これが一生に一度きりの恋ならば



石垣藍(いしがきらん)美坂(みさか)あやか 祝 クラス初カップル誕生!』


 最悪……、というのはまさにこのことを言うのだろう。



 ――高校に入学してから4ヶ月目の7月上旬。
 私が在籍している1年5組の教室の中に足を一歩踏み入れた瞬間、地獄の光景が待っていた。
 黒板には、赤や青や黄色や白のチョークを使って私たちの交際を祝福する文字が書かれている。

「な……ぜ……」

 たしかにその通り、昨日から石垣くんと交際している。
 でも、この現実が受け入れられない。
 なぜなら私自身がこの交際を認めていないのだから。

 想定外のシュチュエーションに呆然としていると……。

 パンッ! パンッ! パンッ! パンッ!!

「うわぁぁぁ! あやか、おめでとう!! ずるいよ〜、石垣とカップルになったことを内緒にしてるなんて!」
「美坂、やるじゃん! マジでお前たちの関係気づかなかったよ」
「あやかと石垣くんがこのクラスの第一号カップルだねぇ〜」

 耳鳴りがするほどの爆音クラッカーに、ひらひらと目の前に舞うカラフルな紙吹雪。
 ドミノ倒しのように笑顔で詰め寄ってくるクラスメイトに、複数人の拍手。
 右に、左に……。
 まるでいまから挙式でも始まるのかと思うくらい歓喜の声。

 私は勢いに負けてカバンを握りしめたまま後ずさる。

「どうしてみんながそれを……」

 動揺していると、石垣くんの親友の坂巻雷斗(さかまきらいと)くんが私の肩にポンッと手を乗せた。

「昨日から藍と付き合い始めたんだって? 隠さなくてもクラスのみ〜んなにバレてるよ」
「えぇっ?! あっ、あのっ!! それはね……」
「おめでとう! やったな!! お幸せに!」

 彼はニヤケたままハイタッチを求めてきたので、私は表情が曇ったままゆるいハイタッチをする。
 すると、その横に渦中の人物が現れて私の肩を抱いた。

「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっ! 離れろって。相手がお前でも美坂に手ぇ出したら許さないからな」
「おぉ〜、怖っ! わかってるって!」
「クラスのみんなも美坂に手ぇ出すなよ〜。俺ら付き合ってるからぁ!」
「……」

 そこに私の気持ちなど挟まれない。
 ってか、これが本当に好きな人なら100%嬉しかったはず……なのに。
 実は昨日大変なミスを犯してしまった。


 ――ことの発端は、昨日の5時間目終了後。
 私は人影が薄いクラスの下駄箱前で、胸に一通のラブレターを抱えて彼の下駄箱番号を指で探す。

「1509。うん、間違いない! 1509!」

 ちなみにラブレターを渡す相手は石垣くんではない。
 私の片想い相手は梶大喜(かじだいき)くん。
 今日は告白しようと思って彼の下駄箱にラブレターを入れようとしていた。

 そんな中、玄関の向こうから女子集団の声がしたので、びっくりして手元が狂いラブレターを落とす。
 だが、すかさず拾って彼の下駄箱に突っ込み、その場を走り去った。

『好きです。お付き合いしたいので返事を聞かせてください。今日の15時45分に体育館裏で待ってます。美坂あやか』

 6時間目の授業終了後にラブレターは確実に読まれる。
 そう考えるだけでも心臓が爆音を奏でる。
 あと1時間後には梶くんの彼女になってるかもしれないのだから。


 ――でも、約束の場所に現れたのは、なぜか同じクラスの石垣くん。
 彼はスタイリングしてある黒髪マッシュの陽キャタイプで学年一勉強ができる人。
 それくらいの情報しかわからないし、入学してからほとんど喋ったことがない。
 そんな彼がいま目の前に。

「石垣くん、どうしてここに?」
「だって、お前が俺の下駄箱にラブレターを入れたから来たんだけど」
「えっ、何の話?」
「ほら、これ! お前が書いたやつだろ」

 彼がスラックスのポケットから取り出して目の前で開いたのは、まぎれもなく私が昨晩書いたラブレター。

「……それは、たしかに私が書いたものだけど」

 どうして彼が持ってるかわからない。
 ラブレターを入れる直前に梶くんの下駄箱番号を確認したはずだから、石垣くんの手元に渡るはずがないのに。
 しかも、よく見ると一番大事な宛名を書いていないという。

 そこで気付いた。
 彼はラブレターが自分に宛てられたものだと勘違いしてることを。
 もしかして、ラブレターを床に落とした直後に下駄箱へ突っ込んだから、その時に入れ違えちゃったのかもしれない。
 だとしたら、私が石垣くんのことを好きだと勘違いしてるかも。
 どうしよう!!

「それは……。なんというか、そのぉ……」

 冷や汗を額にびっしりと浮かばせながらも誤解を解こうと思った。
 傷が浅いうちに真実を伝えれば笑い話で済むだろうから。
 だが、そんな願いも虚しく……。

「美坂からのラブレター、すっっっげぇうれしかったよ!!」

 彼は白い歯をキラリと光らせながら、ラブレターと共に両手で私の手をぎゅっと握る。

「へっ?」
「俺も美坂のことが好きだから! ずぅーーーっと、ずぅーーーっっと!! いつ喋ろうかって、いつ告ろうかって。それが、まさか美坂の方から告ってくれるなんて……。よっっっしゃぁああああ!!」
「だ、だから、それはね……」
「やっべぇ。こんなにハッピーな出来事なのに一人で喜ぶのはもったいないな……。あ、そうだっ!! 記念に誰かに報告しなきゃ」
「えっ、記念に報告って……」

 一度かかったエンジンは止まらない。
 私は気持ちが追いつけないまま彼にクンッと手を引っ張られて一緒に走らされる。
 体育館裏から校舎が並ぶ通路に出て、はぁはぁと息を切らしながら立ち止まった先は、いま部活動の準備をしている生徒たちが集まる校庭。
 彼は胸いっぱいに息を吸い込んで大きな声を吐き出した。

「俺、彼女ができましたぁぁぁぁああ!! 相手は俺が大好きな美坂あやかでぇぇぇええす!!」

 私は予想外の展開を迎え、「えっ」と声を漏らして彼を見る。
 すると、彼の声に気づいた部活動の生徒たちは「おめでとーー!!」とか「ヒューヒュー!!」とか口笛やら拍手やら歓声が上がり、一部のクラスメイトが私たちの方へ。
 そして彼は仲間たちに胴上げされる。
 もはやこの段階で私は蚊帳の外へ。
 一刻でも早く誤解をとかなきゃいけないはずが、場は祝福ムードになってるし。


 ――そして、いまに至る。
 ラブレターはたしかに梶くんの下駄箱に入れたはずなのに……。



 ――同日の昼休み。
 私は親友の富樫(とがし)みすずと教室でランチをしながら昨日の件を伝えた。
 ところが、みすずは私の気持ちなど考えずにプッと笑う。

「いいじゃん! 石垣くんってさ、顔はいいし、性格は明るいし、キラキラしてるし、成績優秀だし。……それに、王子様系はあやかのタイプでしょ?」
「それは入学時までのタイプ! いまは梶くんに一途なのを知ってるでしょ」
「ろくに喋ったことないくせによく言うよ。剣道している姿がカッコイイと思っただけでしょ。私も何度か喋ったことはあるけど中身は普通だって」

 4月に体育で剣道の授業があった。
 梶くんは剣道を習っていたようで、シュッとした姿勢で素振りをしている姿がかっこよく見えた。
 そこから興味が湧いて、剣道の話題から少しずつ話すようになって想いが募っていき、昨日告白しようと思っていたのに……。
 
「みすずの価値観を叩きつけないでよ! 私には王子様にしか見えないの。……それ以前に、私の恋の応援をしてくれないの?」
「あのさぁ〜。あんたは15年間彼氏がいないのに、恋の意味わかって言ってるの?」
「もちろんわかってるよ! 好きな芸能人を見たときにドキッとするような感覚と一緒でしょ?」
「はぁ〜……。まだまだね。石垣くんはもっと深……」
「石垣くんはもっと深?」

 意味深な言葉に首をかしげる。

「ん゛っんっ〜……。それ以前に一つ残念なお知らせがあるよ」
「なによ。残念なお知らせって」
「今朝石垣くんが交際発表をした時点で、あんたは梶くんに間接的にフラれてるよ」
「うっぐ……。たしかに」

 たった一度のボタンの掛け違えが、こんな悪夢を生み出すなんて。
 本来なら梶くんと恋人になっていたかもしれなかったというのに。
 トホホ……。

 頬杖をついたままブスッとしていると、教室に坂巻くんが戻ってきた。
 気づいたみすずはカバンから小さな手鏡を出して前髪をささっと整える。
 彼女は最近女の子らしい仕草が増えた。
 だから、もしかしたらという想いがある。

「みすずは坂巻くん狙いでしょ」
「……どうしてバレたの?」
「いつも目がハートになってる」

 みすずは机に身を乗り出すと声を弾ませた。

「実はさ、このまえ駐輪場で自転車をドミノ倒ししちゃってさ。それを手伝ってくれたのが坂巻くんだったんだよね。その優しさについキュンとしちゃったというか」
「私はそう思った相手が梶くんだったけど?」

 淡々として答えると、彼女は波が引いていくように椅子に深く腰をかけて腕を組む。

「まぁ〜、とにかくクラスメイトはあやかたちの交際を歓迎してるし、私はこの雰囲気を悪くするのはどうかなぁ〜と思って」
「なによ、それ! 親友として私の気持ちを考えてくれないの?」
「そんなことないよ〜。あ、ほらっ! そろそろ授業始まっちゃうから自分の席に戻るね」
「もう! みすずったらぁ! ひとごとなんだから」

 たしかに、ほぼクラス全員に祝福してもらえるほど石垣くんというキャラは好かれている。
 中間テストはオール満点の学年一位。
 英語はペラペラ。
 それでいて、クラスのムードメーカー。
 唯一の欠点は、交際話をクラスメイトに繰り広げたこと。

 だけど、全く喋ったことがないのに、私のことが好きだったなんて意外。
 石垣くんのことをよく知らないし、梶くんの代わりにすることなんてできないから付き合えないよ。
 周りの反応がどうあれ、やっぱりちゃんと誤解を解かないと。

 ――と、思っているのに……。



「じゃあ、美坂。また明日」
「うん……。バイバイ」

 ――放課後の教室内。
 ぎこちない笑顔で石垣くんに手を振り返す。
 しかし、追いかけろと言わんばかりのクラスメイトの目線が背中に突き刺さる。
 うぐぐ……。
 私から告白したことまで噂になってるせいか圧が半端ない。
 でも、今日中に問題を解決しないと話は膨らんでいく一方に。


 プレッシャーを感じつつ、教室から出ていった彼と距離を置きながら追った。
 すぐに声をかけたら、また周りの人たちに冷やかされそうだから。

 でも、どうして自分だけがこんな目に……。
 いつ石垣くんに声をかけよう。
 校門を出てからの方がいいよね。
 生徒の目に触れない場所で声をかけたほうが被害は少ないかな。


 声をかけるタイミングや話の切り出し方など考えていると、彼は学校から徒歩2分のコンビニへ入る。
 雑誌コーナーで雑誌を手に取ったところを見計らって私も店内へ。
 いざ声をかけるとなると緊張する。
 なぜなら、アクションとアクシデントは常に隣り合わせだったから。

 気持ちを切り替えて彼の名前を呼ぼうと思った途端、その隣にいる黒い帽子で黒いTシャツの男が、肩からぶら下げているトートバッグに何かを突っ込んだところを目撃する。

 ままま……、万引き?!?!
 そう思ったのもつかの間、男は早足で出入り口付近に硬直している私の方へ向かってくる。
 アタフタしていると男は店外へ。
 私はすかさずその後を追うように店を出た。

 すると、男はすぐ脇に停めてある車に乗り込んでエンジンをかけて車を発車させる。
 私は店員を呼ぼうとして店に目を向けると、そのタイミングで石垣くんが自動ドアを通り抜けてきた。
 彼を追いかけて来たのがバレると思って隠れようとしたが、その後ろから店員がこっちへやって来る。
 その時、店員はてっきり犯人を捕まえると思っていた。
 しかし、向かった先は駐車場を歩いている石垣くんの方へ。
 そして、肩をがっしりと掴んで鬼の形相で声をかけた。

「君! 店の中でカバンに何かを入れなかったか?」
「……なんのことですか?」

 彼はきょとんとした表情で店員を見た。
 逆にそれが癪に障ったのか、店員の口調がワンランク上がる。
 
「会計をしていない商品をカバンに入れただろ。私はこの目で見たんだ!」
「そんなことしてませんよ」
「いいからカバンの中を見せなさい!」
「だから入れてないのに」
「確認するまで信じないからな」

 石垣くんは現況が掴めていない様子。
 それもそのはず。
 万引き犯の犯行を目撃していないのだから。
 しかし、店員は明らかに彼を疑っている。
 ボーッと眺めている暇はない。
 この疑いを晴らすのは自分しかいないのだから。

 私は拳を握りしめながら二人の目の前に立った。

「あのっ……!! 誤解してるようなので言いますけど、石垣くんは万引き犯じゃありません」

 突然間に割って入ったことで二人の目線を集める。
 だが、店員は眉を釣りあげたまま私に言った。

「君はこの男の知り合いかね」
「そうですけど……。私、店の中から一部始終見てたんです。万引きした人は車で逃走してしまってもうここにはいません」
「美坂……」
「とっ、とにかく! 石垣くんは万引き犯じゃありませんっ!! 私がこの目ではっきり見たので断言します!」

 真相を知って欲しくて声のボリュームが右肩上がりに。
 しかし、オーナーは腕組みしたままふんと鼻を鳴らす。

「それは本当かな。店の防犯カメラを見るまでは信じられない」
「じゃ、じゃあ、一緒に防犯カメラの映像を見ましょう」
「いいだろう。二人とも店のバックヤードに来なさい」

 それから私たち三人でバックヤードに行き、防犯カメラの映像を巻き戻して先ほどの状況を確認する。
 そこに万引き犯の犯行はバッチリと記録されていた。
 彼の無罪は証明されたが、店員は間違いを認めたくないのか仏頂面に。

「ゴホン……。君が犯人じゃないということがわかった。……もう帰りなさい」

 店員はそれだけを伝えると、速やかに席を立って店内へ向かった。
 その背中を見た途端、もやもやとした感情が体中を循環していく。

 犯人が判明したから解決……で終わりじゃない。
 見間違えでこれだけの騒ぎを起こしたのだから、私はもうひとことを待っていた。

「待ってください!」
「……まだなにか?」

 店員はギロリとした眼差しを向けてきたが、私は怖じけずに続けた。

「彼に謝ってください」
「どうして私が?」
「元はと言えば、あなたが見間違えたんですよね。だったら、『ごめんなさい』のひとことがあってもいいんじゃないですか?」
「美坂、いいよ……。ビデオで無実が証明されたんだから」

 石垣くんは間に入るが、気が収まらない私は首を横に振る。

「よくない! ちゃんと謝ってもらわないと、石垣くんの悪い記憶として残っちゃうよ」
「別に大した記憶じゃないし、いいって」
「こーゆーことはハッキリさせなきゃダメ! 悪いことをしてないんだから謝ってもらうべきだよ!」

 彼の腕を掴みながらそう言うと、店員はゴホンと咳払いした後に小さな声で「すまなかった」と言って店内へ戻って行った。

 あの言いっぷりだと、納得してない様子。
 正直こっちが腑に落ちない。
 そのせいもあってもやもやした感情だけが爆弾のように残される。


 私たち二人はコンビニの自動ドアを出た。
 口を尖らせたまま俯いていると、彼は背中を向けたままボソッと呟く。

「……俺にはやっぱり美坂しかいないかも」
「えっ、いまなんて? 声が小さかったからよく聞こえなかった」

 振り返った彼は頬を赤く染めたまま言った。

「あのさ、もしかして俺のあとをつけてきたの?」
「あー……あっ、うん。ちょっと話をしたかったから。でも、まさかこんなアクシデントに見舞われるなんて……」

 交際を断ろうと思って尾行していたなんて言ったらさすがにまずいよな。
 なんて思いながら苦笑いしていると、彼は笑顔で私の髪をぐしゃぐしゃと撫でた。

「サンキュ!」
「えっ」
「やっぱり両想いってサイコー! お陰で最高な日になったわ」

 勘違いから始まった交際は、勘違いのまま一人歩きしていく。
 それどころか、自ら恋心に拍車をかけてしまったという。
 付き合ってることをこんなに喜ばれたら余計に真実が言いにくくなるじゃん。

「あっ、あのさ……」
「今日からは藍でいいよ」
「でも、いきなり呼び捨てなんて」
「恋人なんだから当然だろ。俺もいまから呼び捨てにするわ」
「……そ、その話なんだけどね」

 それでも今日中に誤解を解こうと思っていた。
 時間が経てば経つほど真実が言い難くなっているから。

 ところが、彼の笑顔を見ていたら喉の奥で言葉が詰まってしまい、あともうひと声が出ない。
 その間、彼はスラックスのポケットから緑色の筒型のパッケージに入ったラムネを取り出す。

「このラムネうまいよ」
「えっ」
「俺の好きなお菓子。食えば元気になるよ」
「別に元気がない訳じゃっ……」

 と、言いかけてる最中……。
 彼の指先から私の口の中へコロンとラムネが放り込まれる。
 その途端、まるでスイッチがオフになってしまったかのように思考が停止した。

「ね、うまいでしょ!」

 太陽のような微笑みに、喉の奥で詰まってた言葉は押し戻されていく。
 調子を崩されたのはこれで三回目。
 私が言いたいことは、ホワイトボードの文字を消すように簡単に消えていくという。



「はぁぁぁ……。交際を断りたいけど全然うまくいかない……。向こうのペースに巻き込まれちゃうというか、いつもタイミングが悪いというか……」

 ――翌日の校舎二階の渡り廊下を歩いている最中。
 教科書とノートを胸に抱えたままみすずに愚痴をこぼしていた。

 藍は嫌な人ではないけど好きな人でもない。
 現状のままだと更に断りにくくなるような気がする。
 ふてくされていると、みすずは言った。

「そのまま付き合ってみて相性が悪かったら別れればいいんじゃない?」
「えっ! 無理だよ、無理無理! 藍と恋人なんて……」

 右手をヒラヒラと振って反論する。
 みすずはいつもひとごとだ。
 好きな人への告白が空振りで、接点のない人に告白されたと勘違いされて、交際することになって、それがクラス中に知れ渡って、苦労している私のことなんか……。

「どうして?」
「だって、人生初彼氏だよ? 好きな人ならまだしも、藍のことをよく知らないのに」
「だからこそ見極めるのよ。どうしても無理だったら断ればいいだけだし。そうすれば、ちゃんとした別れの理由になるでしょ?」
「そうだけど……。乗り気にはなれないよ。まだ梶くんへの失恋の傷が深いというか……」
「失恋を考える時間が減れば少しは楽になると思うな。…………あ! ねぇ、外見て」

 みすずは一旦足を止めて窓ガラスの方に指を向けた。
 つられて外に目を向けると、そこには藍と違うクラスの女子が二人きりで話している。

「あれって告白じゃない? うわぁぁ。女子の顔真っ赤」
「みすずの考えすぎだって!」
「いや、マジっぽい雰囲気だよ。見てみ」

 窓枠に手をかけていたら少しだけ会話が聞こえてきたので、みすずと同時に耳をすます。

「ごめん……。俺さ、あやかと付き合い始めたばかりだから君とは付き合えないよ」
「石垣くんが好きじゃないなら断っちゃえばいいじゃない。私、美坂さんより石垣くんのことを好き! それだけは自信あるの!」

 彼女のプッシュは強い。
 きっと藍のことが本気で好きなんだろう。
 しかし、彼は表情は変わらない。
 
「俺は世界で一番あやかが好きだけど?」
「……え」
「正義感が強くて、優しくて、かわいくて。それに、あいつを悲しませることをしたくないから、この話はここでおしまいにするね」
「石垣くんっ……。待って!」
「ごめんね」

 藍はこれ以上話す気がないような様子で場を離れていった。
 すると、みすずは藍の背中を見たままつぶやく。

「石垣くんって凄いね。あやかに本気なのがこっちまで伝わってくるよ」
「……」
「あそこまでキッパリ言いきってくれると逆に清々しいと言うか」

 浅はかな気持ちで付き合い始めた私とは対照的な彼。
 私が見ていないところでもしっかり想ってくれている。
 そのせいで心の傷がえぐれていく。

 校舎に入っていく彼を見つめていると、後ろから誰かに肩をポンっと叩かれた。
 振り返るとそこにはクラスメイトの石橋くんと意中の相手の梶くんの姿が。

「お前の彼氏モテモテじゃん。フラれた子、学年イチ美人の金井さんだよね」
「……っ!!」
「なぁんか、かっけぇ〜な。あそこまでお前が好きだときっぱり言いきると」
「うん! 私もそう思う!」
「もうっ、みすずまで。冷やかしはやめてよ〜〜っっ!!」

 梶くんは口を出さなかったけど、石橋くんがニヤケ眼でそう言った瞬間、失恋に追い打ちを食らったような気分になった。



 ――土曜日。
 私は藍のペースに流されてデートすることになり、真っ赤なハートのモニュメントの前で待ち合わせをした。
 ここはインスタ映えする有名な場所で恋人や友人同士の待ち合わせに使われることが多い。
 5分前に到着したけど、彼は先に到着していて私の姿に気づいた瞬間両手をブンブンと大きく振る。

「あやかーーーっ!! あやかーーーっ!! こっちこっちーー!!」
「そんなに大きな声出さないでよ……。恥ずかしいでしょ」

 文句を言いながらも、見慣れない私服姿に目線が貼りつく。
 黒のダメージデニムに五分袖のグラフィックTシャツ。
 正直私好みのコーデだ。
 ……いいや、そんなことはどうでもいい!
 今日こそは事実を伝えないと!

「どこ行きたい?」
「映画! いまちょうど観たい映画があるんだよねぇ」
「へぇ、どんな映画?」
「恋愛映画なんだけどね。感動作品みたいだよ」

 彼は私の思惑など知らない。
 泣ける映画なら悲しい雰囲気を活かして別れ話に持っていけるはず。

 ……と、思ってさっそくショッピングセンター内にある映画館へ移動して映画を観ていたのだが。
 恋人が別れるシーン辺りに隣からなにか聞こえてきた。
 ふと目線を横に向けると……。

「うわっ、マジ? グスッ……。ズズズッ…………。うわっ、俺、こーゆー別れ方無理かも……」

 彼はスクリーンの光を浴びたまま鼻頭を赤くして号泣している。
 女子でもドン引きするくらいに。

「ちょっっ、泣いてるみたいだけど大丈夫?!」
「うん。へーきへーき。ずびっ……」
「全然平気そうじゃないけどね」
「お互い好きなのに、別れなきゃいけないなんて残酷だよな」
「あーー、うん。そうだね……」

 残念ながら、作戦はまんまと失敗する。
 彼の中では私と両想いということになっているから、このあとに別れを告げたら同じ反応が返されるような気がしてならない。
 別れを切り出したあとに泣かれるのは嫌だ。
 一旦別れ話は保留にしてもう少し深刻にならない方法を考えないと……。

 それから彼のテンションを上げるために別のフロアにあるゲーセンへ。
 店頭にズラリとクレーンゲームが並んでいて、私たちはその近辺を歩く。
 だが、その中の目新しい台につい足が吸い寄せられてしまった。

「うわぁ! 景品にオルゴールがある。クレーンゲームでは珍しい」
「ふーん。オルゴールかぁ」
「うん。実はオルゴールを集めるのが趣味なんだ。だから、オルゴールがあるとつい見ちゃう。……ねぇ、私これやりたい!」
「じゃあやってみよっか!」
「うんっ!!」
「で、どうやって遊ぶの?」
「クレーンゲームの遊び方を知らないの?」
「ゲーセンに来るの初めてだから」
「そ、そうなんだ……」

 いまどき高校生にもなってゲーセンに来たことがないなんて珍しい。
 そう思いながら、カバンの中の財布を出して200円をつまみ出す。

「まず投入口にお金を入れる。上と横のボタンで一度ずつアーム操作ができるからそれぞれ動かしていくの。目的地がきまったらボタンを離す。そうすると、アームがおりて景品を掴む仕組みになっているの。景品が掴めても掴めなくてもアームは景品取り出し口まで移動していくんだよ」
「へぇ、おもしろそう! やってみたい!」
「じゃあ、私が先にお手本でやるから交代でやっていこうか」

 さっそくゲームを始めて、ピラミッド形に積み重なっている頂上のオルゴールにアームは届くが少し位置がずれる程度。
 何度挑戦しても商品の角度が傾くだけ。
 簡単に取れるはずはないが、1000円くらい使い切ったところで「そろそろやめよう」と伝える。
 だが、彼は首を横に振って台から離れようとしない。

「もういいよ。無駄遣いになる」
「だーめ。彼女の願いは叶えてあげたいの」
「そこまで欲しくないからいいよ!」

 そんなやり取りをしていると、店員がそれに気づいて取りやすい位置までオルゴールを配置してくれた。
 それから数回チャレンジしたあとにオルゴールは見事にゲット。
 彼は満面の笑みでハイタッチを求めてきたので、私は戸惑いながらハイタッチを返す。

 本当のことを伝えなきゃいけない自分と、デートを純粋に楽しんでくれる彼。
 心の温度差は私の胸を窮屈にしめつけていく一方だった。


 ――ゲーセンを出てから彼に「連れていきたい場所がある」と言われ、到着したのはあじさい寺。
 開花時期ということもあって、小道の両脇には青や紫や白やピンクのあじさいが景色を彩っている。
 青々とした香りと視界いっぱいに広がるあじさいを見て思わずテンションが上がった。

「うわぁ、きれい! ……私ね、花の中であじさいが一番好きなんだ。淡い色の花びらがたくさんついていてかわいいでしょ」
「知ってる。だからここへ連れてきたんだ」
「へっ? 私、言ったっけ?」
「ああぁ……えっと……、この前、富樫と喋ってたところがたまたま聞こえて……」
「それも全然覚えていないんだけど……」
「まぁ、いいから! 実はここ、俺のお気に入りの場所なんだ。あっ、そうだ。さっきゲットしたオルゴールを出して」

 彼は近くのベンチに座ってからスッと手のひらを向けた。

「もしかして、ここでオルゴールを鳴らすの?」
「そうだよ」

 私はカバンの中のオルゴールを箱から出して渡すと、彼はゼンマイを巻いてメロディを流したので隣に座る。
 目の前いっぱいに広がるあじさいと、オルゴールのゆったりとした音色。
 幻想的な雰囲気に時を忘れてうっとりと曲を聞き入ってしまう。

「素敵……。こんなにロマンチックな楽しみ方があるなんて……」
「喜んでくれてよかった。オルゴールを聞くならここだと思って。それに、一緒にあじさいを見たかったし」

 結局彼のペースに乗せられていることを理由にして、私は自分の首をしめていた。
 ラブレターを入れ間違えたことを早く伝えなきゃいけないのに、彼は1分先の笑顔を引き出すことを考えている。
 だから、言った。

「ごめんなさい……」
「ん、なにが?」
「実は、藍が受け取ったラブレターは別の人に渡すはずだったの」
「えっ」
「下駄箱に入れ間違えたことをすぐに伝えなくてごめんなさい。デートも沢山楽しませてくれたのに最後に嫌な想いをさせてしまって……。本当に本当にごめんなさいっ!!」

 私は誠心誠意を込めながらおへその位置まで頭を深々と下げた。
 もしかしたら許してもらえないかもしれない。
 私たちが恋人になったことをクラスで大々的に発表したのに、即失恋させてしまったのだから。


 ――およそ15秒間、無言が続いた。
 心臓はバクンバクンと鼓動を打ち続けて壊れそうになるくらい罪悪感に苛まれている。
 すると、彼は重苦しい口調で言った。

「お前の反応を見てたらなんかおかしいなと思ってた。告白してきたのに、全然恋してるような雰囲気でもなかったし」
「ごめんね。言わなきゃいけないと思ってたけど、なかなか言いづらくて……。だから、あの日のことを忘れて欲しい」

 ……言った!
 とうとう言った!
 たったこれだけを伝えるのに、どれだけ遠回りしたことか。
 藍が好きでいてくれる分申し訳ないと思っているけど、間違いは正していかないと。

 私は真実を伝えたことによってホッとひと息ついていたはず……、だったが。

「なに言ってんの? 俺は別れないよ」
「えっ」
「無理。お前が好きだから」

 予想外の返答によって頭の中が真っ白になる。
 
「だ、だって、私には他に好きな人がいるし……」
「そ? 俺はお前を落とすつもりだけどね」
「なによ、その自信……。どこから湧き出てくるのよ」

 罪悪感と混乱でなんと伝えればいいかわからなくなった。
 胸までの長い髪を耳にかけて一度深いため息を落とす。

「自信なんてないよ。ただ、別れるならもう少し俺のことを知ってからにして欲しい」
「じゃあ、それまで藍の彼女でいるってこと?」
「そ。7月31日まで期限つきってのはどう?」
「えええっ!! ……そんなのダメに決まってる。31日まで4週間近くもあるよ」
「どうして? お前がラブレターを入れ間違えたせいでぬか喜びさせたくせに? それが原因でクラスで発表しちゃったのに? クラスのみんなが俺たちの恋の祝福をしてるとわかってるくせに?」
「うっ……」

 穴があったら入りたい。
 あの時ラブレターを入れ間違えなければ、こんな面倒くさい展開にならなかったのに……。

「じゃあ、31日まで藍を好きにならなかったらどうするの?」
「そしたら諦める。お前のことをさっぱり忘れるよ」
「……ほ、本当にさっぱり忘れてくれるの?」
「努力する。その代わり、期限までに俺を好きになってくれたら気持ちを伝えて欲しい。そしたら俺、人生を賭けてお前を幸せにするから」

 凛々しい瞳がまっすぐに届けられると、気まずくて目線をおろした。

 7月31日……かぁ。
 梶くんへの失恋はほぼ確定だし、クラスでは交際が祝福ムードになってる。
 期日まで藍のことを好きにならなかったら別れてくれるみたいだから、提案自体は悪くない。

「大げさなんだから。……わかった。31日まで藍のことを好きにならなかったら別れるという条件なら飲むよ」
「マジ? よっしゃぁぁぁぁああ!!」
「そんなに喜ぶこと?」
「だって、あやかのことが好きだから」
「もうっ……。ただし、こっちにも条件がある」
「なに? 条件って」

 彼はコテンと首を傾けて聞く。

「恋人になっても……て、手は出さないでよね!」
「どうして?」
「どうしてって、当たり前でしょ! こっちは期間限定恋人なんだからっっ!!」
「あはは。冗談だよ。オッケー」

 無事に真実を伝えられたところはホッとしたけど、今月31日まではいまと一緒か。
 なんか、調子狂わされるな。
 本当のことを伝えれば無事に別れられると思っていたのに。
 でも、いまのペースならあっという間かもね。


 ――この時は、彼の提案を甘く見ていた。
 彼がどんな想いで提案してきたのか。
 恋人期間がなぜ7月31日なのかさえ考えもせずに了承してしまうなんて。

 そして、この翌々日に私たち二人の間に爆弾が投下されることも知らずに……。



 ――翌週の月曜日。
 私はワイヤレスイヤホンを耳に突っ込んだまま自宅マンションのエントランスを出ると、植栽の手前に制服姿の藍が立っていた。
 思わず足が止まる。
 彼と一緒に学校へ行く約束をした訳ではないし、朝のLINEもおはようの絵文字しか送られていない。
 到着に気づいた彼は、キラキラした笑顔のまま私の前へ。

「あやか、おはよ〜」
「どどどど……、どうしてそこに」

 びっくりするにもほどがある。
 彼に住所すら教えていないのだから。

「どうしてって? 一緒に学校に行こうと思って迎えに来たんだよ」
「それはわかったけど……。どうしてうちの住所がわかったの?」
「みすずに聞いた」
「もぉ〜、個人情報まるで無視なんだから。それに、みすずのことも呼び捨てに?」
「お前の友達は俺の友達だろ。だから、別にいいかなぁ〜と思って」
「なによ、それ〜。自分勝手なんだから」

 私の気持ちはいつも彼の五歩うしろ。
 でも、31日まで交際することを合意してしまったから割りきるしかない。


 ――20分後、学校に到着。
 自分の席に座ろうとすると、近くに座っている梶くんが「痛っ……」とつぶやく。
 反応して目を向けると、ノートの上で指を押さえている。

「梶くん、どうしたの?」
「ノートの端で指を切っちゃったみたい」
「あ、ほんとだ! 大変……。私、絆創膏持ってるからちょっと待っててね」

 私はカバンのファスナーを開け、定期入れから絆創膏を出してから彼の指先に貼った。
 すると、彼はニコリと微笑む。

「絆創膏ありがとう」
「ううん。早く良くなるといいね」
「美坂さんってよく気づくよね。こーゆーところ」
「えっ」

 あの梶くんが私のことを少し知ってるかのような言いっぷりに驚いていると、「お〜はよ!」とみすずが肩を絡ませてきたので席に向かった。
 だが、みすずは小声のまま耳元で言う。

「さっそく浮気? やっるぅ〜!」
「そんなんじゃないって! 実は、藍にラブレターの件を話したんだけどさ……。結局断りきれなくて31日まで付き合うことになったよ」
「31日までか。いいじゃん、それくらいなら」
「もう! 他人事だと思って……。梶くんには彼氏付きの女だって思われてるし、藍のことはなんとも思ってないし、朝は迎えに来るし……。ってか、勝手に人の住所を教えないでよ」
「ごめんごめん! でも、石垣くんは個人的におすすめだけどなぁ。男女ともに好かれているし、入学してからのこの3ヶ月間で5人に告られたって噂だよ」
「私の恋人の基準はそこじゃない。お互い好きかどうかでしょ」
「好き同士から始まる場合もあるけど、必ずしもそうとは限らないし。もしかしたらあやかがラブレターを入れ間違えたことが運命の入口だった可能性もあるよ」
「うわぁ。もうそれ言わないでよ。ただの間違いだから」

 どうあがいても最終的にはそこに行き着く。
 あの日に遡ってラブレターの入れ間違いを正したいと何度思ったことか。
 モテる人を好きになるとか、そーゆー感覚を持ってないからこそ気持ちが一歩も前に進まない。
 
「そんなに否定しなくても。……あ、そだ! このループを断ちきるにはとっておきの方法が一つあるよ」
「えっ、どんな方法?」
「それはね……」

 みすずが手を添えてきたので、私は耳を傾けた。
 このループを断ちきるとっておきな方法。
 それは……。



 ――翌朝。
 私は昨日と同じくマンションから出ると、到着に気づいて近づいてきた藍の目が丸くなった。

「お……はよ。ど、どうしたの? その格好……」

 驚くのも無理はない。
 頭には男性アイドルグループ名MILKYの文字が入ったキャップ。首にはMILKYタオル。MILKYリストバンドに靴下。カバンにはMlLKYのユッタくんのステッカーを貼ってキーホルダーをつけるなど、全身MLKYグッズで固めてきたのだから。
 彼は上から下まで推しグッズで固めてきた私に言葉を失わせるばかり。

「じゃじゃーん! 実はいままで内緒にしてたけど推し活してるんだ」

 キーホルダーを印籠のように見せつけて言うが、彼は表情筋を一つたりとも動かさない。

「……おし、活? なにそれ?」
「もしかして、推し活を知らないの?」
「うん。知らない」

 10代では8割ほどの人が推し活をしているこのご時世に推し活自体を知らない人がいるなんて驚くしかない。

 実は昨日みすずにアドバイスをもらった。
 私の興味が他の男性に向いてることがわかれば、藍は私のことを諦めるのではないかと。
 だから、昨日学校帰りにみすずの家に寄ってMILKYグッズを借りてきた。
 
「推し活とは、自分のイチオシを応援する活動全般のこと! 休みの日はライブに行ったり、グッズを探しに行ったり、推しがドラマ撮影していた聖地に行ったりするの!」

 実はこれも全部みすず情報。
 聞いたものをそのまま伝えてるだけ。
 だから、これ以上突っ込まれると正直厳しい。

「……へぇ」
「とっ、とにかく! 私はMILKYのユッタくんが世界で一番好きなの。隠していてもしょうがないかなぁと思って身につけてきたよ」
「ふぅん。それが推し活かぁ。あやかはそのユッタくんって人が好きなんだ」
「そうそう! ユッタくんが世界で一番カッコいいの! 世界中の男全員がユッタくんでいて欲しいほど!」
「……」

 むふふ。
 その調子、その調子。
 全身MILKYグッズで固めて熱弁すれば、どんなに私のことが好きでも引くよね。

「こうやって、好きな人の写真やグッズを身につけることによって全面的に愛をさらすの。推しに人生の時間を注ぎ込んでこそ、幸せが得られるんだよ!」
「へぇ〜、推しに人生の時間を注ぎ込むと幸せが得られるんだ。それは凄い」

 本当は全身推しグッズを身にまとったまま学校へ行くのは恥ずかしいけど、藍から離れてもらうにはこの作戦しかない。

 だが、学校に到着すると、少々やりすぎてしまったせいかクラスメイトどころか本校の生徒たちの目線が痛い。
 でも、この試練を乗り超えなければ、彼のラブ攻撃は更にエスカレートするだろう。


 ……と、都合の良い方に解釈していたが。
 翌朝、私の推し活騒動が原因で事態はとんでもない展開に。
 朝、マンションへ迎えに現れた彼を見て言葉を失った。

「そっ……、それは……どうした……のかな……」

 それもそのはず。
 頭にはあやか帽子、体にはあやかTシャツ、首にはあやかタオル、手首にはあやかリストバンド、足元にはあやか靴下を装着しているのだから。
 もちろん、バッグにはどこで撮られたかわからない私の写真が挟み込まれているキーホルダーを光らせながら。

「俺も推し活することにしたよ。イチオシは一生あやかだし!」
「はぁぁぁあああ?!?!」
「推し活ってこれで合ってるよね? 昨晩業者に頼んであかやグッズを急ピッチで作ってもらったんだ。ほら見て。よくできてるだろ」
「ちょちょちょ、ちょっと待って!! 気は確か? イチオシとは、二次元キャラクターや三次元人物や人物以外のことを指し示しているのに、平々凡々の私を推してどうするのよ」
「……あれ? 意味違った?」
「当たり前でしょ!! とにかく、彼女の私を推してもしょうがなぁぁぁああい!!」

 だっ、誰かぁ……。
 彼に本当のことを教えてぇぇええ!!


 ――ところが、本当の悪夢はここから。
 校門付近から彼が着用しているあやかTシャツが目立ってしまったのか、ところどころと視線が突き刺さってくる。
 教室に入ると。

「自分の彼女の写真がプリントされてるTシャツなんてホットだね。あ、帽子まで。ラブラブじゃん」
「だろぉ。いま俺推し活中だから」
「お前やるなぁ〜。彼女の推し活って流行るんじゃね?」
「俺もそう思う。全面的に愛をさらさなきゃな、あやか!」
「あっ……。あ、うん……」

 生まれてから15年間の中で、今日ほど辛いと思った日はないだろう。

 くらくらと立ちくらみしながら席につくと、みすずが隣につく。

「石垣くんやるねぇ! あやかを諦めるどころか、まさか全身あやかづくしにしてくるなんて!」
「作戦がこんな簡単に失敗するなんて思わなかったよ」
「仕方ない。じゃあ、次は別の手段をやってみる?」
「別の手段とは?」

 みすずが先日と同じく口元に手を添えたので、私は左耳を近づけた。



「うちは両親が共働きだから、帰宅したら洗濯物を畳んだり夕飯作りなど家事に追われていて忙しいんだ〜」

 ――翌日、藍と一緒の学校からの帰り道。
 私は再びみすずからのアドバイスを参考に動いた。

 家事が忙しくてデートをする暇がないと伝えれば、少しは私のことを諦めてくれるはず。
 推し活作戦は失敗したけど、家庭問題はさすがに納得してくれるだろう。
 すると、彼は小刻みにウンウンとうなずく。

「案外苦労してるんだな」
「そうなの! だから土日もほとんど時間が使えないというか」
「お前んちの親そんなに忙しいの? 週5で働いてたら普通2日くらいは休みがあるはずなのに」
「うっ……うん。う、うちの両親は趣味に時間を費やしてるから、よけい忙しいというか……」

 正直、両親は無趣味だ。
 その上、母は週3日16時上がりのパート勤務。
 つまり私が帰宅したら家にいる。
 ウソで塗り固めるのはよくないけど、最近藍に振り回されっぱなしということもあって少々疲れを感じていた。
 だから、たとえ期間限定恋人であっても一定の距離は保ちたい。

「そっか。じゃあ、俺が家事を手伝ってあげるよ!」

 と、思わぬ変化球が届く。
 それが困ってるから遠回しにお断りしているのに。

「いっ、いいよ、いいよ!! 藍も忙しいでしょ?」
「別に。なんも予定ないし」
「あっ、ほらっ! バイトとかしてるんじゃない?」
「してないよ。俺、料理得意だから夕飯作ってあげる」
「えええっ!! そんなことしなくていいって! 料理くらい自分でできるから」
「遠慮すんなって。決定! じゃあ、このままお前んち行こっか」
「そ、そんなぁ〜っっ! 本当にいいってばぁ!!」

 道中、何度も諦めるように説得を続けたが、彼は一歩も引かずに自宅までついてきた。
 当然母は自宅にいたので、「あら。あやかの彼氏? よかったらお茶でも飲んでいってね」と、家に通されることに。
 もちろんそこでウソが見抜かれる。

「お前んちの親、忙しいんじゃなかったっけ?」
「…………あっ、う、うん……えへ。ごめん」
「はい、ペナルティーね。おばさんがお茶を飲んでいってって言ってくれたから家上がるからな」
「はぁい……」

 やることなすこと全て裏目に出てる。
 むしろ何もしない方が損はないというか。

 私たちは部屋に移動すると、彼は部屋を見渡してぼそっとつぶやく。

「ふぅん……。推し活もウソだったか。あんなに激推ししていたユッタくんのグッズが部屋に一つも置いてないなんて」
「うっっ……。ごめんなさい」

 あれほど熱弁していた推し活だが、推しグッズが置かれていない状態を見た途端にウソがバレた。
 2回連続でウソをついてしまったから、私への信用度が消えただろう。

 すると、彼は本棚から小学校の頃の卒業アルバムを引き出そうとしていたので、私は先に取り上げて胸に抱えた。

「他のものは見てもいいけど、卒業アルバムだけは絶対に見ないで!!」
「……どうして?」
「だ、だって……」
「だって?」
「恥ずかしいの。あの頃は、ふっ、太ってたし……」

 小学校高学年頃の体重は65キロを超えていた。
 そのせいであだ名は『横綱』。
 こんなひどいあだ名がつけられたせいで、好きな人からもからかわれる始末に。
 それがいまでもトラウマになっている。
 すると、彼は本棚に背中を向けている私の方に向かって両手で壁をドンッと叩きつけた。
 大きな音と共に私の体がビクッと揺れ動く。
 
「太ってたからなに? 俺は見た目であやかに惚れたわけじゃないよ」
「えっ」
「お前が太っていようが関係ないから。あやかはあやかなんだからさ」
「藍……」

 ”見た目”で苦労してきた分、この言葉に少し助けられて肩の力がすっと抜けた。
 いままでそう言ってくれる人が一人もいなかったから。

 すると、彼はその隙を狙って私のアルバムをひょいと取り上げた。

「隙ありっ」
「あっ! ズルい! アルバム返してよ〜っ!!」

 取り返そうと手を伸ばすが、願いも虚しく彼は高々とアルバムを持ち上げてパラパラとページを開く。

「何組だったの?」
「そんなの教えない!!」
「じゃあ、自分で探すからいい」
「探さなくっていいから!」

 私が右から手を伸ばすと彼は左によけて、左に手を伸ばすと右によけられる。
 身長差が20センチくらいあるから、届いてもせいぜい手首まで。
 その間、ずっと目でページを追われていて、私の抵抗はほとんど無意味に。

「うわぁ〜、あったあった! 『美坂あやか』。すげぇかわいい! 写真隠す必要ないじゃん」
「見たなぁ! こんな体型を誰にも見せたくなかったのに……」

 口を尖らせたままペタンと床に座ると、彼も床に腰をおろした。
 すると、彼はあるページに指をさす。

「ねぇ、どうして運動会の写真のあやかだけ赤白帽子を被ってないの?」
「あぁ、それね。赤白帽子をなくして困っていた子に自分のをあげたから」
「どうして?」
「楽しい行事なのに悲しい思い出に変わっちゃうのはかわいそうだなと思って。まぁ、自分にはこれくらいのことしかできないからね」

 えへへと苦笑いしながら言うと、彼は床に置いている私の手をぎゅっと握りしめてきた。

「ありがとう」
「えっ」
「俺と出会ってくれて。お前のそーゆー正義感、尊敬してる」

 彼は麗しい瞳でほほえみながらそう言う。
 昔から平凡でなに一つ取り柄のない私だけど、この時ばかりは自分という存在を認めてくれたように思えて少しむず痒い気持ちになった。

 しかし、それは嵐の前の静けさで、ある人の登場が予期せぬ事態を引き起こしていくなんて……。