「少し時間ある? 美坂さんと少し話がしたいんだけど……」
――月曜日の昼食後。
一人で廊下を歩いていると、梶くんに声をかけられた。
昼休みの残り時間は10分程度だったけどうんと頷く。
以前は彼と目が合うだけでも緊張してたのに、いまは普通に話せている。
きっと、藍に本調子を狂わされたせい。
梶くんの背中を見たまま歩いていると、途中で坂巻くんと目が合う。
思わず気まずくなって目線をおろした。
よくわからないけど胸がちくりと痛む。
――そして、私たちは屋上へ。
そこに人影はなく、空は雨雲に包まれていていまにも雨が降り出しそう。
彼は屋上の中央辺りで足を止めると振り返った。
「あのさ、美坂さんは石垣のことが好きなの?」
一体この質問は何度目だろう。
きっと、藍への接し方がみんなにそう思わせてしまったのかもしれない。
「どうして?」
「二人が付き合い始めてから、美坂さんは石垣のテンションに引っ張られてるというか……。なんか石垣のことを好きなように思えなくて」
「……」
「……もしそうだとしたら、石垣と別れて俺と付き合ってくれないかな」
「えっ……」
「好きなんだ……。美坂さんのことが」
彼は赤面しながら右手で後頭部を触ってうつむく。
見る限り冗談ではなさそうな雰囲気に。
そのせいもあって、吹き付ける風が左頬をサワサワと撫でてもなにも感じない。
ウソ……。
梶くんが、私のことを好き……?
4月から梶くんに想いを寄せていて本来なら両手を上げて喜んでいるはずが、なぜか手がピクリとも動かない。
この日を何度も何度も夢見ていたのに。
黙り込んでから数秒たった頃。
バアアアァァァアン…………。
屋上扉が勢いよく開いた。
音に反応して目を向けると、藍が私たちの方へ全力で走ってくる。
彼は隣で足を止め、ハァハァと息を切らしながら私の手を握りしめた。
「あのさ。あやかになんの用なの? 勝手に連れて行かれると困るんだけど」
坂巻くんを睨みつける藍の瞳。
そして、痛いくらい私の手を強く握りしめてくる。
「どうして? 美坂さんはお前の所有物じゃない」
「でも、あやかは俺の女だから。用事があるなら俺も一緒に呼んでくれない?」
「石垣に用はない。俺は、もし美坂さんが石垣のことを好きじゃないなら別れて欲しいと思ってる」
「……っ」
こんな展開になるなんて思いもしなかった。
梶くんが好意を寄せてくれていることに驚いてるのに、藍と別れて欲しいと言うなんて……。
「はぁぁあ?? 無理に決まってんだろ。俺はあやかを大事にしてる」
「お前はそう思ってるかもしれないけど、もしかしたら美坂さんは別の考えを持ってるかもしれない」
「……」
先日、藍の口から気持ちを引き出すような質問をされた時はウソをついていいと言われていた。
でも、今回それを聞いてきたのは、あの日にラブレターを届けられなかった梶くん。
もしあの日にラブレターが本人の手元に届いていたら、私たちは間違いなく恋人になっていた。
「話になんねぇ。……ほら、あやか行くぞ!」
「ちょっと待てよ!! 話は終わってない!」
「あやかがどうこうって言うより、俺らが恋人でいることが全てだろ!」
「もしかしたら美坂さんが無理をしてるかもしれないから本人の口から答えを聞きたい」
「お前……いい加減に……」
「あのっっ!!」
私は拳をぎゅっと固く結んだまま藍の言葉を遮るように叫んだ。
すると、二人の目線は私の方へ。
二つの目が重なる重圧感はなんとも苦しい。
でも、私は答えを一つに固めている。
「梶くんの気持ちはすごく嬉しい。剣道している姿はすごくかっこよかったし、いつも気さくに話してくれるから」
「美坂さん……」
「あやか……」
「たしかに梶くんの言う通り、周りから見たら藍のテンションに引っ張られて無理をしてるように見えるかもしれないけど、それでも自分なりに精一杯向き合い続けてるの」
「……」
「これがいまの気持ち。だから、梶くんの気持ちに応えられません。ごめんなさい……」
これが本音。
多分、1か月前だったらまた別の返事になっていただろう。
でも、期限付きであってもいまは藍の彼女だから正直な想いを伝えた。
その間、6〜7秒ほどの沈黙が続く。
すると、梶くんは口を閉ざしたまま私たちの元から離れて行った。
私はグッと唇をかみしめたまま佇んでいると、藍は私の前に周る。
「あやか……。お前……」
「そんなに心配しなくていいよ。だって、私たち31日まで恋人でしょ」
「えっ」
「約束は必ず守るから、藍が心配することなんて一つもない。私は最後まで向き合うと決めたから」
少しずつではあるけれど、私自身も答えを出すために歩み寄ってる。
あの日、交際を続ける決意をしたのは自分だから。
「ははっ…………。俺、情けないよな。雷斗からお前が梶に連れ出されたと聞いた途端、気が狂ったようにここに向かってた」
「藍……」
「お前が梶に奪われたらどうしようって、そればかり考えてた。結局お前を信じる力が足りなかったんだろうな……」
「そんなことない。追いかけてきたことは彼氏として大正解だと思う。藍の気持ちがしっかり伝わったし」
「本当に?」
「うん、本当だよ」
そこで藍はようやく安心したようにニコリと微笑む。
でも、そんなに心配してくれたんだと思ったら胸がきゅっと傷んだ。
――私たちはもうすぐで”期限”を迎える。
いまの段階でまだ答えは出ていないけど、残りの時間を使ってじっくり考えたい。
その期限までに本物の答えを出すために……。
――場所は廊下。
俺はクラスメイトの流れに沿って雷斗と理科実験室に向かってる。
それぞれの家庭事情があるだろうから聞くかどうか悩んでいたけど、滞在日数が少ないから思いきって聞くことにした。
「雷斗」
「ん、なに?」
「……お前さ、一度でも両親に反抗したことある?」
「あるに決まってるだろ。しかも、一度ぽっきりな訳ねーだろ」
「すげぇな……。俺にはそんな根性ないから」
俺は物心ついた頃には自分の意思が消されていた。
狭い世界で育てられ、将来へのレールが敷かれてる現状。
両親へ楯突くたびに跡取り息子と重圧をかけられる。
時より思う。
俺はなんのために生まれてきたんだろう、と。
「クラス全員の前で交際宣言してるやつがなに言ってんだよ」
「それとこれは別。最近テレビを観るようになって、自分の家庭とのズレに違和感があってさ。それまで親は絶対的な存在だったし、なにを言っても正論で返してくるから自分が間違ってるのかなと思ってしまうというか……」
社会勉強の一環として日本に来たけど、世間を見ていたら自分の家庭がより狭い世界だということに気づいてしまった。
「テレビで人んちの家庭事情を学ぶことに驚いたけど、親に反抗しないお前にも驚きだな」
「もしかして普通じゃなかった?」
「当たり前だろ。本音をぶつけて分かち合うのが家族でしょ」
「……やっぱりそうなんだ。じゃあ、親に本音を伝えればわかってくれるかな」
「親に本音? お前、なにか隠しごとでもしてんの?」
「いや、別に……」
この時期を狙って留学したことはもちろん、最後までやり遂げたいことがあることすら親は知らない。
言ったとしても無意味だと思っているから。
本当は日本に残ってあやかと幸せに過ごしたいけど、それは絶対に叶わない。
だから、毎日時が止まれと願っている。
――18時過ぎ。
ホテルの部屋で勉強していると、扉の開く音がした。
扉の方へ目を向けると、ひまりが腕を組んだまま接近してくる。
「かぼちゃの馬車はいよいよお迎えの時間が来たようね」
「人の部屋に勝手に出入りするなよ。それに、俺はシンデレラじゃねーし。戻ったら強制的に牢獄に入れられるだけ」
「帰国まで残り2日。どっちにしても夢の時間は終わりなの。私たちは敷かれたレールの上に戻るだけ。それが運命なのよ」
あやかと気持ちが繋がらない現状に加えて父親に口答えできない自分へイラついている俺は、逃げるように扉へ向かった。
だが、ひまりはワンテンポ遅れてボソッと言う。
「これは……?」
振り返ると、彼女が持っているものは机の上へ置きっぱなしにしていたあやかの赤白帽子。
絶対に誰にも触られたくない宝物だ。
俺は足音を立てながら彼女の方へ行き、「触んなよ」と言って赤白帽子に手を伸ばすが、彼女はひょいと方向転換して帽子を眺める。
「帽子の側面に名前が。6−2美坂あやか……って! これ、あやかちゃんの帽子よね」
「……」
「どうして藍がこれを持ってるの?」
「稟が小学生の頃に赤白帽子をなくしたことがあって、あやかから貰ったんだ」
「まさか、二人はその時知り合いに?」
「いや、俺は知り合ってない。一方的に一目惚れをしただけ。でも、あの日からあやかが忘れられなかったから留学を機に近づいた。いま思えば最初は気になる程度だったけど、傍であいつの人柄を見ているうちに好きになってた」
「っっ!! なによ、それ……」
「お前には超えられないよ、あやかの正義感に。守られながら育ってきた人間に不足しているものをあいつが持ってるから。……つまり、お前と結婚することになっても好きにはならないし、あやかを忘れない。これが俺にとって一生に一度きりの恋だから」
俺は赤白帽子を取り上げて部屋を出て行こうとすると、彼女は後ろから叫んだ。
「一生に一度きりの恋? ふざけないで! どんなに好きでもあやかちゃんとは別れなきゃいけない運命なんだよ?」
「……わかってる。それでもあやかが好きだ」
「私と結婚するしかないのに?」
「形だけのものなんてどうでもいい。お前がなにを言ってもあやかを愛し続けるよ。永遠に……」
「藍っっ! ちょっと待ってよ!!」
俺は彼女の発狂を浴びたまま部屋を出た。
――向かった先はあじさい寺。
あやかが好きなあじさいは、茶色くしなび始めて次の季節に向かう準備を始めている。
次第に空からやってきた雫が、俺の頬を湿らせている水滴と一体化した。
見上げると、放射状に雨が降り注いで俺の体を包みこんでいく。
「うっっ……あ゛あ゛ああぁぁっぁぁあああああ゛っ!!!!」
俺は赤白帽子を握りしめたまま、はち切れそうな想いを爆発させるように全身の力を使って叫んだ。
うっぷんを晴らそうとしても心の整理がつくはずないのに……。
残り2日間。
これ以上なにができるだろうか。
こんなに辛い想いをするくらいなら、あやかに会いに来るべきではなかったのかもしれない。
「どうして俺だけぇぇぇええ!! ……どうして俺だけ縛られなきゃなんねーんだよぉぉおおおお!! う゛っああああぁぁぁぁ!!!!」
同じ高校に通う奴らはみんな自由なのに、どうして自分だけ将来が決められているんだろう。
いい学校を出て、親の会社の後を継いで、幼い頃から決められた人と結婚をする。
果たしてそれが本当の幸せだろうか。
留学するまでこんな世界があるなんて知らなかった。
好きな人と幸せになることさえ許されないなんて。
……普通が羨ましい。
でも、親にたてつく勇気がないから、膨れ上がっていく想いは切り捨てていかなければならない。
「最近、石垣くんと別れたいって言わなくなったね」
――体育の授業後の帰り道、みすずにそう言われた。
最近は”別れたい”と思うより、どんな返事をしようかと迷っている。
「そりゃぁ、もうすぐで約束の日だからね。返事をするまであと1週間くらいあるし」
「またまたぁ〜。付き合ってるうちに石垣くんのことが好きになったんじゃないの?」
「もぉぉお!! やめてよ。…………ただ、このまま別れちゃったらどうなるのかなって。夏休みが明けたらまた毎日顔を合わせるし。気まずくなるのも嫌だなと思っててね」
毎朝家までお迎えに来て、お昼ご飯は一緒に食べて、一緒に下校する。
そのスタイルが定番化してるせいか別れるイメージが湧かない。
きっと、私はいまの状態に甘えてる。
「私も心配してる……」
「えっ」
「……あ、ううん。なんでもない」
みすずが左右に首を振ると、後ろからひまりちゃんが声をかけてきた。
「いまなんの話をしてるの?」
「いや……。あやかが最近キレイになったねって話」
「ええっ?! そうかなぁ……。あんまり変わってないと思うけど」
「恋をすると女はキレイになるって言うじゃない。藍とうまくいってるしね〜」
「もぉぉお!! みすずったら!!」
みすずにムキになってると、ひまりちゃんは突然話題を変えた。
「あやかちゃん、小学生の頃に赤白帽子を人にあげたって話、本当なの?」
この話は高校に入学してから一人にしかしてないから出どころがすぐに判明した。
「本当だよ。もしかして、その情報は藍から?」
「うん、そう」
「赤白帽子を無くした子が落ち込んでいたから元気づけてあげようと思ってね。見ず知らずの子だったけど……」
「えっ…………。見ず、知らずの子?」
「そう。せっかくの運動会なのに、悲しい思い出になって欲しくないじゃん! 私は当時6年生だったから帽子がなくても別にいいかなぁ〜って思ったし」
「……」
「あやかったらやるじゃん! 見ず知らずの子に赤白帽子をあげるなんて優しい〜〜っ!!」
「やだぁ。そんなに褒めないでよ〜。全然たいしたことないのに照れるじゃん」
ひまりちゃんは質問してきたのにもかかわらず急に口を閉ざしてうつむく。
藍とひまりちゃんは仲がよくないのに、知らないうちに赤白帽子の話をしてたんだ。
なんて考えていると、後ろから藍が肩を叩いてから声をかけてきた。
「あやか。帰りに時間ある?」
「うん。大丈夫だけど」
「ちょっと寄り道してから帰らない?」
「いいよ!」
すると、ひまりちゃんは藍の肩をポンと叩いてから一人で校舎に向かって行った。
藍は吸い込まれるようにその背中を見つめる。
――放課後。
藍と一緒に校舎を出ると、日中は小雨程度だった雨がいまは地面に叩きつけるほどの大雨に。
跳ね返りで靴下が全て湿ってしまいそうなほど。
私は傘に手をかけながら彼にたずねた。
「寄り道は明日にしない? こんなに雨が降ってたら行くところは限られちゃうし」
「明日は……無理だから」
「わかった。で、どこに行く?」
「あじさい寺」
「えっ! いまからあじさい寺? 外だからずぶ濡れになっちゃうよ? それに、先週梅雨明けしたからもう枯れてるかもしれないし」
「それでも行きたい」
「う、うん……。わかった」
それから傘を並べたままあじさい寺に向かった。
到着すると、予想通りあじさいは花びらが茶色く変色し始めている。
一番最初にここへ来た時はきれいに咲き誇っていた分、少しさみしい。
「もう枯れちゃったね。つい先日まではきれいに咲いてたのに」
「また来年咲くよ」
「えへへ。そうだよね。あっ、覚えてる? この場所でラブレターを入れ間違えたとカミングアウトした時のことを」
「覚えてるよ。あの時はすっげぇショックだった。あやかからラブレターをもらった時は所構わず叫びまくるくらい嬉しかったから」
「私もビックリしたよ。まさか、自分が書いたラブレターを藍の下駄箱に入れ間違えただけなのに、いきなり彼女になっちゃうんだもん」
あの時は藍のことをほとんど知らなかったのにね。
私の人生の中で一大騒動だったなぁ。
あじさいを眺めながらあの時のことを思い返して笑っていると、藍はくるりと背中を向けた。
「実は、今日あやかに伝えなきゃいけないことがあって……」
かしこまった口調でそう言う彼。
なにか大事な話があるのだろうか。
「どうしたの? 急にかしこまって」
「…………俺たち、別れよ……っか」
「えっ」
「自分勝手でごめん……。でも、もう終わりにしよう」
あまりにも突然の別れ言葉に、頭が真っ白になった。
いまの状態でいることに甘えていた自分に冷水をかけられたような気分になる。
「ど……、どうして? 期限は31日までって藍が決めたんじゃない」
「あさってから夏季休暇に入るから決断した」
「そんなの質問の答えになってない! 本当は別の理由があるんじゃないの?」
私は彼の腕を掴んで自分側へ向かせると、寂しげな影が目に宿っていた。
それを見た瞬間、言葉の本気度が伝わる。
「ないよ。じゃあ、俺のことを好きになってくれた?」
「……急にそんなことを言われても。まだ自分自身と向き合いきれてないし」
「そんなことだろうと思ったよ。でも俺は100%気持ちを伝え続けてきたし、結果だけを待っていた。即答できないってことは気が向いてない証拠だから」
「それは違うっ! 期限があと1週間先だったし……、それに……」
「これ以上考える必要がある?」
彼は灯火が消えてしまったかのような態度で言葉をかぶせてきた。
昨日とは別人のような様子を見て息が詰まる。
「なによそれ……。私たちがまともに喋るようになってからまだ1か月も経ってないのに、好きかどうかなんて決められないよ」
最近ようやく向き合う準備が整ったのに、その間心の誤差が生じていたなんて思いもよらなかった。
「それがお前の結果だから、もう言うことはないよ」
「違う! 大事なことだからもっと慎重に考えたかった。だって、31日までって言ってたじゃん……」
「もう待てなくなった。いままでありがとう」
「藍っっ!!」
「バイバイ……」
彼は背中を向けると、線状の雨の奥へ消えていった。
この場に佇んでいる私は頭の中が整理しきれない。
返事の期限を前倒しにしてくるなんて想像してなかった。
夢であって欲しかった。
今日までの関係がこんなにあっさり崩れてしまうなんて……。
――スカートと靴下がびしょ濡れになったまま帰宅した。
着替えをしてから机の上のオルゴールを手にとってぜんまいを巻き、メロディに包まれながらベッドの上で今日までの思い出に浸る。
藍……。
急に別れたいなんて、どうしたのかな……。
私、なにか嫌なことでも言ったっけ。
全然心当たりないや。
目頭が熱くなったと同時に次第に天井が歪んでいき、瞳から枕に向かって一直線の筋を描いた。
あれほど好きだと言ってくれたのに、どうして返事を急いだのかな。
別れ話をしてから少し時間が経ったし、もしかしたら思いとどまってるかもしれない。
私は一筋の希望に願いを込めて、藍にLINEメッセージを送った。
『どうして別れたいなんて言ったの? 私、なにか嫌なことでも言ったかな……』
でも、送信したメッセージは既読にならない。
別れがよりリアルになっていくと、心臓がロープで締め付けられたような気分に。
最初のうちは早く別れたいと思っていたけど、いまは気持ちが落ち着かない。
――翌朝。
普段なら藍がエントランスの外で待ってくれているのに、いまはいない。
昨日までの当たり前だった光景が今日からは通用しないのだから。
一人で歩く通学路はいつもより道が遠く感じる。
昨日までは二つの笑顔が並んでいたのに……。
学校へ到着して胸がトクトクしたまま教室へ。
目線を藍の席に向けるが、まだ来ていない様子。
深いため息を落としながら着席すると、みすずが普段と変わらない様子でやって来た。
「あやか、おはよー」
「おはよ……」
「あれれ、どうしたの? 今日は元気ないねぇ」
「そうかな」
「うん。石垣くんと一緒に登校しなかったの?」
昨日別れを告げられた件をまだみすずに伝えていない。
いつもならまっさきに相談していたのに、なんだか切り出しにくかった。
「……あ、うん」
「なにかあった? 話なら聞くよ」
妙な雰囲気を察したのか、彼女は表情を曇らせる。
でも、余計な心配はかけさせたくない。
「ううん、なんにもないよ」
――本鈴が鳴るまで残り5分。
藍はこのタイミングで教室へ入ってきた。
私は彼の姿を視界に捉えた途端、話をしようと思って席を立つが、彼は背負っているリュックも置かずに教卓前へ。
まるで教師のように教卓に両手を置くと、少し大きな声で言った。
「皆さん、俺の話を聞いて下さい」
教室にいるクラスメイトは異様な空気を察したのか「なになに?」とざわつかせる。
彼は一旦うつむいた後に目線だけを上げた。
「俺、あやかと別れることになりました。理由は自分の問題だからあやかにはなにも聞かないで欲しい。……みんな、応援してくれたのにごめん」
藍は教卓から離れて廊下に向かうと、坂巻くんがその背中を追って前方扉に手をかける。
「ちょちょちょちょ……ちょっと、藍! 一体なにがあったんだよ」
「……」
「藍! おい、藍!!」
藍は坂巻くんの言葉を受け入れない。
クラスメイトが噂話を始める中、私は坂巻くんの横を全力で駆け抜けて行き、藍の背中に向かって叫んだ。
「藍っっ!! 藍っっ!! 待って……」
彼はずかずかと足を前に進めるだけ。
こんな異常事態は初めてのこと。
まるで別人のような背中が私を他人と位置づけている。
私は走って追いかけていき、彼の前に周って両手を掴んだ。
しかし、その表情からは普段の温かみが感じられない。
「昨日から、らしくないよ。それに、みんなの前で別れるって発表するなんて」
「ここではっきりしておかないと決意が揺らぎそうだったから」
「そこまでする必要があった? たしかに私は答えを出せなかったけど、それは期限が31日だと決められていたから。まだ頭の中を整理してたと言うか……。それに、藍だって先日『お前が梶に奪われたらどうしよう』と心配してたじゃない」
自分でも驚くくらい必死になっていた。
なにより、いまの関係が簡単に崩れてしまうのが怖かったから。
いつかそんな日が来るんじゃないかと思っていたけど、そのいつかがいまだなんて……。
すると、彼は見下ろしたまま言った。
「どうしてそんなに責めるの?」
「だって……」
「俺に気がないなら放っておいてくれない? これ以上変な期待をしたくないから」
「藍……。恋人以前に友達でしょ? もしかして、私がなにか変なことでも言った? もし言ったならいますぐ謝りたいし……」
「そーゆーんじゃないし。ってか、答えはもう出てるんだから俺にかかわらないで」
彼は私の手をほどいてから階段へと向かった。
取り残された私はぐしゃぐしゃな気持ちのまま後を追うと、後ろから誰かに手を掴まれた。
すかさず振り返ると、ひまりちゃんが首を横に振っている。
それを見て気持ちを寸止めさせた。
「さっき教室で聞いたと思うんだけど……。私たち別れたんだ」
「……」
「実は私が他の人に渡すはずだったラブレターを藍の下駄箱に入れ間違えたことがきっかけで付き合い始めたの。でも、藍は私のことが好きだったみたいで、事実を伝えたら別れを拒否されて、31日までつきあうことになって。その日まで頑張るから本物の返事を用意してくれって言われてて私も藍と向き合い続けてた。それなのに、1週間も早く別れようって言われて……」
相手がひまりちゃんだから本音を伝えた。
藍の幼なじみにこんなことを言うのは失礼だと思ったけど、間近で私たちの恋愛を見てきたからこそアドバイスがもらえるんじゃないかとも思っていた。
ところが、彼女は私の手をすっと離して髪をかきあげる。
「あのさ、相談する相手が違うんだけど……」
「えっ」
「ずっと内緒にしてたけど、実は私、藍の婚約者なの」
それを聞いた瞬間、訳がわからなくなってグワンとめまいのような感覚に襲われる。
「ウ……ソ…………。なに言って……」
「ウソじゃないよ。花火大会の日は私たちの婚約パーティーだった」
「婚約って……。なにそれ。だって、私たちまだ高校生だよ?」
「ニュースで一度は石垣グループと聞いたことあるでしょ」
「うん。石垣グループとは、四大財閥のうちのひとつだよね」
「私と藍は、その四大財閥一家の元に生まれ育った。藍は石垣グループの御曹司。私は川嶋グループの令嬢なの」
「えっ……、四大財閥の御曹司と令嬢って……。ウソでしょ……」
思い返せば不自然な点があった。
普通の高校生なら誰もが知ってる情報を知らなかったり、藍が高級ホテルに入って行くところを見た時にひまりちゃんは藍はホテルで暮らしてるんじゃないとか言ったり。
……ううん、よく考えれば不自然な点はもっといっぱいある。
でも、関心を寄せなかったせいか、深く考えないままやり過ごしてしまった。
「両グループは私たちの結婚によって合併すれば日本のトップグループになる。お互いの両親はそれを目論んでいる。だから、私たちの結婚は避けて通れない道なの」
「……なにそれ、私聞いてない。それに、ひまりちゃんは私たちの恋を応援してくれるって言ってたじゃない」
「それは二人を監視するためよ」
「そんな……」
「本当はオーストラリアから追いかけてくるくらい藍が好きなの。二人が別れることを知っててもあやかちゃんに譲りたくなかった。ずっと引き離すことだけを考えてたの」
「……私たちが別れることを知ってたって。それ、どーゆーことなの?」
いきなりそんなことを言われても頭の中が整理できない
藍が石垣グループの御曹司?
それに、ひまりちゃんとの結婚や、私たちが別れることは最初から決まっていただなんて……。
「藍は絶対に私を裏切れない。石垣グループを背負ってるからね。だから、あやかちゃんのことがどんなに好きでも別れる以外選択肢がないの」
「……っ」
「私たちは大学卒業後に結婚する。だから、今回を機に藍のことを諦めて欲しい」
――この時、私は初めて彼の素性を知った。
身元を隠しながら一般高校に通っていた彼は日本四大財閥の石垣グループの御曹司。
機会がなければ絶対に出会うことのない人。
そして、住む世界が違う人。
彼を追って同じ学校に転校してきたのは、川嶋グループのご令嬢。
藍とひまりちゃん。
二人の結婚が決まっていたにもかかわらず、藍は庶民の私に恋心を寄せていたなんて。
一体、どうして……。
なんの目的で私に近づいたの?
そして、今日まで二人で見てきた景色は一体なんだったのだろう。
藍は朝教室を出たっきり戻って来なかった。
私は不在になったままの彼の席を見つめて深いため息を落とす。
今日は夏休み前最後ということもあって午前日課に。
みすずは落ち込んでいる私を心配してランチに誘ってくれた。
――場所は、駅から徒歩2分のところにあるファミリーレストラン。
料理を端末で注文した後、ドリンクバーを取りに行ってから席に座る。
学校でひまりちゃんが藍の婚約者だということを聞いてから、なんとなく体調がすぐれない。
「あやか、大丈夫? 顔色悪いけど」
「ん、大丈夫……」
「石垣くんさ、なにもみんなの前で別れたことを発表しなくてもよかったのにね」
「決意が揺らがないようにって言ってた。最初のうちは早く別れたいって思ってたのに、実際に別れてみたら心にぽっかり穴が空いたような気になってる」
「あやか……」
「冷たくされて初めてわかったの。自分でも気付かないうちに藍の存在が大きくなってたみたい。じゃなきゃ、こんなに思い悩んだりしないよね……」
私、いままで藍のどこを見てたんだろう。
ずっとこの関係が続くとばかり思っていたからバチが当たったのかもしれない。
藍は私からの返事をずっと待っていたのに……。
「あのね……。実はあやかに謝らなきゃいけないことがあるの」
みすずはドリンクのストローから手を離すと、膝に両手を置いてうつむいた。
突然かしこまった様子に異変を感じる。
「なに、謝らなきゃいけないことって」
「内緒にしてたけど、石垣くんに頼まれたの。7月下旬まであやかとの仲を取り持ってくれって……」
「藍がそんなことを……?」
「相談されたのはあやかと友達になってからすぐ。もちろん最初は断ったよ。でも、あまりにも熱心にあやかのことを聞いてくるし、恋する目であやかを見つめてたから本気なんだって思うようになってて。ある日、『どうしてそんなに好きなの』って聞いたら、先日あやかが話してくれた赤白帽子の件に繋がった。あの時は知らないふりしてごめんね」
「えっ……。みすずは私が話す前から赤白帽子の件を知ってたんだ。でも、どうして藍がその話を?」
「赤白帽子をなくしてしまった子が石垣くんの妹だったって。二人のやりとりを一部始終見ていてあやかの優しさに惹かれたって言ってた」
「あの時の女の子が石垣くんの妹? 私の小学生の頃の卒業アルバムを見た時はなにも言ってなかったのに……」
先日美術室へ行った時に藍が寝言で言ってた。
私のことが「好きだ」って。「昔から……ずっと、ずっと」って。
あの時は意味を深く考えなかったけど、当時から私に想いを寄せてくれていたなんて……。
「でも、恋愛は当人同士の問題だから遠くから見守っていたんだけど、ある日7月下旬まで仲を取り持つ意味が知りたくなって聞いたんだ。そしたら、引っ越すからと言ってて」
「えええっ!! 藍が引っ越し?! そんなのひとことも聞いてない!」
「私もびっくりしたよ。だって、高校入学してからまだ間もないでしょ。それを聞いてから、せめて残り1か月間でも幸せな思い出を作ってあげたくなって、あやかが梶くんの下駄箱に入れていたラブレターを抜いて石垣くんの下駄箱に入れたの。差出人が書いてなかったから」
えっ……。
いまなんて……。
「みすずが、梶くん宛てのラブレターを藍の下駄箱に入れ替えた……?」
「本当にごめん…………。引っ越し話を聞いた時は、転校まで残り1ヶ月を切っていたから無視出来なかった。まさかそのまま二人が付き合うことになるとは思わなかったけど、石垣くんの気持ちを見てきた分、後悔してない」
一瞬目の前が真っ白になった。
てっきりラブレターを入れ間違えたのは自分だと思っていたのに、みすずがその後に入れ替えていたなんて……。
私はテーブル下の拳をギュッと握りしめる。
「……なによ、それ。ごめんで済まされると思う?」
「わかってる。許されないよね、こんなこと」
「あの時梶くんにラブレターが届いてたら付き合ってたかもしれなかったのに。ラブレターひとつで私も藍も梶くんも運命が変わっちゃったんだよ?」
「反省してる。でも、ラブレターを入れ替えて良かったと思ってる」
「どうして」
「だって、二人とも幸せそうにしてたから。でも、まさか石垣くんが転校を機に別れを決断するなんて思っていなかったから、そこは予想外だった」
「なにそれ……。人の気持ちを散々弄んでおいて、ずるいよ……そんなの……」
私はイスに置いていた荷物を鷲づかみにして席を立ち、財布から出したお札をテーブルに叩きつけてその場を離れた。
すると後ろから追ってきたみすずは私の手首を掴む。
「待って、あやか!! 話はまだ終わってない」
「これ以上なにがあるって言うのよ!」
「石垣くんの100%の気持ち届いてないの? あんたと付き合い始めてから毎日全力だったんだよ。絶対に幸せにするって意気込んでた」
「その割には簡単に切り捨てられたし、転校するんでしょ? もうあんなヤツのことなんて知らないっ!」
「あやか……」
「それに、私の気持ちを踏みにじったのはみすずだからね! ラブレターを入れ替えたことは絶対許せないんだからっ!!」
私は彼女の手を振りほどいて店を出ていった。
――運命とは残酷なものだ。
たとえ謝った方向に進んでしまったとしても、別の道がちゃんと用意されているのだから……。
――私は帰宅してから学習机に向かい、頭の中で絡まっている糸を整理した。
ラブレターを入れ間違えたのは自分のミスだと思っていたのに、みすずが入れ替えてたなんて未だに信じられない。
その時点で私と梶くんは両想いだった。
それなのに、藍の手元に渡ったせいで期間限定恋人に。
もし、梶くんとうまくいっていたら、藍のことをよく知らないまま夏休みが開けて「あぁ。転校したんだ」って知る程度だっただろう。
それだけじゃない。
今日までの思い出が梶くんで埋め尽くされていたかもしれなかったというのに……。
でも、一つ驚いたのは、小学生の頃に赤白帽子をあげた子が藍の妹だったこと。
それから4年間、私のことを思い続けてくれたなんて。
高校で会えた時はどんな気持ちだったんだろう……。
藍からもらったオルゴールを手に取ってゼンマイを回した。
すると、いつもと変わらないメロディが体を包み込んでいき、無意識のうちに藍の顔が思い浮かぶ。
いつもストレートに気持ちを伝え続けてきたのは、転校するまで時間がなかったから?
最後は別れる運命だったのに、短い時間ですら私と付き合いたかったの?
『気がないなら放っておいてくれない? もうこれ以上変な期待をしたくないから』
あんなに好きだと言っていたのに、どうして簡単に切り捨てられるの?
ひまりちゃんがいるから?
引っ越しちゃうから?
昨日の返事で藍のことが好きだと言っていたら、一体どうするつもりだったの?
藍の考えてることが全然わかんないよ……。
「忘れた方がいいのにどうして涙が出てくるのかな……。全然、わかんないや……」
一体誰に相談すればいいんだろう。
信用していたみすずもひまりちゃんも味方じゃなかったし。
……そうだ、気分転換しよう。
なにか別のことをしていれば辛いことが上書きされるかもしれない。
私は手荷物をまとめてから外へ出た。
向かった先は映画館。
なぜこの場所を選んだのかというと、映画に集中していれば辛い気持ちが少しは緩和されると思っていたから。
しかし、スクリーンの光を浴びて映画に集中していたはずが、頭の中は昨日からの出来事がどっと蘇ってくる。
泣ける映画じゃないのに一人で肩を震わす。
『お互い好きなのに、別れなきゃいけないなんて残酷だよな』
以前、映画を見て泣いていた彼が言っていた言葉を思い出す。
あれは、どーゆー意味で言ったのだろう。
私たちがうまくいった時のことを想像していたのかな。
……ううん、ダメダメ。
藍のことは思い出さないようにしないと……。
――それからウィンドウショッピングをしてから暗い時間にマンションへ戻ると、エントランス前にいる中学生くらいの女の子に声をかけられた。
「あの……。美坂あやかさんですか?」
「あ、はい……。失礼ですが、どちらさまですか?」
「あぁ、良かったぁ。ご無沙汰してます。……私のことを覚えてますか?」
彼女は肩までの黒髪ストレートヘアでどこか見覚えのある顔をしている。
でも、残念ながらそれがいつかは思い出せない。
「いいえ、ごめんなさい……」
「そうですよね。昔のことだから覚えてないですよね。実は石垣藍の妹の稟と言います」
「ってことは……。小学生の頃に私が赤白帽子をあげた……」
「当時はありがとうございました。あやかさんのお陰で最後まで運動会を楽しめました」
彼女は当時と比べるとぐっと大人びていたから、すぐに気づかなかった。
「それはよかった」
「もっと丁寧にお礼をしたいところですが、今日はあやかさんに大事な話を伝えに来ました」
「……大事な話? 私に?」
藍の妹が私になんの用だと思って首をかしげる。
「はい。あやかさんのところへ会いに来たのは、兄のことを知ってもらう為です」
「その話ならもういい……」
「兄は、私に赤白帽子をくれたあやかさんに一目惚れをしました。そして4年後のいま、気持ちを伝えるために日本留学したんです」
昼間みすずから7月下旬に引っ越しをするとは聞いていたけど、新情報に思わず気が引き止められる。
「日本留学……? 一体なんのこと?」
「私と兄は小学生の頃からオーストラリアの全寮制の学校に通っています。そこは、富裕層の中でも貴族と呼ばれている一部の人間が通う場所。その中で、小学校から高校の間に好きな時期を選んで4ヶ月間の日本留学をしなければなりません。寮のルールとして外出は勿論、外部とのコンタクトが禁止されています。だから、兄は寮のことを”牢獄”と呼んでいて。でも、日本留学では側近なしで自由に過ごせる機会ということもあって、進学の切り替えである高校入学時を選びました。もちろんあやかさんに会うために」
「うそ…………。藍は留学生だったの?」
驚く私に、彼女はうんと頷く。
「兄は事前準備のために、2年前から特別講師を雇ってコミュニケーション能力を身につけました。喋りが苦手だった昔からは考えられないくらい別人になったと思います」
「信じられない……。私と会うためにどうしてそこまで」
「赤白帽子の一件で、あやかさんの勇敢な姿勢を見て衝撃を受けたそうです。この人と恋が出来たら素敵なんだろうなって。話を聞いてる私ですら羨ましく感じていました」
「……」
「留学してから友達の協力もあってあやかさんと付き合えることになったと嬉しそうに報告してきました。……でも、昨日連絡があって別れたと。留学期間も終わったし、兄には婚約者がいるから区切りをつけてきたんだと思いました」
「藍は最初から別れることが前提で私と付き合ってたんだよね。人の気持ちを散々かきまわしておいて、時期が来たら勝手に離れていくなんて自分勝手すぎるよ……」
藍は私の気持ちなんて考えてない。
付き合い始めてから3週間で沢山の思い出を植え付けてきたくせに、最初から別れることを視野に入れていたなんて……。
「後悔したまま別の人と結婚するのは嫌だって。せめて気持ちが伝えられたらなと言っていました。だから、思い残しのないように頑張っていたんだと思います」
「……」
「兄は今晩22時の便で日本を発ちます。留学期間を終えたのでオーストラリアに戻らなければなりません」
「そんな……」
「それだけじゃない。大学卒業後に婚約者と結婚します」
「もしかして、ひまりちゃんと……」
「そうです。あやかさんは、ひまりさんのことをご存知だったんですね」
私は表情を落としたままコクンとうなずく。
「あやかさん、本当にこのままでいいんですか? 今日を逃したら兄に一生会えなくなります」
「……」
「兄の運命を変えるのはあやかさんしかいません。もし兄のことをなんとも思ってないなら私の言葉は無視してください。でも、少しでも気があるなら気持ちを伝えてあげてくれませんか?」
――後悔か。
しない自信……、いまの自分にはあるのかな。
藍はいつも自分勝手だった。
私が他の人に宛てたラブレターを間違えて受け取ったことも知らずにバカみたいに喜んで。
オルゴールが好きだと言ったら、UFOキャッチャーでゲットするまでお金を注ぎ込んで。
ラブレターは別の人に渡すはずのものだと伝えたら、私が好きだから別れないと言ってて。
私がアイドルを推してると言って気がない素振りをみせたら、自分の推しはあやかだからと言って全身私のグッズで固めてきた。
それだけじゃない。
すぐにお弁当の唐揚げを取り上げるし、バスケでシュートを入れただけで見てたかどうか確認してくるし、私がピンチを迎えたら助けに来てくれるし、私が梶くんから呼び出された時は引き離しに来ちゃうし。
……。
…………。
振り返れば、この3週間は心に刻まれるような思い出ばかり。
それが仕組まれたものであったとしても、日々の記憶に彩りを与えていた。
「飛行機の出発時刻まであまり時間がありません。いますぐ決断を」
「……っ」
「あやかさんっ!! 本当に後悔しませんか? 兄ともう二度と会えなくなってしまいますよ」
「……」
今日まで答えが出なかったのに、いま決断しなきゃいけないと言われても……。
藍の元へ行くべきか、それとも諦めるべきか。
この選択一つで私も彼も運命が変わってしまう。
だから、もっと慎重に考えたかったのに……。
「…………そうですか、わかりました。少し余計なことをしてしまいましたね……。私、そろそろ戻ります」
無反応を貫いていたせいか、彼女は諦めをつけたように背中を向けて歩き出した。
……だが、次の瞬間。
私は自分でも驚くべき行動に。
「待って」
「えっ」
「……私、藍にまだなにも伝えてないの」
気付いたときには彼女の洋服の裾をつまんで引き止めていた。
心の中は答えを彷徨っていたけど、体が先に反応してしまうなんて。
「あやかさん……」
「後悔してないかどうかと聞かれたら、多分してる。だって、藍はいっぱい大切にしてくれたのに、私は『ありがとう』すら伝えてないから。藍のいいところを少しずつ見るようになっていくうちに隣にいるのが当たり前のようになっていた。その安心感から関係は崩れないんじゃないかと過信していたんだと思う」
「……」
「でも、昨日今日と豹変した姿を見て辛かった。それまで甘えていた自分にバチが当たったのかもしれない。冷たくされた時は苦しかった。もう二度と会えないと思ったら悲しくなる。まだまともに話し合えていないのに、お別れなんて出来ないよ……」
藍という人は、私に何度も何度も恋の矢を打ち続けた。
思うように飛ばなかったり、的に届かなかったり、外れてしまったとしても、自分を信じてまっすぐに打ち続けた。
それなのに、私という的は霞んで見えないまま。
矢が飛んでくるのを待つだけだった。
「あやかさん……。それが”恋”というものなんじゃないですか」
「恋……?」
「兄も”会いたい”というところから始まりました。会えてからは、会えば会う分だけ好きが積み重なっていったって。最初は小さな感情だったとしても、会いたいが積み重なっていけば好きに生まれ変わるんだと思います」
「会いたいが積み重なって……好きに?」
「はい。兄のことをなんとも思ってないならそんな風には思わないはず。いまあやかさんの心に少しでも変化があるのなら、会いに行ってやってくれませんか?」
正直なところ、昨日藍に別れを告げられてからそれ以外のことが考えられなくなっている。
ひまりちゃんが藍の婚約者ということや、みすずがラブレターを差し替えた件など、度重なるカミングアウトに驚かされた。
でも、いまそれ以上に辛いのは、これから彼が一生私の名前を呼んでくれなくなってしまうこと。
――時刻は19時58分。
場所は成田空港。
あれから私は稟ちゃんの側近が運転する高級車に乗せてもらい送り届けてもらった。
目的は、自分の気持ちを大切にするため。
車中でみすずに電話して昼間の件を謝った。
ラブレターを入れ替えた件については許せないけど、藍と縁を繋いでくれたのは彼女だから。
あの時ラブレターを入れ替えなければ、藍の想いを知ることがなかったよ。
オーストラリア行きの便の出発時刻まで残り2時間。
藍にも何度か電話をかけたけど、電源が切られていて繋がらない。
しかし、チェックインカウンター付近にいれば会えると思ってそこを目指した。
ところが、あと一歩というところで見覚えのある顔が私に近づいてくる。
「ひまりちゃん……。どうしてここに……」
「藍がオーストラリアに帰るから見送りに来たの。あやかちゃんはどうしてここに?」
「……」
本来なら藍と二人きりで話す予定が、思わぬ障害が行く手をはばむ。
「もしかして、藍に会いに来たの?」
「藍に伝えなきゃいけないことがあるから……」
「その伝えなきゃいけないことってなぁに?」
「えっ」
「婚約者の私が傍にいても言えること? それとも言えないこと?」
「そ、それは……」
「いまさらなにを言っても藍はオーストラリアに帰らなければならないの。二人の夢物語はもうとっくに終わったんだよ」
彼女はきっぱりとそう言いきると、俯いている私の肩をポンポンと叩いてすれ違っていった。
――きっと、これが現実。
稟ちゃんに気持ちを後押しされてここへ来たけど、そんな簡単に思い通りにいくわけがない。
そもそも最初から思い通りにはいかなかった。
梶くん宛てのラブレターは入れ替えられちゃったし、
それが原因で藍と付き合うことになっちゃうし、
ラブレターは藍宛てのものじゃないと伝えても別れてくれないし、
の割には別れる前提で私と付き合ってたし、
時期が来たら日本からいなくなっちゃうし、
ひまりちゃんとの結婚が決まってるくせに短い時間の中で片想い相手の私と恋愛をしに来たなんて……。
バカヤロウ…………。
楽しい思い出だけ置いて勝手にオーストラリアに戻らないでよ。
少しは残された者の身にもなってよ。
絶対に藍の思い通りになんてさせないんだから。
「ひまりちゃん、待って……」
「えっ……」
私は胸に拳をあてたまま話を続けた。
「以前、藍のことが好きかどうか気持ちを聞いてきたことがあったでしょ」
「そうだけど」
「正直、あの時は友達程度しか思ってなかった。だから、どう答えたらいいかわからなかったの」
「そう思ってたよ。だから、好きじゃないなら別れ……」
「だけどね、途中で気付いたの。私は藍のことを異性として見ていなかったんだって」
私はそう言い被せると、体の向きを変えて彼女の目を見つめた。
「見る目を変えてからは、考え方が変わっていった。藍は強気な態度を見せることが多かったけど、弱い面も兼ね合わせていて。でも、あの笑顔を隣で毎日見ていた分、心が平和でありつづけた。そんな日々がもう二度と戻ってこないと思ったら、藍に伝えなきゃいけないことができた。もしこの感情が正解なら、ひまりちゃんに言いたいことがあるの」
「な、なに。言いたいことって……」
「ひまりちゃんが藍のことをどれくらい想ってるかわからないけど、私も負けないくらい好き!」
「……あやかちゃん」
「いまさらこんな気持ちになるなんて遅いよね……。たしかに私は一般家庭の子だし、ずば抜けた才能がある訳でもないし、取り柄もない。そんな人間がこれから日本を代表する四大財閥の御曹司に気持ちを伝えようとしてるなんて筋違いかもしれないけど、藍を大切にしたい気持ちは誰にも負けない。たとえ相手がひまりちゃんだとしても譲りたくないの……」
体中の血液が顔に集結してしまったかのように頬を赤く染め、瞳には大量の雫が待機している。
私がいましてることは間違いだ。
藍とひまりちゃんは私と出会うから結婚が決まっていたのに、私の感情一つでぶち壊そうとしているのだから。
友達の幸せを願わないなんて最低だよね。
でも、それくらい藍のことが好きなんだよ。
すると、ひまりちゃんは私のおでこをツンっと一突きする。
それと共に、瞳からポロッと熱いものが滴った。
赤面したままの顔で見上げると、彼女は腕を組んだままムスッと口を尖らせている。
「……っ、はああぁ〜〜〜あぁ〜〜……っ。よぉ〜〜〜ぉぉやく口を割ったか」
「へ……へっっ?!?!」
「私があやかちゃんの気持ちに気づいてないとでも思った? ほんっとに想像以上に鈍感な人ね」
「ひっ……ひまりちゃん……?」
「口を開けば藍の話をしてるってことは、常に気にしてる証拠でしょ。本当にどうでもいい人なら話題すらあげないよ」
「うっっっ……」
たしかに最初は藍の幼なじみだからひまりちゃんには遠慮がちに話してたけど、気づけばオープンに話してたっけ。
しかも、自分よりもひまりちゃんの方が私の気持ちに気づいていたなんて……。
すると、ひまりちゃんは先ほどとは別人のような穏やかな表情に。
「実はね、日本へ来てから藍が笑ってるところを初めて見たの。あやかちゃんと笑い合ってるところがすごく幸せそうで羨ましかった。私を見る時の目つきとは対照的で、なんか悔しくなって自分も意地を張ってたんだと思う」
「……」
「でもね、私自身もあやかちゃんのことを尊敬してる。転校してから最初に話しかけてくれたのはあやかちゃんだったし、積極的に仲良くしてくれたから一度も嫌いにはなれなかった。お互いの赤白帽子の話が繋がった時は、もう自分が出る幕じゃないなって思ってたの。それにね、実はストーカーばりに二人のことを観察してたんだ。そしたら、何もかもが映画のワンシーンのようで素敵に思えてね」
「ひまりちゃん……」
「誰を選ぶかは藍が決めることなのに、私は自分の弱さを盾にしていた。心の悲鳴に気づかないまま……。でも、さっきあやかちゃんの気持ちを聞いたらそれは間違いだって。もっと自分を大切にしなきゃって思ったの」
「うん……」
「藍はね、これが一生に一度きりの恋なんだって。はっきりと言いきってたよ。だったら、私が幼なじみとしてやることは一つ」
「えっ」
ひまりちゃんはそう言いながらカバンからスマホを出して誰かに電話をかけはじめた。
「あー、もしもし。パパ? 実はね、いま話したいことがあるの。うん……重要な話。あのね。私、婚約破棄することにしたの」
「えっ……」
「……んー、どうしてかって? そりゃあ好きな人と結婚したくなったから。自分だけを愛してくれるような素敵な人とね。……えっ、なんでいきなりそう思ったかって? 友達の素敵な恋愛を見ていたら羨ましいなって。私も人から憧れられるような恋をしたくなったの。結婚って一生に一度きりのことだからね。なにも縛られたくないんだ」
「ひまりちゃん……」
「そんなに怒らないでよ。……いま空港にいてもうすぐで藍が出国するから見送らないと。詳しいことはまたあとで連絡するから。……うん、うん。……ん、私からも後で藍のお父様に連絡しておくから……。うん、うん……。じゃあ、また後でね」
彼女は電話を終えると、再びスマホをカバンの中へ。
私は彼女がどんな気持ちで父親に電話をかけたのかわかっている分、心苦しい。
「帰ったら家族会議になっちゃった。パパがあんなに怒るなんて初めてかも」
「ひまりちゃん、どうして……」
「私、もうフラれてるからこれからなにをしても一緒だし、自分を見てくれない人を一生懸命想い続けても意味がないってわかってるから」
「ごめん、ひまりちゃん、ごめんね……」
「ううん。謝らないで。こっちこそ嫌なことを言ってごめんね。……ほら、泣かないで」
彼女はカバンからハンカチを出して私の頬を拭く。
「だって、だってっ…………」
「これは私のけじめだからあやかちゃんが悩む問題じゃないよ。私は私で精一杯やってダメだったんだから仕方ないの! ……ほら、こんなことしてないで、早く藍のところへ行って気持ち伝えてきなよ」
「……っ、…………いいの?」
「もちろん。頑張ってきて。応援してる! ほら、頑張れ頑張れ!」
私は背中を二回トントンと叩かれたあと、「ありがとう」と伝えてひまりちゃんの元から離れた。
彼女はあぁいう風に言ってたけど、きっと辛い決断だったはず。
でも、私自身も彼女の想いを大切にしなければならない。
だから、たとえどんな結果が待ち受けていても前を向こう。
ひまりちゃんと別れたあと、チェックインカウンターに向かった。
少し待つと、10メートルほど先から藍がスーツケースを引きながら一人で歩いてくる。
数時間前に顔を見たばかりなのに鼻頭がカーっと熱くなっていく。
ようやく会えた喜びと、これからの不安が心の中で入り混じりながら……。
「藍っっ!!」
私は拳をぎゅっと握ってお腹の底から思いっきり声を出した。
すると、彼は私に驚いた目を向ける。
「お前……。どうしてここに?」
「稟ちゃんに聞いたの。藍が今夜日本を発つって」
「えっ!! ちょっ……、待って。どうして稟がお前のところに?」
「私のことが心配で会いに来てくれたの」
「……でも、お前が来てくれてもなにも変わらないよ。俺には俺の人生があるから……」
彼はそっけない口調で私の横を通り過ぎてチェックインカウンターへ向かう。
でも、私はここで終われない。
すれ違いざまに彼の腕を掴んで言った。
「別れたいだなんて本望じゃないくせに」
「えっ」
「日本四大財閥の御曹司ってなによ。大学を卒業したらひまりちゃんと結婚するってなんなのよ……。そんなの知らないし、オーストラリアに帰るなんて聞いてない!!」
「どうしてお前がそれを……」
「全部聞いたの。小学生の頃、私に一目惚れしたのにどうして言ってくれなかったの?」
高校に進学してからすぐに赤白帽子の話をしてくれれば、私たちの関係は少し違っていたのかもしれない。
少なくともいまの距離感じゃなかったはず。
「言わなかったのは、俺を一人の男として見てもらいたかったから」
「……なによ、それ。かっこつけないでよ。みすずに恋の相談をするくらいなら直接私と向き合ってよ。時間がないのに1から恋愛したいなんて無謀過ぎる」
「結果を出せなかったのは残念だったけど、伝えたいことは伝えきったし、恋人だったひとときは一生忘れられないほど幸せな思い出になったから後悔してないよ」
「バカ……。意地を張っちゃって。そんなに遠回りするくらいなら最初から好きだと言ってよ。3週間程度の恋愛じゃ、こっちが物足りないんだよ!」
私は気持ちを叩きつけた後、彼の腕を引いてお互いの唇を重ね合わせた。
各国の人々が散らばる国際空港で恥じらいもなくキスをしたけど、私には彼以外見えない。
3秒間繋がっている唇は、ほんのりと恋の味がした。
返事を渋ってた数時間前の自分がバカみたいに思えるくらい。
ゆっくり唇を離すと、魂がスコンと抜けたような目が向けられていた。
「ちょっ……!! あやかが俺にキスを…………」
彼は顔を真っ赤にさせながら口元をおさえる。
その様子を見てこっちまで恥ずかしくなった。
「私の気持ちなんてまるで無視。ラブレターを入れ間違えたと言っても一歩も引いてくれない。こっちが恥ずかしくなるくらい独占欲が強いから最初は迷惑だなって思っていたけど……。振り返れば毎日が素敵な思い出だった。それがどうしてかと考えてたら、一つの答えが見つかったの」
「……その、答えとは」
私は気合を入れ直すようにつばをごくんと喉へ押し込む。
そして、目線は彼の瞳へ。
「私は藍が好き……。手を繋ぐだけじゃ物足りないし、もっともっといっぱい恋愛したい。別れるなんて嫌。これからもずっと私だけを見ててよ……」
「あやか……」
「オルゴールを聞くだけで藍のことを思い出す。ラムネを食べるだけで甘酸っぱいほど恋しくなる。繋いだ時の手のぬくもりを思い出すだけで愛おしく思う。これって立派な恋だよね。なのに、急にお別れとか無理だから……」
走馬灯のように湧き出てくる思い出。
たった3週間の期間限定恋人だったけど、いまはそれ以上の想いがハートの埋め尽くしている。
少しでも早くこれが恋だと気づいていたら、もっと器用になれたのかな。
感情的になっていたせいか、瞳から熱いものが滴っていき手で顔を覆った。
すると、彼は私の手を引いて胸の中へ包み込む。
「我慢っ……限界……」
「藍……」
「好きだ。4年前から、ずっとあやかのことが……」
「んっ……」
「お前に会えたらなんて言おうかって。いつか俺の気持ちが伝わったらって。お前が俺を好きになってくれたらって。限られた時間の中で願うことばかりが増えていたけど、現実は厳しくて思うようにいかなかった……」
「……うん」
「俺には幼ない頃から婚約者がいるし、留学期間は4ヶ月で時間がない。それに加えて将来をガチガチに固められた御曹司。そんな自分に恋なんて贅沢だと思っていたけど、これが一生に一度きりだと思ったらどうしても諦められなかった……」
「んっ……」
「終わりが見えてても見ないふりをしていた。最後の瞬間まで幸せでいたかったから。ずるいよな、汚いよな……。お前が断るのを前提で別れを告げたんだから」
「ううん。そんなことない。私が藍でもきっと同じことをしていたはず」
藍の言う通り、これが一生に一度きりの恋なら私も同じ。
いま震えるくらい幸せを感じているから手放したくない。
彼は私の肩に手を置いて体を離すと、大きな手のひらで私の髪を撫でた。
「でも、このまま日本に残りたいけど、帰らなければならないんだ。いまは向こうでの生活が拠点だから」
「そ、だよね……」
「ごめん……。もう一つ残念なことを言うと、しばらく日本には戻れない。よほどの事情がない限り外出許可は下りないから。稟もいまは特別な用事があって日本に来ているし」
「向こうでは大変な生活を送っているんだね。明日から藍に会えないなんて寂しいよ……」
結局は思い通りにならない。
彼には彼の生活があるのだから。
もし、彼が御曹司じゃなかったら、こんなに苦労をしなくても済んだのかもしれないのにね……。
でも、代わりになる人なんていない。
「いっぱい連絡する。だから、会えない時期を頑張って乗り越えよう」
「うん。連絡待ってる」
「次に日本に来る時までには自分の問題を解決してくる。両親とひまりにはちゃんと俺の気持ちを伝えるから、そしたらもう一度俺と……」
「私との婚約なら、もう解消方向だけど?」
彼がしゃべっている最中、ひまりちゃんが背後から言葉を被せてきた。
私たちは同時に彼女の方へ目を向ける。
「ひっ、ひまり……。いつからそこに」
「ん〜〜っ。二人がチューしてるところから、かな?」
「!!!!」
「ひまりちゃんっっ!!」
「あはははっ! 大事な話をしてる最中にぶち壊してごめんね。でも、私決めたんだ。藍とあやかちゃんの恋を応援するってね。その代わり、私は世界一最高な男と結婚する。だから、藍は両親、あやかちゃんは世間に認められるような素敵な人になってね」
彼女はそう言うと、私と藍の肩に手を添えた。
肩の荷が下りたのか、少しホッとした彼の顔。
それを見た途端、胸の奥につっかえていたものがスッと楽になった。
――私たちが結ばれることは不可能だと思っていた。
彼は四大財閥の御曹司だし、婚約者もいる。
それ以前に住む世界が違う人だから。
でも、恋をしてしまった。
それは御曹司じゃなくて一般人として……。
この想いは、もう止められない。
――それから1時間後。
私とひまりちゃんは空港の屋上で彼が搭乗している飛行機を見送った。
大きく手を振ってみたけど、夜だから飛行機の中から見えるはずがない。
暗闇に吸い込まれていく飛行機を見るだけで鼻の奥がツンと痛くなる。
「あーあ、行っちゃったねぇ……。藍のこと本気で好きだったのになぁ」
「ひまりちゃん、ごめんなさい……」
「あはは、いいのいいの! 私なりに精一杯想いを伝えても届かない相手なんて縁がなかっただけ。これからは、もっといい相手と出会って結婚するよ」
ひまりちゃんは強い。
好きな人と結ばれなくて辛い想いをしているのに友達の恋の応援するなんて。
自分が彼女の立場だったら同じようにできるのかな。
「いつオーストラリアに帰るの?」
「私は10月末。留学は4ヶ月間って決まってるからね」
「よかったぁ!! ひまりちゃんも一緒にオーストラリアへ帰っちゃったら寂しくて無理」
「こらーーっっ! あやかちゃんのそーゆーところが好き!」
「じゃあ、残り3ヶ月で日本のJK生活を楽しもうよ」
「おぉっ! それいいねぇ〜。期待してるよ!」
恋のライバルがひまりちゃんで良かった。
そして、引き続き友達でいてくれることに感謝してる。
きっとこれが他の人だったら、藍との縁は途切れていただろう。
これからは彼女の強さに見習って自分も頑張っていかないとね。