「幸生、鉄郎」
廊下から自分たちを呼ぶ声がし、目を向けると背の高い男子生徒が不機嫌そうな顔を隠そうともせず、そこに立っていた。
  御子柴太雅(みこしばたいが)。幸生と同じクラスで、テニス部のエースだ。
 お世辞にも愛想は良いとは言えず、切れ長の目はいつも人を睨んでいるようで目つきが悪かった。テニスの時はいつもキャップを目深に被っているが、今は黒い短髪と鋭い目は露わになっている。

「今日の部活、監督来れなくて中止」
 あからさまに不機嫌な声を漏らし、太雅はそう告げた。
「マジかー」
「伝えに来てくれてありがとう、太雅」
 幸生は笑みを浮かべると太雅に言った。
「……」
 太雅は表情を変える事なく、幸生の言葉にそっぽを向け教室に入る事なく行ってしまった。
「相変わらず愛想も何もねえな、あいつ」
 既に太雅がいない廊下に目を向けたまま、鉄郎はそう溢した。
「感情表現が苦手なんだろ」
 そう言ったものの、幸生も太雅が苦手だった。寡黙でいつも無愛想。感情を露わにする事はまずなく、いつも冷めた目をしていた。その冷めた目が幸生は怖く感じる事もあった。時折、太雅にじっと見つめられているような感覚があり目が合うと逸らされる。あの目で見つめられると全てを見透かされたように気分になり、落ち着かなくなるのだ。
「幸生、今日コート取れたらナイターしようぜ」
「うん、後で電話してみるね」
 そう言うと鉄郎はニカッと人なつこい笑みを幸生に向けた。
 その笑顔が見られるのであれば、許される限り鉄郎の側にいたい。それがずっと《友達》というかポジションであっても。

 その日もいつも通り、幸生は部活に励んだ。
 鉄郎は最近、片思い中の相手である美羽美羽と一緒に下校する為に、部活を休みがちになっていた。
 いつもなら隣には鉄郎がいるのに、今は美羽と一緒にいるのかと思うと胸がチリチリと痛んだ。

 部活が終わり、校門を出たところでウェアを部室に置いてきてしまった事に気付いた。踵を返し部室に戻るとまだ誰か残っているのか、運良く部室の鍵は開いており中に入ったが人の姿はなく、ロッカーを開けウェアを手に取るとテニスバッグに詰め込んだ。
 隣の鉄郎のロッカーを見ると隙間からテニスウェアが見え、開けると鉄郎のテニスウェアがハンガーにかかっていた。
 それは、幸生とお揃いで買った青いテニスウェア。鉄郎のウェアをそっと手に取ると、思わずぎゅっと抱きしめていた。
 取り残されたお揃いのウェアを見た瞬間、どうしようもなく切なくなり涙がポロポロと溢れた。ウェアに顔を埋め、声を押し殺して泣いた。
 (鉄郎……)

 不意に部室の扉が開いた。
 ハッとして幸生は顔を上げると汗だくの太雅が立っており、太雅は幸生のその姿に珍しくギョッとしたような顔を浮かべていた。
 幸生は慌てて鉄郎のウェアから顔を上げると、誤魔化すように手の甲で涙を拭った。
「お、お疲れ……走ってきたの? 頑張るね」
「ああ、今月は試合多いから」
 太雅はいつもの無表情に戻ると、汗だくのTシャツを脱いだ。がっちりとした逞しい上半身が露わになる。
「そっか……鍵はお願いしても大丈夫?」
「ああ、鍵預かってるから」
 太雅は制服のシャツを素肌の上から羽織っている。
「じゃ、帰るね。お疲れ様」
 そう幸生が言うと、
「お疲れ」
 そうぶっきらぼうに返事を返された。
 終始、幸生は太雅に目を向けることはなかった。

 太雅からその事について触れられる事はなかった。元々無口な男だ。自分から何か話そうとは思わないだろう。
 (でも、きっと鉄郎が好きな事はバレた……)
 そう思うと気が重かったが、見られたのが太雅で寧ろ良かったと思う事にした。

 それからの鉄郎は、昼休みになると二年になりクラスが離れてしまった美羽の所にあくせく通い、元々人付き合いが苦手な幸生は一人での昼食を余儀なくされた。
 鉄郎の隣にいられない悲しさ。隣で好きな子の話をしていても、あの笑顔が見られるのならばと聞きたくもない話にも耐えてきた。だが、それすら叶わなくなりそうだった。
 おそらく二人が付き合うのは時間の問題だと感じた。