岩木にも手伝ってもらい、準備を済ませる。
「兄さま、姉さま」
露子が手術着を持って駆け寄ってきた。
「卵管に腫瘍がある可能性が高い」
「腫瘍……悪性ですか?」
白い割烹着を身につけながら情報を聞き出す。
「おそらく良性だと思うが……。開いてみないとわからないね」
「卵管摘出手術の場合、ご両親に確認を取ります」
「そうだね。準備をしておこう」
手術中の判断となれば、弦太郎は手が離せない。
「綾、麻酔はできるだろう?」
「はい」
「じゃあ今日はお願いしようかな。その間に、お父さんには僕が説明しておくよ」
「……わかりました」
説明を苦手とする綾子には、こちらのほうがありがたい。
「楠本殿、患者を手術台に寝かせました」
「ありがとうございます」
弟子たちが呼びに来て、2人は土間へ出て行く。腰の上ほどまでの高さの寝台に寝かされた患者は、まだ苦痛に顔を歪めていた。
「今から薬を入れます。すぐに眠くなるので、安心して眠っていてください。次に目が覚めた時には、痛みはなくなっているはずです」
綾子が麻酔薬を注射する。
すぐそばで、運んできた父親と後から駆け付けたらしい母親に、弦太郎が説明をする。
「体の中にこぶができている可能性があります。このこぶが良いものか悪いものかによって、手術の結果が変わってきます。良いものであればこぶだけを取れますが、悪いものであれば、こぶがついている内臓、今回は、卵巣という臓器ごと取り出すことになります」
「そ、それは、どういう……」
「卵巣を取り出してしまうと、子どもを自然に身籠ることができなくなります」
「……っ」
母親の方が顔を歪めた。
「このまま……痛いところだけ取ることはできないんでしょうか、先生」
「もちろん、こぶだけを取るようにします。しかし、万が一の場合もあることを、理解してください」
さすがは兄だ。冷静で、的確な説明。綾子ならきっとここまではいかないだろう。
「兄上、麻酔が効きました」
穏やかに眠りについた患者を前に、綾子が兄を呼ぶ。
弦太郎が頷き、患者の両親を励まして、手術台に近づいた。
そっと目を閉じ、長く息を吐く。そしてゆっくりと目を開いた時。それは、厳しい眼差しに変わっていた。
「では、手術を開始します」
まず、下腹部に触れる。ぐっと押して、コリコリとした感触を感じるところに印をつけて。
「はい、兄さま」
差し出された弦太郎の手に、露子が小刀を渡す。
ゆっくり、ゆっくり。
これは、期限のある病気。一日以内に処置を終わらせなければいけないはず。それなのに、兄は落ち着いていた。
綾子も焦る気持ちをぐっと抑え込んで、冷静に手伝う。視界を広げ、見えてきたのは。
「……良性だ」
兄がつぶやいた。ホッと息が漏れた。
「腫瘍だけを摘出する」
「はい」
これで彼女の人生を狭めないで済む。女性としての幸せだと教えられる妊娠を、この少女から奪いたくはなかった。
無事に手術を終え、
「兄上、縫合は私が」
と綾子が名乗り出る。
「わかった。頼んだよ」
兄の瞳に、優しい光が戻った。不安になっているであろう両親への説明を早くした方がいい。
「露、綾を手伝ってあげてね」
「はい」
弦太郎はそう言い残して、座敷へ入っていった。
周囲の物音など気にも留めず、綾子は丁寧に針を動かす。手伝いといっても、これくらいなら露子の手がなくても問題ない。露子もそれをわかっているのか、何も言わず道具を静かに片付けていた。
「……よし」
綺麗に縫えた傷口に、綾子が満足そうに笑みをこぼす。
「姉さま、気を抜かないでください」
「うるさいですよ。もう終わりました」
「ふふ」
露子も楽しそうに微笑み、片付けをする。
「患者さんを座敷に寝かせてあげてください」
「は、はい!」
少し離れて手術を見学していた弟子たちを呼びよせる。
「1つ、いいですか?」
「はい」
その内の弟子の1人が手を挙げた。
「今のは、どういった病気なのでしょうか」
「卵巣嚢腫茎捻転。卵巣にこぶができたことで、臓器がねじ曲がってしまったことで、強い痛みを感じる病気です。こぶを取ってねじりをもとに戻す手術をしました」
割烹着を脱ぎながら、丁寧に答えていく。普通なら弦太郎に聞いているはずだが、今は弦太郎が手を離せないため、仕方なく綾子に聞いているのだろう。
「では、今後の経過はどう見ていくのですか?」
「腹を切った跡はどこまで残りますか?」
「今後の妊娠への影響は」
それを皮切りに、次から次に質問が出てくる。
「落ち着いてください」
綾子は驚きながらも、それを顔には出さず、そっと見た。
「姉さま、お顔が怖いです」
それを見た露子が言う。
「ただ見ただけではありませんか」
「ただでさえお顔が怖いんですから、ちょっと見ただけでもダメです。ほら、みんなびっくりしてるじゃないですか」
確かに、綾子が一目見ただけで、一気に静まった。
「……私でよければ、質問にはお答えします。が、その前に、着替えさせてください」
「はいっ、もちろん!」
「どうぞ、どうぞ!」
弟子たちが慌てて道を開ける。
「露、片付けを頼みますよ」
「はい」
と言った時だった。ふと、玄関の方が目に入る。そこには、隙間からたくさんの目が覗いていた。
「……あれは?」
綾子が弟子に尋ねる。
「近所の住民たちです」
「騒ぎを聞きつけた人たちから広がって、手術の様子を見ていました」
「……そうですか」
気づかなかった。それだけ集中していたせいか。それとも静かにしてくれていたおかげか。
「姉さま?」
「なんでもありません」
全て無事に終わったのだ。気にすることではないと、綾子も土間から上がっていった。