し合っているようで、ギスギスとした非常に嫌な空気が漂っている。


わたしはあまり目立たないようにと、部屋の隅にちょこんと座った。


「あの…、あなたも花嫁候補ですか?」


そんなわたしに声をかけてきたのは、タレ目と柔らかい表情がかわいらしい小柄な女の子だった。


「は…はい!高宮佳月と申します…!」

「…なるほど、どうりでお美しい方だと。高宮佳月様といったら、『容姿端麗』という言葉をかたちにしたような女性だと噂で聞いていましたから」

「い、いえ…!それに、“様”なんて呼び方はおやめください」


この国では、わたしを過大評価しすぎている。


「申し遅れました…!私は、大山田花江(おおやまだはなえ)と申します」


大山田家は、わたしも耳にしたことのある優秀な異能家系だ。

他の花嫁候補たちはみな気が強そうで仲よくはなれなさそうだけど、花江さんとは気が合いそうだった。


「まあ!それはどういうことかしら!?」

「そのままの意味よ!あなたじゃ、花嫁には選ばれないと申しているの」

「なんですって!?」


突然怒鳴り声が聞こえて花江さんといっしょに目を向けると、花嫁候補である2人が立ち上がっていがみ合っていた。


「今度、同じことを言ったら容赦しないんだから!」

「何度だって申して差し上げますわ!あなたじゃ、花嫁になんて――」

「黙りなさい!!」


そう叫んだ花嫁候補が相手に向かって手をかざすと、突如として部屋に風が吹き荒れた。

風の異能だ。


相手も同じ異能で応戦し、部屋の中は台風かと思うほどの突風がめぐる。


「…あっ!」


そのとき花江さんの髪飾りが飛ばされ、庭の池近くに落ちたのが見えた。


「花江さん、わたしが取ってきます」

「でも、そうしたら佳月さんのお着物が汚れてしまうかもしれません」

「いいんです。そうなったらそれで」


わたしはにこりの微笑むと、適当に置いてあった草履をはいて庭へと出た。


ここへくるまでの車の中でわたしは決心がついていた。

この屋敷で女中として働くことになるのだろうと。


こんなにたくさんいる異能に優れた美しい花嫁候補たちの中から、わたしが選ばれるとはハナから思っていない。

だから、ここで着物が汚れてみすぼらしい女だと思われてもいいのだ。


昨夜の大雨のせいで庭の地面がぬかるんでいて、花江さんの髪飾りを拾って戻ってくるときには、すでに着物の裾には泥はねのあとがついていた。


そして屋敷に上がろうとしたわたしだったけど、その前にだれかが立ち塞がる。


「他人のものをわざわざ拾いにいって、気が利くやさしい女を演出されてらっしゃるのかしら?」


見上げると、これまたさっきのケンカの人たちとはまた別の意地の悪そうな女の子3人がわたしを見下ろしていた。


「あなた、高宮家のご長女よね?」

「…そうですけど。そこ、通してもらってもいいですか?」

「通してほしかったら、異能でわたくしたちを退けてみたらどうなの?」


嫌みたっぷりに笑う黒い着物の女の子。

わたしがなにもしないとわかって、他の2人も鼻で笑う。


「高宮のご令嬢は異能が使えないと聞いていたけど、どうやら本当のようねっ」

「そんな人が、どうして阿部家の花嫁候補なんかに選ばれたのかしら?顔だけしか取り柄のないようなあなたが」


…悔しい。

でも、事実だからなにも言い返せない。


これが無能に対する差別というものなのか。


「黙ってないでなんとか言いなさいよ。それに、ここを通してほしかったら頭を下げてお願いするものじゃなくって?」


その瞬間、まるで体全体に重りがつけられたような感覚に陥り、わたしはその場に立っていられなくなってしまった。

膝から崩れるように、気づいたらわたしは地面に顔をこすりつけて土下座のポーズを取らされていた。


これは…、きっと重力の異能だ。


「あら、ちゃんと頭を下げられて偉いわね」

「フフフッ、無様な格好」

「こんな簡単な異能も解けないなんて、無能はなんて哀れなのかしら」


なんとか抵抗しようとするけれど、わたしの頰が徐々に水たまりに沈んでいく。


「佳月さん…!あなたたち、なにしてるの…!」


わたしに気づいた花江さんが慌てて駆けつけてくる足音が聞こえた、――そのとき。


「何事ですか!早くもとの場所に戻りなさい!」


屋敷の方の声が聞こえ、その瞬間わたしにかけられていた重力の異能が解かれた。

さっきの3人はなに食わぬ顔で戻っていき、わたしは着物が泥で汚れたままだけど花江さんのそばに座った。


「花江さん。はい、これ」


わたしは花江さんに髪飾りを手渡す。


「佳月さん、ありがとう…!でも、顔が泥で汚れてる…」

「いいんです、いいんです、こんなの拭けばいいだけですから――」

「そこ!話すのをやめなさい!」


花江さんとヒソヒソ話をしていただけで怒られてしまった。


「それに、なんですか…あなた!その顔は!」

「す、すみません。少し庭で転んでしまいまして…」


その言葉に対して、わたしは正座をしたままペコペコと頭を下げた。


「…仕方ありませんね、時間ですから」


屋敷の方は呆れたようにため息をつくと、視線を奥の廊下へと向けた。

それに促されるようにして、わたしたちも同じほうに目を向ける。


「ここへ花嫁候補として参られた、そなたたちよ。この方こそが、そなたらの将来の夫となる――」


障子の陰から人影が見える。

わたしはごくりとつばを飲み、その行方を見守った。


そして、わたしたちの前に姿を見せた次期当主様を見て、わたしは思わず息を呑んだ。


身長は180センチ近くあり、白い式服の上からでもわかる抜群のスタイル。

黒髪ストレートの前髪長めのセンターパートで、この国ではきっとそれを『おかっぱ』と呼ぶのだろう。


ただわたしは知っている。

その髪型は小顔で首が長い、“彼”にしか似合わないということを。


「阿部家次期当主であらせられる、阿部光晴(あべのこうせい)様にございます」


現れたその男は、わたしが転生前にずっとずっと密かに想いを寄せていた――。

ハルとそっくりの人物だった。
目が合い、吸い込まれそうなその瞳にドキッとする。


「ハ……、ハル…?」


あまりにも衝撃的で、わたしは思わず声を漏らした。

そんなわたしの声に気づいた光晴様が、黒目だけをわたしに向けて見下ろす。


その表情のなんとも冷たいこと…。


「なんだ、その顔は。どうしてそれほどまでに汚れている」


そう言われてはっとした。

自分の顔が泥で汚れていることに。


あまりにも冷たい態度と口調に、わたしは慌てて周りの花嫁候補と同じようにおずおずと頭を下げる。

それを見ていた周りからは、クスクスといったかすかな笑い声が聞こえた。


「高宮のご令嬢よね?あの子はもうダメね」

「お早いお帰りで、ご家族もさぞかし驚かれるでしょうね」


だれが言っているのかはわからないけど、周りはわたしが初めの花嫁候補脱落者と思っているようだ。

わたしだって、今のでそう悟った。


みなきれいな身なりをしているのに、わたしだけ泥だらけ。

最悪の第一印象の娘をだれが喜んで花嫁に迎え入れるだろうか。


その日中に実家に帰らされたら、そりゃもう快く送り出した家族からすれば驚くことだろう。


しかし、わたしにはそんな家族などもういない。

ここでダメだった場合、わたしはこの屋敷で一生女中として働く運命にあるのだから。


そのあと、この屋敷での生活について説明がされた。


ここでの暮らしは2ヶ月間。

その間、光晴様の花嫁にふさわしくないと判断された者は即刻返されるのだそう。


集められた花嫁候補は、わたしを含めて30人。

1人の男から見初められるために、女たちはいかに自分をよく見せようと奮闘することだろう。


まるで人気の恋愛リアリティ番組のような構図だ。


ただ、この中のだれか1人が花嫁に選ばれるとは限らない。

光晴様がだれも気に入らない場合もあるのだ。


それなのに、ここでの暮らしの決まりとして、夜伽として光晴様と夜をともにする相手が毎晩1人ずつ順番に巡ってくる。

その説明を聞いて、わたしは1人で顔を真っ赤にしていた。


もちろんそのような経験はないし、転生前でも経験なし。


ここに集まる人たちだって、みな嫁入り前の生娘たち。

なのに、光晴様と一晩過ごせというなんて――。


と思いながら、周りをチラチラ見てみたけど、なんと恥ずかしがっているのはわたしだけだった。


みなそれを覚悟してここへきているようで、神と崇められる陰陽師に触れられることはむしろ誉れ高きことと思っているようだ。

しかも、もし光晴様の子を身籠ることができれば、妻となるのはほぼ確実。


みなの表情を見る限り、虎視眈々とその地位を狙っているように見えた。


バイタリティ溢れる花嫁候補たちに、わたしはさっそく圧倒されていた。

ただ花江さんもわたしと同じような反応をしていたから、1人でも仲間がいてよかった。


ここまでの説明はすべて光晴様の側近の方がされていた。

その間、光晴様はひと言も発することなく実に不機嫌そうな表情をされている。


さっきの冷たい言動もそうだけど、顔はハルにそっくりなだけで、あとはまったく違う。

ハルはいつでもやさしくて、クールだけど見ていてほがらかな気持ちになる笑顔が素敵だったから。


阿部光晴(あべみつはる)』と『阿部光晴(あべのこうせい)』。

名前の読みが違うだけで、漢字も同じ。


…だけど、…当たり前だけど。

あの人は、決してハルではないんだ。


遠くから光晴様の横顔を眺めていると、思わずじわりと目の奥が熱くなった。


そのときなにかに気づいたのか、ふと光晴様がこちらに顔を向けた。

また目が合って、わたしはとっさにうつむく。


「というわけで、これからここで暮らしていただくにあたり――」

「少しいいか」


すると、突然光晴様が側近の話を遮った。


「そこの女」


落ち着きのある低い声。

声もハルそっくりだ。


「おい、聞こえているのか」

「は、はい…!」


ぼうっとしていたから、わたしは慌ててその場に立ち上がった。


「見ろ、お前たち。このような場にふさわしくない、泥まみれの女がいるぞ」


光晴様がそういうものだから、花嫁候補たちはあからさまに笑っている。

唯一笑っていないのは、花江さんだけ。


わたしはみなの前で辱めを受け、唇を噛んで下を向いた。

家族からも虐げられ、初対面の人たちからも虐げられ、この世界でのわたしの人生はずっとこうなのだろうか。


「さっさと出ていけ」


そう言われるのを覚悟して、わたしはぎゅっと目をつむった。

――ところが。


「だれだ。あの女をそのように汚した者は」


そんな光晴様の声が聞こえて、わたしはゆっくりと顔を上げた。

見ると、眉間にしわを寄せ花嫁候補たちを順に睨みつける光晴様のお姿があった。


「今名乗り出るのであれば、事の成り行きについては目をつむってやろう。しかし、嘘を突き通すのであれば許しはしない」


光晴様の鋭い瞳に、花嫁候補たちは思わずごくりとつばを飲む。


「光晴様、よろしいでしょうか」


すると、1人の花嫁候補が手を上げた。


「お言葉ですが、私どもを疑うのは心外にございます。あの者は、自らあのようなことになったのではないのでしょうか」

「自ら…と申すと?」

「はい。昨夜の雨で地面はぬかるんでおりました。それで、ここにくるまでの間につまずいて転んでしまったという場合もございます」


光晴様にそう説明するあの人はわたしを直接貶めた人ではないけれど、あんな騒ぎになったのだから、ここにいた人は全員知っているはず。

なぜわたしがこんなにも汚れているのかということを。


それを聞いて、光晴様はすとんと座り直した。


「そうか」


光晴様はあの人の言葉を信じたんだ。


ハルならきっとわたしの味方をしてくれるだろうけど、光晴様はハルじゃないだもの。

わたしってば、なにを期待して――。


「だが、事実はそうでないと言っているぞ?」


……えっ。


「なにやら黒い着物の女が、あの者を異能により跪かせたようだな」


それを聞いて、大広間内がざわつく。


どうしてあの場にいなかった光晴様がそんなことを――。


驚いて顔を上げると、光晴様の人差し指に小さな白い小鳥がとまっていた。


いや、違う。

鳥のような姿で鳥のような動きをしているけれど、あれは折り紙だ。


「こいつは俺の力を折り紙に込めた、陰陽師家系にしか扱うことのできない式神の一種だ。こいつが事の一部始終を見ていたようだ」


鳥の形をした折り紙の式神は、光晴様の肩にとまって頰をつつく。

まるで、なにかを耳打ちしているかのような動きだ。


「そうか、そうか。他にも2人…、なるほどな」


光晴様は式神の頭を指で撫でると、瞬時にわたしたちのほうへ視線を向けた。

その瞬間、津波のように覇気が押し寄せてきて、気づいたら花嫁候補の中から3人が庭に弾き飛ばされていた。


驚いて目を向けると、それはわたしに重力の異能をかけた黒い着物の人と、同じように笑っていたあとの2人だった。


「…い、痛い。いきなりなにをされるのですか!」


3人はよろよろと立ち上がる。

それを見て、光晴様は意地悪く笑った。


「よいではないか。その顔、お前たちに似合っているぞ」


3人は着物だけでなく、顔にも泥がべったりとついていた。


「…なっ!こ、こんな仕打ちを受けたと知ったら、わたくしのお父様が黙ってはいないわ!」

「だったらなんだ?文句があるなら、今度はそのお父様とやらをこさせればいい。相手になるぞ」


その言葉に、黒い着物の女性はぐうの音も出ない。


帝に一番近いとされる“神”と崇められる阿部家には、まず財力で勝てるわけがない。

さらに、光晴様は異能と星の力の才に恵まれた申し子と言われ、歴代の陰陽師の中で最強の力を誇る。


つまり、どんなに財力がある優秀な異能家系といっても、阿部光晴に勝る者など今の世にはいないのだ。


「この屋敷で、性悪女と同じ空気を吸うかと思うだけで吐き気がする。今すぐ出ていけ」


こうしてわたしをいじめた3人と、事の成り行きを知っていたにも関わらず光晴様に嘘の説明をした花嫁候補の合わせて4人は、即刻屋敷から追い出されたのだった。


「話は以上だ。俺は部屋に戻る」


光晴様はそれだけ言って立ち上がると、呆気に取られていた花嫁候補たちの間を割って足早に歩く。

そして、部屋から出ようとしたところで、一番後ろに座っていたわたしの前で足を止めた。


「さっさとその顔をどうにかしろ」


顔を上げなくとも、光晴様の鋭い視線が刺さっているのがわかりギクリとする。


「は…はい。申し訳ございませ――」


とわたしが言い終わるよりも先に、光晴様は背中を向けていってしまった。


そんなわたしの膝の上になにかがとまる。

見ると、それは光晴様の式神の折り紙の鳥だった。


しかも、くちばしに自分の体よりも大きな四つ折りの白いハンカチをくわえていた。

そして、それをそっとわたしの膝の上に置く。


「あの…、これは――」


式神はわたしのところから飛び立つと、光晴様のあとを追って飛んでいった。

光晴様に追いつくと、右肩にちょこんと降り立ったのが見えた。


もしかして、このハンカチは光晴様が…?


わたしはハンカチを握りしめ、光晴様の後ろ姿を見届ける。

その凛々しいお背中を見て、さっきのわたしのことを庇ってくださったような言動を思い出すと、思わずわたしの頬がぽっと熱くなったのがわかった。


ハルと瓜二つの顔の光晴様。

冷酷非道という噂通りのお方だったけれど、少しだけやさしさも垣間見たような気がした。



その後、わたしたち花嫁候補は透渡殿(すきわたどの)を歩いて、寝殿の西側にある対屋(たいのや)西(にし)(たい)に案内された。

ここにはいくつもの部屋があり、好きな部屋を自室として使っていいと言われた。


寝殿から近い部屋が次々と埋まっていき、わたしと花江さんは一番隅に近い部屋を使うこととなった。

多少他と比べて日当たりは悪いけれど、花江さんと隣同士だからそれでいい。


早いもの勝ちで決まった部屋の割り当てだったけど、なんと一番寝殿に近い部屋の花嫁候補から、さっそくその日の夜伽に呼ばれていた。

次の日はその隣の部屋、そのまた次の日はその隣の部屋――。


わたしはというと、後ろから数えて花江さんの次だから、夜伽となるのはまだずいぶんと先だ。


だけど、いつかはわたしもハル――いや、光晴様と…。


想像するだけで顔から火が出そうだった。

なぜなら、ハルのことは好きだったけど、それは見ているだけで胸がいっぱいになって十分だから、それ以上のことを望んだことはなかった。


なのに、ハルと同じ顔の光晴様と――。

それ以上の関係に…。


そんなわたしと光晴様なんて想像したくもなかった。

しかし、光晴様が他の花嫁候補に触れているところを想像するのも嫌だった。


…まるで、ハルがしているみたいに思えて。


「あれ?佳月さん、元気ない?」

「…あ、い…いえっ。そんなことないです…!」


わたしの顔を花江さんが心配そうに覗き込む。


あれから、花江さんとはお互いの部屋を行き来するような仲になった。

気が合って、毎日楽しくおしゃべりをしているけれど、ふとしたときに光晴様のことが頭をよぎる。


とくに、夜。

今頃、光晴様は他の花嫁候補の方と――。


毎晩毎晩そんなことを考えるたびに胸が苦しくなったのだった。


ところが、ここへきて10日ほとがたった頃。


「佳月さん、佳月さん!」

「あら、花江さん。いらっしゃい」


昼食後、部屋で読書をしていたわたしのところへ花江さんがやってきた。


「今、いい?ちょっと小耳に挟んだのだけれど」

「どうかしましたか?」


聞くと、それは光晴様との夜伽のことだった。

毎夜毎夜、違う花嫁候補が光晴様の部屋へ行くけれど、みなすぐに自室に返されているのだとか。


「昨日の夜遅く、すすり泣く声が聞こえたから部屋から顔を覗かせてみたら、夜伽のはずの花嫁候補の方が泣きながら自室に戻っていくのが見えたの」


それでさっきその人に直接話を聞いてみたところ、「見知らぬ女とおちおち寝られるか!」と光晴様に言われ、追い返されたのだそう。

そこで、すでに夜伽を終えた他の花嫁候補からも話も聞くと、みななにをすることもされることもなく、きてすぐに自室に返されたと話した。


わたしはここでは無能として相手にされていないけど、花江さんは他の花嫁候補ともコミュニケーションを取っていて、いろんな話を教えてくれる。


どうやら、阿部家や朝廷が将来の陰陽師家系存続のために花嫁候補を集めたものの、当の本人である光晴様はそのことに未だに納得していないようだ。

この様子だと、だれも花嫁候補に選ばれないのではないだろうか。


普段からのわたしたちに対する光晴様の態度を見ていても、そう思わざるを得ない。


光晴様はわたしに対しても変わらず冷たい。

でも、それはわたしだけではないし、光晴様がまだだれとも夜をともに過ごされていないと知って、…少しだけ安心した。


「えっと、今日があの部屋の方が夜伽の番だから…。私たちは――」


花江さんはそうつぶやきながら、向こうのほうから部屋を数えていく。


「私があと11日後だから、佳月ちゃんはちょうど10日後かしら」


あと10日で、わたしが光晴様の夜伽――。


変な想像をしてしまって、胸がドキドキとうるさく鳴る。


「でもきっと、私たちもすぐに部屋に返されることになりそうね」

「そうですね」


わたしたちは安心したように笑った。


それからも、光晴様は立て続けに夜伽を拒んでいると聞き――。

そして、ついにわたしの番がまわってきた。


きっとわたしも追い返されることだろう。

とわかっていても、夜伽の支度はしなければならない。


真っ白な寝間着に袖を通し、髪を後ろでひとつに結う。


しかし、うまく結えない。

後ろの髪をうまくつかめないというか――。


はっとして鏡に目を向けると、わたしの髪が徐々に短くなっていた。

柔らかなもちもちした体型も、次第に筋張った筋肉質な体型へと変化していく。


まさかと思い、わずかに開けた障子から目だけを覗かせると、空には月の姿はなくいつにも増して真っ暗な夜だった。

わたしの額から嫌な汗が一筋流れ落ちる。


――新月だ。


夜伽のためそろそろ屋敷の方が呼びにくるというのに、こんなときに限ってわたしは男体化してしまったのだ。


わたしが新月の夜だけ男になるというのは、家族以外に絶対知られてはいけない秘密。


なにも知らない屋敷の方が見たら、花嫁候補の部屋に忍び込んだ曲者と思われるかもしれない。

最悪、人間ではなく花嫁候補に化けた男のあやかしと間違われて対峙される可能性だってある。


どちらにしても、こんな姿をだれかに見られるわけにはいかなかった。


――ところが。


「高宮佳月様」


障子越しにわたしを呼ぶ声がした。


屋敷の方だ…!


返事をしなければ異変を感じて障子を開けられることだろう。

ここは返事をしなければ…。


「…は、はい」


声も低くなっていて、わたしは最大限に高い声で返事をした。


「夜伽のご支度、整いましたでございましょうか」


き…きたっ…!


「それは…、できましたが…」


…どうしよう、もうダメだ。

この姿を見られてしまう…。


そう覚悟していた、――そのとき。


「申し訳ございませんが、今宵の夜伽、明日に成り代わりましたことをお伝えに参りました」


…えっ?


わたしの体から一気に冷や汗が引くのがわかった。


「それは、どういう…」

「先程、都に凶悪な鬼が出現したとの報告を受け、光晴様がその対峙に向かわれました」


あやかしの出現は珍しいことではない。

しかし、異能を持たない庶民には対処できるものではなく、代わりに異能者があやかし対峙に向かう。


ところがまれに、異能者でも苦戦するおぞましい邪気を持つあやかしが現れる。

そういうときは、異能者よりも力ある陰陽師が応戦しに行くのだ。


という緊急事態のため、わたしの夜伽は明日へ変更となった。


…よ、よかった。


余程気疲れしてしまったのか、その夜わたしは気絶するように眠ってしまった。



次の日。


「佳月さん、聞いたわ。昨夜、都に鬼が出たせいで光晴様との夜伽が流れたんですってね」

「さすが花江さん。もう耳に入っているんですね」


わたしの姿を見かけた花江さんがさっそく話しかけにきた。


「でも、光晴様のご活躍により、被害は最小限に食い止められたとか」


“最強の陰陽師”と称えられるだけあって、光晴様の力は異能者の百人力とも言われているらしい。

だからこそ、力ある光晴様を狙おうとするあやかしもいるとは聞く。


緊急事態のおかげで、夜伽が次の日に変わったのはよかったが、どちらにしても初めての夜伽にわたしはその日まったく落ち着かなかった。



――そして、その夜。

昨夜同様に白い寝間着に身を包み、長い髪を後ろでひとつに結って、案内されるままに緊張した面持ちで光晴様のお部屋へと向かった。


今までに感じたことがないくらい、心臓がバクバクと鳴っている。

そんな胸に、わたしはそっと手を当てる。


…大丈夫。

他の花嫁候補と同じように、入ってすぐに突き返されるだけだから。


そう自分に言い聞かせると、少しだけ気持ちが軽くなった。


「し、失礼…します」


わたしは緊張で小刻みに震える手でゆっくりと襖を開けた。


行灯(あんどん)のぼんやりとした明かりに包まれた部屋の中には1組の布団が敷かれいて、それを見たわたしはごくりとつばを飲み込んだ。

その布団の傍らに、わたしに背を向けあぐらをかいて座る光晴様の姿が。


その冷たい背中がすべてを語っている。

「早く出ていけ」と。


でも、その後ろ姿もハルにそっくりだ。


「…お、お初にお目にかかります。高宮家長女、佳月と申します」


わたしは光晴様の背中に向かって深々と頭を下げた。

すでに殺伐とした空気が漂っていて、色めかしい雰囲気でも、ましてやロマンティックなムードでもない。


「佳月と申すのか。あの泥まみれの女だな?」

「は…はい!」


驚いた。

他人には一切興味のなさそうな光晴様が、わたしのことを覚えてくださっていたことに。


「悪いが、俺はだれとも夜をともにするつもりはない。さっさと部屋へ帰れ」

「…承知致しました」


よかった。

思ったとおり、すぐに返される。


「しかしながら、せめてこれだけでも受け取っていただけないでしょうか」


そう言って、わたしが懐から取り出したのは白いハンカチ。


これは、ここへきた初日、顔が泥で汚れていたわたしに光晴様が式神に託してわたしに渡してくださったものだ。

次にお会いしたときにお返ししようと思って、冷たい水にさらされながらも泥汚れもきれいに落とした。


「変わったやつだな。そんなものを大事に持っていたのか」


初めて、光晴様がこちらを向いた。

声もその横顔もすべてがハルそっくりで思わず見惚れてしまった。


「返されたところで不要でしかない」


でもやはり、言葉も態度も冷たくハルとは大違い。


「でしたら…!わたしが持っていてもよろしいでしょうか」

「好きにしろ。だから、それを持ってさっさと――」


言われたとおりわたしが下ろうとしたとき、突然光晴様がハンカチを握っていたわたしの手首を取った。


「…きゃっ……!」


そして、予想だにしなかったことに小さな悲鳴しか上げることができなかったわたしは、気づいたら布団の上に押し倒されていた。

そのわたしの上には、光晴様が覆いかぶさる。


光晴様の美しすぎる顔を間近に見つめ、わたしは息を呑んだ。


それにこのシチュエーション…。

まるでハルがわたしを押し倒しているような。


光晴様は夜伽の花嫁候補を指一本触れることなく突き返していると聞く。

だから、こんな展開…聞いてない。


「こっ…光晴様――」

「お前、何者だ?」


唸るようなその低い声に、わたしは思わず体がこわばった。


…ま、まさか。

新月は昨日だというのに、光晴様はこのわずかな間でわたしの秘密にお気づきに…?


「あの…。光晴様、これはどういう――」

「俺の命でも狙いにきたか?」


その言葉に、わたしは目を見開いた。


…命を狙う?

わたしが…?


「光晴様、…突然なにを言われるのですか。わたしは――」

「隠しても無駄だ。お前からあやかしの匂いがするぞ」


上からそう吐き捨て、光晴様が鋭い瞳でわたしを捕らえる。

まるでその瞳に刺し殺されてしまうかのように、深く鋭くわたしの心をえぐった。


光晴様は…ハルじゃない。

わかっている。


わかっているけど――。

ハルは、そんな目でわたしのことは見ないっ…。


わたしが好きだったハルの笑った顔を思い出したら、自然と涙がポロポロと溢れ出した。

こんなときに…、泣くつもりなんてないのに…勝手に涙が。


「泣いたら見逃してもらえるとでも思っているのか。今すぐ、その化けの皮を剥がしてやる」


光晴様は、青白い異能の光をまとった手をわたしに向けた。

――次の瞬間!


その手のひらから青白い炎を形作ると、それを襖に向かって投げ飛ばした。

その威力に、吹っ飛んだ襖の中央には焼け焦げて丸くなった跡がついていた。


突然の異能にわたしは目を丸くした。

てっきりわたしが攻撃されるかと思いきや、直前でなにかを察知したかのように光晴様の目尻がわずかにピクリと動いたかと思ったら、光晴様はその異能を襖へと放った光。


見ると、焦げた倒れている襖がカタカタと動いていた。

下になにかいる…!


光晴様が風の異能で襖を取っ払うと、襖の下に隠れるようにしていただれかがゆっくりと顔を上げた。

その人物を見て、わたしは思わず目を丸くした。


なんと、それは花江さんだった。


「花江…さん?どうしてこんなところに…」


この時間、この部屋に近づくことは光晴様と夜伽の女性以外許されていないはず。


「そんなことよりも…大丈夫ですか!?」


光晴様の異能を受けてボロボロの花江さんに、すぐさまわたしは起き上がって駆け寄ろうとした。

しかし、またしてもその手首を後ろから光晴様に握られ、後ろへと引っ張られた。


ストンと収まるところに収まったような気がしたと思ったら、わたしは光晴様に片手で抱き寄せられていた。

硬い胸板に顔を押しつけられ、思わず頬が熱くなる。


「行くな。あいつは化け物だぞ」


そんな光晴様の言葉を聞いて、わたしは一瞬にして我に返った。


光晴様はいったいなにを言い出すのか。

花江さんが化け物なわけ――。


「…そうか。やはり気づイテイタカ」


花江さんは不気味な声でつぶやくと、急に口の両端が裂けだした。

体は銀色の毛に覆われはじめ、頭には大きな耳が現れ、渦巻くように太い尾まで生えてきた。


到底人間とはかけ離れた姿になった花江さんに、わたしは呆然として言葉を失った。


「こ…、光晴様…。花江さんは……」

「あれは女狐のあやかし。花嫁候補の1人に化けてここへ忍び込み、俺の命を狙いにきたのだろう」

「ソノトオリダ!オマエノイノチ、ワレガイタダク!」


女狐はそう言うやいなや、体の毛を逆立てて針のように飛ばしてきた。

無数の矢のように飛んでくる毛を、光晴様は自らに結界のようなものを張り、そのすべてを弾き落とした。


なおも容赦なく攻撃してくる女狐に異能で対抗する光晴様。

わたしはただそれを見守ることしかできないけど、ふとしたときに思いきり光晴様に後ろへ突き飛ばされた。


勢い余って、わたしは床に尻もちをつく。


…痛い。

お父様に早く蔵に入るように突き飛ばされたことを思い出す。


だけど、これはそのときとは違う。


「お前は早くここから逃げろ!」


光晴様はわたしの身を案じてくださっての行動だった。


「ですが…」

「俺の心配など無用だ。それに、お前は異能を使えないのであろう。ここにいても、ただの足手まといになるだけだ。行け!」

「…は、はい!」


光晴様の言う通り、無能のわたしが最強の陰陽師であらせられる光晴様の心配をするほうが恐れ多いこと。

光晴様に従って、ここから離れよう。


そう思ったのだけれど、突如として現れた青白い炎が部屋から出ようとするわたしの行く手を阻んだ。


「エサハオオイホウガイイカラナ。オマエモニガシハシナイ!」


これは女狐による狐火で、どうやらわたしのことも食べるつもりのようだ。


しかし、女狐は中級のあやかし。

光晴様に勝てるはずもなく、光晴様の異能であっという間に首の付け根あたりから縦半分に体を裂かれていた。


「オ…、オノレ…」


驚いたことに、女狐は体が真っ二つになっても頭のついたほうの片方でまだ動いていた。


「しぶといな」


涼しい顔をして、光晴様は瀕死状態の女狐に最後のとどめを刺そうとする。

――そのとき。


なにやら床でうごめくものをわたしは見つけた。


目を凝らすと、それは真っ二つに裂かれた女狐の体の片側だった。

てっきりあちらはもう再起不能動とばかり思っていたが、なんと暗闇の中でゆっくりと立ち上がりはじめたのだった。


そして、鋭い爪を立て光晴様の背後を狙う。

その位置は、ちょうど光晴様の死角になっていて、頭のついたほうの体と戦っている光晴様は気づいていない。


「…光晴様!」


気づいたら、わたしは光晴様の名前を呼んで駆けていた。


わたしには異能が使えない。

だから、背後から光晴様を狙おうとするあの体の片側を倒すこともできない。


でもわたしには、この身がある。

あのときハルを助けたときのように、わたし自身が盾となって――。


「光晴様!危ない…!!」


わたしは、なんとか光晴様の背後に回り込んだ。

――次の瞬間。


女狐の片割れの体の鋭い爪によって、寝間着ごとわたしは身を切り裂かれたのだった。
――これはいったいどういうことでしょう。


次に目が覚めたら、なせだか真横にハルの寝顔があった。


整った眉毛に、長いまつ毛。

白い肌に、寝ているときは少しアヒル口になる唇。


ハルの気持ちよさそうな寝顔が好きで、ハルとお互いの家に泊まりにいったときや、修学旅行の夜など、わたしはハルが先に寝たのを確認してこの寝顔を見ていたっけ。


まさか、こっちにきてもハルの寝顔を見れるなんて幸せ――。

……って違う!


わたしははっとして起き上がった。


見ると、それはわたしの布団の隅で横になって眠る光晴様だった。


「こっ、光晴様…!」


ここは阿部家屋敷のわたしの部屋のようだけど…。

なな、なんで…光晴様が!?


わたしの声で起こしてしまったのか、光晴様がゆっくりとまぶたを開けた。


「…しまった。いつの間にか眠ってしまった」


そう言って、光晴様は目をこすりながら体を起こす。

そして、そばにいたわたしと目が合った。


――そのときの光晴様の顔といったら。

口を小さくぽかんと開けて、驚いたように目を丸くしていた。


ふと、その目の端に朝日に照らされたなにかがキラリと輝いたように見えた。


「目覚めたのだな…」

「…え?あ…はい。わたし、寝過ごしてしまったでしょうか」


その瞬間、光晴様が強くわたしを抱きしめたのだった。

突然のことで、わたしは困惑しながらも顔を真っ赤にさせる。


「…光晴様、どうなされたのですか」

「なにも言うな。今だけはこうさせろ」


意味がわからなかったけど、わたしは光晴様に言われるがまま抱きしめられたのだった。



その後、あの夜のことを詳しく聞かされた。


驚いたことに、わたしはあの日から5日間も眠り続けていたらしい。

あのとき、女狐の爪で負わされた毒が原因で。


わたしにとってはつい昨夜のことのように感じていたけど、そんなに日がたっていたなんて…。


ここへきてわたしに仲よくしてくれた花江さんは、わたしが見たとおり女狐のあやかしだった。

本物の花江さんと成り代わって、光晴様の命を狙いに花嫁候補の中に紛れ込んでいたのだ。


本当の大山田花江さんは、おそらくここへくる道中で女狐の襲撃にあったのだろうと。

光晴様は、それより先のことは話さなかった。


わたしからあやかしの匂いがしたのも、わたしが一番花江さんといっしょにいる時間が長かったから。


女狐は自分から発する匂いを消せても、わたしは自身についた女狐の匂いは消すことができない。

本来なら、異能者でも見落とすくらいのわずかな匂いらしいのだが、光晴様ともなれば近づいたらすぐにわかるらしい。


『隠しても無駄だ。お前からあやかしの匂いがするぞ』


だから、光晴はわたしがあやかしではないかと疑ったのだ。

そして、わたしを攻撃しようとした直前、背後から殺気を感じて襖に向かって異能の技を放ったのだった。


あやかしの匂いがついたわたしが夜伽のときであれば、女狐は自分の匂いも紛れるとでも思ったのだろう。

そうして、あの夜あの部屋に忍び込んだ女狐は、最終的には光晴様の手によって滅せられた。


「さすが光晴様ですね。本当にわたしは足手まといでしかなかったのですね」


むしろ、わたしが邪魔で光晴様は本来のお力を発揮できなかったのかもしれない。

高宮の家でもそうだったけど、ここへきてもわたしはなんの役にも立たない。


そう思っていたら――。


「なにを言う。お前がいなければ、俺は今頃ここにいなかったかもしれない」


思いも寄らない言葉と、今までに見たことのない光晴様のやさしいお顔に、わたしは思わずドキッとした。


「あのとき、俺は不覚にも女狐の片割れの体が動き出していることに気づいていなかった。お前が俺を庇っていなかったら、きっと俺は背後から急所を一突きにされていたことだろう」


…それって。

わたしが、光晴様をお守りしたということ…?


あのときは無我夢中で。

でも、ハルに危険が迫っているとわかって、交通事故のときと同様に勝手に体が動いた。


自分はどうなってもいいと思って身を投げ出したけど――。


「光晴様のこのようなお顔を見ることができて、今回は生きていてよかったです」


わたしが微笑むと、急に光晴様が顔を赤くした。


「…なっ。なにを言い出すかと思えば…!それに、“今回”とはなんだ。まるで、一度死んだかのような言い方」

「あ…、えっと。そこは聞き流してください…」

「おかしな娘だな。それに一応言っておくが、お前は死んでいたとしてもおかしくない傷だったのだからな」


改めて聞くと、わたしは女狐により相当な深手を負っていたらしい。

今ではそんなことがまるで嘘かのように体に傷跡も残っていないけど、これは光晴様が治癒の異能で治してくださったのだそう。


「そばにいたのが俺でなければ、とっくに死んでいたぞ。なぜ異能も持たないお前があんな無茶をした!」


光晴様の言う通り、たしかに無茶だ。

でも異能がないからこそ、わたしにはああするしか方法はなかったから。


「無茶をしてしまい、光晴様のお手を煩わせてしまい…申し訳ございませんでした」


無力の自分が恥ずかしく、わたしは深々と頭を下げる。


「ただ、…好きな人を守りたい。あのときのわたしの頭の中にはそのことしかありませんでした」


ハル…の生き写しのような光晴様を守りたい一心だったから――。


だけど、そこで気づいた。

わたしってば、なんということを…!


ハルのことを思い出して“好きな人”と言ったけれど、今わたしの目の前にいる人はハルと顔がそっくりなだけでハルではない。

まるで、わたしが光晴様のことを好きみたいな言い方――。


おそるおそる顔を上げると、わたしを見つめていた光晴様と目が合った。

するとすぐに、無言でそっぽを向かれた。


…やっぱり、引かれた!


でもそのとき、わたしはあることに気がついた。


「光晴様、お顔が…」


わたしはそっと光晴様の頰に手を添えた。


目が少し充血していて、よく見たらクマも出ている…?

少し疲れたようにも見えるけど、…これって寝不足の症状?


「もしかして…光晴様、ずっとわたしのそばで看病を――」

「勘違いするな。ただの罪滅ぼしだ。お前のためではない、俺自身のためだ」


そう言い張る光晴様だけど、なぜかその顔は赤かった。



その日から、わたしと光晴様の関係が変わっていった。

前までは冷たくあしらわれていたけど、わたしを見かけるたび光晴様は声をかけてくださるように。


「なぜ部屋から出歩いている!」

「…えっ。ちょっと花の水を替えに――」

「そんなもの、屋敷の者に言いつければいいだろう!お前はまだ病み上がりなのだから、部屋で寝ていろ」


これまでなら、俺の視界に入るなと言われそうなところだけど。

言い方はまだ角があるけれど、光晴様のやさしさが垣間見えているように感じる。


そして、光晴様との関係で一番驚いたのが夜伽だ。


なんと、花嫁候補を順に夜伽にあてるのではなく、毎晩わたしが部屋に呼ばれるようになったのだ。

屋敷の方が言うには、光晴様の命令らしい。


ただ、夜伽といっても他愛のない話をするだけ。


ハルは動物全般が好きで、よくいろいろな動物に関する豆知識や雑学を聞いてもいないのに教えてくれた。

そのおかげで、わたしもだいぶ詳しくなった。


ハルから教えてもらった動物のことを光晴様に語ると、ものすごく興味を持ってくださった。

ハルの生き写しのようだから、趣味嗜好も同じなのだろうか。


毎晩毎晩、わたしの話を聞くの楽しみにしてくださっていた。


そして、夜が更けるとなにをするわけでもなくいっしょの布団で眠るだけ。

わたしはそんなハルそっくりの光晴様の寝顔を間近で見ることができて、毎日夜がくるのを楽しみにしている。


でもやはり、他の花嫁候補たちはわたしのことをよくは思っていないようで――。


「どうして無能の“顔だけ”のあなたが、光晴様直々に夜伽に呼ばれるっていうの!?」

「どんな色目を使ったのか、さっさと教えなさい!」


会えば嫌みを言われることは日常茶飯事となっていた。

しかし、そういうときに限って光晴様は颯爽と駆けつけてくださる。


「名家の娘とあろう者が見苦しいぞ。どれほど顔に自信があるかは知らんが、心が荒んでいては滑稽だな」


そうして、わたしを悪意の声から守ってくださるのだ。


実は、光晴様がすぐにきてくださるのには理由があって、わたしの周りには常に光晴様の式神の折り紙の鳥がついて回っている。

また変なあやかしにつきまとわれないようにといって、光晴様がわたしに付けてくださった。


花嫁候補として阿部家の屋敷に住まう2ヶ月の期間も、気づけばあと10日ほどとなっていた。

はじめは30名いた花嫁候補だが、途中で追い出された者もいて、今ではわたしを含め9名となっていた。


残った花嫁候補は、光晴様の態度から自分は選ばれたないとすでに諦めた者が半数。

なんとしてでも光晴様の妻にと、今からでも巻き返しを狙う根性のある者が半数といったところだ。


しかし、光晴様はそんな花嫁候補には一切見向きもせず、最近は日中にわたしの部屋へと通ってくださるようにもなった。


「珍しい菓子を手に入れたぞ。お前にも分けてやろう」

「1人では蹴鞠もおもしろくない。相手をしろ」

「庭の木々が色づき始めたから、お前も見にくるがいい」


などなど、なにかと理由をつけてやってきてくださる。

今日の光晴様は、異国の書物を持ってこられた。


「文字は読めないが、書物の所々に絵がある。それでなんとなくだが想像はできる」


光晴様が見せてくださったのは、外国のなにかの物語のようだった。

驚いたことに、英語で書かれてあった。


「えっと…、A long time ago――」


わたしが本を見て読み出すと、光晴様はぎょっとしてわたしのことを凝視していた。


「…読めるのか!?」

「は、はい。全部はわからないかもしれませんが、だいたいなら」


英語は全教科の中でも得意なほうではあったから。


「続きを読んで聞かせろ」


光晴様の要望でわたしは物語の英字を読みつつ、そのあとに訳して光晴様に伝えた。

光晴様はものすごく興味を持ってくださって、食い入るようにわたしの訳すお話を聞かれた。


子宝に恵まれない夫婦のところへ、星に乗って男の子がやってきて、その男の子が冒険するストーリーのようだ。


「…星に乗って子どもがやってくるとは、どういう現象だ?」

「そこは物語ですので、そういうものだとお思いください」


真面目に考えては不思議そうに首をかしげる光晴様がとてもかわいらしく思えた。


その日はとても過ごしやすい陽気で、ぽかぽかとした暖かい太陽の日差しが降り注いでくる。


「男の子は森を抜け…、少し歩いてい…くと……」


あまりにも気持ちよすぎて、わたしは無意識にうとうととしてしまっていた。


いけない、いけない。

光晴様が聞いてくださっているというのに。


目をカッと見開け、続きを読もうとした――そのとき。

なにかがわたしの肩に触れた。


顔を向けると、なんと光晴様の寝顔があった。

まさかとは思ったけど、光晴様がわたしの肩に寄りかかって眠っていた。


美しすぎる寝顔が間近にあり、その安心しきった無防備な表情にわたしはドキッとしてしまった。


「こ…、光晴様…!」


起きてもらおうと声をかけみたけど、光晴様には聞こえていないようだった。


気持ちよさそうに眠られているし、起こしてしまうのも悪い…。


わたしは光晴様が自然と目を覚まされるまで、そのまま見守っていた。


その物語はなかなか分厚い本で、1日2日で読めるような内容ではない。

だから、光晴様は物語の続きを聞きに、毎日わたしの部屋を訪れるようになった。


でも光晴様もお忙しいのに、わざわざきてもらうのも次第に気が引けてきた。

そこで、わたしは訳した内容を紙に書いて、それを光晴様に渡すことにした。


そうすれば、光晴様は好きなときに読み返すことができるから。

とてもいいアイディアだと思ったのに――。


「こんなものはいらぬ」


なぜか断られてしまった。


「で…ですが、そうすればお忙しい中わたしのところへこなくとも――」

「なんだ?俺がきたら迷惑か?」

「…い、いえ!決してそういうわけではごさいません…!」

「だったら、これまで通りでいいだろう。忙しかろうとなんだろうと俺が会いにきたいんだ、お前に」


…えっ。


「光晴様、それはどういう…」

「い…、いいから!とにかく、この話の続きは今宵聞く」


光晴様は顔を真っ赤にさせて、わたしの部屋から出ていった。


『忙しかろうとなんだろうと俺が会いにきたいんだ、お前に』


今の…、聞き間違いじゃないよね?

光晴様が、…わたしのことを?


わたしの胸がキュンと締め付けられた。


今晩、たくさん光晴様に読み聞かせできるように、なるべく訳せるようにしておこう。

わたしは今夜の夜伽を楽しみに読書にふけっていた。



夢中になって読んでいると、気づいたら西の山に太陽が沈みかけていた。

そろそろ夜伽の支度をしなくては。


と思ったとき、体に異変を感じた。


体の中がじわじわ熱くなって、柔らかな体が徐々に筋肉質になって――。

これは、男体化だ…!


まさか、今日は新月なの…!?


『この話の続きは今宵聞く』


…光晴様とお約束したのに。


わたしはうずくまって『止まれ、止まれ』と唱えてみるが、そんな戯言が効くはずもない。

次第に髪も短くなっていく。


そのうち、屋敷の方が呼びにくる。

そのときに、こんな姿を見られたら――。


…ううん、そうじゃない。

こんな姿、光晴様だけには知られたくない。


でも、わたしにはどうすることも…。


ふと顔を上げると、光晴様の式神の折り紙の鳥が心配そうにわたしの顔を覗き込んでいた。

この式神は、光晴様がわたしの居場所を把握するために付けている。


それに式神が見たもの聞いたものは、すべて光晴様に伝えられる。

だから、この式神に見られるわけにもいかない。


わたしは、目についた籠を手に取ると式神の上に被せ、その上から重しとして文鎮を乗せた。

中で式神がバタつく音が聞こえる。


「…ごめんね、こんなことして。でも…許して」


わたしは胸を痛めながらも閉じ込めた式神をその場に残し、そっと部屋を抜け出した。


日が暮れ、外は闇に包まれた。

すでにわたしは男の体になっているため、良くも悪くも屋敷の塀を力だけでよじ登ると、だれにも気づかれることなく屋敷から逃げ出した。


わたしが男になると知られれば、どちらにしても屋敷にはいられない。

ならば、光晴様に知られることがないようにこうして逃げるしかなかった。


行く宛などない。

だけど、なるべく屋敷から遠くへ。


木々が鬱蒼としていてさらに暗い森の中をわたしは裸足のまま駆けていた。


――どれくらいたっただろうか。


「…キャーーーーー!!!!」


しんと静まり返っていた森の中に、突然女性の悲鳴が聞こえた。

思わず心臓がドキッと跳ねる。


「…な、なんだろう」


気になったわたしは、声がするほうへと行ってみることにした。


少し歩くと、木々の間から明かりが漏れていた。


茂みに身を隠しながらそっと覗いてみると、地面に燃えている提灯を見つけた。

そしてその傍らには、1人の女性が倒れていた。


とっさに駆け寄ろうとしたけれど、その直後に目に入ったものにわたしは思わず足がすくんだ。

なんと、倒れる女性の首元になにかがむしゃぶりついていた。


燃える提灯の陰になって見えづらかったが、目を凝らすとそれは大柄の鬼だった。

屏風に描かれた風神雷神のようなゴツゴツとした体格に、逆だった髪からは角が生え、牙が見える口元は血で汚れていた。


鬼が…、人を食っている…!!


「…ひっ」


突如として恐怖に駆られ、わたしは思わず小さな悲鳴を漏らしてしまった。


「ナンダ?ソコニダレカイルノカ?」


すぐさま鬼がギョロリとした大きな目をわたしに向けた。

同じあやかしといっても女狐なんかよりも迫力のあるその姿に、わたしはその場から逃げることすらできなくなっていた。


「オトコ…?イヤ、ウマソウナオンナノニオイガスルゾ」


鬼は食らっていた女性の体をその場に残すと、徐々にわたしに向かって近づいてきた。

恐怖で縛られたわたしは、体が言うことを聞いてくれない。


鬼がわたしに向かって鋭い爪のついた大きな手を振り下ろす。

その直前、ようやく我に返ったわたしは間一髪のところで鬼の攻撃を避けた。


…殺される!


わたしは必死になって鬼から逃げ出した。

しかし、鬼も後ろから追ってくる。


きっと女の体だったらとっくに捕まっていただろうけど、まだ体力のある男の体で必死に走る。


――ところが。


「あっ…」


暗闇の中裸足で逃げていたせいで、わたしは角の尖った石を思いきり踏み、その拍子で転んでしまった。

足の裏からは血が流れ、激痛が走る。


「カンネンシロ。コレガオマエノウンメイダ」


追いついた鬼が、裂けそうなくらい口角を上げ不気味に笑う。


これが…わたしの運命――。


ハルを庇って死んで、気づいたら翡昭之國というところで高宮佳月として転生していた。

家族からは虐げられてきた日々。


そんな中、阿部光晴様の花嫁候補として阿部家の屋敷呼ばれ――。

でも、そこでも他の花嫁候補たちからは蔑まれ、唯一仲よくしていた花江さんは女狐が化けていた偽物だった。


客観的に見ると、誇れるような人生でなかったかもしれない。


だけどそんな中、ハルの生き写しのお姿をした光晴様と偶然にも心を通わせることができた。

…と思っているのは、わたしだけだろうけど。


初めは言葉も態度も冷たかったけれど、徐々に柔らかくなってきて、わたしにやさしくしてくださる。

そんな光晴様に、わたしは自然と惹かれていた。


だから、前世では成し遂げることができなかったハルといっしょにやりたいことができるんじゃないかと思っていた。

それが、ハルを守って死んだわたしにご褒美として与えられた運命かなと。


だけど、わたしの運命――ここまでなんだね。


わたしはすべてを受け入れて、ゆっくりと目をつむった。


――そのとき!


「グワァァァァァアアアア!!!!」


突然、ものすごいうめき声が聞こえて目を開けると、目の前で鬼が炎に包まれて悶え苦しんでいた。

状況が理解できず、わたしは呆然としていた。


すると――。


「俺との約束を破るとは、いい度胸だな」


そんな声が聞こえたかと思ったら、後ろから伸びてきた腕にわたしはそっと抱きしめられていた。

振り返ると、闇夜に映える光晴様の横顔があった。


「少しだけ待ってろ。今ゴミを片付ける」


そう言うやいなや、光晴様は鬼に鋭い視線を向ける。

光晴様が左右に腕を払うたび、鬼の体にまとわりつく炎の火力が増していき――。


あっという間に、大柄だった鬼が灰となって消えてしまった。


す…、すごい。


その力に圧倒されたわたしはぽかんとしていた。

しかしすぐにはっとして、わたしを後ろから抱きしめていた光晴様を拒む。


「こ、光晴様…!離れてください!」

「急にどうした」

「お願いですから、…今すぐ目をつむってください!わたしのことを見ないでください…!」


その声も低くて、わたしは今の自分が嫌で仕方なかった。


…見られてしまった。

知られてしまった、光晴様に…わたしの秘密を。


「…こ、こんな姿、光晴様には――」


そう発したわたしだったけど、すぐにその口を塞がれた。


驚いて目を見開けると、目の前にはまぶたを閉じるハルの顔が――。


…違う。

これは光晴様だ。


「な…、なにをするのですかっ」

「お前こそ、なにを恥ずかしがっている。姿がなんだ。どんな姿になっていようと、佳月は佳月だろう」


わたしから顔を話して、微笑む光晴様と目が合った。

わたしの心臓、壊れちゃうんじゃないかと思うくらい…すごい速さでドキドキしてる。


それに、今――初めてわたしのことを“佳月”と呼んでくださった。


『和樹!』


ハルがわたしを呼んでくれたときの声と重なって、思わず涙があふれた。


「光晴様は、気味悪がられないのですか…?わたしが…男の体になっているというのに」

「俺は陰陽師として、これまで説明のつかないようなことをこの目でごまんと見てきた。今さら、女が男になるくらいで驚きはしない」


わたしのほうが逆に驚いてしまった。

こんなわたしを光晴様はやさしく抱きかかえてくださったのだ。


「今宵、俺のところにこなかったのはこれが原因か」

「…はい。新月の夜だけ、このような姿になってしまうのです…」


こんなこと、家族以外に話したことはなかったけど――。

光晴様はすべてを受け入れてくださった。


それがわかったとたん、わたしの心の中に温かいなにかが芽生えたような気がした。


「逃げることは絶対に許さん。俺は、お前がそばにいてくれたらそれでいいんだ」

「光晴様…」


――その言葉、ハルも言ってくれた。


『俺は、お前がそばにいてくれたらそれでいいんだ』


光晴様は、見た目や声がハルと同じというだけではない。

その心も、やさしいハルそのものだった。


「佳月、一生幸せにする。だから、俺の妻になれ」


わたしを抱きかかえたまま熱いまなざしを送ってくる光晴様に、わたしの胸がドキッと跳ねた。

今は正真正銘男の姿だというのに、そんなわたしにそのようなもったいないお言葉――。


「姿など関係ない。俺はお前に惹かれているんだ」


光晴様は、まるでわたしの心を見透かしたかのようにフッと笑ってみせる。

その表情を見て、わたしも自然と笑みがこぼれた。


「お前以外、なにもいらない。俺に愛される覚悟はできているか?佳月」

「はい。不束者ではございますが、どうぞよろしくお願いします」


そうして、わたしたちは暗闇の中でそっとキスをしたのだった。



Fin.

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