視界の中に入れないように、佑が座っている方はできるだけ見ないようにした。お客さんがひっきりなしにくるおかげで、変なことを考えることもなく、時間は過ぎていった。
でも。
「ごめん吉岡ちゃん、ちょっとテーブル拭いてきてもらっていい?」
「はーい」
佑が来てしばらく経ったころ、ぷつんとお客さんが途切れた。そのタイミングで社員の平井さんにそう言われて、わたしは消毒液と布巾を持ってカウンターを出る。視界の端っこに、佑が飛び込んでくる。
お客さんが使っていないテーブルを拭いていく。幸か不幸か、佑の隣の席は空いていた。
……拭かないわけにはいかない。
できるだけ視界には入れない。そもそも、向こうだって迷惑なはずだ。これは仕事、ささっと拭いて早くカウンターに戻ろう。
その決意を心の中で唱えながら、消毒液を吹きかけてなるべくはやく拭き取る作業を繰り返す。
残すテーブルは、佑の隣だけだ。
深呼吸をし意を決して、佑の隣の席に消毒液を吹きかけて拭き取ろうとしたそのときだった。
「すみません」
びくっと肩が揺れた。
その声が、佑のものだったから。
「は、はい」
もしかして、消毒液がかかった? これ色落ちするだろみたいなクレーム? ……いや、佑はそんなことを言うような人じゃない。転けて水をかけられるドッキリをされたって、かけてしまった相手を心配するような人だ。
「……単刀直入に、言いますね」
その声に、我に返った。視線のやり場に困ったものの、佑の顔をじっと見つめてしまう。バケハもマスクも外して、ただ銀の眼鏡だけの佑は、やっぱり本当に佑だった。
あのときと何も変わらない、わたしの大好きな松永佑。
「俺のこと、知ってるんですか」
どくんと、心臓が鳴った。
知っているもなにも。そう言いかける。
……言ってもいいのかな。わたしだけが知ってる、あなたのこと。
息を吐く。
佑は変わらず、まっすぐにわたしのことを見ていた。
「め、Merakの、……松永、佑」
そう言うと、彼は少し困ったように笑って、眉を下げた。
何度目かの確信。やっぱりそうなのかと、腑に落ちる。
たくさん聞きたいことはある。あの脱退も引退もなんだったのか、いま何が起こっているのか。問い詰めたい気分になったけれど、ぐっと押さえる。
「あの、時間ありますか」
「ーーへ?」
突然の言葉に、はからずも変な声が出た。
「……そう、ですね。あと1時間くらいすれば、終わります」
「じゃあ待ってます。がんばってください」
「あ、はい……」
軽く会釈して、わたしは佑の元から離れてカウンターに戻る。
「ーーえっ」
……え?
冷静になった頭が、さっきの出来事をリフレインさせる。
時間ありますか? 待ってます?
お、おかしいおかしい!
なになにどういうこと?
どういうこと!?
「ちょっと吉岡ちゃん、あの男の人になに言われてたの!?」
頭が回らない。呆然としたままカウンターに戻ると、平井さんにすぐに問い詰められた。
「いや……その」
「口説かれたの!?」
「口説かれた!? 平井さんてば、なに言ってーー」
でも、そういうこと、なのかな。
……ああだめだめ、相手はあの松永佑だ。
Merakの、ーーアイドルの、松永佑。
“そういうこと”なんて、あるはずがない。
「……そういうんじゃないと、思いますけど」
「いやー! いいわね、青春!」
平井さんはわたしの話を無視して楽しそうにそう言うと、オーダーのドリンクを作り始める。わたしはレジに戻り、お客さんを呼ぶ。
……あと、1時間ある。
接客をしながら、一体どんな顔で会えばいいのかと考える。
開放感に溢れるはずのバイト終わりが、憂鬱で仕方がなかった。