ふとした瞬間に、いまでもよく思い出す。
 松永佑がMerakとして立った最後のステージでしてくれたファンサのこと。

 外周に来た翔平に周りのみんなが夢中になっているとき、『魔法をかけて』のうちわとピンクのペンライトを持ってバクステで歌う佑の背中をただじっと見つめていたら、ふと振り向いた。そしてからかうような笑顔でわたしを指差すと、そのまま人差し指を二、三度振ってくれた。

 し終わったあとのちょっと格好つけたような笑顔も、晴太とハイタッチしながら何が面白いのか2人で大笑いしながらメインステージに戻っていく姿も。些細な一挙一動が、時間が経っても忘れられない。

 ……でも、あの笑顔を壊してしまった一因に、わたしたちの存在がある。
 たとえ本人に違うと否定されたとしても、あんな話を聞いたらそう思わざるを得なくなる。

「ところで巴音、コンサートは何公演応募した?」
「……なんの?」
「なんの!? 嘘でしょ、それ本気?」

 バイト中のカフェのカウンター席で、真衣は大袈裟なリアクションをとる。

「ていうか、なんでここにいんの」
「買い物帰りに寄ったら巴音がいたから、つい」
「わたしのこと大好きじゃん」
「まあね。いつバイト終わるの?」
「んー、あと15分くらい? っていっても休憩だけど」
「じゃあ待ってるね」

 洗い終わったカップを拭き終わりレジに戻ると、平井さんが飛んでくる。

「吉岡ちゃん、休憩行ってもいいよ」
「え、でもまだ時間ありますよ」
「いいのいいの。お友達も来てるんだし、行っといでよ」
「……じゃあ、お言葉に甘えて」

 平井さんは笑顔で頷くと、「ちょっと待ってー」と言ってドリンクを作ってくれる。今日はカフェモカだった。

「ゆっくりしてらっしゃい」
「ありがとうございます」

 一度ロッカールームでエプロンをはずして、カウンター席に居座る真衣の元へ戻る。

「お待たせ」
「おつかれーい」
「……で、コンサートってなんのこと?」

 そう尋ねると、真衣は唖然としたような顔をした。
 わたしはなにか変なことを言ったのだろうか。さっきのリアクションも大袈裟なわけではなく本心だったのかもしれない。

「ドーム! この間の生配信で、ドームツアーが発表されたでしょ!」

 真衣はスマホを操作して、画面をわたしに見せてくれる。どうやら特設ページらしく、くすんだオレンジ色が基調となって『Merak 1st DOME TOUR “Fall in Merak”』とデカデカと表示されていた。fall in loveとイギリス英語で秋という意味のfallをかけて、Merakに落ちてしまいなよというような意味だろう。

「へぇ……すごいじゃん」
「いやいや、ずいぶん前にメール来てましたけど」
「うっそお」

 メールなんて日々色んなところから届きすぎて把握できていない。放置して500件以上は来ているスマホのメールアプリを見ると、色んなメルマガに紛れてMerakのファンクラブからメールが来ていた。開くと真衣が言った通り、ドームツアー開催のお知らせが書いてあった。

 ……ドームかぁ。
 たしかに、和也も晴太はずっとドームをしたがっていた。デビューして4年、ついに夢が叶う。
 でもこの間の花火大会で佑が話していた言葉がよみがえってくる。
 
『みんな倒れながら仕事をしていた』

 そんな話を聞いたらなおさら思う。そこまでしてわたしたちを優先させなくたっていい。ツアーなんて、1年に1度で充分なのに。
 ツアーを観ながら、みんなはこの後倒れるかもなんて思いながら観たくはない。
 
「行かないの?」
「どうだろ。まだわかんない」
 
 それに、佑のいないMerakを見に行っても、在りし日の面影を思い出して辛くなるだけだ。だから今だって、ほとんどMerakが出演するものは見ていないのに。

 平井さんが淹れてくれたカフェモカを飲む。チョコレートの甘い味の中に、コーヒーのほろ苦さが隠れている。疲れた身体に甘い飲み物が染み渡る。
 
 ……なにが彼らを動かしているんだろう。なんとなく思う。
 日本を代表するトップアイドルへの憧れか、ファンのためなのか。
 はたまた、自分たちの持つ夢のためなのか。
 
「……なんか、もうわかんないんだよね」
 
 このまま推していることが正しいのか、正しくないのか。
 でも、ファンがいなければあの人たちは輝けない。
 頭の中がごちゃごちゃになる。

 本当なら、推すことに正しいも正しくないもないはずなのに。
 
「でも、申し込んどこうかな。当たれば真衣も行けるし」
 
 この先、ツアーまでに何かが変わるかもしれないし、当たってわたしが行かない選択をしても、真衣は行きたいだろうし。申し込みのために、日時と希望を入力していく。何公演もやるとなると、この作業は単調でつまらない。

「そういえばさ、佑さんと花火大会行ったんだよね?」
「……うん、行ったよ」
「どうだった?」
 
 ……どうって。
 聞かれるようなことは、なにも起こらなかった。
 
「……別に、何もないけど」
「うそ!? 夜だよ、花火だよ!?」
「ほんとになんにもなかったってば」

 結局、あの女の子が声をかけてきてからは、お祭りの続きを楽しめるような空気には戻らなかった。わたしもあんな話を聞いた後では、なかなか気持ちも切り替えれなかったから花火が終わってすぐに解散した。

「えーなんだぁ、絶対なにかあると思ったのに」
「残念。なーんにもございませんでした」
 
 真衣が期待しているようなことは、この先絶対起きない。わたしたちは本当に付き合っているわけでもないし、佑はわたしのことをただのファンとしか思っていないし。
 
 ファンサービスの一環だとでも思っておく方が、気が楽になる。
 
「……でも、Merakが好きなのか、曲が聞こえてきた時ちょっと踊ってた」
「え! メンズファン貴重だよ! 一緒に行ったらファンサもらえるかも」
「……たぶんそこまでじゃないと思うけどね」
 
 本当は、Merak側の人間なのにな。ライブの曲も完全に歌えるし踊れる。観客席でそんな人がいたら、メンバーがびっくりしちゃう。
 
「……はい、6公演申し込んだ」
「やったー! 当たるかなあ」
「どうだろうね、わたしら春当たってるし」
 
 メールの受信欄は、Merakのファンクラブから公演申し込みの確認メールで埋まっていた。6公演申し込んだけれど、この際外れてしまえばいいのにと思う。真衣みたいな4人のファンか、佑の存在を知らない人たちだけが当選していれば、穏便にすむ。そうなればわたしは佑のいないMerakを見ないですむし、行きたい人は行ける。ウィンウィンの関係だ。

「はぁ……会いたいなぁ、翔平」

 真衣の心の底からの声が、床に落ちた。