自分が余計な介入をしたせいで、陰口の材料を増やしてしまったのだろうかと思えば、責任も感じる。
 なので、十月も終わりかけたある日の放課後、
「せんぱい! すごいですね、表彰! せんぱいって、すごい人だったんですね!」
 息せき切って生物実験室に飛び込んできた彼女の、弾むような声と笑顔を見ると、多少気持ちが救われるところがあった。
「賞状と盾、見せてくださいよ」
 寛子が夏休みに仕上げた研究レポートが、県の科学コンクールで特選を取ったのだ。
 結果は数日前に立田教諭から知らされており、今朝の全校集会で改めて、校長からお褒めの言葉と共に、賞状と盾を渡された。
「立田先生が持ってる。そのうちどこかに飾られるんじゃない?」
「そう。立田先生が、三年の尾瀬(おぜ)寛子せんぱいは何年かにひとりの、
稀に見る秀才だって、授業の前に言ってました。研究だけじゃなく、全国模試で百番以内に入ったこともあるって」
「一年の授業でそんなこと言ったの? 個人情報に配慮しないねぇ、学校、マジで……」
 寛子が、後で立田教諭を問い詰めよう、と苦虫を噛み潰した顔をしていると、彼女が首を傾げた。
「あまり嬉しそうじゃないですね、せんぱい」
「あ、いや……誰でも、成績とかは言いふらされたくないでしょ……。コンクールは、そうだね、ひとまず良かった。立田先生には『全国で特選取らなきゃ承知しない』って言われてるけど……」
「そんなスパルタなんですか? 科学部」
「そういう人なの、立田先生が」
「こわ……」
 ――これは本格的に新入部員にはなってくれなさそうだな。
 と思いつつ、一応、フォローは入れておいた。
「いや、夏休みも毎日ここ開けさせちゃったし、レポートの添削でも時間割いてもらったから。私ひとりだったら特選取れてないよ」
 そう、だから、結果が出て、安心はしたのだった。
 それに、二年生トリオ他、他の部員もまずまずの賞を取れていたし、総じて非常にレベルが高い活動をしている、と校長のお墨付きで、全校生徒の前で表彰されたので、多少ながら「三度の飯よりかえるの解剖が好きな変態眼鏡集団」というレッテルが(あるとすれば、だけれど)覆せたのではないかと思う。眼鏡の部員もいたけれど。
 それに、……彼女が無邪気に喜んでくれたので、それはやはり、少し嬉しい。勝手に、口端が上がってしまう。
「特選もらったの、どんな研究だったんですか?」
「一度も訊いたことなかったくせに、掌返しー」
「だって、聞いてもわからないと思ったから。淡水魚がどうこうって言ってたけど、もしかして、ここのめだかのことです?」
 ――自分がやっていることに興味を持たれるの、こんなに嬉しいものなんだな。
 寛子は喜びを噛み締めつつ、うっかり早口になりそうな自分を制御しなければならなかった。
「そう。めだかの海水適応。真水での飼育から、少しずつ濃度を上げて、時間をかけて慣らして。どこまで海水に近い中で生きられるか? っていうのを、データを取って」
「すごい。そんなことできるんですか?」
「海水魚は100%海水じゃないと、淡水魚は100%淡水じゃないと、生きられない、って思いがちだけど、……ほら、学校のそばを流れてる川は汽水でしょ。河口付近の魚って、満潮干潮でそれぞれ塩分濃度が変わる環境の中でちゃんと生きてるわけだから、不可能じゃないだろうと仮説を立てたの。……だけど」
「だけど?」
「実験途中で、いっぱい死んじゃった」
 校長が褒めたところで、県で特選を取ったところで、寛子が大量のめだかを殺したのは事実だ。本職の研究者のように、それで飯を食っているというわけでもなければ、研究が世の中の役に立つからやったというわけでもない。海水に入れた淡水魚が最悪死ぬかもしれないとわかりながら、興味と好奇心を優先したのだ。
 科学部員は、「ふつう」の人から見たら、やはり気持ちが悪いのかもしれない、と寛子は思う。
 そう思われても、仕方ない、と思う程度には、寛子自身だってめだかが死ぬたび悲しかったけれど、悲しんでなんかいないだろうと周りに思われる程度には、淡々と実験を継続し、飄々と表彰された。
「……かわいそうにね」
 わざと口に出す。
 彼女は、どの口で、と、寛子を責めることはしなかった。
「キツかったんでしょうね。海水は。やっぱり」
 共感を添えるように、小さな声で言っただけだ。
 そのことが寛子には、自分でもびっくりするほど嬉しかった。
「海水で卵を孵すことはしなかったから。ある程度体が育ち切ってから、変わっていく環境に順応しなきゃならない。キツいだろうね」
「でも、かっこいい――と思います。淡水でも、海水でも、どっちでも生きられるって。生まれた場所を出たらすぐに死んじゃうのより、ずっと良い。他のめだかが耐えられないほど厳しい環境で、脱落しないで生き抜いた。強いめだか。めだかエリートだ。挑戦すらしない、そんじょそこらのやつらとは、その時点で違う」
「うーん……自由意思を確認して放り込んだわけではないから、そう言われると罪悪感が募るけれども……」
「研究に使ったの、ここのめだかでしょう。この子たち、海に放したら生きていけます?」
「どうかな。海は波があるから無理じゃない?」
「海を泳ぐめだか、見たいなぁ」
「体が小さいから、放した後に水面から目視は厳しいかと」
「もう。夢を壊すようなことばっかり! せんぱい」
 今日の後輩はやけに興奮して、テンションが高いな、と思っていると、彼女はめだかの水槽を見下ろしながら、ひとりごちた。
「教科書とか、読んでて、思います。……温暖化とか、環境汚染とか……たくさんの生物が、絶滅危惧種って言われて。でも、太古の昔からしぶとく生き残っている種ももちろんいて。……私はそっちに、なりたい。隕石が地球を砕いたりなんかしたら、もうどうにもならないのかもしれないけど。暑かったり、寒かったり、そういう自分の行いとは関係ないことで殺されないくらい、強い方の種になりたい」
「……強いなぁ、長良ちゃんは」
「強くありたい。弱いです、って小さくなって我慢ばかりしていても、図々しい人たちが喜ぶだけじゃないですか。絶対、喜ばせたくない」
「かわいい」
「――今日の一限、臨時学級会でした。三日前、バスケ部の顧問から、私の家に電話が来て。それで、親に知られて。親と担任が、私のいないところで話をして。それで」
 声のトーンを変えないまま、彼女は言った。視線はめだかの水槽に固定されていて、寛子の定位置からは背中しか見えない。
「……皆の前で、謝られて。『仲良くしなくて、すみません』……って何なんでしょうね。ほんと、茶番。大人って、変なこと謝らせる。日直押し付けられたり、ロッカー荒らされたりしたことへの謝罪だったらわかるけど。あの子たちだって、嫌いな人間と仲良くする義務は、ないのに、……ああ」
 彼女は溜め息と一緒に、大きく感嘆の声を出した。