二人は推しが被ってる

 真夏が急いで劇場に入ると、受付前で秋穂がどう見てもイライラしながら立っていた。そして真夏を見つけた途端、入場口のほうに歩いていった。
「ごめんごめん」 
 追いついた真夏が手を合わせて謝っても、とくに反応することもなく、さっさとチケット二枚を受付に渡した。
「出がけにちょっと忘れ物しちゃって」
 なおも言い訳を続ける真夏のことなど応じることもなく、秋穂は劇場に入っていく。
 事前に確認していたのか、秋穂は席のほうへと向かっていった。事前にネットで最寄りの扉も席の位置も確認していたのだろう。
 二人は席についた。
「あのね」
 真夏が話しかけようとしたとき、音楽が響き、会場の照明が暗くなっていった。

「本気でぶっ殺そうかと思ってた」
 休憩時間のトイレに並びながら、秋穂が言った。さすがは人気俳優の主演舞台なだけあって、女性用トイレはいつまでも途切れない列ができている。
「でも、直輝のお芝居を観ていたら、怒りよりも、なんていうか、もっと広い、宇宙よりも深い愛みたいなものが溢れでてきちゃった」
「よかったよねえ、直輝」
 真夏も深く頷いた。そして秋穂が怒っていたのも無理もない、と思った。推しの舞台に途中入場なんて、最悪である。しかも二人が現在激推ししている俳優、篠宮直輝は主役ではないが冒頭から舞台に登場するのだ。見逃してしまったらそれはもう立ち直れないほどのショックに陥ることになる。なぜ直輝の登場タイミングを知っているか? シナリオを読んだわけでも告知があったわけでもない。二人が観劇するのが五回目だからである。ほぼ毎週、というか週2で現在新宿の劇場に通っていた。
 千秋楽含め、あと四回ほど参戦予定である。まだ完売になっていない日もあるようなので、増えるかもしれない。
「今日はちょっと前回とは違ったわね」
「やっぱり回数を重ねることでどんどん深くなっているのよねえ」
「観劇はやっぱり何度も観なくちゃねえ」
 なんていっぱしの通ぶったことを言ってるが、もちろん二人は推しが出ていなかったら舞台を観るなんてことはない。むしろ混雑した場にはできるだけ立ち寄りたくない、インドアなタイプである。しかし、好きな俳優が映画に出るなら、なんなら舞台挨拶があるのなら馳せ参じるし、芝居があるならばできるだけ足を運ぶ。
「そういやさ、マオくん、久しぶりにドラマに出るらしいよ」
 真夏がふと思い出して、言った。
「へえ、なに?」
「なんか刑事ドラマの犯人だって」
「頑張って欲しいわねえ」
「よね、なんか懐かしいよね」
「ああ、なんか昔の彼氏がうっかりSNSで出てきちゃった、みたいな」
 そもそも彼氏なんて存在したことないくせに秋穂がぬかした。
「でもべつにわたしたちだって、悪い別れ方したわけでないし」
 まるで二人とも、昔の男みたいなノリで話しているが、そのマオくんと、面識があるわけでもなんでもない。
 マオくんとは、彼女らが初めて推し被りした俳優である。

 真夏と秋穂は高校のクラスが同じだったけれど、グループは別々だった。真夏のほうは、文化系のちょっとオタクよりの集団に属し、秋穂のほうは、そこそこギャルな集団にいた。趣味が違えどべつに仲が悪いとか、相互で内心見下し合うなんてこともなかった。それぞれ好きなことをすりゃいいし、いちいち仲を悪くする必要もない。困ったことがあったときに助けてもらいことだってあろう、という計算も含め、きちんと人間として認め合っていた。つまり、わりと協調性のあるクラスであった。
 あるとき、秋穂が、真夏のバッグにつけていたアクキーに気づいて、
「あ、それって」
 と思わずいってしまった。
「もしかして、知ってる?」
 真夏は恐る恐る訊ねた。
「うん、それって、日曜の朝の、だよね」
 秋穂は『そこそこ知ってる』ていで言った。
「うん、そうなの」
 子供向けの特撮番組のキャラクターだった。しかも、主役じゃなくて三番手くらいのやつ。
「弟がいて一緒に観ているんだけど、かっこいいよね、なんだっけ」
「常田マオ」
「あ、そうそう、マオね」
「わたし、マオくんのファンで」
「そうなんだあ」
 そのとき、秋穂は同志を見つけた、と思った。というか、推しが被っている! いやべつに被っていることがNGとかはないけれど。まだまだそこまで人気でない、やっぱり主役の美形とか二番手のワイルドな感じに比べたら随分個性が薄いというか、それが逆に「いい」んだけど、身近に自分と同じように推しているやつを見つけて、秋穂はカミングアウトすべきか迷った。
 なんとなくいつものグループでは、みんなと同じようにKポップのアーティストが好き、とか言っていたけれど、実は特撮の若手俳優が好きなのだ。いや、そう言ってもみんなはべつにたいして気にしないだろうけれど、なんとなく属する集団とおなじような趣味でいたほうがいいのではないか、と思っているうちに、白状することができなくなっていた。
 そのときはそこで話が終わった。それからも何度か話すことはあったけれど、常田マオのことが話題にのぼることはなかった。というか秋穂は意識的に避けていた。
 むしろ、真夏の私物が気になった。アクキーの他に、クリアファイルも常田マオだ。それ、ファンクラブ限定のやつ。わたしも入ってるし、ていうか持ってる。それにマオの演じる特撮キャラグッズ……スマホに貼ってるし。そんな目立つところに!
 なんとなくイライラしてきた。そしてあるとき、常田マオの写真集の発売イベントが開催された書店で、二人はばったりと出会ってしまった。
「あ」
 思わず秋穂は硬直した。
「あ、秋穂ちゃんもきてたの? もしかして、弟さんと?」
「ええと」
 いくらファンでも幼稚園児男子がイケメン俳優の写真集(ちょっと肌の露出もあり)を買いになんてこねえだろ、と頭の中で冷静に突っ込みつつ、
「ええと、えーと」
 なんとなく、秋穂は腰の横にまるで誰かいるみたいに頭をぽんぽんとする動きをして、イメジナリー弟を拵えよとしたものの、もちろん出現するわけもなく、
「いや、わたしのほうがファンになっちゃって」
 と素直に告白した。

 推しやジャンルが被るのを嫌がる人もいるが、秋穂は真夏という存在ができたおかげで、ずいぶんと楽になった。グループが違うから表立って教室で話すこともないが、二人が集まり、推しの尊さを語りあい、それぞれが知っている情報を共有することは至上の喜びであった。
 一緒にイベントに行ける相手ができたのもよかった。やはり一人で向かうにはいくら好きな人と近づけるからといって、なかなか厳しいものがある。会場を見渡して、いつもきている人だな、と常連を見つけたりもするが、こっちから声をかけるのは気が引ける。そもそもそういう「同志」を求めていないかもしれないし、ガチ恋勢からすると、同じ人を好きなやつはライバルでもある。いや、絶対に手に届かないし、繋がりなんて持てないとわかっていても!
 秋穂は恋に恋しているときの「イメージの相手」として常田マオを好もしく思っていたし、真夏のほうは恋愛というよりもその姿かたちに惚れこんでいた。つまり、当時の二人はほんとうに好きな男性、なんてものが芸能界以外でできるとは思えなかった。近しい同年代の男の子たちはなんとなくガサツで子供っぽくて、やはりまだまだ知名度は少ないとしてもいちおう芸能人である常田マオくらいの遠さときれいさが、ちょうどよかった。
 なんとなく常田ブームは、特撮番組終了後にそんなに常田マオ自身がハネなかったことで尻すぼみとなったが、それからも二人は、とにかく推しが被った。
 男性誌のモデルとか、舞台俳優とか、マイナーなグループアイドルとか。あまりに被りすぎるので、ちょっといいなという男の子を試しに紹介して、反応を伺ったりすることもあった。それによって、テーマパークのキャストとか、浅草の人力俥夫とか、コーヒーショップのスッタッフとか、ちょっといいな、と思える人をこっそり紹介(といってももちろん面識はない)して、だいたいお眼鏡にかなう、というかその新たな沼へとお互いを誘いあった。
 服装を見ても、モノトーンを好む真夏と派手目のビタミンカラーが好きな秋穂、とすっかり好みが違う二人なのに、推しの趣味だけはぴったりなのだった。
 真夏がいま働いている事務商品を扱うメーカーは、小さいながらアットホームな雰囲気で居心地がいい。ああ、転職してよかった、と常々思っている。前に勤めていた会社は最悪だった。残業が当たり前だったし(おかげで推し活が滞った)、上司であるおじさんたちは、若い女の子をねばっこい目で見ていた(おかげで現実の男がほとほと嫌になった)。そんなとこに比べれば、ここは天国である。さすがに忙しいときもあるけれど、どうしても外せない用事があると申し出れば、退社することもできる。というか、この会社に入ったときに、自分の事務処理能力がとてつもなく優秀であることがわかった。できるやつになって、やたらと仕事を渡されるのは嫌だと思っていた。同じ給料だったら、そこそここなしとけばいい、と考えていた。ここに勤め出してから、推し活を融通してもらっている手前、多少は残って作業する羽目になっても、前ほどイライラはしない。
 ……会社には推し活のことは言っていないけれど。ていうかスキルアップの勉強のためとか言っているけれど。
「おつかれさまです」
 隣のデスクの磯村が営業から帰ってきた。くたびれた顔をしている。
「おつかれさま、どうですか調子は」
 真夏は訊ねた。
「まあまあですね。三歩進んで二歩下がるって感じですかな」
 磯村は関西の部署からつい最近、東京の本社へ異動してやってきた。大阪のほうではかなり有能だったらしいが、いまのところ苦戦している模様だ。
 しかし、これまでの担当者のお得意さんを回るのと同時に、新たな顧客を得るべく奔走しているらしい。つまり、けっこう頑張り屋である。
「磯村くん、週末どうしてるの?」
「お、デートの誘いかなんかですか」
「違う。東京にきたばっかで、知り合いもいないんだろうな、って憐れんでるだけ」
「なんすかそれ」
 磯村くんが笑った。歳が近いし、なんとなく気安く話すことができた。真夏にとってはめずらしい異性だ。
 磯村は、かっこいいタイプではない。正確にいえば、真夏が好きな感じではなかった。細めの暗い感じ、というか思い悩んでいる姿が似合うタイプが好きだ。磯村はどっちかといえば、明るくスポーツが得意そうで、万人に好感を持たれる感じ。髪もフェードの七三分けなんていうちょっといけいけに見える。
「ま、洗濯したりしてるうちにいつのまにかサザエさん始まってますね」
「ああ、なんか寂しくなるやつやつね」
「全然。サザエさん、めちゃおもろいし。ていうか、この会社くんの好きだし」
 まっさらな言葉を磯村が口にしたので、真夏はちょっとどきりとした。
「磯村くん」
「なんすか」
「いいね、なんか」
「そうすか」
 会社くるのが好き、か。もちろん真夏だって会社が好きだが、「前のとこよりまし」という比較からのものである。
「わたしもこの会社気に入ってるけど、日曜の夜はちょっとばかりしんどいけどね」
 まもなく退社だ。今日は直輝の舞台の千秋楽である。ふとスマホをひらくと、秋穂からラインがきていた。
「すまん、今日仕事やばい、いけそうもない。楽日最前列だったのに! 直輝!! なので代金は払うから一人で行って。満席にしてあげられないなんて、遺憾でしかない」
 そして謝っているスタンプ。
「まじか」
 真夏はため息をついた。
「どうしたんすか」
 磯村が顔を歪ませている真夏を見て、おかしそうに訊ねた。
「いや、今日友達と芝居に行く予定だったんだけど、急にキャンセルになっちゃって」
 べつにお金はいいけれど、次に会ったとき、ぐちぐち言ってくるだろうなあ、と面倒に思った。
「へえ、芝居なんて真夏さん観るんですか」
「まあ、ね」
「どんなやつなんすか」
 真夏がバッグのなかに入っているチラシを磯村に渡すと、物珍しそうに表と裏をせわしなく眺めた。
「こういうの好きなんすか」
 磯村の発言が「こんなもの」と言っているように聞こえ、ちょっと真夏はむっとした。
「まあね」
 磯村のようなやつには、直輝の美しさはわからないのである。そう思ったが、まずそこ、なので真夏も作品自体を評価しているわけではなかった。
「じゃあ、俺が行きますよ」
「え」
「なんか今日、ちょっと気分転換したいとこだったし。チケット払いますよ」
「まあ、いいけど」
 急に、人に見せてもいいものなか、不安になってきた。この芝居、直輝以外に見どころがあったっけ?
 芝居を観ているあいだ、ちらちらと隣にいる磯村のことが気になって仕方がなかった。正直、たいして中身のない芝居である。
 どっちかといえば、ストーリーは推しがいろんな表情を見せてくれるためのツールでしかない。いつもなら、そんなことは気にも留めないのに。そもそも磯村がどんなものが好きなのか知らない。テレビドラマや映画の話題なんてしたことがなかった。
 芝居が終わり、拍手を送っているとき、なんとなく楽しそうな横顔が見れて、真夏はほっとした。
「ん?」
 真夏の視線に気づいて、磯村が真夏のほうを見た。真夏は慌てて舞台のほうに顔を戻した。
「どうだった?」
 劇場から出る途中、人混みのなかで、真夏は訊ねた。
「ああ、なかなか面白かったっすね」
 磯村が言った。
「ならよかった」
 もしここで、磯村が交戦的になって、芝居にあれこれケチをつけだしたらどうしようと不安になった。秋穂とだったら、「あのシナリオしょうもなかったねえ」などと話しても、同意したり「でもパフェを食べる直輝を拝ませてもらったんだから、わかってるっちゃわかってるよねえ」などと受け流し、そして話のことなど関係なく、演じる直輝のことを語り合うだけである。
 なんとなく磯村とは口論したくないな、と思った。
 劇場の外にでたときだ。
「真夏」
 と呼ばれ、見てみるとそこに秋穂がいた。
「秋穂、どうしたの」
「だって今日が千秋楽でしょ。観ることができなかったとはいえ、やっぱ近くで公演が無事終了したことを祝わなくちゃって。
 どういうポジションだ、と常人が聞いたら首を傾げる発言だが、もちろんわかる。
「今日これなかった人すか」
 真夏の横にいた磯村が興味深げに秋穂を見た。
「うん、秋穂ちゃん、高校のときからの友達」
「へーっ、十年以上ってことですか、すげえ」
 磯村が驚いた顔をした。「俺もう高校の友達でつるんでいるやついないっすよ」
「えーと、誰、このでかいの?」
 秋穂が言った。
「うちの会社の磯村さん、芝居一緒に観てもらったの」
 真夏は秋穂の顔をい伺いながら紹介した。秋穂のほうはたいして興味なさそうだ。
「背、高いね。身長いくつ?」
「百八十二です」
「てことは、直輝と一緒!?」
 急に秋穂の顔が綻び、「ちょっと真夏、この人と写真撮るから」とスマホを真夏に渡した。
「え、なんで?」
「だって、直輝と並んだらこんな感じかって知りたいじゃん、ほら、ちょっとあんたしっかり立ちなさいよ」
 そういってあれこれ指示をしだした。
「なんか、この人面白いっすね」
 と磯村が笑った。

 そのまま三人で飲みにいくことになった。
「で、どうだった、今日の直輝は」
 ひとまずビールを飲み干し、秋穂が言った。
「どうって」
 隣にいた磯村の反応が気になってしまい、細かくチェックしていちいちその振る舞いに萌える、なんとことができなかった。
「ああ、なんか日本一のそば職人になろうとしていた人ですかね」
 磯村が言うと、
「うどんよ。なにを観ていたのあんたは、節穴?」
 と秋穂が腹を立てた。
「ああ、すんません、あの人のファンなんですか」
「まあね、ここ最近は成長を見守っているわ」
 なぜか堂々と秋穂が言った。
「そういう系ですか」
「なに」
「まだ売れてない俳優を早い段階で見つけて、ワシが育てたんじゃあ、とか古参ぶるやつ」
「は?」
 あ、やっぱりこの二人、合わないかもしれない。真夏は今日はこのまま解散すればよかった、と後悔した。
「いや、すごいですよ。そういうのって、これからのエンタメを育てているようなもんで、俳優だけでなく、業界全体を盛り上げているってことじゃないすか」
「……まあね」
 なんとなく秋穂もご満悦の様子である。磯村は口が立つけれどさすが営業。人の懐に入るのがうまい。
 その後は秋穂の語る「直輝のよさ」を拝聴する会となった。いつもだったら話に乗る真夏だったが、なんとなく磯村が気になってしまい、相槌を打つばかりとなってしまった。
「むかし俺も高校の文化祭で芝居したんですよ」
 磯村が言うと、
「へえ、なにやったの」
「『ロミオとジュリエット』のロミオ』
「そりゃ美しくないrtロミオねえ」
 とナチュラルに秋穂は暴言を吐いたが、「そらそうだ」と磯村は笑い、まったく気にしていなかった。
「やっぱり俳優ってのはちょっと敗退的でないと。そう考えるといまは直輝が至高だから、こんど映画ちょいい役でるし」
 うっとりと秋穂が言った。
「おもろいな、秋穂さん」
 磯村は笑い、真夏は少し、どきりとした。
 あの一件以来、妙に磯村が気になってきた。
 色黒だしがっしりしてるし、眉毛太いし、ぜんぜん好みじゃないのに、だ。職場で磯村が誰かと脱弾していると、内容が気になる。得意先周りから帰ってきても、前まではなんとも思わなかったのに、ねぎらいの言葉をかけたりしてしまう。
 もしかして、これは、と真夏は焦った。実はこれまで、自分の周りにいる異性のことを、モブとか人形とか、なんなら生き物として認識してこなかった。しゃべる動物くらいのテンションだった。
 しかし、磯村は違った。というより、徐々に違うものになっていった。
 そしてはじめて秋穂と推しが被らない状態なのかも、と思い、その思いつきに、自分でもびっくりしていた。
 彼氏いない歴、実年齢の真夏である。鏡をのぞいてみても、自分はわりと悪くないと思う。しかし、手の届かない人ばかりを好きになってしまい、これまで自分と同じ世界にいる男子のことを好きになることはできなかった。
 もしかして。
 わたしも意外と、普通にそこらへんの男の子と恋愛することができるのかもしれない。いやさすがに磯村とどうこうなんていうのは先走りすぎだけれど。どこかで諦めかけていたけれど、いけるのかも。

「磯村どうしてんの」
 休みの日、秋穂とお茶をしているときだった。
「なんで?気になる?」
「べつに」
 一通り、直輝への想い(と追っかけてきたここ数週間の成果報告)を終え、一息ついたところだった。
「磯村情報あんたよくラインするじゃん、バナナで足滑らせたとか」
「言ってない。雨の日に中野坂上の階段を思い切りすべってずり落ちたって話」
「ふーん、興味ねーわ。でも珍しいよね、真夏が直輝以外のこと話してくるって」
 そう言われ、真夏はどきりとした。
「まあ会社でよく会うからね」
「よくっていうか毎日だろうが」
 そんなふうに何の気ない話をしながら、つい最近磯村が言っていたことを真夏は思い返した。

「秋穂さんどうしてるんですか」
 あるとき、磯村が急に秋穂のことを聞いた。
「なんで気になるの?」
 と言ったとき、なんだか嫌みたらしく、しかもどこかねちっこい言い方をしてしまったことに、真夏は慌てた。
「いや〜羨ましいんですよ、俺、友達いないんで」
 どう考えても友達いっぱい従えてバーベキューとかしてそうな風貌なのにねえ、と真夏は思った。
「今度また三人で飲みましょうよ」

「どうかした?」
 秋穂が声をかけ、真夏は「ううん、なんでも」と答えた。
「かぜとかだったら引きはじめのうちになんとかしたほうがいいよ」
 とおすすめの漢方をラインしてくれた。
「詳しいじゃん」
「実はさ、ある程度見極めてから真夏に言おうと思っていたんだけど、最近自由が丘の漢方屋捗るイケメンがいるのよ」
 といってスマホで検索して画面を見せた。
「ああ、なるほど」
 いかにも私たち好みだ。線が細くて神経質そう。真面目な顔だが、笑ったらきっとほっとして「いける」なんてのたまってしまいそうだ。
 自分と秋穂は被る。
 と真夏は思う。でも、やっぱり磯村はこえまでの傾向と違うし。
「どうした?」
 秋穂が心配そうに真夏に声をかけた。
「ううん、やっぱちょっとかぜっぽいのかも」
 真夏は言い訳じみた口ぶりをした。
 これってもしや。
 やば、古臭い恋愛小説じゃあるまいし 胸が痛いとか 健康診断でなんかひっかかるかな。考えてみて、ちょっとだけ苦しかった。なんでもかんでもこれま秋穂に話してきたけれど、これはなんだか、うまく伝えることができない。
 わたしたちは、推してきたけど、恋をしてきたわけではないのだ。
 秋穂が真夏をじっと見た。
「なに?」
「調子良くなったら、あの身長だけ直輝呼んでまた飲むか」
 と秋穂は言った。そしてすぐに、「ところで直輝の出る映画、ちょい役だから今回舞台挨拶ないらしいよ。主催は何考えてんだか。直輝がでるならうちら、手弁当で行くってのにねえ。観客二人増えるってのに」
 いつもの話題に戻った。

 結局再び三人で飲むことになった。グループラインまで作られてしまった。なんだか磯村と秋穂はうまがあうらしく、やたらと返信してバトっている。
『なんだこの身長だけのやつが!』
 なんて秋穂は平気で書くし、
『でたー誹謗中傷〜荒れるぞ〜』
 なんて磯村も面白おかしく返す。そのやりとりを見ていたら、なんだか余計に苦しくなってきた。
 やばい、わたしアラサーになろうとしているのに、なに安い少女漫画みたいなメンタルになっているんだ。
 蚊帳の外だ。
 飲み会当日も、真夏はそんなふうに思った。
 だったらでなきゃいいじゃん。急にそう思った。
 待ち合わせ場所まで行く途中で、真夏は踵を返した。しかし、どこに行く当てもなく、ちょうど直輝の出ている映画の上映時間が近いシネコンに入った。
 真夏はスマホの電源を切った。連絡しないでばっくれて、ないにやっているのだろうか。
ぼんやりしていたら、直輝の出演シーンをスルーしてしまっていた。
「どうしてこなかったんですか」
 翌日会社に行くと、真夏はさっそく磯村に聞かれた。
 朝、スマホの電源つけたら鬼ラインと電話の着信があった。
「ごめん」
 真夏は俯いて謝った。
 磯村のほうも、とくに理由を聞くつもりはなかったらしい。
「秋穂さん心配してましたよ」
 と言った。
「秋穂、怒ってた?」
「怒ってました」
「やっぱり」
 あとで秋穂にラインを入れておこう。即電話がかかってくるかもしれない。
「いや、真夏さんにじゃなくって、俺に」
 磯村は目を細めた。
「はい?」
 まあ、昼にでも話しましょ、と磯村は言った。
 昼休みになり、二人は近所の定食屋の方へ向かった。途中で、磯村が言った。
「おまえは真夏をどう思ってるんだ、って」
「なんのこと」
「秋穂さんがブチ切れてました」
「それは」
「お前は自分が顔がいいからってお高く止まってるんだろうとか、なんか偉そうとか、実は冷血だろう、わたしにはわかるとか。酒飲みながらずっと説教でした」
「それって」
 真夏はその秋穂の磯崎評を聞いて、わかった。それは直輝の、というかわたしたちの好きなタイプじゃん、やっぱ秋穂もそうなのか、と。
 そして、べつにわたしたちは男の顔の好みが被っているんじゃない、と思った。その人の滲み出る内面が好きなのだ。
「磯村くん、秋穂のことどう思う?」
 真夏は磯村にさりげなさを装いながら訊ねた。
「面白いですなあ」
 磯村が困ったように、言った。面白そうには見えなかった。
「磯村くん、だったらさ」
 と後押ししようとしたときだ。
「俺ね、付き合ってる人いるんです、遠距離ですけど」
 と磯村が頭を掻いた。
「え、あ」
 いきなりの想像していなかった発言に、真夏はたじろいだ。しかし冷静に考えてみたら、たしかに彼女の一人や二人や十人くらいいそうだ。
「彼氏です」
 磯村が真夏を見て、少し真面目腐って言った。
「あ、ああ、うん、」
 こういうときどうリアクションしたらいいかわからず、なんだか変な声が出た。別に彼氏がいるから、どうこうでもないし、なにも悪くはないけれど、さすがに急な告白に、真夏はどうしたらいいかわからなかった。
「秋穂さんにも言って、そうしたら、おんなじリアクションしてましたよ」
 磯村がちょっとだけほっとしたように笑った。
「真夏さんと秋穂さん、二人でいるとなんだか小鳥がピーチクパーチク好き勝手に鳴いているみたいで、なんだか面白いから、二人でいるところにまた相席させてくださいよ」
 定食屋に到着し、「やった。今日並んでない、すぐ入れる」
 と磯村が店のドアを開けた。

 後日、直輝のトークイベントに真夏と秋穂は参戦した。
「磯村さあ」
 席について、始まるのを待っているとき、秋穂が切り出した。
「うん」
「まあ控えめに言って」
 一瞬秋穂が口ごもり、すかさず真夏が代弁するように言った。
「推せるわ」
「それ」
 秋穂が真夏を指差して笑った。「彼氏可愛いし」
「見たの!?」
「うん、そっちか〜みたいな」
「えーっ、どっちだよ」
「なんか癒されたわ〜。にしても磯村め、庶民派のそこらへんにいるただのイケメンのくせにやりおる」
 なぜか満足げに秋穂が言った。
「そうなんだよねえ、どっか手の届かない感じ醸し出してるし。そもそもわたしたち対象外だし」
 真夏はつい最近、新規の大口を契約して拍手を浴びている磯村を思い出した。なかなかいい顔をしている。
「わたしたちもついに専門職はこれまであったけど、一般リーマン推すまでになったか」
「いくとこまできたね」
 二人とも、磯村が推せることについては意見が一致した。
「まだまだこれから楽しくいけそうじゃん。ていうか真夏、あんた磯村のおいしいとこチェックしときなよ」
「写真と動画撮らなくちゃね。捗るわ」
「ちゃんと許可とっておきなね」
 そしてトークショーが始まった。直輝が壇上にあがってくる。相変わらず、かっこいい。いつまでもこんなふうに、好みのイケメンを推し続けていくのやら。そろそろやめどきかも、と思うこともある。でも、推しはまたどんどん新規が見つかるし、増えていくし、秋穂と一緒に推すの、二人で一緒に推すのは最高なのだ。
「あの司会、悪くないよね」
 秋穂が小声で言った。
「ああ、なんか笑ってても、心の奥では別のこと考えてそうなのが、とても捗るねえ」
 真夏はそう言って、少し鼻をすすった。

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