真夏の何にもない平凡な日。いつものように友達の隼也とクーラーを付け始めた僕の部屋で勉強をしていた。部屋はすぐに涼しくならないせいで暑さが残り体から汗が滴る。背中に張り付く濡れたシャツの不快感に顔を顰めつつ、静かに問題を解いていた。だけど暑さのせいで集中力はすぐに途切れ、冷えたお茶が入ったコップに手を伸ばす。ガラスのコップは氷の冷たさと手のひらに伝える。少量のお茶を口にすると体の内側から冷えるがあっという間に体温と中和して消える。

「ハァ、暑いな……」

 そう悩ましげな声を零す隼也はワイシャツの第二ボタンまで開けて、団扇を扇いだ。汗でしっとりとした艶やかな濡羽色の髪と黒曜石のような瞳。整った顔立ちはイケメンというのが相応しく学校中の女子からの人気が凄い。そんな彼の暑さのせいで紅潮した頬や首筋を伝う汗が僕の視線を奪った。彼に近づきたい、触れたいという気持ちが心の奥底から顔を出す。でもロボットみたいとみんなに言われる僕の表情は1ミリも動かない。邪な考えているなど分からないはず。だから隼也に気付かれる前にこんな気持ちを忘れようと一心にペンを動かす。ペンが紙の上を走る音やエアコンの機械音、団扇の扇ぐ音、外の蝉の声が静かな部屋に響く。お茶を入れたコップは飲み干して氷だけが残っている。コップの表面に水滴ができ、コースターに小さな水溜りを作り始めた。周りの音が聞こえなくなるぐらい深く集中していると、突然温かい手が僕の手を包んだ。僕は驚いて顔を上げると隼也がじっと僕を見つめていた。

「なぁ、樹は好きな人いるの?」

 首を傾げながら言う隼也にドキッとする。まるで心を見透かすような瞳に不安に感じながらも、好きな人という言葉に頬を赤らめた。だって好きな人は目の前にいるのだから。

「いる、よ。」

 辿々しく言うと隼也はただ微笑んだ。その微笑みはどう言う意味なのか分からなかった。疑問に思いながらも隼也の言葉を待つ。隼也はただ微笑んで何も言わない。不思議そうに首を傾げるとはらりと耳にかけていた髪が落ちて思考はそちらに向く。直そうとして隼也から視線を下げて耳元に手を伸ばすが隼也に掴まれてしまった。戸惑いながら見ると隼也が顔を近づけてくる。びっくりして目を閉じるが何も無く、耳に何かが触れてくすぐられる。

「俺も好きな人がいるんだよね。」

 隼也は少し間を空けてそう言った。一瞬驚いたが平然を装い誰なのと尋ねた。隼也は口元に手を持っていき秘密かなと怪しく微笑んだ。僕は気になりどんな人なのか聞こうとすると、僕の好きな人を教えてくれたら教えてあげると言って躱わされた。僕は悩んだ。ここで隼也のことが好きって言ったのに、実は別の人が好きだなんて言われたら、僕は。気になるけど自分を傷つけてまで知りたくはない。多分、隼也の好きな人については知らない方が幸せだと思う。

「まあ、いいや。隼也の好きな人については。」

「ふ〜ん、意外と意気地なしなんだね。それは俺が別の人が好きなのかもしれないから?それとも……」

『嫌われるかもしれないと思った?』

 隼也の言葉に驚き、視線を逸らして黙ってしまう。突然の隼也の言葉に焦る気持ちと、言い当てられたことによる不安感に唇が震える。

「俺の見解的には前者の方が有力かな? 告白する気もない意気地なしの樹は、自分の気持ちがバレるより誰かに取られていくことの方が不安だろうし。」

 僕の全てを見透かすような瞳に、隼也に聞こえそうなほど心臓が激しく鼓動する。心音がうるさくて、息がしにくいほど心は締め付けられて、頭が真っ白になりそうだった。そんな僕をお構いなしに隼也は話し続ける。

「驚いているの? 俺への好意がバレていることに。気付いてないとでも思っていたもんね。でもバレバレだよ。よく俺のこと見ているからね。」

「そ、それは……」

「大丈夫、安心して。俺も好きだから。両思いだね。」

「両思い……」

「そう、両思い。大丈夫。」

 “両思い”
 その言葉は僕の心から離れない。隼也が僕のことが好き。その事実が嬉しくて、嬉しくて、でも不安で。嘘なんじゃないかとつい考えてしまう。悪い方に思考が偏ってしまう。俯きながらぐるぐる脳内で考えていると手の甲が温かくなる。顔を上げると真剣な表情でありながら、瞳の奥に優しい光を宿している隼也が僕を見つめている。僕はその姿を見て確信した。隼也は嘘をついていないのだと。

「僕も隼也のことが好きだよ。」

 もっと沢山言いたいけど恥ずかしくてそれしか言えなかった。でも隼也は嬉しそうに微笑んでくれた。だから僕も微笑み返す。

「樹は周りの目を気にするし、まずあの両親がうるさいかもしれないけど安心して。これは俺との秘密。」

 “俺との秘密”と僕の耳元で囁く艶やかな声に顔を赤く染める。
 隼也の言うとおり僕は周りの目を気にしてしまう。多分、両親が世間体を気にする人たちだったせいかもしれない。だから両親に男性と付き合ったなんて伝えたら絶対反対されるに決まっている。でも僕はそんなことなど、どうでもいいと思った。だって別に大学生になって一人暮らしすれば家族との関係は薄くなるのだから。社会人になったら縁を切ってもいいし。

「大丈夫だよ、隼也。両親のことはどうでもいいや。もしバレたら僕と一緒に逃避行してね。」

 真夏の僕たちの秘密。子供であり大人である僕らの禁断の恋に僕は密かに心昂らせた。世間という目から隠れながら、僕は静かに隼也に顔を寄せる。

 小さなリップ音が鳴ると同時に蝉の鳴き声は止み、部屋は静寂に包まれる。飲み干したコップの中で輝く氷がカランと小さく音を立てた。