「……俺、欲求不満なんかな」
翌日、俺はまたしても教室で大神ばかりを追いかけていた。
大神の真意が分からなくて、そこでぐるぐる悩んで、でも自分ではどうにもならないところをひたすら考えているだけ。
「開口一番にそれかよ。姫が言うもんじゃねえよ」
白井はスマホから顔を上げて、げんなりした顔で言った。
俺に姫を投影するのはやめていただきたい。今更言えるものでもないけど。
「なんていうか、人肌が恋しい季節に入ってきてんじゃん」
「まあ秋だからな」
「俺もだれかに温めてもらったら、いろいろ解決するのかなと」
「んじゃ、手っ取り早く女作るしかないだろうよ」
女。
言われてみれば、最近は大神との関わりが増えている。
だから余計に大神のことばかり考えてしまうのだろうか。
女の子と関われば、大神への気持ちもスッキリする……?
「でも、女の子との接点はないしなあ」
「合コンでもやったら解決だべ」
「うわ、未知なる世界……!」
「まあ姫にはずっと女を知らずに姫でいてほしいけどな」
「さすがにそれは自分の人生としてどうなんだろう」
正直、姫とかどうって今だけなんだろうし。これから社会に出たら「姫」なんてまずは呼ばれなくなるだろう……と期待はしたい。
「とりあえず、近いうちにセッティングしとくわ」
「え、白井って合コン開催できるほど女の子と関係あったっけ?」
「あるよ。ちょくちょく合コンしてるし」
「そうなの!?」
知らなかった。俺と同じように、ただ男しかいないような場所で生息しているのかと。
思えばここは共学だけど、白井はちょくちょく女の子と話していた。
「あ、嫉妬すんなよ~俺は姫一筋だから」
「そのノリいいって」
「そうなの? なんだ、求めてんのかと思ったのに」
へいへいと言いながら、すぐにスマホをシュバババッと操作している。
「……もしかして、もう合コンのセッティング始めてるとか?」
「え、もう決まってるけど。ちなみに明日な」
「明日!?」
「はあ、ついに姫も彼女か~」
いくらなんでも行動力の鬼だ。こんなに早く決まるなんて。
「おい、大神ってば聞いてんのかよ」
少し離れたところから大神の名前が聞こえて、自然と反応してしまった。
今日も今日とて大神は人に囲まれている。一軍さまにはどうして、華があるような人間ばかりが集まるんだろうか。自分があそこにいるという想像ができやしない。
「よっしゃああああ、ガーター!」
「どこで喜んでんだ馬鹿」
ってことで開催されたボーリング合コンでは、白井がガーターを連続で出していた。
もはやストライクを取るというよりも、ここまできたからには全てガーターで終わらしてやろうという謎の気迫を感じる。それを俺と八雲が呆れて見ているが、白井が躍起になるのもわからなくもなかった。
「え、共学なんですか? いいなあ、私も女子高じゃなくて北原にすればよかった」
問題となっているのは、セッティングした女の子が全て隣のグループに持っていかれたということ。
そしてそのグループが大神率いる一軍さまだったってことだ。ちなみに花森さんと吉岡さんは不在だった。
最初こそは「初めましてえ」みたいな和やかな雰囲気で始まったというのに、そのあとで来た一軍さまが俺たちに気付いたことで合コン終了。
「俺らも混ぜてよ」なんて山田が切り出し、そうかと思えば自分たちのテーブルに女の子を回収していった。
ここにいるのは俺と白井と八雲という安定のいつメンだ。
おかしいな、今日は俺が女の子と楽しく過ごすはずだったのに。
でも、どこかでほっとしている自分もいた。
女の子たちを前にしたとき、なんか、違うって漠然と思った。
この先、ここにいる人たちと恋愛をしていくイメージがまずつかなくて、しかも、そうなりたいとも思わなかった。だから大神たちが現れてくれたことは俺にとってよかったかもしれない。
「大神くんってボーリング得意なんですか~?」
「やったことないんで」
一軍さまの中でも、女の子たちの視線は大神に集中していた。
やたらと大神から離れていこうとしない。そこに山田が「ちょいちょい俺も~」なんて割って入ろうとする。そのメンタルは心底見習いたいものだ。山田、すげえな。
しかし、大神がボーリングをやったことがないというのは嘘だろう。
この前のマドンナ先輩といい、カラオケとボーリングは大神ぐらいになれば常連になっていてもおかしくはない。
「ああああ、くっそ。一本ピンが倒れた」
そしてこちらでは永遠に白井のターンになっている。そしてピンを倒したことを嘆いている。普通は喜ぶところだろう。
「はあ、姫~慰めてくれよ~」
「はいはい、おつかれ」
「雑っ!」
隣ではキャッキャッと盛り上がり、こっちでは男同士で葬式ムード。
こうなるはずではなかったけどしょうがないんだろうな。
「よっ、大神ファイト」
山田の声で隣のレーンを見ると、ちょうど大神がボーリングの球を構えていた。
おお、てっきりやらないと思っていた。
もしここでガーターとか出したら、さすがの女の子も大神に引くんだろうか。
パコーンと小気味良い音が聞こえたとともに、綺麗に並んでいたボーリングのピンもひとつも残っていない。つまり全部倒したということで。
「ストライクかい!」
白井が悔しそうに呟いた。
「……ボーリングまで上手いんかい」
俺も俺で呟いてしまいたくなる。
あんなにも恵まれた顔を持ちながら、ボーリングまで上手ければ女の子がより一層大神から離れなくなる。それはそれで悲しい。でも、悲しいってなんで?
俺は女の子と関わらなくてもいいことにほっとしたはずだった。
だから別に、悲しいというわけでもないはずなのに、この消化しきれない気持ちはどう解いていけばいいのだろう。
それにしても、大神が球を投げるまでの光景が目に焼き付いている。
血管が出た手の甲、肩甲骨のライン、Eライン最強の横顔。なんか、どこをとっても完璧という言葉だけで片付いてしまう。
「はいはい! ジュースじゃんけんやりまーす!」
大神にかっこいいところを奪われていく反動か、山田の声がスタート時よりかなり大きくなっていた。そしてそのじゃんけんに、なぜか俺たちのグループまで巻き込まれた。さっきまでのけ者にされていたというのに。都合のいいとき使われるが、それも宿命だ。一軍さまに見つかってしまったら、それは静かに受け入れることが一番だ。
「ここは男だけでやるわ」
そして、どこまでかっこつけたいのか、女の子たちの参加を認めなかった山田。
このときばかりは「山田くん最高」ともてはやされていた。そして山田はちょろかった。「まあ俺だし?」などと顔を破顔させていたが、山田も山田で顔はいいほうだから事故になるわけでもない。俺なんかがあんな顔で同じセリフを口にしていたら場はとっくに乾いた笑みに包まれていただろう。
「大神も参加だからな」
山田が大神の肩を強引に組むと「うぜー」と悪態をついた。
「勝手にやってろよ」
「そうもいかねえよ。俺のかっこいい場面、今んとこゼロだから」
「どこで回収しようとしてんだ」
それは俺も大神に同感だ。じゃんけんに買っても負けても、別に「かっこいい」とはならないだろう。
「いいんだよ、細かいことは。ほれ、小鳩も」
「え?」
なぜ俺の名前だけ?
なんて思っていたら、いつの間にか白井と八雲がいなくなっていた。おのれ、逃げたな。
そうこうしているうちにも「じゃんけーん」と山田が声を高らかに上げ、咄嗟にチョキを出した。
山田と大神はグーだった。
「ま、負けた……」
「はい、小鳩くんのおごりね〜」
いえーいと山田が女の子たちとハイタッチしている。まあ、こうなることは大体予想できていたけど。白井と八雲がいない今、ここで一人残ることになっても、それはそれで苦痛だったからまだよかったと思うか。
「じゃあ、買ってくるよ。飲みたいものは……?」
それぞれの希望を聞き出し、忘れないようにスマホにメモで残していく。
あとは大神だけ、という状態になったとき、
「俺も行くわ」
すっと大神が立ち上がった。
「え? いや、大神くんは座ってていいよ。俺が負けたんだし」
「人に飲み物把握されんのきらいだから」
どんなんじゃい。悪用せんよ。
と喉の奥まで出かかっていたが、かと言ってさすがにツッコめるわけもなく「そうなんだ」となんとか笑みを浮かべることには成功した。
「えええ、大神くん行っちゃうの~?」
残念そうな声が聞こえてくるが「俺がいるじゃん~」と山田がすかさず大神ポジションへと座った。しばらく女の子たちを独占できるからか、かなり嬉しそうな顔をしていた。
「行くぞ」
「え、あ、うん」
さっさと行ってしまう背中をなんとか追いかける。
「あ、あのさ……大神ってボーリングもできちゃうんだな」
会話の糸口を探していると、必然的に大神を褒めることしか思い浮かばない。
こんなことも言われても喜ぶような人間ではないんだろうなと思っていたら、案の定「遊んでたらできるもんでしょ」と無愛想な返事。あれ、この前は俺たちって居残りしてたよなと記憶が不確かなものに変わっていく。居残りといっても、大神は俺の補習に手伝ってくれただけで、あくまで善意によって成り立っていた時間だった。
それでも、妙に色っぽいことを言われたような気がしなくもない。
『小鳩がいるから』
それはいまだに真意を尋ねることもできず、心の中をうようよと彷徨い続けている。
大神との関係性も劇的に変わることもなく、やはり一軍さまには見えない壁があり、その向こうに大神がいる気がしてならない。
それでもよかった。無視されないだけいい。
ただし、大神は掴めないけど。
「俺もボーリングによく来るけど、上達しないよ」
「ホーム悪いからそれ直したら?」
ぽん、と言われたそれに理解ができなかった。
「え……ホームって、俺が投げるときを見ててくれたの?」
「隣だから見えるもんじゃない? なんでそんな意外そうなん」
「いや、少なくとも俺のことは見てないかなって」
というよりも、俺の行動を見ていた人間なんていたのだろうか。
白井と八雲でさえ、自分のターンじゃないときは恨めしそうに隣のテーブルを見ていた。
「見るよ。さすがに両手投げはレアだったけど」
「……いや、そのつもりはなかったんだよ」
ましてかっこ悪いところを目撃されていたのか。
両手投げなどという可愛らしいものを披露したかったわけではなかった。ただいろいろな不運が重なったきっかけの成れの果てが両手だったというだけだ。
「いいんじゃない、小鳩には小鳩の投げ方があって」
「頼むからそのテンションでマジレスしないで」
はたからすれば、俺が両手で投げる人みたいになってるじゃん。いや、両手投げいいと思う。決して差別用語として捉えているわけではない。ただ、俺の場合は姫呼びという特殊な背景があるからこそ、あらぬ誤解が浸透していくのではないかという不安が──。
「っいた」
こん、と額を小突かれたのは、面倒な思考で埋め尽くされていたときだった。
「なんか一人劇場してるような顔だったけど」
「……なんでわかるんだ」
「あ、本当だったんだ」
「しょうがないだろ。大神を前にするといろいろ考えることが増えるっていうか」
「俺?」
首を傾げたその顔が、二、三歩と俺に歩み寄った。
「具体的にどういうことを考えていたのか聞きたい所存」
「……ち、近い」
「気になること言うから」
さすがに男の俺でも、この近距離は耐えられそうにない。ぐん、と顔を後ろに引いた。すげ、人間ってこんな動きできるんだ。
「あ、呼ばれてるわ」
大神が俺の後ろを見て言った。その先にはおそらく山田がいるのだろう。
「早くしろだって」
「う、うん……一刻も早くそうしよう」
ああ、だめだ。なんで大神を前にすると、俺っておかしくなるんだ。
遠くなかったはずの自販機が、果てしなく長いように思えて、たどり着いたときにはほっと一安心したほどだった。
大神が自販機の前に立つ。ただ飲み物を選んでいるだけの横顔が妙に惹きつけられる。パコーンっとピンが豪快に倒れた音が聞こえてくる。賑やかしいこの場所で、大神の周りだけ静謐な時間が流れているように思える。
……いい匂い。どこの香水使ってんだろ。なんか持っていかれそうなやつ。
「……なに」
「!?」
気づけば大神との距離が近かったパートツー。
バカじゃん俺! いい匂い〜とかで吸い寄せられてんじゃねえぞ。
引かれたよな? 最悪だ。大神もさすがにそっぽを向いてしまった。
「ご、ごめん。あの、なんか香水使ってんのかなって」
「使ってないけど」
「使ってないの!?」
え、じゃあ素でその匂いってこと?
フローラルも自然に発酵できちゃう系なん?
「……小鳩って人との距離感どうなってんの」
「きもいよな、自分でも反省してる」
「そうじゃなくて、八雲たちともよく絡んでんじゃん」
絡んでる……というのだろうか。確かに抱きつかれることはある。それが通常モードになってしまっているだけで。
「あんま、そういうの見せられると困るんだけど」
「男同士だからきもすぎて? うわあ、ごめん。八雲は別に普通っていうか、確かに距離感バグってはいると思うけど根はいいやつだから」
「そういうこと言ってない」
違ったらしい。ということは俺に問題があるということなのか?
大神がお金を自販機に入れた。
「あとで山田に請求しとくから選んで」
「え、いやさすがにそれは俺が殺されるっていうか」
「ほらはやく」
えええ、俺がジャンケン負けたのに。大神に脅されて買って、あとから山田に絞め殺されるとかどんな展開だよ。さすがに「わかりました」とは言えない。「やっぱお金は」と財布からモゾモゾお札を取り出そうとすれば──。
「俺が小鳩を殺させない」
強く、どこまでも射貫いてしまうような瞳が向けられていた。
こういうとき、ヘラヘラ笑ってしまったほうがいいんだろうか。それはそれで怒られてしまいそうな気もするけど。
「し、信じるよ……?」
「……」
自然と大神を見上げる形で口にしたが、なぜか大神は俺を見たまま動かなくなった。
え、フリーズしてる?
「大神?」
はっとしたように、瞳に動きが戻った。
「黙らせるから信じろ」
「う、うっす」
その後、ボーリングは大盛況に終わった。なぜか大神と山田対決になり、完全に観客となった女の子たちが精一杯黄色い歓声をあげながら応援していた。主に大神を。そして山田は負けた。「俺に女神がいなかったせいだ」と肩を落としていたけど、俺から見れば十分に女神は周りにいたように思う。視線だけは大神だったというだけで。
「今日だけってやっぱり寂しいし、また会おうよ」
「いや今日限りって話っすね」
出た、塩対応。
帰り際、さっさと帰ろうとする大神を、女の子のひとりが引き留めた。やたらと大神の隣を死守しているような子だったから、どこかで行動に移すんじゃないかと思っていたけど、最後の最後に賭けていたらしい。
そして大神はすぐに距離を取ろうとする。敬語を使うことで明確に線引きをすることはよく使われる手法だけど、同じ高校ではない人からするとあまり気にしないのかもしれない。
「じゃあ彼女にしてよ。別に本命じゃなくてもいいからさ」
だってほら、本命じゃなくていいなんて言い出すんだから。
高次元だ。どんな世界だ。
白井と八雲はどうやら一つ上の階にあるカラオケで盛り上がっているらしい。一時間前に「故郷に帰って来い」というメッセージがスマホに届いていた。ちょうどそのときは、大神と自販機の前でああだこうだと話している時間だった。
結局、大神は女の子を最後まで突き放す形でボーリング場を後にした。
山田はその場にいた女の子全員、片っ端から連絡先を聞き、満足したように「また連絡するね」と大神のあとに続いていった。
ちなみに山田から金を請求されることなくて安心した。
カラオケに行こうかと悩み、でもそんな気分でもないなと、同じく帰ることにした。
近くのバス停には大神がいた。家が近いから、必然的に使うバスも同じになるらしい。
だけど会話はなかった。大神は顔を上げることはなかったけど、俺に気付いていたと思う。だけど耳にイヤホンをしていたから、俺から話すということもできなかった。
五分待ったところでバスがやってくる。乗客は俺たち以外いない。いつも座るような席にお互いが座った。
俺の前に大神が座っている。俺たちの関係ってなんだろう。ボーリング場では会話があったのに、今は隣に座るようなほどではない。
大神がよくわからない。
俺のことをどう思ってるのか。友達だと思ってんのか。それとも──。
「……俺のこと、好きになってくんないかな」
そんなことがぽつりと出ていった。
まあ、聞こえるわけないけど。
「……え、今なんつった?」
髪が揺れて、大神が振り返った。
初めてだ、大神が振り返ったのは。
うわ、すっげえ綺麗な顔。夕日か?
シルバーのピアスが輝く。それから気づく。今、なんつった?
過ぎていった記憶を巻き戻す。
「あ、いや、ちが……うってわけでもないっていうか。え、なに今の。ごめんきもい発言撤回したいです、忘れてくださいほんと、消えますんで」
「ちょ、撤回すんなって」
なんでか、大神が焦ったみたいな顔してる。
クラスメイトにこんなこと言われて、意味わからんよな。一軍さまに何言ってたんだ。
そもそも好きとかどうとかって、今まで考えたことなんてなかっただろ。それなのに、俺は今、大神にすげえことを言ったことになる。
「それ、俺のこと好きって言ってんの?」
この位置からなら、ずっと後ろ姿を見ていくものだと思っていた。その大神が振り返って俺を見ているんだ。
「……言ってたりする、ごめん」
「いや、なんで謝るんだよ」
「なんでって……男がなに言ってんだってやつで、しかも大神相手にこんなこと」
どう考えてもレッドカード。即退場。次のバス停ですぐ降りよう。家から少し距離あるけど。つうかバス通学やめたほうがいいよな。チャリで? パンクしてんだよな。自転車屋まで持って行かねえと。
「じゃあ、そういうことで」
「…………え?」
大神はそのまま前を向いてしまった。
なんか、言われたよな?
拒絶ではなかったことは確かだ。
なんだ、そういうことでって。
俺が大神を好きだってことを、認めてもらったって感じ?
だから……どうなったんだ?
大神って告白されたとき、どうしてたっけ。
なんかあれだよな、すっげえ毒づいてたよな。敬語使うし。さっきもそうだったし。
それが行使されなかったってことは、受け入れてもらったやつってことか?
いやあ、ないだろ、ない。だって大神だぞ、トップオブトップだぞ。どんだけいいように解釈してんだ。
大神は振り返らなかった。言葉を付け足すわけでもなく、ただ反応だけして、フェードアウトしていった。
翌日、俺はまたしても教室で大神ばかりを追いかけていた。
大神の真意が分からなくて、そこでぐるぐる悩んで、でも自分ではどうにもならないところをひたすら考えているだけ。
「開口一番にそれかよ。姫が言うもんじゃねえよ」
白井はスマホから顔を上げて、げんなりした顔で言った。
俺に姫を投影するのはやめていただきたい。今更言えるものでもないけど。
「なんていうか、人肌が恋しい季節に入ってきてんじゃん」
「まあ秋だからな」
「俺もだれかに温めてもらったら、いろいろ解決するのかなと」
「んじゃ、手っ取り早く女作るしかないだろうよ」
女。
言われてみれば、最近は大神との関わりが増えている。
だから余計に大神のことばかり考えてしまうのだろうか。
女の子と関われば、大神への気持ちもスッキリする……?
「でも、女の子との接点はないしなあ」
「合コンでもやったら解決だべ」
「うわ、未知なる世界……!」
「まあ姫にはずっと女を知らずに姫でいてほしいけどな」
「さすがにそれは自分の人生としてどうなんだろう」
正直、姫とかどうって今だけなんだろうし。これから社会に出たら「姫」なんてまずは呼ばれなくなるだろう……と期待はしたい。
「とりあえず、近いうちにセッティングしとくわ」
「え、白井って合コン開催できるほど女の子と関係あったっけ?」
「あるよ。ちょくちょく合コンしてるし」
「そうなの!?」
知らなかった。俺と同じように、ただ男しかいないような場所で生息しているのかと。
思えばここは共学だけど、白井はちょくちょく女の子と話していた。
「あ、嫉妬すんなよ~俺は姫一筋だから」
「そのノリいいって」
「そうなの? なんだ、求めてんのかと思ったのに」
へいへいと言いながら、すぐにスマホをシュバババッと操作している。
「……もしかして、もう合コンのセッティング始めてるとか?」
「え、もう決まってるけど。ちなみに明日な」
「明日!?」
「はあ、ついに姫も彼女か~」
いくらなんでも行動力の鬼だ。こんなに早く決まるなんて。
「おい、大神ってば聞いてんのかよ」
少し離れたところから大神の名前が聞こえて、自然と反応してしまった。
今日も今日とて大神は人に囲まれている。一軍さまにはどうして、華があるような人間ばかりが集まるんだろうか。自分があそこにいるという想像ができやしない。
「よっしゃああああ、ガーター!」
「どこで喜んでんだ馬鹿」
ってことで開催されたボーリング合コンでは、白井がガーターを連続で出していた。
もはやストライクを取るというよりも、ここまできたからには全てガーターで終わらしてやろうという謎の気迫を感じる。それを俺と八雲が呆れて見ているが、白井が躍起になるのもわからなくもなかった。
「え、共学なんですか? いいなあ、私も女子高じゃなくて北原にすればよかった」
問題となっているのは、セッティングした女の子が全て隣のグループに持っていかれたということ。
そしてそのグループが大神率いる一軍さまだったってことだ。ちなみに花森さんと吉岡さんは不在だった。
最初こそは「初めましてえ」みたいな和やかな雰囲気で始まったというのに、そのあとで来た一軍さまが俺たちに気付いたことで合コン終了。
「俺らも混ぜてよ」なんて山田が切り出し、そうかと思えば自分たちのテーブルに女の子を回収していった。
ここにいるのは俺と白井と八雲という安定のいつメンだ。
おかしいな、今日は俺が女の子と楽しく過ごすはずだったのに。
でも、どこかでほっとしている自分もいた。
女の子たちを前にしたとき、なんか、違うって漠然と思った。
この先、ここにいる人たちと恋愛をしていくイメージがまずつかなくて、しかも、そうなりたいとも思わなかった。だから大神たちが現れてくれたことは俺にとってよかったかもしれない。
「大神くんってボーリング得意なんですか~?」
「やったことないんで」
一軍さまの中でも、女の子たちの視線は大神に集中していた。
やたらと大神から離れていこうとしない。そこに山田が「ちょいちょい俺も~」なんて割って入ろうとする。そのメンタルは心底見習いたいものだ。山田、すげえな。
しかし、大神がボーリングをやったことがないというのは嘘だろう。
この前のマドンナ先輩といい、カラオケとボーリングは大神ぐらいになれば常連になっていてもおかしくはない。
「ああああ、くっそ。一本ピンが倒れた」
そしてこちらでは永遠に白井のターンになっている。そしてピンを倒したことを嘆いている。普通は喜ぶところだろう。
「はあ、姫~慰めてくれよ~」
「はいはい、おつかれ」
「雑っ!」
隣ではキャッキャッと盛り上がり、こっちでは男同士で葬式ムード。
こうなるはずではなかったけどしょうがないんだろうな。
「よっ、大神ファイト」
山田の声で隣のレーンを見ると、ちょうど大神がボーリングの球を構えていた。
おお、てっきりやらないと思っていた。
もしここでガーターとか出したら、さすがの女の子も大神に引くんだろうか。
パコーンと小気味良い音が聞こえたとともに、綺麗に並んでいたボーリングのピンもひとつも残っていない。つまり全部倒したということで。
「ストライクかい!」
白井が悔しそうに呟いた。
「……ボーリングまで上手いんかい」
俺も俺で呟いてしまいたくなる。
あんなにも恵まれた顔を持ちながら、ボーリングまで上手ければ女の子がより一層大神から離れなくなる。それはそれで悲しい。でも、悲しいってなんで?
俺は女の子と関わらなくてもいいことにほっとしたはずだった。
だから別に、悲しいというわけでもないはずなのに、この消化しきれない気持ちはどう解いていけばいいのだろう。
それにしても、大神が球を投げるまでの光景が目に焼き付いている。
血管が出た手の甲、肩甲骨のライン、Eライン最強の横顔。なんか、どこをとっても完璧という言葉だけで片付いてしまう。
「はいはい! ジュースじゃんけんやりまーす!」
大神にかっこいいところを奪われていく反動か、山田の声がスタート時よりかなり大きくなっていた。そしてそのじゃんけんに、なぜか俺たちのグループまで巻き込まれた。さっきまでのけ者にされていたというのに。都合のいいとき使われるが、それも宿命だ。一軍さまに見つかってしまったら、それは静かに受け入れることが一番だ。
「ここは男だけでやるわ」
そして、どこまでかっこつけたいのか、女の子たちの参加を認めなかった山田。
このときばかりは「山田くん最高」ともてはやされていた。そして山田はちょろかった。「まあ俺だし?」などと顔を破顔させていたが、山田も山田で顔はいいほうだから事故になるわけでもない。俺なんかがあんな顔で同じセリフを口にしていたら場はとっくに乾いた笑みに包まれていただろう。
「大神も参加だからな」
山田が大神の肩を強引に組むと「うぜー」と悪態をついた。
「勝手にやってろよ」
「そうもいかねえよ。俺のかっこいい場面、今んとこゼロだから」
「どこで回収しようとしてんだ」
それは俺も大神に同感だ。じゃんけんに買っても負けても、別に「かっこいい」とはならないだろう。
「いいんだよ、細かいことは。ほれ、小鳩も」
「え?」
なぜ俺の名前だけ?
なんて思っていたら、いつの間にか白井と八雲がいなくなっていた。おのれ、逃げたな。
そうこうしているうちにも「じゃんけーん」と山田が声を高らかに上げ、咄嗟にチョキを出した。
山田と大神はグーだった。
「ま、負けた……」
「はい、小鳩くんのおごりね〜」
いえーいと山田が女の子たちとハイタッチしている。まあ、こうなることは大体予想できていたけど。白井と八雲がいない今、ここで一人残ることになっても、それはそれで苦痛だったからまだよかったと思うか。
「じゃあ、買ってくるよ。飲みたいものは……?」
それぞれの希望を聞き出し、忘れないようにスマホにメモで残していく。
あとは大神だけ、という状態になったとき、
「俺も行くわ」
すっと大神が立ち上がった。
「え? いや、大神くんは座ってていいよ。俺が負けたんだし」
「人に飲み物把握されんのきらいだから」
どんなんじゃい。悪用せんよ。
と喉の奥まで出かかっていたが、かと言ってさすがにツッコめるわけもなく「そうなんだ」となんとか笑みを浮かべることには成功した。
「えええ、大神くん行っちゃうの~?」
残念そうな声が聞こえてくるが「俺がいるじゃん~」と山田がすかさず大神ポジションへと座った。しばらく女の子たちを独占できるからか、かなり嬉しそうな顔をしていた。
「行くぞ」
「え、あ、うん」
さっさと行ってしまう背中をなんとか追いかける。
「あ、あのさ……大神ってボーリングもできちゃうんだな」
会話の糸口を探していると、必然的に大神を褒めることしか思い浮かばない。
こんなことも言われても喜ぶような人間ではないんだろうなと思っていたら、案の定「遊んでたらできるもんでしょ」と無愛想な返事。あれ、この前は俺たちって居残りしてたよなと記憶が不確かなものに変わっていく。居残りといっても、大神は俺の補習に手伝ってくれただけで、あくまで善意によって成り立っていた時間だった。
それでも、妙に色っぽいことを言われたような気がしなくもない。
『小鳩がいるから』
それはいまだに真意を尋ねることもできず、心の中をうようよと彷徨い続けている。
大神との関係性も劇的に変わることもなく、やはり一軍さまには見えない壁があり、その向こうに大神がいる気がしてならない。
それでもよかった。無視されないだけいい。
ただし、大神は掴めないけど。
「俺もボーリングによく来るけど、上達しないよ」
「ホーム悪いからそれ直したら?」
ぽん、と言われたそれに理解ができなかった。
「え……ホームって、俺が投げるときを見ててくれたの?」
「隣だから見えるもんじゃない? なんでそんな意外そうなん」
「いや、少なくとも俺のことは見てないかなって」
というよりも、俺の行動を見ていた人間なんていたのだろうか。
白井と八雲でさえ、自分のターンじゃないときは恨めしそうに隣のテーブルを見ていた。
「見るよ。さすがに両手投げはレアだったけど」
「……いや、そのつもりはなかったんだよ」
ましてかっこ悪いところを目撃されていたのか。
両手投げなどという可愛らしいものを披露したかったわけではなかった。ただいろいろな不運が重なったきっかけの成れの果てが両手だったというだけだ。
「いいんじゃない、小鳩には小鳩の投げ方があって」
「頼むからそのテンションでマジレスしないで」
はたからすれば、俺が両手で投げる人みたいになってるじゃん。いや、両手投げいいと思う。決して差別用語として捉えているわけではない。ただ、俺の場合は姫呼びという特殊な背景があるからこそ、あらぬ誤解が浸透していくのではないかという不安が──。
「っいた」
こん、と額を小突かれたのは、面倒な思考で埋め尽くされていたときだった。
「なんか一人劇場してるような顔だったけど」
「……なんでわかるんだ」
「あ、本当だったんだ」
「しょうがないだろ。大神を前にするといろいろ考えることが増えるっていうか」
「俺?」
首を傾げたその顔が、二、三歩と俺に歩み寄った。
「具体的にどういうことを考えていたのか聞きたい所存」
「……ち、近い」
「気になること言うから」
さすがに男の俺でも、この近距離は耐えられそうにない。ぐん、と顔を後ろに引いた。すげ、人間ってこんな動きできるんだ。
「あ、呼ばれてるわ」
大神が俺の後ろを見て言った。その先にはおそらく山田がいるのだろう。
「早くしろだって」
「う、うん……一刻も早くそうしよう」
ああ、だめだ。なんで大神を前にすると、俺っておかしくなるんだ。
遠くなかったはずの自販機が、果てしなく長いように思えて、たどり着いたときにはほっと一安心したほどだった。
大神が自販機の前に立つ。ただ飲み物を選んでいるだけの横顔が妙に惹きつけられる。パコーンっとピンが豪快に倒れた音が聞こえてくる。賑やかしいこの場所で、大神の周りだけ静謐な時間が流れているように思える。
……いい匂い。どこの香水使ってんだろ。なんか持っていかれそうなやつ。
「……なに」
「!?」
気づけば大神との距離が近かったパートツー。
バカじゃん俺! いい匂い〜とかで吸い寄せられてんじゃねえぞ。
引かれたよな? 最悪だ。大神もさすがにそっぽを向いてしまった。
「ご、ごめん。あの、なんか香水使ってんのかなって」
「使ってないけど」
「使ってないの!?」
え、じゃあ素でその匂いってこと?
フローラルも自然に発酵できちゃう系なん?
「……小鳩って人との距離感どうなってんの」
「きもいよな、自分でも反省してる」
「そうじゃなくて、八雲たちともよく絡んでんじゃん」
絡んでる……というのだろうか。確かに抱きつかれることはある。それが通常モードになってしまっているだけで。
「あんま、そういうの見せられると困るんだけど」
「男同士だからきもすぎて? うわあ、ごめん。八雲は別に普通っていうか、確かに距離感バグってはいると思うけど根はいいやつだから」
「そういうこと言ってない」
違ったらしい。ということは俺に問題があるということなのか?
大神がお金を自販機に入れた。
「あとで山田に請求しとくから選んで」
「え、いやさすがにそれは俺が殺されるっていうか」
「ほらはやく」
えええ、俺がジャンケン負けたのに。大神に脅されて買って、あとから山田に絞め殺されるとかどんな展開だよ。さすがに「わかりました」とは言えない。「やっぱお金は」と財布からモゾモゾお札を取り出そうとすれば──。
「俺が小鳩を殺させない」
強く、どこまでも射貫いてしまうような瞳が向けられていた。
こういうとき、ヘラヘラ笑ってしまったほうがいいんだろうか。それはそれで怒られてしまいそうな気もするけど。
「し、信じるよ……?」
「……」
自然と大神を見上げる形で口にしたが、なぜか大神は俺を見たまま動かなくなった。
え、フリーズしてる?
「大神?」
はっとしたように、瞳に動きが戻った。
「黙らせるから信じろ」
「う、うっす」
その後、ボーリングは大盛況に終わった。なぜか大神と山田対決になり、完全に観客となった女の子たちが精一杯黄色い歓声をあげながら応援していた。主に大神を。そして山田は負けた。「俺に女神がいなかったせいだ」と肩を落としていたけど、俺から見れば十分に女神は周りにいたように思う。視線だけは大神だったというだけで。
「今日だけってやっぱり寂しいし、また会おうよ」
「いや今日限りって話っすね」
出た、塩対応。
帰り際、さっさと帰ろうとする大神を、女の子のひとりが引き留めた。やたらと大神の隣を死守しているような子だったから、どこかで行動に移すんじゃないかと思っていたけど、最後の最後に賭けていたらしい。
そして大神はすぐに距離を取ろうとする。敬語を使うことで明確に線引きをすることはよく使われる手法だけど、同じ高校ではない人からするとあまり気にしないのかもしれない。
「じゃあ彼女にしてよ。別に本命じゃなくてもいいからさ」
だってほら、本命じゃなくていいなんて言い出すんだから。
高次元だ。どんな世界だ。
白井と八雲はどうやら一つ上の階にあるカラオケで盛り上がっているらしい。一時間前に「故郷に帰って来い」というメッセージがスマホに届いていた。ちょうどそのときは、大神と自販機の前でああだこうだと話している時間だった。
結局、大神は女の子を最後まで突き放す形でボーリング場を後にした。
山田はその場にいた女の子全員、片っ端から連絡先を聞き、満足したように「また連絡するね」と大神のあとに続いていった。
ちなみに山田から金を請求されることなくて安心した。
カラオケに行こうかと悩み、でもそんな気分でもないなと、同じく帰ることにした。
近くのバス停には大神がいた。家が近いから、必然的に使うバスも同じになるらしい。
だけど会話はなかった。大神は顔を上げることはなかったけど、俺に気付いていたと思う。だけど耳にイヤホンをしていたから、俺から話すということもできなかった。
五分待ったところでバスがやってくる。乗客は俺たち以外いない。いつも座るような席にお互いが座った。
俺の前に大神が座っている。俺たちの関係ってなんだろう。ボーリング場では会話があったのに、今は隣に座るようなほどではない。
大神がよくわからない。
俺のことをどう思ってるのか。友達だと思ってんのか。それとも──。
「……俺のこと、好きになってくんないかな」
そんなことがぽつりと出ていった。
まあ、聞こえるわけないけど。
「……え、今なんつった?」
髪が揺れて、大神が振り返った。
初めてだ、大神が振り返ったのは。
うわ、すっげえ綺麗な顔。夕日か?
シルバーのピアスが輝く。それから気づく。今、なんつった?
過ぎていった記憶を巻き戻す。
「あ、いや、ちが……うってわけでもないっていうか。え、なに今の。ごめんきもい発言撤回したいです、忘れてくださいほんと、消えますんで」
「ちょ、撤回すんなって」
なんでか、大神が焦ったみたいな顔してる。
クラスメイトにこんなこと言われて、意味わからんよな。一軍さまに何言ってたんだ。
そもそも好きとかどうとかって、今まで考えたことなんてなかっただろ。それなのに、俺は今、大神にすげえことを言ったことになる。
「それ、俺のこと好きって言ってんの?」
この位置からなら、ずっと後ろ姿を見ていくものだと思っていた。その大神が振り返って俺を見ているんだ。
「……言ってたりする、ごめん」
「いや、なんで謝るんだよ」
「なんでって……男がなに言ってんだってやつで、しかも大神相手にこんなこと」
どう考えてもレッドカード。即退場。次のバス停ですぐ降りよう。家から少し距離あるけど。つうかバス通学やめたほうがいいよな。チャリで? パンクしてんだよな。自転車屋まで持って行かねえと。
「じゃあ、そういうことで」
「…………え?」
大神はそのまま前を向いてしまった。
なんか、言われたよな?
拒絶ではなかったことは確かだ。
なんだ、そういうことでって。
俺が大神を好きだってことを、認めてもらったって感じ?
だから……どうなったんだ?
大神って告白されたとき、どうしてたっけ。
なんかあれだよな、すっげえ毒づいてたよな。敬語使うし。さっきもそうだったし。
それが行使されなかったってことは、受け入れてもらったやつってことか?
いやあ、ないだろ、ない。だって大神だぞ、トップオブトップだぞ。どんだけいいように解釈してんだ。
大神は振り返らなかった。言葉を付け足すわけでもなく、ただ反応だけして、フェードアウトしていった。