「男女で一組になって欲しい、は集団の願い、ご都合であって、個人は必ずしもそうできてない。じゃなきゃ、私たちが惹かれ合うってことは起こらないでしょ? ……世間に厭そうな空気を醸されながら、わざわざもう一度くっつく理由がない」
「何かの間違い、もしくは練習台だって」
「ということにしたいよね。集団は。不都合な属性は世界に存在しない、って言い切るのも、これだけ世界中がつながってたら無理がある。だって同性と一緒にいる方が幸せな人は、どこにでもいる。見せたくないなら、社会を閉じるしかない。その上で、皆にとって邪魔なものを削ぎ落として、生殖と社会維持の機械になれ、って命令するしかないんじゃないかな」
「……でも、人は、機械じゃない」
 一佳の声が、薄闇の向こうで引き締まる。
 テレパシーとまでは言えないかもしれないけれど。
 一緒に暮らしていて、今、同じものを、本当は見えないものなのに一緒に見ている気がする、と思う瞬間は、時々あって、今がその時だった。
 錯覚ではない、と信じたい。
「そう。意思がある。……でもね。私は、アンドロイドみたいになれたら、いいんじゃない、と思うこともあったよ。時々」
「そうなんですか?」
 訝るような一佳の声に、心ごと一塊になった錯覚はすぐ溶けて。
 すぐ、距離ができる。
 お互い違う人間だと思い知って。
 隙間風が身に染みる。
 ――それも、必要だ。
「シンプルでいたいなって。自分や人の複雑さを、変、って思ってしまう日もあって」
「…………」
「今も思うことはある。けどさ。……そりゃもちろん、もう最先端の研究にはついていけないんだけど。ちょっと気になることを検索したら、人の研究成果はいつでも目に入るわけ。そういう人って、研究者も、趣味の人も、どっちでもない人も、誰かにとっては取るに足りないかもしれないことを、ずっと、調べて、時にはごはんの味がわからなくなるくらい、検証し続けているわけでしょ。今、まだ目に見えない世界のことまで。……そういうの見ると、自分一人が変なやつなんて、全然、思えないよね。むしろ私なんて、全然シンプル」
 言い方が難しいな、と寛子は思う。
 言葉や論理的思考の扱いは、やはり得意ではないようで。
 語弊があるかもしれない。だけど。
 寛子はきっと、まだ実験を続けている。メダカではなく、自分の体で。自分自身と、その恋愛感情なるものを、環境と言う水に晒し続けて、どうなるか。
 状況分析。仮説。調査。観察。測定。実験。考察。検証。
 異性と恋をして生殖する、それが幸せと感じる人にとって、時に軽視されがちな主題。謬説。少ない先行研究。
 今、はっきり正体がわからないものの実態を少しでも知りたくて。
 データを収集して。測定結果と個人の経験則を仕分ける方法に悩んで。人の話を聞いて。助言を求めて。
「……変な人のおかげで、便利になったこと、いっぱいあるし。何の結果も残せなかった人のおかげで、どんなことだって興味持っていいんだ、自分だけじゃないんだ、って勇気もらえるし。……学問してる人のおかげで? どんな時も、追い詰められないで済んでる。そういうのを最初に始めて、続けているのは、ヒトだけだし。だから、絶望しない。……研究者にならなかったし、なれなかったし、学んだことや学歴は全然お給料に反映されないけどさ。それでも、学問というものの端っこを齧って、良かったよ。みたいなことを、さっき話しながら考えた。……うーん、これ、強がりかな?」
 やっぱり、いちいち口にするのは厭だな、と寛子は思った。頭で考えている間は、優れた考えのような予感がするのに、外に出すとなんだかダサい。そんなことばかりだ。
 だからかもしれない。キレるのは厭だ、と今も思うのは。
 説教してくる人より自分の方が無知なのかもしれない、といつも思うから、年上の言うことはとりあえず否定せず、自説をむやみに開陳することなく、――でも諦めて捨てることもせず、できるだけ色々な人のケースを目に留めようとアンテナを張ってきた。
 経験と集合知、検証を積み重ねて、得た自信もそれなりに。
 疑似恋愛、なんかじゃない。異性愛と比べて、自分たちは何かが足りない、弱い、なんて、卑屈になる必要は、やっぱり、ない。
 少子化はご都合が悪くて攻撃してくる、それは、相手も生物だから。そして自分も一佳も生物で。意思を尊重されるべき一個人。
 敵同士ではない。だからと言って、一方的に評価され、見下されることを当たり前だと、諦めなくていい。
「……一佳のどこが好きか。いつも考えてるよ。だけど、最終の結論はまだ出ない」
「…………」
「今日も好きか、昨日よりも気持ちが減っていないか、どうしても代わりがきかないものなのか。他の人にときめきを感じることはないか。多分、集団の意向通りでOKな人より、高い頻度で考えてる。自分をはかり続けてる。……一佳もそうじゃない?」
 少しの沈黙の後、どうかな、と自信なさそうな声が返ってくる。
 だから。自分たちは、もっと、自信を持っていい、筈だ。
 この子だ、と感じた筈の女の子を、愛し、自分なりにいつくしみ続けている。お互いに。この、生きづらい世界で。
 この個人的な追究を、世の中に展開する日は来ないのだろう。
 何故なら、完成したと言える日、それは。
「できる限りの幸せを、ここで――作って、あなたに渡して、私ももらって。生殖しないまま、本当に満足したって顔で、いつか一佳に看取ってもらう」
 そうしたら。
「そうしたら、きっと、運命の人でしょ? 私たち」
 ――運命にしようよ。
 それはきっと、遺伝子検査より心弾む未来予知だから。
 寛子はこのまま幸せな夢を見れそうな、すっきりした気分だったけれど、一佳は、残念ながら不満そうな声だった。
「厭です」
「何で」
「……満足した顔なんて見ません。絶対、私より先に死なないで」
 ――まったく、この子は。
 寛子は笑って、一佳の額をぴん、とはじいた。
「何言ってるの。そっちが年下でしょ」