白馬の王子さまたち

「……俺、欲求不満なんかな」
 翌日、俺はまたしても教室で大神ばかりを追いかけていた。
 大神の真意が分からなくて、そこでぐるぐる悩んで、でも自分ではどうにもならないところをひたすら考えているだけ。
「開口一番にそれかよ。姫が言うもんじゃねえよ」
 白井はスマホから顔を上げて、げんなりした顔で言った。
 俺に姫を投影するのはやめていただきたい。今更言えるものでもないけど。
「なんていうか、人肌が恋しい季節に入ってきてんじゃん」
「まあ秋だからな」
「俺もだれかに温めてもらったら、いろいろ解決するのかなと」
「んじゃ、手っ取り早く女作るしかないだろうよ」
 女。
 言われてみれば、最近は大神との関わりが増えている。
 だから余計に大神のことばかり考えてしまうのだろうか。
 女の子と関われば、大神への気持ちもスッキリする……?
「でも、女の子との接点はないしなあ」
「合コンでもやったら解決だべ」
「うわ、未知なる世界……!」
「まあ姫にはずっと女を知らずに姫でいてほしいけどな」
「さすがにそれは自分の人生としてどうなんだろう」
 正直、姫とかどうって今だけなんだろうし。これから社会に出たら「姫」なんてまずは呼ばれなくなるだろう……と期待はしたい。
「とりあえず、近いうちにセッティングしとくわ」
「え、白井って合コン開催できるほど女の子と関係あったっけ?」
「あるよ。ちょくちょく合コンしてるし」
「そうなの!?」
 知らなかった。俺と同じように、ただ男しかいないような場所で生息しているのかと。
 思えばここは共学だけど、白井はちょくちょく女の子と話していた。
「あ、嫉妬すんなよ~俺は姫一筋だから」
「そのノリいいって」
「そうなの? なんだ、求めてんのかと思ったのに」
 へいへいと言いながら、すぐにスマホをシュバババッと操作している。
「……もしかして、もう合コンのセッティング始めてるとか?」
「え、もう決まってるけど。ちなみに明日な」
「明日!?」
「はあ、ついに姫も彼女か~」
 いくらなんでも行動力の鬼だ。こんなに早く決まるなんて。
「おい、大神ってば聞いてんのかよ」
 少し離れたところから大神の名前が聞こえて、自然と反応してしまった。
 今日も今日とて大神は人に囲まれている。一軍さまにはどうして、華があるような人間ばかりが集まるんだろうか。自分があそこにいるという想像ができやしない。
「よっしゃああああ、ガーター!」
「どこで喜んでんだ馬鹿」
 ってことで開催されたボーリング合コンでは、白井がガーターを連続で出していた。
 もはやストライクを取るというよりも、ここまできたからには全てガーターで終わらしてやろうという謎の気迫を感じる。それを俺と八雲が呆れて見ているが、白井が躍起になるのもわからなくもなかった。
「え、共学なんですか? いいなあ、私も女子高じゃなくて北原にすればよかった」
 問題となっているのは、セッティングした女の子が全て隣のグループに持っていかれたということ。
 そしてそのグループが大神率いる一軍さまだったってことだ。ちなみに花森さんと吉岡さんは不在だった。
 最初こそは「初めましてえ」みたいな和やかな雰囲気で始まったというのに、そのあとで来た一軍さまが俺たちに気付いたことで合コン終了。
「俺らも混ぜてよ」なんて山田が切り出し、そうかと思えば自分たちのテーブルに女の子を回収していった。
 ここにいるのは俺と白井と八雲という安定のいつメンだ。
 おかしいな、今日は俺が女の子と楽しく過ごすはずだったのに。
 でも、どこかでほっとしている自分もいた。
 女の子たちを前にしたとき、なんか、違うって漠然と思った。
 この先、ここにいる人たちと恋愛をしていくイメージがまずつかなくて、しかも、そうなりたいとも思わなかった。だから大神たちが現れてくれたことは俺にとってよかったかもしれない。
「大神くんってボーリング得意なんですか~?」
「やったことないんで」
 一軍さまの中でも、女の子たちの視線は大神に集中していた。
 やたらと大神から離れていこうとしない。そこに山田が「ちょいちょい俺も~」なんて割って入ろうとする。そのメンタルは心底見習いたいものだ。山田、すげえな。
 しかし、大神がボーリングをやったことがないというのは嘘だろう。
 この前のマドンナ先輩といい、カラオケとボーリングは大神ぐらいになれば常連になっていてもおかしくはない。
「ああああ、くっそ。一本ピンが倒れた」
 そしてこちらでは永遠に白井のターンになっている。そしてピンを倒したことを嘆いている。普通は喜ぶところだろう。
「はあ、姫~慰めてくれよ~」
「はいはい、おつかれ」
「雑っ!」
 隣ではキャッキャッと盛り上がり、こっちでは男同士で葬式ムード。
 こうなるはずではなかったけどしょうがないんだろうな。
「よっ、大神ファイト」
 山田の声で隣のレーンを見ると、ちょうど大神がボーリングの球を構えていた。
 おお、てっきりやらないと思っていた。
 もしここでガーターとか出したら、さすがの女の子も大神に引くんだろうか。
 パコーンと小気味良い音が聞こえたとともに、綺麗に並んでいたボーリングのピンもひとつも残っていない。つまり全部倒したということで。
「ストライクかい!」
 白井が悔しそうに呟いた。
「……ボーリングまで上手いんかい」
 俺も俺で呟いてしまいたくなる。
 あんなにも恵まれた顔を持ちながら、ボーリングまで上手ければ女の子がより一層大神から離れなくなる。それはそれで悲しい。でも、悲しいってなんで?
 俺は女の子と関わらなくてもいいことにほっとしたはずだった。
 だから別に、悲しいというわけでもないはずなのに、この消化しきれない気持ちはどう解いていけばいいのだろう。
 それにしても、大神が球を投げるまでの光景が目に焼き付いている。
 血管が出た手の甲、肩甲骨のライン、Eライン最強の横顔。なんか、どこをとっても完璧という言葉だけで片付いてしまう。
「はいはい! ジュースじゃんけんやりまーす!」
 大神にかっこいいところを奪われていく反動か、山田の声がスタート時よりかなり大きくなっていた。そしてそのじゃんけんに、なぜか俺たちのグループまで巻き込まれた。さっきまでのけ者にされていたというのに。都合のいいとき使われるが、それも宿命だ。一軍さまに見つかってしまったら、それは静かに受け入れることが一番だ。
「ここは男だけでやるわ」
 そして、どこまでかっこつけたいのか、女の子たちの参加を認めなかった山田。
 このときばかりは「山田くん最高」ともてはやされていた。そして山田はちょろかった。「まあ俺だし?」などと顔を破顔させていたが、山田も山田で顔はいいほうだから事故になるわけでもない。俺なんかがあんな顔で同じセリフを口にしていたら場はとっくに乾いた笑みに包まれていただろう。
「大神も参加だからな」
 山田が大神の肩を強引に組むと「うぜー」と悪態をついた。
「勝手にやってろよ」
「そうもいかねえよ。俺のかっこいい場面、今んとこゼロだから」
「どこで回収しようとしてんだ」
 それは俺も大神に同感だ。じゃんけんに買っても負けても、別に「かっこいい」とはならないだろう。
「いいんだよ、細かいことは。ほれ、小鳩も」
「え?」
 なぜ俺の名前だけ?
 なんて思っていたら、いつの間にか白井と八雲がいなくなっていた。おのれ、逃げたな。
 そうこうしているうちにも「じゃんけーん」と山田が声を高らかに上げ、咄嗟にチョキを出した。
 山田と大神はグーだった。
「ま、負けた……」
「はい、小鳩くんのおごりね〜」
 いえーいと山田が女の子たちとハイタッチしている。まあ、こうなることは大体予想できていたけど。白井と八雲がいない今、ここで一人残ることになっても、それはそれで苦痛だったからまだよかったと思うか。
「じゃあ、買ってくるよ。飲みたいものは……?」
 それぞれの希望を聞き出し、忘れないようにスマホにメモで残していく。
 あとは大神だけ、という状態になったとき、
「俺も行くわ」
 すっと大神が立ち上がった。
「え? いや、大神くんは座ってていいよ。俺が負けたんだし」
「人に飲み物把握されんのきらいだから」
 どんなんじゃい。悪用せんよ。
 と喉の奥まで出かかっていたが、かと言ってさすがにツッコめるわけもなく「そうなんだ」となんとか笑みを浮かべることには成功した。
「えええ、大神くん行っちゃうの~?」
 残念そうな声が聞こえてくるが「俺がいるじゃん~」と山田がすかさず大神ポジションへと座った。しばらく女の子たちを独占できるからか、かなり嬉しそうな顔をしていた。
「行くぞ」
「え、あ、うん」
 さっさと行ってしまう背中をなんとか追いかける。
「あ、あのさ……大神ってボーリングもできちゃうんだな」
 会話の糸口を探していると、必然的に大神を褒めることしか思い浮かばない。
 こんなことも言われても喜ぶような人間ではないんだろうなと思っていたら、案の定「遊んでたらできるもんでしょ」と無愛想な返事。あれ、この前は俺たちって居残りしてたよなと記憶が不確かなものに変わっていく。居残りといっても、大神は俺の補習に手伝ってくれただけで、あくまで善意によって成り立っていた時間だった。
 それでも、妙に色っぽいことを言われたような気がしなくもない。
『小鳩がいるから』
 それはいまだに真意を尋ねることもできず、心の中をうようよと彷徨い続けている。
 大神との関係性も劇的に変わることもなく、やはり一軍さまには見えない壁があり、その向こうに大神がいる気がしてならない。
 それでもよかった。無視されないだけいい。
 ただし、大神は掴めないけど。
「俺もボーリングによく来るけど、上達しないよ」
「ホーム悪いからそれ直したら?」
 ぽん、と言われたそれに理解ができなかった。
「え……ホームって、俺が投げるときを見ててくれたの?」
「隣だから見えるもんじゃない? なんでそんな意外そうなん」
「いや、少なくとも俺のことは見てないかなって」
 というよりも、俺の行動を見ていた人間なんていたのだろうか。
 白井と八雲でさえ、自分のターンじゃないときは恨めしそうに隣のテーブルを見ていた。
「見るよ。さすがに両手投げはレアだったけど」
「……いや、そのつもりはなかったんだよ」
 ましてかっこ悪いところを目撃されていたのか。
 両手投げなどという可愛らしいものを披露したかったわけではなかった。ただいろいろな不運が重なったきっかけの成れの果てが両手だったというだけだ。
「いいんじゃない、小鳩には小鳩の投げ方があって」
「頼むからそのテンションでマジレスしないで」
 はたからすれば、俺が両手で投げる人みたいになってるじゃん。いや、両手投げいいと思う。決して差別用語として捉えているわけではない。ただ、俺の場合は姫呼びという特殊な背景があるからこそ、あらぬ誤解が浸透していくのではないかという不安が──。
「っいた」
 こん、と額を小突かれたのは、面倒な思考で埋め尽くされていたときだった。
「なんか一人劇場してるような顔だったけど」
「……なんでわかるんだ」
「あ、本当だったんだ」
「しょうがないだろ。大神を前にするといろいろ考えることが増えるっていうか」
「俺?」
 首を傾げたその顔が、二、三歩と俺に歩み寄った。
「具体的にどういうことを考えていたのか聞きたい所存」
「……ち、近い」
「気になること言うから」
 さすがに男の俺でも、この近距離は耐えられそうにない。ぐん、と顔を後ろに引いた。すげ、人間ってこんな動きできるんだ。
「あ、呼ばれてるわ」
 大神が俺の後ろを見て言った。その先にはおそらく山田がいるのだろう。
「早くしろだって」
「う、うん……一刻も早くそうしよう」
 ああ、だめだ。なんで大神を前にすると、俺っておかしくなるんだ。
 遠くなかったはずの自販機が、果てしなく長いように思えて、たどり着いたときにはほっと一安心したほどだった。
 大神が自販機の前に立つ。ただ飲み物を選んでいるだけの横顔が妙に惹きつけられる。パコーンっとピンが豪快に倒れた音が聞こえてくる。賑やかしいこの場所で、大神の周りだけ静謐な時間が流れているように思える。
 ……いい匂い。どこの香水使ってんだろ。なんか持っていかれそうなやつ。
「……なに」
「!?」
 気づけば大神との距離が近かったパートツー。
 バカじゃん俺! いい匂い〜とかで吸い寄せられてんじゃねえぞ。
 引かれたよな? 最悪だ。大神もさすがにそっぽを向いてしまった。
「ご、ごめん。あの、なんか香水使ってんのかなって」
「使ってないけど」
「使ってないの!?」
 え、じゃあ素でその匂いってこと?
 フローラルも自然に発酵できちゃう系なん?
「……小鳩って人との距離感どうなってんの」
「きもいよな、自分でも反省してる」
「そうじゃなくて、八雲たちともよく絡んでんじゃん」
 絡んでる……というのだろうか。確かに抱きつかれることはある。それが通常モードになってしまっているだけで。
「あんま、そういうの見せられると困るんだけど」
「男同士だからきもすぎて? うわあ、ごめん。八雲は別に普通っていうか、確かに距離感バグってはいると思うけど根はいいやつだから」
「そういうこと言ってない」
 違ったらしい。ということは俺に問題があるということなのか?
 大神がお金を自販機に入れた。
「あとで山田に請求しとくから選んで」
「え、いやさすがにそれは俺が殺されるっていうか」
「ほらはやく」
 えええ、俺がジャンケン負けたのに。大神に脅されて買って、あとから山田に絞め殺されるとかどんな展開だよ。さすがに「わかりました」とは言えない。「やっぱお金は」と財布からモゾモゾお札を取り出そうとすれば──。
「俺が小鳩を殺させない」
 強く、どこまでも射貫いてしまうような瞳が向けられていた。
 こういうとき、ヘラヘラ笑ってしまったほうがいいんだろうか。それはそれで怒られてしまいそうな気もするけど。
「し、信じるよ……?」
「……」
 自然と大神を見上げる形で口にしたが、なぜか大神は俺を見たまま動かなくなった。
 え、フリーズしてる?
「大神?」
 はっとしたように、瞳に動きが戻った。
「黙らせるから信じろ」
「う、うっす」

 その後、ボーリングは大盛況に終わった。なぜか大神と山田対決になり、完全に観客となった女の子たちが精一杯黄色い歓声をあげながら応援していた。主に大神を。そして山田は負けた。「俺に女神がいなかったせいだ」と肩を落としていたけど、俺から見れば十分に女神は周りにいたように思う。視線だけは大神だったというだけで。
「今日だけってやっぱり寂しいし、また会おうよ」
「いや今日限りって話っすね」
 出た、塩対応。
 帰り際、さっさと帰ろうとする大神を、女の子のひとりが引き留めた。やたらと大神の隣を死守しているような子だったから、どこかで行動に移すんじゃないかと思っていたけど、最後の最後に賭けていたらしい。
 そして大神はすぐに距離を取ろうとする。敬語を使うことで明確に線引きをすることはよく使われる手法だけど、同じ高校ではない人からするとあまり気にしないのかもしれない。
「じゃあ彼女にしてよ。別に本命じゃなくてもいいからさ」
 だってほら、本命じゃなくていいなんて言い出すんだから。
 高次元だ。どんな世界だ。
 白井と八雲はどうやら一つ上の階にあるカラオケで盛り上がっているらしい。一時間前に「故郷に帰って来い」というメッセージがスマホに届いていた。ちょうどそのときは、大神と自販機の前でああだこうだと話している時間だった。
 結局、大神は女の子を最後まで突き放す形でボーリング場を後にした。
 山田はその場にいた女の子全員、片っ端から連絡先を聞き、満足したように「また連絡するね」と大神のあとに続いていった。
 ちなみに山田から金を請求されることなくて安心した。
 カラオケに行こうかと悩み、でもそんな気分でもないなと、同じく帰ることにした。
 近くのバス停には大神がいた。家が近いから、必然的に使うバスも同じになるらしい。
 だけど会話はなかった。大神は顔を上げることはなかったけど、俺に気付いていたと思う。だけど耳にイヤホンをしていたから、俺から話すということもできなかった。
 五分待ったところでバスがやってくる。乗客は俺たち以外いない。いつも座るような席にお互いが座った。
 俺の前に大神が座っている。俺たちの関係ってなんだろう。ボーリング場では会話があったのに、今は隣に座るようなほどではない。
 大神がよくわからない。
 俺のことをどう思ってるのか。友達だと思ってんのか。それとも──。
「……俺のこと、好きになってくんないかな」
 そんなことがぽつりと出ていった。
 まあ、聞こえるわけないけど。
「……え、今なんつった?」
 髪が揺れて、大神が振り返った。
 初めてだ、大神が振り返ったのは。
 うわ、すっげえ綺麗な顔。夕日か?
 シルバーのピアスが輝く。それから気づく。今、なんつった?
 過ぎていった記憶を巻き戻す。
「あ、いや、ちが……うってわけでもないっていうか。え、なに今の。ごめんきもい発言撤回したいです、忘れてくださいほんと、消えますんで」
「ちょ、撤回すんなって」
 なんでか、大神が焦ったみたいな顔してる。
 クラスメイトにこんなこと言われて、意味わからんよな。一軍さまに何言ってたんだ。
 そもそも好きとかどうとかって、今まで考えたことなんてなかっただろ。それなのに、俺は今、大神にすげえことを言ったことになる。
「それ、俺のこと好きって言ってんの?」
 この位置からなら、ずっと後ろ姿を見ていくものだと思っていた。その大神が振り返って俺を見ているんだ。
「……言ってたりする、ごめん」
「いや、なんで謝るんだよ」
「なんでって……男がなに言ってんだってやつで、しかも大神相手にこんなこと」
 どう考えてもレッドカード。即退場。次のバス停ですぐ降りよう。家から少し距離あるけど。つうかバス通学やめたほうがいいよな。チャリで? パンクしてんだよな。自転車屋まで持って行かねえと。
「じゃあ、そういうことで」
「…………え?」
 大神はそのまま前を向いてしまった。
 なんか、言われたよな?
 拒絶ではなかったことは確かだ。
 なんだ、そういうことでって。
 俺が大神を好きだってことを、認めてもらったって感じ?
 だから……どうなったんだ?
 大神って告白されたとき、どうしてたっけ。
 なんかあれだよな、すっげえ毒づいてたよな。敬語使うし。さっきもそうだったし。
 それが行使されなかったってことは、受け入れてもらったやつってことか?
 いやあ、ないだろ、ない。だって大神だぞ、トップオブトップだぞ。どんだけいいように解釈してんだ。
 大神は振り返らなかった。言葉を付け足すわけでもなく、ただ反応だけして、フェードアウトしていった。
 次の日から、大神とは距離が縮まったわけでもなかった。
 大神は相変わらずカースト上位の奴らとつるんでいて、俺は白井や八雲とゲームに勤しむことになった。石が足らんと騒いでいる八雲が何度か俺の頭を撫でていったのを上書きするように、白井が撫でていく。そんな日常がどんどん過ぎていくのに、大神とはなんの接点もなかった。
 連絡先も交換してない。大神はSNSもやってない。俺もほぼ動かしてないアカウントだけ存在してる。
 だからどう足掻いても、直接話しかけるしかなかった。
 でも、なんて話す?
 昨日ぶり? いや、不自然すぎる。あと大神に笑われる。
「姫、購買行くぞ~」
 すでに廊下へと出ていた白井と八雲。もしかしたら昼は一緒に食ったりするのかなって期待したのに、大神はいつものメンバーで食い始めた。
 ……もしかして、俺ってなんか勘違いしてる?
 やっぱり昨日のあれって普通の会話として片付けられてたりするんか。
 そもそも、告白だと思われてない系?
 いや、好きか、なんて聞かれた。……聞かれただけで、別に大神から好きだと言われたわけでもなかったか。そうだ、肝心なことが抜けていた。昨日は俺の気持ちをただ打ち明けただけで、別に大神も同じ気持ちだったというわけでもなかった。
「姫~」
「俺は姫じゃない。野郎だ」
「おお、なんか急にやさぐれてんじゃん」
 どしたどしたと八雲が顔を覗き込んでくる。
「……やさぐれてない」
「でも、朝からずっとソワソワしてない? 俺と白井の目を見くびらないでいただきたい」
「……ごめん、見くびってた」
 見くびってたんか~い、あはははは、と二人が謎のテンションで盛り上がる。
 そして、すん、と素の顔に戻る。
「わかった、今日は昼を奢ってやるよ、白井が」
「奢りたかったって八雲が言ってたぞ」
「……どっちも奢る気ないなら提案すんな」
 やっぱ怖いわよねえ、とおねえみたいな言いまわしをして「さ、売り切れる前にダッシュ」と駆け出す背中。それを、ちょこちょことついていきながら、大神のことばかり考える。
 ……確かめよう、本人に。
 昨日の「そういうことで」という意味を教えてもらうしか、このモヤモヤは消えない。
 答えてもらえればいいけど。
「……って、そううまくいかねえよなあ」
 がっくりと、通学リュックに顔を伏せる。
 帰りは声をかけようって思ってたのに、大神は安定の告白イベントに駆り出されて戻ってこなかった。いつも持ってる鞄もなくなってるから、今日はもう帰ったのかもしれない。
 ひとり教室で待ってるのも虚しくなって、仕方なく帰ろうとしたと昇降口に向かっていると、階段下から会話が聞こえた。
「付き合ってる人いないなら、付き合えない理由ください」
 まさかとは思うけど、告白?
 じゃあ、ちょい待て。これってあいつがいるのか。
「……それ、余計に俺が無理なやつなんすけど」
 やっぱり大神か~い。
 つーか、付き合ってる人いないって答えるんか〜い。
「でも本当に好きなんです。大神くんしか好きになれないって思うぐらいで」
 そして女の子のほうも愛が重い。大神と特別仲がいいってわけでもない……よな?
 そんな相手に、これだけの気持ちを伝えられるってただただ尊敬する。
 ……いや、待てよ。
 大神ってこういう告白も今まで何回とされてきてるよな?
 激重感情とかもぶつけられてきてるわけじゃん?
 それなのに、昨日の俺の告白みたいなやつって、なんか「ふわっ」としてなかったっけ。切羽詰まってるようなものでもなかったし、本人に伝えたいとかってわけでもなかった。油断してぽろっと出たようなものを、たまたま大神に聞こえたってだけだ。
 ……じゃあ、俺の気持ちはそこまで真剣に捉えられてなかったってことになるのか。
 それもそれだ。告ってきた相手が男だってだけで大神は戸惑っただろうし。それなのに無視するわけでも、からかうわけでも、ネタにするわけでもなく、ただ受け止めてもらったんだ。
 なんだ、よかったじゃん。俺の気持ちはもう終わってるはずじゃん。
 はあ、スッキリスッキリ。俺ってば頭わりい。
 ……とかなんとかで誤魔化そうとするのに、さすがに限界だった。
 ずっと宙ぶらりんだ、俺の気持ち。なんかずっと変なところを永遠に彷徨ってるみたいな。割り切って次の恋にいけたらいいのに、そうできない俺の気持ちは厄介なほどに重くなっている。
「まひめ〜〜〜」
「うをっ」
 どこから出てきたのか八雲が登場した。そして抱きついてくる。
「はあ〜お前はやっぱり癒しだよ。絶滅すんなよ、俺のオアシス」
「どう頑張ったら絶滅できるんだよ」
「彼女作ったらだな」
「あー……そういう意味では絶滅しないかも」
 初恋が男だった時点で、女の子を好きになれそうな気がしない。いや、好きにはなりたいと思ってるけど。でも、大神を超える人を、俺は見つけられない。さっきの女の子みたいに。
「つーか、まひめのタイプってどんなん?」
「この流れでそれ?」
「いや、聞いたことねえなと思って」
 八雲たちとはそういう会話を真面目にしたことはないかもしれない。
 話題に上がるとすれば、どの子が可愛いのかとか、どこどこで合コンがあるらしいとか、そういう情報と、石とかダイヤでガチャがどうとかのゲームの話ばかりだ。
 そういう空間が俺は好きだったし、ふたりもそうだったと思う。
 だから、あえて恋愛にツッコんだような話もなかった。
「……なんかずっと見てられる人っていうか」
 脳裏にはやっぱり、大神の姿があった。告白の声は聞こえてこないから、もうすぐ近くにはいないのかもしれないけど、それでもやっぱり頭にあるのは大神だけだ。こういうとき、パッと思い浮かんでしまうぐらいには、大神が俺のタイプだった。
「ああ、分かる。俺が姫に思うやつだ。恋愛対象ではねえけど」
「……どうも」
 俺はがっつり恋愛対象になっちゃったんだよな。
 ずっと胸に秘めておくんだと思ってたのに、よりにもよって本人に恋愛対象かもなんて言うなんて。
「はあ〜〜〜」
「おお、珍しい。まひめが落ち込んでる」
「振られたんかな」
「え、オアシス早速なくなりかけてんじゃん! だめだって〜女に興味持ってくれるなよ〜」
「オアシスは継続されていくよ、未来永劫」
「それはそれで怖っ!」
 なくならないでと言われたり、そうではないと言われたりややこしい。
 ……大神は、どういう子がタイプなんだろう。
 やっぱり可愛い女の子なのか。それとも綺麗めな子がいいのか。
 少なくとも好きなタイプが俺になることはない。そんなことは分かっているのに、大神が誰かと付き合うとなったら、ちゃんとショックを受けるんだと思う。
 誰のものにもならないでほしい。付き合えないなら、大神はずっと独り身でいてほしい。こんなことを思ってしまう俺は最低だ。好きな人の幸せさえも願えないような野郎だ。
 大神は、元からよく分からない奴だった。大神の周りにいる奴らがよく喋るからか、基本的に大神はたそがれてるか、黙ってそこにいるだけ。
 発言を求められれば話したりもするけど、積極的に自分から話題を持ちかけるみたいところは見たことがない。だから大神は謎に包まれている。そこがまたよかったりもする。
 その日の帰り。バス停で大神を見ることはなかった。
 どうしてだか、避けられているように感じた。
 告白が終わった時間から逆算しても、バスはまだ到着していなかったはずで、だから大神が先に乗車したということでもない。
 歩いて帰ったのか、それとも別の手段で帰ったのか。
 どちらにしても、俺は期待しないほうがいい。
 それもそのはずだ。
 大神と付き合えるのは、やっぱり男じゃないだから。
「大神〜〜〜」 
 翌日、一軍さまが廊下でたむろしている姿を見かけた。
 そして、あろうことかいつめん女子である花森さんが大神の背中に張り付いた。
 ふぁっ!?
 さすがにそれはやり過ぎではないんですかい?
 周囲の女子どももとんでもない眼光で睨んでおりますぞ。「私も~」と便乗するように吉岡さんまでもが大神に抱きつく。
 一軍さまだからこそ許される光景なのだろう。
「あっためて」
「知らない。暑い」
「えー、今って秋だよ。涼しいじゃん」
 花森さんと吉岡さんが交互に話すのを、大神は大した反応も見せずに突っ立ってる。ふたりを自分からはがすこともなく放置している。
 そもそも涼しいから抱きついていいって思考になるんですか? ガチで羨ましいんですけど。とかなんとか思ってる俺は変態なのか。
「向こうにやってやれよ」
 大神が無愛想な声満載で顎でくいっと山田を名指ししている。花森さんと吉岡ペアは、聞き分けがいい子どもみたいに「はーい」なんて可愛い声でターゲットを変えて張り付いた。「大神に振られた〜」なんか言ってるのを見て、心が痛くなった。
 俺は、どうなったんだ。
 いっそ、こっぴどく振られてしまえばよかった。
 そうしたら、この今の時間だって指を加えるような気持ちで見ることもなかっただろう。
 大神に近付くこともできなくて、気持ちが伝わっても進展はなくて。「きもい」とか言ってくれたら、諦めついてたんじゃないかって思ったりする。いや、傷ついただけで諦められてたかは分からないのか。
 それでもこの状況ってどうしたらいいんだよ。
 そもそも大神を好きになるって、やっぱいけないことだったんだな。
「姫」
 気付けば姿を消していたはずの白井が戻ってきていた。
「これ」
 渡されたのは白井には似つかわしくないピンクの封筒。
「白井ってこういう系統が好きなんだ」
「俺が選ぶとしたらファンシー過ぎんだろ。お前にだって、一年の女子が」
「……は?」
 俺に?
 こんなこと今までなかった。
「とか言って、またプリントとか居残り案件だろ」
「こんな手の込んだことしねえわ」
「……え、ガチで?」
「ガチ」
 嘘だろ。俺に? おそるおそる封筒を受け取る。
「……もしかして、年下からもからかわれてんのか」
「それはあるかもな」
 肯定だけはすんなや、白井。と言いかけたが、正直それどころではなかった。
「俺が読んでいいと思う?」
「小鳩真尋がほかにいないならいいだろ」
「……今のとこ、同姓同名に会ったことはないわ」
 便せんには桜の花びらが描かれ、手紙には「好きです。放課後、昇降口で待ってます」と書かれていた。
 好きって、俺が知ってる好きと同じ意味、だよな?
「この手紙、告白以外にどんな可能性がある?」
「素直に受け取れよ。まあ告発とか」
「こくは、まで同じなのに恐ろしい……!」
「お前から言ってきたんだろ。本気の告白かもしれねえぞ」
「そう、か」
 でも、そうだったら、どうしよう。
 女の子から告白されるようなシチュエーションを考えないわけではなかった。それこそ、大神に出会うまでは。
 付き合う云々は自然と女の子を想像していたし、いつか俺にも彼女ができるんだろうなと漠然と考えていたこともある。
 だけど今、大神の存在を知ってしまった。
「……念のために、自惚れないほうがいいかな、白井」
「それは、いえすだな」
 そして放課後。昇降口で待機していた俺に、可愛らしい女の子が駆け寄ってきた。さらりとした黒髪をなびかせて、礼儀正しくお辞儀をした。
「お呼びしたのはわたしです。その……来ていただいてありがとうございます」
「いや、こっちこそ」
 手紙に名前は書かれていなかった。
 彼女の頬が薄く桃色に染まっている。俺を前にして緊張しているのかもしれない。
 これ、演技ってことはないって信じていい感じだ。
 誰かに言わされてるとか、そんな雰囲気じゃなくて、本当に俺に好意を持ってくれてるやつだと伝わってくる。
 大神は、いつもこんな子たちを前に堂々としているのか。
「あの、手紙に書いたんですが……その、好きです、付き合ってください……!」
 人生初めて告白をされた。ちゃんと可愛らしい女の子から。
 もし、これで俺が「お願いします」なんて答えたら、付き合うことになるんだろうか。
 今日から俺はこの子の彼氏で、一か月とか、半年とか、そういうのを記念しながら過ごしていく……?
「……ありがとう。その、なんで俺だったりするか聞いても……?」
 女の子ははっとしたように俯いて、それから申し訳程度に視線を上げた。
「よくバス停で見かけて」
「うん」
「ベンチ、座らないんだって思って」
「ベンチ?」
「バス停にありますよね、少し古くなったベンチ。空いてるのに、いつも立って待ってるのを見てて」
 ああ、なるほど。
 俺が座ったら悪いなって思ってたやつだ。
 でも立ってるのは俺だけじゃない。最近では、その隣に大神がいた。この子には大神が見えていなかったんだろうか。俺が大神しか見えていなかったように、この子は俺のことだけを見ていてくれたのかもしれない。
 それはとても嬉しいことだ。
 女の子から好意をもたれるってことは初めてのことだから、ちゃんとした言葉で、何かを言わなくちゃと思うのに。
「優しそうだなっていうところから……だんだん好きになりました」
 理由から、この子の誠実そうなところが伺える。
 この子もきっと、同じような状況になったとき、ベンチに座らないんだろうなって。付き合うなら、そういう子がいいって思う。優しくて、礼儀正しくて、自分よりも身長が低くて、周りに自慢したくなるような女の子。
 付き合えたら、きっと幸せな時間を過ごせるんだろうなって、ものすごく簡単に想像できるのに。
「うれしいんだけど、……ごめん」
 それなのに、目の前の彼女をどんどん上書きしていくみたいに大神のことが忘れられない。
 大神と付き合える世界線なんてどこにもないのに。生まれ変わったらチャンスが巡ってくるかもしれないと思うぐらい、今回の人生では無謀なことなのに。
 それでも大神が頭から離れない。
「彼女、作る気ない感じですか?」
「……俺も、好きな人がいるんだ」
 たとえ叶わなくても、それでも大神のことを想いながら誰かと付き合うなんてことはできない。
 いくら幸せそうだと思えても、それでも心に大神がいる限り、俺はこの子のことをいつまでも裏切り続けてしまうことになる。
 だって、この子への好きが大神よりも上回るなんてことはないから。
「だから付き合えない。ごめんなさい」
「どうして先輩が謝るんですか」
「気持ちに、応えられなくて」
 大神は、女の子たちを振るとき、いつもどんな気持ちでいるんだろう。
 申し訳ないなって思ったりするんだろうか。今の俺みたいに。
 こんなときでも、やっぱり大神のことばかり考えている。
「……先輩に好きな人がいるのは分かりました。それでもいいって言ってもダメですか?」
「ダメだよ、自分を大切にしないと」
「……分かりました」
 女の子は深く息を吐くと、ここに到着したばかりのときに見せた綺麗なお辞儀をして校舎を出ていった。
 その背中は凛としていて、大神を好きにならなかったら、きっとあの子と付き合いたいって思ってたんだろうなって考えだけが残った。
「みーいちゃった」
 その声に、反射的としか言いようがないスピードで振り返る。
 柱にもたれてこちらを見ているのはゴールドウルフだ。いつからここにいたのだろうか。
「お、大神……いたんだ」
「いたよ。小鳩の人生初めての告白現場」
「わざわざ言わなくても」
「そ? 名残惜しそうに見てたようだけど?」
 大神は鋭い。何にも興味がないようで、実はしっかりと周囲にアンテナを張っている。
「……そうかも。名残惜しかった」
「……へえ?」
「ほら、やっぱり女の子っていいよな。あれだ、癒しっていうか、そういうのあると思うし。あー、オッケーしとけばよかったかな。もったいないことしちゃったかも」
 俺の気持ちは知られていて、大神からはなんのアクションもなくて、もちろん俺からもできなくて。こんな日常が続いていくぐらいなら、いっそもう、大神への気持ちはなくなったみたいに振る舞ったほうがいいのかもと、脳みそがぐわんぐわんと高速で答えを導き出していた。
「さっきの子、名前聞くの忘れた。こういうとこが俺ダメなのかも。やっぱり付き合ってって言ったらこういうとき付き合ってもらえるんかな」
「それ、俺への当てつけだったりすんの?」
「当てつけって……俺はただ思ってることを」
「俺のこと好きなんじゃないのかよ」
 大神の綺麗な顔が迫って、それから逃げるように後ずさったら、手首を掴まれて阻止された。
「小鳩がよく分かんないんだけど」
「分かんないって……分かんないのは大神のほうだろ」
「……は?」
「俺の気持ち知ってるくせに」
 うわあ、だめだ。
 俺、どう考えても冷静じゃない。
「も、もてあそぶみたいに放置して。大神にとって男から告られたって別になんともないかもしんないけど、俺は大神のことが好きで、付き合うなら大神がいいって思って今のも断って」
 おいおい、まじでなに言ってんだよ俺。こんなの、大神が悪いって言ってるようなもんじゃねえか。
 やべ、泣けてきた。だせえ。すっげえだせえ。
 俺こんなことで泣くのかよ。一応でも高校生だろうがよ。男だろうがよ。ふざけんなよ。
「なんで……っ、泣いてんだよ」
 大神がなぜかありえないほど狼狽えている。
 男がいきなり泣き出して、しかもクラスメイトが泣くからびびってるのかもしれない。
「……大神には関係ない」
「あるだろ」
「ない」
「ある」
「ない」
「俺ら付き合ってるんじゃねえのか」
「え」
 付き合って……る?
 信じられなくて大神を見上げた。
「好きって言ってたのは嘘だったのかよ」
「う、嘘じゃない」
「今だって女子に告られてさ」
「こ、こここ断りました」
 ……あれ、なんか形勢逆転してない?
 さっきまで俺が大神にすげえ言ってたのに。しかも、じりじり迫られてるし。
「断って正解でしょ。小鳩は俺が好きなんだから」
「で、、でも! 大神は俺のこと好きってじゃないだろ!」
「好きだよ」
 ぐっと引かれたときには、もう大神の唇が当たっていた。
 二回目のキスだと、そんな余韻に浸れない。これは、どう考えても大神の意思であって、好きだって言われたことがぐるぐる頭の中を駆け巡っていく。
「言ったじゃん、キスする相手は誰でもいいわけじゃないって。彼女作らないのは小鳩がいるからだって」
「……だから、それは」
「小鳩が好きだってずっと言ってる。お前よりも先に好きなんだよ、こっちは」
「…………え?」
 俺より先に好き? 大神が?
「バスん中でお前から告られたとき、どれだけ嬉しかったか知らねえだろ」
「う、うそだ……。だって、もし本当なら俺たちは付き合うとかそういう展開になってるはずで」
「好きの重みが違うんだよ」
 静かに、けれど大きな熱を持って、大神は俺を射貫いていた。
「俺のは、どう考えても重い。多分、小鳩が引くぐらいお前のことが好きで、その重みに耐えられなくなって逃げられんのが怖いんだよ」
「……逃げるって、なんで俺が」
「小鳩と付き合って、んで別れたら、俺はもう息ていけない」
「お、大袈裟な」
「ほら、だから言ってるだろ。俺のは重いって。さっきの告白だって、俺がどんな気持ちで聞いてたのかお前に分かんのか」
 長い睫毛が震えている。泣いてるわけじゃない。でも艶っぽいその瞳は、初めて見る大神がいた。ぱっと離れていったのは、それからすぐで「だからさ」と大神は大きく息をついた。
「本気で好きなら、もう多分一生離せそうにない。だから、逃げるなら今のうち」
「今のうちって……」
 俺が大神に好きだって言って、大神も俺を好きだって言ってくれて。そうしたら付き合うってことが次のステップだと思ったのに。
 なんでこんなにうまく噛み合わないんだよ。恋愛してなさすぎる俺が悪いわけ?
 いや、でもさ、何が違うって言うんだよ。重いとか、そんなの、俺のは軽いってことか?
「……分からない」
「だから、もうこのお話は終わり。お前は仲良く白井たちとこれからも過ごせ」
 大神は謎に大きな壁を設置して、俺を飛び越えさせないようにする。
 どう考えてもそんなの、おかしくないか。
「……そんな壁、ぶっ壊す」
「は?」
 俺よりも背が高い大神の肩に手を伸ばす。不格好だけどそんなもんは知らん。俺はこの物分かりの良さそうで良くないこの男を放って、これからを過ごすことなんてできない。
「大神がなにに不安がってるか分からん! でも、好きなら好きでいいじゃん。重いとか軽いとか、そんなの関係なくて、その人が好きだったら、もう好きなんじゃないのかよ」
 俺でも言ってる意味がよく分からなくなってきた。好き好き何回言うんだよ。ここに生徒が一人でも通ってみ。俺、大神相手にものすごいこと言ってる変態だぞ。
 それでも、ここまでストレートに言わないと、大神は俺に距離を置いて、また線を引こうとするんだ。分かりやすく敬語を使って、今までの時間なんて平気でなかったことにする。きっとそういうことができてしまう。
 でも俺はそんなことできないし、そもそも俺は──
「大神が好きなんだよ。なんで、付き合ってもないのに、別れる話になんの。俺は大神が好きで、それだけじゃ一緒にいていい理由にはなんないの?」
 いさせてよ、大神の隣に。大神が見てる景色を俺にも見せてよ。同じものを見ていたんだよ。
 もう遠くから見てるだけじゃ、足りないんだから。
「好きなんだよ、大神が」
「……」
「…………大神?」
 目は合ってる……よな? どこからどう見てもフリーズしてないか?
「お、おーい、大神」
「…………死にそー」
「え?」
「小鳩からの攻めはさすがに昇天もんだろ」
 攻め? 昇天?
 分からん単語がぽんぽん出されて追いつかない。はあああ、と大神が両手で顔を覆った。
「……俺が悪かったです、ごめんなさい、小鳩が大正解です」
「ど、どうした?」
「生涯かけて愛していくし、小鳩より先には死なないように努力する」
「待て待て、話が飛躍してるような……」
 愛とか死とか、普通の会話では出てこないだろ。つーか、大神ってこんなキャラだったっけ。ものすごい饒舌っていうか、告白断るときよりも言葉数は増えてないか。
 大神のものすごく整った顔が近付いて、思わずキスされそうになってんのかと身構えたけど、そのまま俺の肩に顎をのせた。
「はあ、幸せ。俺、死ぬんかな」
「いや、さっき俺より先に死なないように努力とかなんとか言ってたよね……?」
「だめだ、頭がパンクしてる。とりあえず好き」
「お、おう」
 さすがにこの展開は想像してなかった。これ、どうなん?
「あのー……さ、大神」
「ん」
「ちょっと、これ、結構危ういって言いますか」
「どのあたりが?」
「これ! この、これ! 他の人が見たら驚くっていうか、うええええ⁉みたいなことになっちゃうから」
「ちょっと待って。今、人生で最高な瞬間を噛みしめてるところだから」
「噛みしめてくれるのはありがたいけども……!」
 幸い誰も通らないけど、もしかしたら通れないというパターンもあったりするだろうし。一応、ここ玄関口だからね? 誰でも通りますよ、通らないと帰れないですよ。
「小鳩はなんか余裕そうだね」
 今度は額で肩をぐりぐりとされる。え、なに、不貞腐れんての? どんどん大神の新しい顔が見えてきて、小鳩くんちょっと戸惑い気味ではあるんだけど。察してはもらえんのかね。
「よ、余裕じゃないよ。ただ、大神は一軍さまだから」
「出た、一軍さま」
「しかも、大神はトップオブトップで」
「俺にとっても小鳩はトップオブトップ」
「うん、それは……うええええ⁉」
「あ、小鳩がそうなるんだ」
「俺がトップ……いや、もうちょっとくどくなってきたから言わんけどもさ」
 大神の背中が丸まって、なんかそれがちょっと可愛く思えて……いや、可愛いて。そう思うことも急すぎんだろ。ちょっと心のブレーキどうなってんの。
「ま、とりあえずさ」
 すっと、首筋を大神の長い指が滑っていく。「ひひっ」と声を上げた俺を見て、楽しそうに笑いながら離れていく。
「これからよろしくね、こばと」
 小鳩から、こばとって、ちょっと柔らかい言い方になった。



 好きだから、どうしたらいいか分からなかった。
 バスの中で告白っぽいものが聞こえて、すぐに反応したのは、俺が全く同じことを思っていたからだ。
『好きになってくんねえかな』
 ずっと、本当にずっと、小鳩に対して思っていた。
 そのまま同じ空間にいるとどうにかなってしまいそうで、とにかく冷静になりたくて、「そういうことで」と返すことだけで精一杯だった。遠くなるバスを見送りながら、夢でも見てるのかと思った。
 付き合えたんだろうか。この想いは、ずっと自分の中に留めておくものだと、そう信じてきていたのに。
 気付いたら自分の家に辿り着いていたけれど、どう帰ってきたのかうまく思い出せない。
 風呂に入ってベッドで眠りにつくタイミングで、無性に小鳩の声が聞きたくなってスマホを手に取った。
「……いや、知らねえじゃん、連絡先」
 小鳩の声を聞いて今日を終わらせたかった。
 嘘じゃないんだよな。小鳩は俺のことが本当に好きなんだよな?
 そのままどんどん空が明るくなって、結局眠りにつくことができなかった。
 まともに寝られなかったのが悪いのか、窓を開けて、朝日を眺めては「本当に小鳩は俺が好きって言ったのか?」と疑いが出てきた。
 どう考えても、これは俺にとって都合のいい考えでしかなかった。
 小鳩から告白されたと証明できるものがない。もしかしたら都合のいい夢をずっと見ていたのかもしれない。部屋の中をぐるぐる歩き回って、やっぱり答えが出てくることはなかったから学校に向かった。小鳩と会えば夢なのか、そうではないのかが判断できるはずだ。
 でも、なにも変わらなかった。
 小鳩から話しかけられることもなければ、ほとんど目が合うこともなかった。かと言って、本人に直接確かめるとなるとどう切り出せばいいかもわからない。結果的に会話の一口を見つけられないままで、最終的に「やっぱり夢だったんだな」と解決することにした。
 正直、小鳩とどうこうなるような夢を見ることが多かった。
 夢の中では付き合っていたり、付き合う寸前だったりと関係性は様々だけど、どちらにしても両想いである設定ばかりで。眠りについているときだけは、小鳩のことを「こばと」というニュアンスで呼んでいた。
 好きになる相手が男だったことに、初めては戸惑いがなかったわけではない。
 こばとの第一印象は、ただのクラスメイトで、やたらとちょっかいかけられる奴というだけ。
 たしかに可愛い顔はしていたし、それで一部の男からの支持が厚かったのは知っていた。でも、そこに自分が入ることは想像できなかったし、興味もなかった。
 関わることはないんだろうし、接点もないままだ。
 ……でも、接点ができてしまった。
「いつもこのバスですよね」
 声をかけられたのは突然だった。近くにある女子校の制服。でもその人が在校生ではないことは山田から聞いていた。「あの人、二十歳超えてるらしいぜ。女子校で噂になってんの」そう言われて「へえ」と適当に相槌を打っていた。
 そのなんちゃって卒業生は、必ず制服を着て俺の前に現れていた。妙な視線はずっと感じていたけど、まさか話しかけられるとは思ってもいなかった。
「あの、私……ずっと気になってて」
「はあ」
「友達になってもらえませんか」
 ここに山田がいたら腹を抱えて笑っていただろう。「友達て」と涙を浮かべていたかもしれない。どう考えても、下心丸出しの「友達」だった。
「……友達、必要ないんで」
 そう断って、終わったはずだった。
 それなのに、その女は毎日のように現れて、必ず俺の近くの座るようになった。
 まずいな。というか面倒だな。
 厄介な出待ちが出るようになって、でもシカトを続けていた。
 放っておけばいい。無視しておけばいい。
 でも、だんだんエスカレートしていった。俺の連絡先まで入手してくるようになった。どこから手に入れたのかは謎だったが、身の危険を感じてバス停を変えた。
 さすがに俺の行動は把握していないのか、新しいバス停に女はいなかった。
 ただ、ここはここで家から少し遠回りだし、朝はニ十分早く起きないといけなくなる。
 朝の二十分はきつい。なんで俺がこんなことしてんだろ。
 そもそも俺のほうが変える必要があったのか、そんなことを考えていたとき、こばとに会った。
 とんとん、と肩をつつかれて、寝ていることに気付いた。
 それは朝のこともあるし、帰りのこともある。そういうときは決まって目的地のバス停であることがほとんどで、しかも後ろにこばとがいるときだった。
 声をかけられたことはなかったけど、人差し指で遠慮がちに触れてくる、その気遣いがなんか好きだった。ここなら安心して寝られる。あの女がいることもない。そう思ったら、勝手にこばとをアラームのように使うようにした。寝てても起こしてくれる。起こしてもらえなかったときは……まあ適当に帰ってこられる。
「……み、大神」
 あるとき、いつもよりも少し強引な触れ方でぱちりと目が覚めた。
「あ、起こしてごめん……その、いつも降りてるバス停だから」
 ひそひそと、申し訳なさそうなこばとの声。思ってたよりも爆睡してたらしい。しかも、この時間帯だと、降りるバス停は俺しかいない。それなのに、停車ボタンがすでに押されている。
「……助かった」
「う、うん……気を付けて」
 気を付けてって、すぐそこなんだけど。ふっと笑みがこぼれて「そっちも」と返した。
 バスから降りてこばとを見上げたら、同じように俺を見ていた瞳と目が合った。
 俺が見ると思わなかったのか、びくっとした反応を見せたのに、そのあとはへらへらと手を振っている。気まずい、なんて思ってる顔だ。それで余計に笑えた。
 かわいい。
 こばとの視界に入りたいって思った。
 それからも懲りずにこばとの前の席に座るようにした。比較的どこでも座れるのに、あえてそうしたのはわざとで、こばとは俺の策略になんか気付くわけもないだろう。一度だけ、サラリーマンの男に定位置を取られたことがあって、それ以来はバス停の最前列を狙うため、さらに五分早く家を出るようにした。必死すぎんだろ、と自分で呆れる。でも、こばとの近くにいたかった。
 嫌でも目に入れ。俺を意識しろ。そういう邪な気持ちは、ピュアなこばとには知られたくもない。
 会話がなくても、後ろにこばとがいる。それだけで気持ちが落ち着いた。
 俺にとって、バスにはいい思い出がないから。
 でも、こばとに会えるならそれでいいかもなんて思うようになった。
 この先、もしこばとと一緒にいられるような世界線があるんだとしたら、多分ずっと、手放したくなるんだと思う。
「おはよう、大神」
 晴れて付き合うことになった俺たちの朝は、変わらずバス停が始まった。
 こうして挨拶とかしてみたかったんだよなと気分が上がっていた俺とは違い、大神は一瞬俺を見て「……ん」と返しただけだった。しかも、前の席に座る。
 ……あれ、こんな感じ?
 なんなら今日から隣に座るのかと思ってた。え、もしかして俺、すげえ浮かれまくってる?
 そういう自覚がなかったわけじゃないけどさ、でも付き合ってたら、もうちょっと甘い朝を過ごせたりするもんじゃないの?
 それっきり大神は後ろを振り返ることもなかったし、会話なんてもちろんなかった。
 おいおい、昨日のあまあま大神はどこにいったんだ。もしかして低血圧とか? 朝は静かにしておきたいタイプ?
 いよいよ学校近くのバス停に着いてしまえば、大神と過ごせる時間は終わってしまう。
 さすがにここからは、誰に見られるか分からないし、そもそも大神は人気だから視線がすごい。
 バスから降りて撃沈してる俺に「あのさ」と、さり気なく隣を歩いた大神。
「朝からあんなに可愛いと困るんですけど」
「……え?」
「すごいにこにこしてたじゃん? まじで天使がいるんかと思った」
 あんな無愛想な顔で、そんなこと考えてたの? んなもん予想できるかい。
「あんま話しかけてほしくないっていう合図じゃないんだ」
「ちょっと浮かれてた。っていうか不意打ちくらってちょっと呼吸が乱れてた」
「そんな顔に見えませんでしたけど⁉」
「嘘ではない」
 ……うん、たしかに本当っぽい。
 でも、迷惑じゃないならよかった。ちょっと安心していたら──
「学校では、あんま話すのやめよう」
 突然、爆弾が落ちてくるものだから心臓が止まるかと思った。いや、大袈裟なんだけど。でも、そんなことを言われるとさ、分かってはいても悲しいっていうか、傷つくっていうか。
「あ、勘違いしてほしくないんだけど」
「ん?」
「俺と話してることで、こばとが注目されて、人気が出るっていう未来を潰したいだけだから」
 なんかすごい物騒な言葉が出てきた。俺といるのが恥ずかしいとか、そういうわけではないことにほっとするけど、理由も理由だった。
「ごめん、これは俺は勝手なわがままなんだけど」
「いや、いい。ちゃんと考えたら、そのほうがいいなって思うし……うん、そうしよう」
 欲を言ってしまえば、大神とウキウキハピハピ学園生活を送ってみたかったりはしたけど。たとえば休み時間は一緒に過ごすとか、昼は一緒に食べるとか。まあ、そういうありきたりなことではあったんだけど。
 だからって大神と一緒にいられないわけじゃないし、バスは一緒なんだから、それで十分だ。
「で、そうすると俺がこばとと一緒にいる時間が少なくなるんだけど」
 あ、そこは考えてくれてたんだ。
「こばと、俺考えたんだけど」
「うん?」
「今日、家来ない?」

 さりげなく誘われたなとは思ってたし、別に深い意味はないんだろうなとも思うようにした。
「でか! 豪邸じゃん!」
 ここが大神の家。
 周囲の住宅街からひときわ目を引く存在感。まず視界に飛び込むのは、重厚なアイアン製の門。二階建てで、広いガレージも完備されていた。ここ、何台停められるんだよ。つーか高級車ばっか。
「……金持ちだ」
「こばと、行くよ」
「お、おっす」
 こんなところに住んでいたなんて。なのに金持ち感をあんま出さないところも大神らしいな。女子が知ったら、ますます大神のことを好きになるんだろうなあ。なってほしくないけど。誰にも知ってほしくないけど。
 そんでもって、大神の部屋もまた広かった。天井も高いし、バルコニーもついてる。俺の部屋とは比べ物にならない。意外なことに、壁一面が本棚になっていた。
「すご、大神って読書家なんだ」
「読みたいのあったら持って帰っていいよ」
「え、いいの?」
「そしたら、またここに返しに来てくれるでしょ」
「……策士だ」
 ふっと、大神が笑う。うわ、普通に好きだ。だめだ、なんか付き合うようになってから、ますます大神がかっこよく見えてくることがある。もともと騒がれるほどかっこいいのに、さらに惚れさせてどうするつもりなんだろうか。
「あ、大神。着替えてもいいよ」
「ん?」
「だって、帰ったら着替えるっしょ」
「あー……いいよ。こばとは制服なんだから」
「遠慮せずとも着替えてくださいよ旦那」
「なに設定?」
 というか、大神の私服って見たことがないから、これを機会に拝んでおきたいというところはある。可能であれば撮影タイムを設けてもらえたら嬉しいけど、さすがにお願いするのは気が引ける。
「んー……まあ、分かった」
 渋々といった様子で大神はその場で制服を脱ぎ始める。俺が男だからってこともあるのか、そのあたり遠慮なさすぎてちょっと笑ってしまう。俺、意識されなさすぎ。まあ、それがいいんだけど。
「こういうとき、ちょっとここで着替えないでよ、とかなるもんじゃん?」
 大神が苦笑する。
「そりゃあ、男と女だったらあるかもしんないけど、俺たち男だし」
「俺の身体に興味はないと」
「そ、そういう解釈のされかたは誤解があると言いますか……」
「冗談」
 なあ、なんだよ、その力が抜けた笑い方。お前、そんな顔も見せるのかよ。
 着替えた姿が、上下白のセットアップってところが、まあ美しかった。
「……なんか眩しい」
「ただの部屋着なんだけど」
 だとしたら、部屋着だけでなんでこんなサマになんのか知りたい。俺が着たら身長足りなくて足の袖とか引きずってんだろうなあ。これまた着こなしが完璧やないの。
「ガン見じゃん」
「いやあ、大神は服にも愛されるんだなと思って」
 大神だから許されてるみたいなところあるし。
「俺はこばとだけに愛されてばそれでいいんだけど」
 俺の後ろにまわったかと思うと、ふわっと抱きしめられた。大神の息遣いが耳元に届いて、なんとなく、ぞくっとしてしまう。これ、わざとじゃない……よな?
「……今日は何時までいいの?」
 しかも大神が喋る度に、ダイレクトにくるもんだから困る。
「門限ないし、あ……でも夕飯前には帰るから」
「帰んの?」
 ぐっと、抱きしめられる力が強くなる。
「か……えらないと、まずいじゃないですか」
「今日、親帰ってこないけど」
「それは言っちゃいけないやつっすね」
「そんなルールは知らないんで」
 そうですかい。それなら俺が停まっていくなんて言ったらどうすんだよ。明日も俺たち学校があるだろうがよ。
「……ここって、友達よく来んの?」
 なんとなく話題を逸らしたくて、部屋を見渡すフリをする。後ろの大神に意識を持っていかれてんのを隠したかった。
「いや、来ない。つーか、人を連れてきたの初めて」
「えっ、山田たちは?」
「ムリ。SNSで拡散されそー」
 それは……うん、否定ができない。ここまでしっかりした家に住んでいたら、そりゃあ友達の家でも自慢したくなる。しかも相手は大神なんだから。
「じゃあ、俺が初めてなんだ」
「そ、初体験」
「や、やめようぜ、そういうの」
「照れてんだ」
 ずっと大神のペースにのせられてる。どう頑張っても、なぜか甘い空気が戻ってきてしまう。
 そういえば、大神はこういうことになれてるんだろうか。その、付き合ったあとの触れ合いというか、密室でふたりだけの……こういう。
「こばと」
 名前を呼ばれて胸が疼いた。大神に呼ばれる「こばと」には特別な力がある気がする。
「教えてほしいんだけど」
「な、なに?」
「白井たちとしてること、俺ともしてよ」
 綺麗な瞳が後ろから覗き込んでくる。こてんと、甘えるみたいに俺の肩に頬を預けるその姿が、あまりにも近くて、破壊力えげつない。俺、よく分からんけど、ここで爆発できる自信がある。ぼんっ、て。
 でも白井たちとやってることってなんだ? しかも大神が興味を持つようなことって……
「え、これ?」
 大神がご所望だったのは、スマホのゲームアプリだった。領土を守って王国を作っていくようなやつ。こつこつと続けていた結果なのか、大神が興味を持った。
「大神もゲームしたりするんだ」
「暇つぶしにパズルゲームぐらい」
「うわ、得意そう。俺そっちは苦手なんだよ」
 慣れたらいけると言われ、そのまま鵜呑みするが、続いた試しがない。三日坊主はこのことだ。
 大神が自分のスマホにインストールして、ゲームが始まった。最初こそは「どうすんの」「なにやんの」「意味わからん」と続けていたが、チュートリアルが終わってしばらくしたら大人しくなった。おそらくもうやり方を掴んでしまったのだろう。それにしても、と思う。
 やり込みすごくない?
 俺、隣にいるよね?
 ただゲームの要員で呼ばれたんすか。
「大神」
「ん」
「楽しい?」
「んー」
「いや、楽しんでるならいいんだけど」
 あたかも「楽しい」と返ってきた想定で話をしてみるが、しかし、あれだけ俺にぴったりだった大神が、今ではスマホとの距離を楽しんでいる。ゲームの世界にのめり込み、今ではどんどん離れていっている……ような気もする。
「そもそも、なんでそれがやりたくなった?」
「こばとがやってるから」
「え?」
 しっかり話は聞いてるのかということと、そこに俺の名前が出てきたことにより驚きが二倍になった。
「これやってたから、こばとと時間共有できてるような感じする」
 な、んですかそれ。そんな理由がそのゲームに込められていたのか。教えてくれよ。ちょっと膨れてたじゃん。俺よりゲームのほうが大事なんかなって。ほら、まだ付き合いたてだから。不安になることもあるんすよ、とは言えない。言えたら楽だけど。
「……ひとりになるのは、さみしいっす」
 でも、これぐらいなら言ってもいいだろうか。そしたら、ぴたりと大神がゲームをやめた。
「やめます」
「あ、そんなあっさりと」
「さみしい思いをさせたくて家に呼んだわけじゃないから」
 その答えは満点だ。はなまるをあげたいぐらい。なんて俺が大神に図々しいか。
「こばとは何やりたい? カードゲームとかチェスとか……人生ゲームはある」
「ゲームオンリーだ」
 大神ってそんなにゲームが好きなのか?
 いや、それはいいんだけど。全然いいんだけど。単純に俺と遊びたくて呼んでくれたってことだよな?
 だとしたら、それは極力裏切りたくない気持ちではいるんだけど。でもさ、俺たちって付き合ってるんだからさ。
「……ただ、一緒にいるって選択肢はないんすか」
「ない」
 即答! えええ、俺、そんな「ない」ってきっぱり言われるようなこと言った?
「あの……その、真意を知りたいといいますか」
「何かやってないと、こばとにしか意識が向かなくなる」
「……ん?」
「ただ一緒にいるってなったら、多分、俺が俺でいられなくなる」
 なんかすげえセリフ言ってる。でも大神が言うから様になる。
「あの、大神じゃなくなるっていうのは……」
「こばとを襲う可能性しかないから」
 おお、それは危険だ。襲われるとか考えたことなかったけど、いや、でもそっか。大神はそういうことを考えてくれて、ゲームを提案してくれていたのか。ただのゲーム要因じゃなくてよかったとは思うけど。
「……それは、別に困らないっすよ」
 さすがに大神が大神じゃなくなったら困るだろうけど。
「……」
「あ、大神またフリーズしてる」
 おーい、と呼びかけたら、はっとして戻ってきた。
「分かった。どこまでしていい?」
「話が早い!」
「こばとがいいよって言うから」
「いいよとは……うん、どうだろう」
 大神がそう解釈したなら、まあそれはそれでいいんだけど。
「じゃあ、たとえばこういうのは?」
 細い指が俺の手を持ち上げて、すっと唇を落とした。
「キスとか」
「キ、キッス……!?」
「こばとはまだそこまでじゃないでしょ」
 やさしく微笑んで、それから流れるように俺の手をゆっくりと離した。
「ほら、暴走してこばとに嫌われたら、俺生きてけないから」
「暴走って……」
「これでもかなり我慢してるほうなんでね」
「俺に?」
「言っとくけど」
 大神が俺の顎を持つ。
「こばとって自分がどれだけ可愛いか分かってないでしょ」
「か、わいいって……俺、男なんだけど」
 思わず顔を後ろに引いてしまいそうになって、けれどもそれだと大神が傷ついてしまうかもと瞬時に思考が働いてその場にとどまった。
「男とか関係ない。俺にはこばとが世界で一番可愛く見えてる」
「大神ってキャラ崩壊してない?」
「こんなの他人に見せてどうすんの」
 それもそうだ。ごもっとも過ぎてぐうの音も出ない。大神、なんか威力すげえよ。
 もし、もし大神が理性をなくしたら、どうなるんだろう。本気出してきたらさ、それこそ俺のほうが大神に骨抜きされて生きていけないんじゃないか。
「だから、あんま煽らないでもらえますか」
「……はい」
「お利口さん」
 ぽんぽんと頭を撫でられる。もうこれだけで、なんていうか、俺を特別扱いしてくれることが伝わってくる。幸せだ、なんて柄にもなく思ってしまう。こんな関係になるなんて、一週間前の俺は想像すらしていなかったのに。
 そのとき、大神のスマホの画面が光った。電話だ。
「おおか──」
 名前を呼ぼうとして、表示されていた相手に、つい釘付けになってしまった。花森さん。一軍さまのお姫様。俺がからかわれるように「姫」と呼ばれるのとはわけが違う。向こうは正真正銘のお姫様だ。
「あー無視で」
 大神はその電話を取ろうとはしなかった。俺に気を遣ってるんだろうか。
 まあ電話ぐらいかかってくるよな。今から遊ぼうとか、そんな誘いはあるに決まってる。
 しょうがない。そういえば大神ってトップオブトップだった。
 そしたら今度は吉岡さんからも電話がかかり、それも取らなかったら、山田からもかかってきた。どれだけ大神を求めてるんだ。
「大神、さすがに出たほうが」
 なんかあるかもしれないし、と自分に言い聞かせる。
「……んー」
 めんどくさそうに溜息をついて、大神は電話を取った。開口一番に「お前らうっとうしい」と電話に出た大神は、ゆらりと立ち上がって部屋を出ていった。
 あれだけかかってきたってことは、もしかして今から呼び出し?
 大神、山田たちと会うんかな。それはいいんだけど。だって大神は俺のってわけでもないし。友達は大事にしてほしいって思うから。うん、そうだ、それはそうだよ。
 どっちにしろ、大神が俺といるってやっぱり変だよな。
 大神が俺を好きっていうのもいまだに信じられないし。
「こら」
 ぺしっと、額にデコピンをくらい「いて」とつい声がもれた。いつの間にか、大神が部屋に戻ってきていた。そんなに考えてこんでたつもりはなかったのに。
「なんか変なこと考えてそうだったけど」
 筒抜け……なんで分かっちゃうんだよ。
「なに考えてたか言ってみ」
「……大神ってさすが一軍さまだなとか。誰とでも過ごしていいのに、俺でよかったのかなって」
「よし、膝枕して」
「いきなり?
 なんで? 戸惑う俺をよそに、ごろんと、俺の太ももに頭をのせた大神。
「ひ、膝枕て」
「俺、こばととこういうことしてるほうが好きなんで」
 こうしてることが。
 その一言に、やっぱりさっきの電話はお誘いだったんだなって察して。でも断ってきたんだなってことも同時に理解した。
「……よかったの?」
「よかった。こばとといられなくなるぐらいなら、一生山田たちとも遊ばない」
「それは極端だってば」
「極端にもなんの。こばとのことになると」
 飄々とした顔で、なんで躊躇いもなく俺が安心できる言葉をくれるんだろうか。この人、心を読む天才なんかな。
「あと、一軍とか、そういうのも俺にとってはどうでもいい」
「え……」
「こばと、よく言うじゃん。一軍さまって。でもそれって、別に決まりがあるわけじゃないじゃん?」
 決まり……言われてみれば、そういうルールみたいなものはない。自然と、そのクラスの空気みたいなものが形作っていくもので、俺はどうしたってそこには入れなかった。
「山田たちと一緒にいるのは別に苦じゃないけど、こばとが嫌な思いをするなら離れるし」
「そ、そういうことじゃない。全然、山田たちと一緒にいてほしいし……一軍って言い方も、なんかごめん」
「いいよ、悪意ないって分かってるし。でも、そういう理由で、こばとには遠慮しないでほしい」
 そっか、なんかすごい大事なことを大神は言ってくれてる気がする。
「俺はこばととこうして一緒に過ごしたいし、こばとがいればいいって思ってるから」
 偽りのないような声音をして、大神の手が俺の頬を撫でていく。
「好きだよ」
 心臓が、ぐわんと動いて、息ができなかった。
「こばとが思ってるよりも好きな自信はある。つーか、俺の頭ん中見たらまじで引くよ」
「……逆に見てみたい気もするけど」
「だめ。嫌われたくない」
 嫌うなんて、そんなことこれからあるんだろうか。こんなにも俺のことを好きだと言ってくれる人がいて、その人が自分の好きな人で。こんなにも幸せなことって本当にないなって。
「お、俺も好きっていうか、大神よりも重いし」
「へえ」
 ぐっと、後頭部に手を回されて、そうかと思えば抑えられるようにして大神との顔の距離が近くなる。
「俺のほうが重いんじゃない?」
 歩み寄ろうとすると、その倍ぐらいの勢いで大神が近付いてくれて。そういうところが好きだなって感じるし、このままでいてほしい。
「……大神なら重くていい」
「俺も、こばとならいくらでも受け止める」
「お前、昨日何してたんだよ~」
 翌朝の教室で、大神は山田にダル絡みされていた。うわ、すごいめんどくさそうな顔してる。
「言わない」
「は⁉ そんなことあり⁉ どんだけの人間が大神を待ってたと思ってんだこの野郎」
「知らない。どうせまた客寄せパンダみたいに使おうとしたんだろ」
「え~そんなこと……あるか~」
 花森さんと吉岡さんが「ねーっ」と笑い合っている。大神がパンダ……うん、多分俺も大神目当てで行く人間のひとりだ。
「で、俺たちの誘いを断るってことは、もしかして女か」
 山田がしつこく追及する。あれは逃れられそうにない。自分の席に座ってる俺でさえ、話しかけられるとわけでもないのにひやひやする。
「ちがう」
「じゃあなんだよ」
「お前らも優先したいことに決まってますけど」
「うわ、ひど! 今のは友達としてどうなんですか~教えてもらえませんか~」
「言うか」
 大神が冷たいよん、と花森さんと吉岡さんに泣きつく山田。よしよし、とされているその光景はリア充そのものだ。そこに所属する大神。うん、レベルが違う。
「まひめってどっちなん」
 いつの間にか登校していた八雲が、前の席に座っていた。
「どっちとは」
「え、最近よく見てるっしょ」
 見てる……見てるって、え。もしかして──
「正直、俺は花森さん派なんだけど」
「ああ、そっちか」
「そっちってことは、吉岡さん? ああ、おっぱいでけえもんな」
「だまれ」
「ひい、まひめが憤ってる」
「姫はそういう話に慣れてねえんだよ。あんま、おっぱいとか言うな」
 白井まで参加する始末。いや、そもそも俺はその二人を見ていたわけではない。あと、おっぱいは興味ない。
「山田はいいポジション取ってるよなあ。うらやましい」
「そう考えると、大神があのグループに入ってることが謎に見えてきた」
「そう? 顔がいい軍団だから、自然と集まって当然でしょ」
 なる、と白井と八雲が納得していた。顔がいいのは認める。でも、大神に女友達がいるっていうのは、ちょいちょい引っかかったりはする。特に付き合うようになってからは。
 しかも八雲に勘付かれるぐらいには、大神たちを見ている時間も増えた。些細な出来事でも気になってしょうがない。
 ……だから、昼休みが終わっても大神が教室に戻ってこないことにも真っ先に気付いた。
「あれ、大神消えてんな」
 五限の数学の教科担任が空席を見つけて座席表を見ていた。山田が「消えたんすよ」と答えたが、あの口ぶりからして行方はわかってなさそうだった。
 昨日、連絡先を交換したこともあって、こっそりと文字を打ち込んでみる。
【どうした】
 ……既読にならない。見てないんだろうか。さすがに帰ったわけではないだろうし。
 結局、五限目、六限目と時間が過ぎても大神が戻ってくることはなかったし、連絡も返ってこなかった。
 なんかあったんだろうか。もう一回【どこ】と送ってみたが、やはり既読にすらならない。
 探してみるか。思い立っては大神がいそうな場所を考えて、まずは保健室に行ってみようと思った。さすがにベタ過ぎて、確認する程度で次に行くつもりだったけど──
「……いた」
 大神は保健室のベッドで眠っていた。それはもう、健やかに寝ている。
「調子、悪いん?」
 声はかけてみるが、応答なし。
「……大神、寝てんの?」
「……」
「寝てんだな」
 このままどうしようか。帰る……のはなんか違う気がするし。せめて教室から鞄だけでも持ってきてやったほうがいいかも。
 離れようとしたら、がしっと力強く手首を掴まれた。
「こういうときはキスのひとつでもしてくれるのかと期待したんだけど」
「起きてたんかい」
「こばとの気配がしたから起きた」
 どんな気配だよ。それはもう人間がなせる業でもねえよ。
「……寝不足?」
「そんなとこ」
「ケビョーっすか」
「うっす」
 そんな理由でベッド使ってたのかよ。
「添い寝してくれてもいいよ」
「仮病ならしない」
「なんだ、残念」
 ふっと笑ったその顔が、なんだか元気がないように見えた。
「……大神?」
「んー」
「もしかして、本当は体調悪いとかない?」
 聞いたら、あー、と声を出して、
「全開ではないかもな」
「ちょ、熱は?」
「測ってない」
「うそだろ」
 大神の額に手を伸ばす。前髪をさっとどかして、ぴたりと手を這わせたら、ずいぶんと高い温度が伝わってくる。
「全開どころか絶不調じゃん!」
「大袈裟」
「大袈裟じゃないって」
 はは、と大神は笑って「こばとの手、気持ちいい」なんて目を閉じてる。
「もっと自分を大事にしろよ」
「こばとが大事にして」
 手が伸びてきて、俺の手の甲を撫でていく。
 こんなときでさえ、きゅんとさせてくんのやめてほしい。
「……大事にするに決まってんじゃん」
「……」
 え、もしかしてフリーズタイム?
「あぶね、呼吸止まるとこだった」
「そのターンちょくちょく入ってくるよな」
 それだけ大神の心に届いてくれてならいい。
「大神〜〜〜」
 え。これ山田の声じゃね。ばっと大神と目を合わせたら、同じような顔をしていた。
 やばい、このタイミングはきつい。なんて言おう。大神が気になって? いや、でも山田からしたら、俺たちってあんま接点ないっていう設定のままだよな? 
 おろおろしていたら、思いっきり大神に引き寄せられた。
 シャーとカーテンが遠慮なく引かれる音がする。
「なんだ、起きてんじゃん」
 山田の声がいつもよりもくぐもって聞こえる。
 それよりも、ベッドの中で大神にかぶさるようになってることに心臓がもたない!
「お見舞いっすか」
「いーえ、からかいにきただけでーす」
 大神が話すと、彼の胸に耳を当てているせいか、声が直接伝わってくるように感じる。その低く響く鼓動も、しっかりと聞こえてくる。
「もしかして体調悪いって嘘なんじゃね?」
「バレた?」
「バレバレだっつーの」
 茶化すような会話。でも、大神は本当に熱がある。こういうとき、山田にも言わないんだな。俺のときだって最初は誤魔化されてたし。俺が気付かなかったから、仮病ってことになってたんだろうか。
 ……こういうこと、多いんかな。大神、あんま自分のこと言わないし。
「ま、元気ならまたあとでからかいにくるわ」
「今の時間なんなんだよ。つーか帰れよ」
 うい、と山田が返事して、足音が遠ざかっていく。俺に気付かず行ってくれたらしい。
「大神……」
「はあ、いやされる」
 名前を呼んだら、なぜか思いっきり抱きしめられる。
「お、大神⁉」
「これ以上はしない」
 これ以上って……言い方がえろいっす!!!
「大神、ここが学校っていうのは認識されてます……?」
「具合悪いから抜けてるわ」
「都合よく解釈すんなし!」
「いいじゃん」
 抱きしめられる力が強くなる。
「どこだろうと、ここにいるのは俺とこばとしかいないんだから」
「……うん。……っていやいや、ここ出たらいっぱい人いるから」
「そんなのどこだって同じでしょ」
「たしかに」
 大神のペースに入るとあれだ。持っていかれる。
「しんどいんじゃない?」
「こばとに移ったら困るなとは思ってる」
「俺はいいけど……」
「じゃあ、キスでもしとこうか」
「ど、どういうことだよ」
「どうせ移るなら、キスしても同じかなって。むしろキスで移ったことのほうがお得感あるし」
「ないから!」
 お得かあ。どこで損得勘定働いてんだ。でも、山田みたいに「帰れ」って言われないだけマシか。むしろ必要とされてる感じがして、勝手に幸福度が満たされていく。
「あのさ、大神」
「……ん」
「?」
 見上げて、大神の瞼が閉じていることに気付いた。
 え、この一瞬で寝た? さっきまで起きてたよね?
 確認しようと、そっと起き上がろうとそれば、阻止するように俺をがっしりと固定した。これじゃあますます動けない。
「無理か……」
 それならと目を閉じてみる。
 大神の寝息とか、鼓動とかが聞こえてくる。
 ああ、この音好きだな。多分、いくらでもここにいられるような気がしてくる。
「……早く、治るといいな」



 目が覚めて、一番に目に飛び込んできたのは、こばとの寝顔だった。
 は? 神か? なんでこんな光ってんだ?
 自発光やばすぎんだろ。さすがに耐えれん。襲ってしまう。
 ぐっと我慢する。でもそれも時間の問題だ。なんとか自制しつつ、こばとの髪を撫でてみる。
 やわらかい。あと良い匂いがする。かわいい。持って帰りたい。
「こばと」
 呼んでも反応しない。
「……返事ないなら、なんでもしていい?」
「……」
「よし」
 もし、こばとに移っていたら、俺が何から何まで看病しよう。
 添い寝もするし、ご飯も作るし、あと……うん、なんでもやろう。
 かと言って、しんどい思いをさせるのは気が引ける。熱とか出たこばとは、なんていうか、それはそれで愛くるしいんだろうけど、かと言って可哀想だ。この怠さとか、そういうのは味わってほしくはない。
 朝から、なんか身体が重いなとは思ってたけど、こばとに会いたくて教室に辿り着いたところまでは覚えてる。そこからは、ほぼ記憶なし。昼休みになって、いい加減ちょっと寝たほうがいいかもしんないと思って、保健室まで来て。
 意識が落ちていく手前で、こばとに会いたいなって思ってた。
 さっきまで同じ教室にいたんだけど。なんか、すげえ遠くて。俺が、学校では一緒にいないほうがいいって判断して、こばとにそうお願いしたから自業自得なんだけど。
 でも、こばとの声だけ聞いていたくても、教室はガヤガヤしててうるさくて。
 だから、早く二人になりたいって、ずっと思いながら寝て、それから起きたときに本物のこばとがいたから、思わず手を掴んでしまった。
 こばとだ。俺の好きな、こばと。
「ん」
 そんなことを思い出してたらこばとが起きた。何度か瞬きをして、俺を認識した瞬間には、黒目が大きく見開いた。
「っ、うううううあ、ごめんっ」
「いいよ、離れないで、そばにいて」
 ベッドから落ちそうになったこばとを受け止める。
「……大神ってさ、力あるよね」
「男だからね」
「俺も男だけど、大神を受け止める自信はないよ」
「好きって気持ちだけ受け止めてくれたらいい」
「返しまでかっこいいとか罪かよ」
 こばとが両手で手を隠す。ごめん、かわいい。
 でも本気だから。俺のこの重い感情だけでも受け止めてくれるのは、こばとだけだから。



 大神が復活して、俺がダウンすることもなく一週間が過ぎた。
 学校で会話をすることがなくても、放課後は一緒にいられる。たまに大神が誰かに誘われて、渋々そっちに参加するってときは、白井たちも過ごした。
 毎日一緒ってわけではないけど、でも大神と一緒にいられるなら誰の邪魔もされたくないなって。
「大神じゃん!」
 放課後、街中で一緒にいたところを一軍さまたちに見つかってしまった。
「え、なんで俺らの誘い断って小鳩といるわけ⁉」
 それに山田がうるさい。やいやいと騒いで、これでもかと俺と大神を凝視している。花森さんと吉岡さんも「遊べたじゃん」とふくれっ面をしている。
「予定があるって、小鳩と?」
 山田がぐいっと大神に近づく。
「そう」
 そして、大神は平然と答えてしまう。
 いや、俺たちの関係を知らないなら、ここで一緒にいる意味も分からないだろうよ。かといって「俺たち付き合ってるんです」とは口が裂けても言えない。
「いやいや、なんで小鳩なんだよ」
「なんでもいいっしょ」
「よくねえよ。大神、最近付き合い悪くね?」
 山田の一言は、本人からすると何気ないものだったかもしれない。けれど、こういうときの大神を俺は知ってる。絶対、自分を悪者にしてしまう。
「誰といようが山田には関係な──」
「ごめん!」
 ギリギリ遅かったかもしれない。それでも大神の言葉を遮ってしまいたくて、無計画に言葉を弾き出す。
「大神ごめん、無理に付き合わせて」
「……は?」
「本当は今日じゃなくてもよかったんだけど、売り切れるの怖くて。一人ひとつだしさ」
 そう言って近くにあったポスターを指さす。待望の新作らしいフィギア。数量限定、お一人様一つまで。
「やっぱ大神を付き合わせるのは悪いわ。俺、一人で行くから」
「え、小鳩ってこういうのが趣味だったん?」
 山田がまじまじとポスターを見ている。よく見ていなかったが、そこにはセクシー過ぎる女性キャラクターがいた。しかも布の面積が極端に少ない。
「そ、そう……! そこで大神とばったり会って、時間があるならって。だから、ごめん。こっちはいいから」
 じゃあ、と何とか切り出せた自分を褒めてやりたい。うまくやり過ごしたかどうかは分からないが、それでも空気が険悪になるのだけは避けたかった。大神は俺との関係を言わない代わりとして、圧倒的に自分を悪として仕立て上げてしまうから。
 大神の声が聞こえた気がしたけど、その場からとにかく早く離れてしまいたかった。
 そうすれば、このぐちゃぐちゃした感情も落ち着くかもしれない。
 こういうとき、大神は俺と一緒にいていいのかと不安になる。
 一軍とか関係ないと大神は言ってくれていた。俺が気にするぐらいなら山田たちからも離れると。
 でも、そういうわけにはいかないじゃないか。大神の居場所を俺が奪ってしまっていいはずもない。
 だからって、俺が一軍に入れることはなくて、だからさっきみたいに遭遇したら、俺は大神から離れたほうがいいに決まってる。
「……んで、いなくなんの!」
 思いっきり後ろから肩を掴まれて、バランスが傾いた。視線の先に、息を切らした大神がいる。
「え……なんで、山田たちは?」
「知らない。こばとがどっかいなくなるから」
「いなくなるって……いや、俺は帰るだけだから」
「なんで勝手にそういうことすんの」
 怒ってるというよりも、悲しいという表現がぴったり当てはまるような顔だ。大神、こういう顔もするんだな。
「俺が一緒にいたのはこばとで、予定があるのもこばとで、それは誰と会おうが変わることはないって」
「……でも、そしたら山田たちになんか気付かれて」
「いいよ、それで。もういっそ気付かれればいい。それで、こばとと一緒にいられるんなら」
 だめだろ。そう返してやりたかったのに、声にならなかった。
「こばとと山田たちの二択だったら、圧倒的にこばとだし。ってか、これ何回言わせんの」
「い、言ってほしいわけじゃなかったんだけど……」
 はあ、と大神はその場に座り込む。疲れた。そう言ったまま顔を上げない。
 疲れたって……俺のことが?
「運動不足だ。こばとに走らされた」
 体力的な問題か。よかった。
「……走るなんて大神らしくない」
「俺らしくもなくなるっしょ。こばとに必死なんだから」
 ああ、本当にこの男は困る。どこまでも俺を甘やかしていくんだから。ずるい。
「ごめんなさい」
 大神と同じように座り込んで、目線を合わせる。
「勝手に暴走して。間違ってたと……うん、思う」
「分かればよろしい」
 ぐしゃっと俺の頭を撫でていく。やさしい手つきじゃなくて、乱暴な。それが妙に居心地がいい。なんて思ってしまうのはどうなんだろうか。
 でも、このままでいいのかな。

【先かえってて、ごてん】
 大神から連絡が入っていたのは、山田たちと遭遇した三日後の金曜日だった。
 放課後になって大神から急遽連絡が入るのは珍しい。しかも誤字ってる。ごめん、って送りたかったんだろうな。おけ、とだけ返せば、それが既読になることはなかった。
 どうしたんだろうか、何かあったんだろうか。
 そしたら遠くから「大神を全力で探し出せ!」と恐怖の号令が聞こえてくる。文化祭実行委員だ。おそらく今年開催のミスコンになにがなんでも大神を出場させようとしているのだろう。そして大神は逃げ回っていると。なるほど。
「あれ、今日は一人だ」
 適当に帰ろうと昇降口に向かったタイミングで、同じく一人の山田と会ってしまった。
「あ……そっちもっすね」
「え、微妙な敬語。大神かよ」
 どんなツッコミだ。たしかに大神も告られたときに使うけど。
「な、今から暇だったりする?」
「え?」
 まさか山田から暇なのかと聞かれるとは。いや、と濁せば「ちょっと付き合え」と強引に肩を組まれた。
「いやいや、あの」
「発散してこうぜ」
 どこに連れて行かれるのかと思えば、たどり着いた先はカラオケだった。大神とも来たことがないのに、まさか大神の友達である山田と来ることになるとは。
「ストレス発散といえばここだよなあ」
「そ、そうなんだ……」
 知らんがな。山田はストレスたまってんのか。だとしたらなぜ俺を連れてきたんだ。
 フリードリンクは何にしようか。飲み物の機会の前で悩んでいると、「こばとってさ」と山田が言った。ちょうどコーラが注がれているところだった。
「大神って付き合ってんの?」
「ふぁっ⁉」
 つい奇声をあげてしまったことに、山田は「やっぱりか」と納得したように返される。
「そうなんじゃねえかなって思ってはいたんだよな」
「……思ってた?」
 なんで分かったんだ。
「小鳩、やたら大神に熱い視線送るっしょ。あれってわざと?」
 わざとなわけあるかー! 今までバレてないって思って過ごしてきたのに。
 しかも山田に付き合ってるのがバレたらいろいろまずい。何より大神の評判が下がるし。
「お、大神は関係ないから……!」
「へえ?」
「その、俺は大神が好きだけど、大神はそうじゃないっていうか、関係ないっていうか」
「すげえ必死」
「いや、本当に!」
「いいって、分かってるよ。別にからかいたいわけでもねえから」
「え?」
「これでも大神とダチなんで。大神が誰と付き合ってんのかぐらいは分かってるつもり」
 ダチって言葉が意外だった。
 大神には煙たがられてるけど、山田はちゃんと大神のことを見てたんだなって。
「わ、分かってるのか……」
「そ」
「いや、そもそもなんで付き合うとか……俺の片思いの可能性だって」
「いやー、ないな」
 しゅわしゅわと炭酸が弾け飛ぶグラスを手にして、山田は笑う。
「大神も結構バレバレだから」
「……大神?」
「白井たちといちゃついてると、すげえ睨んでんだよ。気付いてなかった?」
 知らない。ふるふると首を振ったら「あからさまじゃん?」と聞かれる。
「大神って基本、他人に興味がないのに、たまに話聞いてねえときは大体小鳩を見てるからさ」
「し、知らなかった」
 俺ばかり大神を見てると思ってた。でも、そういうわけでもなかったのか。
「だからお前らが付き合ってること隠すこともないって」
「そ、そっか……あの、このことは誰にも言わないでほしいっていうか」
「言わない。大神に殺される」
 ……うん、俺もなんか想像できてしまう。静かに激昂する大神の姿が。
「でも大神と小鳩かあ。意外な組み合わせ」
 ウーロン茶を選んで、山田と肩を並べて部屋に戻る。普通に会話してることがなんか信じられない。しかもこの男は、俺と大神が付き合ってることも見抜いていた。侮れない。
「あはは……俺もそう思う」
「じゃあさ、大神とはどこまで進んだ?」
 安心したのも束の間、またしてもぶっこまれる。
「ふぁっ⁉ そ、そそそそそんな関係じゃないっていうか」
「え、なにも進んでない感じ?」
「……キスだけは」
「おい、そのキスって王様ゲームのときにしたやつじゃないよな?」
「え」
 思い出して、いや何回か、と照れくさくなって答えてみると「まじか」と山田は目を見開いた。
「いろいろ済ませちゃってるんじゃないのか」
「はっ⁉ いや、そんなわけはなくて」
「いやあ、まじか。大神って慎重派なのか」
「お、俺に聞かれても……」
 慎重……なんだろうか。距離感を大事にしてくれてんだろうなとは思うけど。
「小鳩は欲求不満になんないの?」
 ……あぶなー。これ、飲み物口に含んでたら終わってたな。むせて死んでた。
 そもそも、こういう会話に抵抗がない山田がすごい。大神と俺の話だぞ。男と男ってだけで、なんでこんなにもすんなりと受け入れてんだよ。山田って何者なんだ。
「……大神は、ちゃんと考えてくれてるから」
「考えてるねえ。へえ。大神がねえ」
「その含みのある言い方はなに……?」
「いやあ、大神がどこまで小鳩のことに真剣なのか確かめてみたくなって。ほら、愛を確かめたくなるときってあんじゃん?」
「いやいや、俺は──」
「はい、こっち向いて」」
「え」
 はいチーズと言われたときには、山田に肩を組まれて写真を撮られていた。かしゃりと音がしたそれを見て「俺かっこい」と感想を挟みながら、しゅばばばと文字を打ち込んでいく。
「よし、大神に送信と」
「えええっ、送ったの?」
「送った。小鳩とラブって」
「誤解を招くようなことを……!」
 なんでそんなものをわざわざ送る必要があるんだよ……! どう考えてもないだろ!
 山田からスマホを奪い取ろうとするが、大神と同じく高身長というところも相まってか、長い腕が器用に俺から逃げていく。
「はは、小鳩ってこうしてみると小せえよなあ」
「同情するなら貸してくれても!」
「してない。からかってるだけ」
 そこに問題があるだろうよ!
 ああ、どうしよう。大神に変な誤解をされたら。話だけでもちゃんと聞いてもらえるんだろうか。山田に巻き込まれただけであって、ノリノリで参加したわけではないことを信じてほしい。
「まっ、大神って既読になんのも遅いし、そもそもスルーしてくるからさ。俺たちはカラオケ楽しもうぜ」
「え、大神って即レスじゃない?」
「は?」
 面白いほど山田が目を見開いている。
「いやいや、大神から返事きたことほぼないんだけど」
「あ、じゃあ俺のときだけたまたまだったのかな」
「待って、見過ごせない。どう考えても今のは惚気だろ」
「惚気って……別にそんなつもりじゃ」
「ほら、見てみろ! 俺のは既読にもなんねえよ!」
 ずいっとスマホの画面を向けられる。小鳩とラブの文言の隣には、既読の二文字がついていた。
「え、既読になってるけど」
「いやいや、大神がこんなにも早く確認するわけ──ってガチで⁉」
 ものすごい驚いてるけど、そんな珍しいことなんだろうか。
 俺からすると、大神はかなりマメに連絡を取る人間なんだと思っていた。遅くても十分以内には必ず返ってくるぐらいだし。
 え……もしかして大神に無理させてたとかないよな?
「うわーこえー、大神って文字だけ人を殺せるよな」
 山田に見せられたのは、居場所送れ、の簡素な文字だけ。確かに、これほど恐ろしい五文字はない。自業自得だけど。
「それにしても、大神って意外と嫉妬マンなんだ」
「まさか……カラオケしたかったのかも」
「えーないだろー」
 山田が面白そうに笑う。
「カラオケなんてわかればそれこそ無視するって。大神、こういう誘いにのったことなんか一度もねえし」
 やっぱりさ、と山田が近付く。
「小鳩がいるからっしょ」
「……ええと、その、山田……近いよな」
「たしかに姫って呼ばれるだけ、男っぽさってないよな」
 まじまじと見つめられれば、さすがに俺も横に後ずさるしかないわけで。
「……いや、正真正銘男だから」
「顔も綺麗だし、線も細いつーか……大神が惚れるだけあるもんな」
「いやいや、惚れられてるって自覚はあんまないっていうか」
「うん、俺も大神とキスできる自信がある──」
 バンっと勢いよく扉が開かれ、現れた大神と目が合った。そのままずかずかと部屋に入ってきたかと思えば、すぐ近くにいた山田の肩を掴んで思いっきり俺から引き剝がした。
「殺すぞ」
「ガチで怒ってんじゃん。いってえ」
 抵抗できなかったのか、椅子から引きずり落ちた山田は苦笑している。
「小鳩、この変態に手出されてないか」
「え、あ、うん。大丈夫」
「誰てなくても警察には通報しとくから」
 友達では?
 山田は「通報とか初めて」と吞気に笑っている。なぜそんなに余裕なんだ。
「なんだよ、俺だって小鳩と楽しんだっていいだろ」
「いいわけねえだろ。誰のだと思ってんだよ」
「誰のって、小鳩は大神だけのものなのか」
「当たり前だろ」
 なんか、冷静な大神じゃない。こんな顔、初めて見る。
「お前らが真剣に付き合ってるか確認したかったんだよ」
「しゃしゃんな」
「俺も小鳩とお近づきになりたかったわけでさ」
「今後こばとに近づいたら潰すぞ、お前」
 あ、やっぱ大神キレてる。すげえ怒ってる。
「へいへい。こばとは大神のもの。頭に叩き込みやした」
「その教訓二度と忘れんな」
 はいよ、と山田は立ち上がると、帰る支度をして部屋を出て行く。
「お詫びに、ここの部屋代は払っとくからさ。あと一時間は楽しめよ」
「五時間分払っとけ」
「おい、一時間分だからな! あとで請求してくんなよ」
 しつこく念押しをしては、ようやく嵐が過ぎ去っていく。よかった、まじでどうなるかと思った。
「こばとの用事ってこのことだった?」
 さっきまで山田が座っていた場所に大神が座る。なんだろう、すごい安心感。
「……うん、ごめん。山田が……ちょっと」
「脅されたんだな。明日しばいとく。なんなら夜中でも」
「いや……大丈夫。話はついたから」
 このままだと大神がなにをするか分からない。
「大神って、山田との連絡はあんまマメじゃなかったんだな」
「山田っていうか、こばと以外はあんま連絡しないけど」
「え、でも俺のときはすげえ返信早いけど」
「こばとのだけ通知許可してるだけ。あとはオフかブロック」
 徹底ぶりがすげえ。なんかそれだけで愛されてる感あるわ。
「山田とのこと、巻き込んでごめん。俺だけで解決できればよかったんだけど」
「こばとが謝ることないっしょ。山田の存在が悪いんだし」
「存在ごと……いや、でもありがとう。ここまで来てくれて」
 大神が、俺の頭を撫でる。
「こばとがいるところならどこでも行く」
「……うん」
 地球の裏側にいたとしても大神なら迎えに来てくれそうだな。こんなの付き合う前なんか想像もしなかった。
「大神はなにしてた?」
「小鳩のこと考えてた」
「真面目に聞いてるんだけど」
「真面目に、小鳩のこと考えてた」
「……真面目だったんだ」
 文化祭が一週間後に迫っていた。
 特に盛り上がるのはミスコンで、非公式ではあるものの、毎年多くの人間がその候補者と王者の行方を追っていた。
 しかし今年はコンテストの結果を待たずとも、王者が誰であるのかは明確だった。
「やっぱり大神か〜」
 白井が眺めていたのは、これまた非公式の北高アカウント。そこに暫定順位が発表されていた。
 そして今のところ一位を独占しているのが大神というわけだ。
「強者だよ。地味に二位が山田だし」
「一軍パワーつよし」
 八雲も会話に参加する。さすがにこの二人と一時的ではあるがカラオケに行ったと話せば、飢えた魚のようにくいついてくるだろう。
 去年、大神はコンテストを辞退していた。
 理由は面倒だからの一択。
 そして今年は「辞退できるのは一回だけ」という謎ルールができたことにより大神は強制参加させられている。本人はいまだに「出ない」とごねているらしい。
「はあ、これで大神のファンが増えたらどうすんだよ」
「いいじゃん、俺らには姫がいるんだから」
 二人の会話に、あはは、と笑顔が引き攣る。
 そんな俺も大神のファンだ。しかも大神と付き合っていると知られたら……多分死ぬな。
 自分の席で賑わう白井と八雲を横目に、視線は流れるように大神を探していた。
 あ、廊下だ。一軍さまたちが集っている。うん、山田とは仲良くやってるみたいだ。一方的に山田が大神にちょっかいかけてるだけだけど、それは普段と変わらない。むしろ日常だ。
「大神先輩」
 そこに、見慣れない女の子が登場した。先輩、と呼んだってことは一年か。
「あの、コンテスト頑張ってください。応援してます」
 ああ、そうだ。大神ってモテるんだ。俺のことをすごい大事にしてくれるから、たまーに忘れそうになるけど、大神ってそういう人間だった。そして、大神は緊張する女の子に向かってこう言ってしまうのだろう。
「応援いらないんで」
 うわ、言った。
 隣で「きっつ」と白井が呟いた。教室にも大神の声が届く。そして女の子は「すみません」と恥ずかしそうに去って行く。心が痛い。だからといって嬉しそうに「頑張る」なんて大神が言わなかったことに安心する、醜い自分もいるわけで。
 相変わらず大神は女子には手厳しい。俺も大神からあの棘を向けられたら、たまったものじゃない。
 そうしている間にも大神はいろいろな女の子に声をかけられていく。
 素晴らしい人間力だ。顔がいいとあらゆる方面で忙しくなるらしい。
「ちょっとそこまで」
「あ、トイレか。一緒に行ってやるよ」
 いらねえよ。白井に返して廊下に出る。大神は、今度三年先輩に声をかけられていた。「大神くんってなにが好きなの」その会話をできるだけ聞かないようにしてトイレに行く。なんか、あれだ。顔を洗いたい。んでもって心も洗ってしまいたい。醜い自分とおさらばだ。
 がしがしと顔に水をぶっかける。冷静になれ、俺。大神はモテる。でも大事にしてくれる。大丈夫だ、うん、大丈夫。
 はあ、と息をついて顔をあげたら、鏡に大神がいた。
「えっ、大神⁉」
 振り返れば、やっぱり実物の大神がいる。さっきまで廊下にいたのに。
「なんでここに……」
「こばとが一人になったから。チャンスだと思って」
 ふたりの時だけ発動する「こばと」。
 ニュアンスを説明するのは難しいけど、大神は「小鳩」と「こばと」を使い分けているような気がする。
 甘えているときは大体、ひらがなのほうになるし。
 学校にいるときは漢字のほうが多かったりする。
 最近は学校で話すこともないから「こばと」で聞き慣れてたけど。
「文化祭、どこ回る予定」
「あ、ええと……プラネタリウムがあるからそれは見たいなって」
「りょうかい」
「え、一緒に回れる感じ?」
「もちのろん」
「でも忙しいんじゃない?」
 告白受けたりとか、女の子の熱い眼差しを受け止めるのに。
 そういうのを察したのか、大神が眉間に皺を寄せた。
「こばとと回る以外で忙しくなる予定はないんすけど」
 おお、直球だ。もしここが学校じゃなかったら、甘えてくれてたんだろうか。
「でも、俺と大神がふたりで行動してたら……変かなって思われるかも」
 いつも一緒に行動するメンバーではないし。それに大神は目立つ。その隣に山田ではなく俺がいたら、明らかに浮いてしまう。そうなると大神に迷惑が……って考えるのは、大神が好きなことじゃないか。でも気になる。
「誰にどう思われようが、どうでもよくないっすか」
「あ、……おっしゃる通りっす」
「じゃあ、俺はこばとと二人でいたい。別にどこでもいいからふたりで」
 その気持ちが真っ直ぐ伝わってきた。大神の言葉は強い。さすがだ。
「……俺も、同じ」
「じゃあ決まり」
 表情こそ変えないものの、その顔はどこか嬉しそうに見えなくもない。大神がいいって言ってくれるんなら、俺は喜んでその隣を死守したい。
 ──って、思ってたんだけどなあ。
「うわ、来場者えぐくね?」
 白井が校庭に映し出されていた来場者数を見ていた。電光掲示板が設置されているが、その数はとどまることを知らない。しかもミスコンの開催時間が近づくにつれて、他校の女子生徒の数がぐんぐん伸びていく。
「大神パワーだろ、これ」
「朝のうちに焼きそば買っといて正解だったよな」
 白井と八雲セットの隣で、俺はお化け屋敷に並んでいた。廊下は行列と通行人でとんでもないことになっている。空気がむわっとしていて、新鮮な空気を求めようと近くの窓を開けた。つか、なんで開いてなかったんだ。
「ここのお化け屋敷ガチで怖いらしいよ」
 後ろに並んでいた女の子たちが会話をしているのを聞きながら、本当はここに大神と来るはずだったんだけどなと思ったりする。
 今朝まではその予定だった。大神も同じだったはずだ。それなのに、あっちこっちで大神を求める女の子たちが出現して、二人で文化祭を回るどころの話ではなくなった。大神は俺と一緒にいてくれようとしたけど、俺がいながら女の子たちを避けることは難しそうで、「俺のことは気にしなくていいよ」と声をかけた。
 大神は「絶対巻いてくる」と言ったきり、消えてしまった。今頃どこにいるんだろう。
「お、ここからだとちょうどミスコンのステージ見えんじゃん」
 白井が窓の外を見つめている。グラウンドには特設会場が設けられていて、ステージの前にはとんでもない数の見物客が集っていた。
「これも大神パワーだな」
「そうとしか考えられん」
 俺もそう思う。この調子だと大神はあそこのステージに出てくるのだろう。
「そういえば、姫は誰とまわる予定だったんだ」
 白井に痛いところ突かれる。今日は一緒に行動できないかも、と事前に伝えていた。相手は伏せたままで。
「まさか女子とじゃないだろうな」
 八雲がじろっと俺を睨む。まさか、と答えながらも、じゃあ誰なんだと追及されたら困ってしまう。
「俺らには言えない相手なのか」
「まさか三年のマドンナパイセンか⁉」
「ないない。ただ、……ちょっとあれだっただけ」
「誤魔化し方下手すぎる~~~」
 二人にがやがやと言われながら、さすがに大神の名前は──
『さあ、我らがスター、大神くんの登場です!』
 とか思ってたら、まさかのマイク越しに大神の名前が聞こえてきた。
「お、ミスコン始まったじゃん」
 白井と八雲同様、廊下にいた生徒たちが一斉に窓へと駆け寄った。俺もちょうど壁際に並んでいたから、三階のここからだとステージの上はよく見えた。
 ミスコンの出場者がすでにそろっていて、かなり遅れて大神が渋々といった様子で出てきた。
 そのときの歓声ときたら、地面が割れるんじゃないかと思うほどのボリュームで、大盛り上がりだった。
「大神くん、今年は出場してくれたんですね」
 司会者の男子が言う。そういえば、去年もこいつ司会してたな。
「辞退できなかったんで」
「大神くんも出場されたかったということで生徒会としても嬉しいです」
 すごい、事実をものすごい角度から捻じ曲げている。
 それからミスコンが始まり、司会者は出場者たちに質問を投げかけていく。意気込みは、とか、選ばれたらどうします、とか。
 しかしこれが大神の番になると質問が一転した。
「ちなみに大神くんは彼女がいないということですが、好きな人はいるんですか〜?」
 おいおい、そんなこと聞いてなかったじゃないか。しかもノリが軽い。
「付き合ってる人はいますけど」
「へえ、付き合ってる人がいるんすねえ……はっ、付き合ってる人⁉」
 会場がどよめく。司会者腰抜かす。嘘でしょ、と信じられないという反応で会場は染まっていく。それもそうだ。大神に彼女がいるなんて情報は一度だって出回ったことがない。まあ、彼女ではないんだけど。
「も、も、もももしかして、ここの生徒だったり?」
「しますねえ」
「どなたか伺っても……?」
 そうして、だるそうにしていた大神は、まるで俺がここにいたと最初からわかってるみたいにこっちを見上げた。
「あそこ」
 顎でくいっと、示したその先を会場にいる人たちが必死に追った。
 嘘だ、ガチか。つか、大神と思いっきり目が合ってんだけど。いつからここに俺がいたって知ってたんだ。
「ええと、あそこといいますのは、校舎の……どのあたりです?」
「こっち見てるじゃん」
「……全部の窓ガラス、生徒で埋まってますね」
 ミスコンを教室から見ている見物人も多いらしい。つまりは、大神の付き合ってる人が俺だと特定されるということはなく。
「え、もしかしてわたしのこと⁉」
 と勘違いする女の子が続出する結果となった。
 おそらく大神の策略だ。不敵に笑ったその顔でさえかっこよさが爆発しているのだからやめてほしい。そして、そんな問題発言をした大神は堂々の一位に輝いていた。

「バレると思ったじゃんか」
「いやなんだ、バレるの」
 俺たち以外誰もいないバスの中。大神といつもの席で隣同士に座って不満を口にすれば、大神が俺の顔を覗き込んでくる。
「いやっていうか……心の準備がさ」
「あーね、大事っすよね、心の準備」
「絶対思ってないトーンじゃん」
 きっと大神は、俺たちのことが周囲にバレたって平気なんだろうなって思う。
 男同士とか、そういうのを気にしないんだと思う。
 でも俺は考えてしまう。
 少なからず、大神を傷つけてしまうんじゃないかって思うし、何より俺が傷つくのが怖い。
「大丈夫だよ」
 大神の大きな手が俺の手を覆う。なんで指、こんな長いんだろ。しかもやたらと綺麗なところがむかつく。
「誰にもバレないようにする」
「あんなことしておいて?」
「それは反省してる」
「反省してる顔しなさい」
「顔には出ないタイプなんで」
 だけど、きっと大神は俺たちのことを言ったりしないんだろうな。
 本当は。大神と付き合ってることを言いたい気持ちだってある。
 大神は俺のなんですよ、とか言ってみたりして。
 でもそういうのはできないんだろうな。
 なんて考えていたらやっぱりぐるぐるしてしまう。
「今日は一緒にいれなくてごめん」
 大神は俺の手をきつく握る。女の子にだったら、こんなに強く握ったりしないのかもな。
「……女の子、約束通りまいてきてくれたじゃん」
「でも終わりがけだった」
 大神と合流できたのは、ミスコンも終わり、文化祭もあと五分で終わるというタイミングだった。たしかに大神とまわりたかった場所はいくつかあったけど、そんなことはもういい。今こうして手を繋いでいられるなら。
「こばとと一緒に行きたいなって思う教室を前に逃げ回ってんのは疲れた」
「はは、それは疲れそう」
「ミスコンも連行されたし」
「抵抗虚しく?」
「いや、一人二人は手が当たったと思う」
「暴力沙汰になってるじゃん」
「こばとの元に早く戻りたかったから」
 それで、不貞腐れながらミスコンのステージに出て、あんな大勢の人に見つめられながらも、俺の存在に気付いたのか。
「手が当たった人にはちゃんと謝った?」
「……そんなような気もする」
「絶対嘘じゃん。明日ちゃんと謝りなよ。実行委員も大変なんだから」
「こばとが言うなら謝る」
「あと、女の子にはちょっと優しくしないとだめだよ」
「なんで今それ?」
「この際、ちょっと言っておこうと思って」
「女の子ね。どのぐらい優しくすればいいの?」
「……泣かせるぐらいの振り方はしない程度?」
「加減がむずい。すぐに泣く人もいるんだけど」
「そういう人は……例外として。人としてさ、女の子泣かせたらちょっとあれじゃん」
「はい」
「でも、花森さんと吉岡さんとの距離は近いと思うから、あんま優しくしないでほしい」
「あいつらって女じゃなかったっけ」
「女の子だけどさ、大神はよくあの二人から抱きつかれたりしてるし」
「……そうだっけ」
「その顔、本当に思い当たる節がないってやつじゃん。がちでくっつかれ過ぎよ」
「わかった。あいつらは多分泣かないだろうから今度きつめに言っとく」
「……いや、きつめはだめだ。あの二人は女の子だから」
「こばと、注文多くない?」
「多くもなるんだよ。ミスコン一位の男と付き合ってるとさ」
「一位っていらないんだけど。こばとにとって一位の男になってたい」
「……なんで恥ずかしげもなく言えるかね」
「相手がこばとだから」
 それもそうか。じゃあ俺も恥ずかしげもなく言ってみた。
「大神」
「ん」
「すっごい好きだよ」
「……」
「……沈黙はきついて」
「このまま持って帰っていいのか熟考してた」
「熟考するところじゃない。あと持って帰らない」
「はい」
 素直。こんなかわいいところを知ってるのは俺だけだろうか。
 窓から差し込むやわらかい夕陽が大神に当たって、それがやけに輝いて見えた。
 もう俺たち、前後に並んで座ってないんだな。窓に頭をもたれていた大神は、今となって俺の肩にもたれている。
 握っている手を、話したり、握ったりと繰り返して遊んでいる。それを見ていると、
「好きだよ、俺も」
 大神が、ぽつりと静かにこぼした。あまりにも自然で、油断したら夕日で消えてしまうんじゃないかってぐらい、なんか貴重な光みたいな言葉だった。
「こばとのことが好きだし、手放せそうにないくらいには好きだなって思ってる」
「……誰よりも好きだったりする?」
「重いやつだ」
 ふっと大神は笑う。
「こばと以外興味ないぐらいには好きだったりするよ」
 好きが、加速していく。これ以上好きになることなんてないと、いつもそう思うのに。大神といると、いつだって好きの上限を超えていく。
「俺もそう思う」
「言葉をはしょらない」
 大神に怒られて、今度は俺が「はい」と素直に受け止める。
「大神を誰にも渡したくないぐらい好きだなって思ってるから」
「一緒だ」
 大神の唇が重なる。どうしてだか、初めてしたキスを思い出す。あの日がなければ、俺たちは付き合うことなんてなかった。王様ゲームなんかじゃない。今は俺たちがしたいと思ってしていること。
 俺たちを乗せてバスが進んでいく。揺られながら、見つめ合って、もう一度キスをした。
 好きだよ、と。何度伝えても足りないぐらいの気持ちはどうしたらいいんだろう。それでも、大神は全部受け止めてくれるんだろうな。俺がそうしたいって思ってるみたいに。

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