呆然としながら、部屋をまた見渡してみる。本棚はファッション誌や女性誌も何冊かあったけれど、それよりもたくさんあったのが白いファイルだった。
何が入っているのか、全くわからない。おそるおそるその中からひとつを抜き取ってみると、テープが貼ってあってわたしの字で『Merak』と書いてあった。
「……また、Merak」
中を開いてみると、雑誌のページを切り取ったものが丁寧にファイリングされていた。自分がやったはずなのに、そんな覚えが全くない。何冊もあるもののうち、一番多かったのは『松永佑』のファイルだった。
ファイルのページをめくる。
松永佑と書かれたファイルには、松永佑の記事しかなかった。パジャマみたいな緩い格好、少しプレッピーな洋服。セクシーな表情から満開笑顔まで、色んな表情があった。どうやらMerakのファイルはグループ単位で、松永佑はソロでの雑誌を集めたものらしい。
わたしは、この人のことが好きだったの?
でも、どうしてツーショットの写真があるのだろうか。
この人はアイドルだ。大きな事務所で、他にもたくさんのグループがある。ただの大学生のわたしと、接点なんてあるはずがない。
もしかして、彼氏だった?
奇跡的にアイドルと付き合えた?
ーーそんなことがあり得ないことくらい、わたしが一番わかっている。
だったらどうして、こんなものがうちに。
呆然としたまま棚を眺める。別の段にはCDとファイルボックスが並んでいて、うちわの柄のようなものが飛び出していた。引っ張り出してみると、松永佑の顔写真が大きく印刷されたうちわに、手作りらしい『魔法をかけて』などの黒いうちわが出てきた。
コンサート用のうちわだ。それも、たくさんある。顔写真の印刷されたうちわも何枚もあるけれど、おそらく年齢も違うようで若い頃のものもあるようだった。
こんなものまであるってことは、かなり熱狂的な方だったんだな。そう思っていると、スマホが震えた。電話がかかってきた。
「……真衣」
電話を取るといきなり、『もしもし!?』と興奮したような声音で真衣が出た。
「もしもし、どうしたの?」
『チケット当たったの!』
……チケット?
一体、なんの事だろう。
「へー、誰の?」
『誰の!? ちょ、巴音あんたなに言ってんの!?』
あまりの声の大きさに、耳がキーンとした。スマホを耳から離してスピーカーにし、散らかっているファイルを本棚に戻す。
『Merakだよ!』
……Merak。
わたしは手に持っているファイルに目を落とす。たまたま開いていた『Merakに恋してみる?』という特集ページの真ん中に、松永佑が一輪のガーベラを持っている写真が載っている。
「松永、佑?」
『そう! 会えるよ、佑に! てか巴音も申し込みしてたじゃん!』
わたしも、申し込みを?
「えっ……と、どうやって見るんだっけ」
『ファンクラブ入って、申し込み公演見て』
言われるがまま、通話画面を縮小してスマホのホーム画面に戻る。かわいくカスタマイズしてある画面のなかに、『Merak』と書かれたアイコンがあったからタップすると、そのままファンクラブのページが出てきた。
申し込み公演、と真衣は言っていた。上らへんにあった『公演案内』を押すと、ずらりと申し込み済みの公演が表示された。
全国各地、とりあえず色々なところをとにかく応募したのだろう。
……これ、本当にわたしがやったの?
思い当たらない記憶。けれど、ここに表示されているということはすべてわたしがやったという事実だった。
緊張はしなかった。凪いだ気持ちで、ひとつめの申し込みを確認する。わずかにロード時間があって開いてみると、いきなり当選の文字があった。
「あ、当たった」
『うそー! ほんとに!? マジで!?』
「うん」
やったー! と、真衣は相変わらず叫んでいる。
叫びたくなるほど嬉しいことなのか。わたしにはよくわからなかった。
『よかったね、佑に2回も会えて!』
「……うん」
真衣は、わたしがMerakで松永佑のことを好きなことを知っているらしい。でも、わたしでいいのかなと思う。
いまのわたしは、松永佑についてほとんどなにも知らない。そんな人が当たって、もっと大好きでずっと応援している人が外れていたら。
……でも。
真衣との電話を切って、あらためて部屋を歩き回る。いろんなところに、さりげなく落ちているMerakと松永佑への愛。
わたしは本当に、いままでずっと、松永佑のことをとても好きだったらしい。
「なんで……」
机の上のツーショットの写真を見つめる。
この写真の意味もわからない。合成? さすがに好きすぎたとしても、そこまで自分がやると思えない。というか、やらないでほしい。
自分の身に何が起こっているのかもわからない。けれど、だれかに相談できるようなことでもないし、内容でもない。Merakと松永佑についての記憶がなかったとしても、日常生活は困らない。
さっき片付けたばかりのファイルすべてをまた取り出す。年号順に並んでいるなかから、一番古いものを開く。
『僕たちのことよろしくね!』
はじめての取材、緊張した様子のぎこちない笑顔。そこから段々と慣れてきたのか、自然な表情になっていく。それまでは1人や一緒のタイミングで事務所に入ってきた子と写っていたのが、『Merak誕生!』の特集と共に5人に変わる。
「……Merakは、セルビア語で、日常の小さな喜びから幸せを感じること。みなさんに毎日喜びを届けられる存在になり、幸せになってもらいたいです」
そうやって、雑誌はいつのまにか常に5人で出るようになった。
はじめてのコンサート。最後のあいさつで、すぐに泣いてしまった佑のこと。
はじめて出た舞台、緊張しすぎて頭が真っ白になったとき、新堂凛斗が助けてくれたこと。
はじめてのドラマ、はじめての歌番組。
雑誌の記事があるということは、わたしは当時のことをひとつも欠けることなく、すべて知っていた。でも、いまのわたしはそれを知らない。
ファイルが変わって、4冊目のページをめくっていくと、ついに『デビューおめでとう』の記事が出てきた。
鼻の奥がツンとした。
なんで知らないの、なんで覚えてないの。
知りたかった、覚えていたかった。
こんなにわたしは知っていた。こんなにたくさんの時間をかけて応援していたのに。
「なん、で」
口に出せば泣いてしまいそうだった。
いろんなところに立ち会ってきたはずなのに、それすらも覚えていないなんて。
今まで応援してきた事実はあるのに記憶がない。そのことが、胸を抉り続けた。