さて、やっと幸奈と休日が重なった美晴だが、その前日は沙都子の店に飲みに行けなかった。二人とも仕事のあがりが遅かったからだ。
じゃあ休日の夕方から行くかと思ったら、沙都子の方も店休日だという。ならば昼間に三人で何か食べよう、ということになりぞろぞろ出かけた。ほぼ初対面の美晴と沙都子だが、間に幸奈がいてくれれば何の問題もない。
「へえ、ユッキーさんとシーナさん、十年ぶりの再会ッスか。すごい偶然ッス」
「だよねえ」
「でも、ひと目でわかって笑ったよ」
女三人、話すことは尽きない。目的の店を決めずに歩くのも楽しいものだ。だが平日のランチを出してもらえる時間に行った方がオトクだと言われ、何を食べるか相談する。そこはやはり料理人の沙都子が詳しかった。
「中華街はガチ中華と観光客向け中華があるんで気をつけるッス。元町と山下と石川町ならヨーロッパ系いろいろあるッスね。アメリカンダイナーは夜の方が雰囲気あるッス。あと南インド料理は、よくあるインドネパール系とはちょい違うッス」
「お、おう……」
ズラーッと言われてびっくりしたが、もちろん和食も蕎麦屋に寿司屋、各種あるという。沖縄料理屋も何故か多いとか。
「選択肢がありすぎるのも困るね……今、沙都ちゃんの気になってる店はどこ?」
幸奈にならって美晴も「沙都ちゃん」呼びをさせてもらうことにした。沙都子はうーん、と考え込む。
「……ちょいガチな東北料理なんスけど」
「東北?」
それは日本の東北地方じゃなく、中国東北部のことだそうだ。漢人の地域ではなく、遊牧民の文化が色濃い。
「羊とか、クミンとか、匂いきつめなんで好みが別れるとこッス」
「いや、いいんじゃない。私そういうの知らないから教えてもらえるなら嬉しいよ」
美晴と幸奈の賛同を得て、沙都子の気になる店に連れて行ってもらうことになった。
元町を横切り、朱雀門から中華街へ。そのまま突っ切って中華街の向こう端まで行ったところにその店はあった。
けして広くない店内だが昼の混雑は一段落していて、なんとか三人で座れた。ランチメニューを示し、沙都子がごくりとつばを呑む。
「見るッス。この一人鍋」
「うわ美味しそう、しかも千円でおつりが!」
「お客さんに聞いて気になってたんス……付きあわせて申し訳ないッス」
「いやいや、これは気になるよ」
チラリと隣のテーブルを見ると、小さな銅鍋から湯気が立っていてそそられる。本日の鍋は三種類だったので、全部注文して分けあうことにした。
待っている間に話していて判明したのだが、沙都子は横浜の地元民らしい。親が祖父母のいる故郷に戻ってしまったのでアパート暮らしなのだとか。美晴と幸奈も神奈川県内育ちだが、西部ののんびりした町の出だ。
「百段ってのは、駅への階段のことじゃないんスよ」
美晴が慣れない階段で苦労していると言ったら、地元育ちならではの話が飛び出した。
元町百段。それはアパートが建つ場所の近くに昔あった神社への参道だそうだ。今はもうない。
幕末に開かれた横浜の港。築かれた居留地。そこを見晴らす丘の上の神社と、下の元町とを結ぶ真っ直ぐで急な石段だったとか。
「すごいね。そんなのあったら人気が出るだろうに、なんでなくなっちゃったの?」
「関東大震災ッス」
「あ……」
いきなり歴史的事実が出てきて絶句する。
そうか、横浜や東京はすごい被害を受けたのだと授業でやったけど、実感したことなどなかった。そんな頃に崩れ落ちた場所のことが語り継がれ、建物の名前になっているんだな。
「歴史ある街なんだね……」
「そんなことないッス。幕末までは漁村だった場所なんで、長崎パイセンとか神戸パイセンには太刀打ちできないッスよ」
「違いない」
店の中なので声をおさえてクスクス笑った。
そこに鍋が運ばれてくる。羊団子のトマト鍋、白身魚の辛味鍋、豚肉と漬け白菜鍋の三つだ。
「ぜんぶ違う感じ……」
「そッスね。まろやか、辛い、酸っぱいと系統別れてて飽きさせないッス」
「さっすが沙都ちゃん、食べる前からわかるんだ」
小さなお椀を手に、それぞれ気になるものからいってみた。どれも野菜たっぷり、なのに肉魚もゴロゴロしている。
トマト鍋を口にして、美晴はきょとんとした。
「え、え。中華なの? 洋風のスープって言っても信じちゃう」
濃厚な旨味とトロみがあるが、コンソメにも通じる雰囲気だ。トマトのおかげで慣れた味に近いのかもしれない。でもたしかに肉団子は羊肉なのか、あまり食べたことのない匂いだった。不思議そうにしていると、幸奈もスープを一口飲む。
「ああ本当だ。遊牧民の文化はユーラシア大陸を横断してつながってるから、ギリシャ料理とかトルコ料理とかに近い感じかな?」
「そうかあ……」
「私、前にトルコ料理食べた時、普通においしくて拍子抜けしたことあるわ。もっと奇天烈なものが食べられるかと思ったのに」
「わかりにくい誉め言葉」
美晴と幸奈の無駄口をよそに、沙都子は真剣に味を分析している。漬け白菜の酸味が溶けたスープをじっくり口に含み、「発酵はあっさりめ……鶏ガラとネギ……鷹の爪……でも豚肉の旨味と香りも混然一体……」ふむふむ、とうなずいている。
「……ね、おもしろいでしょ」
「ああ、こういうこと」
幸奈にこそっとささやかれて納得した。沙都子はおもしろい子だよ、という発言の理由はこれか。リアルに美味しんぼ状態だ。
とても研究熱心で舌が敏感なんだな、と感心しながらも、美晴だって次の鍋にいく。
「あ、けっこう辛い。これはイメージ通りの中華かも」
豆板醤と花椒の効いた、唐辛子もたっぷり浮いたスープ。豆もやしとプリプリの白身魚が赤い汁に鮮やかだ。身崩れのしない魚だな、と思ったら「これはパンガシウスかもッス」と指摘された。川魚だが癖がなく、扱いやすいのだとか。
「さすが、本職と一緒に食べるとおもしろいね。中華のことまで勉強したいなんて偉いなあ」
「そんなもんスよ。シーナさんも、道々のエスニックな店を見て興奮してたじゃないッスか」
「え、そうだった?」
「まじッス。インドネシアの飾り彫りの説明してくれたッスけど、そういうの売ってるわけじゃないスよね」
「ぐあ……たしかに、やってたわ」
美晴の会社は基本シックで組み合わせやすいデザインの物を多く扱う。でもたまにバリ風のインテリアにしたいなんていうお客さまがいたりして、トータルでコーディネートすることもあるのだ。
大きな家具はシンプルにして、小物の組み合わせで雰囲気を出す。そうしておくと、飽きた時にガラリとテイストを変えられるから。
苦笑いした美晴の向かいで幸奈も肩をすくめて笑った。
「私も写真に映えそうな建物とか小物とか、常にチェックしてるね。そういうの職業病っていうか、たんに好きなんだろうな。ところでさ……ビール頼んでいい?」
「いこう!」
「うッス」
全員が即座に同意した。
平日の昼ビール。そして気の置けない女友だち。
なんだろう、この幸せは。
まだ半分残っている鍋を囲み乾杯しながら、美晴はこぼれる笑みを抑えられなかった。いや、抑える必要なんかどこにもない。
これからも横浜の食べ歩きが楽しみになってきた。
そして街に残された歴史と、素敵な建物をめぐってみるのもアリかもしれない。坂道で鍛えた健脚で長生きしてやるんだ。
おひとりさまで。それとも、女同士で!
〈了〉
じゃあ休日の夕方から行くかと思ったら、沙都子の方も店休日だという。ならば昼間に三人で何か食べよう、ということになりぞろぞろ出かけた。ほぼ初対面の美晴と沙都子だが、間に幸奈がいてくれれば何の問題もない。
「へえ、ユッキーさんとシーナさん、十年ぶりの再会ッスか。すごい偶然ッス」
「だよねえ」
「でも、ひと目でわかって笑ったよ」
女三人、話すことは尽きない。目的の店を決めずに歩くのも楽しいものだ。だが平日のランチを出してもらえる時間に行った方がオトクだと言われ、何を食べるか相談する。そこはやはり料理人の沙都子が詳しかった。
「中華街はガチ中華と観光客向け中華があるんで気をつけるッス。元町と山下と石川町ならヨーロッパ系いろいろあるッスね。アメリカンダイナーは夜の方が雰囲気あるッス。あと南インド料理は、よくあるインドネパール系とはちょい違うッス」
「お、おう……」
ズラーッと言われてびっくりしたが、もちろん和食も蕎麦屋に寿司屋、各種あるという。沖縄料理屋も何故か多いとか。
「選択肢がありすぎるのも困るね……今、沙都ちゃんの気になってる店はどこ?」
幸奈にならって美晴も「沙都ちゃん」呼びをさせてもらうことにした。沙都子はうーん、と考え込む。
「……ちょいガチな東北料理なんスけど」
「東北?」
それは日本の東北地方じゃなく、中国東北部のことだそうだ。漢人の地域ではなく、遊牧民の文化が色濃い。
「羊とか、クミンとか、匂いきつめなんで好みが別れるとこッス」
「いや、いいんじゃない。私そういうの知らないから教えてもらえるなら嬉しいよ」
美晴と幸奈の賛同を得て、沙都子の気になる店に連れて行ってもらうことになった。
元町を横切り、朱雀門から中華街へ。そのまま突っ切って中華街の向こう端まで行ったところにその店はあった。
けして広くない店内だが昼の混雑は一段落していて、なんとか三人で座れた。ランチメニューを示し、沙都子がごくりとつばを呑む。
「見るッス。この一人鍋」
「うわ美味しそう、しかも千円でおつりが!」
「お客さんに聞いて気になってたんス……付きあわせて申し訳ないッス」
「いやいや、これは気になるよ」
チラリと隣のテーブルを見ると、小さな銅鍋から湯気が立っていてそそられる。本日の鍋は三種類だったので、全部注文して分けあうことにした。
待っている間に話していて判明したのだが、沙都子は横浜の地元民らしい。親が祖父母のいる故郷に戻ってしまったのでアパート暮らしなのだとか。美晴と幸奈も神奈川県内育ちだが、西部ののんびりした町の出だ。
「百段ってのは、駅への階段のことじゃないんスよ」
美晴が慣れない階段で苦労していると言ったら、地元育ちならではの話が飛び出した。
元町百段。それはアパートが建つ場所の近くに昔あった神社への参道だそうだ。今はもうない。
幕末に開かれた横浜の港。築かれた居留地。そこを見晴らす丘の上の神社と、下の元町とを結ぶ真っ直ぐで急な石段だったとか。
「すごいね。そんなのあったら人気が出るだろうに、なんでなくなっちゃったの?」
「関東大震災ッス」
「あ……」
いきなり歴史的事実が出てきて絶句する。
そうか、横浜や東京はすごい被害を受けたのだと授業でやったけど、実感したことなどなかった。そんな頃に崩れ落ちた場所のことが語り継がれ、建物の名前になっているんだな。
「歴史ある街なんだね……」
「そんなことないッス。幕末までは漁村だった場所なんで、長崎パイセンとか神戸パイセンには太刀打ちできないッスよ」
「違いない」
店の中なので声をおさえてクスクス笑った。
そこに鍋が運ばれてくる。羊団子のトマト鍋、白身魚の辛味鍋、豚肉と漬け白菜鍋の三つだ。
「ぜんぶ違う感じ……」
「そッスね。まろやか、辛い、酸っぱいと系統別れてて飽きさせないッス」
「さっすが沙都ちゃん、食べる前からわかるんだ」
小さなお椀を手に、それぞれ気になるものからいってみた。どれも野菜たっぷり、なのに肉魚もゴロゴロしている。
トマト鍋を口にして、美晴はきょとんとした。
「え、え。中華なの? 洋風のスープって言っても信じちゃう」
濃厚な旨味とトロみがあるが、コンソメにも通じる雰囲気だ。トマトのおかげで慣れた味に近いのかもしれない。でもたしかに肉団子は羊肉なのか、あまり食べたことのない匂いだった。不思議そうにしていると、幸奈もスープを一口飲む。
「ああ本当だ。遊牧民の文化はユーラシア大陸を横断してつながってるから、ギリシャ料理とかトルコ料理とかに近い感じかな?」
「そうかあ……」
「私、前にトルコ料理食べた時、普通においしくて拍子抜けしたことあるわ。もっと奇天烈なものが食べられるかと思ったのに」
「わかりにくい誉め言葉」
美晴と幸奈の無駄口をよそに、沙都子は真剣に味を分析している。漬け白菜の酸味が溶けたスープをじっくり口に含み、「発酵はあっさりめ……鶏ガラとネギ……鷹の爪……でも豚肉の旨味と香りも混然一体……」ふむふむ、とうなずいている。
「……ね、おもしろいでしょ」
「ああ、こういうこと」
幸奈にこそっとささやかれて納得した。沙都子はおもしろい子だよ、という発言の理由はこれか。リアルに美味しんぼ状態だ。
とても研究熱心で舌が敏感なんだな、と感心しながらも、美晴だって次の鍋にいく。
「あ、けっこう辛い。これはイメージ通りの中華かも」
豆板醤と花椒の効いた、唐辛子もたっぷり浮いたスープ。豆もやしとプリプリの白身魚が赤い汁に鮮やかだ。身崩れのしない魚だな、と思ったら「これはパンガシウスかもッス」と指摘された。川魚だが癖がなく、扱いやすいのだとか。
「さすが、本職と一緒に食べるとおもしろいね。中華のことまで勉強したいなんて偉いなあ」
「そんなもんスよ。シーナさんも、道々のエスニックな店を見て興奮してたじゃないッスか」
「え、そうだった?」
「まじッス。インドネシアの飾り彫りの説明してくれたッスけど、そういうの売ってるわけじゃないスよね」
「ぐあ……たしかに、やってたわ」
美晴の会社は基本シックで組み合わせやすいデザインの物を多く扱う。でもたまにバリ風のインテリアにしたいなんていうお客さまがいたりして、トータルでコーディネートすることもあるのだ。
大きな家具はシンプルにして、小物の組み合わせで雰囲気を出す。そうしておくと、飽きた時にガラリとテイストを変えられるから。
苦笑いした美晴の向かいで幸奈も肩をすくめて笑った。
「私も写真に映えそうな建物とか小物とか、常にチェックしてるね。そういうの職業病っていうか、たんに好きなんだろうな。ところでさ……ビール頼んでいい?」
「いこう!」
「うッス」
全員が即座に同意した。
平日の昼ビール。そして気の置けない女友だち。
なんだろう、この幸せは。
まだ半分残っている鍋を囲み乾杯しながら、美晴はこぼれる笑みを抑えられなかった。いや、抑える必要なんかどこにもない。
これからも横浜の食べ歩きが楽しみになってきた。
そして街に残された歴史と、素敵な建物をめぐってみるのもアリかもしれない。坂道で鍛えた健脚で長生きしてやるんだ。
おひとりさまで。それとも、女同士で!
〈了〉