神様。オレの願いをかなえて下さい。
 とにかくモテたい!女の子にキャーキャーいわれたい!薔薇色の高校生活を送りたい!お願いしまっす!
 オレは中3の高校受験を控えた元旦、ふつうなら合格を祈願する立場だろうが、ただひたすら、これから迎える高校生活への希望を、強く念じた。
 町外れのこの神社は、一見地味でさびれているが「とにかくすっごく願い事がかなう」との噂で、パワースポットや神社巡りが趣味の姉ちゃんの一押しだ。姉ちゃんが初詣の場所として、ここを勧めてくれたのは受験の為だったと思うが、オレの切実な願いはこっちなんだからしょうがない。
 真剣に願掛けをして深くお辞儀をした。目を開けて隣を見ると、一緒に来た啓介はまだ目を閉じたまま、願掛けをしている。
「啓介、長すぎじゃね?何願ってんだよ」
「……もちろん合格祈願だよ」
 のんびりとした様子で答える。嫌味か。
 学校でトップ、全国模試で3位のお前が落ちるなら、軒並み中学浪人だらけだよ。
 オレのモテたい願望は、もとはと言えばこいつのせいだ。
 明るい性格で運動神経がが良く、見た目も悪くなかったオレは、子どもの頃クラスの中心人物だった。
 しかも上に姉、下に妹2人と弟1人の中で、自然と面倒見もよい性格に育っていたので、小3の6月に、おとなしそう……ってか暗そうで人見知りな森崎啓介《もりさきけいすけ》って転校生が来たときは、担任の浜野先生に頼まれる前から、クラスになじませてやろうと、自然に考えていたんだ。
 だがこれがなかなかうまく行かない。
「ドッジしようぜ」
「帰りに駄菓子屋で買い食いしねえ?」
 休み時間も帰りも、いろいろ誘ってみたが、啓介は伸びすぎた前髪から、ちょっとしか見えない目で見上げて、小声で「……やめとく」とだけ言う。
 やつの態度は、クラスのみんなの反感をかった。
「態度悪くない?せっかく誘ってあげてるのに」
「あいつおれ達のこと、バカにしてるんじゃないか?なんかうわさによると、前は私立の秀優小学校に通ってたらしいじゃん。うちのおかんが言ってたぜ」
「えー。あの大学まであるお坊ちゃん学校の?なんで庶民ばかりのうちの学校に転校してきたの?」
「親が会社つぶしたらしいぜ。大人の事情ってやつ?」
 こいつら何言ってんだ。それって森崎に関係ないだろ。オレはこういううっとーしいの嫌いなんだよ!
 女子も男子もわいわい騒ぐ中、オレは机をバン!と叩き宣言した。
「オレは森崎……いや、啓介と親友になってみせる!だからお前達はオレとペアで啓介を受け入れろ!」
 みんな呆気にとられている。
「まあ、野村《のむら》がそう言うんだったら、別にいいけど……」
「和希《かずき》君はリーダーだからね。任せるよ」
 渋々といった感じではあるが、とりあえずみんな納得してくれた。

 次の日からオレの猛アタック(?)が始まった。まずやつをオレに慣れさせなきゃ。
「啓介―!学校行こう!」
 朝は登校班を無視して、自宅に迎えに行く。
 休み時間は、女子のようにトイレも一緒に行く。
 昼は真横に机をくっつけて、一緒に給食を食べる。
 啓介の大好物がプリンと分かったので、オレのプリンを譲ってやった。本当はオレも大好物なんだけど、えーい!目的の為には我慢だ!
 帰りは、野球もサッカーも断り、啓介と一緒に帰る。
 一週間程続けると、今まで無視していた朝のお迎えのチャイムに、初めて啓介が反応した。
 寝ぼけた顔をしたまま、玄関のドアを開けてぼんやり突っ立っている。
「みっともねーな。顔洗って髪ぐらいとかせよ。母ちゃんに言われないのか?」
「……言われない。父さんも母さんも、朝早くから家を出て、遅くなるまで帰ってこないから」
 オレは啓介の親が、会社をつぶしたといううわさを思い出した。
「……とにかく顔洗ってこい。人として最低限の身だしなみだぞ」
「……お前、うっとうしい」
 ボソッと啓介がつぶやく。オレはムッとして、ドアを乱暴に開けると、玄関先に荷物も投げて上がりこんだ。
「あのなあ!その言い方はないだろう」
 大声で怒鳴ったが、啓介の目はオレの投げ出した荷物をじっと見ている、
 よく見ると、学校帰りに行くスイミングスクール用のバッグを見つめている。
「……泳げるの?」
「ん?ああ、オレ泳ぐの得意なんだ。こないだのスクールの大会では、小三の中で自由形1位だったんだぜ」
 小さなスクールなので、5人中1位なんだけどな、という心の声は飲み込む。
「なんだ。啓介。お前も水泳好きなの?」
 啓介はふるふると、首を横にふる。
「……違う。怖いんだ。顔を水につけるのが。だから顔を洗うのも、好きじゃない……」
「何だ。泳げないのか。ならいいじゃん。オレが教えてやるよ。すぐ泳げるようになるよ」
「無理だよ。父さんだって、僕の臆病さに呆れて、見捨てられたし」
「大丈夫!オレは見捨てない。お前が泳げるようになるまで、練習に付き合う」
 啓介は、オレをじっと見ると、動きを止めたまま、立ちすくんでいた。
「まず顔洗おうぜ。オレ横にいるから。そしたら怖くないだろ」
「……ん」
 小さくうなづいて洗面所に向かう啓介の後をついていく。
「おい、顔を洗うんだろ?顔に水を塗りたくるんじゃなくて」
 極力少量の水しか使おうとしない、啓介の顔をのぞきこんで、今度はオレの動きが止まってしまった。
「何?」
 タオルで顔を拭きながら、啓介が不思議そうに聞いてくる。
「……お前、なんだよ。すっごいカッコいいんじゃん!姉ちゃんの好きなドラマの俳優に似てる。何で髪そんなに伸ばして、顔隠しちゃうんだよ!」
「髪の毛は、父さんも母さんも、伸びすぎていることに気づいてくれないから。自分じゃ切ることもできないし。別に自分のことカッコいいなんて、思わないよ」
 髪をかきあげ、顔がよく見える状態で、啓介は言う。
 整えたようにきれいな眉。でも女の子っぽいわけではなく、ある程度の太さがあり、きりっとした印象だ。高さはあるのに、小鼻は小さい。奥二重の目は、涼しげで黒目が印象的だ。これがカッコよくなかったら、なんだっつーんだよ!
「野村こそ可愛すぎるんじゃない?僕はじめびっくりしたもん。この女の子、こんなに可愛いのに、なんて口が悪いんだろうって……」
 次の瞬間、おれは啓介をグーで殴っていた。
 いけない。おびやかさないよう、野生動物を手なづけるように、扱いには気をつけていたのに。
「やべ。鼻血出てる。悪い。もう一回顔洗え」
 啓介の鼻に、ティッシュをつめながら、思わず言い訳をしてしまう。
「でも、お前も悪いんだぞ?オレは女みたいって言われるのが、大嫌いなんだから」
「うん。今のパンチでよくわかったよ。野村は男子だ」
「和希でいいよ」
 オレの言葉に、啓介はゆっくりと微笑んだ。
 鼻にティッシュをつめた、間抜け面だったが、おれは初めてやつの笑顔を見れたことに嬉しくなった。
 
 それからは、啓介はだんだんオレの誘いに、応じるようになった。
 クラスの代表みたいなオレを、啓介が受け入れたからか、クラスの男子も、徐々に友好的な態度をとるようになってきた。
 放課後のドッジボールも、買い食いも一緒に参加するようになった。
「啓介ドッジうまいじゃん。てっきり下手だから、嫌がってんのかと思ったよ」
 啓介は言いにくそうに答える。
「笑わないでよ。実はドッジって言われた時、何のことだか分からなかったんだ」
 何だ。それ?
「前の学校では、言葉は縮めないで正しく使いましょうって言われていたから。ドッジボールを縮めて、ドッジなんて言わなかったんだ。駄菓子屋っていうのも、住んでいた所の近くにはなかったから、知らなくて。コンビニで買い食いならしてたんだけど」
 オレは盛大にふきだした。何だよ。感じわりーって思ってたら、そんな理由だったのかよ。さすがお坊ちゃん学校通っていただけのことはあるよな。
「笑わないでって言ったじゃん」
 顔を赤くして責める啓介の前で、息が苦しくなっても、オレは笑いが止められなかった。

 男子に比べて、まだ啓介を遠巻きにしていた女子の態度が一転したのは、次の週に啓介が髪型を変えて、登校した時からだ。
「お前、目の前がそんなに髪かぶさっていると、うざくねえか?」
 日曜日、オレの家に遊びに来て、漫画を読みふけっている啓介に聞いてみる。
「うっとうしいけど、自分じゃ切れないし、美容院へ行くお金もないから」
「お前、床屋じゃなくて、美容院へ行っていたのか」
「母さんのお気に入りの美容師がいる店に、一緒に連れて行かれていたんだ」
「あっ、それだったら、うちの姉ちゃんに切ってもらえばいいじゃん。うちの姉ちゃんは中一なんだけど、将来美容師になりたいって言って、よく練習したがっているんだよ。手先器用だから、けっこううまいよ?」
 オレの髪だってホレ、と見せてやると、おずおずと手を伸ばして髪に触れてきた。
「素人がやったにしちゃ悪くないだろ?」
「うん。やわらかくて、さらさらしていて気持ちがいい」
「お前、何言ってんだよ。そりゃ髪質で、髪型じゃねーだろ」
 あ、そうかとつぶやくと、啓介は少し赤くなった。
「でもお姉さんにやってもらうの、迷惑じゃない?」
「大丈夫大丈夫。姉ちゃんは、人の髪が切りたくて、もういつでも実験台を求めてんだから」
 実験台と聞いて、顔をひきつらせた啓介の手を引きずって「おーい。姉ちゃん。こいつの頭カッコよくしてよー」と隣の部屋をノックした。

 髪が短くなり、顔がはっきり見えるようになった啓介を見た時の、女子達の顔と言ったらなかったね。
 目がハート型になるっていう、漫画みたいな表現が大げさじゃないんだなと実感したのは、この時だ。
 そして3年生の冬から、今までバレンタインデーにチョコをもらう男子ナンバー1だったオレは、この座を啓介にゆずり渡すことになった。
 それでもまあ、小学生の時は良かった。女顔の男子なんて、子供の時にはけっこういる。
 男性アイドルだって、子供の頃は女の子みたいなのが多いだろ?
 オレにとって問題なのは、中学に入っても、身長が伸びても女顔なのは変わらず……というより、磨きがかかって、たいていの女子よりオレの方が可愛いと周囲から判断されてしまうことだった。
 きわめつけが、中2の春休みのスカウト事件だ。
 オレは学校一可愛いと評判の、樹里奈ちゃんとやっとの思いでデートにこぎつけ、映画を見てショッピングという王道コースを楽しんでいた。
「そこの彼女、ちょっといい?どこか事務所とか所属しているかな?」
 樹里奈ちゃんは、困った表情で可愛らしく
「えー?困りますう。まだ、中学生なんで、そういうのはお断りしているんですぅ」
と言った後、スカウトマンらしき男の目が、オレの方を向いているのを見て、目を吊り上げた。
「君、いいよ。すごく可愛い。君ならアイドルとして、絶対成功する。この道二十年の私が保証するよ!」
 そんなもん保証されたくないっつーの。
 しつこいスカウトマンに「オレは男だー!」と叫びながら逃げまどう姿を、運の悪いことに同じ中学で樹里奈ちゃんをぶりっこと言って嫌っているグループの女子に目撃されてしまった。
 次の日、学校中でスカウトの話が広まっていたのだ。
「樹里奈なんて、もう完全無視。野村君しかスカウトマンは見てないの!」
「なのに樹里奈ったら、自分がスカウトされたと勘違いして、あのいつものぶりっこ声で困りますうーなんて言ってんの!あはは、バカじゃないの」
 美少女としてのプライドが高い樹里奈ちゃんは、オレのことを許そうとしなかった。
 そして野村和希は「学校一可愛い樹里奈ちゃんより可愛い男子」として、有名になってしまった。
 そんな中、樹里奈ちゃんは「野村君なんて、お願いされたから、一緒に出かけてあげただけよ!だって私は、本当は森崎君が好きなんだもん。背は高いし、頭はいいし、何より男らしくてカッコいいもん!弱々しい野村君なんかとは大違い!」とそこら中にふれ回った。
 オレのハートはずたすただ。どーしてくれんのよ。
 いや、啓介のせいじゃないんだけど、でもしょっちゅう一緒にいるから、どうしても比べられちゃうんだよ。きっついだろ。これ。
「和希。気にしないで。あの子がおかしいんだよ」
 啓介、なぐさめてくれるのか。でも複雑だな。
「今まで、和希の方が自分よりうんと可愛いってことに気づいていないなんて、おかしすぎるよ!」
 いや、そこ?おかしいってそこなの?
 中学に入ってから、啓介は背がぐんぐん伸びて、堂々とした態度で何をするにも様になり、顔を水につけるのもこわがるほどの臆病だった小学生時代とは別人のようになっていたのだ。
 でも小学校の時のまま、やはりどこかずれている残念イケメンの啓介に、オレはため息をついた。
 そして合格発表。
 結果はオレも啓介も無事合格。二人とも、春からは都立南ヶ丘高校に入学だ。
 まあ、下にまだ妹と弟がいるオレと、小学校時代に比べ安定したとはいえ、まだ進学にお金をかけるほどの余裕がない啓介は、親の経済状態が厳しめという点では一致している。 私立は無理、そんでもって成績上位者のこのあたりの中学生が行く都立となると、南ヶ丘学校一択だ。
 あ、オレも啓介ほどじゃないけど、そこそこ頭いいの。ふふん。
 まあ受験成績上位者で構成される特進クラスと、その他大勢の普通クラスという違いはあるけどさ。

 オレと啓介は、入学式から注目されて、有名人となった。
「見たことないぐらいカッコいい新入生がいる!」
「信じられないくらい可愛い子が入学してきた!」
 そんな噂が飛びかい、同級生はもちろんのこと、2年生3年生、先生までオレ達のことを見にきた。
 ま、オレの場合、その後「えー!男?」というセリフと共に、うらめしそうな視線を向けられるはめになるんだけど。
 オレをうらむな。ちゃんと男子用の制服を着ているだろうが。女子のズボン選択とはデザインが違うだろうが。よく見ろよ。
「おい。少し離れて歩け。オレがよけい女みたいに見られちまう」
 一緒に登校したがる啓介をしっしっと追いやっていると、誰かが見ているような気がした。
「だって和希、口の端に何かついているよ。黄色いの」
「あ?朝飯の目玉焼きの黄身かな?」
 口の周りを、ゴシゴシこする。
「取れてないぞ。こっち向いて」
 啓介がぬれティッシュで、オレの口の周りをぬぐった。
「ん。大丈夫。取れたよ」
「サンキュー」
 啓介に礼を言うと、小さく「キャー」と言う声が聞こえる。
 声がした方を見ると、眼鏡をかけた地味めの女子二人が顔を赤らめて、真剣なまなざしでオレ達のことを見つめている。
 何だろう?疑問に思ったが、別に害があるもんじゃなし、ほっておくことにしよう。
 しかしそれからも、啓介と二人でいると、どこかから、視線を感じることが続く。
「なあ。お前らってホモなの?」
 休み時間、同じクラスの吊り目の男に、いきなりとんでもないことを言われた。たしか田丸善行《たまるよしゆき》とかいう名前だったな。こいつ。
「何だよ。そのホモっつーのは!」
「一部の女子が騒いでるぜ。カッコいい啓介君と、可愛い和希君のツーショットは、萌える!目の保養だ!ってね」
 そう言うと田丸は、口の片側をゆがめバカにしたように笑った。
 何だ。こいつ。すっごく感じ悪いぞ。善行じゃなくて、悪行に改名しろよ。
「何変なこと言ってんだよ!オレと啓介は小3から一緒で、仲良いだけだよ。オレはちゃんと女の子が好きなの!髪の毛さらっさらで、色白で華奢な可愛い子が好みなの!」
「何だ。ホモじゃなくて、ナルシストなのか」
「お前、本当に感じ悪いな。ケンカ売ってんのかよ」
「はは。お前はともかく、あの森崎啓介がホモだったら、女子が手出しできなくなるから、おれみたいな普通の男にも、彼女ができるチャンスが増えるんだよね」
「モテたきゃ、まずその目つきと口を直せ!」
 オレは言い放って、席をたった。
 そのとたん「キャー」という女子の甲高い声が、合唱となった。
「和希。悪い。数学の教科書貸してほしいんだ。別冊テキスト持ってきたのに肝心の教科書を忘れた」
 啓介が教室の入り口に立っていた。
「いいよ。ってお前いつからそこにいたの?」
「ちょうど今……でも和希の声が大きいから、しゃべっていることは、聞こえてきたけど」
 啓介は戸惑ったような顔をしている。
「聞こえてたのか?ならお前も怒れよ!黙ってみていないで」
「ああ……ちょっとびっくりして」
 そりゃそうだ。いきなりホモ扱いされれば、びっくするよな。
「和希は髪の毛さらっさらで、色白で華奢な子が好みなのか?」
 え?びっくりするとこってそこ?
「ああ、そうか。思い出した。中学の修学旅行の夜、お前が言っていた好みのタイプに、もろかぶってんな。やべー。啓介と好きな子かぶったら、オレ絶対負けるじゃん!」
「いや、和希と好きな子がかぶることはないから、そこは安心していい」
「そんなの分かんないじゃん」
 ロッカーに教科書を取りに行きながら、会話を続けていると、また妙な視線を感じる。
 あの眼鏡の女子達かな。
 そう思って、視線を感じた教室の後ろの出入り口付近に目を向けると、オレは息が止まりそうになった。
 伸長150センチくらい。華奢で色白で目のぱっちりした、つやつやさらさらヘアのボブの女の子が、とにかくめちゃくちゃ可愛い女の子がじっとこっちを見ていたからだ。
 オレがあまりに凝視しすぎたせいだろうか。
 その子は目をふせて、走りさってしまった。
 あの子だ。オレの恋の相手はあの子だ!
 脳内で鐘がなり、ハートを飛び散らかす勢いのオレに、啓介が声をかけてきた。
「どうした。いきなり固まっちゃって。大丈夫?」
「天使だ!オレの天使がいたんだよ!」と声を上げてしまいそうになって、あわてて口を押さえた。
 危ない。オレの天使は、啓介の好みにもどんぴしゃのはず。男としてどちらが魅力的かっていうと……情けないけど、どう考えても啓介にはかなわない。という事は、啓介があの子の存在に気付く前に、既成事実を作る。お付き合いをしちゃうしかない!啓介はすっごくいいやつだから、オレの彼女にしてしまえば、横恋慕するようなことは絶対しないはず。
「あ、ああ。大丈夫。オレも忘れ物を……古文の宿題を忘れていたのを思い出して」
「手伝おうか」
「いや、大丈夫。自分でやんなきゃ為になんないいし。ほら、啓介。数学の教科書。そろそろ教室戻らないと、チャイム鳴るぞ」
 オレは勢いよく啓介の手に教科書を渡すと、自分の席に戻った。

 その日はもう一日中、何も手につかなくて、当てられた古文でリーダーの教科書を読み始めるわ、大好物のミートボールの入った弁当は落とすわ、間違えて女子トイレに入りかけて「やっぱり!」という男子女子問わずの声に腹をたてるわで、さんざんな一日だった。
「おい。これやるよ」
 机の上に焼きそばパンが現れた。顔を上げると、田丸だ。
「弁当を落っことしていただろ。買い過ぎちまったから、やるよ」
「おう。サンキュ。でも女子が同情して、おかず一個ずつ恵んでくれたから、いつもより豪勢なくらいなんだよなー」
「野村、何気に人気あんだな」
「ペットか弟みたいにならね。恋愛の対象には全然されないの。くーっ!オレも啓介みたいにモテる男に生まれたかった!」
「お前、女子にモテたいの?」
「あったり前だろ!焼きそばパンでいいやつって思ったのに、お前やっぱり一言多いわ!」
 大きく開けたオレの口に、焼きそばパンが入れられた。
「何これ。うまっ!」
「そーだろ。感謝しろよ。月に一度のスペシャル焼きそばパンだからな」
「すげー!あの伝説の?月に一回だけ限定5個で売られているけど、3年の体育会系の強者にかっさらわれちゃうから、1年生にとっては幻と言われるあれ?」
 すっげーすっげーと叫びながら、パンをむさぼり食っていると、啓介が現れた。
「……餌付けされないように」
「餌付け?何だよそれ。これ、すげーうまいよ。食ってみろよ」
 オレが食いかけの焼きそばパンを、啓介の口に突っ込むと、小さくキャッと言う声が聞えた。
 声がした教室の入り口を見ると、眼鏡女子二人と、オレの天使の姿があった。
 三人は同じ目をして、オレと啓介を見つめていた。

 それからというもの、オレはチャンスさえあれば、啓介といちゃいちゃ(に見えるように)した。
 オレ一人でいても、絶対視線は感じない。
 啓介と二人でいても、距離があって、何の誤解(?)も起きる余地がないと、視線は感じない。
 でも耳元で囁いたり、ネクタイを直してもらったりして、密着度が高まると、猛烈な視線を感じる。
 そしてそこには、潤んだ瞳、赤く染まった頬で、オレ達を見つめる、オレの天使に姿があった。
「名前知りたいなー。一年生だよね?きっと。何組かなあ」
 ホームルームの前に、机の上で身をくねらせていると
「田丸なつみ。三年D組。文芸部に入っていて、いわゆる腐女子ってやつだ」
と頭の上で声がした。
「なっ?田丸!何でお前がオレの天使のこと知ってんだよ!苗字が同じ?しかも三年だって?あんなちいちゃくて?あっお前の姉ちゃんなのか?」
「正解を言うと、いとこ。子どもの時はよく遊んだけど、今は没交渉だな。高校が一緒なのも偶然だし」
 そうなのか、と納得しかけて、オレははっとした。
「ってか田丸。何でオレがなつみさんのことを考えてたって分かるんだ?」
 田丸は大きなため息をついた。
「そんなのすぐ分かるぜ。お前、バレバレ。なつみが来ると、妙にテンション上がってるし、森崎にベタベタするし。関心持たれたくて、必死って感じじゃん」
「え……そんなにバレバレ?」
 やばいじゃん。それって啓介が天使、いやなつみさんのことに気付いちゃう可能性が、高くなっちゃうじゃん。ああ、オレってば何墓穴掘ってんの。自分からバレバレな状況作っちゃって。
 危機感を覚えたオレは、その日から、もう一つ作戦を開始した。
「オレが啓介になつくのは、純粋にお前と仲良くしたいからだよー」アピール作戦だ。
「やっぱり男同士で遊んでいる方が、楽しいよな!」
「当分彼女なんていらねーな。いくら可愛い女子でも、見てるだけでいいや。つるむんなら、啓介との方がいいもんな」
 なつみさんに目を向けさせない為、オレは一生懸命「男同士の方が楽しい」を、啓介に刷り込むことにした。
 はじめは接近しすぎるオレに、とまどっていた啓介だが、教育(?)の甲斐ありで、今では唇が触れんばかりに近づこうが、真正面からハグしようが、にっこり笑ってオレの頭をくしゃくしゃかきまわす、少女漫画の王子様的態度をとるようになってきた。
 よしよし、これで啓介は、当分彼女が欲しいなんて言い出さないだろう。男の友情優先だ。

 放課後、オレは教室で啓介を待っていた。
 今回は2年の女子に呼び出されたらしい。
「また告白かあ。入学してから何度目?まだ一ヶ月たっていないのに、二桁いっているよなあ」
 先に帰るよというオレに、啓介はすぐ終わるから、待っていてほしいと言う。
「だって、うまくいって、二人で帰るかもしれないじゃん。そしたらオレ邪魔じゃん」
「どうせ断るから。女の子と付き合うつもりないから」
 男の友情優先は、やり方間違えたかな。啓介に告白してくる女子は、たくさんいるからそっちに目を向けさせるべきだったかな。
 そしたら、オレだってこんな待たされることないし、朝だってきっと彼女と待ち合わせするだろうし、休日だってデート優先で今までみたいに啓介とばっか遊んでないだろうし。……うーん。それはちょっと寂しいな。
 っていやいや、オレもなつみさんと付き合えるようになれば、寂しいなんて思わないよな。
「待たせてごめん」
 啓介が戻ってきた。
「ああ、どうだった?どんな人?」
「うーん。全然知らない人。付き合ってほしいって言われたけど、好きな人いるからって断った」
「ふーん。そうなんだ。って啓介。好きな人いるのか?」
「ああ」
 誰?誰?そんなの初めて聞いた。好きな人って……まさかなつみさん?最近、オレ達の近くに現れる率が高まっているから、啓介の目にとまっても不思議じゃない。なんといっても、啓介の好みにドンピシャなんだし。「好きな人って誰?」と聞きたいけど、ここで本当になつみさんだったら、オレはもう頑張れる気がしない。なんといったって啓介が、カッコよくていいやつだってのは、オレが一番よく知っている。その啓介が好きになったんなら、かなうわけない。二人が付き合ったら、オレはなつみさんをあきらめなきゃいけない。啓介とも一緒にいる時間が減ってしまう。
 こわい。聞けない。
「何を見ているの?」
 啓介はオレの手から、プリントを取り上げた。
「ああ。クラブ紹介のプリント」
「和希はもう何のクラブに入るのか、決めたの?」
 啓介に聞かれて、オレは答えた。
「迷ってんだよね。文……文化系とスポーツ系と」
 あぶねー。ついうっかり、文芸部と言ってしまうところだった。
「文化部?和希が?」
 不思議そうに問い返してくる。そりゃそうだ。とにかく体を動かすことが大好きで、中学では水泳、陸上、サッカー、バレーボールを掛け持ちしていたのがオレだもんな。「ちょっとね。将棋とか書道なんてのも、興味が沸いてきちゃってさ」
 啓介の顔は、ますます怪訝そうになった。
 うん。だって今まで、オレがそんなものに興味があるなんて、言ったことないもんな。今も興味なんかないんだけど。
「啓介は、高校からはクラブ活動できるんだろう?」
「そうだね。親の仕事も軌道に乗ったから、中学の時みたいにはバイトしなくて済みそうだけど」 
 啓介の親は、新しくリフォームの会社を立ち上げていたが、なかなか軌道にのらず四苦八苦していた。中学時代の啓介は、学校の許可を得て朝は新聞配達のバイト、夕方は近所の小学生に勉強を教えていた。
 小学生に勉強を教える方は、お金じゃなくてお礼として食事や文房具にしてもらっていたらしいけど。「食費が浮いて家計が助かる」と笑っていたっけ。
 それを聞いたオレは、駄菓子屋での小遣いはどうしていたのだろうと思った。
 啓介に聞くと、「いつも一番安いのしか買ってなかったよ。それまでのお年玉を貯金していたから、親からお小遣いもらえなくなってからは、そっちを切り崩していたけど」と答えた。
 いくらくらい貯金あった?と聞くと50万円くらいかなあと答えてきた。もとお坊ちゃんは、それまでいったいいくらお年玉もらってたんだよ。
 そういうところが、オレが啓介にかなわないなあって思っちゃうとこなんだよなあ。
 お金持ちの坊ちゃんとして生活していたくせに、意外とタフで順応性があるとこなんて、頼りがいありすぎるだろ。
「そっか。ならせっかく泳げるようになったんだから、一緒に水泳部入るか?」
 ああ、また口を滑らせた。引き締まって筋肉のついた細マッチョな啓介と、白くて細いオレが比べられる環境を作って、どうすんだ。オレ。鍛えても筋肉がつきにくい体質が恨めしい。
「いや。水泳はいいよ。泳げるようになってから、苦手意識が克服されただけでも、僕には大きいよ。それに鬼コーチの特訓は、クラブとは別に、個人レッスンで受けたいしね」
 そう言って微笑んだ。

「泳げるようになるまで、練習に付き合う!」
 小3の朝の迎えの時に宣言したオレは、それから毎年夏は学校や公営のプールで、啓介に泳ぎを教えた。
 顔に水をつけることは、一年目でクリアしたが、そこから先がなかなか進まない。
「まずは25メートル泳げるようになるのが目標だな」
 オレの出した条件に、ハードルが高いとぶつぶつ文句を言っていた啓介だが、小6の夏休みに、この目標をクリアした。
「やった!」
 大はしゃぎするオレに向かって、啓介は「ありがとう」と言いながらも、浮かない顔をしている。
「何だ。テンション低いぞ。次は50メートル目標なんだから、張り切っていこうぜ!」
 声をかけると「ええっ25メートルで終わりじゃないの?次があるの?」とあわてている。
「当たり前だろ!25メートルじゃ、ちゃんと泳げるうちには入らない!」
「和希は鬼コーチだなあ」
 啓介は笑っていた。
 そして中1の夏の終わりに、50メートルをクリアした啓介は「で?次の目標は?」と聞いてきた。
「おっやる気あるじゃん!じゃあ今度は1キロだな!」
「なんでいきなり単位が変わるんだよ」
 啓介はため息をつきながら、でもなぜか嬉しそうに「この調子だと、一生練習続けなきゃ、駄目そうだな」と言ったんだ。 

「水泳の話なんかしてたら、なんか泳ぎたくなってきちゃったなあ」
 教室にオレ達二人以外、誰もいないのをいいことに、オレは机を2つ並べた上に寝そべり「クロール!」と声をあげ、腕と足を動かした。
「早い早い!野村ぶっちぎりです!追い上げる!」
 自分で実況中継をして盛り上がっていると、啓介が「子供じゃないんだから」と苦笑している。
「すごいぞ!野村。タイムは……あっいて!」
 オレは思いっきり、足を横の机にぶつけた。
「痛い痛い痛い!足つった!これじゃ溺れる」
 あくまでプールで泳いでいる設定でしゃべっていると、啓介が近づいてきた。
「ブクブク。ゴボボ」
「おい。和希。溺れているのか?それなら」
 啓介ってばオレのごっこ遊びに付き合ってんじゃん。ノリいいな、と言おうとしたのに、オレはしゃべることが出来なかった。
「ん?ん……ん」
 啓介の口が、オレの口をふさいでいる。何だよ。これは。
「やめろって!」
 手をつっぱねて、啓介の体をオレの上から遠ざけた。
「何すんだよ!ギャラリーもいねーのに!」
「ギャラリー?」
 あ、すまん。それはお前には関係ないことだったな。いや、違う。そうじゃなくて。
「お前、何のつもりだよ!」
「何のつもりって……人口呼吸。和希溺れてたし」
「ノリよすぎんだろ!ああ、オレのファーストキスが。いや、今のは人口呼吸だよな?よし、ならこれはキスにカウントしない」
「そんなこと言うなら、やっぱり人口呼吸じゃなくて、キスのつもりだったって訂正するよ」
「何わけ分かんねーこといってんだよ!オレ達男同士だろう!」
 パニックになって大声を上げるオレに、啓介は傷ついたような表情を浮かべる。
 夕日が窓から入りこみ、やつの顔の陰影をより深くする。
 やっばりカッコいいな。啓介は。
「……望みあるのかなって思ったんだ」
「……何が?」
「和希、最近やけにくっついてくるし、彼女作りたいとか言わなくなったし。そのうえずっと二人でいようとか言ってくるから、和希のことあきらめなくていいかと思ったんだ」
 おい啓介。いったい何を言い出しているんだ。お前が話しているのは、日本語だよな?なのに理解できないぞ? 
「オレをあきらめるとかあきらめないとか、いったいどういうことなんだよ。そんな口説く時に使うようなこと、言い出すなよ。オレはれっきとした男だぞ。お前だって、小3の時ちゃんと認めただろうが!」
「分かっているよ。和希の性別は男性だ。でもそんなのどっちだっていい」
 少し黙った後、啓介はきっぱりと言った。
「僕はずっと和希が好きだ」

「どっちだっていいって……それはおかしいぞ!そんなこと言ったら、男と女、どっちもありで全て恋愛対処になっちまうぞ。そしたら選択肢もいっぱいありすぎて、どっちと会っていても浮気かもしんないとか疑っちゃったりで、いろいろ困っちまうだろーが!」
 オレはびっくりした勢いで、訳が分からないことをしゃべり出した。
「選択肢なんて増えない。和希だけ好きだ」
 真顔でオレを見つめる啓介に、不覚にもドキドキしてしまった。
「何殺し文句言ってんだよ。お前のその顔で、そんなこと言うの、ずるいだろ!」
「僕の言葉で殺されてくれるの?」
 顔が熱い。赤くなっているのか?ああ、焦る。無意味に手足をバタバタさせてしまうくらい、どうしていいか分からない。
 そんなオレの動揺ぶりを見て、啓介はふっと笑った。
「良かった。やっぱりまだ、あきらめなくていいみたいだね」
「何言ってんだ!オレは女の子が好きだって言っているだろ!」
「うーん。僕はその感覚がよく分からなくって。僕は和希だから好きなんだ。男の子だから女の子だからとか、考えたことがなくて」
 今までより、もっと顔が熱くなった。頭の中までカァーと熱くなったかと思うと、その後オレの意識はどこかにふっとんでしまった。
 
 気が付くと家のベッドで寝ていた。
 むくりと起き上がると、妹の沙美と奈美と弟の大希が、オレの顔をのぞきこんできた。
「あっ起きた」
「お兄ちゃんたら、学校で倒れちゃったんだって?」
「啓介君がお兄ちゃんをおんぶして連れてきてくれたよ」
 おんぶして?わわわ。恥ずかしー。しかも啓介の背中にしょわれて?
「お兄ちゃん、お顔真っ赤だよ?熱あるの?」
「ご飯の時間だから、声かけてきてってお母さんに言われたんだけど」
「ご飯食べれるー?ハンバーグだよお」
 3人の声に「悪い。兄ちゃん熱上がったみたいだ。とにかく寝かせて……」と答えると、オレは布団に潜り込んだ。
 遠くで大希と奈美が「じゃあハンバーグもーらい!」「お兄ちゃんのだよ!残しといてあげなきゃダメー!」とケンカしている声が聞こえる。

 次の日の朝、家を出ると門のところに、啓介がいた。
「……はよ」
「おはよう」
 啓介に特に変わったところはない。落ち着いているし、オレにせまってくる訳じゃない。
 啓介の態度を見ていたら、オレは昨日のことはオレの勘違いなんじゃないかと思えてきた。熱もあったみたいだし、変な夢でも見たのかな。オレ。うん。きっとそうだ。
「何かオレ、昨日倒れちまって、啓介が連れ帰ってきてくれたんだって?ありがとな。いやー、オレなんか昨日、熱があったみたいで、変な幻とか見てしまったようで……」
「僕がキスしたのも、和希のことが好きだって言ったのも、現実だからね」
 涼しい顔で、啓介は言ってのけた。
 オレは動揺しすぎて、転びそうになった。
「今日は、これからは積極的にいくよって宣言しに来たんだ。昨日のことをなかったことにされちゃ、たまらないからね」
 予想外の言葉に、立ち止まって固まってしまったオレに対して、啓介は」遅刻してしまうから急ごう」と言う。
 いったい誰のせいだと思ってんだ。このバカ。
 オレは啓介より先に、走り出した。

 学校について教室に入ると、田丸が近づいてきた。
「聞きたいことがあるんだけど」
 ここじゃちょっと、と言われ、今の時間人がこない、渡り廊下の方に連れて行かれた。
 今日はニヤニヤ笑ってないし、口を片側だけあげたりしていない。なんだ。こいつも真面目な顔してりゃイケメンじゃん。
 別に啓介を蹴落とさなくても、十分彼女とかできるレベルじゃん。
「見ちゃったんだ。昨日」
 田丸が言った。
「見ちゃったって何を?何のこと?」
 まさか啓介とのことか?内心おびえながら聞いてみる。
「キスしてたよね?」
 ああ、やばい。見られていたんだ。どうしよう。
「痛い……あでで。あにすんだよ」
 田丸はオレの頬っぺたをつねってきた。
「んー。やきもち?」
「やきもち?あんだ。そりゃ」
 発音がおかしくなっているオレの頬っぺたから手を離して、田丸はため息をついた。
「おれさあ。本当は野村と一緒だったの。なつみの視界に入りたくて、お前にちょっかいかけていた」
 あいつさあ、と続ける。
「すっごい可愛いのに、すっごい変態だろ?普通の恋愛に興味ないんだよ。昔から腐女子で男同士の恋愛を妄想するのが好きで、ストーカーじみているところもあるやつなんだよ。それでも他の男と付き合うよりいいって思っていた」
 うーん。確かに可愛いのにごまかされていたけど、なつみさんの行動は、かなり変わってはいるのかな。変態とまでは思っていなかったけど。
「自分の妄想が現実化するなら、喜んで手を貸すってやつで、今回の焼きそばバンも、なつみ経由で手に入れたのを野村に差し入れしたんだ」
「なつみさんが焼きそばパンを?」
「なつみはあいつの正体を知らない、柔道部の主将に好かれてて、しょっちゅう貢物されているんだ。その一つがあの焼きそばパン」
 そうか。そんな経由で1年の田丸が、幻の焼きそばパンを手に入れられたのか。
「でもそのパンをオレにくれちゃうのは、もったいなくない?」
「言ったろ?なつみの視界に入りたかったって。森崎と野村のコンビは、あいつの好みにピッタリだった。実はオレは野村に気があるから、なんとかこっちを振り向かせたいってなつみに相談したんだ」
 オレの冷たい視線をあびて、田丸は首をすくめた。
「狙い通りだったよ。あの二人の仲は壊れない!って言いながら、野村君の揺れ動いちゃう様子、森崎君の愛するがゆえの不安とか見れたら、ってはしゃぎながら協力してくれた」
 オレはちょっとげんなりした。天使って思ったのは、オレの勝手な思い込みで、なつみさんのせいじゃないけどさ。あの見かけでその中身はないだろ。
「そっか。田丸もなつみさんが好きなんだ」
「ああ、好きだった」
 だったって過去形なのか。田丸が真面目な顔でオレのことを見つめる。なんだかすごく嫌な予感がする。
「ミイラ取りがミイラになったってやつだな。今のおれは、野村のことがすごく気になる」
「あの、田丸。なつみさんの視界に入るための演技は、もう続けなくていいからな?」
「ああ、もちろん演技じゃない。本気だ」
 その日オレは朝のホームルームに出ることもなく、早退した。

 とてもじゃないが、立て続けに男に告白されて、授業なんて受けられる状態じゃない。
 家に着くと、姉ちゃんがいた。
「あれ?和希学校は?」
「何かいろいろな意味で問題があって。姉ちゃんこそなんで家にいるの?今日仕事は?」
「今日は火曜日よ。定休日。せっかくの休日、都内の神社巡りにでかけるのよ!今一番のおすすめは……」
 語りだす姉ちゃんの言葉を、うわの空で聞き流していると、思い出した。
 オレが初詣で願ったことを。
「女の子にキャーキャー言われてモテたい!」
 確かにオレは、腐女子のなつみさん達から、啓介とのツーショットでキャーキャー言われて、啓介と田丸に告白された。
 振り返ってみれば、願い事はかなってはいるけど、でもでも神様、こりゃないだろ!
「もとはと言えば、姉ちゃんが初詣にあの神社を勧めるから……」
 オレは思わずつぶやいてしまった。
「何?願い事がかなわなかったの?」
「いや、かなったと言えば、かなったんだけど」
「ならいいじゃない。願い事がかなったのなら、喜びなさいよ。変な子ね」
 姉ちゃんはそう言うと、ハンドバックを振り回しながら、趣味の神社巡りに出かけて行ってしまった。
 ドアの閉まる音を聞きながら、オレはこれからのことを考えて頭が痛くなり、自分のベッドに倒れ込んだ。

 それでも朝は来る。
 次の日、まだ頭が痛いと言い張るオレに対して、おかんは弁当を目の前につきつけて「ずる休みする子はうちの子じゃない!」と言い放ち、玄関から強引に押し出した。
 昨日と同じように、そこには啓介が待っていた。
「おはよう」
「……はよ」
 歩き始めたオレ達の間に、会話はない。
 だって何言っていいか分からないし。
「良かった。避けられなくて」
 啓介が言う。
「別に、どうしていいかは分かんないけど避けたりしねーよ。だって別に啓介が別人に変わったわけじゃないし」
 そうなんだよな。啓介が急に別人になったわけじゃない。オレがやつの思いを知らなかっただけなんだ。まあそれって大きいけどさ。
「それでも良かった。避けられてもおかしくないって覚悟はしていたから」
 オレは啓介の顔をまじまじと見た。
 そこには、小学生の時の臆病な啓介がいた。
「……不安だしこわかった」
 啓介のつぶやきを聞いて、オレは反省した。
 自分がパニックになるばかりで、啓介がどんな思いで告白してきたのかは、考えていなかった。
「オレ、ごちゃごちゃ考えるの、苦手なんだよ。啓介とはずっと友達できたし、いきなり好きとか言われても訳分かんないし」
「そうだよね。和希は単純明快が信条だもんね。だから、もう悩まないでいいよ」
 啓介が優しい表情を浮かべる。
 悩まないでいいってどういうことだ?オレのこと好きだって言ったのを、取り消すってことか?お前そんないい加減な気持ちで、オレのこと好きだって言ったのか?
 そんなの腹立つぞ。いや、好きだって言われて困っているはずだったのに、何言ってんだ。オレ。矛盾した思いを抱えて、頭がぐるぐるしてきた。そんなオレに啓介は言う。
「悩まないでいいよ。僕のこと恋人兼友人って認めちゃえばいいよ」
 は?お前いきなりなに言ってんの?
「悩んでも無駄だよ。僕は和希のことあきらめる気ないし、どんなに時間がかかっても僕のものにするから。だったら早く認めた方が、和希の苦手な悩むことをしなくて済むよ」
 オーラさえ感じさせる、華やかな笑顔をオレに向ける啓介。
 ああ、やっぱりこいつはどこかずれている、残念イケメンだ。
「オーレーは」
 思いっきり低い声で、オレは言った。
「真面目に告白してくれたことには、誠実に答えたい」
「和希のそういうとこ、すごく好きだ」
「待て。だからと言って、告白を受け入れるかどうかは別だ」
 啓介がちょっとシュンとしてしまう。
 それに田丸のことも、きちんと考えてやらなきゃダメだし、とつぶやくと、啓介の形相が変わった。
「何?田丸にきちんと答えるってどういうこと?田丸って和希と同じクラスの、つり目のやつだよね?」
 あー。えっとー。
「もしかして……告白されたってこと?そうなんだね?」
「ん。まあ。あいつもオレに告白するなんて、勇気いっただろうから、誠実に向き合ってやらないと」
「いや。いい。そんなの必要ない。速攻で断って、その後無視すればいい」
「おい。啓介。さっき言っていたことと全然違うぞ。オレのそういうとこ好きだっていっただろうが」
「大好きだけど、でも嫌だ!」
 今までこんな啓介は、見たことがない。
 この調子だと、どうやらオレは、長い付き合いの啓介の新しい面を、これからたくさん発見する羽目になるんじゃなかろうか。
 そしてオレは、どうやらそんな啓介を見ていくのが、嫌じゃないらしい。
 これって今までの、単なる幼なじみとは違う関係の始まりだよな……?
 おっかしーな。オレは首をひねる。
 可愛いなつみさんに憧れていたはずなのに。可愛い子を彼女にして、流行のデートスポットで、映画や漫画みたいな恋愛して、そういうのに憧れていたのに。
 ……ん?そこまで考えてあれっ?って思った。
 これ憧れているだけだよな?
 出来上がっている物語に、自分を当てはめて満足しているだけだよな?
 これって……違うよね。恋じゃないよね。オレ自身の恋じゃないよね。
 そんなんじゃなくて、オレは相手のことちゃんと見て、相手はオレのことよく見てくれていて、お互いの気持ちが通じなきゃ恋人同士じゃないよね。
 そういう相手って、オレのことよく見ているのは、オレがずっと一緒にいたいって思っちゃうのは。
「えっと、僕の顔になんかついてる?さっきからすごい顔で凝視しているんだけど」
 見つめてくれるのは嬉しいけどなんか気恥ずかしいな、と頬を上気させている啓介を見ると、思わず「ちげーよ!」とか大声上げちゃったけど。「ちげーよ」じゃないんだろうな。きっと。
「和希。そろそろ急がないと遅刻する。走ろう」
「って今何時?うわあ!」
 時計を見てあわてたオレ達は、そろって学校に向かって走り出した。
「ねえ。誠実に対応するって、もちろん誠実に断るんだよね?」
「あー?何の話だよ?今走ってんだから、酸素の無駄遣いさせんな!」
「だって大切な話だよ!田丸のこと、もちろんふるんだよね?ちょっと止まって話そうよ」
 おい。啓介。息を切らしながら必死になって聞いてくることか?それ。
 そんな啓介に呆れると同時に、やきもちやいてるのかよ、可愛いやつなんて思っている自分がいる。
 こりゃもう決まりだな。認めるしかない。
 ごめん。田丸。おまえのことは誠実にふらせてもらうよ。
 だってやっと誰と一緒にいたいのか、オレ自身の恋がどこに向かっているか分かってしまったから。
 こうなったら単純明快が信条のオレ、もう突っ走るしかない!
 
「とにかくもう走りだしちゃったんだからさ。止まんないんだよ!」
 それってどういう意味?と叫ぶ啓介に対して「いいから急げ!オレについてこい!」とスピードを上げて学校へ向かった。