未来の住まいは天狗の家から離れた場所にあった。
 華やかなものが大好きだった未来のことだからきっと町から近い場所にあると思っていたのに、実際はまだ整備が行き届いていないような辺鄙な場所だった。のどか、と言えなくもないが、隔絶されているようにも見える。
「本当にここですか?」
「ああ。間違いない」
 伊織と太陽が頷く。
 未来がどういう道を選び、ここに住むと決めたのかわからないが、きっと彼女の中で大きな変化があったはずだ。そう思うほど、琉歌の記憶にある未来とこの家が結びつかない。
「そろそろ入ろうか」
 いつまでも家の前でうろついているわけにはいかない。
 琉歌達は門を潜った。
 未来の家は、天狗の家の半分ほどの大きさだった。
 目に見えるものでマウントを取りがちな母親のことだから、どれだけ未来は幸せそうでも家が実家よりも小さければ認めないだろうな、と思った。
「ごめんください」とアポイントを取り付けた太陽が声をかける。
 緊張しているせいで太陽の大きな声にも過敏にびくついてしまう。体の横でぎゅっと拳を握りしめるとその手を大きな手が上から包み込んだ。指を解かれ、繋がれる。安心する温度にふっと呼吸を吐き出した。
 その時「はい」という声を共に扉が開いた。
 顔を出したのは、未来だ。
 琉歌の記憶にある未来は十代だったため顔に幼さが残っていたが、今の未来は大人の女性になっている。
 未来は琉歌と目が合うとぎこちなく口角を上げた。
「久しぶり、琉歌。本当に生まれ変わったんだね」
「うん、未来も久しぶり」
 昔はどんな風に話をしていたのかわからなくて、他人行儀な挨拶を交わす。
「国利に会いに来たんだよね、こっちだよ」
 琉歌は逸る気持ちを抑えつつ、先を行く太陽の後を追った。
 案内されたのは、家具など何もない客間だった。テーブルすらない部屋に案内した未来は国利を呼んでくると言って、どこかへ行ってしまった。
 あまり部屋を見渡すのは失礼かと思ったが、落ち着きなく見渡してしまう。きょろりと部屋を隅を見てから、琉歌は無意識に伊織に身を寄せていた。
「あ、ごめんなさい」
 慌てて離れようとした琉歌の肩に伊織の手が回って、引き寄せられる。
 未来の前で密着しているのは気まずいと身を捩ったが、伊織の手は離れない。それどころか更に力が強まった。
「伊織様?」
 どうかしたのか、と伊織を見上げると、彼は真剣な表情でじっと扉の方を見据えていた。
「何か変だ」
「え?」
「この部屋、何かおかしい」
 琉歌には何もない部屋という印象しかなかったが、伊織は危険を感じ取っているらしい。
 太陽は立ち上がると躊躇いなく扉を開けた。
 扉の向こうには真っ直ぐ長い廊下が続いている。琉歌達が通された客間は玄関からさほど離れていなかったので、視界に入るはずなのに全く見えない。
 さっきと家の間取りが変わっている。
「嵌められた」
 伊織が舌を打った。
「何が目的か知らないが、どうやら改心はしていないらしいな」
「目的は琉歌さんかな」
「恐らくな」
 伊織と太陽が話をしている横で琉歌はそっと廊下の先を見た。真っすぐに続いている廊下の先は暗闇になっていて突き当りを確認できない。じっと見つめていると不安感を覚えて、すぐに逸らした。
「琉歌、危ないから俺から離れないで」
「は、はい」
 そそくさと伊織の隣に行き、ぴったりと密着する。
「家の間取りが変わっているのは、妖術ですか?」
 琉歌の問いかけに伊織が頷く。
「そうだな。この部屋に入るまで気が付かなかったから、相手はかなりの手練れだ」
「ん? でも、確か天狗は妖術を使えませんよね。飛んだり、烏と会話をするぐらいしかできなかったはずです」
「そうなのか?」
 あやかしの知識は誰もが知っているわけではない。統治している鬼にさえ把握してない事柄があるのは当たり前だ。
「はい。だからこの妖術は未来じゃありません。他のあやかしの力です」
「なるほどな」
 伊織が頷く。
「伊織、どうする? このままここにいる方が安全か?」
 太陽の言葉に応えるように琉歌達の背後でかたんと音が鳴った。
 はっとして振り返ると今まで何もなかった真後ろの壁に扉が現れていた。ドアノブがガタガタと揺れ出した瞬間、琉歌はとび上がった。
「い、い、いおりさま、伊織様!」
「琉歌、大丈夫だから落ち着いて」
 咄嗟に伊織の背に縋りつく。
 前世あやかしだった身だが、ホラー映画は怖くて見れないのだ。恐怖のあまり涙が溢れてきた。
「移動した方が良さそうだな」
 扉の奥から得体のしれない者が飛び出してくる可能性がある。琉歌達は部屋を出て矢鱈と長い廊下を歩く決意をした。
 未来の家はまるでお化け屋敷のようだ。脅かしてくる者こそいないが、廊下に面した扉は時折かた、と音を立てたり、暗がりの奥に何かの気配がある気がする。
「怖がりすぎですかね」
 涙声で問うと伊織が優しく言う。
「こんなところ怖い決まっている。過敏に反応するくらいでちょうどいい」
 伊織はそう言ってくれたが、みしっと廊下が軋む音にすら体が跳ねて泣きたくなった。
「犯人は何が目的なんでしょうか?」
「わからない。、本人に聞くしかないな」
 ゆっくりと周りを警戒しながら歩いていると不意に耳が異音を拾った。
 みし、みしっと何かが前から歩いてくる音だ。三人はその場でぴたりと止まり、警戒をむき出しにして暗がりを睨んだ。
「ふたり共、下がって」
 太陽が前に出て、伊織と琉歌は後ろに数歩下がる。
 と、その時、琉歌の右側にあったと扉が開いた。咄嗟に飛びのき、逃げようとしたのに扉の中から真っ黒い手が伸びて来て琉歌に触れた。
「琉歌!」
 伊織が琉歌と繋いでいる手を引いた。
「伊織様」と名前を呼び、彼に飛びついてでも逃げようとした。
 しかし、気が付いたら目の前は真っ暗に塗られ、自分がどこにいるのかもわからなくなっていた。立っているのか寝転んでいるのかもわからない状態に伊織の名前を呼ぶが声にならない。
 焦りと不安で泣きながら何度も伊織の名前を呼んだ。
 そのうち酷い眩暈を覚えて、きつく目を閉じた。
 足が床についている感覚にはっとして目を開くと周りの光景が変わっていた。長かった廊下はなくなり、玄関に立っていた。
 周りに伊織も太陽の姿もない。
 どうやらひとりだけ分断されてしまったらしい。
 ひとりになってしまった空間でごくりと生唾を飲み込んだ。
「ねぇ、なんで戻って来たの」
 背後から聞こえてきた未来に声に振り返る。未来は、少し離れた位置から暗い目をして琉歌を見つめていた。
「あんたが戻って来なければ、私はこんな目に合わなかったのに。全部全部あんたのせいよ」
 苦痛に歪んだ顔は犯人というよりも被害者のようだ。
「あんたが死んでから私がどんな思いをしたかわかる? それが、漸く落ち着いてたの。罪悪感とおさらばしてたのに。やっと解放されたって思っていたのに」
 未来の言葉は支離滅裂だった。
 吐き出された罪悪感という単語に琉歌は疑念を口にした。
「私に毒を盛ったの、未来?」
 未来の肩が跳ねる。
 言葉の肯定などなくてもその反応だけで十分だった。
 思い起こしてみれば、琉歌が毒を飲む直前に部屋の近くに未来はいた。琉歌が風呂に言っている間に国利が水の入ったグラスを置き、その中に未来が毒を入れたのだろう。
「何で? どうして私を殺したの?」
「毒だなんて知らなかったのよ!」
 未来が唇を震わせながら苦し気に言う。
「腹が痛くなる薬だって聞いていたの。あの時期、私は恋人に捨てられて絶望の中にいたのに琉歌は鬼に嫁いで幸せになろうとしていたから、むかついて……嫌がらせをしてやろうと思っただけなの。ちょっと痛い目みればいいなって、それだけなの。本当よ」
 未来の言葉に嘘はなさそうだ。毒だと思っていなかったから殺意がなかったという仮説が証明された。
「誰にその薬をもらったの?」
「それは――」
 未来の言葉を遮るように玄関の扉が開く音がした。
「琉歌さん、どうしたの?」
 未来の家に入って来たのは、伊織の叔父である総一郎だった。彼の顔を見た瞬間、未来の目に怯えの色が浮かぶ。
 その瞬間、琉歌は足を引いて後退した。
「総一郎さんこそ、どうしてここに」
「僕はちょっと用事があって……そんなに怯えないでよ」
 琉歌の強張った表情に総一郎は苦笑を零す。
 緊迫感で張り詰める空気の中、総一郎だけはゆったりと家に上がって来た。
「止まってください」
 琉歌が叫ぶと総一郎は「おっと」と両手を上げた。
「琉歌さん、落ち着いて」
「ごめんなさい。今はあなたを信用できません。動かないで」
「信用できないなんて、酷いな。俺はただ琉歌さんを想っているだけなのに」
 総一郎は傷ついた顔をした。
「毒を未来に渡して私を殺したのは貴方でしょう。それなのに私を想っているなんて意味が分かりません」
 核心を突いた言葉に総一郎は笑った。
「琉歌さんは、わからないよね。だって本当の恋をしたことがないんだから」
 総一郎はとろんとした目をして夢心地の様子で言葉を続ける。
「僕はね、琉歌さんを見た時に一目で恋に落ちたんだよ。一目ぼれだった。これ以上ないほど好きだと思ったのに君は伊織の隣にいた。僕の方が好きなのにもう手の届かない所にいたんだ。鬼の恋は生涯のものだ。僕は今後誰も好きになれないと気が付いたよ。しょうがないと思おうとした。けど、無理だった。君と会うたびに、声を聞くたびに想いを募っておかしくなりそうだった。伊織が、憎くて堪らなくなった。君の目が伊織を見ているの耐えられなくなった。でも、僕は自分の地位を理解しているから次期当主の伊織から花嫁を奪うなんてできないのは分かっていた。それでも伊織のものにならないでほしかった。僕のものにならないのなら消えて欲しかった」
 総一郎が琉歌に近寄って来る。総一郎が一歩進めば、琉歌はその分下がった。
「最初は殺そうとなんて思っていなかったんだよ。でも、君と伊織が一緒に出掛けているのを見た瞬間、耐えられなくなった。気が付いたら妖術を使って君を襲わせていた」
 喫茶店での襲撃事件はやはり総一郎の仕業だったらしい。
 そこから歯止めが利かなくなったと総一郎は続けた。
「君が僕のせいで死んだ時は絶望を感じたよ。自分の半身を失ったような喪失感でおかしくなりそうだった。それと同時に心の底から満たされた。僕が君を殺したんだ。君は僕のものになったように感じさえした」
 この男はおかしいのだ。琉歌の愛を語る目は澱み、異常な熱に浮かされている。
「どうして、未来を利用したの?」
「利用しやすかったんだよ。馬鹿で愚かだから。動かしやすかった」
 総一郎は目線をずらし、琉歌の背後にいる未来を嘲笑った。
「琉歌を妬ましそうに見ていたから、ちょっと唆したら簡単に乗って来たよ。ちょっとお腹が痛くなる薬だって言ったら簡単に騙されて毒を盛ってくれたんだ。僕に唆されたなんて誰も信用しないだろうねって言ったら今までずっと黙っていたよ」
 総一郎の口車に乗ってしまって騙されたから、と言っても鬼に嫁ぐ予定の妹を殺したとなれば罪に問われかねない。未来にとって黙っているしか道はなかったのだろう。
「今回は、どうしてこんなことを?」
「それは琉歌さんが悪いんだよ」
 総一郎の目がきゅっと吊り上がり、琉歌を攻め立てた。
「君が伊織なんて選ぶから悪いんだよ。せっかく生まれ変わったって聞いて駆け付けたのに、君は既に伊織の隣にいた絶望がわかるかい? 宴会場であの女が暴れなかったら僕が君を手にかけていたのに邪魔が入って悲しかったよ。せっかく宴会に参加するように誘導したのに」
「純恋さんを心配していたのもただの演技ですか?」
 総一郎はにっこりと笑って頷いた。
「当たり前だ。僕は琉歌さん以外どうでもいいんだよ」
 総一郎と話していると頭が痛くなった。
 琉歌を無視した愛情は、あまりに一方的で傲慢だ。
「貴方は、私のことだってどうでもいいんでしょう。だからそんなひどい真似ができるんだ」
 琉歌の言葉に総一郎は哀れなものを見るような視線を向けてきた。
「琉歌さんは元は天狗で、今は人間だから鬼の気持ちがわからないんだよ。鬼はね、皆恋でおかしくなるんだよ。伊織だってそうだ。千年もずっと君を想っているなんていかれている」
「伊織様と貴方は違う。一緒にしないで」
 伊織は琉歌を離さないと言いながら、無理強いをしたことはない。
 琉歌を尊重してくれていた。自分のものにならないからと殺そうとはしない。
「……どうしても分かり合えないみたいだね」
 総一郎はそう言うと琉歌との距離を一気に縮めてきた。
 逃げようと足を引くが間に合わず、目の前に来た総一郎に腕を掴まれた。
「選んで、琉歌さん」
「な、なにを」
 総一郎が暗い目を細めた。
「僕を選ぶか、ここで死ぬかの二択だよ。次、生まれてきたら今度こそ僕の元へ来るって約束もしよう。ちゃんと待っているから」
 ずいっと迫った顔に琉歌は躊躇いなく頭突きをした。
 ごつんという鈍い音と共に額に痛みが走る。脳が揺れ目の前がちかちかと点滅したが、倒れることなく総一郎を睨んだ。
「貴方を選ばないし、ここで死ぬ気もない。私は伊織様の元に帰るの」
 今度こそ、伊織の隣に帰るのだ。
 琉歌の言葉に総一郎の目は怒りで燃え上がった。
 震えぐらいの感情を向けられても琉歌は総一郎から目線を離さずに見返した。
「本当に、琉歌さんは悪い子だね」
 悲しいよ、と眉を下げた総一郎の手が琉歌の首に伸びる。
 暴れる体は簡単に抑えられ、首がどんどんしまっていく。
「琉歌さん、次は絶対に一緒になろうね。約束だよ」
 息ができなくなり、どんどん目の前が霞んでいく。
 ああ、もうだめかもしれない。最期の光景が総一郎だなんて嫌だと思い、目を閉じて伊織を思い浮かべた。優しくて甘い視線が好きだった。あの目でもう一度見つめて欲しい。そう思った――その時。
 どん、と衝撃が走り、琉歌の首から総一郎の手が離れる。
 投げ出され体はすっかり馴染んだ熱に受け止められた。
「琉歌」
 今、一番聞きたかった声が事情から聞こえ、琉歌はせき込みながらなんとか顔を上げた。
「大丈夫か?」
 至近距離で伊織に見つめられていた。
「いおりさま」
「うん。もう大丈夫だからな」
 優しく抱きかかえられると安心して涙が溢れた。
 ぎゅっと抱き着く。叫び声のようなものが聞こえて来たので、そちらに視線を向けると太陽の手によって地面に押さえつけられた総一郎が喚いていた。
「なんで、どうして」
「妖術で伊織に勝てるあやかしはいないよ。慢心したね」
 太陽が誇らしげに鼻を鳴らした。
 「琉歌、琉歌さん、待って。行かないで。僕と一緒にいよう。お願いだ」
 総一郎が琉歌に叫ぶ。その姿は伊織が琉歌の前に立ったことで見えなくなった。
「黙れ。もう二度と琉歌をその目で見るな」
 伊織は地べたで暴れる総一郎に止めを刺すように言った。
「地獄に落とすから、覚悟しておけ」
 背後にいる琉歌は伊織の表情を見ることは叶わないが、発せられる言葉から伊織が相当怒っているのがわかる。
「連れていけ」
 伊織が指示を出すと太陽が総一郎を抱えて家を出て行った。
「琉歌、無事か? 遅くなってすまなかった」
 伊織が琉歌を振り返り、怪我の有無を心配してくる。頬に触れる手が震えていて、琉歌は安心させるために微笑んだ。
「大丈夫です。怪我もないですし」
「そうか……首に痕ができてる」
 総一郎に首を絞められた痕を指摘された。
 一瞬だったので大丈夫だと思っていたが、赤く痕が付いてしまったらしい。痛みなどはないので平気なのに伊織は怒りを露にして、玄関から出ていこうとする。
「どこ行くんですか」
「あいつの息の根を止めてくる」
「いいです。大丈夫ですから、落ち着いてください」
 ぎゅっと抱き着くと伊織の動きが止まった。
 困ったように振り返った顔には怒りはない。感情を抑えるのに成功したらしいと安堵の息を吐いて伊織から離れる。すると正面から抱きしめられた。
「俺の落ち度で危険な目に合わせた。守ると約束したのに」
「守ってくれたじゃないですか。来てくれてありがとうございます」
 抱きしめられる腕の強さや温度で、前世では帰れなかった伊織の隣に帰れた事実を再確認して涙が溢れた。

 呆然としている未来に近づき、顔を覗き込む。彼女は怯えた表情をした。
「未来、大丈夫?」
 声をかけた途端、未来はその場に崩れ落ちた。
「終わった?」
 未来はぽつりと呟き、頬を数回叩く。ぴしゃりと乾いた音が室内に響いた。
「夢じゃない……」
 その様子からは未来の総一郎への怯えが透けて見えた。
 毒を盛ってから、総一郎に脅され続けたのだろう。殺す気はなかった妹を殺してしまった罪悪感も抱えながら生きていくのは、どれだけ苦痛だったのだろう。全てを理解するのは無理だ。
 地べたに座る未来に近寄り、呆けている未来に言い聞かす。
「もう総一郎さんは捕まったから、怖いものなんていないよ。大丈夫」
 その途端、未来は顔を歪ませて泣き出した。
 未来は琉課よりずっと大人なはずなのに、小さくなって泣く姿は記憶にある未来と重なって見えた。
「お母さん……」
 不意に聞こえてきた声に視線を向ける。廊下の奥に琉歌と同い年くらいに見える女の子が立っていた。
 未来の子供なのだろう。よく似ている。
 彼女は近寄って来ると母親の背中を撫でた。
 ふたりの事情を琉歌は知らない。琉歌が死んだ後の苦悩も苦痛も、そしてその合間につかみ取った幸せも。知る必要があるとも思えない。未来が琉歌に知ってほしいと願っているとは思えないので、寄り添う合うふたりからそっと離れた。
「琉歌様」と聞き覚えのある声に名前を呼ばれ、琉歌は目頭が熱くなるのを感じた。
「国利さん……」
 廊下の向こうからやって来た国利は昔と全く変わらない様子で立っていた。千年前から容姿が変わっていないことにふっと笑みが零れる。
 国利は唇を震わせた後、頭を下げた。
「琉歌様、すみませんでした」
「どうして謝るんですか」
「私は貴方を守れなかった。自分の子供のように思っていたのに、みすみす死なせてしまった……ごめんなさい」
 自責の念を抱えている国利に琉歌は首を振る。
「国利さんは何も悪くないよ。ごめんなさい、もっと早く来るべきでした。それにしても未来と家を出ているとは思いませんでした」
 国利は琉歌が生まれてくる前から天狗の家に仕えていたので、天狗の家に骨を埋めると思っていた。
「貴方が死んだあの家にいるのが、耐えられなかったのです。それに当時の未来様は精神的にボロボロで、誰かの支えが必要だと感じたので一緒に行きました」
「そっか」
 未来がここまで生きて来られたのは国利の存在が大きかったのかもしれない。
「国利さん、また会えて良かったです」
「それは私の台詞ですよ。まさか生きている内に琉歌様に再び会えるとは思っておりませんでした。元気そうで、安心しました」
 国利は漸く表情を緩め、笑った。
 そして、彼女の視線は琉歌を背後に立つ伊織に向いた。
「私はこんなを言っていい立場ではありませんが、どうか琉歌様をよろしくお願いいたします」
「ああ。もちろん。必ず幸せにする」
 伊織が頷くと国利は安心した様子で顔を綻ばせた後、両手で顔を抑えた。
「今度こそ幸せになるよ」
 琉歌がそう言うと国利は何度も頷き「良かった、良かった」と涙声で言う。琉歌の幸せを願ってくれる国利の姿に琉歌は堪らず彼女を抱きしめた。