幼い頃の夢を見た。
まだ家族が生きていた頃、私に突如舞い込んだ春の話だ。
それが彼との出会いだった。
その日は五条院家が主催する交流会があった。
五条院家というのは、呪術を操りこの国を護るために暗躍する呪術師の頂点に立つ家だ。
この国の呪術師というのは、呪術を操ることもあるが多くは解呪を仕事とする。
私は、そんな呪術家に生まれた。
私の家は分家中の分家だけれど、父は優秀な呪術師で母は呪具の扱いに長けていた。
五条院家は多くの分家を統べる家であり、当代当主の五条院誠也は情の厚い人柄だった。
だからこそ家柄の関係ない交流会が開かれたのだった。
大人がそれぞれの人脈を広げている間、子どもたちはお菓子が用意された庭で過ごしていた。
集められたのは十歳以上の子供たち。
これは実は次期当主である五条院蒼梓の花嫁探しでもあることを当時の彼らは知る由もない。
「楓花ちゃん、お菓子一緒にたべましょー!」
「もちろん!」
私は新しくできた友達とお菓子を楽しんでいた。
普段なら確実に話すことすらないだろう家柄の子達ばかりだ。
他の子たちも、それぞれの交友関係を広げていた。
しかし、子どもたちの中には家柄を気にする子もいたのだ。
「きゃああああ!」
突然叫び声が聞こえたと思えば、悲鳴をあげた子どもの近くからネズミがひょこりと顔を出した。
その近くで、くすくすと楽しそうに笑う子どもたちがいた。
ネズミに悲鳴をあげている子は分家の中でもさらに位の低い家の子だった。
普段なら絶対に足を踏み入れることすらできないであろう五条院家の庭で、家柄関係なく過ごせているのが気に入らなかったのだろう。
彼女たちが仕組んだことは見れば明らかだった。
「ちょ、ちょっと、楓花ちゃん…!?どこに行くの!」
スタスタと歩き始めた私を周りの子が手を掴んでが止めたけれど、大丈夫だと言って笑いながらその手を解いた。
泣きながら悲鳴をあげる女の子に近づくと、ネズミはピュンピュン周りを走り回った。
「い、いやああっ」
さらに涙を流す女の子の頭をゆっくり撫でる。
「だいじょうぶだよ」
そして勢いよくネズミを素手で掴んだ。
「え…」
周りの子どもたちの困惑した視線が一気に集中する。
まさか素手で掴むなんて思ってもなかったのだろう。
私はその視線を気にしないようにしながらネズミを庭の外へ逃した。
「あの子…ネズミを素手で掴んだね…」
「やだ、汚い……」
「ちょっとはしたないな」
ひそひそと顔を顰めて話し出す他の子たちを見て、失敗してしまったと思った。
さっきまで笑顔で話してくれていた子も困惑した顔でこちらを見ている。
次に虐められるのは私かもしれない。
そんなことをぼんやりと思った。
そんな中、一人の少年がこちらへ歩いてきた。
彼はネズミに驚いて泣いていた子をそばにいた従者に任せ、なぜか私の方に歩いてくる。
「ありがとう。一人でネズミを追い払ってくれるなんて、君はすごいな」
にっこりと笑って、彼はみんなが汚いと言った私の手を握った。
「手を洗いたいよね?一緒に行こうか」
そう言って私の手をそのままぐいと引っ張ると、思い出したというように振り返った。
「誰もできなかったことをこの子がやってくれたんだ。汚くも、はしたなくもないだろう?」
笑みを深めた彼の瞳は私を貶した人たちへしっかりと向けられていた。
しいん、と静まり返った辺りを気にせず、彼は行こう?と言って私の手を引っ張った。
私もできるだけ気にしないようにして彼の後ろを歩いた。
手を引かれ歩いている途中、綺麗な花が咲いた小さな鉢がたくさん並んでいた。
まるで道を作るかのように並べられた花々にうっとりする。
「わあ、綺麗…」
思わず呟いた言葉を、彼はしっかり拾ってくれた。
「いつも庭師が整えてくれているんだ。僕のお気に入りの場所でもある」
周りの子たちに笑顔で汚くないと言ってくれた時もそうだったけれど、彼の言葉の端々から彼の身分が感じられる。
きっと彼が五条員家次期当主、五条院蒼梓だ。
なんだか私では絶対にお目にかかれない方に汚い手を触らせているのが申し訳なくなってきてしまった。
彼は汚くなんてないと言ってくれたけれど、ネズミなんて今までどこで何をしていたのかわからないし、菌が私の手についていることは間違いない。
かと言って今彼の手を振り解くことなんて不敬すぎてできるわけもない。
どうしたものかと頭を悩ませていたとき、彼の足が止まった。
「着いた。ここで洗おう」
そこは小さな花園の隅にある水道だった。
花の香りに包まれ、先ほどとは対照的に静かなこの場所は夢のように綺麗だった。
「気に入ってくれた?」
ちょっとしたいたずらが成功したときのような顔で彼が笑った。
私がさっき花の植えてある鉢を綺麗だと言ったから連れてきてくれたのかもしれない。
そして彼はそのままなぜか私の汚い手を水で洗い始めた。
「だ、駄目です五条院さま!自分で洗えます!あなた様がするようなことでは…!」
驚いて手を引っ込めようとすると、彼は私の手をさらにぎゅっと握った。
「いいんだ、あのときすぐに君を助けに行けなかった礼だと思って?本当は僕が行くべきだったのに、君に大変なことをさせてしまった」
本当に申し訳なさそうな彼に、これはさらに言い募っても諦めてくれなさそうだと思った私はそのまま手を洗ってもらうことにした。
「君はネズミが得意なの?」
手を優しく水で洗いながら、彼がそう聞いた。
「得意というか…うちではそういう特訓をするので」
「特訓?」
「はい!虫とか蛇とかが出たときに、父が叫ぶんです。『みんな、戦闘準備ーっ!」って」
ふはっ、と吹き出した彼は、楽しそうに続きを聞きたがった。
「そしたらどうするの?」
「そうしたら、お母さまは網を持って、私は箒を持って、弟たちは威嚇するんです」
「すごい、本当に戦闘準備だ」
「そうなんですよ!そして、父が『かかれー!』って言うの。その合図でみんなで道具を振り回したり、手で首根っこを押さえようとしたりして……」
私の話を楽しそうに聞いてくれる彼にもっと聞かせたくなって、私は夢中になって話した。
「でもなかなか捕まらないのよ…それをね、お父さまが最後に一掴みで捕まえちゃうの!すごいでしょう?」
「ああ、かっこいいね」
「さっきのはね、お父さまのやり方を真似してみたの!できるかわからなかったけれど、コツが掴めたような気が、す……」
そこまで話して、途中から敬語がすっかり抜けてしまっていることに気づいた。
明らかに不敬だ。
「は……っすみません!五条院さまに対して無礼な口のきき方を!申し訳ありま…」
青ざめた顔で必死に頭を下げて謝る私を、彼が私の手を優しく握ることで止めた。
「むしろ敬語なんていらないよ。そのままがいい。もう友達みたいなものだろう?」
五条院の次期当主が私を友達認定していることに驚いて、私は目を見張った。
「え…っ?」
「ちがった……?」
困惑した私をみて寂しそうに彼が眉を下げるものだから、私は立場なんてすっかり忘れてしまった。
「ううん!友達になりたい…!」
そんな私を見て、彼は心底嬉しそうに笑った。
「ありがとう。僕はもっと友達の話が聞きたいな?」
それから、私たちはお互いの家についての話から、最近の悩み事までたくさんの話をした。
「君は本当に家族と仲がいいね!僕の家ではそんなことはしないけど、すごく楽しそうだ」
中でも彼は、私の家族との思い出話を楽しそうに聞いてくれた。
「五条院さまは家ではどんなことをするの?」
そう聞いたとき、彼の顔がむっすりと不満気になった。
家庭に踏み込みすぎてしまったのかもしれない。
喉がひゅっと音を立てる。
「ご、ごめんなさ…」
「蒼梓」
「え……?」
「蒼梓って呼んでよ…五条院さま、って、仲良くないみたいだろ」
少し拗ねたような顔で彼が言った。
なんだか新しい一面まで見れたようで嬉しくなった私は、たまらずその名前を呼ぶ。
「そうし!」
呼ぶと彼は花が綻ぶように嬉しそうに笑った。
「楓花」
そして、少し照れながら私の名前を呼んだ。
驚いて返事ができなかった私を見て慌てたのか、彼があたふたと言い加える。
「ふうか、って呼んでもいい?」
家族以外の男の子に名前で呼び捨てされたことがなかった私は、最大に照れてしまう。
真っ赤な頬でこくりと頷くと、蒼梓は再び嬉しそうに笑った。
「ふうか」
「なあに、そうし」
きっと何よりも幸せな時間だった。
「僕のお嫁さんになる人が、君みたいな人だったらいいのに」
蒼梓は君がいい、とは言わなかった。
次期当主になる身として、たとえ世辞であってもそんなことは軽々しく言えないのだろう。
その言葉にどう返したのか、私はもう覚えていない。
私が十二歳、彼が十四歳のときの話だ。