竜神と祠守りの娘

 急に入ってくる空気に思わず咽せる。
 ゆっくりと目を開けると、目の前は今にも濁流に飲まれそうな我が家。
 橋の向こう側の民家はメキメキと大きな音を立てて濁流に飲まれていく。
 震えながら腰を抜かしている洋装の女性の横に、なぜか宗一郎の姿はなかった。

「……っ!」
 このままでは家が流されてしまう。
 お父様や街のみんなは無事だろうか?
 流された民家に人はいなかっただろうか?

「なぜそんな顔をする?」
 辺りを見渡す水緒の泣きそうな顔を竜神は不思議そうに覗き込んだ。
 
「……みんなが、街も無く」
 いつもの穏やかな景色は一変し、茶色の濁流と凄まじい音が響く。

「祠がなくなったら、濁流に飲まれると教えたであろう?」
 確かに教わった。
 でも、教わったからといって、納得できるものでもない。
 
「……水緒の願いは?」
「え?」
「水緒の身と引き換えに願いを叶えよう」
 透き通った青い目に見つめられた水緒は、目を逸らすことも息をすることも忘れて立ち尽くした。

 身と引き換えに?
 生贄ということだろうか?
 まるでこの土地に竜ノ川ができた時のお話のようだ。

 神子が祈りを捧げ、この土地に豊かな川を作ってほしいと願った。
 竜神様は願いを叶え竜ノ川を作ってくれたが、その後、神子は竜神様のもとに召されたという伝説。
 ただのおとぎ話だと思っていたけれど。
 
 私の命でたくさんの人が助かるなら――。

「お願いします。もとの穏やかな川に」
「ではこの時を以て、水緒は私のモノだ」
 眩しい水色の光の中、着物の男性の姿だった竜神は御神体と同じ竜の姿に。
 大きく美しい竜が空に舞う光景に水緒は目を見開いた。

 濁流がいつもの綺麗な色に。
 枯れていたはずの堤防の桜の木は蘇り、薄ピンクの花をつけた。
 濁流で土を被ったはずの土手にはシロツメクサやレンゲが咲き、子供の頃の風景が目の前に広がる。

「……奇跡だ」
「竜神様が助けてくださった」
 空を見上げる者、手を合わせて拝む者、腰を抜かす者。
 対岸の街の人々の反応に水緒は安堵する。

「キレイ……」
 男性の髪と同じたてがみの、同じ青い目をしたこの地を守る竜神は、雨が止み、澄み渡った青空の中で美しく輝いていた。