コンサートは刻一刻と、終わりへと向かっていた。1曲1曲が終わるたびに、このまま時間が止まってしまえばいいと思った。ずっとこのまま、佑のことを見ていたい。佑が、ステージに立ってくれているから。

 今までの日常はごく普通の当たり前だったはずなのに、いま思うととんでもなく尊いものだったことに気づかされる。
 アイドルの松永佑が存在する世界。それは、とても尊くて楽しい世界。

 ダンスナンバーが終わると、照明が全て落ちた。少しの間を置いて、スポットライトが真ん中に立つ佑を照らした。

 ……0番だ。
 ステージのなかで、ただ1人だけが立つことができるセンターの位置。

 身長のこともあって、ずっとポジションは端っこの下手側だったのに、いまでは真ん中にいる。入所したてのころとも、デビューしたてのころとも、春のツアーのときともちがう、佑がいる。

 背筋を伸ばしてまっすぐと胸を張って、楽しそうで自信がありそうで、自分の居場所はここであると、身体中が叫んでいた。
 
「本日はご来場いただき、ありがとうございました」

 微笑んだ佑は静かに口火を切った。カラフルに色んな色で溢れていた会場のペンライトの色が、一瞬でピンク一色に変わる。

「ペンライト、ピンクにしてくれてありがとう。綺麗な景色を見せてくれてありがとう。……たぶん長くなるので、お座りください」
 
 そうはにかむ佑は、やっぱり今まで一緒に色んなところに行った佑とは違って、アイドルとして立っていた。背筋を伸ばして凛と立つ姿は待ち遠しくて嬉しかったはずなのに、やっぱりどこか寂さが胸をかすめていく。
 
「僕は小学校のころ、憧れを抱いてこの事務所に入りました。そして、高校生のときにみんなとデビューして、いまここに立っています」
 
 メインモニターに映る。少しだけ遠くを見ている瞳は、潤んでいるようにも見えた。
 
「いろんなことがあったね」
 
 そうやって佑は、少し笑いながらメンバーひとりひとりの顔を見ていた。目があって、ふふっと照れ臭そうにみんなが笑う。

 “いろんなこと”。その言葉を聞いて、視界が滲み始める。
 
 いまはまだ、泣くところじゃない。いま泣いたらだめだ。
 そうは思っても、どんどん湧き出る涙は目に溜まっていき、蜃気楼に包まれるように佑が揺れる。

 思い出す。
 あの夏の、奇跡みたいな日々のこと。

 花火大会で教えてくれたこと。倒れながら仕事をして、プライベートがなくなって。透明人間になりたいと願いながら仕事をしてきたけれど、ついに凛斗を、メンバーを傷つけないようにあの選択をしたこと。
 公園で、楽しそうな4人を見ていた横顔。なんであそこにいないんだろうとつぶやいた姿。

 たくさん人がいるこの大きな会場のなかで、それはわたしと佑しか知らない秘密。

 会場を一通り見渡した佑は、ふと真剣な顔をする。マイクを胸の前で握りしめ、深呼吸した。

「それでも、いまこの場所で、皆さんに会えて。こんな綺麗な景色を見せてくれて。……あのとき、やめなくて、よかったって、思います」

 佑の眦から、一筋涙が溢れ出した。
 つう、と静かに伝った涙は頬を濡らし、照明を反射してきらりと光る。その姿さえ、美しいと思う。

 佑は、今まで堪えていたものをすべて吐き出すようにして泣いた。きっとたくさん考えてきた、たくさん悩んできた。わたしと一緒にいても、楽しんでいるつもりだとしても、頭の中では常にMerakがいたはずだ。

 そうじゃなかったら、お祭りでたまたま聞こえてきた曲に踊らないし、車で曲も聴かない。自分の声が消えたことに気がついて、辛そうな表情もしない。
 
 佑は肩を揺らして、しゃくりあげながら、下を向いた。泣き顔を見られたくないのか、手で顔を隠して泣いている。涙は絶え間なく流れ続けて、綺麗な曲線を描く頬を伝い顎先から落ちていく。
 
 凛斗が、心配そうな顔をして佑の方を向いていた。佑に触れようと手が伸びる。でも、その助けなんていらないとでも言うように、求めることもなく佑は前を向いた。

 頬は涙で濡れている。でもその瞳は、しっかりと意志を持って光っていた。その瞳は、気のせいと思い込みかもしれないけれど、わたしに向いているような気がした。

「アイドルという道を選んでよかった。そう、心の底から思っています」
 
 その言葉を聞いた瞬間、堪えきれなくなって、わたしの目から涙が伝い落ちた。大粒で熱い涙は絶えることなく、頬を滑り落ちて顎を伝う。
 
 嗚咽を堪えるのに必死だった。気を緩めてしまえば、大声をあげて泣き出しそうだった。でも、唇を噛んで、どうにか堪えるしかなかった。

「ありがとう。ーー僕はいま、幸せです」

 佑は、満面の笑顔でそう言い切った。

「……聞いてください。幸せのうた」

 優しいピアノの音が、聞こえてきた。

 佑は0番に立っている。揺らぐことなく、あの日見た太陽へとまっすぐ伸びるひまわりのように。
 
 どこまでも優しくて、甘ったるさを感じる佑の歌声が、大きなドームへと響き渡った。