「おはよう、大神」
 晴れて付き合うことになった俺たちの朝は、変わらずバス停が始まった。
 こうして挨拶とかしてみたかったんだよなと気分が上がっていた俺とは違い、大神は一瞬俺を見て「……ん」と返しただけだった。しかも、前の席に座る。
 ……あれ、こんな感じ?
 なんなら今日から隣に座るのかと思ってた。え、もしかして俺、すげえ浮かれまくってる?
 そういう自覚がなかったわけじゃないけどさ、でも付き合ってたら、もうちょっと甘い朝を過ごせたりするもんじゃないの?
 それっきり大神は後ろを振り返ることもなかったし、会話なんてもちろんなかった。
 おいおい、昨日のあまあま大神はどこにいったんだ。もしかして低血圧とか? 朝は静かにしておきたいタイプ?
 いよいよ学校近くのバス停に着いてしまえば、大神と過ごせる時間は終わってしまう。
 さすがにここからは、誰に見られるか分からないし、そもそも大神は人気だから視線がすごい。
 バスから降りて撃沈してる俺に「あのさ」と、さり気なく隣を歩いた大神。
「朝からあんなに可愛いと困るんですけど」
「……え?」
「すごいにこにこしてたじゃん? まじで天使がいるんかと思った」
 あんな無愛想な顔で、そんなこと考えてたの? んなもん予想できるかい。
「あんま話しかけてほしくないっていう合図じゃないんだ」
「ちょっと浮かれてた。っていうか不意打ちくらってちょっと呼吸が乱れてた」
「そんな顔に見えませんでしたけど⁉」
「嘘ではない」
 ……うん、たしかに本当っぽい。
 でも、迷惑じゃないならよかった。ちょっと安心していたら──
「学校では、あんま話すのやめよう」
 突然、爆弾が落ちてくるものだから心臓が止まるかと思った。いや、大袈裟なんだけど。でも、そんなことを言われるとさ、分かってはいても悲しいっていうか、傷つくっていうか。
「あ、勘違いしてほしくないんだけど」
「ん?」
「俺と話してることで、こばとが注目されて、人気が出るっていう未来を潰したいだけだから」
 なんかすごい物騒な言葉が出てきた。俺といるのが恥ずかしいとか、そういうわけではないことにほっとするけど、理由も理由だった。
「ごめん、これは俺は勝手なわがままなんだけど」
「いや、いい。ちゃんと考えたら、そのほうがいいなって思うし……うん、そうしよう」
 欲を言ってしまえば、大神とウキウキハピハピ学園生活を送ってみたかったりはしたけど。たとえば休み時間は一緒に過ごすとか、昼は一緒に食べるとか。まあ、そういうありきたりなことではあったんだけど。
 だからって大神と一緒にいられないわけじゃないし、バスは一緒なんだから、それで十分だ。
「で、そうすると俺がこばとと一緒にいる時間が少なくなるんだけど」
 あ、そこは考えてくれてたんだ。
「こばと、俺考えたんだけど」
「うん?」
「今日、家来ない?」

 さりげなく誘われたなとは思ってたし、別に深い意味はないんだろうなとも思うようにした。
「でか! 豪邸じゃん!」
 ここが大神の家。
 周囲の住宅街からひときわ目を引く存在感。まず視界に飛び込むのは、重厚なアイアン製の門。二階建てで、広いガレージも完備されていた。ここ、何台停められるんだよ。つーか高級車ばっか。
「……金持ちだ」
「こばと、行くよ」
「お、おっす」
 こんなところに住んでいたなんて。なのに金持ち感をあんま出さないところも大神らしいな。女子が知ったら、ますます大神のことを好きになるんだろうなあ。なってほしくないけど。誰にも知ってほしくないけど。
 そんでもって、大神の部屋もまた広かった。天井も高いし、バルコニーもついてる。俺の部屋とは比べ物にならない。意外なことに、壁一面が本棚になっていた。
「すご、大神って読書家なんだ」
「読みたいのあったら持って帰っていいよ」
「え、いいの?」
「そしたら、またここに返しに来てくれるでしょ」
「……策士だ」
 ふっと、大神が笑う。うわ、普通に好きだ。だめだ、なんか付き合うようになってから、ますます大神がかっこよく見えてくることがある。もともと騒がれるほどかっこいいのに、さらに惚れさせてどうするつもりなんだろうか。
「あ、大神。着替えてもいいよ」
「ん?」
「だって、帰ったら着替えるっしょ」
「あー……いいよ。こばとは制服なんだから」
「遠慮せずとも着替えてくださいよ旦那」
「なに設定?」
 というか、大神の私服って見たことがないから、これを機会に拝んでおきたいというところはある。可能であれば撮影タイムを設けてもらえたら嬉しいけど、さすがにお願いするのは気が引ける。
「んー……まあ、分かった」
 渋々といった様子で大神はその場で制服を脱ぎ始める。俺が男だからってこともあるのか、そのあたり遠慮なさすぎてちょっと笑ってしまう。俺、意識されなさすぎ。まあ、それがいいんだけど。
「こういうとき、ちょっとここで着替えないでよ、とかなるもんじゃん?」
 大神が苦笑する。
「そりゃあ、男と女だったらあるかもしんないけど、俺たち男だし」
「俺の身体に興味はないと」
「そ、そういう解釈のされかたは誤解があると言いますか……」
「冗談」
 なあ、なんだよ、その力が抜けた笑い方。お前、そんな顔も見せるのかよ。
 着替えた姿が、上下白のセットアップってところが、まあ美しかった。
「……なんか眩しい」
「ただの部屋着なんだけど」
 だとしたら、部屋着だけでなんでこんなサマになんのか知りたい。俺が着たら身長足りなくて足の袖とか引きずってんだろうなあ。これまた着こなしが完璧やないの。
「ガン見じゃん」
「いやあ、大神は服にも愛されるんだなと思って」
 大神だから許されてるみたいなところあるし。
「俺はこばとだけに愛されてばそれでいいんだけど」
 俺の後ろにまわったかと思うと、ふわっと抱きしめられた。大神の息遣いが耳元に届いて、なんとなく、ぞくっとしてしまう。これ、わざとじゃない……よな?
「……今日は何時までいいの?」
 しかも大神が喋る度に、ダイレクトにくるもんだから困る。
「門限ないし、あ……でも夕飯前には帰るから」
「帰んの?」
 ぐっと、抱きしめられる力が強くなる。
「か……えらないと、まずいじゃないですか」
「今日、親帰ってこないけど」
「それは言っちゃいけないやつっすね」
「そんなルールは知らないんで」
 そうですかい。それなら俺が停まっていくなんて言ったらどうすんだよ。明日も俺たち学校があるだろうがよ。
「……ここって、友達よく来んの?」
 なんとなく話題を逸らしたくて、部屋を見渡すフリをする。後ろの大神に意識を持っていかれてんのを隠したかった。
「いや、来ない。つーか、人を連れてきたの初めて」
「えっ、山田たちは?」
「ムリ。SNSで拡散されそー」
 それは……うん、否定ができない。ここまでしっかりした家に住んでいたら、そりゃあ友達の家でも自慢したくなる。しかも相手は大神なんだから。
「じゃあ、俺が初めてなんだ」
「そ、初体験」
「や、やめようぜ、そういうの」
「照れてんだ」
 ずっと大神のペースにのせられてる。どう頑張っても、なぜか甘い空気が戻ってきてしまう。
 そういえば、大神はこういうことになれてるんだろうか。その、付き合ったあとの触れ合いというか、密室でふたりだけの……こういう。
「こばと」
 名前を呼ばれて胸が疼いた。大神に呼ばれる「こばと」には特別な力がある気がする。
「教えてほしいんだけど」
「な、なに?」
「白井たちとしてること、俺ともしてよ」
 綺麗な瞳が後ろから覗き込んでくる。こてんと、甘えるみたいに俺の肩に頬を預けるその姿が、あまりにも近くて、破壊力えげつない。俺、よく分からんけど、ここで爆発できる自信がある。ぼんっ、て。
 でも白井たちとやってることってなんだ? しかも大神が興味を持つようなことって……
「え、これ?」
 大神がご所望だったのは、スマホのゲームアプリだった。領土を守って王国を作っていくようなやつ。こつこつと続けていた結果なのか、大神が興味を持った。
「大神もゲームしたりするんだ」
「暇つぶしにパズルゲームぐらい」
「うわ、得意そう。俺そっちは苦手なんだよ」
 慣れたらいけると言われ、そのまま鵜呑みするが、続いた試しがない。三日坊主はこのことだ。
 大神が自分のスマホにインストールして、ゲームが始まった。最初こそは「どうすんの」「なにやんの」「意味わからん」と続けていたが、チュートリアルが終わってしばらくしたら大人しくなった。おそらくもうやり方を掴んでしまったのだろう。それにしても、と思う。
 やり込みすごくない?
 俺、隣にいるよね?
 ただゲームの要員で呼ばれたんすか。
「大神」
「ん」
「楽しい?」
「んー」
「いや、楽しんでるならいいんだけど」
 あたかも「楽しい」と返ってきた想定で話をしてみるが、しかし、あれだけ俺にぴったりだった大神が、今ではスマホとの距離を楽しんでいる。ゲームの世界にのめり込み、今ではどんどん離れていっている……ような気もする。
「そもそも、なんでそれがやりたくなった?」
「こばとがやってるから」
「え?」
 しっかり話は聞いてるのかということと、そこに俺の名前が出てきたことにより驚きが二倍になった。
「これやってたから、こばとと時間共有できてるような感じする」
 な、んですかそれ。そんな理由がそのゲームに込められていたのか。教えてくれよ。ちょっと膨れてたじゃん。俺よりゲームのほうが大事なんかなって。ほら、まだ付き合いたてだから。不安になることもあるんすよ、とは言えない。言えたら楽だけど。
「……ひとりになるのは、さみしいっす」
 でも、これぐらいなら言ってもいいだろうか。そしたら、ぴたりと大神がゲームをやめた。
「やめます」
「あ、そんなあっさりと」
「さみしい思いをさせたくて家に呼んだわけじゃないから」
 その答えは満点だ。はなまるをあげたいぐらい。なんて俺が大神に図々しいか。
「こばとは何やりたい? カードゲームとかチェスとか……人生ゲームはある」
「ゲームオンリーだ」
 大神ってそんなにゲームが好きなのか?
 いや、それはいいんだけど。全然いいんだけど。単純に俺と遊びたくて呼んでくれたってことだよな?
 だとしたら、それは極力裏切りたくない気持ちではいるんだけど。でもさ、俺たちって付き合ってるんだからさ。
「……ただ、一緒にいるって選択肢はないんすか」
「ない」
 即答! えええ、俺、そんな「ない」ってきっぱり言われるようなこと言った?
「あの……その、真意を知りたいといいますか」
「何かやってないと、こばとにしか意識が向かなくなる」
「……ん?」
「ただ一緒にいるってなったら、多分、俺が俺でいられなくなる」
 なんかすげえセリフ言ってる。でも大神が言うから様になる。
「あの、大神じゃなくなるっていうのは……」
「こばとを襲う可能性しかないから」
 おお、それは危険だ。襲われるとか考えたことなかったけど、いや、でもそっか。大神はそういうことを考えてくれて、ゲームを提案してくれていたのか。ただのゲーム要因じゃなくてよかったとは思うけど。
「……それは、別に困らないっすよ」
 さすがに大神が大神じゃなくなったら困るだろうけど。
「……」
「あ、大神またフリーズしてる」
 おーい、と呼びかけたら、はっとして戻ってきた。
「分かった。どこまでしていい?」
「話が早い!」
「こばとがいいよって言うから」
「いいよとは……うん、どうだろう」
 大神がそう解釈したなら、まあそれはそれでいいんだけど。
「じゃあ、たとえばこういうのは?」
 細い指が俺の手を持ち上げて、すっと唇を落とした。
「キスとか」
「キ、キッス……!?」
「こばとはまだそこまでじゃないでしょ」
 やさしく微笑んで、それから流れるように俺の手をゆっくりと離した。
「ほら、暴走してこばとに嫌われたら、俺生きてけないから」
「暴走って……」
「これでもかなり我慢してるほうなんでね」
「俺に?」
「言っとくけど」
 大神が俺の顎を持つ。
「こばとって自分がどれだけ可愛いか分かってないでしょ」
「か、わいいって……俺、男なんだけど」
 思わず顔を後ろに引いてしまいそうになって、けれどもそれだと大神が傷ついてしまうかもと瞬時に思考が働いてその場にとどまった。
「男とか関係ない。俺にはこばとが世界で一番可愛く見えてる」
「大神ってキャラ崩壊してない?」
「こんなの他人に見せてどうすんの」
 それもそうだ。ごもっとも過ぎてぐうの音も出ない。大神、なんか威力すげえよ。
 もし、もし大神が理性をなくしたら、どうなるんだろう。本気出してきたらさ、それこそ俺のほうが大神に骨抜きされて生きていけないんじゃないか。
「だから、あんま煽らないでもらえますか」
「……はい」
「お利口さん」
 ぽんぽんと頭を撫でられる。もうこれだけで、なんていうか、俺を特別扱いしてくれることが伝わってくる。幸せだ、なんて柄にもなく思ってしまう。こんな関係になるなんて、一週間前の俺は想像すらしていなかったのに。
 そのとき、大神のスマホの画面が光った。電話だ。
「おおか──」
 名前を呼ぼうとして、表示されていた相手に、つい釘付けになってしまった。花森さん。一軍さまのお姫様。俺がからかわれるように「姫」と呼ばれるのとはわけが違う。向こうは正真正銘のお姫様だ。
「あー無視で」
 大神はその電話を取ろうとはしなかった。俺に気を遣ってるんだろうか。
 まあ電話ぐらいかかってくるよな。今から遊ぼうとか、そんな誘いはあるに決まってる。
 しょうがない。そういえば大神ってトップオブトップだった。
 そしたら今度は吉岡さんからも電話がかかり、それも取らなかったら、山田からもかかってきた。どれだけ大神を求めてるんだ。
「大神、さすがに出たほうが」
 なんかあるかもしれないし、と自分に言い聞かせる。
「……んー」
 めんどくさそうに溜息をついて、大神は電話を取った。開口一番に「お前らうっとうしい」と電話に出た大神は、ゆらりと立ち上がって部屋を出ていった。
 あれだけかかってきたってことは、もしかして今から呼び出し?
 大神、山田たちと会うんかな。それはいいんだけど。だって大神は俺のってわけでもないし。友達は大事にしてほしいって思うから。うん、そうだ、それはそうだよ。
 どっちにしろ、大神が俺といるってやっぱり変だよな。
 大神が俺を好きっていうのもいまだに信じられないし。
「こら」
 ぺしっと、額にデコピンをくらい「いて」とつい声がもれた。いつの間にか、大神が部屋に戻ってきていた。そんなに考えてこんでたつもりはなかったのに。
「なんか変なこと考えてそうだったけど」
 筒抜け……なんで分かっちゃうんだよ。
「なに考えてたか言ってみ」
「……大神ってさすが一軍さまだなとか。誰とでも過ごしていいのに、俺でよかったのかなって」
「よし、膝枕して」
「いきなり?
 なんで? 戸惑う俺をよそに、ごろんと、俺の太ももに頭をのせた大神。
「ひ、膝枕て」
「俺、こばととこういうことしてるほうが好きなんで」
 こうしてることが。
 その一言に、やっぱりさっきの電話はお誘いだったんだなって察して。でも断ってきたんだなってことも同時に理解した。
「……よかったの?」
「よかった。こばとといられなくなるぐらいなら、一生山田たちとも遊ばない」
「それは極端だってば」
「極端にもなんの。こばとのことになると」
 飄々とした顔で、なんで躊躇いもなく俺が安心できる言葉をくれるんだろうか。この人、心を読む天才なんかな。
「あと、一軍とか、そういうのも俺にとってはどうでもいい」
「え……」
「こばと、よく言うじゃん。一軍さまって。でもそれって、別に決まりがあるわけじゃないじゃん?」
 決まり……言われてみれば、そういうルールみたいなものはない。自然と、そのクラスの空気みたいなものが形作っていくもので、俺はどうしたってそこには入れなかった。
「山田たちと一緒にいるのは別に苦じゃないけど、こばとが嫌な思いをするなら離れるし」
「そ、そういうことじゃない。全然、山田たちと一緒にいてほしいし……一軍って言い方も、なんかごめん」
「いいよ、悪意ないって分かってるし。でも、そういう理由で、こばとには遠慮しないでほしい」
 そっか、なんかすごい大事なことを大神は言ってくれてる気がする。
「俺はこばととこうして一緒に過ごしたいし、こばとがいればいいって思ってるから」
 偽りのないような声音をして、大神の手が俺の頬を撫でていく。
「好きだよ」
 心臓が、ぐわんと動いて、息ができなかった。
「こばとが思ってるよりも好きな自信はある。つーか、俺の頭ん中見たらまじで引くよ」
「……逆に見てみたい気もするけど」
「だめ。嫌われたくない」
 嫌うなんて、そんなことこれからあるんだろうか。こんなにも俺のことを好きだと言ってくれる人がいて、その人が自分の好きな人で。こんなにも幸せなことって本当にないなって。
「お、俺も好きっていうか、大神よりも重いし」
「へえ」
 ぐっと、後頭部に手を回されて、そうかと思えば抑えられるようにして大神との顔の距離が近くなる。
「俺のほうが重いんじゃない?」
 歩み寄ろうとすると、その倍ぐらいの勢いで大神が近付いてくれて。そういうところが好きだなって感じるし、このままでいてほしい。
「……大神なら重くていい」
「俺も、こばとならいくらでも受け止める」