花火が上がる地域では、同時に夏祭りが開かれていた。いろんな年齢の人がたくさんいて、お祭りの匂いと夏の夜の匂いが混じって懐かしい気持ちになる。めっきり来なくなって久しぶりの夏祭りは、新鮮だった。

「巴音、なにしたい?」
「うーん、久しぶりだしなぁ」
 
 甘い匂いと醤油が焦げるような匂いで、ベビーカステラとイカ焼きがあるのはわかった。でも久しぶりに来るせいで、お祭りにはどんなものがあるのか思い出せない。
 
「佑こそさ、やりたいことないの?」
「えー、俺? 俺も久しぶりだからなぁ」
「じゃあとりあえず、色々見て決めようよ。花火まで時間はあるんだし」
「たしかに。そうしよう」
 
 人混みのなかに一歩踏み出した。人の流れに揉まれながら、はぐれないように佑の姿を追う。幸いにも背が高くて目立つから目印にはなりそうだった。
 
 立ち並ぶ出店を眺めながらぶらぶらと歩いていると、どこからか聞き覚えのある音楽が聴こえてきた。
 
「……これ」
 
 ちらっと佑の方を見ると、パンツに指先でリズムを刻んでいた。キャラメルボイスと言われる甘い和哉の歌声が、ざわざわと騒がしいはずの場所なのに鮮明に聞こえてくる。
 
「デビュー曲だね」
「みんなの声が若いね」

 今やアイドルに詳しくなくても知っている人が多く、デビュー曲は色んなところで紹介されたり使われたりしたから、こういうところでも使われるんだろう。なんだか誇らしい気分になってくる。
 
「踊れそう?」
「もちろん。踊ろうか?」
「やめなよ、動画でも撮られたら大変」
 
 言いながら、なにが大変なんだろうと思う。佑はもうアイドルじゃないのに。
 
 佑はニコニコと楽しそうに音楽に乗りながら、手振りでデビュー曲を踊り始めた。うわ、生のダンスだ! と一瞬思ったけれど肩を軽く叩く。
 
「ちょっと!」
「だーいじょうぶだよ、ただのメンズファンが踊ってるとしか思われないって」
 
 能天気に笑いながら、楽しそうに佑はまだ踊り続ける。そのうち本格的に全身を使って踊り出しそうだったからいよいよ無視しようとしたけれど、スーパーボールすくいの屋台が目に入って、佑の服の裾を引っ張る。
 
「ね、あれやりたい!」
「お、いいね。じゃあ勝負しよう」
「どっちがたくさん取れるかね」
 
 派手な金髪にハッピを着たお姉さんに100円玉を渡して、カップとポイをもらう。プールの前にしゃがみこんで、いざ始めようとポイを水につける。
 
「よーし、取るぞー」
 
 そう言いながら佑が隣に座る。一瞬浴衣の袖が持ち上げられたような気がしてそっちを見ると、佑が地面につきそうになった裾を直してくれていた。
 
「彼氏さん男前だね」と、お姉さんが小声で冷やかす。それに少し笑ってから、きらきら光る水面にたくさん浮かぶスーパーボールを眺めた。
 
「よし」
 
 プールの中にポイを入れ、目当てのスーパーボールをすばやくすくう。水に入って透けそうな紙はすぐに破れてしまいそうなのに意外と渋とく、オレンジ色のボールを乗せた。
 
「やった!」
「うまいね、巴音」
「でもまだ1個だよ、これからこれから」
「向上心すごいな」
 
 今度はキャラクターの顔が書いてあるものを狙ってすくう。さっきと同じように、あまり水につけないようにサッと手首を返すと、すくうことができた。
 
「じゃあ俺も」
 
 佑はボールがたくさん流れているところにポイをあてがうと、一気に何個も乗せてカップの中に入れた。
 
「うわ、やば!」
「やったね。今度から特技はスーパーボールすくいって言おうかな」
「金魚すくいは聞いたことあるけど、スーパーボールすくいは聞いたことない」
「珍しくていいんじゃない? 番組の企画でもやりやすそうだし」
 
 そう言いながら、また佑はスーパーボールをすくう。さっきと同じくらいの数をすくっていた。

 ……番組の企画。その言葉を聞いてふと思う。
 もし今までのことをすべてなかったことにできて、芸能界に戻れるとしたら、佑は戻るのだろうか。
 
 Merakの曲が流れたときのこと、スーパーボールすくいを特技にしようかな、というさっきの言葉。
 戻りたいと、少し思っているんじゃないか。
 そう勘繰ってしまわずにはいられない。
 
 楽しそうな横顔を見ながら、わたしもまたすくう。でも、水につけた時間が長すぎたせいか、すくおうとしたときに紙が破れてしまった。
 
「あ、破れちゃった」
「うわ、俺も」
 
 わたしのカップには二つだけ。でも、佑のカップはいっぱいになるくらいカラフルなボールがたくさん入っていた。
 
「じゃあその中から気に入ったやつ、1つ持って帰っていいよ」
 
 1つだけかぁ。まあ、2つしか取れてないしな。
 わたしはキャラクターが書いてある方を選んで、オレンジ色の方はプールの中に返した。
 
「ありがとねー、また来てね」
「ありがとうございました!」
 
 わたしたちはまた人混みの中へと歩みを進める。
 さっきもらったスーパーボールをじーっと見つめる。よく見てみればこの顔ってニセモノっぽいなあと思っていたときだった。
 
「はい、巴音」
 
 佑から、キラキラしたスーパーボールを渡された。
 
「え、なんで?」
「今日の記念。こんなので申し訳ないけど、一番綺麗なの取ったから」
 
 透明でダイヤモンドみたいにダイカットされたそれは、光の反射具合によってはきらきらと光るものだった。
 
「いいの?」
「もちろん」
 
 少し大きくて、きれいなスーパーボール。
 いまのこの時間のように、きらきらと輝いている。
 
「ありがとう、佑」
「うん」
 
 巾着の中に大切にしまう。
 今日の、記念。その言葉がくすぐったくて、本物のカップルみたいで嬉しかった。
 
「それにしても、夜になっても暑いね」
「だねー」
 
 空を見上げてみると、少しずつ群青に染まりつつあった。冬のようにきれいに星は見えないけれど、ときどきちらちらと光っている。
 太陽が沈んだからか昼間のような暑さはないものの、ぞんぶんに温められた空気のせいでまだ暑い。周りを見渡してみると、かき氷の屋台に目が行った。
 
「佑、かき氷食べようよ」
「いいね、賛成」
 
 まだ暑いせいか、かなり並んでいた。一番後ろに並んで、テントからぶら下がっている味のフダを眺める。イチゴやメロン、ブルーハワイなどの定番から、ちょっと変わり種のシロップもある。
 
「巴音は何味が好き?」
「無難にイチゴ。佑は?」
「俺はレモンかなー」
「でもさ、かき氷のシロップって全部同じ味なんだって」
「知ってる。色のせいで錯覚してるだけなんだよね」
「人間って不思議」
 
 なんてことのない話をしていると、列は進んであっという間にわたしたちの番になった。
 
「何味にする?」
「イチゴ」
 
 佑は少し笑うと、屋台のおじさんにイチゴとレモンを告げ、財布から小銭を出した。
 
「あ、払う」
「いいよ、おごらせて」
「……ありがとう」
 
 別にバイトしてるし、と思ったけれど、ここは大人しくおごられておくことにした。変な波風は立たせたくない。
 ガリガリと氷が削られていく音がして、よく見るかき氷のカップに白い氷が積もっていく。そんなに? と思うほど山盛りになった氷に赤色のシロップをかけると、すぐにしぼんでいってしまった。
 
「ありがとうございます」と、佑が両手で黄色と赤のシロップがかかったものを受けとって、わたしに渡してくれる。
 
「向こうで食べよっか」
「うん」
 
 広めの少し人がいない場所を見つけて、わたしたちは端っこに立つ。
 
「いただきます」
「いただきます」
 
 ストローの先が切られたスプーンで氷をすくって、口に入れる。シロップの甘味と氷の冷たさが、身体中に染み渡った。
 錯覚でイチゴの味がするだけと言うけれど、やっぱりこれはイチゴ味だ。
 
「夏って感じがする」
 
 思わずつぶやくと、佑は遠くを見ていた目をわたしに向けた。目が、なんで? と続きを促していた。
 
「浴衣着て、おしゃれなエスプーマとかかかってない普通のかき氷食べて。思い描く夏を満喫できてるなぁって」
 
 スーパーボールすくいをして、これから花火まで見る。
 こんなに夏らしいことをするのは、小さい頃おばあちゃんの家に行ってお祭りに行った以来かもしれない。
 
「俺も。こんな典型的な夏を過ごすのは久しぶりかも」
「佑の夏は、どんな夏なの?」
「ツアー先のホテルかなぁ」
 
 ああ、そうか。
 Merakはデビュー前からだいたいいつも夏にツアーをしてきた。地元のお祭りなんて、もう何年も行っていないのかもしれない。
 
「デビュー前も先輩の舞台とかコンサートについてたから、お祭りとか行ったのは事務所に入る前かも」
「そっか。10年ぶりくらい?」
「うん。運良くホテルから花火大会が見えたことあるけど、窓からしか見れないし」
 
 そう言いながら、佑がかき氷を食べた。レモンの、甘いけれどわずかな苦みと酸味のある匂いがして、それがなんだか佑に無性に合っているような気がした。
 
 イチゴ味を食べながら、空を見上げた。群青だった空は今はもう真っ暗な闇が広がっていて、白く神々しい輝きを放つ月が浮いていた。
 
「じゃあ今日は、しっかり生で花火を見よう」
 
 わたしがそう、言ったときだった。