身長をゆうに超えるくらい背の高い本棚が立ち並ぶ。すでに見つけた本を抱えながら、目当ての本を探すけれどなかなか見当たらない。
「おっかしいな、この辺って書いてあったんだけど」
小声でぶつぶつ呟きながら、検索機から出てきた紙にある識別用ラベルの番号を探す。あと1冊なのに、これがなかなか見つからない。早く見つけて課題を終わらせて、本屋に雑誌を買いに行きたいのに。
「ほんっと、どこにあるのよ」
悪態をつきながら、上から順番に1冊ずつ見ていく。ひとつひとつに目を留めて、タイトルをじっくりと見つめて探している本と一致するのか確かめる。
「あ、あった!」
その1冊は本棚の中でも輝いて見えた。取ろうと思って手を伸ばすけれど、棚の上の方にあって届きそうにない。踏み台を探してきょろきょろと辺りを見渡すけれど、なかった。
「……最悪」
どうしよう。
背伸びをして必死に手を伸ばしてみたけれど、逆に本は奥に行ってしまった。こんなのもう取れるわけがない。もう少し身長が伸びなかったことに今更腹が立ってきた。
「ああ……」
あの本がないと課題が終わらない。本屋にも行けない。今日は佑が表紙の雑誌が出る日なのに。
そうがっくり項垂れていたときだった。わたしの横から、すっと手が伸びた。クリーム色の毛羽だったカーディガンが視界に入る。
え、こんなに頑張って取ろうとしている本、普通横取りする?
わたしは苛立ちながら、文句のひとつでも言ってやろうかと思ってその方向を見た。
「へぇ、アイドルの存在意義を考える、か。そんなの俺もわかんないんだけどなあ」
わたしは、固まった。
そこにいたのが、佑だったから。
「ひっ、た……たすっ」
「しぃ! 静かにして、ここ図書館だから」
口元にすらりと細長い人差し指を当て、にこりと笑う。その姿はまるで、アイドルだった。
「な、なんで」
「なんでって言われても、俺ここの学生だし」
「……暇なの?」
「失礼だね」
なにも変わっていなかった。
あの夏の日から、佑はなにひとつ変わっていない。
「巴音は? なにしてるの?」
「課題のために、本探してて」
「それがこれ? ふーん」
アイドルの存在意義。
それが、わたしの課題レポートのテーマだ。
そんなことを考えるようになったのは、あの夏のことがあったからだと思う。いまでも信じられないような心地になるけれど、封筒に入った写真を見ると、あれは現実だったんだなと思い出せる。夏の陽炎みたいに一瞬だったけれど、あの日の思い出はきちんと胸の中に残っている
「……その本、いい?」
「うん。はい、どうぞ」
「ありがとう」
佑から受け取って、腕の中に抱く。これで本は全て揃った。あとは読んでレポートを書くだけだ。でもその作業が途方もなく大変で、時間がかかる。ああ、今日は本屋に行くことができるのだろうか。
「巴音」
そんなことを考えていると、佑から名前を呼ばれた。
久しぶりに呼ばれた名前はくすぐったくて、あの夏の頃よりももっと特別な気がした。また佑は、たくさんの番組に出るようになって、存在が遠くに行ってしまった。ドラマも決まっていた。でもそれは遠くに行ってしまったんじゃなくて、元の距離感に戻っただけ。
「ありがとう」
佑は真剣な顔で、そう言った。
お礼を言われるようなことをしただろうか。頭の中を巡らせて考えてみても、なにも思いつかない。むしろお礼を言うのはこっちのほうだ。そっちの心当たりの方が多すぎる。
「なんでお礼なんて言うの? わたしなにもしてないよ」
「してくれたよ。巴音は、たくさんしてくれた」
透明人間計画のことでも言っているのかな。でもそれはわたしが勝手に言い始めたことだから、お礼を言われる筋合いなんてないんだけど。
「巴音は、俺をこっちの世界に戻してくれた」
柔らかい笑顔を浮かべて、佑は言った。
……そんなの、とまた卑下しそうになる。でも、その続きを言うのはやめた。いま、わたしは佑に伝えたい言葉ができた。
伝えたいけれど、伝えられなかった言葉。
「佑」
「うん」
もう、どれだけ名前を呼んでも答えてくれない声が、なんてことないように答えてくれる。
「わたしの方こそ、ありがとう。また戻ってきてくれて」
話は聞いた。でも聞いて想像した以上に、たぶん佑は傷ついて、苦しんできた。それでもまた、戻ろうと決断してくれた。
そして本当に戻って、メンバーと一緒に仲良さそうに話したり目配せして踊ったりしているのを見て、透明人間として生きていこうと決めたあのときの佑も、間違えではなかったのかなと思った。あの期間がなければ、佑はこうやって笑っていなかったかもしれないから。
そう思うと、あのときの佑も報われたような気がした。
「幸せのうた、すごく良い曲だね」
あの詩は、佑にしか書けない詩だ。たくさんのことを乗り越えてきた佑だから、書けた。
「あと初のセンター、おめでとう」
「ありがとう」
目を合わせる。しっかりと絡まり合う瞳が照れ臭くて、笑ってしまう。
「……巴音は、これからも俺のことを応援してくれる?」
「当たり前だよ」
当たり前だ。
わたしは、佑のすべてが好きだ。
優しいところも、Merakの曲が流れると踊ってしまうところも、メンバーのことを好きなところも、建物に入ったら帽子を脱ぐのも。
傷ついて苦しんでも、また立ち上がるところも。
そして、手が届かない本を取ってくれる優しさも。
「わたしは、佑のぜんぶが好きだから。ずっと佑のファンでいる」
これから先、わたしはただ単に佑のことを”アイドル”として好きではいられないかもしれない。きっとこの先、あの夏の日を思い出して苦しくなる日が必ず来る。
でも、たぶんそのたびに思うのだ。
佑が幸せなら、それでいいか、と。
わたしは佑が好きだ。大好きだ。
だからずっとずっと、ずーっと幸せでいてほしい。
それが、いまのわたしのたったひとつの願いだ。
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