「高校生にもなってドッジボールって、本気ぃ……?」
今日は生徒の要望で授業内容を決めよう、という教師の計らいにより、なぜか多数決でプチ・ドッジボール大会が執り行われることになった。
俺は根っからの運動オンチだから、早々に当てられてしまい、今や外野で高見の見物をしている。高見の……というと語弊があるけど、クラスの奴らみんな俺が運動できない事を知っているから、必然とパスが回ってこない。
「あ、東郷。まだ内野に残っているんだ。すごいな」
肌が白くて、背が高くて、透き通る綺麗な茶髪は、人ごみの中でもよく目立つ。まるで人間型ポストイットだ。
「あ、的にされた。いやいや、ボール取れるのかよ。うまっ」
暇だし、東郷の観察を始める。
両チームともに内野人数が少なくなってきたのに、それでも東郷が残っているのは……東郷に〝ボールを取る素質〟があるからだ。
「勉強もスポーツも万能人、ってか。
そういや東郷って、何か部活に入ってるのかな?あんなスピードでボールが飛んで来たら、普通ビビらない?」
でも東郷はとるのだ。どんなキラーパスでも、臆さずにとる。敵が狙えそうならそのまま敵チームにボールを投げるし、味方がパスを欲しそうにしていたら見落とさずに、そっちにボールを回す。熱戦していても、恐ろしいほど、よく周りを見てる。
「東郷って、運動より読書な奴かと思ってたら、違うのか。
あ~俺の中で、東郷の解像度が、だんだん上がって来てる」
昨日、東郷の発した言葉が、頭の中をリフレインする。
『早計だよね』
本当に、その通りだ。
俺、全然東郷のことを知らないまま、東郷と接してた。
「東郷って、カッコイイ奴なんだな」
思わず呟いてしまった。
その瞬間。
「――」
「!」
本人と、目が合った。
東郷は驚いたけど、俺と目が合って嬉しいと言わんばかりに。ふっと。朝ごはんを食べた時に見せた笑みを、俺に向ける。
二クラス合同の体育。
人が密集した空間で、イケメンの笑みは、恐ろしく目立つ。
「キャー!」
体育館は、別の意味で熱を上げた。応援歓声が、一瞬にして女子の黄色い声にかき消される。
「え、えぐいにもほどがある……」
東郷は、まさか自分が笑ったことで歓声が湧いたとは思っていないらしい。敵も味方も、誰一人動かなくなった空間を不思議と思いながらも、とりあえずコート手前にいる女子に、コロコロとボールを転がした。
ボールはラインを越え、敵チームの陣営に入る。そしてコツンと、女子の体に当たった。女子を傷つけない紳士的な対応に、また体育館が湧いたのは言うまでもなく。戦意喪失した敵チームが次から次にやられていく。そしてプチ・ドッジボール大会は、なんとも静かに幕を閉じた。
その後、俺は虫の居所が悪くなった。
東郷のおかげで自分のクラスが勝ったのに、心が晴れ晴れしない。
なんでだ?
自分が活躍できなかったから?
いや……理由は何となく分かるんだ。
ただ、認めたくないだけで。
「なー、なんでまた不機嫌なんだよ?」
「少なくとも大西に〝歴史覚えろ〟なんて言わないから、安心してよ」
「やっぱり。何かに怒ってんな?」
大西にからかわれながら、制服に着替える。
その後、更衣室を出る時。
先に部屋を出ていた隣のクラスの声が、耳に入った。
「あのプレー何だよ。女子にだけ良い恰好しやがって」
「ほんとほんと。東郷なんて、しょせん顔がいいだけの暗い奴だろ」
俺が聞いてしまったのは、東郷の悪口。まるで自分が悪口を言われたかのように、体の中を、真っすぐ衝撃が突き抜ける。
「……っ」
「だっせー。負け犬の遠吠えってやつ?」
部活をしていると、こういう光景は日常茶飯事なんだろうか。大西は、きわめて冷静に外の会話を聞いていた。俺一人だけが、アップダウンの激しい情を抱いている。
哀情と、激情。
二つの情が混ざり合い、気持ち悪くさえなってくる。
「やっぱ顔だよなー。イケメンってずるいわ」
「そうそう。顔が良ければ全てよし、だもんな」
アハハ――と笑う声が、俺に突き刺さる。
次から次に矢を放たれ、動けない。
顔が良ければ全てよし?
じゃあ「顔がダメ」って言われた俺は、全てがダメなのかよ?
「……~っ」
勇んだ足が、急にすくんだ。
ドアノブに伸ばした手は、一気に引っ込む。
東郷の悪口に腹が立ったから、一言いってやろうと思ったけど……。奴らの言葉は今や、全て俺に向かっている気がして、呼吸さえままならない。
「舞原、大丈夫か?」
「大西……」
大丈夫じゃない。
大丈夫じゃないに、決まってるだろ。
ルームメイトのことを、陰でこんな風に言われてるんだぞ。ドッチボールで、ただ活躍しただけなのに。東郷には、なんの落ち度もないのに。
それなのに、ただ一方的に悪口を言われてるんだぞ。
そんなの、おかしいだろ。
「おかしいと、思ってるのに……」
なんで俺は、このドアを開けて、奴らを止めに行けないんだ。悪口を、止められないんだ。
「……っ」
俺は、生粋の意気地なしだ。
東郷のことをかばわないといけないのに、自分のトラウマを思い出して、全身が震えて動かないなんて……情けなすぎるだろ。
「お前、顔色ヤバいぞ。荷物は教室に置いといてやるから、お前は保健室に行け」
「いや……いい、それより」
外の奴らを――
震える手を、ドアノブに伸ばした。
その時だった。
「そういう話するの、やめてくれない?」
聞き知った声が、扉越しに聞こえる。
「ん?今の声、東郷?」
「……っ」
控室のロッカーを見ると、確かに。
東郷の着替えだけが、この場に残っていた。
俺が唖然としている間に、外の会話はどんどん進む。
「なんだよ、聞いてたのかよ」
「でも、別に悪口は言ってないだろ?」
「そうそう。イケメンは得だよなって話してたんだよ」
「世の中って顔が全てなんだから、お前は勝ち組だよなって」
すると、ドア越しにピリッとした雰囲気を感じた。
それは言葉へと変化し、姿を見せる。
「顔が全てって言葉、やめてくれないかな」
「なんでだよ」
「あ、もう聞き飽きたってか?」
「ちがうよ」
ズバッと、相手を黙らせる質量のある声が降り立つ。
それは何にも寄せ付けない、唯一無二の声色だ。
「俺の大切な人が、その言葉を嫌うんだ。
だから金輪際、もう言わないで」
「!」
それって、もしかして俺のこと?
いや、考えすぎかもしれない。
だけど――
「わ、わかったよ」
「おい、もう行こうぜ」
走り去る足音と、ここへ残る足音。
後者は控室に入るため、ドアノブを回す。
「やっぱり、いた」
「東郷……」
俺を見て、ふわりと笑う東郷。
その笑みは、朝食を食べてる時に見た時と、体育館で見た時と同じ。雰囲気から柔らかくなって、見る人をみんな虜にしてしまう笑みだ。
「出て来た様子がなかったから、もしかして中にいるのかなって」
「それより東郷、今の話……」
どうきり出せばいいか分からなくて、口ごもる。すると東郷が「いいから」と。温かい手を、俺の肩に置いた。
「それより、気になることがあるんだよね」
「え、なに?」
東郷が急に難しい顔をするから、不安になる。
まさか、さっきの出来事と関係して――
「さっき寮に水道屋の車が来てたんだよね。もう直っちゃうのかな?って思ったら、さっきの授業も気が気じゃなかったよ」
「……は?」
何を言うかと思ったら、そんな事。
張りつめた空気が急に弛緩し、その場にズルズル崩れ落ちる。といっても座り込む前に、後ろにいた大西が「危ね」と、俺の両脇に手を差し込んだ。
瞬間、東郷の視線が鋭くなる。だけど俺と目が合うと柔らかさが戻り、「何でもない」を取り繕った。
「舞原、やっぱ調子悪いんじゃねーか。悪いこと言わないから保健室に行け。体操服は預かっとく」
「え、調子わるいの?」
「さっきまで顔が真っ青だったんだぜ?おまけに、ちょっと震えてるしよ」
「それは保健室一択だね」
俺が「大丈夫だから」と言う暇なく。大男(おおおとこ)二人によって、俺のこれからの行き先が決定する。
「じゃ、俺が舞原の荷物を持つ係で」
「俺が保健室まで送る係ね」
「俺は幼稚園児か」というツッコミは置いといて。片手を東郷に回した後、かみ合わない身長を必死に合わせながら廊下を歩き、保健室を目指す。
「身長差で歩きにくい……というか、俺もう高二だぞ。保健室くらい一人で行けるって」
「ダメ。さっき係決めしたから。仕事を途中で放りだしちゃ、大西に悪いでしょ?」
「いや、特に何も思わないと思う」
きっと大西は本気じゃなかったろうし。係決めみたいな幼稚なことやって、俺が怒る姿を見たかっただけに決まってる。
それを東郷が本気にとったから……今頃、ビックリ仰天してるんじゃないか。
「食堂、直らなかったらいいな」
「……またそれ?」
俺が思案しているなか、東郷は呑気なものだ。口を開けば「食堂食堂」って。どれだけ俺とご飯を食べたいのさ。
「っていうか。そこまで言うなら、食堂で一緒に食べればいいじゃん」
「それも嬉しいけどね。でも二人きりじゃないでしょ?」
「まぁ……そう、か?」
妙な返事をしたところで。
着替えを終えた同じクラスの女子・笹井が、向こうの廊下から姿を現す。
「あ、東郷くん!さっきスッゴイかっこよかったよ。ウチのクラスが勝てたのは東郷くんのおかげだね!」
「みんなのおかげだよ。笹井さんもお疲れ様」
「またまた~。ん?舞原、調子悪いの?」
「いや、そうでもないんだけど……」
すると笹井が俺に手を伸ばし、オデコを触る。ピクっと動いたのは俺じゃなくて、隣の東郷。なにやら羨む目で、笹井を見ている。
「熱はなさそうだけど、顔色が悪いね。次の授業、先生に言っとくから、ゆっくり休んできなよ」
「うん、さんきゅ」
すると笹井は「東郷くんは付き添いで遅れるって言っとくねー」と、急ぎ足で教室を目指した。同時に、チャイムが流れ始める。
残った俺たちの間には、妙な空気が流れていて――
「やっぱり君って隙だらけだよね。あと、女子受けがよすぎるんだよ」
「それを言うなら東郷でしょ。いつでも紳士で、優しいこったね」
妙にギスギスした空気。だというのに、ののしり合っているのは互いの良い所なんだから、笑ってしまう。
「っぷ、なんだろうね。この会話」
「本当、疲れたわー」
支えられていた肩で、いつの間にか俺も東郷を支えていた。それさえも面白くて、どちらともなく腕を離す。
授業が始まった教室を次々に越えながら、静かな時間を二人で共有する。
その中で、俺が思っていたことは――
『俺の大切な人が、その言葉を嫌うんだ。
だから金輪際、もう言わないで』
あの言葉は、素直に嬉しかった。
「さっき、ありがとう」
「ドッチで勝ったこと?」
「……はは、違うって」
「ふふ」
きっと東郷は、俺が何に対してお礼を言ったか分かってる。それでいて、あえてスルーしているんだ。
「少しずつ、東郷のこと分かって来ちゃったな」
「じゃあ次は、気にしてくれたら嬉しいよ」
「東郷は、もう少し人の発言を気にしなよ。さっきみたいな悪口とかさ」
「俺は、別にいいかな」
「気にしないの?」
「気にするけど、基準がある。
俺は、大切な人が傷つかなければ、それでいいんだよ」
ふーん、って思って。
その後に、ん?って思った。
「俺も、そうだ」
小さな俺の声に、東郷が視線を寄こす。透き通った茶色の瞳が、俺を写した。
「俺も東郷と同じ。
大切な人に傷ついてほしくない。
だから――
東郷は、悪口を言われちゃダメ」
「え……」
東郷の体が、ビクリと震える。
もう腕は回してないのに、連動したように俺も体を揺らした。
何を言ってるんだろうな。こんな事を言ったら、東郷は「俺に気がある?」って期待しちゃうって。それに、もし丸め込まれてみろ。
マスクをつけているせいで孤立にならないよう、スキンシップを使って必死に居場所を確保してきたのに。もし、東郷と「仲がよすぎる」って噂が立ったら、どうするんだ。それで人が離れたら、どうするんだ。今までの努力が、全てムダになるぞ。
って、頭では、そう思っているのに。
「でも……さっきの言葉は嬉しかったんだよな」
自分が悪口を言われていることは気にもしないくせに、更衣室にいるかいないかも分からない俺を気遣って、隣のクラスの奴らに立ち向かってくれたことが、どうしようもなく嬉しかった。
「……やっぱりさ。
東郷、ありがとう」
「ん?」
「ありがとうな」
「……ふふ、うん」
ソワソワした空気下にたえられず、何を言おうか言葉を探していると。東郷が、小さな声で呟いた。
「今日の晩ご飯のおにぎりさ、赤飯がほしいな」
赤飯?
なんだって赤飯?
赤飯って通常、お祝いごとの時に――
「あ」
合点がいったと同時に、俺は眉根を寄せる。
「東郷は〝大切な人〟って言ったの。
〝好きな人〟とは言ってないからな?
勝手にお祝い始めないでくださーい」
「なんだ、残念」
クスクス笑う声が、俺の横で心地よく響く。
廊下に並ぶ窓が、いくつか開いている。太陽に照らされ澄んだ空気が、俺たちの前に流れ込んできた。
「なんか、今日って暑いな」
「六月だしね」
「はは、そりゃ暑いや。
でも、これから――
もっともっと、あつくなりそうだ」
少しだけマスクを下げる。
隣に東郷を感じながら、思い切り新しい空気を吸い込んだ。
【完】
*おまけ*
「なんだ、全部のマスクをズラすわけじゃないんだね」
「あ、当たり前だろ!(これでも勇気だしたんだぞ!)」
「ふふ」
今日は生徒の要望で授業内容を決めよう、という教師の計らいにより、なぜか多数決でプチ・ドッジボール大会が執り行われることになった。
俺は根っからの運動オンチだから、早々に当てられてしまい、今や外野で高見の見物をしている。高見の……というと語弊があるけど、クラスの奴らみんな俺が運動できない事を知っているから、必然とパスが回ってこない。
「あ、東郷。まだ内野に残っているんだ。すごいな」
肌が白くて、背が高くて、透き通る綺麗な茶髪は、人ごみの中でもよく目立つ。まるで人間型ポストイットだ。
「あ、的にされた。いやいや、ボール取れるのかよ。うまっ」
暇だし、東郷の観察を始める。
両チームともに内野人数が少なくなってきたのに、それでも東郷が残っているのは……東郷に〝ボールを取る素質〟があるからだ。
「勉強もスポーツも万能人、ってか。
そういや東郷って、何か部活に入ってるのかな?あんなスピードでボールが飛んで来たら、普通ビビらない?」
でも東郷はとるのだ。どんなキラーパスでも、臆さずにとる。敵が狙えそうならそのまま敵チームにボールを投げるし、味方がパスを欲しそうにしていたら見落とさずに、そっちにボールを回す。熱戦していても、恐ろしいほど、よく周りを見てる。
「東郷って、運動より読書な奴かと思ってたら、違うのか。
あ~俺の中で、東郷の解像度が、だんだん上がって来てる」
昨日、東郷の発した言葉が、頭の中をリフレインする。
『早計だよね』
本当に、その通りだ。
俺、全然東郷のことを知らないまま、東郷と接してた。
「東郷って、カッコイイ奴なんだな」
思わず呟いてしまった。
その瞬間。
「――」
「!」
本人と、目が合った。
東郷は驚いたけど、俺と目が合って嬉しいと言わんばかりに。ふっと。朝ごはんを食べた時に見せた笑みを、俺に向ける。
二クラス合同の体育。
人が密集した空間で、イケメンの笑みは、恐ろしく目立つ。
「キャー!」
体育館は、別の意味で熱を上げた。応援歓声が、一瞬にして女子の黄色い声にかき消される。
「え、えぐいにもほどがある……」
東郷は、まさか自分が笑ったことで歓声が湧いたとは思っていないらしい。敵も味方も、誰一人動かなくなった空間を不思議と思いながらも、とりあえずコート手前にいる女子に、コロコロとボールを転がした。
ボールはラインを越え、敵チームの陣営に入る。そしてコツンと、女子の体に当たった。女子を傷つけない紳士的な対応に、また体育館が湧いたのは言うまでもなく。戦意喪失した敵チームが次から次にやられていく。そしてプチ・ドッジボール大会は、なんとも静かに幕を閉じた。
その後、俺は虫の居所が悪くなった。
東郷のおかげで自分のクラスが勝ったのに、心が晴れ晴れしない。
なんでだ?
自分が活躍できなかったから?
いや……理由は何となく分かるんだ。
ただ、認めたくないだけで。
「なー、なんでまた不機嫌なんだよ?」
「少なくとも大西に〝歴史覚えろ〟なんて言わないから、安心してよ」
「やっぱり。何かに怒ってんな?」
大西にからかわれながら、制服に着替える。
その後、更衣室を出る時。
先に部屋を出ていた隣のクラスの声が、耳に入った。
「あのプレー何だよ。女子にだけ良い恰好しやがって」
「ほんとほんと。東郷なんて、しょせん顔がいいだけの暗い奴だろ」
俺が聞いてしまったのは、東郷の悪口。まるで自分が悪口を言われたかのように、体の中を、真っすぐ衝撃が突き抜ける。
「……っ」
「だっせー。負け犬の遠吠えってやつ?」
部活をしていると、こういう光景は日常茶飯事なんだろうか。大西は、きわめて冷静に外の会話を聞いていた。俺一人だけが、アップダウンの激しい情を抱いている。
哀情と、激情。
二つの情が混ざり合い、気持ち悪くさえなってくる。
「やっぱ顔だよなー。イケメンってずるいわ」
「そうそう。顔が良ければ全てよし、だもんな」
アハハ――と笑う声が、俺に突き刺さる。
次から次に矢を放たれ、動けない。
顔が良ければ全てよし?
じゃあ「顔がダメ」って言われた俺は、全てがダメなのかよ?
「……~っ」
勇んだ足が、急にすくんだ。
ドアノブに伸ばした手は、一気に引っ込む。
東郷の悪口に腹が立ったから、一言いってやろうと思ったけど……。奴らの言葉は今や、全て俺に向かっている気がして、呼吸さえままならない。
「舞原、大丈夫か?」
「大西……」
大丈夫じゃない。
大丈夫じゃないに、決まってるだろ。
ルームメイトのことを、陰でこんな風に言われてるんだぞ。ドッチボールで、ただ活躍しただけなのに。東郷には、なんの落ち度もないのに。
それなのに、ただ一方的に悪口を言われてるんだぞ。
そんなの、おかしいだろ。
「おかしいと、思ってるのに……」
なんで俺は、このドアを開けて、奴らを止めに行けないんだ。悪口を、止められないんだ。
「……っ」
俺は、生粋の意気地なしだ。
東郷のことをかばわないといけないのに、自分のトラウマを思い出して、全身が震えて動かないなんて……情けなすぎるだろ。
「お前、顔色ヤバいぞ。荷物は教室に置いといてやるから、お前は保健室に行け」
「いや……いい、それより」
外の奴らを――
震える手を、ドアノブに伸ばした。
その時だった。
「そういう話するの、やめてくれない?」
聞き知った声が、扉越しに聞こえる。
「ん?今の声、東郷?」
「……っ」
控室のロッカーを見ると、確かに。
東郷の着替えだけが、この場に残っていた。
俺が唖然としている間に、外の会話はどんどん進む。
「なんだよ、聞いてたのかよ」
「でも、別に悪口は言ってないだろ?」
「そうそう。イケメンは得だよなって話してたんだよ」
「世の中って顔が全てなんだから、お前は勝ち組だよなって」
すると、ドア越しにピリッとした雰囲気を感じた。
それは言葉へと変化し、姿を見せる。
「顔が全てって言葉、やめてくれないかな」
「なんでだよ」
「あ、もう聞き飽きたってか?」
「ちがうよ」
ズバッと、相手を黙らせる質量のある声が降り立つ。
それは何にも寄せ付けない、唯一無二の声色だ。
「俺の大切な人が、その言葉を嫌うんだ。
だから金輪際、もう言わないで」
「!」
それって、もしかして俺のこと?
いや、考えすぎかもしれない。
だけど――
「わ、わかったよ」
「おい、もう行こうぜ」
走り去る足音と、ここへ残る足音。
後者は控室に入るため、ドアノブを回す。
「やっぱり、いた」
「東郷……」
俺を見て、ふわりと笑う東郷。
その笑みは、朝食を食べてる時に見た時と、体育館で見た時と同じ。雰囲気から柔らかくなって、見る人をみんな虜にしてしまう笑みだ。
「出て来た様子がなかったから、もしかして中にいるのかなって」
「それより東郷、今の話……」
どうきり出せばいいか分からなくて、口ごもる。すると東郷が「いいから」と。温かい手を、俺の肩に置いた。
「それより、気になることがあるんだよね」
「え、なに?」
東郷が急に難しい顔をするから、不安になる。
まさか、さっきの出来事と関係して――
「さっき寮に水道屋の車が来てたんだよね。もう直っちゃうのかな?って思ったら、さっきの授業も気が気じゃなかったよ」
「……は?」
何を言うかと思ったら、そんな事。
張りつめた空気が急に弛緩し、その場にズルズル崩れ落ちる。といっても座り込む前に、後ろにいた大西が「危ね」と、俺の両脇に手を差し込んだ。
瞬間、東郷の視線が鋭くなる。だけど俺と目が合うと柔らかさが戻り、「何でもない」を取り繕った。
「舞原、やっぱ調子悪いんじゃねーか。悪いこと言わないから保健室に行け。体操服は預かっとく」
「え、調子わるいの?」
「さっきまで顔が真っ青だったんだぜ?おまけに、ちょっと震えてるしよ」
「それは保健室一択だね」
俺が「大丈夫だから」と言う暇なく。大男(おおおとこ)二人によって、俺のこれからの行き先が決定する。
「じゃ、俺が舞原の荷物を持つ係で」
「俺が保健室まで送る係ね」
「俺は幼稚園児か」というツッコミは置いといて。片手を東郷に回した後、かみ合わない身長を必死に合わせながら廊下を歩き、保健室を目指す。
「身長差で歩きにくい……というか、俺もう高二だぞ。保健室くらい一人で行けるって」
「ダメ。さっき係決めしたから。仕事を途中で放りだしちゃ、大西に悪いでしょ?」
「いや、特に何も思わないと思う」
きっと大西は本気じゃなかったろうし。係決めみたいな幼稚なことやって、俺が怒る姿を見たかっただけに決まってる。
それを東郷が本気にとったから……今頃、ビックリ仰天してるんじゃないか。
「食堂、直らなかったらいいな」
「……またそれ?」
俺が思案しているなか、東郷は呑気なものだ。口を開けば「食堂食堂」って。どれだけ俺とご飯を食べたいのさ。
「っていうか。そこまで言うなら、食堂で一緒に食べればいいじゃん」
「それも嬉しいけどね。でも二人きりじゃないでしょ?」
「まぁ……そう、か?」
妙な返事をしたところで。
着替えを終えた同じクラスの女子・笹井が、向こうの廊下から姿を現す。
「あ、東郷くん!さっきスッゴイかっこよかったよ。ウチのクラスが勝てたのは東郷くんのおかげだね!」
「みんなのおかげだよ。笹井さんもお疲れ様」
「またまた~。ん?舞原、調子悪いの?」
「いや、そうでもないんだけど……」
すると笹井が俺に手を伸ばし、オデコを触る。ピクっと動いたのは俺じゃなくて、隣の東郷。なにやら羨む目で、笹井を見ている。
「熱はなさそうだけど、顔色が悪いね。次の授業、先生に言っとくから、ゆっくり休んできなよ」
「うん、さんきゅ」
すると笹井は「東郷くんは付き添いで遅れるって言っとくねー」と、急ぎ足で教室を目指した。同時に、チャイムが流れ始める。
残った俺たちの間には、妙な空気が流れていて――
「やっぱり君って隙だらけだよね。あと、女子受けがよすぎるんだよ」
「それを言うなら東郷でしょ。いつでも紳士で、優しいこったね」
妙にギスギスした空気。だというのに、ののしり合っているのは互いの良い所なんだから、笑ってしまう。
「っぷ、なんだろうね。この会話」
「本当、疲れたわー」
支えられていた肩で、いつの間にか俺も東郷を支えていた。それさえも面白くて、どちらともなく腕を離す。
授業が始まった教室を次々に越えながら、静かな時間を二人で共有する。
その中で、俺が思っていたことは――
『俺の大切な人が、その言葉を嫌うんだ。
だから金輪際、もう言わないで』
あの言葉は、素直に嬉しかった。
「さっき、ありがとう」
「ドッチで勝ったこと?」
「……はは、違うって」
「ふふ」
きっと東郷は、俺が何に対してお礼を言ったか分かってる。それでいて、あえてスルーしているんだ。
「少しずつ、東郷のこと分かって来ちゃったな」
「じゃあ次は、気にしてくれたら嬉しいよ」
「東郷は、もう少し人の発言を気にしなよ。さっきみたいな悪口とかさ」
「俺は、別にいいかな」
「気にしないの?」
「気にするけど、基準がある。
俺は、大切な人が傷つかなければ、それでいいんだよ」
ふーん、って思って。
その後に、ん?って思った。
「俺も、そうだ」
小さな俺の声に、東郷が視線を寄こす。透き通った茶色の瞳が、俺を写した。
「俺も東郷と同じ。
大切な人に傷ついてほしくない。
だから――
東郷は、悪口を言われちゃダメ」
「え……」
東郷の体が、ビクリと震える。
もう腕は回してないのに、連動したように俺も体を揺らした。
何を言ってるんだろうな。こんな事を言ったら、東郷は「俺に気がある?」って期待しちゃうって。それに、もし丸め込まれてみろ。
マスクをつけているせいで孤立にならないよう、スキンシップを使って必死に居場所を確保してきたのに。もし、東郷と「仲がよすぎる」って噂が立ったら、どうするんだ。それで人が離れたら、どうするんだ。今までの努力が、全てムダになるぞ。
って、頭では、そう思っているのに。
「でも……さっきの言葉は嬉しかったんだよな」
自分が悪口を言われていることは気にもしないくせに、更衣室にいるかいないかも分からない俺を気遣って、隣のクラスの奴らに立ち向かってくれたことが、どうしようもなく嬉しかった。
「……やっぱりさ。
東郷、ありがとう」
「ん?」
「ありがとうな」
「……ふふ、うん」
ソワソワした空気下にたえられず、何を言おうか言葉を探していると。東郷が、小さな声で呟いた。
「今日の晩ご飯のおにぎりさ、赤飯がほしいな」
赤飯?
なんだって赤飯?
赤飯って通常、お祝いごとの時に――
「あ」
合点がいったと同時に、俺は眉根を寄せる。
「東郷は〝大切な人〟って言ったの。
〝好きな人〟とは言ってないからな?
勝手にお祝い始めないでくださーい」
「なんだ、残念」
クスクス笑う声が、俺の横で心地よく響く。
廊下に並ぶ窓が、いくつか開いている。太陽に照らされ澄んだ空気が、俺たちの前に流れ込んできた。
「なんか、今日って暑いな」
「六月だしね」
「はは、そりゃ暑いや。
でも、これから――
もっともっと、あつくなりそうだ」
少しだけマスクを下げる。
隣に東郷を感じながら、思い切り新しい空気を吸い込んだ。
【完】
*おまけ*
「なんだ、全部のマスクをズラすわけじゃないんだね」
「あ、当たり前だろ!(これでも勇気だしたんだぞ!)」
「ふふ」