眠くなるまでの時間つぶしに、テレビにDVDディスクを差し込んだ。DVDのジャケットは、5人が一列に並んで手を繋いでいるシーンのもので、衣装はデビューのときの白色のもの。3年前のメンバーはまだ若くて、懐かしさすら感じる。
Merakがデビューして、初めて行われたデビューツアーだった。毎日のようにバラエティ番組に出たり、メンバーがドラマの主演をしていたりするのに、デビューして約半年後に全国ツアーを始めた。忙しく余裕もないだろうに、そんな姿など微塵も見せず、ただファンを楽しませることを優先されて作られたコンサート。
この公演ではなかったけれど、わたしと真衣も一緒に行くことができた。確定ファンサももらえなかったし席もすごく良いとは言い切れなかったものの、肉眼で見える距離に”デビューした”佑がいて、やっとここまで来たんだなと思うと泣きそうになったのを鮮明に覚えている。
「うわ、わっか……」
登場のシーン、デビュー衣装の白い王子様みたいな衣装だった。このときの佑はまだ高校3年生で、かわいらしくニコニコと、この空間が楽しくて仕方がないように笑っていた。
メインステージの上段で、王道アイドルソングのデビュー曲を歌う。カメラが近づくとウインクをしたり、あえて目線を外したり。ファンはそんな彼らの一挙一動に黄色い声をあげる。
あそこにいる5人は、わたしたちの知らないところで色んなものを犠牲にしてとてつもない努力をして立っている。そう思うと、ひとつひとつがとても尊く見えた。
歌い終わっても間髪入れずに次の曲になる。ステージが下がると、5人はセンターステージへと歩き出す。そこで佑と凛斗は、頬をつついてわちゃわちゃしていた。……そう、こういうのを年上の3人はなにも言わずに、笑顔で見守るのがMerakなんだ。
ふたりはいつだって一緒にいた。ダンスのポジションがシンメだったのもあったけれど、それ抜きでもプライベートではごはんに行ったり、ふたりで旅行に行ったりと、仲の良かった。
佑は入所して割とすぐのころにMerakに選ばれた。でも事務所の他の子たちからあまりよく思われていないのを察した凛斗は、あえて佑が1人にならないように守っていたと、雑誌で言っていた。アイドル誌のインタビューでも、凛斗は佑のことを弟みたいにかわいい存在で、何があっても守りたいと思える存在だとも話していた。
外周を歩きながら、ファンサに応えていくメンバー。それを見ながらふと思う。
佑がグループをやめて、芸能界まで引退すると決断したとき、4人はどう思ったんだろう。
止めたのかな。
それとも、背中を押したのかな。
佑が選んだその決断の背景は、わたしたちファンには到底知り得ないことだ。やっぱりわたしたちはただのファンでしかない。なんでも知りたい気持ちはあるし、好きな人のことは知っておきたいけれど、わたしたちのためを思ってなにも語らないのもよくある話だ。
ブログや雑誌を見て、知った気になっているだけ。散りばめられた情報をかき集めて、ひとつの事実として勝手に作り上げて信じ切る。でもそれは憶測も含むから、正しい事実とは言えない。
「……なんでなのかなぁ」
なんで、やめようと思ったんだろう。
そう独りごちたときだった。
突然、ザザッとノイズが入って画面が荒くなった。ちょうど映っていた佑の顔に砂嵐がかかる。
「え、な……なんでっ」
他のメンバーにカメラが向くと、画面は直る。でも佑が一瞬でも映ると、砂嵐はまるで佑を隠すようにまた部分的にかかってしまう。
「なんで……、前までは、大丈夫だったのに」
背筋がスッと冷えた気がした。
ーー消えていく。佑の存在が、ここからも。
ザザッ。
佑の存在が、綺麗な歌声が、ノイズに混じってなくなっていく。さっきまで歌っていた声は違うメンバーになる。
和哉が、佑の方を見て肩を組む。でもそこに佑はいないから、空虚に手をかざすだけになる。
「なんで、ねぇ、まって」
だんだん呼吸が浅くなる。嘘だよね、ここからもいなくなるなんて、そんなの。
折れそうになる心を必死に支えて、他のDVDに変えてみる。セカンドツアー、下積み時代のグループ混合ニューイヤーコンサート。でもそのどれに変えてみても、同じだった。
ーーいなくならないで。
ここからも消えたら、本当に佑がいなくなる。
冷えた指先がスマホを探し、佑の連絡先を呼び出す。通話のボタンを押す直前になって、ふと我にかえる。
ここで電話をするのは正しいこと?
わたしたちは本当に付き合っているわけではない。なのにこんな時間に電話なんかして、迷惑じゃない?
悩んで、やめようとした。
……でも、いいんじゃない? ともう1人の自分がささやく。曲がりなりにも、佑の彼女なんだから。
声が聞きたくなって電話した。
それは、付き合っている2人ならよくある話。
悩んだけれど、結局電話をかけることにした。数コール鳴ったあと、『もしもし』と佑の声がした。
……ああ、佑はいる。
あそこから消えてしまっても、ここにいる。
『巴音? どうしたの?』
「……ごめん」
声が震えた。気がつかなかったけれど、心臓は全力疾走でもしたあとみたいに早鐘を打っていた。
『何かあった?』
優しい声のトーンに泣きそうになる。でも、あたたかい佑の声を聞いていると落ち着いてきた。指先に温度が戻ってきて、スマホを握りなおす。
「ごめんね、急に電話して」
『それは大丈夫だけど……巴音、大丈夫?』
急に電話して変なことを言うわたしにも、こんなに優しい。
「……Merakのね、DVD見てたらね、佑が……消えていって」
『俺が?』
一度深呼吸をして、頭の中を整理する。もう心臓はいつものテンポに戻って、落ち着いていた。DVDを一度止めて、ベッドに座る。
「ぜんぶ、いろんなものから消えていくの。デビューコンも、ニューイヤーコンサートも」
『ああ……』
少し間があった。
部屋の中をぐるりと見渡す。なにも変わりはなく、飾ってあるアクスタも写真も、まだ消えてはいない。
『……そうするしか、なくて』
やがて苦しんでいるような声音で、佑がそう言った。
『ごめんね』
謝らないで。謝ったら、佑が悪いみたいになる。
佑は何も悪くない。悪いのは、まだ佑のアイドル姿を覚えていて引きずっているわたしのほう。
「わたしの方こそ、ごめん。……じゃあ、また」
電話を切る。
ベッドにスマホを置いて、わたしは呆然と宙を見つめた。
この世界のなかで、アイドルとしての佑を知っているのはおそらくわたししかいないだろう。こうなってしまった状況で、画面の中で歌って踊ってキラキラの笑顔でファンサする佑を見ることができるのも、わたしだけだ。
でも、わたしでさえも、もうそんな佑のことを見ることができない。
……ねえ。なんで佑は、あんなに楽しそうにやっていたアイドルをやめてしまったの?
小さな頃から夢見て憧れてきたアイドルを、なんでやめてしまったの?
その問いは、いつまでたっても聞くことはできない。佑が自分から話すまで、わたしが踏み込んでいい内容ではないのだ。
DVDのジャケットを見る。気がついたら、そこからも佑は消えていた。
このまま全部、消えていくのかな。
部屋にある雑誌もグッズの写真もアクスタも、佑がいるものすべてから。アイドルとして存在していた”松永佑”はすべて、消えていくのかな。
そうやって自分が生きてきた証を消すのは、誰のため?
推している当時は、ただ幸せで、生きてさえいてくれればいいと思っていた。アイドルじゃなくてもいいからと、本気でそう思っていた。
でもいまは、心の底からそうは思えない。幸せで生きていてほしいと思うのに、表舞台で輝いている姿を見たいと願う。
佑にとって表舞台で生きることが不幸で、生きたくないと思ってしまうとしても、心の中でそう願ってしまうのだ。
「……もう寝よ」
テレビを切る。結局課題はやらなかった。できるような気分じゃない。
ベッドに潜り込んで、丸くなる。
神様。
もし、いるんだとしたら、これ以上わたしからアイドルの佑を奪わないで。
たとえそのことを、本人が望んでいたとしても。