でもそれが分かったところで、俺の世界は一変! なんてことはなかった。
学校一の優等生くんと俺なんて、接点すらないし、高瀬は俺のことも覚えてないだろう。
話しかけても、迷惑だろうし。
今度こそ、怖がらせるかもしれないし。
だからこうして、俺は密かに高瀬を思って、トラブルに巻き込まれないように、守ろうとしている。
だから今日も、そんな日常を送るつもりだった。

 
 「おい! 相場(あいば)! ピアス付けるなって、何回も言ってんだろー!」
「……やっべ」

俺を見つけた途端、怒号を浴びせる先生。あいつは確か、生活指導の先生だ。
金髪を止めろとか、ピアス外せとか、口うるさく追いかけまわしてくる。一年の時に一度捕まったときは、散々説教をさせられた。椅子に座ってるのに、足が痺れ出すほど。
今は、捕まるわけにはいかない。
俺は高瀬を守らなきゃならないんだ。高瀬の可愛さに気がついたやつが、高瀬を困らせるのを阻止するために。

「おい! 待て!」

ものすごく険しい形相の先生を振り払うため、俺は一目散に駆け抜けた。
階段を一気に下り、頬に風を感じながら、体育館裏に逃げ込む。

「はあっ。はあっ。ここなら、大丈夫、か」

胸を押さえて、呼吸を整えようとする。それにしても遠くまで来てしまった。
辺りは人気も全くなくて、不穏で、高瀬は絶対に来ないであろう場所。
しばらく経ったら、校舎へ戻ろう。
そう思った時だった。
ドンッ!
何かと何かがぶつかるような、そんな鈍い音が響き渡った。
生徒なんて一人もいないと思っていた俺は、思わず肩が跳ね上がる。
何か、あったのか?
そう思った俺は、音のした方に行ってみることにした。その場所は、より校舎から離れる、狭いところ。
次第にあらわになっていく人影。
その中心にいるやつの耳には、幾つものピアスがついていた。
そいつの表情から、不穏なことを一瞬で察した。複数人で、大人しそうなやつを取り囲んでいる。

「おい! 何やってんだよ! こんなところでーー」

そして、俺はその集団の全貌を初めて見た。そいつらが囲っていたのは……。

「高瀬!」

そう、高瀬だったのだ。
怖がっているのか、ずっと顔を伏せている。
そして少し、肩が震えている気がした。
は?
ふつふつと、あり得ないくらいに大きく怒りが湧いてくる。そして俺は、その怒りのまま叫んでいた。

「俺の高瀬に! 何してんだよ!」
「お、おい! 相場だ!」

俺は、リーダーっぽいやつの胸ぐらを掴んだ。周りのやつらが騒ぎ立てる音も、全く聞こえない。ただこんな集団で高瀬を怖がらせているこいつらが許せなかった。
きっと今、俺は人生で一番、誰かに腹を立てている。
だから高瀬の前で、好きなやつの前で、暴力を振るおうとしていることも、頭からすっぽり抜け落ちていた。
頭に血がのぼって、何も考えられなかった時、

「……パイ!」
「……」
「センパイ!」
「っ!」

ふいに高瀬の、高くて綺麗な声が鼓膜に届いた。
ふと声のした方を見てみると、俺を見上げるように上目遣いをした高瀬が、俺の腕を握っていた。
俺が殴ろうとするのを、阻止するような手つきだった。
予想だにしなかった、この現状に俺は胸ぐらを掴む手を緩める。

「逃げんぞ!」
「あ! おい! 待て!」

その一瞬の隙に、高瀬を囲んでいたやつらが散っていく。
また高瀬を怖がらせた罰を受けさせてないのに。そんな考えがよぎった俺は、その背中を追いかけようとした。高瀬を傷つけた罪を、しっかり背負って貰わないと思ったからだ。
だけど、止められてしまった。
今度はさっきよりも強く、俺の腕を握っている。
その可愛さは、俺の怒りを超えていく。

「……え、あ……」

きっとこれは望んでいた展開だろう。でも、恋に何の耐性もない俺は、あの日のように口をパクパク開けていることしかできなかった。
そんな僕を見て、ふふっと口角を緩める高瀬。メガネの中の瞳は小さくなって、目尻に皺がよって、口元が綺麗な弧を描く。
ああ、本当に可愛い。
そして高瀬は、その笑顔のまま口を開いた。

「僕なら大丈夫ですよ、センパイ」
「あ……。お、おう」

何か返さないと。
高瀬が怖がらないように、何か……!
けれどそう思うと、余計に言葉なんて出てこない。
あの日よりも近い距離の高瀬は、肌は透き通るように白くて、綺麗で、目はパッチリとしていて、本当に可愛かった。
その可愛さに心臓が暴れ出す。
ダメだ。この心臓の音が聞かれたら、ダメだ。
好きなことが、バレてしまう。
そう思って、俺は高瀬から目を逸らした。でも、そんなことは意味を為さず、高瀬は俺を覗き込む。その真っ直ぐで、純粋な瞳で。
そして懐かしそうに目を伏せながら、ボソッと呟いた。

「……センパイは、相変わらずですね」

小さい声だったけれど、その声はちゃんと鼓膜に入ってくる。

「え?」
「僕を守ってくれようとしたんですよね? やっぱり優しいですね」
「は!? やっぱり?」

俺は思わず声を荒げた。
高瀬の言葉の意味が、よく分からない。
まるであの日のことを覚えているような言い方だ。
それに、優しい、って高瀬は言った。いつまでも怖がられてばかりいる俺に、優しいって。
もしかして……あの日を、覚えているのか?
そう思ったけれど、俺は首を横に振った。
そんなこと、あるわけがない。そんな俺に都合が良くて、嬉しいことなんてあるわけーー。

「あれ? 覚えていませんか?」
「な、何を?」
「センパイと会ったの、初めてじゃないですよね? 僕が中学生の時に、会ってるじゃないですか。忘れてしまったんですか?」

その言葉に、思わず息を呑む。
きっと、今の俺は情けない顔をしている。
まさか覚えていてくれていたことが嬉しくて、高瀬の中に俺がいたことが嬉しくて、思わず口角が上がってしまう。
こんな顔、俺らしくないのに!
高瀬を前にすると、やっぱり上手くいかない。

「わ、忘れてなんかねぇよ」

ぶっきらぼうに言い放つ。そう言うと、高瀬は嬉しそうに目尻に皺を寄せた。

「良かったぁ! 忘れられてたら、どうしようかと思いましたよ。本当に久しぶりですね、センパイ」

その柔らかい笑顔が、俺に向けられる。
一年越しに直接見るその笑顔は、またもや俺を釘付けにして離さない。

「俺は、お前の方こそ忘れてるかと思ってた」

俺がそう言うと、高瀬は露骨に眉を寄せた。

「僕が忘れるわけありません! だって僕、センパイを追いかけて、この高校入ったんですよ?」
「……は?」
「根は優しいのに、不良って思っているところが可愛くて。そんなセンパイにもう一回会いたくて、入ったんですよ。
なのに、話しかけてくれないし。寂しかったです」

不貞腐れた子供のような、表情。
俺は何が何だか分からなかった。
何度も俺の前に爆弾を投下しては、俺に考える時間を与えてはくれない。
俺を追いかけてきた?
俺が、可愛い?
俺に会いたかった?
簡単な言葉のはずなのに、飲み込めなかった。でも何の情報の整理もつかない頭とは違って、体は簡単に反応する。
そんな俺を見ると、高瀬は意地悪な笑顔を浮かべた。

「あはっ! 顔真っ赤にして、可愛い」
「〜〜っ!」

思わず口元を手で覆った。
そうでもしないと、叫び出しそうだったからだ。
誰だ!?
目の前の高瀬は、俺の知ってる高瀬じゃなかった。可愛くて、大人しくて、優等生な高瀬じゃない。
むしろ俺の反応を見て、楽しんでいるような気がする。

「でも、ちゃんと、僕のことを好きそうで良かったです。見てくるのに、話しかけてくれないから、不安になっちゃいましたよ」
「っ! なんで、それを知って!?」

次から次へと降りかかってくる情報に、頭が追いつかない。
どうして、そのことを知ってるんだ!?
だって、誰にも言ったことなかっただろ?
俺が、高瀬を好きなことを!
高瀬と話したもの、あの日の一回きりなのに。
けれど高瀬は、俺のことなんて全てお見通しとでも言いそうな顔で、意地悪に笑う。

「そりゃ、分かりますよ。あんなに見られたら」
「知って!?」
「もちろんです」

まさか、影で見ていたことも知っているなんて。
じゃあ、もしかして。今日、目が合ったことも、偶然じゃないのか?
高瀬は全部知ってって、あんなに綺麗に笑っていたのか?
俺がパニックになっていると、高瀬が一歩づつ俺に近づいてくる。そのふわふわそうな体と、甘い匂いが俺にまで伝わって、一気に顔が熱くなる。
こんなはずじゃなかったのに!
そして、あと一歩近づけば、体が触れてしまいそうな距離まで近づいてきた。けれど、寸前で高瀬の足は止まる。
首を傾けて、俺を見上げて、その綺麗な形の唇が開かれる。

「でも、大丈夫ですよ。僕の方が、センパイのこと好きですから。きっと、センパイよりもずっと、ね?」
「はっ? はああああ!?」

体の内側が火照ったように熱くなって、顔と耳にブワッと広がっていくのが分かった。
周りの音なんか聞こえなくなって、ただ俺の心音と、高瀬の小さな息遣いだけが聞こえる。心臓があり得ないくらいに、早く動いた。
言葉の意味が理解できなかった。
高瀬が、俺を好き?
そんなことがあっていいのか?
だって、高瀬は俺と違う世界にいる人だ。先生からも、生徒からも信頼されて、常に人が集まっているような、人気者。
反対に俺は、先生やクラスメイトからの信頼もなくて、底辺に這いつくばっているようなやつなのに。
そんな高瀬が、俺のことを好きだなんて!

「……だから、センパイ」

そして、高瀬はもう一歩、俺との距離を詰めた。
思わず一歩下がってしまう。心臓が高鳴って、真っ直ぐに高瀬を見つめることなんてできなかった。

「な、なんだよ?」
「好きです。センパイも、僕のことだけ好きでいてくださいね?」
「〜〜っ」

俺は、高瀬が好きだ。
その黒縁のメガネの下で笑う笑顔が、俺のことを怖がらずに接してくれるところが、大好きだ。
でも高瀬は、学校一の優等生で、俺は学校一の不良。
でも俺が恋をしたのは、ただの学校一の優等生なんかじゃなかった。
俺の方が、体も学年も上なのに、後輩である高瀬に赤面ばかりさせられている。
最初から最後まで、高瀬の波に呑まれ続けていた。
俺が恋をしたのは、意地悪で、ずるくて、ちょっと強引な優等生だった。